1692年

私的伝奇関係データベース @ ウィキ内検索 / 「1692年」で検索した結果

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  • 1692年
    元禄五年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界 1567年(永禄十年)に焼け落ちた東大寺の大仏の仏頭、新鋳される。      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1692年(W)
         重大事件 アメリカ、セイレムの魔女狩り      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 年表(西洋)
    ... 1685年(W) 1692年(W) 1699年(W) 1701年(W) 1702年(W) 1709年(W) 1744年(W) 1745年(W) 1746年(W) 1750年(W) 1752年(W) 1753年(W) 1768年(W) 1770年(W) 1771年(W) 1772年(W) 1773年(W) 1776年(W) 1778年(W) 1779年(W) 1784年(W) 1785年(W) 1786年(W) 1788年(W) 1794年(W) 1796年(W) 1799年(W) 1803年(W) 1804年(W) 1805年(W) 1809年(W) 1814年(W) 1815年(W) 1822年(W) 1829年(W) 1831年(W) 1832年(W) 1836年(W) 1837年(W) ヴィクトリア女王即位 1839年(W) 1840年(W) 1842年(W) 1847年(W...
  • 年表(日本)
    ...91年(元禄四年) 1692年(元禄五年) 1693年(元禄六年) 1696年(元禄九年) 1699年(元禄十二年) 【済】1701年(元禄十四年) 1702年(元禄十五年) 1703年(元禄十六年) 1706年(宝永三年) 1707年(宝永四年) 1708年(宝永五年) 1709年(宝永六年) 六代将軍徳川家宣 1710年(宝永七年) 【済】1711年(正徳元年) 1712年(正徳ニ年) 七代将軍徳川家継 1716年(享保元年) 八代将軍徳川吉宗 1720年(享保五年) 1724年(享保九年) 1725年(享保十年) 1727年(享保十二年) 1728年(享保十三年) 【済】1729年(享保十四年) 1736年(元文元年) 1741年(寛保元年) 【済】1745年(延享二年) 1746年(延享三年) 1748年(寛延元年) 1749年(寛延二年) 1751年...
  • 江戸学術年表
    1605年(慶長十年)       林羅山、徳川家康に拝謁。信任を得る。 1607年(慶長十二年)       李時珍『本草綱目』、長崎に渡来 1613年(慶長十八年)       東インド会社の商船船長セーリス、徳川家康に望遠鏡と虫眼鏡を贈る。       (一説に、日本人で最初に望遠鏡をのぞいたのは家康であるとも言う) 1627年(寛永四年)       吉田光由『塵劫記』刊行 1630年(寛永七年)       林羅山、上野忍岡に林家の家塾を開設 1690年(元禄三年)       林家の家塾、神田湯島に移転。昌平黌と呼ばれるようになる。 1691年(元禄四年)       徳川綱吉、湯島聖堂にて自ら経書(儒学経典)を講ずる。 1699年(元禄十二年)       渋川春海、『天文成象図』を刊行。日本人...
  • 1192年
    建久三年      重大事件 七月十二日、源頼朝、征夷大将軍に任命される。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1592年
    文禄元年    重大事件 第一次朝鮮出兵(文禄の役)    政権    外交    生誕 明の万暦二十年、福建省にて隠元禅師生まれる。    死去    宗教界    学術    文学・芸術    市井    地方    伝説など(史実かどうか疑わしいもの)    その他
  • 1792年
    寛政四年      重大事件 ロシア遣日使節ラックスマン、漂着者大黒屋光太夫を伴い根室に来航。   老中松平定信は国書、献上物の受理を拒否、限定貿易の可能性は示唆。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 司馬江漢、国内初の世界地図『輿地全図』刊行      文学・芸術 五月、両国柳橋の万八楼にて、山東京伝の書画会(その場で書を揮毫・販売する会、今で言うサイン会)。    百七十~百八十人が来会し、三十両近い収益をあげたという。    世話役は版元の鶴屋喜右衛門と蔦屋重三郎。      市井      地方 雲仙岳噴火。島原城裏手の前山崩落、津波で城下町が壊滅し、  死者150...
  • 雲仙岳
    江戸時代には、明暦三年(1657年)、寛文三年(1663年)、寛政四年(1792年)に噴火があった。  このうち寛政四年の大噴火は、四月一日の夜分、島原城裏手の前山(当時は眉山)が崩壊、  さらに誘発された津波によって城下町が壊滅、有明海沿岸にまで被害が及び、  死者15000人を数える、日本最大の火山災害を記録した。 (『魔界と妖界の日本史』上島敏昭) 魔界と妖界の日本史
  • 1691年
    元禄四年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井 熊沢蕃山『女子訓』      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1693年
    元禄六年    重大事件    政権    外交    生誕    死去 井原西鶴    宗教界    学術    文学・芸術    市井    地方 徳川光圀、鹿嶋神社にある悪路王首級を模した木像を修繕。    伝説など(史実かどうか疑わしいもの)    その他
  • 1690年
    元禄三年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 林家の家塾、上野忍岡から神田湯島へ移転。昌平黌と呼ばれるようになる。    (後の昌平坂学問所)      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1699年
    元禄十二年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 渋川春海、『天文成象図』を出版。日本人の観測記録を初めて取り入れた天体図。       61の星座、308の星を掲載する。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1169年
    嘉応元年      重大事件 後白河院、出家。 →後白河天皇    『玉葉』『百錬抄』では六月十七日、『平家物語』では七月十六日とする。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1696年
    元禄九年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 甲府侯徳川家宣、蘭医桂川甫筑を召し上げる。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 392年(W)
         重大事件 テオドシウス帝、キリスト教以外の宗教を禁止する勅令を発布。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 江戸出版物年表
    1627年(寛永四年)       吉田光由『塵劫記』 1662年(寛文二年)       浅井了意『江戸名所記』 寺社を中心に江戸の名所を和歌・挿絵と共に80ほど紹介。 1691年(元禄四年)       熊沢蕃山『女子訓』 1708年(宝永五年)       貝原益軒『大和本草』 1710年(宝永七年)       貝原益軒『和俗童子訓』 日本初の体系的な児童教育書 1720年(享保五年)       徳川吉宗、長崎に舶載される漢籍について、キリスト教関連の記述に対する検閲を緩和。       これにより西洋の科学技術などを記した書籍が入るようになり、のちの蘭学興隆のきっかけの一つとなる。 1759年(宝暦九年)       山脇東洋『蔵志』 京都で行われた死体解剖の記録。 1763年(宝暦十三年)    ...
  • 1699年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション 5月4日、ガリヴァーを乗せた船、ブリストルを出航、後に漂流してリリパット国へ(『ガリヴァー旅行記』)      その他
  • 西陵古墳
    大阪府岬町に所在。 全長210mの前方後円墳。築造は五世紀前半と推定されている。 被葬者は確定されていない。 (が、地理的に、紀氏の首長ではないかとする説もある。) 周濠には水をたたえるが、前方部北東に渡り土手があり、そこから墳丘に登る事ができる。 かつて、後円部に凝灰岩製の長持型石棺の一部が露出していたという話があり、    しかし1992年に国史跡指定された際に埋め戻されたという。       参考文献 読売新聞2015年2月25日記事
  • 徳川光圀
    水戸藩主 1672年(寛文十二年)、江戸の水戸藩邸に彰考館を開設し本格的な修史事業を開始、    1676年(延宝四年)には史館員を関西に派遣して本格的な史料探訪をさせるなど事業を進め、    1683年(天和三年)に『新撰紀伝』全百四巻が出来上がる。    しかし光圀はこの出来に満足せず、「易稿重修」を命じたという。 『新撰紀伝』に対して光圀が出した指示が、のちの水戸学の学者藤田幽谷の『修史始末』にあり、    特に「皇后紀を皇后伝に改める事」などを指示したとされる。 (zsphereコメント:つまり、本紀は皇帝・天皇のみの事績を記すべきで、皇后のそれは列伝に属すべきとしたという事。             編年体と違って紀伝体は、歴史記述に君臣の上下を明確に組み込む事でもあるわけだ) 同じく藤田幽谷『修史始末』に、光圀の修史方針に関しての「三大特筆」を以下のよ...
  • 桂川甫筑
    将軍家の侍医を代々つとめた桂川家の初代。 幼名は森島小吉。のち、嵐山甫安にオランダ医学を学ぶ。    嵐山から桂川が流れ出てやがて大河となる事から、桂川姓を名乗る事を勧められ、以降この名となった。 1696年(元禄九年)、当時甲府侯だった徳川家宣に召され、家宣が六代将軍となったことから    以降桂川家が代々将軍の侍医を勤める事になる。       参考文献 『解体新書の謎』大城孟 解体新書の謎
  • 桂川家
    代々、将軍侍医を勤めた家。 初代は桂川甫筑。幼少時の名前を森島小吉という。嵐山甫安に師事して西洋医学を学び、    嵐山から流れ出て末は大河となることから「桂川」姓を甫安に勧められ、これを名乗ったという。 1696年(元禄九年)、甫筑が甲府侯徳川家宣に召され、後に家宣が六代将軍となった事から    以降桂川家が代々将軍の侍医を勤める事となる。 三代目桂川甫三、四代目桂川甫周。いずれも『解体新書』刊行に関わっている。 役宅は築地中通に所在していた由。       参考文献 『解体新書の謎』大城孟 解体新書の謎
  • 和光寺
    浄土宗善光寺末蓮池山和光寺。 大阪府大阪市西区北堀江に所在。 境内に阿弥陀ヶ池という池がある。推古天皇の代、信濃国の人で本多善光という者が    この池より黄金の阿弥陀像を見つけ出し、これをお告げに従い信濃国にて祀ったのが善光寺であるという。 1698年(元禄十一年)、智善上人という僧が、この地が善光寺にまつわる古跡である事から、    阿弥陀ヶ池に和光寺を開き、信濃善光寺と同体の本尊を安置、善光寺本堂仏前の灯明をこの地に移して    常夜灯とした、と『摂津名所図会』巻四にある。       参考文献 『日本伝奇伝説大事典』
  • ロドス
    エーゲ海南部に浮かぶ島ロドス島の首都。 世界の七不思議の一つに数えられる「ロドス島の巨像」が立っていた事で著名。    これは太陽神ヘリオスの像で、ロドスの港口に立っていたというが、    BC226年(W)の地震により倒壊、ユスティニアヌス帝によって売却処分されたという。 (zsphereコメント:『ギリシア案内記』注釈では、この像の建立年はBC292年(W)だけど、             WikipediaなんかではBC284年(W)となってたり。             倒壊の原因となった地震も『ギリシア案内記』注釈にはBC227年(W)頃となってて、             どうも記述に曖昧さがあるので態度保留する事にした。まぁ、恐らく典拠文献の違いだろうけど。             あと、同じくWikipediaでは像の高さは34m、台座を含むと50mとのこ...
  • 年表(アジア)
    562年(A) 任那滅亡 589年(A) 隋、中国を統一 611年(A) 618年(A) 唐、建国 629年(A) 645年(A) 660年(A) 百済滅亡 668年(A) 高句麗滅亡 1247年(A) 1351年(A) 1368年(A) 明建国 1526年(A) ムガル帝国建国 1569年(A) 1582年(A) 1584年(A) 1596年(A) 1636年(A) 1637年(A) 1644年(A) 明滅亡 1654年(A) 1767年(A) 1826年(A) 1858年(A) ムガル帝国滅亡、英領インド成立 1862年(A) 1900年(A) 1972年(A)
  • 薬師如来の薬壺
    山口県防府市の周防国分寺金堂の解体修理が行われた1997年(平成九年)、    本尊の薬師如来が所持する薬壺に内蔵物のあることが発見された。    薬壺の大きさは高さ18センチ、直径13センチ。    蓋の裏には元禄十二年(1699年)十月十二日の日付が記載されていた。 内容物は、     →穀類。米、大麦、小麦、大豆、小豆の5種類。     →生薬類。石菖蒲、菖蒲根、人参、丁子、白檀の5種。        なお、丁子に含まれる成分オイゲノールには殺菌性があり、これが内容物を守ったと思われる。     →鉱物類。白水晶、紫色ガラス、青色ガラス、球状石灰石の他、銀箔・金箔が見出されたが純度は低かったと。       参考文献 『くすりの小箱』湯之上隆・久木田直江 くすりの小箱 薬と医療の文化史 (静岡大学人文学部研究叢書)
  • 昌平坂学問所
    幕府直轄の最高教育機関。 元は、1630年(寛永七年)に創設された林羅山の家塾。    当初は上野忍岡(しのぶがおか、現在の東京都台東区)に置かれたが、    1690年(元禄三年)に神田湯島に移転、昌平黌と呼ばれるようになる。 1797年(寛政九年)、松平定信の寛政異学の禁を受け、幕府直営の学問所となる。    昌平坂学問所と改名されたのはその後のことという。 幕臣はもちろん、藩士や浪人も入学することが出来、また庶民に対しての公開講釈も行われた。    幕末期においても、医学所、蕃書調所と共に、幕府教学の中心機関となる。 『旧事諮問録』によれば、入学試験はごく初歩の知識で突破できたのに対し、    卒業試験は問題数も多く、問題管理も厳重で、総じて難関であったとする。    つまり、入るに易しく、出るに厳しい学校であったという。    また同書は、試験内...
  • 悪路王
    『吾妻鏡』、文治五年(1189年)奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝が田谷窟(たっこくのいわや、現在の水沢市達谷窟)に立ち寄った際の記事にある。坂上田村麻呂・利仁らの将軍に対抗して、賊首悪路王・赤頭らがこの場所に塞(砦)を築いたという。 後に、窟前に精舎を建て、鞍馬寺に模して多聞天像を安置し西光寺と号した、と伝える。 この記事の利仁とは、延喜十五年(915年)に鎮守府将軍となった藤原利仁のことと見られる。  利仁については、『鞍馬寺縁起』にも、鞍馬の毘沙門天の加護で下野国の群盗を討ったという伝承が見える。 『元亨釈書』の清水寺延鎮伝では、奥州の逆賊の名前は高丸となっている。その他、『義経記』『神道集』『諏訪大明神画詞』では悪事の高丸という名で載っている。 茨城県東茨城郡桂村高久に所在する鹿嶋神社には、かつて坂上田村麻呂が納めた悪路王の首級のミイラがあったといい、    現在は失われ...
  • 江戸イベント・集会年表
    1757年 湯島で第一回薬品会。主催は本草学者田村元雄だが事実上の発起人は平賀源内。       出品者21人、出品種目180種。源内自身の出品はない。 1758年、神田で第二回薬品会。出品者34人、出品種目231種。源内の出品は5種。 1759年湯島で第三回薬品会。この時は平賀源内主催。源内の出品は50種だが、       参加人数、出品品目は前回に劣る。 1760年、第四回薬品会。主催は田村元雄の弟子松田長元。       詳細は不明だが、出品数はおよそ100種ほどと、さらに小規模な内容だった模様。         同年初夏、大坂にて大規模な薬物会が戸田旭山の主催で開かれ、         100人の参加者と241種の品目を集める。         同年秋、この大坂での薬物会の品目を記録した『文会録』発行、後書きは源内。 1762年(宝暦十二年)四月十日...
  • 1662年
    寛文二年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井 浅井了意『江戸名所記』刊行。寺社を中心に80か所の名所を和歌・挿絵を交えて紹介。      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1612年
    慶長十七年    重大事件    政権 幕府直轄地(駿府、江戸、京都、長崎など)に対するキリスト教禁教令    外交    生誕    死去 キリシタン大名有馬晴信、配流先の甲斐国にて死去。自刃説、打ち首説など死因には諸説ある。    宗教界    学術    文学・芸術    市井    地方    伝説など(史実かどうか疑わしいもの)    その他
  • 1672年
    寛文十二年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 徳川光圀、江戸の水戸藩邸に彰考館を開設。    本格的な修史事業を開始。      文学・芸術      市井 祐天上人による累の怨霊退散      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1682年
    天和二年    重大事件    政権    外交    生誕    死去    宗教界    学術    文学・芸術 井原西鶴『好色一代男』    市井    地方    伝説など(史実かどうか疑わしいもの)    その他
  • 1632年
    寛永九年    重大事件    政権 徳川家光の命により、御座船「安宅丸」建造開始    外交    生誕    死去    宗教界    市井    地方    伝説など(史実かどうか疑わしいもの)    その他
  • 1687年
    貞享四年    重大事件 最初の生類憐みの令、出される。(廃止は1709年)    政権    外交    生誕    死去    宗教界    学術    文学・芸術    市井    地方    伝説など(史実かどうか疑わしいもの)    その他 東山天皇の御代、222年ぶりに大嘗会が再興される。
  • 1662年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去 ブレーズ・パスカル      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1672年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ドイツの物理学者ゲーリケ、起電機を発明。     回転する硫黄球に物を接触させて摩擦で電気を起こす機械。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1642年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去 ガリレオ・ガリレイ ……78歳      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 凌雲閣
    1890年(明治二十三年)落成。    一般には「浅草十二階」の名で知られる。 高さは約52m。 1~10階はレンガ造り、11,12階は木造。 日本初の電動エレベーターを備えていた。1~8階の間を1~2分程度で昇降したという。    ただしエレベーターは故障が頻発し、半年後に稼働停止したという。 縦覧料は大人8銭、子供4銭だったとか。 1923年九月一日の関東大震災により倒壊。    8階部分から折れて炎上したとか。      参照 読売新聞2012年5月14日朝刊
  • 1673年
    延宝元年      重大事件      政権 渋川春海、将軍徳川家綱に改暦の上表文を提出。    また、日食・月食を予測した書物『蝕考』も奉ずる。 (ただし、この予測は翌々年、1675年の日食予想が外れており、    改暦は一度挫折する事に)      外交      生誕      死去 四月三日、京都万福寺にて隠元禅師死去。      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1890年
         重大事件      政権      外交 9月16日、和歌山県沖にて、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が沈没。        明治天皇がオスマン帝国のスルタンに大勲章を贈った返礼のため来航、        横浜港からの帰途に嵐にあって沈み、500人以上が死亡、69人が地元民に救助された。      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1628年
    寛永五年      重大事件      政権      外交 幕府の派遣した朱印船が、台湾南部のオランダ東インド会社拠点・ゼーランディア城に攻め込む。    1626年に発生した貿易品への関税トラブルが発端。日本人はオランダ人5人を人質にとり、    オランダから貿易品を奪い返し、賠償金を払わせ、人質を長崎へ連れ帰ったという。    この事件は解決までに10年を要したという。(詳細は『江戸の想像力』P10~)      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 神道関連年表
    689年(持統天皇三年)八月二日条 「神祇官」の名称の初見。 771年(宝亀二年)十二月 光仁天皇による御体御卜。                    御体御卜の史料上の初見(現在は散逸した大伴家持署名太政官符) 798年(延暦十七年) 神宮司・神主の終身制を改め、六年任期制を導入。 856年(斉衡三年)四月 三位以上の名神の神主・禰宜・祝に把笏が許される(『文徳実録』) 942年(天慶五年)四月 天皇による神社行幸の文献上初見。                  朱雀天皇による、承平・天慶の乱鎮定の報賽のための賀茂行幸。 1585年(天正十三年)十月 伊勢神宮内宮、123年ぶりの正遷宮。 1665年(寛文五年)七月 江戸幕府、「諸宗寺院法度」および「諸社禰宜神主等法度(神社条目)」発布。 1687年(貞享四年) 東山天皇の御代...
  • 有馬晴信
    戦国時代のキリシタン大名。洗礼名はジョアン=プロタジオ。 1567年(永禄十年)生誕。 生家の肥前有馬氏は、藤原純友を祖先に持つとする家系図を主張しているが、真相は不明。 1609年(慶長十四年)、長崎に入港したポルトガル船マードレ・デ・デウス号を撃沈する。                    日本船乗組員がマカオで殺戮された事件の報復で、徳川家康の許可を得て行ったと云々。 上記事件もあり、1610年(慶長十五年)、一度キリスト教の信仰を捨てるが、後に岡本大八の事件に関わって    配流された後、再び信仰を持っている。 1612年(慶長十七年)死去。『徳川実紀』は自殺とするが、自刃を拒否して打ち首にされたとする説もある。       参考文献 『日本伝奇伝説大事典』
  • ルイス・キャロル
    1832年(W)、イギリスのチェシャ州ダーズベリにて生誕。     本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン。 キャロルの母は多産で、キャロルは男四人、女七人の家族の長男だった。 父は教会の牧師。のちにリッチモンド教会の大執事となり、リボン大聖堂の聖堂参事会員も務めた厳格な人物だったとか。 キャロルには吃音障害があったと言われている。また兄弟姉妹も全員言語障害があったという 大学の数学教師となったキャロルは、クライスト・チャーチ学寮の居室に写真スタジオを持っていた。  その名も「ガラスの城」。 ルイス・キャロルは、英国心霊研究協会の会員であった事が知られている。    1883年(W)から1897年(W)まで、同協会の会員名簿にキャロルの本名が記載されており、    またキャロル研究者が調査したキャロルの銀行口座出納録にも、死の直前まで同協会に会費が支払われていた...
  • こぎつね座CK
    17世紀に観測された、天体爆発の残骸を指す。    ダンベルのような形をした暗い星雲。 1670年(W)6月、はくちょう座の頭付近で、それまで見られなかった新しい星が観測される。    この星は秋になって消えたが、翌1671年(W)に再度出現し、かつてなく明るく輝いた。    同年10月まで観測されていたがその後消滅、翌1672年(W)にわずかに観測された後、    二度と見られなくなった。 この天体は、ヘヴェリウスやジョバンニ・カッシーニらが観測、記録した事で知られる。 当初、この天体は記録に残る最古の新星だと考えられていた。    しかし2015年『nature』に発表された論文は、これは二つの星が激しく衝突する、    レッドトランジェント(高輝度赤色新星)と呼ばれる珍しい現象であったとする。    観測の結果、多量の重窒素や、普通の新星には見られない荷...
  • オーレル・スタイン
    ユダヤ系のハンガリー人。 1862年(W)、ブダペストにて生まれる。 1900年(A)から約一年間、1906年(A)4月から約二年半、    1913年(A)7月から1916年(A)2月まで、1930年(A)8月から翌年6月まで、    計4回にわたりイギリス隊を率いて中国の西域を探検した。    楼蘭やニヤなどの仏教遺跡の発掘を行ったことで著名。 第2回探検にて、敦煌の莫高窟から大量の仏典を含む敦煌文書をイギリスに持ち帰る。 1912年(W)、敦煌文書の功績によりサーの称号を得る。 なお、中国では略奪者と捉えられている由。 また、1941年(A)、インド西部からパキスタンにまたがるチョーリスターン砂漠を踏査している。       参考文献 『インダス文明の謎』長田俊樹 インダス文明の謎 古代文明神話を見直す (学術選書)
  • 斎宮跡
    三重県明和町に所在。 天皇に代わり伊勢神宮に仕えた皇女と、そこに仕える女官や役人の住居からなる。 2010年6月から11月までの調査で、同地から平安時代後期(11世紀末から12世紀前半)の    平仮名としては日本最古の「いろは歌」を記した土師器を発掘した。    当時の女官が平仮名を学習した事を示す遺物ではないかと云々。 2016年3月、この斎宮跡から、志摩半島の海女が魔除けとして用いる図像「ドーマン」に酷似した    格子状の記号を刻んだ高坏が発見されたと発表された。 →ドーマンセーマン 2016年11月、この遺跡の南側、古代伊勢道と直交する南北の溝に沿って、古代の鍛冶工房跡が発見されている。    鉄器片や錆びた鉄くずが出土。斎宮跡でこれまで発見された鍛冶関連遺構の中では最も明瞭であるとか。       参考文献 毎日Jp 2012年1月18日記...
  • 事件
    945年(天慶八年) 志多良神事件 989年(永祚元年) 永祚宣命事件 1154年(仁平四年) 藤原頼長呪詛事件 1561年(永禄四年) 宮の前事件 1657年(明暦三年) 明暦の大火 1828年(文政十一年) シーボルト事件 1863年(文久三年) 足利三代将軍木像梟首事件 1972年(昭和四十七年) テルアビブ空港乱射事件
  • ハラッパー遺跡
    同遺跡の最下層にあたる地層からは、インダス文明より先行する、紀元前3500年頃~紀元前2800年頃の    地域的村落文化であるラーヴィー文化の遺構が発見されている。    また、このラーヴィー文化期の地層からは、アラビア海産の貝を用いた腕輪などが確認されており、    この時期に既に広く地域間の交流のあったと考えられる。 また、1946年(A)、ウィーラーの発掘調査により、インダス文明期のハラッパーには    19mの幅を持つ市壁の存在が明らかにされた。 西に城塞、東に市街地を持つ。城塞地区は市街地から見てやや北寄りの西。 城塞地区北側に、ウィーラーによって「穀物倉」と命名された建物跡が所在する。    縦14~15m×横6mの建物の基壇が2列に6部屋、計12部屋ある。    敷地面積は南北に50m、東西に40mに及ぶ。    ただし、これを穀物倉とする見解に...
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