1321年(W)

私的伝奇関係データベース @ ウィキ内検索 / 「1321年(W)」で検索した結果

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  • 年表(西洋)
    ... 1317年(W) 1321年(W) 1498年(W) 1534年(W) 1545年(W) 1564年(W) 1588年(W) 1598年(W) 1611年(W) 1616年(W) 1625年(W) 1642年(W) 1662年(W) 1665年(W) 1670年(W) 1671年(W) 1672年(W) 1685年(W) 1692年(W) 1699年(W) 1701年(W) 1702年(W) 1709年(W) 1744年(W) 1745年(W) 1746年(W) 1750年(W) 1752年(W) 1753年(W) 1768年(W) 1770年(W) 1771年(W) 1772年(W) 1773年(W) 1776年(W) 1778年(W) 1779年(W) 1784年(W) 1785年(W) 1786年(W) 1788年(W) 1794年(W) 1796年(W) 1799年(W) ...
  • 1321年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去 ダンテ・アリギエーリ、マラリアのためラヴェンナで死去。56歳。      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1861年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 9月30日 始祖鳥の初の骨格標本(ロンドン標本)発見。(リチャード・オーゥエンによる論文報告は1863年(W)) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。    顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の書籍。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • アテネ関連年表
    BC632年(W) キュロンの反乱。    アテネ貴族のキュロンが、一味の者たちと共にアクロポリスに立てこもった事件。    しかし報を聞いたアッティカ周辺の農民たちがアクロポリス周辺を包囲、キュロンは降伏したという。 BC621年(W) ドラコンによってアテネに最初の成文法が制定される。 BC561年(W) ペイシストラトス、アクロポリスを占拠。アテネ統治権を手中に治める。 BC514年(W) ペイシストラトスの子ヒッパルコス、美少年ハルモディオスを巡る    三角関係から殺害される。 BC483年(W) アッティカ東南のラウリオン銀山にて大鉱脈が発見される。    テミストクレスの提言により、ここで得た余剰金は軍船の建造にあてられる。 BC480年(W)八月、サラミスの海戦。三段櫂船を駆使したアテネの海軍によりペルシア軍側が敗北。 BC479年(W)~B...
  • 36年(W)
         重大事件      政権 ポンティオ・ピラト、ユダヤ・イドメア・サマリア総督を解任される。      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの) この年、エジプトにフェニックスが降り立ったとプリニウス『博物誌』第十巻にある。    この鳥は後47年(W)ローマに運ばれて民会で観覧されたとか。ただしこれが作り事である事を疑う者はいないだろうともしている。      フィクション      その他
  • 西洋博物学年表
    1753年(W)、カール・リンネ、『植物の種』を刊行。 1768年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号、第一回世界周航に出発。 1771年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号第一回世界周航から帰還。 1859年(W)11月、チャールズ・ダーウィン『種の起原』刊行。 1872年(W)12月21日 チャレンジャー号、イギリスポーツマスを出発。 1876年(W)5月24日 チャレンジャー号、海洋調査を終えイギリスポーツマスに帰港。 1881年(W)4月、大英自然史博物館開館。(それまでは大英博物館の一部扱いだった)
  • アレクサンドリア
    アレクサンダー大王によって建設された都市。    大王の東征に伴い、同名の都市は複数(12前後から、70という説まである)存在したが、    普通はエジプトに所在した都市を指す。 都市建設はBC332年(W)からBC331年(W)に開始。    特に起工式はBC331年であったという。 BC305年(W)、エジプト総督に任命されていたアレクサンダー大王の側近プトレマイオス1世が    エジプトの王を名乗り、このアレクサンドリアを首都と定めた。 また、プトレマイオス1世自身が設計を行い、死後に完成した研究機関ムセイオンと図書館が所在し、    エウクレイデス、エラトステネス、アルキメデスなど多くの学者を擁した事で著名。       参考文献 『古代ギリシア 11の都市が語る歴史』ポール・カートリッジ 古代ギリシア 11の都市が語る歴史
  • 世界光学関係年表
    1625年(W) 『メリソグラフィア』『アピアリウム』刊行。                顕微鏡を用いたハチの観察図を載せる。顕微鏡による観察図が出版された世界初の刊行物。 1665年(W) ロバート・フック『ミクログラフィア』刊行。                顕微鏡によるコルクの穴やノミなどの観察図が初めて掲載され、大きな反響を呼ぶ。 1839年(W) ウィリアム・フォックス・トールボットにより世界初の顕微鏡写真の撮影が成功。 1840年(W) ジョン・ウィリアム・ドライパー、望遠鏡による月の写真撮影に初成功。 1853年(W) ロンドン顕微鏡協会の会報に、顕微鏡写真が初めて掲載される。 1861年(W) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。                顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の...
  • 西洋日食月食年表
    BC331年(W)9月20~21日の夜9時ごろ、ティグリス川周辺で月食。    アレクサンドロス大王がこれを目撃し、日月に供犠を捧げた記事がアッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』巻三にある。 30年(W)?    『新約聖書』「マタイによる福音書」その他に、イエス・キリストが十字架にかけられた際、    その昼の十二時から三時ごろにかけて全地が暗くなったという記載がある。これを日食と見る説もある。       参考文献 『アレクサンドロス大王東征記(上)』アッリアノス 『聖書 スタディ版』 アレクサンドロス大王東征記〈上〉―付インド誌 (岩波文庫) 聖書スタディ版 改訂版
  • オーレル・スタイン
    ユダヤ系のハンガリー人。 1862年(W)、ブダペストにて生まれる。 1900年(A)から約一年間、1906年(A)4月から約二年半、    1913年(A)7月から1916年(A)2月まで、1930年(A)8月から翌年6月まで、    計4回にわたりイギリス隊を率いて中国の西域を探検した。    楼蘭やニヤなどの仏教遺跡の発掘を行ったことで著名。 第2回探検にて、敦煌の莫高窟から大量の仏典を含む敦煌文書をイギリスに持ち帰る。 1912年(W)、敦煌文書の功績によりサーの称号を得る。 なお、中国では略奪者と捉えられている由。 また、1941年(A)、インド西部からパキスタンにまたがるチョーリスターン砂漠を踏査している。       参考文献 『インダス文明の謎』長田俊樹 インダス文明の謎 古代文明神話を見直す (学術選書)
  • 天文学者
    ティコ・ブラーエ(1546年(W)~1601年(W))
  • チャールズ・ダーウィン
    『種の起原』の著者として著名。 1809年(W)、イギリスのシュールズベリー生まれ。 父方の祖父は医師であり、また博物学の素養を持つエラズマス・ダーウィン。 また、母方の祖父は陶磁器製造で著名なウェッジウッドの創始者ジョサイア・ウェッジウッド。 1831年(W)から1836年(W)にかけて、測量船ビーグル号で南半球を一周した。 1859年(W)、『種の起原』を刊行。 ダーウィンの研究上の専門はフジツボ類だった。    カメノテを含むフジツボ類の研究には8年を費やしており、この方面での著作は今日でも利用されている由。 ビーグル号での航海中、ダーウィンは若いガラパゴスゾウガメを飼っていたとか。       参考文献 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録
  • パラケルスス
    1493年(W)、スイスのジール川近郊で生まれる。 本名はフィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・ホーエンハイム。    パラケルススは通称。「パラ」は「越える」、「ケルスス」は当時の百科事典編集者で医学者の    アウレリウス・コーネリウス・ケルススの事だと云々。 1520年(W)のデンマークとスウェーデンの戦争において、デンマーク軍の外科医として従軍している。 1541年(W)9月24日に死去。
  • BC621年(W)
         重大事件 ドラコンにより、アテネにて初の成文法が制定される。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • ビーグル号
    イギリス帝国海軍の艦艇。1820年(W)に建造される。 正式な船名はHMSビーグル。HMSは「Her Majesty s Ship(女王陛下の船)」の意。 全長27m。 1831年(W)12月から1836年(W)10月まで、南半球を一周した。 測量船としての就航時の艦長はロバート・フィッツロイ。 チャールズ・ダーウィンを乗せており、この時の彼の生物調査がのちの    進化論の着想につながった事で有名。       参考文献 『眠れなくなる進化論の話』 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録 眠れなくなる進化論の話 ~ダーウィン、ドーキンズから現代進化学まで全部みせます~ (知りたい!サイエンス)
  • カキ(貝)
    「柿」は→カキ プリニウス『博物誌』第九巻に、カキの養殖を初めて発明したのはセルギウス・オラタという人物で、    マルシア戦争(BC91年(W)~BC88年(W))の前の出来事だった、と記している。       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅱ』 プリニウスの博物誌〈第7巻~第11巻〉
  • こぎつね座CK
    17世紀に観測された、天体爆発の残骸を指す。    ダンベルのような形をした暗い星雲。 1670年(W)6月、はくちょう座の頭付近で、それまで見られなかった新しい星が観測される。    この星は秋になって消えたが、翌1671年(W)に再度出現し、かつてなく明るく輝いた。    同年10月まで観測されていたがその後消滅、翌1672年(W)にわずかに観測された後、    二度と見られなくなった。 この天体は、ヘヴェリウスやジョバンニ・カッシーニらが観測、記録した事で知られる。 当初、この天体は記録に残る最古の新星だと考えられていた。    しかし2015年『nature』に発表された論文は、これは二つの星が激しく衝突する、    レッドトランジェント(高輝度赤色新星)と呼ばれる珍しい現象であったとする。    観測の結果、多量の重窒素や、普通の新星には見られない荷...
  • 歴史上の日食
    ヘロドトス『歴史』巻七に、ペルシア戦争においてクセルクセスがギリシアへ遠征を開始して間もない時、    白昼にわかに暗黒と化したことがあり、クセる癖巣がこれをマゴスらに尋ねると、    「ペルシアでは未来の事は月が示すが、ギリシアでは太陽が示す。この現象は神がギリシア人に対して     その町々の消滅を予示したものである」と答えたので、クセルクセスは喜んで軍を前進させたという。     同書訳者注釈に、この時期に該当しそうな日食はBC481年(W)4月の皆既日食(インド洋諸地域およびスサ)、     BC480年(W)10月の部分日食(コリントスおよびサルディス)、     BC478年(W)2月の金環食(サルディス)の三つに限られると云々。 アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』巻三に、アレクサンドロス大王がティグリス川を渡河した日の夜に    月食が起こり、大王...
  • ルイス・キャロル
    1832年(W)、イギリスのチェシャ州ダーズベリにて生誕。     本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン。 キャロルの母は多産で、キャロルは男四人、女七人の家族の長男だった。 父は教会の牧師。のちにリッチモンド教会の大執事となり、リボン大聖堂の聖堂参事会員も務めた厳格な人物だったとか。 キャロルには吃音障害があったと言われている。また兄弟姉妹も全員言語障害があったという 大学の数学教師となったキャロルは、クライスト・チャーチ学寮の居室に写真スタジオを持っていた。  その名も「ガラスの城」。 ルイス・キャロルは、英国心霊研究協会の会員であった事が知られている。    1883年(W)から1897年(W)まで、同協会の会員名簿にキャロルの本名が記載されており、    またキャロル研究者が調査したキャロルの銀行口座出納録にも、死の直前まで同協会に会費が支払われていた...
  • 腐らない肉
    プリニウス『博物誌』第二巻    →BC461年(W)、空から肉が降ったという。     そして、猛禽に奪われなかったそれらの肉は、いずれも腐る事がなかったという。       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅰ』 プリニウスの博物誌〈第1巻~第6巻〉
  • M:日食月食に遭遇した歴史上の人物
    ヘロドトス『歴史』巻七    ペルシアのクセルクセスがギリシアに遠征を開始して間もない頃に日食らしい現象に遭遇したとか。    →歴史上の日食 アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』巻三    →アレクサンドロス大王は、ティグリス川を渡河した辺りで月食に遭遇(BC331年(W))。     日月に供犠を捧げたという。
  • 1831年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ビーグル号、イギリスのプリマス港を出港。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1881年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 4月18日、大英自然史博物館開館。(それまでは大英博物館の分館扱いだった)      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
  • 1701年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション 9月24日 ガリヴァー、リリパット国を出国      その他
  • 1771年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号、第一回世界周航を追えてイギリスのプリマスに帰港。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
  • 1671年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 前年、初めて観測された、はくちょう座の頭付近に出現した新しい星、この年の3月に再び出現。    →こぎつね座CK      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1901年(W)
         重大事件 ヴィクトリア女王、崩御(イギリス)      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ロバート・スコット、ディスカバリー号による第一次南極探検に出発。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1871年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ハインリヒ・シュリーマン、トルコのヒッサリクの丘を発掘開始。トロイアの遺跡発見。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1891年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ジャワにて、ピテカントロプスの化石発見。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
  • 1271年(W)
         重大事件 教皇グレゴリウス10世即位。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1851年(W)
         重大事件 イギリスにて、第一回万国博覧会、開催。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1611年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術 ウィリアム・シェイクスピア最後の作品『あらし』初演。      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • ジェームズ・クック
    イギリスの探検家、船長。キャプテン・クックの愛称で知られる。 世界周航に先立つ1755年(W)からのフレンチ・アンド・インディアン戦争において、    イギリス軍がカナダに上陸する際に活躍した。    彼が後に探検航海に抜擢されたのも、この時の活躍が理由の一つだったとか。 1768年(W)8月26日、第一回の世界周航に出立する。    乗船はエンデヴァー号。    この航海には、後に著名な博物学者・植物学者となるジョゼフ・バンクスも同乗していた。 第一回世界周航は、様々な動植物の知見の他、太陽面の金星通過を観測し地球と太陽の距離を観測する目的も持っていた。    タヒチ島にて、この観測に成功している。 1770年(W)、オーストラリア大陸を発見。 1772年(W)7月、クック指揮による第二次探検隊が派遣される。    この翌年、1773年(W)1月、人類...
  • チャレンジャー号
    探検航海を行ったイギリスの艦船。 イギリス海軍の軍艦を英国王立協会が借り受け、海洋調査船に改修したもの。 1872年(W)12月21日にポーツマスを出発、1876年(W)5月24日に帰還。 特に海洋調査を重点的に行い、それまで550m以上の深海には生物が存在しないと思われていた事を覆し、    深海8000mを超える深海に生命を発見した。       参考文献 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録
  • ヨハン・セバスチャン・バッハ
    ドイツ中部のアイゼナッハで1685年(W)生まれる。 1750年(W)7月28日死去。 数秘術に凝っていたとか。    書いた曲の中に全24曲のものが多く、24という数字にこだわった様子などが知られる。 また、フリードリヒ大王へ贈った『音楽の捧げ物』巻頭ページにアナグラムを入れたり、    遺作となった『フーガの技法』の21曲目の主題を「B-A-C-H」(変ロ-イ-ハ-ロ)と自身の名にするなど    様々な仕掛けを自作に施している。       参考文献 「千夜千冊」第1523夜
  • サン・タンジェロ城
    ローマ、テヴェレ川右岸に所在する城。 円筒状の城を四角い城壁が囲み、その四隅にやはり円筒状の構造部を持つ。 元々は139年(W)に皇帝墓廟として建造されたもの。 590年(W)、教皇グレゴリウス1世がペストの終息を祈願した斉、    大天使ミカエルが現れ、以降ペストが収まったとされ、    これを受けた礼拝堂として現在のサン・タンジェロ城が作られたという。    「サン・タンジェロ」は聖天使の意。       参考文献 『週刊世界遺産 No.8』
  • パルテノン神殿
    アテネのアクロポリスに所在する巨大な神殿。 BC447年(W)着工、BC432年(W)完成。 デロス同盟のもとギリシア各国から納められた上納金により、    アテネの政治家ペリクレスが作らせたとか。 現在は失われたが、この神殿には彫刻家フィディアス作のアテナの黄金立像が据えられたとされる。    このフィディアスはパルテノン神殿建設事業の統括役も務めた。    が、後にペリクレスとの癒着を告発され、事実は立証されなかったが国外逃亡、あるいは獄死したと伝えられる。       参考文献 『図説ギリシア』周藤芳幸 『古代ギリシアの歴史』伊藤貞夫 図説 ギリシア―エーゲ海文明の歴史を訪ねて (ふくろうの本) 古代ギリシアの歴史 ポリスの興隆と衰退 (学術文庫)
  • BC431年(W)
         重大事件 五月、スパルタ王アルキダモスの率いるペロポネソス同盟軍がアッティカに侵入、    ペロポネソス戦争が勃発。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • ヌマ・ポンピリウス
    王政ローマ第二代の王。ロムルスに続いで王位についた。 プリニウス『博物誌』第十三巻に、プブリウス・コルネリウス・ケテグスとマルクス・バエビウス・タンピルスが執政官であった年(BC181年(W))に    ヌマ王の遺体の入った箱が掘り出された、という記事が載っている。    この箱の中には数冊の書物が朽ちずに残っていたという。    テレンティウスという人物はこの本はピタゴラスの宗教教義であったと記しており、    またヘミナという人物はこの本は哲学に関する文書であったとし、    元監察官ピソという人物の『コンメンタリウス』という文献には、この本は司教法に関する本とピタゴラス哲学に関するものが    同数入っていたとし、    一方トゥディタヌスという人物は、この箱に入っていた本は『ヌマの法典』12冊であったとしているとか。    マルクス・ウァロという人物は、この本...
  • BC331年(W)
         重大事件 エジプトのアレクサンドリア建設の起工式が行われる。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他 九月二十日から二十一日にかけて、ティグリス川河畔アルペラで月食。    ティグリスを渡河したアレクサンドロス大王がこれを目撃し、日月に供犠をささげたことが    アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』巻三に見られる。
  • バター
    イギリスのスコットランドや、アイルランドの土中からは数千年前のバターの塊が見つかる事が少なくないという。    2013年(W)にはアイルランド中部オファリー州の沼の中から重さ45キロ、およそ5000年前の    バターの塊が発見された他、2016年(W)にもアイルランド西部のミース州で2000年前のバターの塊10キロが発見されたとか。    強烈なチーズの匂いがしたという話。    同地は酸性度の高い土壌で、冷蔵庫のような効果があるため残ったものと見られている。    理論上は食用にできるはずだが、専門家は食べない事を勧めているとか (zsphereコメント:誰が食うかw)       参考文献 CNN 2016年6月15日記事 http //www.cnn.co.jp/fringe/35084313.html
  • 英国心霊研究協会
    1882年(W)に設立された、心霊現象の科学的探究を目的とする集団。 発起人はフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤーズ、ヘンリー・シジウィック、    エドマンド・ガーニーなど。 この協会の、1883年(W)から1897年(W)にかけての会員名簿に、    ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの名が掲載されている事が知られている。    同協会は1898年(W)発行の会誌にドジソン師への追悼という文章を載せており、    またキャロル研究者によるキャロルの銀行口座の出納録にも、同協会への会費納入が記載されているという。       参考文献 『ユリイカ』2015年3月増刊「150年目の『不思議の国のアリス』」所収「チェシャー猫と不可視のワンダーランド」 ユリイカ 2015年3月臨時増刊号 総特集◎150年目の『不思議の国...
  • BC561年(W)
         重大事件 アテネにて、ペイシストラトスが自身の護衛兵を用いてアクロポリスを選挙、    僭主政治を開始。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • BC481年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他 四月、インド領地域およびスサ近郊で皆既日食
  • BC181年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 この年、ヤニクラという土地で王政ローマ時代の国王ヌマ・ポンピリウスの遺体を収めた箱が掘り出されたという。    この箱の中には、紙製の本が朽ちずに残っていた、と複数のローマ時代の記述者が書き残していることを    『博物誌』第十三巻の中でプリニウスは書き残している。    (ただし、プリニウス自身はそんな古い時代に紙の本が存在していたことについて疑問視している)      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション    ...
  • ロドス
    エーゲ海南部に浮かぶ島ロドス島の首都。 世界の七不思議の一つに数えられる「ロドス島の巨像」が立っていた事で著名。    これは太陽神ヘリオスの像で、ロドスの港口に立っていたというが、    BC226年(W)の地震により倒壊、ユスティニアヌス帝によって売却処分されたという。 (zsphereコメント:『ギリシア案内記』注釈では、この像の建立年はBC292年(W)だけど、             WikipediaなんかではBC284年(W)となってたり。             倒壊の原因となった地震も『ギリシア案内記』注釈にはBC227年(W)頃となってて、             どうも記述に曖昧さがあるので態度保留する事にした。まぁ、恐らく典拠文献の違いだろうけど。             あと、同じくWikipediaでは像の高さは34m、台座を含むと50mとのこ...
  • 平賀源内関連年表
    1728年(享保十三年)、高松藩の志度浦で生まれる。 1749年、父茂左衛門死去。お米蔵番の職を継ぐと同時に、藩の菜園で朝鮮人参栽培をまかされる。 1752年(宝暦二年)、医師久保桑関の随行者として長崎遊学。 1756年(宝暦六年)、高松藩を出て江戸へ入る。 1760年 高松藩の命で相模湾、紀州海岸の魚介類調査を行う。 1761年 二月、高松藩へ「禄仕拝辞願」(事実上の離藩願)を提出。九月二十一日付で受理。            湯島聖堂から神田白壁町へ引っ越す。          秋、伊豆の船原に派遣していた家僕経由で芒硝を発見。            勘定奉行より「伊豆芒消御用」の辞令を受ける(幕府から直接雇われたのはこの時だけ)            ただし、直後に源内の師田村元雄が入れ替わりに幕府から同地へ派遣されている由。 1763年 源内の師田村元雄、幕...
  • 化学者
    アントアヌ・ローラン・ラヴォアジェ(1743年(W)~1794年(W))
  • 年表(日本)
    471年 513年(継体天皇七年) 516年(継体天皇十年) 571年(欽明天皇三十二年) 577年(敏達天皇六年) 588年(崇峻天皇元年) 590年(崇峻天皇三年) 600年(推古天皇八年) 601年(推古天皇九年) 602年(推古天皇十年) 603年(推古天皇十一年) 冠位十二階制定 604年(推古天皇十二年) 十七条憲法制定 607年 608年 610年 614年 628年 643年(皇極天皇ニ年) 645年(皇極天皇四年) 乙巳の変 647年(大化三年) 660年(斉明天皇六年) 662年(天智天皇元年) 663年(天智天皇二年) 白村江の戦い 668年(天智天皇七年) 670年(天智天皇九年) 671年(天智天皇十年) 672年         壬申の乱 686年(天武天皇朱鳥元年) 694年(持統天皇八年) 藤原京遷都 701年(大宝元年) 大宝律令制定 702年(大宝ニ年)...
  • M:近世以前の遺跡発掘に関するメモ
    ヘロドトス『歴史』    →スパルタが敵対しているテゲアと争っていたが勝つことができず、デルポイに神託を乞うたところ、    「アガメムノンの子オレステスの遺骨をスパルタに持ち帰れば望みが達せられるであろう」という託宣が降りる。    場所はテゲアの町で、アガメムノンが子を埋めた場所があるという。    これを、スパルタの市民の一人リカスが見つけ出したという。    テゲアの鍛冶屋で、たまたま庭を掘っていた時に、7キュベスもある棺を掘り当てたといい、    よもやそんな大きい人間がいると思わずに蓋を開けたら、棺と同じ大きさの死骸が入っていた、という。    リカスが紆余曲折の末、骨をスパルタに持ち帰ってから、両国の戦いでスパルタが優位に立つようになったという。 プリニウス『博物誌』第十三巻    →プブリウス・コルネリウス・ケテグスとマルクス・バエビ...
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