313年(W)

私的伝奇関係データベース @ ウィキ内検索 / 「313年(W)」で検索した結果

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  • 年表(西洋)
    ...) 216年(W) 313年(W) ミラノ勅令 380年(W) テオドシウス帝、キリスト教をローマの国教とする勅令 392年(W) テオドシウス帝、キリスト教以外の宗教を禁止する勅令 529年(W) 632年(W) イスラムのムハンマド没 1096年(W) 第一回十字軍 1142年(W) 1222年(W) 1252年(W) 1265年(W) 1271年(W) 1290年(W) 1295年(W) 1298年(W) 1313年(W) 1317年(W) 1321年(W) 1498年(W) 1534年(W) 1545年(W) 1564年(W) 1588年(W) 1598年(W) 1611年(W) 1616年(W) 1625年(W) 1642年(W) 1662年(W) 1665年(W) 1670年(W) 1671年(W) 1672年(W) 1685年(W) 1692年(W) 1699年(W) ...
  • 313年(W)
         重大事件 コンスタンティヌス帝、ミラノ勅令を発する。    ローマ帝国として信仰の自由を認め、キリスト教を公認した。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1313年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕 ジョヴァンニ・ボッカッチョ、イタリアに生まれる(通説)。生誕地はパリ、フィレンツェなど諸説ある。      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
  • ジョヴァンニ・ボッカッチョ
    イタリア出身の作家。『デカメロン』の著者。 1313年(W)生まれ。生誕地にはパリ、フィレンツェなど説がある。 ダンテ『神曲』に登場するベアトリーチェとは遠い姻戚関係にあったとか。       参考文献 『デカメロン(下)』ボッカチオ 講談社文芸文庫 デカメロン(下) (講談社文芸文庫)
  • 1861年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 9月30日 始祖鳥の初の骨格標本(ロンドン標本)発見。(リチャード・オーゥエンによる論文報告は1863年(W)) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。    顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の書籍。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 36年(W)
         重大事件      政権 ポンティオ・ピラト、ユダヤ・イドメア・サマリア総督を解任される。      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの) この年、エジプトにフェニックスが降り立ったとプリニウス『博物誌』第十巻にある。    この鳥は後47年(W)ローマに運ばれて民会で観覧されたとか。ただしこれが作り事である事を疑う者はいないだろうともしている。      フィクション      その他
  • オーレル・スタイン
    ユダヤ系のハンガリー人。 1862年(W)、ブダペストにて生まれる。 1900年(A)から約一年間、1906年(A)4月から約二年半、    1913年(A)7月から1916年(A)2月まで、1930年(A)8月から翌年6月まで、    計4回にわたりイギリス隊を率いて中国の西域を探検した。    楼蘭やニヤなどの仏教遺跡の発掘を行ったことで著名。 第2回探検にて、敦煌の莫高窟から大量の仏典を含む敦煌文書をイギリスに持ち帰る。 1912年(W)、敦煌文書の功績によりサーの称号を得る。 なお、中国では略奪者と捉えられている由。 また、1941年(A)、インド西部からパキスタンにまたがるチョーリスターン砂漠を踏査している。       参考文献 『インダス文明の謎』長田俊樹 インダス文明の謎 古代文明神話を見直す (学術選書)
  • バター
    イギリスのスコットランドや、アイルランドの土中からは数千年前のバターの塊が見つかる事が少なくないという。    2013年(W)にはアイルランド中部オファリー州の沼の中から重さ45キロ、およそ5000年前の    バターの塊が発見された他、2016年(W)にもアイルランド西部のミース州で2000年前のバターの塊10キロが発見されたとか。    強烈なチーズの匂いがしたという話。    同地は酸性度の高い土壌で、冷蔵庫のような効果があるため残ったものと見られている。    理論上は食用にできるはずだが、専門家は食べない事を勧めているとか (zsphereコメント:誰が食うかw)       参考文献 CNN 2016年6月15日記事 http //www.cnn.co.jp/fringe/35084313.html
  • 西洋博物学年表
    1753年(W)、カール・リンネ、『植物の種』を刊行。 1768年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号、第一回世界周航に出発。 1771年(W) ジェームズ・クック率いるエンデヴァー号第一回世界周航から帰還。 1859年(W)11月、チャールズ・ダーウィン『種の起原』刊行。 1872年(W)12月21日 チャレンジャー号、イギリスポーツマスを出発。 1876年(W)5月24日 チャレンジャー号、海洋調査を終えイギリスポーツマスに帰港。 1881年(W)4月、大英自然史博物館開館。(それまでは大英博物館の一部扱いだった)
  • ルイス・キャロル
    1832年(W)、イギリスのチェシャ州ダーズベリにて生誕。     本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン。 キャロルの母は多産で、キャロルは男四人、女七人の家族の長男だった。 父は教会の牧師。のちにリッチモンド教会の大執事となり、リボン大聖堂の聖堂参事会員も務めた厳格な人物だったとか。 キャロルには吃音障害があったと言われている。また兄弟姉妹も全員言語障害があったという 大学の数学教師となったキャロルは、クライスト・チャーチ学寮の居室に写真スタジオを持っていた。  その名も「ガラスの城」。 ルイス・キャロルは、英国心霊研究協会の会員であった事が知られている。    1883年(W)から1897年(W)まで、同協会の会員名簿にキャロルの本名が記載されており、    またキャロル研究者が調査したキャロルの銀行口座出納録にも、死の直前まで同協会に会費が支払われていた...
  • アテネ関連年表
    BC632年(W) キュロンの反乱。    アテネ貴族のキュロンが、一味の者たちと共にアクロポリスに立てこもった事件。    しかし報を聞いたアッティカ周辺の農民たちがアクロポリス周辺を包囲、キュロンは降伏したという。 BC621年(W) ドラコンによってアテネに最初の成文法が制定される。 BC561年(W) ペイシストラトス、アクロポリスを占拠。アテネ統治権を手中に治める。 BC514年(W) ペイシストラトスの子ヒッパルコス、美少年ハルモディオスを巡る    三角関係から殺害される。 BC483年(W) アッティカ東南のラウリオン銀山にて大鉱脈が発見される。    テミストクレスの提言により、ここで得た余剰金は軍船の建造にあてられる。 BC480年(W)八月、サラミスの海戦。三段櫂船を駆使したアテネの海軍によりペルシア軍側が敗北。 BC479年(W)~B...
  • 世界光学関係年表
    1625年(W) 『メリソグラフィア』『アピアリウム』刊行。                顕微鏡を用いたハチの観察図を載せる。顕微鏡による観察図が出版された世界初の刊行物。 1665年(W) ロバート・フック『ミクログラフィア』刊行。                顕微鏡によるコルクの穴やノミなどの観察図が初めて掲載され、大きな反響を呼ぶ。 1839年(W) ウィリアム・フォックス・トールボットにより世界初の顕微鏡写真の撮影が成功。 1840年(W) ジョン・ウィリアム・ドライパー、望遠鏡による月の写真撮影に初成功。 1853年(W) ロンドン顕微鏡協会の会報に、顕微鏡写真が初めて掲載される。 1861年(W) ウィリアム・ヘンリー・オリー『写真によって明かされる顕微鏡の驚異』刊行。                顕微鏡写真が掲載された、現在知られている世界最初の...
  • 化学者
    アントアヌ・ローラン・ラヴォアジェ(1743年(W)~1794年(W))
  • パラケルスス
    1493年(W)、スイスのジール川近郊で生まれる。 本名はフィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・ホーエンハイム。    パラケルススは通称。「パラ」は「越える」、「ケルスス」は当時の百科事典編集者で医学者の    アウレリウス・コーネリウス・ケルススの事だと云々。 1520年(W)のデンマークとスウェーデンの戦争において、デンマーク軍の外科医として従軍している。 1541年(W)9月24日に死去。
  • ジェームズ・クック
    イギリスの探検家、船長。キャプテン・クックの愛称で知られる。 世界周航に先立つ1755年(W)からのフレンチ・アンド・インディアン戦争において、    イギリス軍がカナダに上陸する際に活躍した。    彼が後に探検航海に抜擢されたのも、この時の活躍が理由の一つだったとか。 1768年(W)8月26日、第一回の世界周航に出立する。    乗船はエンデヴァー号。    この航海には、後に著名な博物学者・植物学者となるジョゼフ・バンクスも同乗していた。 第一回世界周航は、様々な動植物の知見の他、太陽面の金星通過を観測し地球と太陽の距離を観測する目的も持っていた。    タヒチ島にて、この観測に成功している。 1770年(W)、オーストラリア大陸を発見。 1772年(W)7月、クック指揮による第二次探検隊が派遣される。    この翌年、1773年(W)1月、人類...
  • 英国心霊研究協会
    1882年(W)に設立された、心霊現象の科学的探究を目的とする集団。 発起人はフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤーズ、ヘンリー・シジウィック、    エドマンド・ガーニーなど。 この協会の、1883年(W)から1897年(W)にかけての会員名簿に、    ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの名が掲載されている事が知られている。    同協会は1898年(W)発行の会誌にドジソン師への追悼という文章を載せており、    またキャロル研究者によるキャロルの銀行口座の出納録にも、同協会への会費納入が記載されているという。       参考文献 『ユリイカ』2015年3月増刊「150年目の『不思議の国のアリス』」所収「チェシャー猫と不可視のワンダーランド」 ユリイカ 2015年3月臨時増刊号 総特集◎150年目の『不思議の国...
  • 平賀源内関連年表
    1728年(享保十三年)、高松藩の志度浦で生まれる。 1749年、父茂左衛門死去。お米蔵番の職を継ぐと同時に、藩の菜園で朝鮮人参栽培をまかされる。 1752年(宝暦二年)、医師久保桑関の随行者として長崎遊学。 1756年(宝暦六年)、高松藩を出て江戸へ入る。 1760年 高松藩の命で相模湾、紀州海岸の魚介類調査を行う。 1761年 二月、高松藩へ「禄仕拝辞願」(事実上の離藩願)を提出。九月二十一日付で受理。            湯島聖堂から神田白壁町へ引っ越す。          秋、伊豆の船原に派遣していた家僕経由で芒硝を発見。            勘定奉行より「伊豆芒消御用」の辞令を受ける(幕府から直接雇われたのはこの時だけ)            ただし、直後に源内の師田村元雄が入れ替わりに幕府から同地へ派遣されている由。 1763年 源内の師田村元雄、幕...
  • アントアヌ・ローラン・ラヴォアジェ
    1743年(W)、パリ生まれ。 「酸素」の命名者。 定量的観測による近代化学の方法を産んだ、「化学の父」などと呼ばれる。 1794年(W)5月8日、フランス革命の余波を受けギロチンにより斬首される。    税金徴収の仕事で生計を立てていたためであると云々。 (『空気の発見』三宅泰雄) 空気の発見 (角川ソフィア文庫)
  • 心臓
          →心臓を食べて特殊な効能を得る プリニウス『博物誌』第十一巻に、心臓についての解剖学的な記述に続いて    「これは精神の住処である」という記述がある。 また同じ『博物誌』第十一巻に、「心臓に毛が生えていた人」の逸話が載っている。    メッセニア人のアリストメネスという人物で、スパルタ人を300人以上も殺した豪胆な人だったという。    捕虜になって逃走を2回繰り返し、最後に捕えられた際にスパルタ人に生きながら解剖されたが、    そこで出てきた心臓には毛がもじゃもじゃ生えていたという。 (zsphereコメント:「心臓に毛が生えている」って慣用句じゃなかったんかい、という驚愕の逸話w) 『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』に、心臓は「生命の源」ではなく、血液を受ける水盥のようなもので、    その筋は火でも損なえないほどの厚さを持っていると述...
  • パロス大理石碑文
    エーゲ海の島パロス島で発見された、地元産の大理石に刻まれた碑文。 BC260年代に刻まれたと推定されている。 内容は、西暦でBC1582年(W)からBC263年(W)までのギリシア史の年表。 通常は神話に属すると判断される、クレタ島の王ミノアの統治期間が記載されている事で知られる。       参考文献 『古代ギリシア 11の都市が語る歴史』ポール・カートリッジ 古代ギリシア 11の都市が語る歴史
  • 線文字B
    古代ギリシャ、ミケーネ時代に使用されていた文字。 1900年(W)から開始された、アーサー・エヴァンズによるクレタ島、クノッソス宮殿発掘の際、    発見された粘土板に記されていた。文字は二種類あり、古そうな方を線文字A、新しそうな方を線文字Bと    エヴァンズにより名づけられた由。 後、1939年(W)、アメリカの考古学者ブレーゲンによるピュロス発掘の際に    線文字Bを記した粘土板600枚余りが発見され、その精密写真が第二次大戦勃発時の最後の引き揚げ船で    アメリカに渡る。 1953年(W)、マイクル・ヴェントリスにより解読が成功したと公表された。 線文字Bによって記された文書には、日付はあるがそれを記された年に関する記入がなく、    この事からこれら文書は一年限りのもので、年が変われば廃棄・再利用されていたのではないかと考えられている。 こ...
  • オリュンピア競技会
    古代ギリシャで開催されていた競技会。言わずと知れた、オリンピックの前身。 ペロポネソス半島北西部の町オリュンピアで開催された。 伝説によれば、競技会の始まりはBC776年(W)。 同盟・敵対関係などで複雑に離合集散していたギリシャの諸ポリス間が互いに接触・交渉を行う上でも重要な、    いわゆる「国際聖域」の形成に大きく貢献していたと考えられている。 競技の優勝者にはオリーブの冠が与えられた。    直接の賞品自体は質素だが、それだけにオリュンピア競技優勝がもたらすポリスでの名声と栄誉が想像されると云々。 競技会の開催期間中およびその前後には、ポリス間で争いが起こっている場合でも休戦する慣行があったとか。 なお、同様の競技会はこの時代、デルポイ、イストモス、ネメアでも開催されていた。 BC393年(W)、テオドシウス帝によりオリュンピア競技会は廃止される。 ...
  • 辻の神
    プリニウス『博物誌』第三巻に、73年(W)時点においてローマの都が十四の地域に分かれており、    その265の十字路に守護神ラレスが祀られてあった事が記されている。       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅰ』 プリニウスの博物誌〈第1巻~第6巻〉
  • モルヒネ
    1803年(W)、ドイツの薬剤師フリードリッヒ・ゼルチュルナーにより初めて単離された。 名前は、ギリシア神話の眠りの神モルフェウスに由来する。       参考文献 『炭素文明論』佐藤健太郎 炭素文明論:「元素の王者」が歴史を動かす (新潮選書)
  • フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
    1976年(W)、ドイツ、ヴュルツブルク生まれ。 陸軍外科少佐として、1823年(文政六年)、27歳の時に長崎出島のオランダ商館医として赴任。 1824年(文政七年)、長崎郊外に鳴滝塾を開設。 1826年(文政九年)、江戸参府に同行。 1828年(文政十一年)、長崎港停泊中のオランダ船が台風で大破、多数の御禁制品が発見され、    関係者五十余人が厳重処罰された(シーボルト事件)。 1830年(天保元年)、国外退去を命じられる。       参考文献 『解体新書の謎』大城孟 解体新書の謎
  • クリストヴァーノ・フェレイラ
    ポルトガル人宣教師。1580年(W)生まれ。 1610年(慶長十五年)来日。切支丹布教を行う。 1633年(寛永十年)、禁教令違反で逮捕、拷問され、切支丹を捨てる形で生還。 曹洞宗に帰依し、日本女性と結婚して沢野忠庵と改名した。 その後、外科術を中心とする西洋医学を広め、『南蛮流外科秘傳』を著した。 教え子として半田順庵、杉本忠恵、西玄甫らを輩出。 またその著書を通じて、日本に四体液説を伝えたとか。       参考文献 『解体新書の謎』大城孟 解体新書の謎
  • ラレス
    古代ローマの神。 交差点、すなわち辻の神と見られる。 プリニウス『博物誌』第三巻に、73年(W)時点でのローマ市が14の地域に分かれており、    その265の交差点にこの守護神ラレスが祀られていた、とする記載が見える。       参考文献 『プリニウスの博物誌 Ⅰ』 プリニウスの博物誌〈第1巻~第6巻〉
  • チャールズ・ダーウィン
    『種の起原』の著者として著名。 1809年(W)、イギリスのシュールズベリー生まれ。 父方の祖父は医師であり、また博物学の素養を持つエラズマス・ダーウィン。 また、母方の祖父は陶磁器製造で著名なウェッジウッドの創始者ジョサイア・ウェッジウッド。 1831年(W)から1836年(W)にかけて、測量船ビーグル号で南半球を一周した。 1859年(W)、『種の起原』を刊行。 ダーウィンの研究上の専門はフジツボ類だった。    カメノテを含むフジツボ類の研究には8年を費やしており、この方面での著作は今日でも利用されている由。 ビーグル号での航海中、ダーウィンは若いガラパゴスゾウガメを飼っていたとか。       参考文献 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録
  • アレクサンドリア
    アレクサンダー大王によって建設された都市。    大王の東征に伴い、同名の都市は複数(12前後から、70という説まである)存在したが、    普通はエジプトに所在した都市を指す。 都市建設はBC332年(W)からBC331年(W)に開始。    特に起工式はBC331年であったという。 BC305年(W)、エジプト総督に任命されていたアレクサンダー大王の側近プトレマイオス1世が    エジプトの王を名乗り、このアレクサンドリアを首都と定めた。 また、プトレマイオス1世自身が設計を行い、死後に完成した研究機関ムセイオンと図書館が所在し、    エウクレイデス、エラトステネス、アルキメデスなど多くの学者を擁した事で著名。       参考文献 『古代ギリシア 11の都市が語る歴史』ポール・カートリッジ 古代ギリシア 11の都市が語る歴史
  • ビーグル号
    イギリス帝国海軍の艦艇。1820年(W)に建造される。 正式な船名はHMSビーグル。HMSは「Her Majesty s Ship(女王陛下の船)」の意。 全長27m。 1831年(W)12月から1836年(W)10月まで、南半球を一周した。 測量船としての就航時の艦長はロバート・フィッツロイ。 チャールズ・ダーウィンを乗せており、この時の彼の生物調査がのちの    進化論の着想につながった事で有名。       参考文献 『眠れなくなる進化論の話』 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録 眠れなくなる進化論の話 ~ダーウィン、ドーキンズから現代進化学まで全部みせます~ (知りたい!サイエンス)
  • 1803年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ドイツの薬剤師フリードリッヒ・ゼルチュルナー、モルヒネの単離に成功。    植物から薬効成分を純粋に分離した、最初期の事例。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1953年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 マイクル・ヴェントリス、線文字Bの解読に成功したと発表。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1893年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術 ルイス・キャロル『シルヴィーとブルーノ完結編』刊行。      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1753年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 カール・リンネ、『植物の種』を出版。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
  • 1773年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ジェームズ・クック、人類史上初めて南極圏を横断。      文学・芸術      市井      地方
  • ヒクイドリ
    ヒクイドリ目ヒクイドリ科。 原産はオーストラリア北西部、ニューギニア、モルッカ諸島。 中国では、この鳥は火を食うとした。またその糞は再び火となり家を焼くともいい、    故に「禍斗獣」という異名もあったと。 1597年(W)、ヨーロッパへ渡来。日本への初渡来は1663年(寛文三年)という。 1789年(寛政元年)に渡来したヒクイドリについての記事が『蒹葭堂雑録』にある。    それによれば、寛政元年7月にオランダ船で長崎に招来され、    寛政二年五月より大坂界隈で見世物として公開されたと。 大槻玄沢は、日本人がダチョウとヒクイドリを混同している点を憂いて    『蘭畹摘芳』に図入りで違いを説いたとか。    ヒクイドリの趾(あしゆび)は三つ、ダチョウは二つで、種別の要点であると云々。 (『世界大博物図鑑 鳥類』荒俣宏) 鳥類(世界大博物図鑑(4...
  • ポルト
    ポルトガルの国名の由来にもなった、同国北部の港町。 エンリケ航海王子が生まれた街。 イギリスで好んで消費されるポートワインの産地として知られる。    ポートワインは、ワインを長期輸送するためにブランデーを加えて発酵を止めたもので、    ブドウの甘味を残した味わいになるとか (zsphereコメント:飲んだことはない) イギリスは1703年(W)に交わされたメシュエン条約において、    ポルトガル産ワインの関税引き下げを行っており、これによってポルトガルのポートワイン輸出が急増。    植民地独立などによって経済的に苦しくなったポルトガル経済を支える柱となったとか。       参考文献 『週刊世界遺産 No.77』
  • 1863年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 リチャード・オーウェン、始祖鳥の初の骨格標本(ロンドン標本)を論文報告。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      フィクション      その他
  • BC43年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕 3月20日、アペニン山脈中の町スルモーにて、オウィディウス生誕。      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1853年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 ロンドン顕微鏡協会の会報に、顕微鏡写真が初めて掲載される。    (それまでは顕微鏡で見たものをスケッチした図しか無かった)      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 西洋日食月食年表
    BC331年(W)9月20~21日の夜9時ごろ、ティグリス川周辺で月食。    アレクサンドロス大王がこれを目撃し、日月に供犠を捧げた記事がアッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』巻三にある。 30年(W)?    『新約聖書』「マタイによる福音書」その他に、イエス・キリストが十字架にかけられた際、    その昼の十二時から三時ごろにかけて全地が暗くなったという記載がある。これを日食と見る説もある。       参考文献 『アレクサンドロス大王東征記(上)』アッリアノス 『聖書 スタディ版』 アレクサンドロス大王東征記〈上〉―付インド誌 (岩波文庫) 聖書スタディ版 改訂版
  • シュラクサイ
    イタリアのシチリア島南東部、海岸沿いに所在するギリシャ都市の植民市。 起源神話によれば、老河川アルフェイオスに懸想され求愛された水の精アレトゥーサが、その手を逃れて    絶えず清冽な水が湧き出る泉と化してシュラクサイにたどり着いたのが始まりであるという。    実際、シュラクサイ近郊の小島オルテュギアには、実際に清水が湧き出る泉が存在していた。 古代ギリシアで作られた年表では、シュラクサイへの入植、この都市の建設年代は    BC733年(W)であるとされている。 アルキメデスは、このシュラクサイ出身である事が知られている。       参考文献 『古代ギリシア 11の都市が語る歴史』ポール・カートリッジ 『図説ギリシア』周藤芳幸 古代ギリシア 11の都市が語る歴史 図説 ギリシア―エーゲ海文明の歴史を訪ねて (ふくろうの本)
  • サン・タンジェロ城
    ローマ、テヴェレ川右岸に所在する城。 円筒状の城を四角い城壁が囲み、その四隅にやはり円筒状の構造部を持つ。 元々は139年(W)に皇帝墓廟として建造されたもの。 590年(W)、教皇グレゴリウス1世がペストの終息を祈願した斉、    大天使ミカエルが現れ、以降ペストが収まったとされ、    これを受けた礼拝堂として現在のサン・タンジェロ城が作られたという。    「サン・タンジェロ」は聖天使の意。       参考文献 『週刊世界遺産 No.8』
  • BC323年(W)
         重大事件 アテネを中心としたギリシア連合軍がマケドニア軍に攻撃を仕掛ける(ラミア戦争)    翌年、テッサリアのクランノンの戦いで敗北を喫する。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • BC483年(W)
         重大事件 ギリシャ、アッティカ地方東南のラウリオン鉱山にて大鉱脈が発見される。    この時、大規模な余剰金が生まれたのを元にアテネのテミストクレスは    百隻(別伝では二百隻)の軍船を調達、のちにサラミスの海戦による勝利につながる。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • BC393年(W)
         重大事件 オリュンピア競技会、テオドシウス帝によって廃止される。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • BC733年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの) 古代ギリシアで製作された年表における、シュラクサイの建設・入植開始の年。      その他
  • 1317年(W)
         重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界 ローマ教皇ヨハネス22世、修道士による偽の金の鋳造・販売を禁止・断罪する教皇令を発布。    実質的な修道士たちに対する錬金術禁止令。      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • アルゴス
    古代ギリシャの都市。ペロポネソス半島の中部東よりに所在。 女神ヘラを守護神とする。    アルゴス平野の東側にヘラの聖域があり、これに対して平野の西側にポリスの中心市が存在した。    そして祭礼の際には、ヘラの聖域から中心市までパレードが催されていたとか。 ヘラの古神殿はBC423年(W)に失火のため焼け落ちており、その後、古神殿より    一段低い土地に新しい神殿が建設された事が判明している。 アルゴスの、ヘラの主神殿ヘライオンに関しては、次のような伝説が知られている。    クレオビスとビトンという兄弟がいて、女神官だった母を載せた牛車で祝祭の場に向かうはずだったが、    牛車を引く牛の到着が遅れた。そのため、クレオビスとビトンが牛の代わりに牛車を曳いて    母親を時間通りに社に送り届けた。母親がふたりの孝行息子にふさわしい褒美を与えるようヘラに祈ると、...
  • 首飾り事件
    マリー・アントワネットの身分を騙ったジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人なる人物が    高額なダイヤの首飾りをロアン枢機卿に代理購入させ、アントワネットに渡すと偽って騙し取った事件。    ヨーロッパ中で大変な評判となり、3年後のフランス革命にも間接的な影響を与えたなどと言われる。 また、この件に直接の関わりは無かったらしいカリオストロ伯爵(アレッサンドロ・ディ・カリオストロ)が    関係者として拘束、バスチーユ牢獄に投獄された。    結局、1786年(W)5月31日に釈放されている。       参考文献 『イタリア紀行(中)』ゲーテ
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