1317年(W)

私的伝奇関係データベース @ ウィキ内検索 / 「1317年(W)」で検索した結果

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  • 年表(西洋)
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  • 1317年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界 ローマ教皇ヨハネス22世、修道士による偽の金の鋳造・販売を禁止・断罪する教皇令を発布。    実質的な修道士たちに対する錬金術禁止令。      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 36年(W)
         重大事件      政権 ポンティオ・ピラト、ユダヤ・イドメア・サマリア総督を解任される。      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの) この年、エジプトにフェニックスが降り立ったとプリニウス『博物誌』第十巻にある。    この鳥は後47年(W)ローマに運ばれて民会で観覧されたとか。ただしこれが作り事である事を疑う者はいないだろうともしている。      フィクション      その他
  • 1861年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 9月30日 始祖鳥の初の骨格標本(ロンドン標本)発見。(リチャード・オーゥエンによる論文報告は1863年(W)) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。    顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の書籍。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • アテネ関連年表
    BC632年(W) キュロンの反乱。    アテネ貴族のキュロンが、一味の者たちと共にアクロポリスに立てこもった事件。    しかし報を聞いたアッティカ周辺の農民たちがアクロポリス周辺を包囲、キュロンは降伏したという。 BC621年(W) ドラコンによってアテネに最初の成文法が制定される。 BC561年(W) ペイシストラトス、アクロポリスを占拠。アテネ統治権を手中に治める。 BC514年(W) ペイシストラトスの子ヒッパルコス、美少年ハルモディオスを巡る    三角関係から殺害される。 BC483年(W) アッティカ東南のラウリオン銀山にて大鉱脈が発見される。    テミストクレスの提言により、ここで得た余剰金は軍船の建造にあてられる。 BC480年(W)八月、サラミスの海戦。三段櫂船を駆使したアテネの海軍によりペルシア軍側が敗北。 BC479年(W)~B...
  • 平賀源内関連年表
    1728年(享保十三年)、高松藩の志度浦で生まれる。 1749年、父茂左衛門死去。お米蔵番の職を継ぐと同時に、藩の菜園で朝鮮人参栽培をまかされる。 1752年(宝暦二年)、医師久保桑関の随行者として長崎遊学。 1756年(宝暦六年)、高松藩を出て江戸へ入る。 1760年 高松藩の命で相模湾、紀州海岸の魚介類調査を行う。 1761年 二月、高松藩へ「禄仕拝辞願」(事実上の離藩願)を提出。九月二十一日付で受理。            湯島聖堂から神田白壁町へ引っ越す。          秋、伊豆の船原に派遣していた家僕経由で芒硝を発見。            勘定奉行より「伊豆芒消御用」の辞令を受ける(幕府から直接雇われたのはこの時だけ)            ただし、直後に源内の師田村元雄が入れ替わりに幕府から同地へ派遣されている由。 1763年 源内の師田村元雄、幕...
  • ルイス・キャロル
    1832年(W)、イギリスのチェシャ州ダーズベリにて生誕。     本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン。 キャロルの母は多産で、キャロルは男四人、女七人の家族の長男だった。 父は教会の牧師。のちにリッチモンド教会の大執事となり、リボン大聖堂の聖堂参事会員も務めた厳格な人物だったとか。 キャロルには吃音障害があったと言われている。また兄弟姉妹も全員言語障害があったという 大学の数学教師となったキャロルは、クライスト・チャーチ学寮の居室に写真スタジオを持っていた。  その名も「ガラスの城」。 ルイス・キャロルは、英国心霊研究協会の会員であった事が知られている。    1883年(W)から1897年(W)まで、同協会の会員名簿にキャロルの本名が記載されており、    またキャロル研究者が調査したキャロルの銀行口座出納録にも、死の直前まで同協会に会費が支払われていた...
  • 英国心霊研究協会
    1882年(W)に設立された、心霊現象の科学的探究を目的とする集団。 発起人はフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤーズ、ヘンリー・シジウィック、    エドマンド・ガーニーなど。 この協会の、1883年(W)から1897年(W)にかけての会員名簿に、    ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの名が掲載されている事が知られている。    同協会は1898年(W)発行の会誌にドジソン師への追悼という文章を載せており、    またキャロル研究者によるキャロルの銀行口座の出納録にも、同協会への会費納入が記載されているという。       参考文献 『ユリイカ』2015年3月増刊「150年目の『不思議の国のアリス』」所収「チェシャー猫と不可視のワンダーランド」 ユリイカ 2015年3月臨時増刊号 総特集◎150年目の『不思議の国...
  • ロドス
    エーゲ海南部に浮かぶ島ロドス島の首都。 世界の七不思議の一つに数えられる「ロドス島の巨像」が立っていた事で著名。    これは太陽神ヘリオスの像で、ロドスの港口に立っていたというが、    BC226年(W)の地震により倒壊、ユスティニアヌス帝によって売却処分されたという。 (zsphereコメント:『ギリシア案内記』注釈では、この像の建立年はBC292年(W)だけど、             WikipediaなんかではBC284年(W)となってたり。             倒壊の原因となった地震も『ギリシア案内記』注釈にはBC227年(W)頃となってて、             どうも記述に曖昧さがあるので態度保留する事にした。まぁ、恐らく典拠文献の違いだろうけど。             あと、同じくWikipediaでは像の高さは34m、台座を含むと50mとのこ...
  • プラトン
    古代ギリシャの哲学者。 BC427年(W)、アテネに生まれる。 ソクラテスが死刑を言い渡され死去したBC399年(W)、プラトンは28歳。 プリニウス『博物誌』第十一巻に、プラトンが子どものころ、その口にミツバチが止まったが、    これがプラトンの比類ない雄弁の魅力の前兆であった、という記述がある。       参考文献 『国家(下)』プラトン 『プリニウスの博物誌 Ⅱ』 国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8) プリニウスの博物誌〈第7巻~第11巻〉
  • パルテノン神殿
    アテネのアクロポリスに所在する巨大な神殿。 BC447年(W)着工、BC432年(W)完成。 デロス同盟のもとギリシア各国から納められた上納金により、    アテネの政治家ペリクレスが作らせたとか。 現在は失われたが、この神殿には彫刻家フィディアス作のアテナの黄金立像が据えられたとされる。    このフィディアスはパルテノン神殿建設事業の統括役も務めた。    が、後にペリクレスとの癒着を告発され、事実は立証されなかったが国外逃亡、あるいは獄死したと伝えられる。       参考文献 『図説ギリシア』周藤芳幸 『古代ギリシアの歴史』伊藤貞夫 図説 ギリシア―エーゲ海文明の歴史を訪ねて (ふくろうの本) 古代ギリシアの歴史 ポリスの興隆と衰退 (学術文庫)
  • パンテオン
    ローマに所在する神殿。 パンテオンは「すべての神々の神殿」の意。 BC27年(W)に建造されるが、80年(W)に焼失。    2世紀前半にハドリアヌス帝によって再建された。 中央ドームは、直径、高さともに43.3m。鉄筋を用いない石造建築としては世界最大を誇る。 ドーム下部はレンガの断片を含むコンクリート、中部はそれに凝灰岩を加えたもの、上部は凝灰岩と軽石、    といった形で上にいくほど軽い素材を用い、屋根にかかる重量を軽減している。 神殿内唯一の光源は、天井にある直径9mの円形の窓オキュラス。 また、神殿内にはラファエロの墓がある事でも著名。 パンテオン正面はロトンダ広場となっており、中央にエジプトのイシス神殿にあったオベリスクが    移設されている。       参考文献 『週刊世界遺産 No.8』
  • ジョヴァンニ・ボッカッチョ
    イタリア出身の作家。『デカメロン』の著者。 1313年(W)生まれ。生誕地にはパリ、フィレンツェなど説がある。 ダンテ『神曲』に登場するベアトリーチェとは遠い姻戚関係にあったとか。       参考文献 『デカメロン(下)』ボッカチオ 講談社文芸文庫 デカメロン(下) (講談社文芸文庫)
  • 1313年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕 ジョヴァンニ・ボッカッチョ、イタリアに生まれる(通説)。生誕地はパリ、フィレンツェなど諸説ある。      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
  • 西洋博物学年表
    1753年(W)、カール・リンネ、『植物の種』を刊行。 1768年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号、第一回世界周航に出発。 1771年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号第一回世界周航から帰還。 1859年(W)11月、チャールズ・ダーウィン『種の起原』刊行。 1872年(W)12月21日 チャレンジャー号、イギリスポーツマスを出発。 1876年(W)5月24日 チャレンジャー号、海洋調査を終えイギリスポーツマスに帰港。 1881年(W)4月、大英自然史博物館開館。(それまでは大英博物館の一部扱いだった)
  • ヒクイドリ
    ヒクイドリ目ヒクイドリ科。 原産はオーストラリア北西部、ニューギニア、モルッカ諸島。 中国では、この鳥は火を食うとした。またその糞は再び火となり家を焼くともいい、    故に「禍斗獣」という異名もあったと。 1597年(W)、ヨーロッパへ渡来。日本への初渡来は1663年(寛文三年)という。 1789年(寛政元年)に渡来したヒクイドリについての記事が『蒹葭堂雑録』にある。    それによれば、寛政元年7月にオランダ船で長崎に招来され、    寛政二年五月より大坂界隈で見世物として公開されたと。 大槻玄沢は、日本人がダチョウとヒクイドリを混同している点を憂いて    『蘭畹摘芳』に図入りで違いを説いたとか。    ヒクイドリの趾(あしゆび)は三つ、ダチョウは二つで、種別の要点であると云々。 (『世界大博物図鑑 鳥類』荒俣宏) 鳥類(世界大博物図鑑(4...
  • 47年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの) エジプトから運ばれてきたフェニックスがローマの民会で観覧に供される(プリニウス『博物誌』第十巻)    ただし、これが本物でなかったことを疑う者は誰もいないだろう、ともしている。      フィクション      その他
  • ジェームズ・クック
    イギリスの探検家、船長。キャプテン・クックの愛称で知られる。 世界周航に先立つ1755年(W)からのフレンチ・アンド・インディアン戦争において、    イギリス軍がカナダに上陸する際に活躍した。    彼が後に探検航海に抜擢されたのも、この時の活躍が理由の一つだったとか。 1768年(W)8月26日、第一回の世界周航に出立する。    乗船はエンデヴァー号。    この航海には、後に著名な博物学者・植物学者となるジョゼフ・バンクスも同乗していた。 第一回世界周航は、様々な動植物の知見の他、太陽面の金星通過を観測し地球と太陽の距離を観測する目的も持っていた。    タヒチ島にて、この観測に成功している。 1770年(W)、オーストラリア大陸を発見。 1772年(W)7月、クック指揮による第二次探検隊が派遣される。    この翌年、1773年(W)1月、人類...
  • ルイス・デ・アルメイダ
    1525年(W)、ポルトガルのリスボン生まれ。 1552年(天文二十一年)に来日。当時27歳。 1555年(弘治元年)、豊後にてイエズス会に入会し宣教師となる。 1557年(弘治三年)、豊後(大分県)庄内に西洋式育児院および病院を建て、また外科術を中心に西洋式医学教育を実施した。 ルイス・フロイス『日本史』に、アルメイダの建てた病院について、    「片側は癩病患者を、もう片側には一般患者を入れ、本人は一日二回治療に当たった」と記述されているとか。 イエズス会が聖職者の医療行為禁止規則を施行して以降(1562年以後)は、医療を離れ布教に専心したという。 1584年(天正十二年)、60歳で病没した。       参考文献 『解体新書の謎』大城孟 解体新書の謎
  • チャールズ・ダーウィン
    『種の起原』の著者として著名。 1809年(W)、イギリスのシュールズベリー生まれ。 父方の祖父は医師であり、また博物学の素養を持つエラズマス・ダーウィン。 また、母方の祖父は陶磁器製造で著名なウェッジウッドの創始者ジョサイア・ウェッジウッド。 1831年(W)から1836年(W)にかけて、測量船ビーグル号で南半球を一周した。 1859年(W)、『種の起原』を刊行。 ダーウィンの研究上の専門はフジツボ類だった。    カメノテを含むフジツボ類の研究には8年を費やしており、この方面での著作は今日でも利用されている由。 ビーグル号での航海中、ダーウィンは若いガラパゴスゾウガメを飼っていたとか。       参考文献 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録
  • アレクサンドリア
    アレクサンダー大王によって建設された都市。    大王の東征に伴い、同名の都市は複数(12前後から、70という説まである)存在したが、    普通はエジプトに所在した都市を指す。 都市建設はBC332年(W)からBC331年(W)に開始。    特に起工式はBC331年であったという。 BC305年(W)、エジプト総督に任命されていたアレクサンダー大王の側近プトレマイオス1世が    エジプトの王を名乗り、このアレクサンドリアを首都と定めた。 また、プトレマイオス1世自身が設計を行い、死後に完成した研究機関ムセイオンと図書館が所在し、    エウクレイデス、エラトステネス、アルキメデスなど多くの学者を擁した事で著名。       参考文献 『古代ギリシア 11の都市が語る歴史』ポール・カートリッジ 古代ギリシア 11の都市が語る歴史
  • 化学者
    アントアヌ・ローラン・ラヴォアジェ(1743年(W)~1794年(W))
  • ビーグル号
    イギリス帝国海軍の艦艇。1820年(W)に建造される。 正式な船名はHMSビーグル。HMSは「Her Majesty s Ship(女王陛下の船)」の意。 全長27m。 1831年(W)12月から1836年(W)10月まで、南半球を一周した。 測量船としての就航時の艦長はロバート・フィッツロイ。 チャールズ・ダーウィンを乗せており、この時の彼の生物調査がのちの    進化論の着想につながった事で有名。       参考文献 『眠れなくなる進化論の話』 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録 眠れなくなる進化論の話 ~ダーウィン、ドーキンズから現代進化学まで全部みせます~ (知りたい!サイエンス)
  • ジェームズ・シンプソン
    イギリスの医師。また、エディンバラ大学の教授。 1847年(W)、クロロホルムを用いて、世界初の全身麻酔手術を成功させる。 なお、エディンバラ大学の聴講生の中にコナン・ドイルもいたとのことで、    シャーロック・ホームズ作品中にクロロホルムが人を昏倒させる便利な薬剤として登場する事と    関係があるのではないか、と言う人もいるのだとか (さらにモリアーティ教授のファーストネームが「ジェームズ」である事との関連を説く人もいるとか)       参考文献 【ググっても出ない毒薬の手帳】第3回 http //tocana.jp/2015/12/post_8310_entry.html
  • 西洋の事件
         1785年(W) 首飾り事件      1972年(W) テルアビブ空港乱射事件
  • アントアヌ・ローラン・ラヴォアジェ
    1743年(W)、パリ生まれ。 「酸素」の命名者。 定量的観測による近代化学の方法を産んだ、「化学の父」などと呼ばれる。 1794年(W)5月8日、フランス革命の余波を受けギロチンにより斬首される。    税金徴収の仕事で生計を立てていたためであると云々。 (『空気の発見』三宅泰雄) 空気の発見 (角川ソフィア文庫)
  • 心臓
          →心臓を食べて特殊な効能を得る プリニウス『博物誌』第十一巻に、心臓についての解剖学的な記述に続いて    「これは精神の住処である」という記述がある。 また同じ『博物誌』第十一巻に、「心臓に毛が生えていた人」の逸話が載っている。    メッセニア人のアリストメネスという人物で、スパルタ人を300人以上も殺した豪胆な人だったという。    捕虜になって逃走を2回繰り返し、最後に捕えられた際にスパルタ人に生きながら解剖されたが、    そこで出てきた心臓には毛がもじゃもじゃ生えていたという。 (zsphereコメント:「心臓に毛が生えている」って慣用句じゃなかったんかい、という驚愕の逸話w) 『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』に、心臓は「生命の源」ではなく、血液を受ける水盥のようなもので、    その筋は火でも損なえないほどの厚さを持っていると述...
  • ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
    ドイツの文学者。 1786年(W)9月から1788年(W)にかけて、有名なイタリアへの旅行を行っている。    イタリア滞在中は商人「ヨハン・フィリップ・メラー」という名前で過ごした。       参考文献 『イタリア紀行(上)』ゲーテ イタリア紀行(上) (岩波文庫 赤405-9)
  • 世界光学関係年表
    1625年(W) 『メリソグラフィア』『アピアリウム』刊行。                顕微鏡を用いたハチの観察図を載せる。顕微鏡による観察図が出版された世界初の刊行物。 1665年(W) ロバート・フック『ミクログラフィア』刊行。                顕微鏡によるコルクの穴やノミなどの観察図が初めて掲載され、大きな反響を呼ぶ。 1839年(W) ウィリアム・フォックス・トールボットにより世界初の顕微鏡写真の撮影が成功。 1840年(W) ジョン・ウィリアム・ドライパー、望遠鏡による月の写真撮影に初成功。 1853年(W) ロンドン顕微鏡協会の会報に、顕微鏡写真が初めて掲載される。 1861年(W) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。                顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の...
  • ジャン・バティスト・ラマルク
    1744年(W)~1829年(W) フランスの博物学者。 1809年(W)に発表した著書『動物哲学』で、進化論の前身となる説を唱える。    生物は、神が創造した姿のまま不変なわけではなく、環境に合わせて姿を変えていく(=進化していく)とした。    ただし、のちのチャールズ・ダーウィンが説いたような自然選択のアイディアはまだなく、    生物が環境に合わせて後天的に変化した性質が、あとの世代に遺伝すると考えた    (そして遺伝学の進歩により否定された)。 生物学(フランス語でbiologie、英語でbiology)という語を生み出した人物。    また、それまで「下等生物」と呼ばれていた昆虫類やぜん虫類に、初めて「無脊椎動物」という呼び名を与えた。 パリ植物園の園内に、ラマルクの銅像がある。 (『眠れなくなる進化論の話』) 眠れなくなる進化論...
  • クロロホルム
    19世紀半ばごろに発見された化合物。初めて発見された有機溶剤。 1847年(W)、イギリスの医師ジェームズ・シンプソンがクロロホルムを用いた    全身麻酔手術に初めて成功している。 なお、このジェームズ・シンプソンの大学講義を聞いていた聴講生の中にコナン・ドイルもいたとのことで、    後にシャーロック・ホームズ作品中でクロロホルムが人を昏倒させるのに便利な薬剤として登場することと    関連を見出す人もいるとか。 なお、クロロホルムがなぜ麻酔作用を持つのか、そのメカニズムは現代にいたっても解明されていないとのこと。    具体的には、人体のどの受容体に作用するのか等々が、その麻酔効果の発見から100年以上経った現在も不明とのこと。       参考文献 【ググっても出ない毒薬の手帳】第3回 http //tocana.jp/2015/12/p...
  • テンサイ
    ヒユ科アカザ亜科フダンソウ属。 1745年(W)、ドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフが飼料用のテンサイから砂糖の分離に成功。 1796年(W)、マルクグラーフの弟子フランツ・アシャールが砂糖の製造試験に成功し、これをもってテンサイからの砂糖の製造が始まった。       参考文献 『美味礼讃(上)』ブリア・サヴァラン 美味礼讃 (上) (岩波文庫 赤 524-1)
  • こぎつね座CK
    17世紀に観測された、天体爆発の残骸を指す。    ダンベルのような形をした暗い星雲。 1670年(W)6月、はくちょう座の頭付近で、それまで見られなかった新しい星が観測される。    この星は秋になって消えたが、翌1671年(W)に再度出現し、かつてなく明るく輝いた。    同年10月まで観測されていたがその後消滅、翌1672年(W)にわずかに観測された後、    二度と見られなくなった。 この天体は、ヘヴェリウスやジョバンニ・カッシーニらが観測、記録した事で知られる。 当初、この天体は記録に残る最古の新星だと考えられていた。    しかし2015年『nature』に発表された論文は、これは二つの星が激しく衝突する、    レッドトランジェント(高輝度赤色新星)と呼ばれる珍しい現象であったとする。    観測の結果、多量の重窒素や、普通の新星には見られない荷...
  • 1847年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 イギリスの医師ジェームズ・シンプソン、クロロホルムを用いは世界初の全身麻酔手術に成功。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 313年(W)
         重大事件 コンスタンティヌス帝、ミラノ勅令を発する。    ローマ帝国として信仰の自由を認め、キリスト教を公認した。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • BC27年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界 ローマにパンテオン完成。      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1837年(W)
         重大事件 ヴィクトリア女王、18歳で即位(イギリス)。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 西洋日食月食年表
    BC331年(W)9月20~21日の夜9時ごろ、ティグリス川周辺で月食。    アレクサンドロス大王がこれを目撃し、日月に供犠を捧げた記事がアッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』巻三にある。 30年(W)?    『新約聖書』「マタイによる福音書」その他に、イエス・キリストが十字架にかけられた際、    その昼の十二時から三時ごろにかけて全地が暗くなったという記載がある。これを日食と見る説もある。       参考文献 『アレクサンドロス大王東征記(上)』アッリアノス 『聖書 スタディ版』 アレクサンドロス大王東征記〈上〉―付インド誌 (岩波文庫) 聖書スタディ版 改訂版
  • ヨハン・セバスチャン・バッハ
    ドイツ中部のアイゼナッハで1685年(W)生まれる。 1750年(W)7月28日死去。 数秘術に凝っていたとか。    書いた曲の中に全24曲のものが多く、24という数字にこだわった様子などが知られる。 また、フリードリヒ大王へ贈った『音楽の捧げ物』巻頭ページにアナグラムを入れたり、    遺作となった『フーガの技法』の21曲目の主題を「B-A-C-H」(変ロ-イ-ハ-ロ)と自身の名にするなど    様々な仕掛けを自作に施している。       参考文献 「千夜千冊」第1523夜
  • サン・タンジェロ城
    ローマ、テヴェレ川右岸に所在する城。 円筒状の城を四角い城壁が囲み、その四隅にやはり円筒状の構造部を持つ。 元々は139年(W)に皇帝墓廟として建造されたもの。 590年(W)、教皇グレゴリウス1世がペストの終息を祈願した斉、    大天使ミカエルが現れ、以降ペストが収まったとされ、    これを受けた礼拝堂として現在のサン・タンジェロ城が作られたという。    「サン・タンジェロ」は聖天使の意。       参考文献 『週刊世界遺産 No.8』
  • オーレル・スタイン
    ユダヤ系のハンガリー人。 1862年(W)、ブダペストにて生まれる。 1900年(A)から約一年間、1906年(A)4月から約二年半、    1913年(A)7月から1916年(A)2月まで、1930年(A)8月から翌年6月まで、    計4回にわたりイギリス隊を率いて中国の西域を探検した。    楼蘭やニヤなどの仏教遺跡の発掘を行ったことで著名。 第2回探検にて、敦煌の莫高窟から大量の仏典を含む敦煌文書をイギリスに持ち帰る。 1912年(W)、敦煌文書の功績によりサーの称号を得る。 なお、中国では略奪者と捉えられている由。 また、1941年(A)、インド西部からパキスタンにまたがるチョーリスターン砂漠を踏査している。       参考文献 『インダス文明の謎』長田俊樹 インダス文明の謎 古代文明神話を見直す (学術選書)
  • フェニックス
    オウィディウス『変身物語』では、「アッシリアの人々がフェニックスと呼ぶ鳥」について、    この鳥は穀類や草によってではなく、乳香の木の樹脂とバルサム樹の樹液で生きており、    五百年に渡るその生涯を生き終えたと知ると、樫の枝か棕櫚の梢に巣を作り、    そこへ桂皮と甘松の穂、砕いた肉桂、没薬を敷き詰め、その上に横たわって息絶える。    すると父親の体から新たに小さなフェニックスが生まれる、としている。    また、新たに生まれた雛鳥が成長して力をつけると、この巣をエジプトの    ヘリオポリス(太陽神の都)にある、太陽神の神殿の扉の前に置く、としている。 ヘロドトス『歴史』巻二にも、ポイニクスという名でこの鳥の事を記している。    ヘリオポリスの住民の話では、500年ごとにエジプトに姿を現すのだ、という。    その他のポイニクスの習性については、オウィディ...
  • バター
    イギリスのスコットランドや、アイルランドの土中からは数千年前のバターの塊が見つかる事が少なくないという。    2013年(W)にはアイルランド中部オファリー州の沼の中から重さ45キロ、およそ5000年前の    バターの塊が発見された他、2016年(W)にもアイルランド西部のミース州で2000年前のバターの塊10キロが発見されたとか。    強烈なチーズの匂いがしたという話。    同地は酸性度の高い土壌で、冷蔵庫のような効果があるため残ったものと見られている。    理論上は食用にできるはずだが、専門家は食べない事を勧めているとか (zsphereコメント:誰が食うかw)       参考文献 CNN 2016年6月15日記事 http //www.cnn.co.jp/fringe/35084313.html
  • ジョゼフ・バンクス
    ジェームズ・クック(キャプテン・クック)が船長を務めるエンデヴァー号に乗船し、    その第一回世界周航に参加した博物学者。 貴族出身。 この時ともに参加したバンクスの同行者には、スウェーデン人植物学者ダニエル・ソランダー、    標本採集者、絵師シドニー・パーキンソンなど、博物学のフルスタッフが集っていたとか。 また、バンクスの意向により、この時の航海には二頭の大型犬グレイハウンドが乗船していたという。 この時に持ち帰った多くの動植物の標本や博物画により、バンクスは一躍名声を博し、    その後1778年(W)から1820年(W)までの長期間、    ロイヤル・ソサエティ(イギリス王立協会)の会長を務めたという。       参考文献 『想像力の地球旅行』荒俣宏 想像力の地球旅行―荒俣宏の博物学入門 (角川ソフィア文庫)
  • パラケルスス
    1493年(W)、スイスのジール川近郊で生まれる。 本名はフィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・ホーエンハイム。    パラケルススは通称。「パラ」は「越える」、「ケルスス」は当時の百科事典編集者で医学者の    アウレリウス・コーネリウス・ケルススの事だと云々。 1520年(W)のデンマークとスウェーデンの戦争において、デンマーク軍の外科医として従軍している。 1541年(W)9月24日に死去。
  • 首飾り事件
    マリー・アントワネットの身分を騙ったジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人なる人物が    高額なダイヤの首飾りをロアン枢機卿に代理購入させ、アントワネットに渡すと偽って騙し取った事件。    ヨーロッパ中で大変な評判となり、3年後のフランス革命にも間接的な影響を与えたなどと言われる。 また、この件に直接の関わりは無かったらしいカリオストロ伯爵(アレッサンドロ・ディ・カリオストロ)が    関係者として拘束、バスチーユ牢獄に投獄された。    結局、1786年(W)5月31日に釈放されている。       参考文献 『イタリア紀行(中)』ゲーテ
  • BC447年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術 ギリシャのアテネにて、パルテノン神殿の建設に着工。      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • BC487年(W)
         重大事件      政権 アテネにて、初めて陶片追放が実施され、ヒッパルコスがアテネを追われる。      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • BC427年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕 プラトン、アテネにて生誕。      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 天文学者
    ティコ・ブラーエ(1546年(W)~1601年(W))
  • @wiki全体から「1317年(W)」で調べる

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