文章抜き書き(漢籍)

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  • 文章抜き書き(漢籍)
    冉求(ぜんきゅう)が曰わく、子の道を説(よろこ)ばざるには非ず。力足らざればなり。子の曰わく、力足らざる者は中道にして廃す。今女(なんじ)は画(かぎ)れり。 (冉求が「先生の道をうれしく思わないわけではありませんが、力が足りないのです」といったので、先生はいわれた、「力の足りないものは(進めるだけ進んで)中途でやめることになるが、今お前は自分から見切りをつけている」)                                           『論語』雍也第六 子の曰わく、賢なるかな回や。一箪の食(し)、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其の憂いに堪えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。 (先生がいわれた、「えらいものだね、回は。竹のわりご一杯のめしとひさごのお椀一杯の飲みもので、せまい路地のくらしだ。他人ならそのつらさにたえられないだろうが、回はそうした中でも...
  • 文章抜き書き
    ギリシャ・ローマ神話抜き書き 「この胡瓜はにがい。」 棄てるがいい。 「道に茨がある。」 避けるがいい。それで充分だ。 「なぜこんなものが世の中にあるんだろう」などと加えるな。そんなことをいったら君は自然を究めている人間に笑われるぞ。もし君が大工や靴屋に向かって、その仕事場に彼らのこしらえているものから出たかんな屑やけずり屑があるといって責めたら、その人たちに笑われることだろうが、それと同じわけだ。                                 マルクス・アウレリウス『自省録』 永く忘却されていたことほど新しいものはない                                 ドイツのことわざ 「私が哲学的体系からは全く遠ざかりつつ、しかも哲学者を大いに愛好し、彼らとの交際において無限の愉悦を味わっている理由はこれであ...
  • 文章抜き書き(知識編)
    「神の家の子公達は 八幡の若宮 熊野の若王子 子守御前(おまへ) 比叡には山王十禅師    賀茂には片岡 貴船の大明神」 (『梁塵秘抄』より。諸社の中でも特に「息子の神」を集めた歌。    「八幡の若宮」は石清水八幡宮の摂社、若宮社。応神天皇の子仁徳天皇を祀る。    「若王子」「子守御前」は、熊野十二所権現の若宮、子守宮。    「山王十禅師」は日吉大社の摂社、樹下(このした)神社。    「片岡」は賀茂神社の摂社、片山御子神社) 「関より東の軍神(いくさがみ) 鹿島香取諏訪の宮  また比良の明神 安房の洲 滝(たい)の口や小鷹明神  熱田に八剣 伊勢には多度の宮」 (関東の軍神を挙げる歌。    「比良の明神」は滋賀県高島郡高島町にある白髭神社(滋賀県)、    「安房の洲」は千葉県館山市の洲宮神社    「小鷹明神」は千葉県安房郡白浜町(旧長尾村滝の...
  • ギリシャ・ローマ神話抜き書き
    しかし人間の立場からすると自然は完全でないが、それに対して主として慰めになることは、神といえども全能ではないということである。なぜならたとえば、彼が自殺をしようとしてもそれはできない。ところがこの自殺というものは人生のあらゆる刑罰のうちで、神が人間に賜った最高の恩恵なのである。また人間に永生を与えたり、死者を甦らせたりすることもできず、生きてきた人間を生きて来なかったようにしたり、高官の地位にあった人をそうでなかったようにすることもできない。それからまた神は過去の事柄についてはそれを忘れさせること以外はどうする力ももっていない。そして(これまたつまらぬ論議によって、われわれが神の身寄りであることを示すものだが)彼は一〇の二倍を二〇でないようにすることも、それと同じような種類のたくさんのこともできない、ということだ。(プリニウス『博物誌』第二巻)
  • 1720年
    享保五年    重大事件    政権    外交    生誕    死去    宗教界    学術 徳川吉宗、長崎に舶載される漢籍について、キリスト教関連の記述に対する検閲を緩和。    これにより西洋科学技術に関する情報が入りやすくなり、後の蘭学興隆のきっかけの一つになったと云々。 水戸藩、藩主徳川宗堯名義で『大日本史』本紀・列伝を幕府に献上(これを享保本という)    文学・芸術 近松門左衛門『心中天網島』初演    市井    地方    伝説など(史実かどうか疑わしいもの)    その他
  • 藤原定子
    一条天皇の皇后。 清少納言が仕えた事で著名。 父は藤原道隆、母は高階貴子。同母兄弟に藤原伊周、藤原隆家などがいる。 977年(貞元二年)に生まれる。    十四歳で入内、立后。    1000年(長保二年)に二十四歳で崩御。 漢籍・和歌などを中心に深い教養を持ち、清少納言らと闊達な応酬を繰り広げる様子が『枕草子』に詳しい。    ただし、995年(長徳元年)に父道隆が死去、翌996年に兄の伊周らが政変で左遷にあい、    同年五月に落飾(仏門に入る)。その後一条天皇の寵愛篤く事実上の還俗をするも、    肩身の狭い身分のまま、没落の中で亡くなった。       参考文献 『枕草子(下)』講談社学術文庫 枕草子(下) (講談社学術文庫)
  • 江戸出版物年表
    1627年(寛永四年)       吉田光由『塵劫記』 1662年(寛文二年)       浅井了意『江戸名所記』 寺社を中心に江戸の名所を和歌・挿絵と共に80ほど紹介。 1691年(元禄四年)       熊沢蕃山『女子訓』 1708年(宝永五年)       貝原益軒『大和本草』 1710年(宝永七年)       貝原益軒『和俗童子訓』 日本初の体系的な児童教育書 1720年(享保五年)       徳川吉宗、長崎に舶載される漢籍について、キリスト教関連の記述に対する検閲を緩和。       これにより西洋の科学技術などを記した書籍が入るようになり、のちの蘭学興隆のきっかけの一つとなる。 1759年(宝暦九年)       山脇東洋『蔵志』 京都で行われた死体解剖の記録。 1763年(宝暦十三年)    ...
  • 徳川吉宗
    徳川八代将軍 吉宗の侍講、室鳩巣は、吉宗について「御文盲に御座なられ候」など、    その知識教養について『兼山秘策』で酷評している。    また六代将軍徳川家宣の正室天英院の父、近衛基煕(このえもとひろ)も、    日記の中で吉宗を評して「和歌においては尤も無骨なり、笑ふべし」としている。    即ち、当時の教養である儒学や和歌は不得手であったらしい。 江戸城内の中奥の一角に、専用の書庫「御書物部屋」を設置した。    このような部屋を設けたのは徳川将軍の中で吉宗のみ。 稲生若水の本草学の大著『庶物類纂』三六二巻を、幕府官医の丹羽正伯(にわしょうはく)に    増補させ、地域ごとに呼び方が異なる産物の比定などが進められ、    最終的には全一五一四巻としてまとめられたという。 (zsphereコメント:Sugeeeeee!! 1514巻ってw 大蔵経以外で...
  • 驚き(引用)
    別の折りなら、これにはアリスもびっくりしたでしょうが、彼女はあんまりびっくりし通しで、今や何を見てもびっくりなんかしません。                                    ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』
  • 日本書紀
    『続日本紀』720年の項目に、「日本紀ヲ修ス」の記事がある。30巻という巻数も現在の日本書紀に一致する。 一方、「日本紀」と「日本書紀」が同じものかどうかについては議論もある。   →『万葉集』の左注に引用されている箇所があるが、24番左注→「日本紀」、6番左注→「日本書紀」と表記されている。    表記が違う理由は何か?   →もしくは、中国の歴史書(漢書、後漢書など)にならって元々は「日本書」であった可能性も考えられる。    この場合、中国の歴史書は「紀」「志」「列伝」に分かれているので、    『日本書紀』は「日本書」の「紀」であると解釈できる。    その場合、「日本書志」「日本書列伝」は何らかの理由で作られなかったのか? 『扶桑略記』に「和銅五年上奏日本紀に、飯豊天皇について表記がある」という記事がある。  しかし現在の記紀では、同天皇が即位したか...
  • 感情に関する引用文
    怒り(引用) 【済】悲しみ(引用) 【済】憎悪(引用) 【済】怨み(引用) 死別(引用) 恐怖(引用) 驚き(引用) 【済】楽しみ(引用) 怠惰(引用)
  • 引用件名索引あ行
          ☆あ 愛(引用) アイデンティティ(引用) 灯かり(引用) 悪魔(引用) アダム(引用) 過ち(引用) アヤメ(引用) アリ(引用)       ☆い イエス・キリスト(引用) 怒り(引用) 維持(引用) 偉人(引用) イスカリオテのユダ(引用) イチジク(引用) イナゴ(引用) イヌ(引用) イノセント(引用) 祈り(引用) 意味(引用) 入口・門(引用)       ☆う 宇宙(引用) ウナギ(引用) 海(引用) 占い(引用) 怨み(引用) 噂(引用) 運命(引用)       ☆お お茶会(引用) 大人(引用) 驚き(引用) オリーブ(引用)
  • 月山
    出羽三山の一つ。 本地は阿弥陀如来、垂迹は月読命。 『羽黒山縁起』『三山雅集』によれば、能除太子がこの山を開山。のちにその跡をしたって役小角が尋ねてきたが、権現が現われ修行不足として追い返したという。その後荒沢の常火堂で修行をし、ようやく登る事ができたという。 能除太子が荒沢に不動明王を勧請して護摩を焚こうとしたところ、不動明王みずから剣をぬいて自分の左臂を切り、したたりおちる血を護摩木にそそいだところ、その血は猛火となって燃え上がった。これが荒沢の常火堂のおこりという。 月山は月の神を祀るため、兎が神の使いだという。大晦日から元旦にかけておこなわれる松例祭で、兎のぬいぐるみをかぶった役が登場する「兎の神事」がある。 月山八合目から一時間ほど東北に下ったところに「東補陀落」という秘所がある。三体の巨岩からなり、陽根の形をしている。三体の巨岩は弥陀薬師観音をあらわすとも言う。 ...
  • 将軍
    源頼朝 足利義満 足利義教 徳川家康 徳川綱吉 徳川吉宗 征夷大将軍。源氏も足利も徳川も一緒に入れてしまう手抜き項目。
  • 銀座
    明治初年より、文明開化の目抜き通りとして銀座煉瓦街が作られた。  ロンドンのリージェント・ストリートを模して、直線的な大通りが実現した。  ただし、車道と歩道の間には桜と松の並木が作られていた。 この銀座煉瓦街は、作られた当初は入居者や出店も少なく、  「住むと青膨れになって死ぬ」といった噂話も立ったという。 銀座煉瓦街は関東大震災で崩壊。現在は当時のガス灯の一部が復元されているに留まる。
  • 臓器を食べた事を誤魔化して言わない
    中世イタリア民間説話集『ノヴェッリーノ』    →神が一人の旅芸人と連れ立って歩いた。神が得て来た金で仔羊を買ったが、旅芸人は腎臓を抜き取って食べ、     旅芸人の仲間が来た時に腎臓のありかを聞かれて「この国の山羊は腎臓を持っていない」と誤魔化す。     のち、男は磔刑に処されそうになり、神に「腎臓を食べたことを認めるか」と聞かれるが認めない。     結局神の手引きで旅芸人は助かり、得た金を分ける際に三分の一を「これは腎臓を食べた者の分だ」と言うと     旅芸人は自分が食べたと述べる。人は死から命を救うためにさえ認めないことを、金のためには公言する、と云々。       参考文献 『中世イタリア民間説話集』 完訳 中世イタリア民間説話集
  • 松井横穴群
    京都府京田辺市に所在。 古墳時代後期から飛鳥時代にかけての横穴墓が70基発見されている。    横穴群全体では300~400の墓があると見られるが、現在調査中。 そのうちの一つから、小型陶棺が出土。    陶器でできた小型の棺で、長さ約80センチ、高さ約30センチ、幅約35センチ、    上面を方形にくり抜き蓋をかぶせる構造であるという。 (同様の陶棺は奈良県奈良市の宝来横穴第6号墳で出土例があるとのこと) 副葬品に刀剣や鏃などの武具がほとんど見られない事から、    農業に携わる有力者の墓ではないかという見解もある。 また『日本書紀』でこの地の周辺に土師部がいたという記述がみられるため、    そうした記述との関連性を主張する見解もある。       参考文献 産経WEST 2015年1月20日記事
  • 火の祭壇
    インダス文明の諸遺跡に見られる宗教儀礼用の祭壇の通称。 カーリーバンガン遺跡の城塞地区南側および市街地東の外、ロータル遺跡の市街地北部などに存在する。 カーリーバンガン遺跡の城塞内の祭壇では、傍らに排水溝を供えた井戸があり、水を用いた儀礼も想定される。 ロータル遺跡の祭壇は、大甕数個を据え付けた木造建築の中に設置されている。 これら遺跡で犠牲にされた獣は、ヤギやウシなどの有角獣であったと見られている。 (zspereコメント:それにしても、なんでことさら「火」の祭壇というネーミングなのか、説明してる文章が見当たらなかったのだよなぁ……)       参考文献 『インダスの考古学』近藤英夫 インダスの考古学 (世界の考古学)
  • ランダムネス(引用)
    こうした技法の〈強力さ〉を理解し、それらが世界に広く分布し、時代を超えて生き残って来た理由を知るためには、人類学者ムーアの研究を援用して、組織(化)論のカール・E・ワイクがまとめた次のような考察が参考になる。 ネイティブアメリカンであるナスカピ族では、長老派カリブーの肩甲骨に現れたヒビを読み、狩人たちはそれによって狩りをする場所を決める。ムーアとワイクによれば、ナスカピ族のこの〈意思決定〉は次のような利点をもっている。 もし失敗しても、誰かに累が(それほどには)及ばない。 情報が不十分なときでも、決定が下される。 代替案の間でさしたる違いがないときでも、迷わず決定が下される。 (資源への負荷が分散することで)ボトルネックが克服されるかもしれない。 (次の手が読めないため)競争者が混乱する。 代替案の数が(原理的には)無数になる。 手順が愉快だ。 決定は常に速やかに下される。 特別な技...
  • 首だけで動く
    プリニウス『博物誌』第十一巻    →ピュロス王が死んだ日、捧げられた生贄(ウシか?)たちが頭を切り離された際、    その頭たちが這い回って自分たちの血を全部舐めてしまった、という記述がある。 (zsphereコメント:この件、プリニウスの書きぶりは、特に疑うでもなく淡々と事実を記述しているという書き方に見える。           正確には、上記のような事があったくらいだから、直前に書いた生贄の内臓からヘビが出てくるという           別のエピソードも別段信じられないことでもない、という書き方になっている。)       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅱ』 プリニウスの博物誌〈第7巻~第11巻〉
  • 和紙
    610年(推古天皇十八年)に、高句麗僧曇徴が紙の製法をもたらしたが、   大麻を使う方法で、薄い上質な紙を作る事も、量産も難しかった。 その後、諸国に国紙(くにがみ)の開発が求められ、   雁皮を用いた漉紙の製法が研究され、やがて越前(福井県)からいち早く   上質な紙が奈良の都へ届けられた。   730年(天平ニ年)の「越前国大税帳断簡」(正倉院蔵)に、   越前での「雁皮を主とした溜め漉き」について、製紙技術の進歩を称賛する文章がある。 平安時代、製紙は官営となり、楮(こうぞ)や三椏(みつまた)を原料とするようになる。   平安時代末期になって、民営に変更。   越前の大徳山大滝寺では、製紙職人たちにより紙座が組まれている。 室町時代、越前の和紙は「紙王」とも呼ばれていた。 (ISIS本座 バジラな神々)
  • 英国心霊研究協会
    1882年(W)に設立された、心霊現象の科学的探究を目的とする集団。 発起人はフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤーズ、ヘンリー・シジウィック、    エドマンド・ガーニーなど。 この協会の、1883年(W)から1897年(W)にかけての会員名簿に、    ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの名が掲載されている事が知られている。    同協会は1898年(W)発行の会誌にドジソン師への追悼という文章を載せており、    またキャロル研究者によるキャロルの銀行口座の出納録にも、同協会への会費納入が記載されているという。       参考文献 『ユリイカ』2015年3月増刊「150年目の『不思議の国のアリス』」所収「チェシャー猫と不可視のワンダーランド」 ユリイカ 2015年3月臨時増刊号 総特集◎150年目の『不思議の国...
  • グレンデル
    イギリス中世の英雄叙事詩『ベーオウルフ』に登場する巨人。 旧約聖書創世記に登場する、弟アベルを殺害したカインの末裔とされる。    弟を殺したことで神に放逐されたカインの血筋はその後様々な悪霊怪物を生み出したとする。 『ベーオウルフ』作中では、デネ(デンマーク)王フロースガールの屋敷を襲いその家臣たちを殺して苦しめたが、    ベーオウルフによって討ち取られる。 『ベーオウルフ』第十二節に、グレンデルはその魔力によって剣などの刃物による攻撃が無効となっている、とする記述がある。 同作中では、グレンデルとその母が住まうのは沼の底にある洞窟。    ベーオウルフはここでグレンデルの母にあたる女怪と戦うが、持ち込んだ名剣フルンティングも刃が立たないところ、    洞窟内にあった、巨人が造った巨大な剣を抜き放ち、これによって巨人に勝利。同時に    洞窟内でこと切れてい...
  • BC181年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 この年、ヤニクラという土地で王政ローマ時代の国王ヌマ・ポンピリウスの遺体を収めた箱が掘り出されたという。    この箱の中には、紙製の本が朽ちずに残っていた、と複数のローマ時代の記述者が書き残していることを    『博物誌』第十三巻の中でプリニウスは書き残している。    (ただし、プリニウス自身はそんな古い時代に紙の本が存在していたことについて疑問視している)      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション    ...
  • 占い(引用)
    しかし手相は? 君は大軍の兵が同時に短剣で殺されるのを見るが、(その人々の)手相はお互いに同じではない。難破船の場合も同様。                                    『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』 こうした技法の〈強力さ〉を理解し、それらが世界に広く分布し、時代を超えて生き残って来た理由を知るためには、人類学者ムーアの研究を援用して、組織(化)論のカール・E・ワイクがまとめた次のような考察が参考になる。 ネイティブアメリカンであるナスカピ族では、長老派カリブーの肩甲骨に現れたヒビを読み、狩人たちはそれによって狩りをする場所を決める。ムーアとワイクによれば、ナスカピ族のこの〈意思決定〉は次のような利点をもっている。 もし失敗しても、誰かに累が(それほどには)及ばない。 情報が不十分なときでも、決定が下される。 代替案の間でさしたる違いがな...
  • 船と猿
    中世イタリア民間説話集『ノヴェッリーノ』    →ある商人が樽の中ほどに仕切りをして、ワイン半分水半分をワインの価格で売りさばいた。     その売上金を袋にいれて船に乗っていると、神様が遣わした一匹の大きな猿が船に現れて金の袋をとりあげ、     マストに登ってから、中の金貨を海へ半分、船の中へ半分落とした。残った金貨はちょうどワインを売った分の金額だったという。 『千一夜物語』「荷かつぎ人足と乙女たちとの物語」中の「第二の托鉢僧の話」    →魔神(ジンニー)の怒りを買ったある国の王子がサルに姿を変えられる。     サルは一艘の船を見つけて乗り込むと、船員は「こんな縁起の悪いものは早く追っ払ってしまえ!」     「いや、殺してしまおう」などと話しているが、同情した船長が自分が面倒を見るととりなして助かる。     のち、このサルは元人間だった技量から見事な文章...
  • 七十人訳聖書
    ヘブライ語よりもギリシャ語の方が読み書きに容易である、というユダヤ人たちのために、ギリシャ語に訳された聖書。 この七十人訳聖書に関して、伝説がある。  アレキサンドリヤからエルサレムの大祭司へ、ヘブライ語聖書1冊とそれを翻訳する人々を要請する手紙が送られた。そこで、12の各部族から、それぞれ6人の翻訳者たちが、それぞれ金文字で書かれた律法1冊を持ってアレキサンドリヤへ行ったという。総勢で、12×6=72人、ゆえに「七十人訳(Septuagint)」と言う(端数の二人は略して呼んでいるということ)。また、この聖書を表すための記号「LXX」もここに由来する。  一節によれば、計72人がそれぞれ別室で、独立で仕事をし、72日間で、まったく同一の翻訳を書き上げたという。 実際には、紀元前3世紀に律法部分が出来、あとは違った時代に少しずつ付加されていったものだろうという。 最古の写本に...
  • M:近世以前の遺跡発掘に関するメモ
    ヘロドトス『歴史』    →スパルタが敵対しているテゲアと争っていたが勝つことができず、デルポイに神託を乞うたところ、    「アガメムノンの子オレステスの遺骨をスパルタに持ち帰れば望みが達せられるであろう」という託宣が降りる。    場所はテゲアの町で、アガメムノンが子を埋めた場所があるという。    これを、スパルタの市民の一人リカスが見つけ出したという。    テゲアの鍛冶屋で、たまたま庭を掘っていた時に、7キュベスもある棺を掘り当てたといい、    よもやそんな大きい人間がいると思わずに蓋を開けたら、棺と同じ大きさの死骸が入っていた、という。    リカスが紆余曲折の末、骨をスパルタに持ち帰ってから、両国の戦いでスパルタが優位に立つようになったという。 プリニウス『博物誌』第十三巻    →プブリウス・コルネリウス・ケテグスとマルクス・バエビ...
  • K:文字を刻まれた出土品
    国内最古の「文字が刻まれたヘラ書き須恵器」は五世紀のものとのこと。       七世紀 福岡県大野城市 善一田遺跡    →円墳近くの土壙墓から、「奈」と刻まれた須恵器が3点出土
  • 1298年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 マルコ・ポーロ、獄中にてルスティケッロに自らの東方での見聞を書き記させる。    (『東方見聞録』成立)      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • ハラッパー遺跡
    同遺跡の最下層にあたる地層からは、インダス文明より先行する、紀元前3500年頃~紀元前2800年頃の    地域的村落文化であるラーヴィー文化の遺構が発見されている。    また、このラーヴィー文化期の地層からは、アラビア海産の貝を用いた腕輪などが確認されており、    この時期に既に広く地域間の交流のあったと考えられる。 また、1946年(A)、ウィーラーの発掘調査により、インダス文明期のハラッパーには    19mの幅を持つ市壁の存在が明らかにされた。 西に城塞、東に市街地を持つ。城塞地区は市街地から見てやや北寄りの西。 城塞地区北側に、ウィーラーによって「穀物倉」と命名された建物跡が所在する。    縦14~15m×横6mの建物の基壇が2列に6部屋、計12部屋ある。    敷地面積は南北に50m、東西に40mに及ぶ。    ただし、これを穀物倉とする見解に...
  • 同時に複数の話を聞く・話す
    プリニウス『博物誌』第七巻    →ユリウス・カエサルは、同時に書き、読み、口述し、聞く能力を持っており、     彼は重要な事項に関する手紙を四通同時に口述したといい、また他にすることが無い場合には     七通の手紙を同時に口述した事もある、という。       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅱ』 プリニウスの博物誌〈第7巻~第11巻〉
  • 善一田遺跡
    福岡県大野城市に所在。 七世紀の円墳近くの土壙墓から、「奈」と刻まれたヘラ書き須恵器が3点出土。    副葬品として蓋坏(ふたつき 蓋と本体がセットになった器)が4点出土し、そのうち    ふた1点と器2点に文字(縦5cm×横5cm)の文字が刻まれているのが見つかったという。       参考文献 西日本新聞 2016年2月26日記事
  • 提婆達多品
    悪人成仏、女人成仏を記したパートとして著名。 (zsphereコメント:乱暴な書き方である事は承知しているが、詳細な記述はいずれ。今はこれだけ記しておく) 鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』には、原本にあったこの提婆達多品が訳されておらず、ばっさり落とされているという。       参考文献 千夜千冊第1300夜
  • ヴェネチア(引用)
    私が1786年9月28日の夕刻、ドイツ時間の5時に、ブレンタ河から潟へのり入れつつ初めてヴェネチアの町を遠望し、それから間もなくこの不思議な島の町、この海狸共和国に歩を印し、見物をするということは、運命の書物の私のページにすでに書きしるされてあったのだ。                                         ゲーテ『イタリア紀行』
  • 日本災害年表
    1185年(元暦二年) 七月九日、京都にて大地震。                  この余震は八月末までたびたび続いたという。                  この地震について、『平家物語』は安徳帝や平家の怨霊の仕業であると記述するが                  『玉葉』は悪君による世の乱れに対する天神地祇の怒りと記し、                  『愚管抄』は平清盛が龍となって起こしたのだ、という世情の噂を書き留めている。
  • 急々如律令
    もともと、漢代に、律令に明示された事項を下達する際に    「如律令」(律令の如くせよ)と書き、あるいはその上に    「毋惣」(ゆるがせにするなかれ)の字が加わり、    さらに「急々」に変わって行ったと見られる。    法律の文によって表わされた国家権力が次第に    呪力に置き換わっていったものだろう、とのこと。 (『日本陰陽道史総説』村山修一) 日本陰陽道史総説
  • 急急如律令
    「急々如律令」などとも。 もとは漢代中国の公文書の末尾に「急急に律令の如く行え」の意味で書き添えた語。    後に道家や陰陽師などの悪魔払いの呪文として用いられた。 2016年に発表された内容によれば、    石川県白山市所在の小川新遺跡(平安末期~室町時代にかけての集落遺跡)の井戸跡で、    「急急如律令」と書かれた呪符木簡が発見されたという。       参考文献 JKデジタル大辞泉 北國新聞2016年12月3日記事
  • ヒョウ
    プリニウスは『博物誌』第八巻の中で、すべての四足動物は不思議とヒョウの匂いに引き付けられる、と書いている。    しかしヒョウの獰猛な顔つきを見ると度肝を抜かれてしまうので、ヒョウは頭を隠して    他の魅力によっていざない寄せておいて、これを捕えるという。 また、ヒョウの肩のところに月に似た斑紋があり、膨らんで円形になるかと思うと、月と同じように欠けていくという    説を唱えている権威ある学者がある事をプリニウスは書き記している。       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅱ』 プリニウスの博物誌〈第7巻~第11巻〉
  • 届けた者を殺せと書いた手紙を運ばせる
    『グリム童話集』「黄金の毛が三ぼんはえてる鬼」    →お姫様と結婚するだろう、という予言をされた少年を出先で見つけ、良く思わない王様が、       「この手紙をたずさえた男の子が到着したら、すぐさま殺して埋めてしまえ」と書いた手紙を自分の城に届けさせる。        が、少年が森の中で迷い込んだ盗賊の家で、盗賊たちがこの手紙を見て同情し、       「この手紙を持っていた男の子と姫を結婚させるように」と書き換えて持たせる。       結果として少年と姫様は結婚式をあげる。             参考文献 『完訳グリム童話集(1)』 完訳 グリム童話集〈1〉 (岩波文庫)
  • 青木昆陽
    生まれは江戸の魚屋の息子。町人出身でありながら、幕府に出仕した事になる。 徳川吉宗に命じられ、オランダ語の学習をした。    1745年(延享二年)、オランダ歌曲の歌詞の大意を翻訳した『和蘭勧酒歌訳』を幕府に献上している。 また、豊前中津藩医の前野良沢は、青木昆陽に入門してオランダ語を学んだという。 なお、杉田玄白『蘭学事始』によれば、昆陽のオランダ語習得はアルファベット25文字を書き習う程度だった、とか。       参考文献 『江戸の文人サロン』揖斐高 『平賀源内を歩く』奥村正二 江戸の文人サロン―知識人と芸術家たち (歴史文化ライブラリー) 平賀源内を歩く―江戸の科学を訪ねて
  • 金の採掘
    プリニウス『博物誌』第七巻によれば、金の採掘および精錬を発見したのは、カドモスがパンガエウス山で、という説のほか、    パンカイアのトアス、あるいはアイアコスによって、またあるいはオケアヌスの息子のソールによって発見されたという。 (zsphereコメント:訳文ではソールに「太陽神」という訳者の添え書きが付されているのだが、             ソールが太陽神なのは北欧神話のようだし、オケアヌスの息子が太陽神というのも             ちょっとググった限りでは出て来なくて、果たして真に受けて良いのかどうか思案中。             本当に太陽神だとすれば、金の採掘に太陽が関わってたというのは面白いようなのだが……)       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅱ』 プリニウスの博物誌〈第7巻~第11巻〉
  • トウゴマ
    トウダイグサ科トウゴマ属の多年草。 別名ヒマ(蓖麻)。 その種子からとれる油はヒマシ油(蓖麻子油)として知られる。    またその種子にはリシンという毒性タンパク質が含まれる事でも著名。 (zsphereコメント:『アリエナイ理科の教科書』のくられさんの十八番な話題な、アレ) ヒマシ油についてはプリニウス『博物誌』第十五巻にも言及があり、    食用としては甚だ不味いものだが、灯火用に用いられていると云々。 また『博物誌』第十五巻によれば、この植物の実のさやが「ダニ」と呼ばれている事も書き残している。    そのさや部分がダニに似ているからだとか。       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅲ』 プリニウスの博物誌〈3〉第12巻‐第18巻
  • デウス・エクス・マキナ
    機械仕掛けの神、の意味。 演劇で、舞台上部に大きな機械仕掛けの神の人形を登場させ話を収束させる事から、収集のつかなくなった話を無理やり終わらせる急展開を指す意味で使われる。 アリストテレス『詩学』やニーチェ『悲劇の誕生』などではあまり好意的でない書き方がされている。 その大本のひとつは、ギリシャ悲劇のひとつ『ヒッポリトス』。舞台の始まり、序の段に女神アプロディテが、また劇の結末にて女神アルテミスが登場する。他に、同じ作者エウリピデスの『オレステス』『タウリスのイピゲネイア』『アンドロマケ』『イオン』などにも同様の展開がある。  おそらく、滑車をつけた起重機で吊り上げて舞台上へ登場させたものと考えられる。 (『ものと人間の文化史 からくり』立川昭二) からくり (ものと人間の文化史 3)
  • 魔法陣
    『千一夜物語』「荷かつぎ人足と乙女たちとの物語」中の「第二の托鉢僧の話」    →魔神(ジンニー)によってサルに変えられた王子を元に戻すために、ある国の魔術を知る姫が     魔法陣を描いて魔神を呼び出す。小刀で御殿の真ん中に一つの円を描き、その輪の中に     いくつかの固有名詞と呪符の文字を書きつけ、それからその輪の中に入って、魔法の言葉を口の中で唱え、     古い書物にある事柄を読み上げると、にわかに御殿は濃い闇に包まれ、やがて魔神が現れる。 (zsphereコメント:Twitterにて、よくエンタメで魔法陣による何かの召喚を行う際には           魔法陣の中に召喚対象が現れるように描かれるが、あれは水木しげる以降の事で、           実際には召喚を行う術者自身が(召喚対象から身を護るために)魔法陣の中に入るのだ、           という話をして...
  • 人がオオカミになる
    ヘロドトス『歴史』巻四    →ヨーロッパから見て北方にすむ民族ネウロイ人についてスキタイ人やスキタイ在住のギリシア人の語るところでは、     ネウロイ人はみな年に一度だけ、数日にわたって狼に身を変じ、それからまた元の姿に戻るのだという。 プリニウス『博物誌』第八巻    →ギリシアの著述家エウァンテスが記している、アルカディア人の伝説として、以下の話を記す。     アントゥスという氏族から、家族間で投票で選ばれた男が、その地域のとある沼地へ連れてゆかれ、     着物をカシワの木にかけ、水を泳ぎ渡って荒涼たる場所へ行く。そしてオオカミに変えられて、     九年間他のオオカミの群れの中で暮らすといい、その期間中、自制して人間と接触せずにいれば     やがて同じ沼地に戻ってきて元の姿を取り戻すのだという。さらに、元の着物も取り戻すのだとか。 (プリニウス自身は、...
  • 皿数え
    井戸に現れて皿をかぞえる、という定型で語られる怪異。    『番町皿屋敷』が有名だが、同様の話は日本全国にある。 折口信夫は、「河童の話」の中で、大坂近辺に行われていた遊戯歌を記している。 頭の皿は、いつさら、むさら。 ななさら、やさら。ここのさら、とさら。 とさらの上へ灸(やいと)を据ゑて、 熱や 悲しや 金仏けい。けいや。    また、『嬉遊笑覧』に引く土佐の「ぜぜがこう」の文句に、 向河原で、土器(かはらけ)焼ば いつさら、むさら、ななさら、やさら。 やさら目に遅れて、づでんどつさり。 其こそ、鬼よ。 蓑着て 笠着て来るものが鬼よ。    この唄を謡いながら順番に手の甲をうち、唄の最後に手を打たれた者が鬼になるという。    『今昔物語集』の中で、女房が白鳥となって、夫を捨てて去る時に書き残した歌として あさもよひ 紀の川...
  • プラグイン/ニュース
    ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 「Wiki」創設者のPC 競売に - auone.jp ドラゴンクエストけしケシ攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 真女神転生5攻略Wiki|メガテン5 - AppMedia(アップメディア) アイプラ攻略Wiki|アイドリープライド - AppMedia(アップメディア) ポケモンBDSP(ダイパリメイク)攻略wiki - AppMedia(アップメディア) 【テイルズオブルミナリア】リセマラ当たりランキン...
  • M:世界の純金製遺物に関するメモ
    たまには俗な関心を全開にしてみたり。 インディ・ジョーンズ気分で世界の純金製のあれこれを見つけたら書きつけるメモ。       現存 世界最古の金細工は、ブルガリアのヴァルナ集団墓地で発見されている。    全294基ある墓のうち金細工が出土したのは62基、その総重量は約6kgにのぼる。    金製の腕輪や円形飾り金具など。 1924年(W)、ブルガリアのプレヴェン地方ヴァルチトラン村で、農民が地中から大量の純金製遺物を発見。    ヴァルチトラン遺宝と呼ばれた。発見者によって遺棄されたり分断されたりしたものもあるが、    現存するだけで12.425kg、金の純度は88.15%。年代は中期青銅器時代(紀元前二千年紀)から    民族大移動時代(5世紀から6世紀ごろ)まで諸説ある。器や蓋のようなもののほか、    三つの卵型容器が管で接続されていて、液体...
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