「メ、メイド長……どうしてここに……」
コンビニで立ち読みした後に少々買い物を嗜み、アパートに帰った〇〇を待ち構えていたのは
かつて幻想郷に迷い込んだ自分を迎え入れてくれた紅魔館のメイド長、十六夜咲夜その人であった。
幻想郷から戻って半年経った今でも、銀髪でメイド服を来た瀟洒な女性を忘れよう筈が無かった。
「久しぶりね、〇〇……こちらとあちらの時間軸が同じなら、半年ぶりくらいになるかしら?」
「はぁ……」
「相変わらず呆けた顔ね。だらしないからやめなさい……と、これは前にも言ったわね」
「いや、いやいや……なんで外の世界に……」
「ああ……解雇されたから、ここに泊めてもらおうと思って」
「……へぇー」
〇〇はそれほど頭の回転が良くなかったので、彼女が何を言っているのか理解できなかった。
とりあえず彼は、最近観た番組で使用されていた「へぇボタン」を叩く真似をしてみせた。
「って……解雇? メイド長が? まさかのクビ?」
「もうメイド長ではないわ……ふふっ、笑いたければ笑いなさい……」
「クビっすか!! HAHAHAHAHA!!」
外国人を下手に真似た笑いは、自虐的な咲夜の言葉によって作られた微妙な雰囲気を吹き飛ばすための
彼の精一杯の努力であった。それがより微妙な雰囲気を醸し出してしまったことは言うまでもない。
「…………なんか、すいません……で、なんでまたクビに……?」
「……まぁ、恥ずかしい話なんだけど……お嬢様の度を過ぎた我侭にうんざりして、つい……」
「え……? 普段お嬢様にヘーコラしてる咲夜さんが、うんざり?」
「へーこら……そう見られてたのね、私……」
紅魔館当主、レミリア・スカーレットの命令には誰一人として逆らえない。
それは紅魔館に与する者にとって絶対遵守の理であり、完全で瀟洒な従者である十六夜咲夜には
生命体の呼吸と等しいと言って過言では無い程、当然の事柄でもあった。
「……それで、つい……何ですか?」
「……つい、『カリスマも無い癖に偉そうに』って言ってしまって……」
「うわぁ、これはひどい」
「あと、場の勢いで『妹様の方が強いのに』『ただの引きこもり』的なことを……」
「ひどいって言うか、もうボロクソじゃないですか……」
「時を止めてないのに場が固まったわ」
「能力いらずですね……」
珍しく瀟洒な従者が放ったささやかな冗談ですら、〇〇には痛々しく見えるだけであった。
かつて彼女が紅白の巫女や黒白の魔法使い、半人半霊や月の兎と鎬を削ったことなど、
誰が今の弱々しい彼女から想像できるだろうか。その燦然と輝く歴史はもはや過去の栄光でしか無かった。
「……それで、気付いた時には辞表をお嬢様の顔に叩きつけて、紅魔館を飛び出していた……」
「…………ストレス溜まってたんですね、メイド長……」
「いい音がしたわ……スパーン、って……」
〇〇は「それは厳密にはクビではなく辞めてきたのではないか」と考えていたが、
そのような言動や振舞いをあの唯我独尊・傍若無人な当主が許すわけもないだろうし、
本人はそれも分かってクビだと言い張っているのだと思って、言うのを止めた。
「……だからって、何も外の世界に出なくても……」
「だってあなたの家くらいしか、行くアテが無いし……」
「……メイド長の、わずかな知り合いに選ばれて光栄な反面……複雑な気分です……」
「わずかな、って失礼ね。否定はしないけれど」
幻想郷は全てを受け入れる場所ではあるが、それは行けたら、という仮定の話である。
通常、平平凡凡な人間では行くも帰るも容易いものではなく、十六夜咲夜とて例外ではない。
一度こちらへ来てしまった以上、彼女は二度と幻想郷へ戻れないかもしれない。
「時を操るメイド長」なる肩書きが平平凡凡であるか、という疑問はあるが……
「神社とか、永遠亭とかに駆け込めば……」
「お嬢様ならともかく、私が言ってまかり通るわけないでしょう」
「けど、友達の友達は友達ですよ?」
「お嬢様とあの巫女はともかく、私とお嬢様は友達じゃないわ……」
「まぁ、確かに。主従関係ですしね」
「ふふっ、今や主従ですらないわ……赤の他人よ」
〇〇は言ってから後悔した。今の彼女に追い討ちをかけるのは非常によろしくない。
彼女は幻符「殺人ドール」の使い手だが、精神的「殺人ドール」には耐性が無いらしい。
「……それにしても、思い立ったら早いものだったわ」
「どうやってこっちに出てきたんです? しかも俺の家の前……なんとなく予想はつきますけど」
「とりあえずマヨヒガに行ったの」
「もう分かったので結構です。でも、よりにもよって俺の家か……」
「……やっぱり、迷惑だったかしら」
やはり後ろめたいのか、咲夜はしょぼんと項垂れてしまった。
「とんでもない。ただ、アパートはあまり広くないとは言っておきます。あと散らかってます」
「どこかの魔法使いの家ほどじゃないでしょう?」
「たぶん……まあ玄関で話すのも何ですから、とりあえず上がってくださいよ」
「ありがとう……お邪魔します……」
幻想郷、紅魔館―――
「小悪魔、レミィは部屋にいた?」
パチュリー・ノーレッジは自分の使い魔である小悪魔に、当主レミリア・スカーレットの状態(主に精神的な)を
確認するよう指示していた。忠実な下僕を失った友人の状態によっては、何らかの対処をせねばなるまい、
と彼女は考えていたのである。
「一応、いるにはいるのですが……責任を感じておられるのか、随分と落ち込んだご様子で」
「布団にくるまってなかった?」
「くるまってました。引きこもりの構えですね、あれは」
「やっぱりね……普段強気に振舞ってる分、打たれ弱いのよね、レミィ……」
以前、パチュリーが大切にしていた魔導書にレミリアが紅茶を零した事があった。
パチュリーはあまり寛大では無いので当然怒ったが、レミリアは開き直って
零す様な場所に置いているのが悪い、と主張した。これがパチュリーの神経を逆撫でし、
彼女は般若のような形相で紅魔館を出ていった。小悪魔はおろおろするばかりで、結局残ったが。
しかし、咲夜が魔理沙の下に身を寄せていたパチュリーに泣きつくまでには、数日とかからなかった。
食事も摂らず、布団にくるまって部屋から出てこない友人に流石の咲夜もお手上げだったようだ。
紅魔館に戻り彼女の部屋を訪れるなり泣いて抱きつかれた時は、冷静なパチュリーでもかなり動揺した。
そして、涙を流して謝る友人を胸に抱きつつ、そういえば以前にもこんなことがあったと思い返し―――
「キリがないわ」
「はい?」
「なんでもない。他に気付いたこととかある?」
「えーと……あとですね、ただでさえ赤い部屋が更に真っ赤になってました」
「……何故?」
「あまりにも鬱だったようで、ナイフで手首を切ったとか」
「自殺? はぁ、莫迦ねぇ……」
「ほんと莫迦ですよね。そんな程度じゃ死なないのに。プフー!」
腕一本吹っ飛んでも死なない吸血鬼が、手首を切った程度で死ぬわけもない。
しかしパチュリーにとっては、レミリアが自殺できなかったという事実よりも、
彼女がそこまで追い込まれている、ということの方が遙かに問題であった。
「ずっと凹まれてても困るのよね……」
「はぁ、そうなんですか? 静かでいいですけど」
「あのね……」
どうにも自分の使い魔は、組織の階層構造が保たれていることの重要さが
まるで分かっていないらしい。そう思ったパチュリーが頭を抱えるのは至極当然の流れである。
上から指示や権限を与えられて初めて下は機能する。実際、現状の紅魔館は
当主とメイド長を失い、指揮系統がひどく混乱しているというのに。
「事実上、パチュリー様がトップですよね」
「私は客人よ。だから、何かあった時の責任は取れないわ」
「じゃあ、美鈴さんがトップですか?」
「あら凄い。門番が紅魔館全体に指揮を出して、周りの問題も全て解決してくれるだなんて。
あの門番のどこにそんな潜在能力があるのかは知らないけど、小悪魔ったら物知りなのね?」
「え……ご、ごめんなさい……」
「……だからあの二人には早急に元の状態に戻ってもらわないと困るの」
パチュリーの皮肉で、ようやく小悪魔も気付いたらしい。
妖精メイド達だけに任せていては、最悪の場合、紅魔館の機能が停止する、ということに。
「あ……そ、そうなるとまずいです……咲夜さんが外の世界に出た、って報告が」
「は!?」
「ひぃ!?」
「……ちっ、咲夜、思い切ったわね……神社あたりにでも行くかと思ってたけど、そう来るとは……」
「や、やっぱり〇〇さんのところでしょうか……」
「他に行くところ無いでしょう。半年前、〇〇を外へ送ったのはあのスキマ妖怪だから……
咲夜もアイツに頼んだに違いないわね。〇〇の場所も知ってるだろうし」
外の世界は、幻想郷の住人にとって未知の世界である。
そんなところに飛び込んで行くのに、彼女は何の躊躇も無かったのだろうか。
それとも、考えている余裕が無かったのか。パチュリーや小悪魔には知る由も無かった。
「どうします? 咲夜さんは戻ってこないでしょうから、こちらから出向くしか……」
「そうね……けど外の世界がどうなってるか分からない以上、レミィは……」
「太陽の光が危ないですし、そもそもあの引きこもりには何も期待できないです。
かと言って、妖精メイドでは些か頼りないですよね……」
パチュリーにとっては小悪魔も頼りないものであったが、面倒なので言わなかった。
そして、小悪魔が先ほどから友人に対して辛辣な言葉ばかり吐くのが気に食わなかったが、
莫迦なのも引きこもりなのも真実なので、やはり言わなかった。
「じゃあ何? 向かえそうなのは、私とあなたと門番ぐらいしかいないの?」
「門番は門番だから門番なんですよ?」
「ごもっともね……それじゃ、私とあなただけ?」
「そうですね……外の世界への遠征だっていうのに、二人しかいないなんて……」
「はぁ……」
翌日、紅魔館―――
いつものように門前に仁王立ちしている紅美鈴。
「今やこの紅魔館も、私と妖精メイドだけ……あ、お嬢様もいたっけ」
と、そこに響く轟音。
「……館の中から? パチュリー様の新しい実験かな?」
「美鈴さぁーん!」
そこには、茫然とする美鈴に駆け寄る妖精メイドの姿が!
「もう妹様なんてこりごりさ! 二度と食事の差し入れなんてしないよ!」
「あら、妖精メイドAじゃない。なんとなく事情は分かるけど、どうしたの?」
「大変なんです美鈴さん! 妹様が目を放したスキに扉を破壊して……」
目を放したスキに出ていくのなら扉は破壊しなくていいと思うが、
そこは妹様、次の犯行に備えてキッチリ壊していくんだな、と美鈴は感心していた矢先。
今度は、轟音というよりも、爆音が辺りを揺るがした。
「あ、今壊れたの美鈴さんの部屋ですよ」
「…………」
同時に、美鈴は咲夜の存在が如何に大事であったかを思い知らされた。
通常、このような事態が起こった場合、メイド長である咲夜に指示を仰ぎに行くのが規則だ。
この妖精メイドが昨日の咲夜の事件を知っており、咲夜が不在だと分かっていても、右往左往した後、
美鈴に助けを求めに来るまでには、幾ばくかの遅延時間が生じただろう。
この時間が、妹様、すなわちフランドール・スカーレットの脱走においては
"このような"致命的な問題と成り得るのである。
そもそも、食事の差し入れ自体、時を止められる咲夜でなくては務まらない仕事であったので、
別のメイドがそれを行っている時点で、これはある意味、当然の結果だと言える。
「じゃあパチュリー様にお願いして雨を……あ、いないんだっけ」
「どどどどうしましょう!?」
「落ち着いて、まだ慌てるような時間じゃないわ。それならお嬢様にお願いして……」
「お嬢様はまだ布団にくるまってます!」
「ああ、そうだった……必要な時に役に立たない……」
「も、もうおしまいです……紅魔館、バンザーイ!!」
咲夜やパチュリー、小悪魔がここに帰ってきた時、紅魔館が無くなっていたら顔向けができない。
何より自分が、職を失いたくはない。そう考えた紅美鈴は、ある決心をした。
「……安心なさい。私が妹様を止めるわ」
「め、美鈴さんが!? 無茶です! 細切れの肉片にされますよ!?」
「大丈夫よ。そんなウルフマンみたいなことにはならないから」
だが彼女の頭の中では、スプリングマンにバラバラにされるウルフマンと自分が重なって見えていた。
もちろん先ほどの発言は虚勢である。しかし美鈴には退くことは許されない。
「肉片にされない、って……肉片も残らないってことですか!?」
「いや、なんでマイナス方向の解釈なの?」
「だ、だって……」
「ふふっ、忘れたの? 私には虹符「彩虹の風鈴」があるのよ……?」
「あ、やっぱりダメじゃないですか……」
「どういう意味だゴルァ」
自分のスペルカードが自分より圧倒的に弱い妖精メイドにさえ弱小と認識されているのは、
門番としての役割が果たせていないと莫迦にされ続けている美鈴でも、流石にショックであった。
「あ、妹様が来ましたよ!」
「ええ、壁という壁をぶち破ってくるあの赤いお姿はまさに妹様」
赤いものが凄い速度でこちらに向かってくると、もしかしたら何かが三倍なのではないか、
と現実逃避を始める妖精メイドA。しかし美鈴は未だ毅然としていた。
「ほ、ほんとにどうするんですかぁ!」
「ふ……最初から勝てないと思うから勝てないのよ」
「……心構えの問題ってことですか?」
「そう……まぁ見ていなさい。私のスペルカードを……!」
───────
「ひどい……」
〇〇の部屋(アパートの一室)に入って開口一番、そう呟く十六夜咲夜。
それが心からの言葉であったことが、彼女の表情からも伺える。
「だから言ったじゃないですか」
「狭いし、散らかってるし、人の住むところじゃないわ」
「……そこまで言わなくても……」
〇〇のガラスのハートにヒビが入ったが、咲夜がそのようなことを気にかける訳もなく。
広く、そして清潔に保たれていた紅魔館に長く住んでいた咲夜は、
〇〇の部屋に対してあからさまに嫌悪感を示していた。
「とりあえず、今すぐ掃除しなさい……」
項垂れながら咲夜が言った。
「はあ……あのですね、メイド長」
「何?」
「掃除が面倒だから、こんな風になってるんじゃないですか」
「でしょうね」
「それで、やれと言われて、やるわけないでしょう」
胸を張って誇らしげに言う〇〇。
「……開き直るつもり? あなた、私に逆らえる身分じゃ……」
咲夜はいつもの調子でそこまで言って、後悔した。今の咲夜は所詮ただの客人であり、
彼女だけでなく〇〇すらも、既に紅魔館におけるヒエラルキーとは関係が無いのである。
加えて仮に階層構造が成り立っていたとしても、今の二人の立場は……
「…………」
無言で掃除を始めようとする咲夜。
「ちょっと、メイド長……」
「いいわ、私がやるから。あなたはくつろいでて」
「いやいや従者、そういう訳にもいきません。お客人に働かせるなんて」
「無償で宿を借りるのだから、これぐらいはさせて」
「俺も手伝いますって」
「……気持ちだけ、受け取っておくわ」
「いや、だから――」
――――――
結局〇〇が気付いた時には、散乱していた本が本棚に綺麗に収まり、広告や新聞紙が紐で纏められ、
多量のゴミが袋詰めで外に置いてあり、エロ本が机の上に並べてある、という有様であった。
咲夜は時間を操ることができる、ということを〇〇は完全に失念していた。
特に紅魔館にいた頃は、掃除をする時は埃が散らないよう、彼女は必ず時を止めていたというのに。
「なるほど、俺ができることなんて無かったわけですね……」
「だから気持ちだけ、って言ったじゃない」
「腐っても鯛、とはよく言ったもんです」
「……何が?」
「職を失っても、やっぱりメイド長はメイド長だなぁ、って感心してたんです」
「…………あ、そ」
〇〇の言葉が恥ずかしかったのか、咲夜はぷいっとそっぽを向いてしまった。
「……さて、綺麗になったし……次はこの部屋を広くしましょう」
「流石に無理です。スキマ妖怪でも無理です」
「さあ、それはどうかしら」
なんということでしょう! 咲夜(匠)が不敵な笑みを浮かべそう呟いた瞬間、
途端に部屋の広さが2倍程にも拡張したではありませんか!
「どう?」
「…………ああ、そういえば……」
時間を操る者は空間をも操る。紅魔館が見た目より広いのは
咲夜が空間をいじっていたからだということも、やはり〇〇は忘れていた。
「これで、健康で文化的な最低限度の生活ができるわね」
「俺の部屋は今まで、生存権すら保障されない魔境だったんですか……」
〇〇は咲夜が日本国憲法第25条を知っていることを不思議に思ったが、
「まあ、メイド長だしな」ということで無理矢理自分を納得させた。
「それじゃ一段落したし、お茶でも淹れますよ」
「お茶? いえいえ、僭越ながら私めが」
「あの、メイド長。本当に気を遣わなくていいですから。普通逆ですから」
「お言葉ながら、既にメイド長ではありません故に……不肖の身ではありますが、どうか」
急に敬語を使い始めた咲夜は、そう言った後、深々とお辞儀をした。
「うわぁ、頭なんか下げないで下さい!」
「いえいえ……この家のご当主はあなた様であるからして、瀟洒な振舞いは至極当然と言えましょう」
「ぬぅ……もう当主でも何でもいいから、その態度と敬語はやめてください、メイド長……」
〇〇は、咲夜が悪乗りを始めたことには気付いていたが、
咲夜自身が解雇されたショックを忘れるために気丈に振舞っているのだと思い、水を差すようなことはしなかった。
一方咲夜の本心はと言うと、泊まるどころか完全に住むつもりになっていたので、
その冗談めいた言葉の中には感謝と敬服の意も込められていた。だから、このようなことも言ってみせたりした。
「あ、それと……名前で、呼んで」
「はい?」
「お嬢様だって、私を「メイド長」とは呼んでいなかったでしょう?」
「ああ、また俺が当主だから、って話ですか」
「もちろん。あと、敬語も禁止」
実は〇〇は、咲夜がそう言い出すであろうことをなんとなく予想していた。
この完全で瀟洒な従者が、主人が敬語や敬称を用いることなど許すはずもない。
「お断りします」
「どうして?」
「だって……俺はずっとメイド長の下で働いていたわけですから。俺が主人だなんてとてもとても」
「……確かに、長年染みついた癖は離れ難いものだけど」
「でしょう?」
「…………なら敬語はともかく、名前……これが最大限の譲歩」
なんで従者に譲歩されてるんだろう、とは言えない〇〇であった。
言えば主従関係を認めたとされて、結局敬語も止めさせられるだろうから。
〇〇は半年前どころか今でも、心から彼女を尊敬していたから、それだけは譲りたく無かった。
――――
「お風呂、いただいてもいいかしら?」
こちらの世界に出た後、てんやわんやで疲れの溜まっている咲夜がそう言い出すのも無理は無かった。
「いいですよ。でも着替えとか持ってます?」
「そういえば、メイド服以外持ってきて無いわね……失敗したわ」
おそらく無いだろうと思いつつ、〇〇は聞いていた。
彼女の手荷物と言えば、スペルカードと銀のナイフ、他に少々の小道具程度だったからだ。
「じゃあ、俺のシャツでもいいですか? ちょっと大きいと思いますけど」
咲夜は何の躊躇もなく「それでいい」と言おうとした。
が、迂闊にも、白い素肌の上に〇〇の普段着ている衣服を纏う、という行為を鮮明に思い描いて。
「しょ、しょうがないわね……早く持ってきなさい」
少しばかり動揺したり、色白の顔にやや赤みがさしたりするのも、しょうがなかった。
――――
咲夜が体を清めている間に、〇〇は咲夜の衣服を洗ってしまおうと考えた。
しかし、綺麗に畳まれて洗濯籠に入れられているメイド服を手に取ったところで、〇〇はふと疑問に思った。
「……これ、洗濯機で洗っていいのか……?」
洗濯機には「手洗い」という項目もあるが、彼女の意見も聞かずにそれを行うのは暴挙だろうか。
やはり、手で直に洗うべきなのだろうか。まだ持ち主の温もりが残る衣服を手にしたまま、〇〇は葛藤していた。
そんな中、〇〇はその疑問を抱えると同時に、半年前まで抱えていた疑問を一つ解決できた。
籠の底に入れられていた、彼女の肌着を見て、こう呟く。
「……パッドじゃ、なかったんだ……」
その直後、風呂場から「ガン!」という激しい音がした。
咲夜が風呂桶だか持っていたシャワーだか、とにかく何かを落としたらしい。
しかし、〇〇にとって大事なのは何を落としたか、という事より。
「……あれ……聞こえ、て……」
〇〇は「血の気が引く」という言葉を、今身を持って体感した。
女性の脱いだ衣服を手に取り、あまつさえ肌着を観察し、その持ち主に感想を述べるなど。
彼の脳裏には、つい最近読んだ漫画の「変態!変態!」という一コマが映し出されていた。
いたたまれなくなった〇〇は、その場から脱兎の如く逃げ出した。
とは言っても、おそらく彼に科されるであろう制裁を、潔く待つしかないのだが。
どうせこの部屋は倍の広さになったところで、逃げるような場所も無いのだから。
――――
幻想郷、紅魔館―――
「もうおしまいなの? つまんなぁい」
「さ、咲夜さん、パチュリー様……早く、帰ってき、て……」
そう呟いて、紅美鈴は地に倒れ伏した。
美鈴は、痛みに耐えてよく頑張った。妖精メイドAも感動した。
しかし悲しいかな、彼我実力差は如何ともし難いものであった。
「勝てないと、思うから……勝てない……」
「でもさ、勝てると思ったら勝てるの?」
「そんなわけ……ないですよ、ね……」
「でしょー?」
スペルカードルールで勝敗が決まった場合は、相手の命までは取らないのが原則である。
が、狂気の吸血鬼、フランドール・スカーレットにそのような常識は通用しない。
何の気まぐれか今は美鈴との会話に興じているが、これがいつキュッとされるとも限らない。
「ねーねー、お姉様は? 咲夜は? パチュリーは?」
フランの機嫌を損ねたくない美鈴は、とりあえず紅魔館の現状を嘘偽りなく伝えることにした。
ありとあらゆるものを破壊する程度の能力を持つ彼女が「じゃあ私も行く!」などと言い出さないことを祈りつつ。
――――
〇〇の部屋―――
上気した顔の咲夜が、少し大き目のYシャツを纏って居間に現れた。
〇〇は彼女の纏められている髪が下ろされている姿を初めて見たが、
先程の一件でいっぱいいっぱいだったので、そんなことに気を取られている余裕など無かった。
ちなみに、ボタンの外れたYシャツの隙間から咲夜の美しい鎖骨が見えていたり、
下に至ってはあらかじめコンビニで買ったインナーを着けているだけなので
生足が艶めかしく伸びていたりしたが、やはり〇〇の視界に入ることは無かった。
「さっぱり、したわ……」
「………………」
「……羽織るもの、ある? 湯冷めはしたくないの」
「あ、はい……」
とは言ったものの特にそれっぽいものが無いので、とりあえずジャケットを渡す〇〇。
〇〇は罵詈雑言を浴びせられた挙句引っ叩かれるぐらいの覚悟をしていただけに、
咲夜があからさまに話題を避けているのがかえって不気味であった。
「ありがとう……」
「いえ……それより、あの」
本当は、咲夜は全然そんなことを気にしていないのではないか、と思った〇〇は、
自分から先手をうって謝ることにした。どちらかと言えば、この空気に耐えられなくなった意味の方が強かったが。
「詰めてないわ」
「…………」
あっさりとその目論見は崩れ去った。結局行く手を遮られて、いっそ開き直る〇〇の姿は実に滑稽かな。
「詰めてるって噂があったので、つい」
「『つい』じゃない……ちょっとした犯罪者よ」
「本当にごめんなさい」
咲夜は、自身も『つい』元主人に暴言を吐いてしまったことを未だ後悔していたし、
素直に謝られては怒るに怒れなくなってしまい、結局それ以上〇〇を追い詰めるようなことはしなかった。
同時に、もし仮に、紅魔館に帰ることがあったとしたら……その時は噂の元に制裁を科すことを固く決心した。
――――
波乱の一日であった為か、〇〇はいつも以上に腹を空かせていた。
それは咲夜も同じだったようで、〇〇が夕食の提案をすると即座に乗ってきた。
咲夜は料理の腕前に定評があったので〇〇としても任せたいところだったが、
こちらの世界は久方ぶりということで見慣れないものが多いらしく、結局〇〇が調理することになった。
そこまでは、良かった。しかし、夕食ができるなり咲夜が満面の笑みで。
「はいご主人様、あーん」
「じ、自分で食べられますから」
「紅魔館ではこうしてたのよ? はい、あーん」
少なくとも自分が知っている限り、お嬢様はこのような事をさせていない。
自分が尊敬していたメイド長は、こんな俗っぽい人だっただろうか。
解雇されたことでショックのあまり、何か大事なものを失ってしまったのだろうか。
そんな不安感を抱きつつも、また悪乗りが始まった事実を認識した〇〇は、心の中で大きな溜息を吐いた。
「……そんなに、嫌?」
上目使いで〇〇を見る咲夜。子犬のような表情は普段の毅然とした態度からは想像もできない。
これで〇〇が断れないことを分かっていてそうしているのであれば、かなりタチが悪い。
「……咲夜さんは、ずるいです」
〇〇がそう言うと、咲夜はまた元の笑顔に戻って。
「ごめんなさい。はい、あーん」
「……もうどうにでもなーれ……」
〇〇は覚悟を決めて、美味しくいただくことにした。無論、味など分からなかったが。
その後、仕返しとばかりに咲夜に「あーん」を強要したが、これが完全に逆効果で、
むしろ〇〇への精神的ダメージが倍になっただけであった。
――――
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした……」
げんなりしている〇〇に、咲夜が思い出したように言う。
「やっと、呼んでくれた」
気恥ずかしかった〇〇は、あえて聞こえない振り。そんな下手な演技に気付かない咲夜ではなかったが、
自分も思い出して少し恥ずかしくなったのか、それきり黙りこくってしまった。辺りに流れるなんとも温い空気。
「……あの……」
「な……なに?」
こういう空気が苦手な〇〇は、なんとか空気を変えたかったので、妥当そうな話題で流れを切った。
「……今日は疲れたんで、もう寝ます」
「あ……もうそんな時間なのね。ごめんなさい、色々」
「いえいえ。ああ、そうだ……寝床、は……」
〇〇と咲夜の視線の先には、最近買い換えたものの万年床となりつつある布団が一式。
一人暮らしの家に、布団が二式以上無いのは当然のこと。〇〇もそんなことは分かっていたし、
だからこそ自分は毛布にでもくるまって寝るか、なんて考えていた矢先に。
「……いい、わよ……」
「…………」
「…………」
「……何が、ですか……」
〇〇はなんとなく分かっていたが、一応言ってみた。顔に赤みを差しながら。
咲夜もまた赤くなりつつ「一緒に……」などとぼそぼそと呟いている。
〇〇には、咲夜の考えがまるで理解できなかった。また悪乗りなのか。それとも完全で瀟洒なメイドは、
この何の取り柄もないただの青年に、まさか気でもあるのだろうか。
半年前、幻想郷を出る際にもう二度と会うことは無いと思っていた人と、再会を果たした。
しかし彼女が自分の元へ来た理由も所詮、自分がこちらの世界で、唯一頼れる人間であったからに過ぎない。
名前で呼ばせたり、飯を食べさせたりなんていうのは、彼女の気まぐれか道楽だろう……
と考えたところで、〇〇は毛布を被って床に転がった。簡潔に言えば、逃げた。
自分に気があるのではないか、など世迷い事にも程があると、気付いてしまって虚しくなったのと。
上も下も布一枚、しかも下は最低限しか覆われていない女性と寝床を共にして、
一晩中耐えられる自信が無かったから。彼女がどれだけ魅力的な女性か、知っているから尚更。
明日服を買ってきます、とだけ言って、〇〇は目を閉じて考えるのをやめた。
「…………」
咲夜は悲しげな表情で何も言わぬまま、本来の持ち主がいない布団に身を沈めていった。
───────
床に着いたはいいものの全く眠れなかった二人は、
少しぎくしゃくした関係のまま、翌日の朝を迎えた。
しかし、それから一日二日はそんな関係が続いたものの、後はそう悪いようにはならなかった。
それも当然の話で、元々二人はお互いの事が嫌いではない。
紅魔館ではメイド長と下っ端という関係ではあったものの、私的な会話を交わす程度の
交流はいくらでもあったし、お互い少なからず好意を持っていたことも事実であった。
だから、ちょっとした心の隔たりなど、無いも同然だった。
〇〇の買ってきた服がセンスの欠片も無かった為、後日一緒に買いに行って、
あれでもないこれでもないと目移りする咲夜を微笑ましく見守る〇〇、などという光景も見られたり。
そういった共同生活を通して、〇〇はなんとなくだが理解した。
紅魔館では見られなかったような笑顔を、今、自分に向けてくれる咲夜。
自惚れで無いならば、咲夜は僅かばかりにせよ自分に想いを寄せてくれているのだということを。
朴念仁ならあのような行動も「またまた御冗談を」で済ませるのであろうが、
幸か不幸か〇〇はむしろ敏感な方だった為、共に過ごす時間が多ければ気付いてしまうのは当然だった。
しかし、〇〇は気付かない振りをした。彼女への親愛、尊敬、憧れといった情に
静かに混ざり溶け込んでいる、咲夜への好意に気付いていながらも。
彼は、知っていた。出会いがあれば別れがある、その怖さ。
そして親密になってしまえば、それだけ別れも辛くなってしまうことの辛さを。
だから、咲夜とはこれからも紅魔館に居た時の様に、多忙な毎日でありながら、
働く喜びを共有できる同僚、欲を言えば気の置けない友人のような関係でありたいと思っていた。
――――
「私のこと、どう思ってる?」
が、その〇〇の願いは咲夜によって、無残にも打ち砕かれた。
「そこで問題だ! この咲夜さんの質問をどうかわすか?」
3択 1つだけ選びなさい。
答え①賢い〇〇は突如打開のアイデアがひらめく。
答え②お嬢様が来て助けてくれる。
答え③かわせない。現実は非情である。
「私は、あなたが……好き……」
「!?」
「かも、しれない……」
咲夜自身が未だ自分の気持ちを本当に理解できてはいないからか「かもしれない」という
あやふやな言葉ではあったが、それでも〇〇の道を塞ぐには十分過ぎるものだった。
結局この追撃により、〇〇は強制的に③を選ばされることとなった。
――――
〇〇が紅魔館を離れると聞かされた時は、頭が真っ白になって、心も酷く乱れたものだった。
「悲しい」だとか「行って欲しくない」だとか、そういう感情がごちゃ混ぜになって。
けれどそれは、小悪魔が〇〇との別れの際に涙した理由と同じ、
友人、同僚、家族と離れるのが辛いとか、そういう感覚なのだろうと思っていた。
〇〇がいなくなった後、毎日なんとなく物足りないと思っていたのも、そうに決まっている。
それから数ヶ月が経ったが、その心のスキマは埋まらなかった。
小悪魔はとうにいつもの調子に戻り、しっかりと仕事をこなしているというのに、
私ときたら効率が落ちているなんてものではない。失敗して、マイナスになることも多々あった。
久方ぶりにお嬢様に烈火の如く怒られて、初めて私は自覚した。
〇〇の存在が、自分の中で予想以上に大きくなっていたこと、
そして彼に会えないことが、辛くて悲しくてしょうがないのだということを。
私は、誰かを恋愛感情的な意味で好きになったことは無い。
だから、これがそういう気持ちなのかは自分でも分からない。
ただ、会いたいと思った。顔を見たいと思った。声を聞きたいと思った。
しかし、私は紅魔館に尽くす身であるが故、
片道切符の外の世界への旅など、お嬢様に許していただけないだろう。
いや、仮に出られたとしても、私が居た頃と大きく変わってしまったであろう向こうの世界で、
生きていける自信が正直なところ、まったく無い。
――――
「……だから紅魔館を出た時、あなたのところへ来たの。
念願の外の世界へ、経緯はどうあれ出ざるを得なくなってしまったのだから……
あなたにまた会えて、本当に良かった。本当は、はしゃぎたいくらい嬉しかった」
「……それで、あんなことを?」
揃って「あんなこと」を思い出し、赤くなる二人。
「……けれど、あなたは何をしたって、全然相手にしてくれない」
「…………」
至極当然である。〇〇の取った行動と言えば、
彼女の想いに気付く前は、咲夜の事があまりにも分からなさ過ぎて、ひたすら突っぱねた。
気付いた後も、今までの関係を保つことにひたすら努めてきた。
つまりこの状況こそ咲夜が〇〇を追い詰めているようにも見えるものの、
その実、事態を引き起こしたのは〇〇が咲夜を追い詰めたのが原因であったのだ。
「いつか、あなたが振り向いてくれると思ってた……
だけど、あなたが私を迷惑だと思うだけなら、こんなのただの空回り……」
「……咲夜さん……」
「拒絶されたくない、嫌われたくない……こんな気持ちになるの、自分でも不思議だと思う。
ふふっ、完全で瀟洒な従者なんて、とんだお笑い草……」
「………………」
「私なんて、いない方が良かった?」
「……そんな訳が無い。美人で可憐で優しい咲夜さんが
俺みたいなのと一緒にいてくれる、それだけで人生の幸福全てを使い果たした気分です」
「…………」
咲夜の白い肌がまた朱に染まっていく。満更でも無く思えるのは、惚れた弱みの所為なのだろうか。
「……でも……咲夜さんの気持ちには、応えられません……」
「え……」
一転して泣きそうな顔をする咲夜に、〇〇は心を痛ませた。
気丈に振舞ってはいるものの、内心〇〇も泣きたい気分だった。
自分を好いてくれている人がいて、自分もその人が好きなのに、
なぜそれを不意にする言葉を自分で言わなければいけないのか。
「咲夜さんは、俺とは少し違う世界に住む人で……俺なんかとは、その存在価値も雲泥の差です」
「………………」
「近いうちに「お迎え」が来ることは確実でしょう……というか、もう向かっているかもしれない」
「………………」
「どのような関係になろうと、俺と咲夜さんはもうすぐ別れることになる。
なら、俺は咲夜さんの気持ちを知らない、咲夜さんも俺の気持ちを知らない。
それでいいじゃないですか。これから、と言っても短い間でしょうが、このままの関係で」
「絶対、嫌」
目に涙をいっぱいに溜めながら、咲夜が言った。
「あの、だから……」
「そんなの関係ない。あなたの気持ちを聞いてるの」
「………………」
「もう一回聞くわ。私のこと、どう思ってる?」
逃げに逃げた〇〇も年貢の納め時らしかった。そもそも〇〇が話の方向を変えようとした時点で、
咲夜もまた、〇〇が咲夜のことを本当は嫌いではない、ということに気付いてしまった。
だから、言ってみれば〇〇は自爆したのである。それで観念したというのもあるが、
やはり〇〇もただの人間であり、咲夜から向けられる純粋な想いに気付かない振りをして逃げるよりは、
真っ直ぐに受け止めて、そして自分の想いを伝えたかった。
「……すぐに、離れ離れになるかもしれませんよ」
「ならないわよ」
「「お迎え」が来たらどうしますか?」
「撃退するわ」
「俺、だらしないですよ」
「知ってる」
「部屋散らかってますけど」
「毎日掃除しましょう」
「あと、狭いです」
「広くすればいいじゃない」
「………………」
「他に解決して欲しいこと、ある?」
〇〇は、ふぅ、と溜息をついて。
「……あと一つだけ」
「なに?」
「あなたが好きで好きでしょうがないんですが、どうしましょう」
「恋人から始めればいいじゃない」
「友達からではなく?」
「お互い好きなのに、そんな遠回りしてられないわ」
「好き、かもしれない……じゃ、なかったんですか?」
「……意地悪。好き、大好き……」
〇〇に抱きつく咲夜。〇〇はそれをしっかりと受け止めて、優しく抱き返した。
咲夜は涙する自分の顔を、〇〇は真っ赤になった自分の顔を見られたく無くて、
顔を相手の肩口に埋めていた。お互いの温もりを感じながら。
「ずっと……一緒に居てくれますか?」
「……こんな風になって……もう完全でも瀟洒でも何でもない私なんかで、本当にいいの?」
「俺の前では、ありのままの咲夜さんでいてくれると嬉しいです」
「じゃあ、いつものメイド長だった私は、嫌いだった?」
「まさか。最初に俺が惚れたのは、そういう咲夜さんだったんですよ?
ただ……飾っていない咲夜さんはもっと可愛くて、こっちの咲夜さんは独り占めしたいなって」
「欲張りね。でも、私も他の人には見せたくない。あなただけに、知っていて欲しい……」
「嬉しいです。でも俺は強欲なんで、他にも欲しいものがあります」
「私も、まだあげたいものが沢山あるわ。本当に好きな人ができるまで、取っておいた大切なもの」
そう言うと咲夜は〇〇の顔を自分と向き合わせ、有無を言わせず〇〇の唇に自分のそれを重ねた。
突然で〇〇は戸惑ったが、すぐにそれを受け入れ、やがて二人はお互いの唇を啄み始めた。
何分かそうしているうちに、やっと咲夜が満足したのか、〇〇の顔から自分の顔を離した。
「ぷはっ……い、いきなりですね……」
「ふふ、さっきも言ったじゃない……遠回りは嫌いなの」
「最初がこれだと、後が凄いことになりそう……」
「大丈夫よ……時間はいくらでもあるもの」
「……そうですね。じゃあとりあえず、もう一回……」
「んっ…………」
――――
その頃―――
〇〇の部屋の玄関前には、二つの陰。
「入りづらい」
「そうですねぇ」
「今入ると完全に悪役よね」
「いつ入っても悪役じゃないでしょうか……」
「あなた、小さくても悪魔でしょ。悪役らしく行ってきなさい」
「嫌ですよ! 咲夜さんに殺されちゃいますよ!」
「あなたが死んでも代わりはいるもの」
「酷い……」
某妖怪の大サービスで、〇〇のアパートの前に出してもらったパチュリーと小悪魔。
しかし様子を探ろうと耳をすませてみれば、聞こえてくるのは
大好きだのずっと一緒だの可愛いだの惚れただの、糖分高めの会話ばかり。
来るやいなやこれでは、うんざりするのも無理はない。
やがて諦めたように、パチュリーが言った。
「……まあ、折角ここまで来たんだし、お茶の一杯でもいただかないとね」
「お、行きますか?」
「あなたも行くのよ……」
「ですよねー。はぁ……戦いたくないなぁ」
「莫迦。誰も戦うなんて言ってないでしょう」
「え? 今の、そういう流れでしたよね?」
「弾幕ごっこで全部解決しようとするのは、ただの愚行よ」
――――
一ヶ月後、紅魔館―――
「……あと二ヶ月。はぁ……」
咲夜の盛大な溜息。椅子に座った彼女の背中からは哀愁が漂っている。
「パチェ……あれ、なんとかならない?」
「彼女のこと? 無駄よ、ああなったら何言っても聞こえないもの」
「咲夜がここに帰ってきてから一月経つけれど、毎日あんな調子……
前と違って仕事にミスは無いようだけれど、あれじゃこっちまで滅入ってしまう……」
パチュリーが二人に示した案は、咲夜が紅魔館を離れられないなら、
〇〇が紅魔館に住めばいいじゃない!というものであった。
当然ながら、急に言われてすぐ了承できる内容でもないので、
〇〇は様々な身支度や手続きに時間が欲しいと告げた。
しかし境界を操る妖怪、八雲紫がそろそろ冬眠の時期に入ってしまうため、
結果として咲夜が先に紅魔館に戻り(当主のカリスマを即座に取り戻す為にも)、
紫の目覚める三ヶ月後に〇〇が後を追う形で紅魔館に向かうことになった。
今回の騒動で一番迷惑を被った紫に対し、それを引き起こした原因のレミリアが
相応の謝礼を用意させられたのは言うまでもない。
「……だけどね、レミィ。これからが本当の地獄よ」
「あら、何故?」
「〇〇がこっちに来たら……いえ、帰ってきたらと言うべきかしら。
とにかく、咲夜と〇〇が再会を果たした時の事を考えてみなさい」
「いいじゃない。咲夜やパチェが居れば、私だって文句は言わないわよ」
「その日から毎日のように、人目も憚らずイチャイチャする二人を見ても、同じことが言えるかしら?」
「……なん……だと……」
「ああ、考えただけでも恐ろしい。本当に「はい、あーん」とかやったりするのかしらね」
「……それが何かは分からないけど……何となく、私にとって良くないものなのは、分かる……」
レミリアは先行き不安ながらも、自分に仕える者たちが、経緯はどうあれ
幸せになってくれるというのはそう悪くないものだと思えていた。
「〇〇が帰ってきたら、少しぐらいは祝ってあげましょうか」
「へぇ……レミィがそんなこと言うなんて、明日は槍でも降るの?」
「槍なら間に合ってるわ……パチェ、私、変わったかしら?」
「ええ、とてもね。でもそれはきっと良い事よ」
「そう……変わったとしたら、きっと人間のせい。全く困ったものね……」
レミリアとパチュリーは、また溜息をついている咲夜を一瞥すると顔を見合せて、やれやれ、と呟いた。
二ヶ月後、紅魔館でまた一騒動あるのは、別の話である―――
~ FIN ~
――――
二ヶ月後、紅魔館―――
「なあ、〇〇」
「な、何でしょう」
レミリアに招かれ、お茶の時間を彼女と共に過ごす〇〇。
当主が下っ端を誘うなど前例が無く、〇〇は自分の態度が気まぐれなレミリアの機嫌を
損ねやしないかと、かなり緊張気味であった。
「……そう固くなるな。取って食べようってわけじゃない。お望みとあらば話は別だけど」
「望んでませんから」
「心配しなくても、お前は良く働くし人当たりも悪くない。人間の中では割と好きな方。5番目くらい?」
「恐縮です……」
「それで、本題だけど……とりあえず、お前達の行動は少し目に余る。
咲夜はいい従者だし、お前も知らない仲では無いから多少は目を瞑るつもりでいたけど」
「……何の事でしょう」
「分かってるでしょう? 具体的に言うと、出会い頭に見つめ合ったり、
廊下で人目も憚らず抱き合ったり、飽きもせず綺麗だとか可愛らしいとか褒めちぎったり……
咲夜も咲夜で、拒否するどころかもっと褒めてと言わんばかりのオーラを出してるし」
外面だけ装って自分の気持ちを誤魔化し続けて、耐えに耐えていた二人が、
遂にその束縛から解放された。そして結ばれたと思いきや、諸事情により
すぐに離れ離れにたってしまい、三ヶ月のインターバルを挟んで、念願の再会を果たした。
その反動からか、二人は所構わずイチャつくようになり、今や紅魔館全体が砂糖成分で汚染されつつあった。
レミリアは最初こそ自分にも責任が無いとは言えないため黙殺していたが、
流石に毎日毎日甘ったるい会話を垂れ流されては敵わない。
そこで直々に本人を呼び出して、ちょっと苦言を呈しようと思ったのだが、これが良くなかった。
「……ああ、そんなことですか。それはしょうがないです。まず、自分がふと咲夜さんの方を見ると、
向こうも何故かこちらを見ていることが多いので、自然と見つめ合う回数は増えてしまいます。
加えて、咲夜さんが俺に気付いていない時に咲夜さんの方を見ると、これも何故か分かりませんが、
咲夜さんがこっちに気付いて俺を見てくれるんですよね。それで、咲夜さんの顔を見れば
その吸い込まれそうな瞳に心が奪われてしまうのは当然ですから、見つめ合っている時間も
自然と長くなってしまうと。いや、俺にとっては全然短いくらいなんですが、色々と仕事もありますし。
次に、抱き合っていると仰られましたが、これにも理由がありまして、近くにいれば
その全てを包み込むような母性を感じさせられるが為に気がつけば抱きついているという有様で、
いやはやお恥ずかしい。とは言っても実際そうなのは半分くらいで、あとの半分は
咲夜さんから抱きついてくるんですけど。まあ結果的にお互いが抱きしめ合う形になるわけですから、
そういう過程にはあまり意味が無いですよね。お互いそうなることを望んでいるわけですから。
あと褒めちぎったって仰られましたけど、芸術作品を鑑賞して美しいと愛でることを
褒めちぎったとは言わないでしょう。過度に褒めた場合は褒めちぎったと言うかもしれませんが、
咲夜さんは実際綺麗だし、やはりお嬢様が完全で瀟洒な従者と誇るだけのことはあるのですが、
時に見せる仕草も実に可愛らしいのもまた事実。特に俺が好きなのは本当に心から笑っている時で、
俺が以前紅魔館に居た時には見れなかった笑顔が俺に向けられていると思うと光悦至極です。
そういったところも全部含めて俺は咲夜さんが好きになったわけですけど。あの、聞いてます?」
砂糖を見るのも嫌になるような惚気を聞かされて腹が立ったので、
とりあえず瓶に入った紅茶用の砂糖をまるまる〇〇のカップに注ぎ込むレミリア。
「真っ白で紅茶が見えないんですけど」
「一度、医者に見てもらった方が……いえ、もう手遅れかしら……」
「まあ、恋の病は医者には治せないでしょうし」
「……だめだこいつ……早くなんとかしないと……」
「で、何の話をしてたんでしたっけ」
「もういい……ああ、そういえば、お前の惚気話を聞いていて思い出した」
「惚気だなんてとんでもない。普段の行動にはちゃんと理由が」
「それはもういい。それで、パチュリーが言ってたんだけど……
お前達は俗に言う「はい、あーん」もやるの? 私には何のことだか分からないけれど」
「ああ、毎日やりますよ」
「毎日……何を示しているの、その名称は」
「う~ん……実際にやってみた方が早いですね。ただ相手が必要なんで、誰か呼びましょうか」
「……私でいいじゃない?」
「え……あ、いや……これ、いいのか……?」
「私がいいって言ってるんだからいいでしょ。それとも私じゃ不満?」
「いえ、そんなことは……」
「なら、さっさとしなさい」
〇〇は渋々、お茶請けに用意されていたチョコレートクッキーを一つ摘んで
レミリアの口元に運んだ。何をしているのか分からないといった様子のレミリア。
「はい、あーん……あ、口開けて下さい」
「…………!」
〇〇はクッキーを口元に運んで、口を開けろと言う。
即座にその意味を理解したレミリアは一瞬で真っ赤になった。
だが恥ずかしくはなったものの、やれと言ったのは自分だし、
ここで撤回するのも彼女のプライドが許さなかった。
「……分かっていただけたなら、もういいですよね」
「…………」
「って、なんで口開けてるんですか」
「……早くして」
「え?」
「恥ずかしいからさっさとしろって言ってるの」
――――
「なんだかんだで、もう4個食べてますよ」
「うるさい、次」
「はいはいっと」
〇〇は今までレミリアに対し畏敬や恐怖という感情しか抱けなかったが、
こうして接してみると割と普通の(?)少女のようにも思えて、しょうがないな、という感じで
自然とくだけた態度になってしまっていた。
レミリア自身も何故か悪い気はしていなかったので、それを咎めはしなかった。
「……ふむ、むぐ……なる、ほど……」
「物を食べながら話さないでください」
「ふん、この紅魔館では私がルールよ」
「そんなこと言うのなら、6個目はお預けです」
「私としたことが作法がなって無かった」
「分かっていただけて嬉しいです」
〇〇に与えられた5個目のクッキーを咀嚼しながら頷いているレミリア。
レミリアは、咲夜が〇〇と毎日のようにこれをしている理由が、なんとなく分かった。
自分ももし好意を持っている相手がこれをやってくれたら、ちょっとカリスマが危ないかもしれない、
などと考えて一人で悶えている彼女は、〇〇に奇異の目で見られていたが。
「……それより、お前の指」
レミリアがクッキーを食べる際にそれを持った〇〇の指も咥えてしまうので、
〇〇の指はクッキーの粉よりもレミリアの唾液に塗れてしまっていた。
「ああ、お気になさらず……」
そう言いつつ、自分の指を口に含む〇〇。
〇〇にとっては、クッキーの粉がついていたから思わず舐めてしまった、
くらいの感覚だったのだが、口から離れた指にはブレンドされた二人分の唾液が。
「待て、お前は何をしている」
「え、いや……特に深い意味は無いです」
「意味もなく人の唾液を味わう習慣があるのか、お前は」
「……一度、手を洗ってきます」
「まぁ、待て」
席を立つなりレミリアに呼び止められ、立った体勢のまま硬直する〇〇。
レミリアのニヤニヤした顔に、〇〇は悪意を感じずにはいられなかった。
「6個目」
「……それは、これを洗い流した後で」
「お前だけ、私の体液の味を知っているのはずるいわ」
「……嫌な予感しかしない」
「〇〇は賢いな。さぁ座れ、そしてその指を私に捧げろ」
「一応言っておきますけど、捧げるのはお茶請けの方であって、指じゃないですよ」
「どっちも頂くから関係ないわ。ほら、早く」
「分かりました、分かりましたよ……はい、あーん……」
「あー……」
その時、この空気に不釣り合いな、カシャン、という何かが割れる音が響いた。
二人が扉の方を見ると、茫然と立ち尽くす咲夜。その足元には割れたカップ、赤い絨毯に染み込む紅茶。
レミリアは咲夜にあらかじめ、ある程度時間が経ったら無くなった紅茶を足しに来い、と告げていたのだが、
行為に夢中になり過ぎた所為か、それはとうに記憶から消え去っていた。無論、最初に咲夜に淹れられた
紅茶もほとんど減っていない(〇〇の紅茶は砂糖の山に覆い尽くされていて、既に飲むことは叶わないが)。
「さ、咲夜さん……いつから……」
「……咲夜……これは、その……」
「…………どうして……二人が……」
――――
紅魔館に咲夜が戻った時の話
「あ、咲夜さん……お帰りなさい」
「ただいま美鈴。お嬢様は?」
「自室に君臨する皇帝となっておられます」
「……なるほど」
「それにしても、戻ってきてくれるとは思いませんでした。
私、てっきり咲夜さんは〇〇さんと一緒になって、戻ってこないものだと」
「実際、お嬢様に嫌われて、もう戻れないものだと思っていたわ……
ところが、お優しいお嬢様は私のような人間風情がいなくなってしまっただけでも
悲しんで下さった。勿論、あの非礼を詫びて許して貰えるとは思っていないけれど……」
「許していただけますよ。というか多分、逆になると思います」
「……それに、パチュリー様にも申し訳ないし。パチュリー様が私の元を訪れた時の気持ちは、
以前私がパチュリー様に戻ってくださるように懇願した時のものと、同じだったかもしれないし……」
「恩を仇で返すようなことは、したくないですよね」
「お嬢様に関しては、完全に仇で返した形になるけどね……」
「それを言っちゃあおしまいです……」
――――
「ねーねー、咲夜」
「何でしょう、妹様」
「この間さ、〇〇とキスしてたよね」
「……見ておられたのですか。ですがこの間と申されましても、
それは日課ですので、いつ頃の事を示しておられるのか」
「ああ、そう……まあそれはいいの。それより、キスって美味しいの?」
「……美味しいですよ」
「魚のキスとどっちが美味しい?」
「そういう知識はどこで覚えてくるんですか?」
「ね、どっち?」
「……9:1くらいで、彼とのキスの方が美味しいです」
「ふーん。そんなに美味しいなら私も」
「駄目です」
「……どうして?」
「駄目なものは駄目です。人間が彼とキスすればかなりの活力回復になるのですが、
吸血鬼がキスするとたちまち猛毒に侵されて死んでしまうのです」
「あ、それ知ってるよ。和尚さんと水飴の話だ」
「だからどこで覚えてくるんですか?」
「むー、独り占めするなんてずるいよ……あ、でもその話だと一休さんは結局食べちゃうんだよね」
「そうですね……って」
「ちょっと〇〇のところまで行ってくるね!」
「だから駄目ですって!」
――――
「唾液を交換だなんて、不潔」
「咲夜さん、機嫌直して下さいよ……」
「私だって、そんなことしてないのに……」
「……じゃあ、しますか?」
「……そ、そんなこと言っても、懐柔されないわよ」
「咲夜さんとなら、違う交換の仕方がありますけど」
「え?」
「間接じゃなくて、直接……」
「え、ちょ、んっ」
(省略されました・・全てを読むにはあなたの妄想をスレにぶちまけて下さい)
うpろだ1342、1346、1359
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最終更新:2010年05月16日 00:31