雄大に広がる大海原を見つめる人影が砂浜に一つ佇んでいた。
名前は○○、彼は元々幻想郷に住んでいた青年である。
彼には子供の頃から夢があった。
いつか外の世界へ行ってこの目で海を見るというものである。。
その夢は今彼の目の前で叶っている。
ただ一つ予定と違う所はその海は地上の海ではないという所だ。
そう今彼は月の都にいる。なぜこんな所に居るのかと言うと話せば長くなる。
確かあの時は満月の夜だった、彼は友人とともに宴会からの帰宅途中だった。
お互いに相当酔っており、夢か現かも分からないような状態だった。
そんな、二人だがどういうわけか水面の月を取ってみようなどという話になり、○○が湖に躍り出ると誤って落ちてしまったのだ。
今思い出しても何故あんなバカな真似をしようとしたんだろうと考える。
しかもどういう訳かこの月の都に運よく流れ着き、こうして夢見た海を見れるのだ。塞翁が馬とはこのことだろう。
「○○、またこんな所にいたの。」
不意に後ろから呼びかけられ顔を向ける。
「ああ、これは綿月様。おはようございます。」
○○は微笑みながら声の主に挨拶をする。
「その”綿月様”はやめてと言ったでしょう。お姉さまと紛らわしいでしょう。私のことは”依姫”と呼んでと言っているでしょう。」
「はは、すみません。でも何だかこう僕とは品が違うと言うかオーラが違うというか。」
「あら、貴方には私が普段そんな偉そうに見えているのかしら?」
「いえ、そういうわけじゃ・・・。」
困ったよう笑いながら、それに応じて彼女も微笑む。
――――綿月依姫、この月で初めて知己になった人物である。
月の中で一番自分のことを気にかけてくれる人であり、それに加え丹精な顔立ちと、凛とした雰囲気を持つ女性で、
自分は一生関わることの無いような美人である。
そんな女性と一緒にいれて男として嬉しくないわけがない。
今日もいつと同じようにこの砂浜で彼女と何気ない話を楽しむはずであった。
「○○は本当に海が好きなのね、地上は7割も海に覆われているというのに。今更珍しいものでもないでしょう。」
「いえ、幻想郷には海がありませんでしたし、それにもう一生見れないものかも知れませんから、
地上に帰る前にできるだけこの目に焼き付けておきたいんです。」
「地上に・・帰る・・・?」
どういう訳か依姫はその一言に食いついた。
そして○○の肩を掴み、目を見開いてこちらを睨みつけてくる。その表情はさながら信じられないとでも言いたげだった。
「○○・・。地上に帰るって、・・・ねぇ? どうしてそんなこと言うの?ここが不満なの?ここなら妖怪に襲われる心配もないし不浄な地上の民関わることも無いのよ。」
「・・・よ・・依姫様。イタイです。」
その声を聞き依姫はハッとして手を離す。
「ごめんなさい。○○、あなたが変なこと言うものだからつい・・」
「いえ、僕の方こそなんだかすみません。」
自分でも何について謝っているのか分からなかったが、彼女のいつもとは異なる雰囲気に押されつい謝ってしまう。
今思えばこの時に気づいておけばよかったのかもしれない。
彼女の内に秘める純粋でしかしドロドロとした情愛と執着の念を・・・。
――――数日後
「―――○○。 ○○―――! 何処にいるの―――?」
私、綿月依姫は今ある人物をさがしている。この間、月に迷い込んできた○○という青年だ。。
最初は単なる月の民として、彼に不穏な動きが無いか監視するために近づいた(あの巫女の前例もあるし)
でも話をする内、私は彼の純粋な心に引かれていった。今では彼と話をすることが、私の至福の時間となっている。
今日もあの砂浜で二人だけの時間を過ごそうと思ったのに、どういう訳か彼がいない・・・。
私の中に漠然とした不安が生まれる。
焦燥感を胸に抱く私の前にお姉さまが通りかかる。丁度いいお姉さまなら彼の居場所を知っているかも知れない。
「お姉さま、○○を見ませんでしたか?今朝から姿が見えないんです。」
「っ!!・・・・・。」
お姉さまは暗い表情をした後、一間を置き口を開く。
「・・・彼は帰ったわ。」
―――――――え?
お姉さま、今なんと?
「彼なら地上に帰ったわ。これ以上穢れた地上の民を月の都に住まわす訳にはいかないもの。」
「そんな!!私は聞いていません。それに彼は納得したんですか!?」
普段の彼女からは想像できない剣幕で姉である豊姫に迫る。
「彼は納得してくれたはわ、それにこのことをあなたに黙っていてくれと言ったのは彼からなのよ。」
「!!」
その言葉に依姫は愕然とする。
「・・・そんな、嘘・・・。彼が私に黙って・・。」
嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ
それじゃまるで彼が・・・。
「彼があなたから逃げたみたいね・・・。」
姉妹故だからだろうか、豊姫は依姫の思ったことをズバリと言い当てる。
否定したい現実を突きつけられた依姫の心はすぐさま絶望の色へと変わる。
「分かった?依姫。あなたは彼に思いを寄せていたようだけど、地上の民と私達では超えられない隔たりがあるのよ。」
姉はただそう言い放つとその場を後にした。
残された依姫は魂の抜けたようにだった。その瞳には光がなくただ呆然と虚空を見つめていた。
今の彼女はなにも考えられなかった。心は取り返しようの無い喪失感に支配されていた。
半刻たったのちようやく彼女の口が開く。
「・・・るさない。絶対に許さない。」
口から紡がれる呪詛の響き、○○への愛憎の炎で心を満たし依姫は狂気を瞳に宿らせるのであった。
―――――幻想郷
月の都から帰ってきて一月ほど、今宵は満月の夜である。
○○はそれを見て一月前のことを思い出す。今頃彼女は元気にしているだろうか。
やはり最後になにか挨拶でもして帰ってきたほうがよかったのではなかろうか。
今となってはそれが悔やまれる。
しかし、仕方なかった。もし彼女が見送っていたならお互いに別れが辛くなるだけだろうから。
しかし本当に今夜の月はキレイだ。あそこで彼女は今も生きているのだろう。
「はぁ・・。依姫様、できるならもう一度だけ彼女に会いたいな。」
「呼んだかしら、○○」
まったく気配なく自身の背後から帰ってくる返事に○○は心臓が飛び出るほどびっくりした。
「よ、よよよ依姫様!?」
叶わぬと思って口にした言葉がいとも簡単に叶ってしまい少々動揺する。
「フフ、○○ったらそんなに驚いて。かわいいわね。」
「いや、それよりどうしてここに?」
それを聞いた瞬間、依姫の目から光が消えうせる。
「どうして? どうしては私の台詞よ。ねぇ○○なんで私の前から急に居なくなったの?」
お互いに息が当たるほど近くまで依姫は○○に近づく。
「・・・あっ、・・・それは、そのっ。」
○○は異様な依姫の雰囲気に押されうまく言葉が紡げない。
「・・・・・そっか、やっぱり言えない様な理由なのね。」
一人納得した様にすると、一旦○○から離れる。
「○○、私はね、貴方が居なくなってとても寂しかったのよ。それはもう五体が引き裂かれたかの様な気持ちだった、
もうあんな思いはしたくない。だから○○、私は今日お姉さまにお願いして地上に送り出してもらったのよ。
あなたを地上の世界から取り戻すために。・・・でもね、」
ザシュ!、次の瞬間彼女の腕から一振りの剣閃が放たれる。
「私を裏切った罪は償ってもらうから。」
勢いよく血液が噴出し、彼の大腿部を両断する。
「ぎゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!」
○○はすぐさまバランスが取れなくなりその場に転げ回る。
帰り血を浴びた依姫は顔についた血を指で拭いそれを舐める。
その顔は恍惚の表情をしていた。
「んふふ・・。○○、痛い?痛いわよねぇ?でも私はもっと痛かったのよ。こんなものじゃまだまだ足りないくらい。」
這いずって逃げようとする○○を彼女は執拗に切り刻む
もはや悲鳴も上げられないほどの傷を受けだんだんと意識が遠くなる。
親しかった知人からいきなり足を切りつけられ、謂れの無い罪を凶弾される、
○○はなにがどういうことかわからいなかった。
『・・俺は死ぬのか?・・・・・・でもこの苦しみが終わるのなら死んだほうがマシかもしれない。』
「だめよ。簡単には死なせない。伊邪那岐命よ万物を生みたるその力で彼の者に新しい命を!!」
そうすると○○の体の傷はみるみる内に治っていく。
「私が○○のことを殺すわけないじゃない。」
しかしその言葉を聞いても彼の顔には絶望と恐怖の表情しか浮かばない。
「あぁ・・・。○○恐怖で歪んだあなたの顔も素敵よ、でも心配しないでお仕置きはこれでお終い。」
○○の頬に手をやる依姫の表情は先ほど打って変わりさながら聖母の様である。
しかし彼の恐怖は一向に拭えない、なぜなら彼女の後ろに見えるどす黒い感情は消えていないのだから。
「でもね、あなたのことを私は絶対に許さない。なにより許せないのは貴方のような地上の民に惚けていた自分自身。
貴方を月に縛り付けておかなかった自分自身なのよ。」
そう言うと彼女は怯える○○を抱き寄せ、その耳元で囁きかける。
「だからね、今度は絶対に貴方を放さない。永遠に放してあげないんだから・・。」
○○を抱擁する依姫の顔はとても穏やかであった、
愛するこの人を手に入れた彼女の心は未だかつて無いほどの幸福感に包まれていたからだ。
この日を境に人里から一人の青年が消えてしまった。
奇しくもそれは前回彼が消えた時と同じ満月の夜であった。
今もなお、彼が今何処で何をしているのか知る者はいない。
最終更新:2011年09月07日 21:16