1839年(W)

私的伝奇関係データベース @ ウィキ内検索 / 「1839年(W)」で検索した結果

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  • 年表(西洋)
    ...ィクトリア女王即位 1839年(W) 1840年(W) 1842年(W) 1847年(W) 1851年(W) イギリスにて第一回万国博覧会 1853年(W) 1856年(W) 1858年(W) 1859年(W) 1861年(W) 1862年(W) 1863年(W) 1864年(W) 1865年(W) 1868年(W) 1871年(W) 1872年(W) 1876年(W) 1878年(W) 1881年(W) 1882年(W) 1886年(W) 1889年(W) パリ万国博覧会 1891年(W) 1893年(W) 1895年(W) 1898年(W) 1900年(W) 1901年(W) ヴィクトリア女王崩御 1910年(W) 1912年(W) 1914年(W) 1939年(W) 1953年(W) 1956年(W) 1972年(W)
  • 世界光学関係年表
    ...反響を呼ぶ。 1839年(W) ウィリアム・フォックス・トールボットにより世界初の顕微鏡写真の撮影が成功。 1840年(W) ジョン・ウィリアム・ドライパー、望遠鏡による月の写真撮影に初成功。 1853年(W) ロンドン顕微鏡協会の会報に、顕微鏡写真が初めて掲載される。 1861年(W) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。                顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の書籍。 1878年(W) エドワード・マイブリッジにより、走る馬の連続写真の撮影に成功。 1895年(W) ヴィルヘルム・レントゲンによりエックス線写真の撮影が成功。       参考文献 『ユリイカ』2015年3月増刊「150年目の『不思議の国のアリス』」所収「チェシャー猫と不思議のワンダーランド」 ...
  • 1839年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ウィリアム・フォックス・トールボットにより世界初の顕微鏡写真の撮影が成功。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • チャールズ・ダーウィン
    『種の起原』の著者として著名。 1809年(W)、イギリスのシュールズベリー生まれ。 父方の祖父は医師であり、また博物学の素養を持つエラズマス・ダーウィン。 また、母方の祖父は陶磁器製造で著名なウェッジウッドの創始者ジョサイア・ウェッジウッド。 1831年(W)から1836年(W)にかけて、測量船ビーグル号で南半球を一周した。 1859年(W)、『種の起原』を刊行。 ダーウィンの研究上の専門はフジツボ類だった。    カメノテを含むフジツボ類の研究には8年を費やしており、この方面での著作は今日でも利用されている由。 ビーグル号での航海中、ダーウィンは若いガラパゴスゾウガメを飼っていたとか。       参考文献 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録
  • ルイス・キャロル
    1832年(W)、イギリスのチェシャ州ダーズベリにて生誕。     本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン。 キャロルの母は多産で、キャロルは男四人、女七人の家族の長男だった。 父は教会の牧師。のちにリッチモンド教会の大執事となり、リボン大聖堂の聖堂参事会員も務めた厳格な人物だったとか。 キャロルには吃音障害があったと言われている。また兄弟姉妹も全員言語障害があったという 大学の数学教師となったキャロルは、クライスト・チャーチ学寮の居室に写真スタジオを持っていた。  その名も「ガラスの城」。 ルイス・キャロルは、英国心霊研究協会の会員であった事が知られている。    1883年(W)から1897年(W)まで、同協会の会員名簿にキャロルの本名が記載されており、    またキャロル研究者が調査したキャロルの銀行口座出納録にも、死の直前まで同協会に会費が支払われていた...
  • 1861年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 9月30日 始祖鳥の初の骨格標本(ロンドン標本)発見。(リチャード・オーゥエンによる論文報告は1863年(W)) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。    顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の書籍。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • アテネ関連年表
    BC632年(W) キュロンの反乱。    アテネ貴族のキュロンが、一味の者たちと共にアクロポリスに立てこもった事件。    しかし報を聞いたアッティカ周辺の農民たちがアクロポリス周辺を包囲、キュロンは降伏したという。 BC621年(W) ドラコンによってアテネに最初の成文法が制定される。 BC561年(W) ペイシストラトス、アクロポリスを占拠。アテネ統治権を手中に治める。 BC514年(W) ペイシストラトスの子ヒッパルコス、美少年ハルモディオスを巡る    三角関係から殺害される。 BC483年(W) アッティカ東南のラウリオン銀山にて大鉱脈が発見される。    テミストクレスの提言により、ここで得た余剰金は軍船の建造にあてられる。 BC480年(W)八月、サラミスの海戦。三段櫂船を駆使したアテネの海軍によりペルシア軍側が敗北。 BC479年(W)~B...
  • 36年(W)
         重大事件      政権 ポンティオ・ピラト、ユダヤ・イドメア・サマリア総督を解任される。      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの) この年、エジプトにフェニックスが降り立ったとプリニウス『博物誌』第十巻にある。    この鳥は後47年(W)ローマに運ばれて民会で観覧されたとか。ただしこれが作り事である事を疑う者はいないだろうともしている。      フィクション      その他
  • サン・タンジェロ城
    ローマ、テヴェレ川右岸に所在する城。 円筒状の城を四角い城壁が囲み、その四隅にやはり円筒状の構造部を持つ。 元々は139年(W)に皇帝墓廟として建造されたもの。 590年(W)、教皇グレゴリウス1世がペストの終息を祈願した斉、    大天使ミカエルが現れ、以降ペストが収まったとされ、    これを受けた礼拝堂として現在のサン・タンジェロ城が作られたという。    「サン・タンジェロ」は聖天使の意。       参考文献 『週刊世界遺産 No.8』
  • 線文字B
    古代ギリシャ、ミケーネ時代に使用されていた文字。 1900年(W)から開始された、アーサー・エヴァンズによるクレタ島、クノッソス宮殿発掘の際、    発見された粘土板に記されていた。文字は二種類あり、古そうな方を線文字A、新しそうな方を線文字Bと    エヴァンズにより名づけられた由。 後、1939年(W)、アメリカの考古学者ブレーゲンによるピュロス発掘の際に    線文字Bを記した粘土板600枚余りが発見され、その精密写真が第二次大戦勃発時の最後の引き揚げ船で    アメリカに渡る。 1953年(W)、マイクル・ヴェントリスにより解読が成功したと公表された。 線文字Bによって記された文書には、日付はあるがそれを記された年に関する記入がなく、    この事からこれら文書は一年限りのもので、年が変われば廃棄・再利用されていたのではないかと考えられている。 こ...
  • 西洋博物学年表
    1753年(W)、カール・リンネ、『植物の種』を刊行。 1768年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号、第一回世界周航に出発。 1771年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号第一回世界周航から帰還。 1859年(W)11月、チャールズ・ダーウィン『種の起原』刊行。 1872年(W)12月21日 チャレンジャー号、イギリスポーツマスを出発。 1876年(W)5月24日 チャレンジャー号、海洋調査を終えイギリスポーツマスに帰港。 1881年(W)4月、大英自然史博物館開館。(それまでは大英博物館の一部扱いだった)
  • ビーグル号
    イギリス帝国海軍の艦艇。1820年(W)に建造される。 正式な船名はHMSビーグル。HMSは「Her Majesty s Ship(女王陛下の船)」の意。 全長27m。 1831年(W)12月から1836年(W)10月まで、南半球を一周した。 測量船としての就航時の艦長はロバート・フィッツロイ。 チャールズ・ダーウィンを乗せており、この時の彼の生物調査がのちの    進化論の着想につながった事で有名。       参考文献 『眠れなくなる進化論の話』 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録 眠れなくなる進化論の話 ~ダーウィン、ドーキンズから現代進化学まで全部みせます~ (知りたい!サイエンス)
  • ジャン・バティスト・ラマルク
    1744年(W)~1829年(W) フランスの博物学者。 1809年(W)に発表した著書『動物哲学』で、進化論の前身となる説を唱える。    生物は、神が創造した姿のまま不変なわけではなく、環境に合わせて姿を変えていく(=進化していく)とした。    ただし、のちのチャールズ・ダーウィンが説いたような自然選択のアイディアはまだなく、    生物が環境に合わせて後天的に変化した性質が、あとの世代に遺伝すると考えた    (そして遺伝学の進歩により否定された)。 生物学(フランス語でbiologie、英語でbiology)という語を生み出した人物。    また、それまで「下等生物」と呼ばれていた昆虫類やぜん虫類に、初めて「無脊椎動物」という呼び名を与えた。 パリ植物園の園内に、ラマルクの銅像がある。 (『眠れなくなる進化論の話』) 眠れなくなる進化論...
  • 1939年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 アメリカの考古学者ブレーゲンにより、ピュロスの発掘が行われ、ピュロス王宮が発掘される。    同時に、その文書室から600枚あまりの線文字B文書が発見される。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • プラトン
    古代ギリシャの哲学者。 BC427年(W)、アテネに生まれる。 ソクラテスが死刑を言い渡され死去したBC399年(W)、プラトンは28歳。 プリニウス『博物誌』第十一巻に、プラトンが子どものころ、その口にミツバチが止まったが、    これがプラトンの比類ない雄弁の魅力の前兆であった、という記述がある。       参考文献 『国家(下)』プラトン 『プリニウスの博物誌 Ⅱ』 国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8) プリニウスの博物誌〈第7巻~第11巻〉
  • ピュロス
    古代ギリシャの都市。ペロポネソス半島南西、メッセニアに所在した。 ギリシャ神話において、ネストルの治めた地として知られる。 1939年(W)、アメリカの考古学者ブレーゲンによって発掘が行われ、王宮跡が発見された。    またその際、文書室から線文字Bを記した文書が600枚余り発見されている。    この文書はクノッソス宮殿で発掘された文書より保存状態が良く、後に精密撮影されたものが    第二次世界大戦勃発の際、最後の引き揚げ船でアメリカに渡り、のちにマイクル・ヴェントリスによる    線文字B解読に大きく貢献した。 また、二次大戦後にもブレーゲンによる発掘は進められ、1952年(W)には再び    線文字Bを記した330枚以上の粘土板が発見された。これがヴェントリスの線文字B解読を決定的に    確信させ、翌年の解読公表につながったとされる。 ピュロスで発見さ...
  • 年表(日本)
    471年 513年(継体天皇七年) 516年(継体天皇十年) 571年(欽明天皇三十二年) 577年(敏達天皇六年) 588年(崇峻天皇元年) 590年(崇峻天皇三年) 600年(推古天皇八年) 601年(推古天皇九年) 602年(推古天皇十年) 603年(推古天皇十一年) 冠位十二階制定 604年(推古天皇十二年) 十七条憲法制定 607年 608年 610年 614年 628年 643年(皇極天皇ニ年) 645年(皇極天皇四年) 乙巳の変 647年(大化三年) 660年(斉明天皇六年) 662年(天智天皇元年) 663年(天智天皇二年) 白村江の戦い 668年(天智天皇七年) 670年(天智天皇九年) 671年(天智天皇十年) 672年         壬申の乱 686年(天武天皇朱鳥元年) 694年(持統天皇八年) 藤原京遷都 701年(大宝元年) 大宝律令制定 702年(大宝ニ年)...
  • ジェームズ・クック
    イギリスの探検家、船長。キャプテン・クックの愛称で知られる。 世界周航に先立つ1755年(W)からのフレンチ・アンド・インディアン戦争において、    イギリス軍がカナダに上陸する際に活躍した。    彼が後に探検航海に抜擢されたのも、この時の活躍が理由の一つだったとか。 1768年(W)8月26日、第一回の世界周航に出立する。    乗船はエンデヴァー号。    この航海には、後に著名な博物学者・植物学者となるジョゼフ・バンクスも同乗していた。 第一回世界周航は、様々な動植物の知見の他、太陽面の金星通過を観測し地球と太陽の距離を観測する目的も持っていた。    タヒチ島にて、この観測に成功している。 1770年(W)、オーストラリア大陸を発見。 1772年(W)7月、クック指揮による第二次探検隊が派遣される。    この翌年、1773年(W)1月、人類...
  • 1837年(W)
         重大事件 ヴィクトリア女王、18歳で即位(イギリス)。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
    1976年(W)、ドイツ、ヴュルツブルク生まれ。 陸軍外科少佐として、1823年(文政六年)、27歳の時に長崎出島のオランダ商館医として赴任。 1824年(文政七年)、長崎郊外に鳴滝塾を開設。 1826年(文政九年)、江戸参府に同行。 1828年(文政十一年)、長崎港停泊中のオランダ船が台風で大破、多数の御禁制品が発見され、    関係者五十余人が厳重処罰された(シーボルト事件)。 1830年(天保元年)、国外退去を命じられる。       参考文献 『解体新書の謎』大城孟 解体新書の謎
  • 英国心霊研究協会
    1882年(W)に設立された、心霊現象の科学的探究を目的とする集団。 発起人はフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤーズ、ヘンリー・シジウィック、    エドマンド・ガーニーなど。 この協会の、1883年(W)から1897年(W)にかけての会員名簿に、    ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの名が掲載されている事が知られている。    同協会は1898年(W)発行の会誌にドジソン師への追悼という文章を載せており、    またキャロル研究者によるキャロルの銀行口座の出納録にも、同協会への会費納入が記載されているという。       参考文献 『ユリイカ』2015年3月増刊「150年目の『不思議の国のアリス』」所収「チェシャー猫と不可視のワンダーランド」 ユリイカ 2015年3月臨時増刊号 総特集◎150年目の『不思議の国...
  • 平賀源内関連年表
    1728年(享保十三年)、高松藩の志度浦で生まれる。 1749年、父茂左衛門死去。お米蔵番の職を継ぐと同時に、藩の菜園で朝鮮人参栽培をまかされる。 1752年(宝暦二年)、医師久保桑関の随行者として長崎遊学。 1756年(宝暦六年)、高松藩を出て江戸へ入る。 1760年 高松藩の命で相模湾、紀州海岸の魚介類調査を行う。 1761年 二月、高松藩へ「禄仕拝辞願」(事実上の離藩願)を提出。九月二十一日付で受理。            湯島聖堂から神田白壁町へ引っ越す。          秋、伊豆の船原に派遣していた家僕経由で芒硝を発見。            勘定奉行より「伊豆芒消御用」の辞令を受ける(幕府から直接雇われたのはこの時だけ)            ただし、直後に源内の師田村元雄が入れ替わりに幕府から同地へ派遣されている由。 1763年 源内の師田村元雄、幕...
  • 西洋自然災害史
    紀元前十七世紀後半   サントリーニ島大爆発    エーゲ海に浮かぶ火山島が大爆発を起こし、30立法キロメートルの噴出物を噴き出す。    東地中海各地に噴出物を降り積もらせたほか、地球規模の寒冷化も起こった模様。    現在は巨大カルデラに海水が流入して、サントリーニ島、テラシア島、アスプロニシ島となっている。 BC464年(W) ギリシアのスパルタにて大地震。 1489年(W) ロードス島近郊で地震。    この際、海底が裂け、その穴に大量の水が吸い込まれ、三日の間付近の海底が露出するという出来事があったと    『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』にある。       参考文献 『図説ギリシア』周藤芳幸 『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(下)』 図説 ギリシア―エーゲ海文明の歴史を訪ねて (ふくろうの本) レオナルド・ダ・ヴィン...
  • 1831年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ビーグル号、イギリスのプリマス港を出港。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • トロイゼン
    古代ギリシャの都市。 アテネの伝説的な王、テセウスの母アイトラの生まれ故郷であり、アテネとの関係が深い。 BC480年(W)、ペルシア軍がアテネに迫った際には、アテネ市民が妻子をこのトロイゼンに疎開させたという。 1959年(W)、アメリカの学者ジェイムソンにより、このトロイゼンから碑文が発掘されている。    内容はテミストクレスがペルシア戦争に際して老幼婦女子の疎開、戦闘要員の艦船への乗り込み、    アルテミシオンへの出撃などを決定させたという決議の詳細な内容を含んでいたという。    ただし、後の研究からこの碑文の刻まれたのが紀元前三世紀頃であると見られ、    ここに刻まれた内容が果たしてどれほどの信憑性があるかについては意見が分かれている、とのこと。    →トロイゼン出土碑文       参考文献 『図説ギリシア』周藤芳幸 『古代ギリシアの...
  • 1889年(W)
         重大事件 パリ万国博覧会、開催      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術 ルイス・キャロル『シルヴィーとブルーノ』刊行。      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • トタン
    鉄(Fe)の上に亜鉛(Zn)を被覆したものを指す。 トタンは、1836年(W)にフランスで特許として成立している。 トタンの被覆が部分的に剥離した場合、露出した鉄と残存する亜鉛の被覆との間に    電池が形成され、陽極となった亜鉛が溶出し、陰極である鉄の溶出が阻止される。    これにより鉄の大気腐食が防止されるという特徴がある。    この防食法を「カソード防食法」と呼ぶ。 (『江戸時代の科学技術』市立長浜城歴史博物館) 江戸時代の科学技術―国友一貫斎から広がる世界
  • 1829年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去 ジャン・バティスト・ラマルク(フランスの博物学者、『動物哲学』著者)      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1859年(W)
         重大事件 8月、エドウィン・ドレーク、アメリカペンシルバニア州タイタスビルにて    人類史上初の油田を発見。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 11月、チャールズ・ダーウィン、『種の起源』を刊行。 ジョン・エヴァンズとジョゼフ・プレストウィッチ、北フランスにて石器時代の手斧を初めて発見。    先史時代の発見。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1809年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕 2月12日、チャールズ・ダーウィン      死去      宗教界      学術 ジャン・バティスト・ラマルク、『動物哲学』を刊行      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1836年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 10月、ビーグル号イギリスへ帰還。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1832年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕 1月27日 ルイス・キャロル      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • カタツムリ
    プリニウス『博物誌』第九巻に、BC49年(W)より少し前、トラキア地区にて、    フルウィウス・リッピヌスという人物が初めてカタツムリの養殖場を作ったという。    これにより、料理店は肥えたカタツムリで満たされたとか。       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅱ』 プリニウスの博物誌〈第7巻~第11巻〉
  • ヤヌスの門
    古代ローマに所在した鉄製の門。 ローマがどこかで戦いを続ける限り、開いたままにされていたという。 この門が閉ざされたのはアウグストゥス帝の時代、BC29年(W)だったといい、    それまで200年余り開き続けていたとか。       参考文献 『アエネーイス(上)』ウェルギリウス アエネーイス (上) (岩波文庫)
  • アカデメイア
    プラトンによって創始された学校。 英雄アカデモスに捧げられた体育場が名前の由来。 529年(W)、ユスティニアヌス帝によって閉鎖されている。       参考文献 『図説ギリシア』周藤芳幸 『イソップ寓話集』 図説 ギリシア―エーゲ海文明の歴史を訪ねて (ふくろうの本) イソップ寓話集 (岩波文庫)
  • BC399年(W)
         重大事件 ソクラテス、裁判で死刑を言い渡される。    (この時、プラトンは28歳)      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • エスカルゴ
    フランス料理で供される、カタツムリ料理。 プリニウス『博物誌』第九巻に、ローマではBC49年(W)より少し前、トラキア地区にて、    フルウィウス・リッピヌスという人物が初めてカタツムリの養殖場を作り、その種類ごとに飼育したとある。    これにより、料理店は肥えたカタツムリによって満たされたとか。 ()       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅱ』 プリニウスの博物誌〈第7巻~第11巻〉
  • 石炭
    木炭に比べ、硫黄分を多く含む。    そのため、通常の石炭をそのまま製鉄に使用すると、    鉄の中に硫黄が入り込み質を脆くしてしまう。 硫黄は揮発性が強いため、この石炭を蒸し焼きにする事で硫黄分を抜くことが出来る。    蒸し焼きにした石炭をコークスと呼ぶ。 1709年(W)、エブラハム・ダービー父子により世界最初のコークス製鉄が実現する。     参考文献 『鉄の文明』大橋周治
  • 529年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 アカデメイア、ユスティニアヌス帝によって閉鎖される。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • ソクラテス
    古代ギリシャの哲学者。 『饗宴』『パイドロス』などによれば、ソクラテスは履き物を履かず、    常に裸足でいる事で有名だったとか。 BC399年(W)、公の神を敬わず、若者を堕落させたという罪で死刑を言い渡される。 死刑が確定してから、執行されるまでにはかなり長い間があったとされる。    『パイドン』によれば、テセウスがミノタウロス退治のためにアテネからクレタ島へ出る際、    もし無事に帰還する事ができれば毎年デロス島のアポロンの祭礼に使者を送ると誓い、    実際に無事に帰還できたことから、アテネからデロス島へ毎年花飾りを付けた船を送る風習があり、    この船が帰るまでは死刑の執行は行われなかった。ソクラテスの裁判はこの花飾りが船につけられた    翌日であったため、この船が帰るまで死刑が執行されなかったとのこと。 中世イタリア説話集『ノヴェッリーノ』...
  • トロイゼン出土碑文
    •1959年(W)、アメリカの学者ジェイムソンによりトロイゼンで発掘された碑文。    内容はテミストクレスがペルシア戦争に際して老幼婦女子の疎開、戦闘要員の艦船への乗り込み、    アルテミシオンへの出撃などを決定させたという決議の詳細な内容を含んでいたという。    ただし、後の研究からこの碑文の刻まれたのが紀元前三世紀頃であると見られ、    ここに刻まれた内容が果たしてどれほどの信憑性があるかについては意見が分かれている、とのこと。       参考文献 『古代ギリシアの歴史』伊藤貞夫 古代ギリシアの歴史 ポリスの興隆と衰退 (学術文庫)
  • BC29年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他 ローマのヤヌスの門、閉じられる。   (この門はローマがどこかで戦いを続けている限り開かれ続けたといわれる門で、    この年に閉ざされるまで、200年以上開き続けていたとか)
  • ヒクイドリ
    ヒクイドリ目ヒクイドリ科。 原産はオーストラリア北西部、ニューギニア、モルッカ諸島。 中国では、この鳥は火を食うとした。またその糞は再び火となり家を焼くともいい、    故に「禍斗獣」という異名もあったと。 1597年(W)、ヨーロッパへ渡来。日本への初渡来は1663年(寛文三年)という。 1789年(寛政元年)に渡来したヒクイドリについての記事が『蒹葭堂雑録』にある。    それによれば、寛政元年7月にオランダ船で長崎に招来され、    寛政二年五月より大坂界隈で見世物として公開されたと。 大槻玄沢は、日本人がダチョウとヒクイドリを混同している点を憂いて    『蘭畹摘芳』に図入りで違いを説いたとか。    ヒクイドリの趾(あしゆび)は三つ、ダチョウは二つで、種別の要点であると云々。 (『世界大博物図鑑 鳥類』荒俣宏) 鳥類(世界大博物図鑑(4...
  • 心臓
          →心臓を食べて特殊な効能を得る プリニウス『博物誌』第十一巻に、心臓についての解剖学的な記述に続いて    「これは精神の住処である」という記述がある。 また同じ『博物誌』第十一巻に、「心臓に毛が生えていた人」の逸話が載っている。    メッセニア人のアリストメネスという人物で、スパルタ人を300人以上も殺した豪胆な人だったという。    捕虜になって逃走を2回繰り返し、最後に捕えられた際にスパルタ人に生きながら解剖されたが、    そこで出てきた心臓には毛がもじゃもじゃ生えていたという。 (zsphereコメント:「心臓に毛が生えている」って慣用句じゃなかったんかい、という驚愕の逸話w) 『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』に、心臓は「生命の源」ではなく、血液を受ける水盥のようなもので、    その筋は火でも損なえないほどの厚さを持っていると述...
  • 1779年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去 ジェームズ・クック、ハワイ島にて現地住民とのトラブルにより死亡。      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方
  • 1699年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション 5月4日、ガリヴァーを乗せた船、ブリストルを出航、後に漂流してリリパット国へ(『ガリヴァー旅行記』)      その他
  • ヘロイン
    モルヒネにアセチル基を付与した有機化合物。 1874年(W)にはじめて合成に成功。 1896年(W)、ドイツのバイエル社より鎮咳薬として発売されている。       参考文献 『炭素文明論』佐藤健太郎 炭素文明論:「元素の王者」が歴史を動かす (新潮選書)
  • 藤原貞敏
    藤原不比等の四男、藤原麻呂の血筋を引く。 宮中の清掃を司る掃部司の長官、掃部頭(かもんのかみ)を務めた。 唐の音楽家廉承武より、琵琶の秘曲を教わって帰朝したとされる人物。    『尊卑分脈』には、「本朝琵琶濫觴之師也」、また「多々秘曲ヲ渡ス、我朝琵琶ノ祖ナリ」などと記述されている。 『続日本後紀』によれば、入唐は835年(承和二年)十月、帰朝は839年(承和六年)八月。    また同じ承和六年十月には、紫宸殿で琵琶を弾奏した記事が見える。 『平家物語』巻七「青山之沙汰」では、貞敏が秘曲とともに    玄象、青山、獅子丸の三面の琵琶を伝えられ海を渡ったが、    竜神がこれを惜しんで波が荒れたため、獅子丸を海に沈めると波が鎮まった。    そのようにして他の二面の琵琶を持ち帰った、とする記事が載る。       参考文献 『平家物語(七)』 ...
  • BC19年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去 ウェルギリウス死去。      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1799年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ナポレオンのエジプト遠征中、フランス兵がロゼッタ・ストーンを発見。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
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