1290年(W)

私的伝奇関係データベース @ ウィキ内検索 / 「1290年(W)」で検索した結果

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  • 年表(西洋)
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  • 1290年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去 ベアトリーチェ死去。      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
  • ベアトリーチェ
    ...結婚。    後、1290年(W)に24歳で死去。 『デカメロン』の作者ジョヴァンニ・ボッカッチョとは遠い姻戚関係にあたる。       参考文献 『デカメロン(下)』ボッカッチョ 講談社文芸文庫 デカメロン(下) (講談社文芸文庫)
  • 36年(W)
         重大事件      政権 ポンティオ・ピラト、ユダヤ・イドメア・サマリア総督を解任される。      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの) この年、エジプトにフェニックスが降り立ったとプリニウス『博物誌』第十巻にある。    この鳥は後47年(W)ローマに運ばれて民会で観覧されたとか。ただしこれが作り事である事を疑う者はいないだろうともしている。      フィクション      その他
  • 1861年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 9月30日 始祖鳥の初の骨格標本(ロンドン標本)発見。(リチャード・オーゥエンによる論文報告は1863年(W)) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。    顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の書籍。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • サン・タンジェロ城
    ローマ、テヴェレ川右岸に所在する城。 円筒状の城を四角い城壁が囲み、その四隅にやはり円筒状の構造部を持つ。 元々は139年(W)に皇帝墓廟として建造されたもの。 590年(W)、教皇グレゴリウス1世がペストの終息を祈願した斉、    大天使ミカエルが現れ、以降ペストが収まったとされ、    これを受けた礼拝堂として現在のサン・タンジェロ城が作られたという。    「サン・タンジェロ」は聖天使の意。       参考文献 『週刊世界遺産 No.8』
  • オーレル・スタイン
    ユダヤ系のハンガリー人。 1862年(W)、ブダペストにて生まれる。 1900年(A)から約一年間、1906年(A)4月から約二年半、    1913年(A)7月から1916年(A)2月まで、1930年(A)8月から翌年6月まで、    計4回にわたりイギリス隊を率いて中国の西域を探検した。    楼蘭やニヤなどの仏教遺跡の発掘を行ったことで著名。 第2回探検にて、敦煌の莫高窟から大量の仏典を含む敦煌文書をイギリスに持ち帰る。 1912年(W)、敦煌文書の功績によりサーの称号を得る。 なお、中国では略奪者と捉えられている由。 また、1941年(A)、インド西部からパキスタンにまたがるチョーリスターン砂漠を踏査している。       参考文献 『インダス文明の謎』長田俊樹 インダス文明の謎 古代文明神話を見直す (学術選書)
  • マラトンの戦い
    BC490年(W)、アテネの軍勢とペルシア軍とが激突した戦い。 少数ながらアテネ軍がペルシアの大軍を破り、奇跡的な勝利を得た。 この戦いには、悲劇作家のアイスキュロスも参加している。       参考文献 『図説ギリシア』周藤芳幸 図説 ギリシア―エーゲ海文明の歴史を訪ねて (ふくろうの本)
  • ビーグル号
    イギリス帝国海軍の艦艇。1820年(W)に建造される。 正式な船名はHMSビーグル。HMSは「Her Majesty s Ship(女王陛下の船)」の意。 全長27m。 1831年(W)12月から1836年(W)10月まで、南半球を一周した。 測量船としての就航時の艦長はロバート・フィッツロイ。 チャールズ・ダーウィンを乗せており、この時の彼の生物調査がのちの    進化論の着想につながった事で有名。       参考文献 『眠れなくなる進化論の話』 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録 眠れなくなる進化論の話 ~ダーウィン、ドーキンズから現代進化学まで全部みせます~ (知りたい!サイエンス)
  • 世界光学関係年表
    1625年(W) 『メリソグラフィア』『アピアリウム』刊行。                顕微鏡を用いたハチの観察図を載せる。顕微鏡による観察図が出版された世界初の刊行物。 1665年(W) ロバート・フック『ミクログラフィア』刊行。                顕微鏡によるコルクの穴やノミなどの観察図が初めて掲載され、大きな反響を呼ぶ。 1839年(W) ウィリアム・フォックス・トールボットにより世界初の顕微鏡写真の撮影が成功。 1840年(W) ジョン・ウィリアム・ドライパー、望遠鏡による月の写真撮影に初成功。 1853年(W) ロンドン顕微鏡協会の会報に、顕微鏡写真が初めて掲載される。 1861年(W) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。                顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の...
  • アテネ関連年表
    BC632年(W) キュロンの反乱。    アテネ貴族のキュロンが、一味の者たちと共にアクロポリスに立てこもった事件。    しかし報を聞いたアッティカ周辺の農民たちがアクロポリス周辺を包囲、キュロンは降伏したという。 BC621年(W) ドラコンによってアテネに最初の成文法が制定される。 BC561年(W) ペイシストラトス、アクロポリスを占拠。アテネ統治権を手中に治める。 BC514年(W) ペイシストラトスの子ヒッパルコス、美少年ハルモディオスを巡る    三角関係から殺害される。 BC483年(W) アッティカ東南のラウリオン銀山にて大鉱脈が発見される。    テミストクレスの提言により、ここで得た余剰金は軍船の建造にあてられる。 BC480年(W)八月、サラミスの海戦。三段櫂船を駆使したアテネの海軍によりペルシア軍側が敗北。 BC479年(W)~B...
  • 線文字B
    古代ギリシャ、ミケーネ時代に使用されていた文字。 1900年(W)から開始された、アーサー・エヴァンズによるクレタ島、クノッソス宮殿発掘の際、    発見された粘土板に記されていた。文字は二種類あり、古そうな方を線文字A、新しそうな方を線文字Bと    エヴァンズにより名づけられた由。 後、1939年(W)、アメリカの考古学者ブレーゲンによるピュロス発掘の際に    線文字Bを記した粘土板600枚余りが発見され、その精密写真が第二次大戦勃発時の最後の引き揚げ船で    アメリカに渡る。 1953年(W)、マイクル・ヴェントリスにより解読が成功したと公表された。 線文字Bによって記された文書には、日付はあるがそれを記された年に関する記入がなく、    この事からこれら文書は一年限りのもので、年が変われば廃棄・再利用されていたのではないかと考えられている。 こ...
  • BC490年(W)
         重大事件 マラトンの戦い。アテネ軍、ペルシア軍に奇跡的勝利。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • パラケルスス
    1493年(W)、スイスのジール川近郊で生まれる。 本名はフィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・ホーエンハイム。    パラケルススは通称。「パラ」は「越える」、「ケルスス」は当時の百科事典編集者で医学者の    アウレリウス・コーネリウス・ケルススの事だと云々。 1520年(W)のデンマークとスウェーデンの戦争において、デンマーク軍の外科医として従軍している。 1541年(W)9月24日に死去。
  • ジェームズ・クック
    イギリスの探検家、船長。キャプテン・クックの愛称で知られる。 世界周航に先立つ1755年(W)からのフレンチ・アンド・インディアン戦争において、    イギリス軍がカナダに上陸する際に活躍した。    彼が後に探検航海に抜擢されたのも、この時の活躍が理由の一つだったとか。 1768年(W)8月26日、第一回の世界周航に出立する。    乗船はエンデヴァー号。    この航海には、後に著名な博物学者・植物学者となるジョゼフ・バンクスも同乗していた。 第一回世界周航は、様々な動植物の知見の他、太陽面の金星通過を観測し地球と太陽の距離を観測する目的も持っていた。    タヒチ島にて、この観測に成功している。 1770年(W)、オーストラリア大陸を発見。 1772年(W)7月、クック指揮による第二次探検隊が派遣される。    この翌年、1773年(W)1月、人類...
  • 安土桃山時代
       世界情勢 1494年(W)、ポルトガル・スペイン両国で、地球上の未発見領域を二分割する条約が結ばれる。  当初、ポルトガル王室の支援するイエズス会が日本に先着したため、  日本は「ポルトガル領インド」に属していた。  後にスペイン系の諸修道会が到着し対立が生じたが、  1600年(W)教皇が日本布教をすべての修道会に開放、一時沈静化したという。 同じ1600年、豊後国臼杵湾にオランダ船リーフデ号が漂着。  プロテスタントが対日交易に参加しはじめ、抗争の末、オランダによる対日貿易の独占が成立する。 (『要説日本歴史』)    政策 撰銭令 楽市楽座 要説 日本歴史
  • こぎつね座CK
    17世紀に観測された、天体爆発の残骸を指す。    ダンベルのような形をした暗い星雲。 1670年(W)6月、はくちょう座の頭付近で、それまで見られなかった新しい星が観測される。    この星は秋になって消えたが、翌1671年(W)に再度出現し、かつてなく明るく輝いた。    同年10月まで観測されていたがその後消滅、翌1672年(W)にわずかに観測された後、    二度と見られなくなった。 この天体は、ヘヴェリウスやジョバンニ・カッシーニらが観測、記録した事で知られる。 当初、この天体は記録に残る最古の新星だと考えられていた。    しかし2015年『nature』に発表された論文は、これは二つの星が激しく衝突する、    レッドトランジェント(高輝度赤色新星)と呼ばれる珍しい現象であったとする。    観測の結果、多量の重窒素や、普通の新星には見られない荷...
  • ヨハン・セバスチャン・バッハ
    ドイツ中部のアイゼナッハで1685年(W)生まれる。 1750年(W)7月28日死去。 数秘術に凝っていたとか。    書いた曲の中に全24曲のものが多く、24という数字にこだわった様子などが知られる。 また、フリードリヒ大王へ贈った『音楽の捧げ物』巻頭ページにアナグラムを入れたり、    遺作となった『フーガの技法』の21曲目の主題を「B-A-C-H」(変ロ-イ-ハ-ロ)と自身の名にするなど    様々な仕掛けを自作に施している。       参考文献 「千夜千冊」第1523夜
  • 歴史上の日食
    ヘロドトス『歴史』巻七に、ペルシア戦争においてクセルクセスがギリシアへ遠征を開始して間もない時、    白昼にわかに暗黒と化したことがあり、クセる癖巣がこれをマゴスらに尋ねると、    「ペルシアでは未来の事は月が示すが、ギリシアでは太陽が示す。この現象は神がギリシア人に対して     その町々の消滅を予示したものである」と答えたので、クセルクセスは喜んで軍を前進させたという。     同書訳者注釈に、この時期に該当しそうな日食はBC481年(W)4月の皆既日食(インド洋諸地域およびスサ)、     BC480年(W)10月の部分日食(コリントスおよびサルディス)、     BC478年(W)2月の金環食(サルディス)の三つに限られると云々。 アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』巻三に、アレクサンドロス大王がティグリス川を渡河した日の夜に    月食が起こり、大王...
  • 西洋日食月食年表
    BC331年(W)9月20~21日の夜9時ごろ、ティグリス川周辺で月食。    アレクサンドロス大王がこれを目撃し、日月に供犠を捧げた記事がアッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』巻三にある。 30年(W)?    『新約聖書』「マタイによる福音書」その他に、イエス・キリストが十字架にかけられた際、    その昼の十二時から三時ごろにかけて全地が暗くなったという記載がある。これを日食と見る説もある。       参考文献 『アレクサンドロス大王東征記(上)』アッリアノス 『聖書 スタディ版』 アレクサンドロス大王東征記〈上〉―付インド誌 (岩波文庫) 聖書スタディ版 改訂版
  • 1900年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 3月下旬、アーサー・エヴァンズ、クレタ島の発掘開始。クノッソス宮殿を発見。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 年表(日本)
    471年 513年(継体天皇七年) 516年(継体天皇十年) 571年(欽明天皇三十二年) 577年(敏達天皇六年) 588年(崇峻天皇元年) 590年(崇峻天皇三年) 600年(推古天皇八年) 601年(推古天皇九年) 602年(推古天皇十年) 603年(推古天皇十一年) 冠位十二階制定 604年(推古天皇十二年) 十七条憲法制定 607年 608年 610年 614年 628年 643年(皇極天皇ニ年) 645年(皇極天皇四年) 乙巳の変 647年(大化三年) 660年(斉明天皇六年) 662年(天智天皇元年) 663年(天智天皇二年) 白村江の戦い 668年(天智天皇七年) 670年(天智天皇九年) 671年(天智天皇十年) 672年         壬申の乱 686年(天武天皇朱鳥元年) 694年(持統天皇八年) 藤原京遷都 701年(大宝元年) 大宝律令制定 702年(大宝ニ年)...
  • ルイス・キャロル
    1832年(W)、イギリスのチェシャ州ダーズベリにて生誕。     本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン。 キャロルの母は多産で、キャロルは男四人、女七人の家族の長男だった。 父は教会の牧師。のちにリッチモンド教会の大執事となり、リボン大聖堂の聖堂参事会員も務めた厳格な人物だったとか。 キャロルには吃音障害があったと言われている。また兄弟姉妹も全員言語障害があったという 大学の数学教師となったキャロルは、クライスト・チャーチ学寮の居室に写真スタジオを持っていた。  その名も「ガラスの城」。 ルイス・キャロルは、英国心霊研究協会の会員であった事が知られている。    1883年(W)から1897年(W)まで、同協会の会員名簿にキャロルの本名が記載されており、    またキャロル研究者が調査したキャロルの銀行口座出納録にも、死の直前まで同協会に会費が支払われていた...
  • 1290年
    正応三年      重大事件 三月九日、浅岡為頼が息子らと共に皇居に侵入、伏見天皇の暗殺を図る。        結局詰めていた武士団に阻止され、その場で腹を切って自決した。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • パンテオン
    ローマに所在する神殿。 パンテオンは「すべての神々の神殿」の意。 BC27年(W)に建造されるが、80年(W)に焼失。    2世紀前半にハドリアヌス帝によって再建された。 中央ドームは、直径、高さともに43.3m。鉄筋を用いない石造建築としては世界最大を誇る。 ドーム下部はレンガの断片を含むコンクリート、中部はそれに凝灰岩を加えたもの、上部は凝灰岩と軽石、    といった形で上にいくほど軽い素材を用い、屋根にかかる重量を軽減している。 神殿内唯一の光源は、天井にある直径9mの円形の窓オキュラス。 また、神殿内にはラファエロの墓がある事でも著名。 パンテオン正面はロトンダ広場となっており、中央にエジプトのイシス神殿にあったオベリスクが    移設されている。       参考文献 『週刊世界遺産 No.8』
  • ジョゼフ・バンクス
    ジェームズ・クック(キャプテン・クック)が船長を務めるエンデヴァー号に乗船し、    その第一回世界周航に参加した博物学者。 貴族出身。 この時ともに参加したバンクスの同行者には、スウェーデン人植物学者ダニエル・ソランダー、    標本採集者、絵師シドニー・パーキンソンなど、博物学のフルスタッフが集っていたとか。 また、バンクスの意向により、この時の航海には二頭の大型犬グレイハウンドが乗船していたという。 この時に持ち帰った多くの動植物の標本や博物画により、バンクスは一躍名声を博し、    その後1778年(W)から1820年(W)までの長期間、    ロイヤル・ソサエティ(イギリス王立協会)の会長を務めたという。       参考文献 『想像力の地球旅行』荒俣宏 想像力の地球旅行―荒俣宏の博物学入門 (角川ソフィア文庫)
  • 80年(W)
         重大事件 ローマで火災。パンテオン焼失。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井 ローマにコロッセオ完成。      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • クリストヴァーノ・フェレイラ
    ポルトガル人宣教師。1580年(W)生まれ。 1610年(慶長十五年)来日。切支丹布教を行う。 1633年(寛永十年)、禁教令違反で逮捕、拷問され、切支丹を捨てる形で生還。 曹洞宗に帰依し、日本女性と結婚して沢野忠庵と改名した。 その後、外科術を中心とする西洋医学を広め、『南蛮流外科秘傳』を著した。 教え子として半田順庵、杉本忠恵、西玄甫らを輩出。 またその著書を通じて、日本に四体液説を伝えたとか。       参考文献 『解体新書の謎』大城孟 解体新書の謎
  • トロイゼン
    古代ギリシャの都市。 アテネの伝説的な王、テセウスの母アイトラの生まれ故郷であり、アテネとの関係が深い。 BC480年(W)、ペルシア軍がアテネに迫った際には、アテネ市民が妻子をこのトロイゼンに疎開させたという。 1959年(W)、アメリカの学者ジェイムソンにより、このトロイゼンから碑文が発掘されている。    内容はテミストクレスがペルシア戦争に際して老幼婦女子の疎開、戦闘要員の艦船への乗り込み、    アルテミシオンへの出撃などを決定させたという決議の詳細な内容を含んでいたという。    ただし、後の研究からこの碑文の刻まれたのが紀元前三世紀頃であると見られ、    ここに刻まれた内容が果たしてどれほどの信憑性があるかについては意見が分かれている、とのこと。    →トロイゼン出土碑文       参考文献 『図説ギリシア』周藤芳幸 『古代ギリシアの...
  • 線文字A
    •古代ギリシャ、ミケーネ時代に使用されていた文字。 •1900年(W)から開始された、アーサー・エヴァンズによるクレタ島、クノッソス宮殿発掘の際、    発見された粘土板に記されていた。文字は二種類あり、古そうな方を線文字A、新しそうな方を線文字Bと    エヴァンズにより名づけられた由。 線文字Bがその後解読されたのに対し、線文字Aは未解読。 ただ、未解読ながら記されているのがギリシャ語でない事はほぼ確実。    おそらくはインド・ヨーロッパ語族でもなく、セム語族に属する言語であろうと予測されているとか。       参考文献 『古代ギリシア 11の都市が語る歴史』ポール・カートリッジ 古代ギリシア 11の都市が語る歴史
  • 西洋博物学年表
    1753年(W)、カール・リンネ、『植物の種』を刊行。 1768年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号、第一回世界周航に出発。 1771年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号第一回世界周航から帰還。 1859年(W)11月、チャールズ・ダーウィン『種の起原』刊行。 1872年(W)12月21日 チャレンジャー号、イギリスポーツマスを出発。 1876年(W)5月24日 チャレンジャー号、海洋調査を終えイギリスポーツマスに帰港。 1881年(W)4月、大英自然史博物館開館。(それまでは大英博物館の一部扱いだった)
  • 理髪師
    プリニウス『博物誌』第七巻によれば、シチリアからローマへ初めて理髪師がやって来たのは    BC300年(W)だという。       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅱ』 プリニウスの博物誌〈第7巻~第11巻〉
  • 平賀源内関連年表
    1728年(享保十三年)、高松藩の志度浦で生まれる。 1749年、父茂左衛門死去。お米蔵番の職を継ぐと同時に、藩の菜園で朝鮮人参栽培をまかされる。 1752年(宝暦二年)、医師久保桑関の随行者として長崎遊学。 1756年(宝暦六年)、高松藩を出て江戸へ入る。 1760年 高松藩の命で相模湾、紀州海岸の魚介類調査を行う。 1761年 二月、高松藩へ「禄仕拝辞願」(事実上の離藩願)を提出。九月二十一日付で受理。            湯島聖堂から神田白壁町へ引っ越す。          秋、伊豆の船原に派遣していた家僕経由で芒硝を発見。            勘定奉行より「伊豆芒消御用」の辞令を受ける(幕府から直接雇われたのはこの時だけ)            ただし、直後に源内の師田村元雄が入れ替わりに幕府から同地へ派遣されている由。 1763年 源内の師田村元雄、幕...
  • 1298年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 マルコ・ポーロ、獄中にてルスティケッロに自らの東方での見聞を書き記させる。    (『東方見聞録』成立)      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1295年(W)
         重大事件      政権      外交 マルコ・ポーロ、ヨーロッパに帰還。      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
    1976年(W)、ドイツ、ヴュルツブルク生まれ。 陸軍外科少佐として、1823年(文政六年)、27歳の時に長崎出島のオランダ商館医として赴任。 1824年(文政七年)、長崎郊外に鳴滝塾を開設。 1826年(文政九年)、江戸参府に同行。 1828年(文政十一年)、長崎港停泊中のオランダ船が台風で大破、多数の御禁制品が発見され、    関係者五十余人が厳重処罰された(シーボルト事件)。 1830年(天保元年)、国外退去を命じられる。       参考文献 『解体新書の謎』大城孟 解体新書の謎
  • アンフィポリスの墳墓
    ギリシャの中央マケドニア地方セレス県に所在する古代都市アンフィポリスの近郊で見つかった、    同国最大の古代墳墓。2014年に考古学者による報告があって知られるようになった。 墓の年代はBC325年(W)からBC300年(W)の間くらいであるとされる。 入口の大理石の柱には2体の女神像が、さらに墓の入り口を守るようにスフィンクスの石像が鎮座していたという。 墳墓の床はモザイクになっており、13.5平方メートルほどの範囲に、    女神ペルセポネがハデスによって冥界へと連れ去られる場面が描かれていたという。    ハデスは馬車を駆っており、またその馬車の前を深紅のマントと帽子、翼のあるサンダルを履く    ヘルメスが先導している姿も描かれていたという。    また、このモザイク画に描かれたペルセポネの像が、ベルギナにあるアレクサンダー大王の父の墓にある    同モチー...
  • 380年(W)
         重大事件 テオドシウス帝、キリスト教をローマの国教とする勅令を発布。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 大陸移動説
    1910年(W)から始まったロバート・スコットによる第二回南極遠征(通称テラ・ノバ遠征)で    絶滅した裸子植物グロッソプテリスの化石が南極大陸から発見された。    本来南極のような寒冷地には生育しないはずの植物化石が見つかった事が、後年大陸移動・プレートテクトニクスを    証明する証拠となったという。       参考文献 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録
  • 英国心霊研究協会
    1882年(W)に設立された、心霊現象の科学的探究を目的とする集団。 発起人はフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤーズ、ヘンリー・シジウィック、    エドマンド・ガーニーなど。 この協会の、1883年(W)から1897年(W)にかけての会員名簿に、    ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの名が掲載されている事が知られている。    同協会は1898年(W)発行の会誌にドジソン師への追悼という文章を載せており、    またキャロル研究者によるキャロルの銀行口座の出納録にも、同協会への会費納入が記載されているという。       参考文献 『ユリイカ』2015年3月増刊「150年目の『不思議の国のアリス』」所収「チェシャー猫と不可視のワンダーランド」 ユリイカ 2015年3月臨時増刊号 総特集◎150年目の『不思議の国...
  • ロドス
    エーゲ海南部に浮かぶ島ロドス島の首都。 世界の七不思議の一つに数えられる「ロドス島の巨像」が立っていた事で著名。    これは太陽神ヘリオスの像で、ロドスの港口に立っていたというが、    BC226年(W)の地震により倒壊、ユスティニアヌス帝によって売却処分されたという。 (zsphereコメント:『ギリシア案内記』注釈では、この像の建立年はBC292年(W)だけど、             WikipediaなんかではBC284年(W)となってたり。             倒壊の原因となった地震も『ギリシア案内記』注釈にはBC227年(W)頃となってて、             どうも記述に曖昧さがあるので態度保留する事にした。まぁ、恐らく典拠文献の違いだろうけど。             あと、同じくWikipediaでは像の高さは34m、台座を含むと50mとのこ...
  • 1770年(W)
         重大事件 ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号、オーストラリア大陸を発見。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
  • 1670年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 6月から秋口にかけて、はくちょう座の頭付近で、それまで観測されていなかった新しい星が観測される。    →こぎつね座CK      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • コロッセオ
    80年(W)、ローマに建設された円形闘技場。 周囲527m、高さ48.5m。収容人数は最大5万人と言われる。 完成当初は、王朝名をとって「フラヴィウス円形闘技場」と呼ばれた。 現在は中央のアリーナ部分が崩壊しており、地下部分が露出した状態で公開されている。 この闘技場が建設された土地は、かつてネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)の人工池があった場所であり、    闘技場脇には金メッキを施したネロの像が立っていたとか。 地下には滑車を利用した昇降機なども備わっており、猛獣を地上へ出す際などに使用された由       参考文献 『週刊世界遺産 No.1』
  • 1910年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ロバート・スコット、二度目の南極探検に出発。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
  • ジャン・バティスト・ラマルク
    1744年(W)~1829年(W) フランスの博物学者。 1809年(W)に発表した著書『動物哲学』で、進化論の前身となる説を唱える。    生物は、神が創造した姿のまま不変なわけではなく、環境に合わせて姿を変えていく(=進化していく)とした。    ただし、のちのチャールズ・ダーウィンが説いたような自然選択のアイディアはまだなく、    生物が環境に合わせて後天的に変化した性質が、あとの世代に遺伝すると考えた    (そして遺伝学の進歩により否定された)。 生物学(フランス語でbiologie、英語でbiology)という語を生み出した人物。    また、それまで「下等生物」と呼ばれていた昆虫類やぜん虫類に、初めて「無脊椎動物」という呼び名を与えた。 パリ植物園の園内に、ラマルクの銅像がある。 (『眠れなくなる進化論の話』) 眠れなくなる進化論...
  • 1750年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去 7月28日 ヨハン・セバスチャン・バッハ死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1840年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ジョン・ウィリアム・ドライパー、望遠鏡による月の写真撮影に初成功。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • アレクサンドリア
    アレクサンダー大王によって建設された都市。    大王の東征に伴い、同名の都市は複数(12前後から、70という説まである)存在したが、    普通はエジプトに所在した都市を指す。 都市建設はBC332年(W)からBC331年(W)に開始。    特に起工式はBC331年であったという。 BC305年(W)、エジプト総督に任命されていたアレクサンダー大王の側近プトレマイオス1世が    エジプトの王を名乗り、このアレクサンドリアを首都と定めた。 また、プトレマイオス1世自身が設計を行い、死後に完成した研究機関ムセイオンと図書館が所在し、    エウクレイデス、エラトステネス、アルキメデスなど多くの学者を擁した事で著名。       参考文献 『古代ギリシア 11の都市が語る歴史』ポール・カートリッジ 古代ギリシア 11の都市が語る歴史
  • パドヴァ大学
    イタリア、ヴェネト州に所在。 イタリアで2番目に古い大学。1222年(W)創立。 1545年(W)、パドヴァ大学の教授により、パドヴァ植物園が開園。     ヨーロッパ最古の植物園にあたる。       参考文献 『週刊世界遺産 No.33』
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