1744年(W)

私的伝奇関係データベース @ ウィキ内検索 / 「1744年(W)」で検索した結果

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  • 年表(西洋)
    ... 1709年(W) 1744年(W) 1745年(W) 1746年(W) 1750年(W) 1752年(W) 1753年(W) 1768年(W) 1770年(W) 1771年(W) 1772年(W) 1773年(W) 1776年(W) 1778年(W) 1779年(W) 1784年(W) 1785年(W) 1786年(W) 1788年(W) 1794年(W) 1796年(W) 1799年(W) 1803年(W) 1804年(W) 1805年(W) 1809年(W) 1814年(W) 1815年(W) 1822年(W) 1829年(W) 1831年(W) 1832年(W) 1836年(W) 1837年(W) ヴィクトリア女王即位 1839年(W) 1840年(W) 1842年(W) 1847年(W) 1851年(W) イギリスにて第一回万国博覧会 1853年(W) 1856年(W) 1...
  • 1744年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕 ジャン・バティスト・ラマルク(フランスの博物学者、『動物哲学』著者)      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • ジャン・バティスト・ラマルク
    1744年(W)~1829年(W) フランスの博物学者。 1809年(W)に発表した著書『動物哲学』で、進化論の前身となる説を唱える。    生物は、神が創造した姿のまま不変なわけではなく、環境に合わせて姿を変えていく(=進化していく)とした。    ただし、のちのチャールズ・ダーウィンが説いたような自然選択のアイディアはまだなく、    生物が環境に合わせて後天的に変化した性質が、あとの世代に遺伝すると考えた    (そして遺伝学の進歩により否定された)。 生物学(フランス語でbiologie、英語でbiology)という語を生み出した人物。    また、それまで「下等生物」と呼ばれていた昆虫類やぜん虫類に、初めて「無脊椎動物」という呼び名を与えた。 パリ植物園の園内に、ラマルクの銅像がある。 (『眠れなくなる進化論の話』) 眠れなくなる進化論...
  • 化学者
    アントアヌ・ローラン・ラヴォアジェ(1743年(W)~1794年(W))
  • アントアヌ・ローラン・ラヴォアジェ
    1743年(W)、パリ生まれ。 「酸素」の命名者。 定量的観測による近代化学の方法を産んだ、「化学の父」などと呼ばれる。 1794年(W)5月8日、フランス革命の余波を受けギロチンにより斬首される。    税金徴収の仕事で生計を立てていたためであると云々。 (『空気の発見』三宅泰雄) 空気の発見 (角川ソフィア文庫)
  • 36年(W)
         重大事件      政権 ポンティオ・ピラト、ユダヤ・イドメア・サマリア総督を解任される。      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの) この年、エジプトにフェニックスが降り立ったとプリニウス『博物誌』第十巻にある。    この鳥は後47年(W)ローマに運ばれて民会で観覧されたとか。ただしこれが作り事である事を疑う者はいないだろうともしている。      フィクション      その他
  • アテネ関連年表
    BC632年(W) キュロンの反乱。    アテネ貴族のキュロンが、一味の者たちと共にアクロポリスに立てこもった事件。    しかし報を聞いたアッティカ周辺の農民たちがアクロポリス周辺を包囲、キュロンは降伏したという。 BC621年(W) ドラコンによってアテネに最初の成文法が制定される。 BC561年(W) ペイシストラトス、アクロポリスを占拠。アテネ統治権を手中に治める。 BC514年(W) ペイシストラトスの子ヒッパルコス、美少年ハルモディオスを巡る    三角関係から殺害される。 BC483年(W) アッティカ東南のラウリオン銀山にて大鉱脈が発見される。    テミストクレスの提言により、ここで得た余剰金は軍船の建造にあてられる。 BC480年(W)八月、サラミスの海戦。三段櫂船を駆使したアテネの海軍によりペルシア軍側が敗北。 BC479年(W)~B...
  • 1861年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 9月30日 始祖鳥の初の骨格標本(ロンドン標本)発見。(リチャード・オーゥエンによる論文報告は1863年(W)) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。    顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の書籍。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 平賀源内関連年表
    1728年(享保十三年)、高松藩の志度浦で生まれる。 1749年、父茂左衛門死去。お米蔵番の職を継ぐと同時に、藩の菜園で朝鮮人参栽培をまかされる。 1752年(宝暦二年)、医師久保桑関の随行者として長崎遊学。 1756年(宝暦六年)、高松藩を出て江戸へ入る。 1760年 高松藩の命で相模湾、紀州海岸の魚介類調査を行う。 1761年 二月、高松藩へ「禄仕拝辞願」(事実上の離藩願)を提出。九月二十一日付で受理。            湯島聖堂から神田白壁町へ引っ越す。          秋、伊豆の船原に派遣していた家僕経由で芒硝を発見。            勘定奉行より「伊豆芒消御用」の辞令を受ける(幕府から直接雇われたのはこの時だけ)            ただし、直後に源内の師田村元雄が入れ替わりに幕府から同地へ派遣されている由。 1763年 源内の師田村元雄、幕...
  • ヘロイン
    モルヒネにアセチル基を付与した有機化合物。 1874年(W)にはじめて合成に成功。 1896年(W)、ドイツのバイエル社より鎮咳薬として発売されている。       参考文献 『炭素文明論』佐藤健太郎 炭素文明論:「元素の王者」が歴史を動かす (新潮選書)
  • BC44年(W)
         重大事件 3月15日、ガイウス・ユリウス・カエサル暗殺。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • テンサイ
    ヒユ科アカザ亜科フダンソウ属。 1745年(W)、ドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフが飼料用のテンサイから砂糖の分離に成功。 1796年(W)、マルクグラーフの弟子フランツ・アシャールが砂糖の製造試験に成功し、これをもってテンサイからの砂糖の製造が始まった。       参考文献 『美味礼讃(上)』ブリア・サヴァラン 美味礼讃 (上) (岩波文庫 赤 524-1)
  • ロドス
    エーゲ海南部に浮かぶ島ロドス島の首都。 世界の七不思議の一つに数えられる「ロドス島の巨像」が立っていた事で著名。    これは太陽神ヘリオスの像で、ロドスの港口に立っていたというが、    BC226年(W)の地震により倒壊、ユスティニアヌス帝によって売却処分されたという。 (zsphereコメント:『ギリシア案内記』注釈では、この像の建立年はBC292年(W)だけど、             WikipediaなんかではBC284年(W)となってたり。             倒壊の原因となった地震も『ギリシア案内記』注釈にはBC227年(W)頃となってて、             どうも記述に曖昧さがあるので態度保留する事にした。まぁ、恐らく典拠文献の違いだろうけど。             あと、同じくWikipediaでは像の高さは34m、台座を含むと50mとのこ...
  • 安土桃山時代
       世界情勢 1494年(W)、ポルトガル・スペイン両国で、地球上の未発見領域を二分割する条約が結ばれる。  当初、ポルトガル王室の支援するイエズス会が日本に先着したため、  日本は「ポルトガル領インド」に属していた。  後にスペイン系の諸修道会が到着し対立が生じたが、  1600年(W)教皇が日本布教をすべての修道会に開放、一時沈静化したという。 同じ1600年、豊後国臼杵湾にオランダ船リーフデ号が漂着。  プロテスタントが対日交易に参加しはじめ、抗争の末、オランダによる対日貿易の独占が成立する。 (『要説日本歴史』)    政策 撰銭令 楽市楽座 要説 日本歴史
  • サクラ
    バラ科の落葉樹。 プリニウス『博物誌』第十五巻によれば、BC74年(W)頃までイタリアにはサクラの木は無かったといい、    ルキウス・リキニウス・ルクッルスがポントス王ミトリダテスを打ち破った(第三次ミトリダテス戦争)後、    ルクッルスがポントスより輸入してきたのが始めであるという。    が、それから120年後にはブリタニアにまで広がっていたとか。       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅲ』 プリニウスの博物誌〈3〉第12巻‐第18巻
  • アンドリュー・ジャクソン
    第7代アメリカ大統領。 結婚関係の問題で決闘になり相手を射殺した経歴を持ちながら大統領になりおおせた人物。 また、アメリカにおいてジェントルマン(地主)出身ではない初めての大統領。 正規の教育を受けることなく働きながら弁護士になり、その後1812年(W)の米英戦争で軍神と呼ばれるほど活躍する。 1824年(W)、ジョン・クインシー・アダムスとの選挙戦でアダムスから「ジャッカス(ロバ、あるいは間抜け)」と揶揄され、    これを逆手にとって自陣営のシンボルをロバとして描き、勝利。アメリカ民主党のシンボルマークのロバはこれが由来。       参考文献 千夜千冊第1638夜
  • 西洋自然災害史
    紀元前十七世紀後半   サントリーニ島大爆発    エーゲ海に浮かぶ火山島が大爆発を起こし、30立法キロメートルの噴出物を噴き出す。    東地中海各地に噴出物を降り積もらせたほか、地球規模の寒冷化も起こった模様。    現在は巨大カルデラに海水が流入して、サントリーニ島、テラシア島、アスプロニシ島となっている。 BC464年(W) ギリシアのスパルタにて大地震。 1489年(W) ロードス島近郊で地震。    この際、海底が裂け、その穴に大量の水が吸い込まれ、三日の間付近の海底が露出するという出来事があったと    『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』にある。       参考文献 『図説ギリシア』周藤芳幸 『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(下)』 図説 ギリシア―エーゲ海文明の歴史を訪ねて (ふくろうの本) レオナルド・ダ・ヴィン...
  • 瀝青
    炭化水素化合物の総称。 チャンなどとも呼ぶ。 弾粘性のあるものを(鉱物)ピッチと呼ぶ(ピッチは黒色で弾粘性のある樹脂の総称)。 プリニウス『博物誌』第二巻に鉱物ピッチについての記載があり、そのきじゅつによれば    「可燃性の泥」で、固い物に触れると付着しぬぐい取るのが困難であるといい、    コンマゲネの首都サモサタの沼で産出されるという。    BC74年(W)のミトリダテス戦争の際、城壁を守るのに使用されたといい、    これは水によってはますます燃焼を激しくさせ、消し止めるには土によってのみ可能であったと記している。       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅰ』 プリニウスの博物誌〈第1巻~第6巻〉
  • 西洋博物学年表
    1753年(W)、カール・リンネ、『植物の種』を刊行。 1768年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号、第一回世界周航に出発。 1771年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号第一回世界周航から帰還。 1859年(W)11月、チャールズ・ダーウィン『種の起原』刊行。 1872年(W)12月21日 チャレンジャー号、イギリスポーツマスを出発。 1876年(W)5月24日 チャレンジャー号、海洋調査を終えイギリスポーツマスに帰港。 1881年(W)4月、大英自然史博物館開館。(それまでは大英博物館の一部扱いだった)
  • 1746年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ライデン大学のミュッセンブルク、ライデンびんを発明。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 反射炉
    もともとは、ヨーロッパで青銅や銅の溶解に使われていた炉。 石炭を燃焼させる場所と、金属を溶解させる場所を分離し、    石炭の炎がアーチ型の天井を加熱、その反射熱で金属を溶かす仕組み。 これにより、石炭に含まれる硫黄分が鉄に入り込み、質を脆くするのを防ぐことができる。 1784年(W)、ヘンリー・コートがこの反射炉を銑鉄精錬用に改良、    また半溶融状態の銑鉄を鉄棒でかき回して銑鉄中の炭素の酸化を促進する    パドル法を考案した。 現在、世界で唯一、完全な姿で残っている反射炉は、静岡県伊豆韮山のものという。       参考文献 『鉄の文明』大橋周治
  • 1794年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去 アントアヌ・ローラン・ラヴォアジェ    (5月9日、フランス革命の余波でギロチンにより斬首される)      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1784年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      技術・工学 イギリスのヘンリー・コート、青銅や銅の溶融に使われていた反射炉を    銑鉄精錬用に改良。      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1745年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフ、飼料用のテンサイから砂糖の分離に成功。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション
  • リョコウバト
    一時は、鳥類史上最も数が多かったなどと言われるほど繁栄していた鳥類。 1914年(W)9月1日、飼育されていた最後のリョコウバトの死亡が確認され、絶滅した。       参考文献 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録
  • ジェームズ・クック
    イギリスの探検家、船長。キャプテン・クックの愛称で知られる。 世界周航に先立つ1755年(W)からのフレンチ・アンド・インディアン戦争において、    イギリス軍がカナダに上陸する際に活躍した。    彼が後に探検航海に抜擢されたのも、この時の活躍が理由の一つだったとか。 1768年(W)8月26日、第一回の世界周航に出立する。    乗船はエンデヴァー号。    この航海には、後に著名な博物学者・植物学者となるジョゼフ・バンクスも同乗していた。 第一回世界周航は、様々な動植物の知見の他、太陽面の金星通過を観測し地球と太陽の距離を観測する目的も持っていた。    タヒチ島にて、この観測に成功している。 1770年(W)、オーストラリア大陸を発見。 1772年(W)7月、クック指揮による第二次探検隊が派遣される。    この翌年、1773年(W)1月、人類...
  • フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
    1976年(W)、ドイツ、ヴュルツブルク生まれ。 陸軍外科少佐として、1823年(文政六年)、27歳の時に長崎出島のオランダ商館医として赴任。 1824年(文政七年)、長崎郊外に鳴滝塾を開設。 1826年(文政九年)、江戸参府に同行。 1828年(文政十一年)、長崎港停泊中のオランダ船が台風で大破、多数の御禁制品が発見され、    関係者五十余人が厳重処罰された(シーボルト事件)。 1830年(天保元年)、国外退去を命じられる。       参考文献 『解体新書の謎』大城孟 解体新書の謎
  • ルイス・デ・アルメイダ
    1525年(W)、ポルトガルのリスボン生まれ。 1552年(天文二十一年)に来日。当時27歳。 1555年(弘治元年)、豊後にてイエズス会に入会し宣教師となる。 1557年(弘治三年)、豊後(大分県)庄内に西洋式育児院および病院を建て、また外科術を中心に西洋式医学教育を実施した。 ルイス・フロイス『日本史』に、アルメイダの建てた病院について、    「片側は癩病患者を、もう片側には一般患者を入れ、本人は一日二回治療に当たった」と記述されているとか。 イエズス会が聖職者の医療行為禁止規則を施行して以降(1562年以後)は、医療を離れ布教に専心したという。 1584年(天正十二年)、60歳で病没した。       参考文献 『解体新書の謎』大城孟 解体新書の謎
  • 年表(日本)
    471年 513年(継体天皇七年) 516年(継体天皇十年) 571年(欽明天皇三十二年) 577年(敏達天皇六年) 588年(崇峻天皇元年) 590年(崇峻天皇三年) 600年(推古天皇八年) 601年(推古天皇九年) 602年(推古天皇十年) 603年(推古天皇十一年) 冠位十二階制定 604年(推古天皇十二年) 十七条憲法制定 607年 608年 610年 614年 628年 643年(皇極天皇ニ年) 645年(皇極天皇四年) 乙巳の変 647年(大化三年) 660年(斉明天皇六年) 662年(天智天皇元年) 663年(天智天皇二年) 白村江の戦い 668年(天智天皇七年) 670年(天智天皇九年) 671年(天智天皇十年) 672年         壬申の乱 686年(天武天皇朱鳥元年) 694年(持統天皇八年) 藤原京遷都 701年(大宝元年) 大宝律令制定 702年(大宝ニ年)...
  • 西洋の事件
         1785年(W) 首飾り事件      1972年(W) テルアビブ空港乱射事件
  • 1534年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界 イグナティウス・ロヨラらにより、イエズス会結成(スペイン)      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1914年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他 飼育されていた最後のリョコウバトが死亡。同種の絶滅。
  • ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
    ドイツの文学者。 1786年(W)9月から1788年(W)にかけて、有名なイタリアへの旅行を行っている。    イタリア滞在中は商人「ヨハン・フィリップ・メラー」という名前で過ごした。       参考文献 『イタリア紀行(上)』ゲーテ イタリア紀行(上) (岩波文庫 赤405-9)
  • ルイス・キャロル
    1832年(W)、イギリスのチェシャ州ダーズベリにて生誕。     本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン。 キャロルの母は多産で、キャロルは男四人、女七人の家族の長男だった。 父は教会の牧師。のちにリッチモンド教会の大執事となり、リボン大聖堂の聖堂参事会員も務めた厳格な人物だったとか。 キャロルには吃音障害があったと言われている。また兄弟姉妹も全員言語障害があったという 大学の数学教師となったキャロルは、クライスト・チャーチ学寮の居室に写真スタジオを持っていた。  その名も「ガラスの城」。 ルイス・キャロルは、英国心霊研究協会の会員であった事が知られている。    1883年(W)から1897年(W)まで、同協会の会員名簿にキャロルの本名が記載されており、    またキャロル研究者が調査したキャロルの銀行口座出納録にも、死の直前まで同協会に会費が支払われていた...
  • 1804年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ジョセフ・ルイ・ゲーリュサック、気球による地上7000mの高空での    科学観測を人類で最初に行う。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1564年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕 イングランド中部のストラットフォード・オン・エイヴォンにて、ウィリアム・シェイクスピア生誕。      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1864年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ジェイムズ・クラーク・マクスウェル、いわゆる「マクスウェルの方程式」を発表、    電磁波の存在を理論的に提示。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 世界光学関係年表
    1625年(W) 『メリソグラフィア』『アピアリウム』刊行。                顕微鏡を用いたハチの観察図を載せる。顕微鏡による観察図が出版された世界初の刊行物。 1665年(W) ロバート・フック『ミクログラフィア』刊行。                顕微鏡によるコルクの穴やノミなどの観察図が初めて掲載され、大きな反響を呼ぶ。 1839年(W) ウィリアム・フォックス・トールボットにより世界初の顕微鏡写真の撮影が成功。 1840年(W) ジョン・ウィリアム・ドライパー、望遠鏡による月の写真撮影に初成功。 1853年(W) ロンドン顕微鏡協会の会報に、顕微鏡写真が初めて掲載される。 1861年(W) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。                顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の...
  • 1814年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 王立フランス古代研究家協会設立。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • こぎつね座CK
    17世紀に観測された、天体爆発の残骸を指す。    ダンベルのような形をした暗い星雲。 1670年(W)6月、はくちょう座の頭付近で、それまで見られなかった新しい星が観測される。    この星は秋になって消えたが、翌1671年(W)に再度出現し、かつてなく明るく輝いた。    同年10月まで観測されていたがその後消滅、翌1672年(W)にわずかに観測された後、    二度と見られなくなった。 この天体は、ヘヴェリウスやジョバンニ・カッシーニらが観測、記録した事で知られる。 当初、この天体は記録に残る最古の新星だと考えられていた。    しかし2015年『nature』に発表された論文は、これは二つの星が激しく衝突する、    レッドトランジェント(高輝度赤色新星)と呼ばれる珍しい現象であったとする。    観測の結果、多量の重窒素や、普通の新星には見られない荷...
  • キュベレー
    プリュギアなどで崇拝された大地母神。ギリシャ、ローマにも影響を与えた。 また、キュベレー女神は頭に城壁をかたどった冠をつけており、    この女神は人間に築城を教えた神であるともされるとか。 ウェルギリウス『アエネイス』第三巻によれば、キュベレー女神はクレタ島からトロイアへ    移ったといい、それに合わせてキュベレー信徒の用いたシンバルや、その聖林も移ったとする。 BC204年(W)、第二次ポエニ戦争の最中に、キュベレーの像がガラティアのペッシヌスから    ローマへ運ばれてきたことが知られている。    プリニウス『博物誌』第十八巻によれば、この年の夏には、過去10年間よりも大きな穀物収入があったとのこと。       参考文献 『アエネーイス(上)』ウェルギリウス 『プリニウスの博物誌 3』 アエネーイス (上) (岩波文庫) プ...
  • パルテノン神殿
    アテネのアクロポリスに所在する巨大な神殿。 BC447年(W)着工、BC432年(W)完成。 デロス同盟のもとギリシア各国から納められた上納金により、    アテネの政治家ペリクレスが作らせたとか。 現在は失われたが、この神殿には彫刻家フィディアス作のアテナの黄金立像が据えられたとされる。    このフィディアスはパルテノン神殿建設事業の統括役も務めた。    が、後にペリクレスとの癒着を告発され、事実は立証されなかったが国外逃亡、あるいは獄死したと伝えられる。       参考文献 『図説ギリシア』周藤芳幸 『古代ギリシアの歴史』伊藤貞夫 図説 ギリシア―エーゲ海文明の歴史を訪ねて (ふくろうの本) 古代ギリシアの歴史 ポリスの興隆と衰退 (学術文庫)
  • ヨハン・セバスチャン・バッハ
    ドイツ中部のアイゼナッハで1685年(W)生まれる。 1750年(W)7月28日死去。 数秘術に凝っていたとか。    書いた曲の中に全24曲のものが多く、24という数字にこだわった様子などが知られる。 また、フリードリヒ大王へ贈った『音楽の捧げ物』巻頭ページにアナグラムを入れたり、    遺作となった『フーガの技法』の21曲目の主題を「B-A-C-H」(変ロ-イ-ハ-ロ)と自身の名にするなど    様々な仕掛けを自作に施している。       参考文献 「千夜千冊」第1523夜
  • BC334年(W)
         重大事件 アレクサンドロス大王、ヘレスポントス海峡を超えてアジアへの遠征を開始。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • BC404年(W)
         重大事件 アテネ、スパルタに対して降伏。ペロポネソス戦争終結。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • BC454年(W)
         重大事件 デロス同盟の徴収金を納める金庫が、アテネへと移される。    同時に、各ポリスからの徴収金のうち60分の1をアテナに捧げる協定が成立。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • BC464年(W)
         重大事件 ギリシア、スパルタにて大地震が発生。    またそれに付随して農奴ヘロットの反乱が勃発。やむを得ずアテネに救援を要請し、    キモン率いるアテネ軍がスパルタへ遠征。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • BC514年(W)
         重大事件 アテネにて、ペイシストラトスの子ヒッパルコス、美少年ハルモディオスを巡る    三角関係のもつれから殺害される。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • チャールズ・ダーウィン
    『種の起原』の著者として著名。 1809年(W)、イギリスのシュールズベリー生まれ。 父方の祖父は医師であり、また博物学の素養を持つエラズマス・ダーウィン。 また、母方の祖父は陶磁器製造で著名なウェッジウッドの創始者ジョサイア・ウェッジウッド。 1831年(W)から1836年(W)にかけて、測量船ビーグル号で南半球を一周した。 1859年(W)、『種の起原』を刊行。 ダーウィンの研究上の専門はフジツボ類だった。    カメノテを含むフジツボ類の研究には8年を費やしており、この方面での著作は今日でも利用されている由。 ビーグル号での航海中、ダーウィンは若いガラパゴスゾウガメを飼っていたとか。       参考文献 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録
  • ジョゼフ・バンクス
    ジェームズ・クック(キャプテン・クック)が船長を務めるエンデヴァー号に乗船し、    その第一回世界周航に参加した博物学者。 貴族出身。 この時ともに参加したバンクスの同行者には、スウェーデン人植物学者ダニエル・ソランダー、    標本採集者、絵師シドニー・パーキンソンなど、博物学のフルスタッフが集っていたとか。 また、バンクスの意向により、この時の航海には二頭の大型犬グレイハウンドが乗船していたという。 この時に持ち帰った多くの動植物の標本や博物画により、バンクスは一躍名声を博し、    その後1778年(W)から1820年(W)までの長期間、    ロイヤル・ソサエティ(イギリス王立協会)の会長を務めたという。       参考文献 『想像力の地球旅行』荒俣宏 想像力の地球旅行―荒俣宏の博物学入門 (角川ソフィア文庫)
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