1746年(W)

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  • 年表(西洋)
    ... 1745年(W) 1746年(W) 1750年(W) 1752年(W) 1753年(W) 1768年(W) 1770年(W) 1771年(W) 1772年(W) 1773年(W) 1776年(W) 1778年(W) 1779年(W) 1784年(W) 1785年(W) 1786年(W) 1788年(W) 1794年(W) 1796年(W) 1799年(W) 1803年(W) 1804年(W) 1805年(W) 1809年(W) 1814年(W) 1815年(W) 1822年(W) 1829年(W) 1831年(W) 1832年(W) 1836年(W) 1837年(W) ヴィクトリア女王即位 1839年(W) 1840年(W) 1842年(W) 1847年(W) 1851年(W) イギリスにて第一回万国博覧会 1853年(W) 1856年(W) 1858年(W) 1859年(W) 1...
  • 1746年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ライデン大学のミュッセンブルク、ライデンびんを発明。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 36年(W)
         重大事件      政権 ポンティオ・ピラト、ユダヤ・イドメア・サマリア総督を解任される。      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの) この年、エジプトにフェニックスが降り立ったとプリニウス『博物誌』第十巻にある。    この鳥は後47年(W)ローマに運ばれて民会で観覧されたとか。ただしこれが作り事である事を疑う者はいないだろうともしている。      フィクション      その他
  • テンサイ
    ヒユ科アカザ亜科フダンソウ属。 1745年(W)、ドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフが飼料用のテンサイから砂糖の分離に成功。 1796年(W)、マルクグラーフの弟子フランツ・アシャールが砂糖の製造試験に成功し、これをもってテンサイからの砂糖の製造が始まった。       参考文献 『美味礼讃(上)』ブリア・サヴァラン 美味礼讃 (上) (岩波文庫 赤 524-1)
  • 天文学者
    ティコ・ブラーエ(1546年(W)~1601年(W))
  • 平賀源内関連年表
    1728年(享保十三年)、高松藩の志度浦で生まれる。 1749年、父茂左衛門死去。お米蔵番の職を継ぐと同時に、藩の菜園で朝鮮人参栽培をまかされる。 1752年(宝暦二年)、医師久保桑関の随行者として長崎遊学。 1756年(宝暦六年)、高松藩を出て江戸へ入る。 1760年 高松藩の命で相模湾、紀州海岸の魚介類調査を行う。 1761年 二月、高松藩へ「禄仕拝辞願」(事実上の離藩願)を提出。九月二十一日付で受理。            湯島聖堂から神田白壁町へ引っ越す。          秋、伊豆の船原に派遣していた家僕経由で芒硝を発見。            勘定奉行より「伊豆芒消御用」の辞令を受ける(幕府から直接雇われたのはこの時だけ)            ただし、直後に源内の師田村元雄が入れ替わりに幕府から同地へ派遣されている由。 1763年 源内の師田村元雄、幕...
  • 1861年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 9月30日 始祖鳥の初の骨格標本(ロンドン標本)発見。(リチャード・オーゥエンによる論文報告は1863年(W)) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。    顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の書籍。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 西洋博物学年表
    1753年(W)、カール・リンネ、『植物の種』を刊行。 1768年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号、第一回世界周航に出発。 1771年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号第一回世界周航から帰還。 1859年(W)11月、チャールズ・ダーウィン『種の起原』刊行。 1872年(W)12月21日 チャレンジャー号、イギリスポーツマスを出発。 1876年(W)5月24日 チャレンジャー号、海洋調査を終えイギリスポーツマスに帰港。 1881年(W)4月、大英自然史博物館開館。(それまでは大英博物館の一部扱いだった)
  • ジェームズ・クック
    イギリスの探検家、船長。キャプテン・クックの愛称で知られる。 世界周航に先立つ1755年(W)からのフレンチ・アンド・インディアン戦争において、    イギリス軍がカナダに上陸する際に活躍した。    彼が後に探検航海に抜擢されたのも、この時の活躍が理由の一つだったとか。 1768年(W)8月26日、第一回の世界周航に出立する。    乗船はエンデヴァー号。    この航海には、後に著名な博物学者・植物学者となるジョゼフ・バンクスも同乗していた。 第一回世界周航は、様々な動植物の知見の他、太陽面の金星通過を観測し地球と太陽の距離を観測する目的も持っていた。    タヒチ島にて、この観測に成功している。 1770年(W)、オーストラリア大陸を発見。 1772年(W)7月、クック指揮による第二次探検隊が派遣される。    この翌年、1773年(W)1月、人類...
  • 年表(日本)
    471年 513年(継体天皇七年) 516年(継体天皇十年) 571年(欽明天皇三十二年) 577年(敏達天皇六年) 588年(崇峻天皇元年) 590年(崇峻天皇三年) 600年(推古天皇八年) 601年(推古天皇九年) 602年(推古天皇十年) 603年(推古天皇十一年) 冠位十二階制定 604年(推古天皇十二年) 十七条憲法制定 607年 608年 610年 614年 628年 643年(皇極天皇ニ年) 645年(皇極天皇四年) 乙巳の変 647年(大化三年) 660年(斉明天皇六年) 662年(天智天皇元年) 663年(天智天皇二年) 白村江の戦い 668年(天智天皇七年) 670年(天智天皇九年) 671年(天智天皇十年) 672年         壬申の乱 686年(天武天皇朱鳥元年) 694年(持統天皇八年) 藤原京遷都 701年(大宝元年) 大宝律令制定 702年(大宝ニ年)...
  • ヘロイン
    モルヒネにアセチル基を付与した有機化合物。 1874年(W)にはじめて合成に成功。 1896年(W)、ドイツのバイエル社より鎮咳薬として発売されている。       参考文献 『炭素文明論』佐藤健太郎 炭素文明論:「元素の王者」が歴史を動かす (新潮選書)
  • 化学者
    アントアヌ・ローラン・ラヴォアジェ(1743年(W)~1794年(W))
  • ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
    ドイツの文学者。 1786年(W)9月から1788年(W)にかけて、有名なイタリアへの旅行を行っている。    イタリア滞在中は商人「ヨハン・フィリップ・メラー」という名前で過ごした。       参考文献 『イタリア紀行(上)』ゲーテ イタリア紀行(上) (岩波文庫 赤405-9)
  • アントアヌ・ローラン・ラヴォアジェ
    1743年(W)、パリ生まれ。 「酸素」の命名者。 定量的観測による近代化学の方法を産んだ、「化学の父」などと呼ばれる。 1794年(W)5月8日、フランス革命の余波を受けギロチンにより斬首される。    税金徴収の仕事で生計を立てていたためであると云々。 (『空気の発見』三宅泰雄) 空気の発見 (角川ソフィア文庫)
  • ルイス・キャロル
    1832年(W)、イギリスのチェシャ州ダーズベリにて生誕。     本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン。 キャロルの母は多産で、キャロルは男四人、女七人の家族の長男だった。 父は教会の牧師。のちにリッチモンド教会の大執事となり、リボン大聖堂の聖堂参事会員も務めた厳格な人物だったとか。 キャロルには吃音障害があったと言われている。また兄弟姉妹も全員言語障害があったという 大学の数学教師となったキャロルは、クライスト・チャーチ学寮の居室に写真スタジオを持っていた。  その名も「ガラスの城」。 ルイス・キャロルは、英国心霊研究協会の会員であった事が知られている。    1883年(W)から1897年(W)まで、同協会の会員名簿にキャロルの本名が記載されており、    またキャロル研究者が調査したキャロルの銀行口座出納録にも、死の直前まで同協会に会費が支払われていた...
  • ポンティオ・ピラト
    26年(W)から36年(W)にかけて、ユダヤの地を統治したローマ総督。 ラテン語読みではピラトゥス。 『新約聖書』において、イエス・キリストに死刑を宣告した人物として著名。 ピラト総督の官邸は地中海沿岸のカイザリヤに所在。エルサレム滞在中は神殿を北西側から見渡せる    アントニア要塞に住んだとのこと。       参考文献 『聖書 スタディ版』 JK日本大百科全書 聖書スタディ版 改訂版
  • ジャン・バティスト・ラマルク
    1744年(W)~1829年(W) フランスの博物学者。 1809年(W)に発表した著書『動物哲学』で、進化論の前身となる説を唱える。    生物は、神が創造した姿のまま不変なわけではなく、環境に合わせて姿を変えていく(=進化していく)とした。    ただし、のちのチャールズ・ダーウィンが説いたような自然選択のアイディアはまだなく、    生物が環境に合わせて後天的に変化した性質が、あとの世代に遺伝すると考えた    (そして遺伝学の進歩により否定された)。 生物学(フランス語でbiologie、英語でbiology)という語を生み出した人物。    また、それまで「下等生物」と呼ばれていた昆虫類やぜん虫類に、初めて「無脊椎動物」という呼び名を与えた。 パリ植物園の園内に、ラマルクの銅像がある。 (『眠れなくなる進化論の話』) 眠れなくなる進化論...
  • ミケーネ
    古代ギリシャ、後期青銅器時代の都市。ミュケナイとも。 全周をキクロベス様式の城壁で囲まれた遺跡。城壁の厚さは6m以上あったという。 都市の北西側に、「ライオン門」と呼ばれる大規模な石製の門が作られている。 BC468年(W)、近隣の有力都市アルゴスによって滅ぼされている。 1876年(W)、ハインリッヒ・シュリーマンによって発掘が開始され、多くの出土品をもたらした。 シュリーマンによって発掘されたのは六基の竪穴墓のうちの五基で、そこからは黄金のマスク、    青銅の剣、ダチョウの卵、琥珀など多数の副葬品が見つかったとか。    →アガメムノンのマスク また、ミケーネを代表する大規模なトロス墓として、アトレウスの宝庫と通称される墓が知られている。       参考文献 『図説ギリシア』周藤芳幸 『古代ギリシア 11の都市が語る歴史』ポール・カートリッジ ...
  • チャールズ・ダーウィン
    『種の起原』の著者として著名。 1809年(W)、イギリスのシュールズベリー生まれ。 父方の祖父は医師であり、また博物学の素養を持つエラズマス・ダーウィン。 また、母方の祖父は陶磁器製造で著名なウェッジウッドの創始者ジョサイア・ウェッジウッド。 1831年(W)から1836年(W)にかけて、測量船ビーグル号で南半球を一周した。 1859年(W)、『種の起原』を刊行。 ダーウィンの研究上の専門はフジツボ類だった。    カメノテを含むフジツボ類の研究には8年を費やしており、この方面での著作は今日でも利用されている由。 ビーグル号での航海中、ダーウィンは若いガラパゴスゾウガメを飼っていたとか。       参考文献 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録
  • オーレル・スタイン
    ユダヤ系のハンガリー人。 1862年(W)、ブダペストにて生まれる。 1900年(A)から約一年間、1906年(A)4月から約二年半、    1913年(A)7月から1916年(A)2月まで、1930年(A)8月から翌年6月まで、    計4回にわたりイギリス隊を率いて中国の西域を探検した。    楼蘭やニヤなどの仏教遺跡の発掘を行ったことで著名。 第2回探検にて、敦煌の莫高窟から大量の仏典を含む敦煌文書をイギリスに持ち帰る。 1912年(W)、敦煌文書の功績によりサーの称号を得る。 なお、中国では略奪者と捉えられている由。 また、1941年(A)、インド西部からパキスタンにまたがるチョーリスターン砂漠を踏査している。       参考文献 『インダス文明の謎』長田俊樹 インダス文明の謎 古代文明神話を見直す (学術選書)
  • ビーグル号
    イギリス帝国海軍の艦艇。1820年(W)に建造される。 正式な船名はHMSビーグル。HMSは「Her Majesty s Ship(女王陛下の船)」の意。 全長27m。 1831年(W)12月から1836年(W)10月まで、南半球を一周した。 測量船としての就航時の艦長はロバート・フィッツロイ。 チャールズ・ダーウィンを乗せており、この時の彼の生物調査がのちの    進化論の着想につながった事で有名。       参考文献 『眠れなくなる進化論の話』 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録 眠れなくなる進化論の話 ~ダーウィン、ドーキンズから現代進化学まで全部みせます~ (知りたい!サイエンス)
  • ロドス
    エーゲ海南部に浮かぶ島ロドス島の首都。 世界の七不思議の一つに数えられる「ロドス島の巨像」が立っていた事で著名。    これは太陽神ヘリオスの像で、ロドスの港口に立っていたというが、    BC226年(W)の地震により倒壊、ユスティニアヌス帝によって売却処分されたという。 (zsphereコメント:『ギリシア案内記』注釈では、この像の建立年はBC292年(W)だけど、             WikipediaなんかではBC284年(W)となってたり。             倒壊の原因となった地震も『ギリシア案内記』注釈にはBC227年(W)頃となってて、             どうも記述に曖昧さがあるので態度保留する事にした。まぁ、恐らく典拠文献の違いだろうけど。             あと、同じくWikipediaでは像の高さは34m、台座を含むと50mとのこ...
  • 1746年
    延享三年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 徳川吉宗、神田佐久間町(現・千代田区神田佐久間町)に天文台を建設。 (ただし、恒久的に設置される天文台ではない)      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • チャレンジャー号
    探検航海を行ったイギリスの艦船。 イギリス海軍の軍艦を英国王立協会が借り受け、海洋調査船に改修したもの。 1872年(W)12月21日にポーツマスを出発、1876年(W)5月24日に帰還。 特に海洋調査を重点的に行い、それまで550m以上の深海には生物が存在しないと思われていた事を覆し、    深海8000mを超える深海に生命を発見した。       参考文献 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録
  • 大宰府関連年表
    609年(推古天皇十七年) 役職名「筑紫大宰」の文献初見(『日本書紀』) 663年(天智二年) 白村江の戦い。 709年(和銅二年) 観世音寺の造営開始。 730年(天平二年) 大伴旅人宅にて、歌会「梅花の宴」。山上憶良等が参加。 740年(天平十二年) 藤原広嗣の乱。 742年(天平十四年) 大宰府廃止 743年(天平十五年) 筑紫鎮西府の設置 745年(天平十七年) 再度、大宰府を設置。 746年(天平十八年)六月十八日 観世音寺落慶供養。この時、導師玄昉が「空中に連れ去られる」事件が起こる。 806年(大同元年) 空海、唐より帰国。その後約2年間、大宰府観世音寺に滞在。 903年(延喜三年) 菅原道真没。 941年(天慶四年) 藤原純友の乱により焼き討ちにあう。 1117年(永久五年) 最後の太宰権帥源重資が赴任。       参考文献 『シ...
  • バター
    イギリスのスコットランドや、アイルランドの土中からは数千年前のバターの塊が見つかる事が少なくないという。    2013年(W)にはアイルランド中部オファリー州の沼の中から重さ45キロ、およそ5000年前の    バターの塊が発見された他、2016年(W)にもアイルランド西部のミース州で2000年前のバターの塊10キロが発見されたとか。    強烈なチーズの匂いがしたという話。    同地は酸性度の高い土壌で、冷蔵庫のような効果があるため残ったものと見られている。    理論上は食用にできるはずだが、専門家は食べない事を勧めているとか (zsphereコメント:誰が食うかw)       参考文献 CNN 2016年6月15日記事 http //www.cnn.co.jp/fringe/35084313.html
  • フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
    1976年(W)、ドイツ、ヴュルツブルク生まれ。 陸軍外科少佐として、1823年(文政六年)、27歳の時に長崎出島のオランダ商館医として赴任。 1824年(文政七年)、長崎郊外に鳴滝塾を開設。 1826年(文政九年)、江戸参府に同行。 1828年(文政十一年)、長崎港停泊中のオランダ船が台風で大破、多数の御禁制品が発見され、    関係者五十余人が厳重処罰された(シーボルト事件)。 1830年(天保元年)、国外退去を命じられる。       参考文献 『解体新書の謎』大城孟 解体新書の謎
  • 首飾り事件
    マリー・アントワネットの身分を騙ったジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人なる人物が    高額なダイヤの首飾りをロアン枢機卿に代理購入させ、アントワネットに渡すと偽って騙し取った事件。    ヨーロッパ中で大変な評判となり、3年後のフランス革命にも間接的な影響を与えたなどと言われる。 また、この件に直接の関わりは無かったらしいカリオストロ伯爵(アレッサンドロ・ディ・カリオストロ)が    関係者として拘束、バスチーユ牢獄に投獄された。    結局、1786年(W)5月31日に釈放されている。       参考文献 『イタリア紀行(中)』ゲーテ
  • アテネ関連年表
    BC632年(W) キュロンの反乱。    アテネ貴族のキュロンが、一味の者たちと共にアクロポリスに立てこもった事件。    しかし報を聞いたアッティカ周辺の農民たちがアクロポリス周辺を包囲、キュロンは降伏したという。 BC621年(W) ドラコンによってアテネに最初の成文法が制定される。 BC561年(W) ペイシストラトス、アクロポリスを占拠。アテネ統治権を手中に治める。 BC514年(W) ペイシストラトスの子ヒッパルコス、美少年ハルモディオスを巡る    三角関係から殺害される。 BC483年(W) アッティカ東南のラウリオン銀山にて大鉱脈が発見される。    テミストクレスの提言により、ここで得た余剰金は軍船の建造にあてられる。 BC480年(W)八月、サラミスの海戦。三段櫂船を駆使したアテネの海軍によりペルシア軍側が敗北。 BC479年(W)~B...
  • オリュンピア競技会
    古代ギリシャで開催されていた競技会。言わずと知れた、オリンピックの前身。 ペロポネソス半島北西部の町オリュンピアで開催された。 伝説によれば、競技会の始まりはBC776年(W)。 同盟・敵対関係などで複雑に離合集散していたギリシャの諸ポリス間が互いに接触・交渉を行う上でも重要な、    いわゆる「国際聖域」の形成に大きく貢献していたと考えられている。 競技の優勝者にはオリーブの冠が与えられた。    直接の賞品自体は質素だが、それだけにオリュンピア競技優勝がもたらすポリスでの名声と栄誉が想像されると云々。 競技会の開催期間中およびその前後には、ポリス間で争いが起こっている場合でも休戦する慣行があったとか。 なお、同様の競技会はこの時代、デルポイ、イストモス、ネメアでも開催されていた。 BC393年(W)、テオドシウス帝によりオリュンピア競技会は廃止される。 ...
  • 1796年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 フランツ・アシャールがテンサイからの砂糖の製造試験に成功。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション
  • 1744年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕 ジャン・バティスト・ラマルク(フランスの博物学者、『動物哲学』著者)      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1745年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフ、飼料用のテンサイから砂糖の分離に成功。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション
  • 26年(W)
         重大事件      政権 ポンティオ・ピラト、ローマの直轄地ユダヤ・サマリアの総督に着任。      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
  • 1776年(W)
         重大事件      政権      外交 ジェームズ・クック、第三回目の世界周航に出発。      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方
  • 1786年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術 9月4日、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、イタリア旅行に出発      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他 首飾り事件の関連で投獄されていたアレッサンドロ・ディ・カリオストロ、釈放される。
  • ジャガイモ
    元はアンデスの山間、チチカカ湖付近が原産。 もともとが高地性植物だったため、寒冷な気候でもよく育つ上、    栽培面積あたりのカロリーは小麦の4倍にも達するという。    そのため、大航海時代にヨーロッパより伝わって以降、冷害に強い食糧として重宝された。 1756年(W)、プロイセンのフリードリヒ2世は「ジャガイモ令」を発布している。    富国強兵のため空いた土地にはジャガイモを植えさせた他、収穫までを見張らせることまでしたという。    慣れない食品であったため当時の民衆から忌避される事が多かったためで、植えたジャガイモを捨てようとする    農民がいれば兵士たちにより強制的に植えなおさせたとか。       参考文献 『炭素文明論』佐藤健太郎 炭素文明論:「元素の王者」が歴史を動かす (新潮選書)
  • 熱心党
    反ローマ武装闘争に決起した急進派グループ。 6年(W)にユダヤ地方がローマ直轄の属州化されたのを契機に、ガリラヤのユダを指導者として結成される。 イエス・キリストの十二使徒の一人、シモンは熱心党の出身。       参考文献 JK『世界大百科事典』 『聖書 スタディ版』 聖書スタディ版 改訂版
  • エウリピデス
    ギリシア喜劇の作者。『メデイア』『ヒッポリュトス』など。 晩年をマケドニアの王アルケラオスの下で過ごし、かの地で客死したという伝説を持つ。    伝説によれば、BC406年(W)、アルケラオス王の猟犬に八つ裂きにされて死んだという。       参考文献 『ギリシア案内記(上)』パウサニアス ギリシア案内記 上 (岩波文庫)
  • カラカラ浴場
    216年(W)に完成した、ローマの巨大公共浴場。 337m×333m、総面積約11万平方mを占める。収容人数は1,600人とも。 入浴前に汗を流す体育室、入浴後に寛ぐための図書室や庭園なども含んだ複合娯楽施設だった。 男女混浴だった由。 6世紀に入り、異民族によって水道が破壊された事で水の供給が止まり、やむなく閉鎖された。       参考文献 『週刊世界遺産 No.8』
  • トタン
    鉄(Fe)の上に亜鉛(Zn)を被覆したものを指す。 トタンは、1836年(W)にフランスで特許として成立している。 トタンの被覆が部分的に剥離した場合、露出した鉄と残存する亜鉛の被覆との間に    電池が形成され、陽極となった亜鉛が溶出し、陰極である鉄の溶出が阻止される。    これにより鉄の大気腐食が防止されるという特徴がある。    この防食法を「カソード防食法」と呼ぶ。 (『江戸時代の科学技術』市立長浜城歴史博物館) 江戸時代の科学技術―国友一貫斎から広がる世界
  • 216年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井 ローマにカラカラ浴場完成。      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • アガメムノンのマスク
    ハインリッヒ・シュリーマンが発掘した事で名高い、ミュケナイ出土の黄金のマスク。 実際にはこのマスクの特定年代は紀元前1650年頃で、ホメロスの叙事詩が歌うトロイア戦争とは時期的に合致しない。 発掘されたのは後代にあたる紀元前1300年ごろの、市壁に囲まれた豪華な六基の竪穴式墳墓のひとつ。 このマスクが発掘された1876年(W)十月、シュリーマンはギリシアの新聞に 「私はアガメムノンの顔を見た」と送信し、大々的に見出しを飾ったとか。       参考文献 『古代ギリシア 11の都市が語る歴史』ポール・カートリッジ 古代ギリシア 11の都市が語る歴史
  • 西洋の事件
         1785年(W) 首飾り事件      1972年(W) テルアビブ空港乱射事件
  • 世界光学関係年表
    1625年(W) 『メリソグラフィア』『アピアリウム』刊行。                顕微鏡を用いたハチの観察図を載せる。顕微鏡による観察図が出版された世界初の刊行物。 1665年(W) ロバート・フック『ミクログラフィア』刊行。                顕微鏡によるコルクの穴やノミなどの観察図が初めて掲載され、大きな反響を呼ぶ。 1839年(W) ウィリアム・フォックス・トールボットにより世界初の顕微鏡写真の撮影が成功。 1840年(W) ジョン・ウィリアム・ドライパー、望遠鏡による月の写真撮影に初成功。 1853年(W) ロンドン顕微鏡協会の会報に、顕微鏡写真が初めて掲載される。 1861年(W) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。                顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の...
  • オリュンピア
    ペロポネソス半島北西部に所在。 古代ギリシャにおけるオリュンピア競技会の開催地として著名。 戦争や離合集散の繰り返されたポリスが、一堂に会し相互交渉を行う場ともなり得た重要な都市。    いわゆる「国際聖域」の一つ。 都市内にはギリシャのドーリス式神殿としては最大規模にあたるゼウス神殿があった。    紀元前五世紀前半ごろの建築で、中には彫刻家フェイディアスによって作られた    黄金と象牙で装飾された祭神像が安置されていたという。 また都市の北側にはヘラを祀る神殿も所在した。 都市の北東側には、アテネをはじめ各ポリスからの奉納品を納めた宝庫が建ち並び、隆盛を物語る。 オリュンピア競技会は伝説によればBC776年(W)に開始された言われる。       参考文献 『図説ギリシア』周藤芳幸 図説 ギリシア―エーゲ海文明の歴史を訪ねて (ふくろう...
  • 観世音寺
    福岡県大宰府市に所在する、「府の大寺」と呼ばれた西街道随一の寺。 斉明天皇追福のため、天智天皇によって発願、建立された事が『続日本紀』所収の詔にある。 723年(養老七年)、寺の造営を促進するため沙弥の満誓が大宰府に下向。    同人物は出家前、朝廷の役人として木曽路を開いた人物。 746年(天平十八年)六月十八日、落慶供養。    ただしこの日、導師として堂に入ろうとした玄昉が突然空中に連れ去られ、後に首だけが興福寺に落ちた、という記事が    『扶桑略記』『元享釈書』などにある。 761年(天平宝字五年)、戒壇が設置される。この時点では東大寺、下野薬師寺とここの    三か所だけが日本で戒壇が存在した寺だった。 なお、現在の観世音寺の鐘楼にかかっている梵鐘は、日本最古のもの。       参考文献 『シリーズ「遺跡を学ぶ」 遠の朝廷 大宰府』 ...
  • 出エジプト記
    2016年(W)、イスラエルのフコック遺跡にあるローマ時代のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)遺構から、    ノアの箱舟のシーンと共に、出エジプト記で紅海が割れる場面を描いたモザイク画が発見された。 海に呑まれたエジプト軍兵士が巨大な魚に呑まれる場面など、聖書本文には無いオリジナル展開も描かれている。 シナゴーグに出エジプト記の海が割れる場面が描かれたケースは少なく、    他にはシリアのドゥラ・エウロポス(完全な形で出土した壁画、しかし兵士が魚に呑まれるシーンは無い)や、    イスラエルのワディ・ハマン(断片的にしか出土せず、保存状態も良くないとのこと)などがあるくらいだとか。       参考文献 ナショナルジオグラフィック2016年7月6日記事 http //natgeo.nikkeibp.co.jp//atcl/news/16/07070025...
  • こぎつね座CK
    17世紀に観測された、天体爆発の残骸を指す。    ダンベルのような形をした暗い星雲。 1670年(W)6月、はくちょう座の頭付近で、それまで見られなかった新しい星が観測される。    この星は秋になって消えたが、翌1671年(W)に再度出現し、かつてなく明るく輝いた。    同年10月まで観測されていたがその後消滅、翌1672年(W)にわずかに観測された後、    二度と見られなくなった。 この天体は、ヘヴェリウスやジョバンニ・カッシーニらが観測、記録した事で知られる。 当初、この天体は記録に残る最古の新星だと考えられていた。    しかし2015年『nature』に発表された論文は、これは二つの星が激しく衝突する、    レッドトランジェント(高輝度赤色新星)と呼ばれる珍しい現象であったとする。    観測の結果、多量の重窒素や、普通の新星には見られない荷...
  • 1856年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ドイツにてネアンデルタール人発見。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
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