地下妄の手記

東京高速鐵道略史の略史 その5

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東京高速鐵道略史の略史 その5



 秋庭さんの、「帝都東京・隠された地下網の秘密」(洋泉社版)77頁末から78頁にかけての部分、

     『丸ノ内線建設史』では、戦前、大倉組(大成建設の前身)は東京高速鉄道という地下鉄の
   会社を興し、その会社はいまの銀座線の渋谷―新橋間を建設した。また、同社は新宿と築地を
   結ぶ地下鉄新宿線の免許も持っていて、これも建設される予定だったとしている。
     一九三八年(昭和十三)にまとめられた『東京高速鉄道略史』では、地下鉄新宿線全線の建
   設費三六〇万円はすでに投じたとあり、一年もしないうちに新宿線が開通しそうな口ぶりになって
   いる。
     また、ここには新宿線のルートも記されていて、それがいまの首都高新宿線のルートに重なっ
   ている。

の最後の一行

     また、ここには新宿線のルートも記されていて、それがいまの首都高新宿線のルートに重なっ
   ている。

 具体的にどう重なっているのか?どうやら首都高新宿線のルートと重なる「東京高速鐵道新宿線」のルートとは、

「帝都東京・隠された地下網の秘密」(洋泉社刊)の175頁

     ここで 『東京高速鉄道略史』から連絡線のコースについて

で、説明されている、この記述のことのようです。

     四谷見附を出た線路は直ちに右折し濠の中を通り土手の老松を枯らし
    たり又は風致を損したりせぬ様水面には地下鉄の姿は現さずまったく水
    の下を潜り弁慶橋のたもとで初めて道路下に出て渋谷線と同じく線路を
    削りて上下二段に重ね赤坂見附停車車場で渋谷線と合体するのである。

 他に、「略史」の「連絡線」や「新宿線」の記述が「帝都東京・隠された地下網の秘密」にはありませんから、どうも、
78頁に言う「東京高速鐵道新宿線」のルートは、175頁で「連絡線」のルートに飛び移っているようです。

      (wikiのここに 噴飯物の、編集者のチョンボと秋庭さんの支離滅裂な言説を挙げております。乞御高評)

 何故そう言うかと言いますと、上記の部分以外の「略史」における新宿線に関する記述は「首都高新宿線のルートに重な」らないからです。

 上記の部分は前回示しました様に、、「略史」の「線路の大要」と言うところ、それこそ渋谷―新橋間のルートの説明が行われているところの最後に、赤坂見附の配線と駅構造の説明するために、未設線四谷見付―赤坂見附連絡線の将来が書かれているのです。

 一方、東京高速鐵道「新宿線」のルートは「略史」では「一、未設連絡線(新宿線)」と特に別項が設けられております。
 秋庭さんは、出来てる出来てる、「略史」に書かれている、と仰いますが、「略史」にあるのは「360万円使いました(使ってる最中です)」と言う記述だけです。
 同じ「略史」自身が「一、未設連絡線(新宿線)」と、出来てませんと明確に書いているのに、何故、そこを取り上げられないのか?

 まぁ、多分、「新宿線」の四谷見附―新宿間がちっとも「首都高新宿線のルートに重な」らないからだとは思いますが。
 では、「略史」の「一、未設連絡線(新宿線)」全文を御覧ください。

     略史16頁
        一、未設連絡線(新宿線)
         今回東京地下鐵と直通を見たる。赤坂見附停車場と四谷見附を結ぶ
        連絡線は昨年六月十四日鐵道大臣より夫々工事施行認可を得たので、
        目下鐵鋼工作物の築造許可を申請中である、猶豫定線として四谷見附
        より新宿苑前を經て、新宿驛前に達し省線と連絡する線がある、これ
        が開通の運びに至つた場合は小田急電車、京王電車.西武電車、関東
        バス、甲州街道バス等の連絡があり、ビヂネスセンターむ結ぷ最適の
        ものであらう、此高速第二期工事の新宿線を概記すれば、
         省線裏に驛前の専賣局跡に都市計畫の西に大廣場が建設せられるか
        ら此計畫に順應し廣場地下に高速の新宿停留場を設け省線との連絡を
        よくし將來延長せらるゝ小田急西武地下線とも此の廣場下で地下通路
        により便利に連絡し得る様豫め考慮計畫してゐる、又省線東口驛前と
        は現在ある省線下の横斷歩道と別に高速連絡と重ねて都市計畫で東西
        兩廣場連絡の横斷歩道を新設せらるゝ計畫だから新宿通りと高速新宿
        驛との聯絡も便利になる。
         高速鐵道は新宿裏口の新設廣場地下に新宿驛を設け直に省線下を成
        るべぐ淺く横斷して新宿通の地下を東進し追分の交叉點に停留場を設
        置する、この追分停留場は新宿盛場に集まる民衆には最も便利なる停
        留場になるから十字路の四方と京王電車停車場の廣場との五ケ所に出
        入口を設け之等を地下中二階で連絡するから高速の乗客の昇降には勿
        論京王の乗客も亦一般の徒歩者にも地下横斷が自由に出来追分附近の
        交通は大に整理せられ便利になることゝ思ふ、若し更に地下中二階を
        延長し伊勢丹、三越等のテパートにも連絡出來得れば猶一層地下通路
        は繁昌することゝ思ふ。
         次の停留場は新宿御苑前と鹽町とである。四谷見附では別項の如く
        省線四谷驛の地下に停留場を作り、省線との連絡は至極便利となる。

  簡単に言うと、四谷見附(省線地下)から鹽町(四谷塩町、現丸ノ内線四谷三丁目駅付近)、新宿御苑前(現新宿御苑前駅、秋葉神社―笑―付近)をへて、追 分(現新宿三丁目より東、三丁目交差点直下付近)、そして大ガード下を潜って、新宿西口に至るルートになりますので、東京高速鐵道の「新宿線」と「首都高 新宿線のルート」は重なりません。

 秋庭さん、この「一、未設連絡線(新宿線)」の行を「帝都東京・隠された地下網の秘密」(洋泉社刊) でお使いにならずに、「帝都東京・地下の謎86」 (洋泉社2005年刊)の「83◆戦前の新宿地下計画(2)」新宿西口の行まで、出し惜しみされました、何故なんでしょうね(笑

 その「83◆戦前の新宿地下計画(2)」にはこうお書きになってます。

       新宿地下計画の詳細図が左にある。「広場」のなかの計画である。いま、地下駐車場が広がっ
     ているあたりに、東京高速鉄道、西武高速鉄道という二つの地下鉄が並んでいる。東京高速鉄道
     というのは、東急の創始者・五島慶太が率いていた地下鉄会社で、当時、地下鉄新宿線の認可を
     持っていた。だが、西武高速鉄道というものは、表の歴史には出てきたことがないと思う。もち
     ろん、西武鉄道はいまも健在だが、高速という言葉は、戦前は地下鉄のことを指していた。営団
     地下鉄の正式名称が帝都高速度交通営団だったことからもわかると思う。ただ、戦前に走ってい
     た地下鉄はいまの銀座線だけで、西武が地下鉄を走らせていたという話はなかったはずである。
       とはいえ、私は、左の計画図は信頼できないとは思っていない。一九三七(昭和十二)年に発
     行された『東京高速鉄道略史』には、新宿駅について次のようにある。

        省線裏に駅前の専売局跡に都市計画の西に大広場が建設せられるから此計画に順応し広場
        地下に高速の新宿停車場を設け省線との連絡をよくし将来延長せらるる小田急西武地下線と
        も此の広場下で地下通路により便利に連絡し得るよう予め考慮計画している。

       「西武地下線」という言葉がここにある。この説明は前ページの計画図にも一致している。さら
     に同書から。

        高速鉄道は新宿裏口の新設広場地下に新宿駅を設け直に省線下を成るべく浅く横断して新宿
        通の地下を東進し追分(新宿三丁旦の交叉路に停留場を設置する。この追分停留場は新宿盛
        場に集まる民衆には最も便利なる停留場になるから十字路の四方と京王電車停車場の広場と
        の五ケ所に入口を設け之等を地下中二階で連絡するから高速の乗客の昇降には勿論京王の
        乗客もまた一般の徒歩者にも地下横断が自由に出来追分附近の交通は大に整理され便利に
                 なることと思う。

      戦前、地下鉄新宿線はまったく建設されず、戦後、営団地下鉄が一から丸ノ内線を敷設したとされ
    ているが、岸首相がテープカットした場所は、この追分停留場ではなかったのか。

   上記「新宿地下計画の詳細図」、つまり越沢先生の「東京の都市計画」から盗んで来た図、貼り付けましょうか、巷間のお話では、越沢先生は著作物の権利 関係には極めて厳格な方と承っておりますが、この「越沢所蔵」となっている図版について秋庭先生には何かの働きかけは有ったんでしょうか?
   「新説 東京地下要塞」(講談社2006年刊)では下記のごとく、秋庭式「内務省図」なるものをお使いだから、何等かの働きかけがあったのかもしれません ね。なお、「一九三七(昭和十二)年に発行された『東京高速鉄道略史』には、」は秋庭さんの原文の侭ですので誤解のなきよう。

新説 東京地下要塞の160頁に

      同社は渋谷線四マイルに二千万円、新宿線二マイル半に三百六十万円、合計二千三百六十
     万円を支弁した。これが建設費は払込金一千五百万と借入金をもって支弁した。

      五島もこうして「地下鉄新宿線」の建設に金を注ぎ込んだが、地下鉄はまったく建設されなか
     ったという。
      当時、新宿駅西口には地下鉄のターミナルが建設されていた。左上の地図では「市電地下鉄」
     と「西武地下鉄」が完成している。この二つのトンネルを縫うようにつなげると、戦後に建設さ
     れた丸ノ内線のルートに一致しないだろうか。「市電地下鉄」を延長した先の点線は、いわずも
     がなだが、大江戸線である。

と「内務省図」としてこんな図を挙げておられます




 が、この地図は「内務省図」ではなくて、昭和10年東京地形社刊大東京35区図の淀橋区の図であることは、以前にも2ちゃんねるで説明したとおりです。
  ご覧の通り、淀橋浄水場の沈殿池などにアミ汚れがありますが、これはいつもの様に、カラーの元版を秋庭さんが「地下妄」用に墨ベタで複写されているため で、これもこの図が「内務省図」ではなく、東京地形社刊の大東京35区図だと言う憑拠の一つです。この後に示すように地形社の地図は色刷りだからです。
 敢えてこれが、曲がりなりにも、秋庭さんの言う「内務省図」であるためには、昭和15年以降東京地形社が、内務省肝いりの日本統制地図の主唱企業になった以降に刊行された地図ならば、の話かと思います。
 上記「新説 東京地下要塞」の、「内務省図」にはいつ刊行されたものかの記述はありません。巻末の参考文献【地図資料】には『大東京全図』(1941内 務省)と言うのがありますが、これは99頁の「内務省41 芝区 高輪台」の事を示していると思われます。すなわち昭和16年版の地形社=日本統制地図の 大東京35区区分図ですね。東京礼文社が復刻したものから秋庭さんが盗んできたものです。

 さて、ここに東京地形社が昭和12年に大東京35区図の淀橋区の図として刊行したものがあります。



 上記秋庭さん通称の「内務省図」より2年の後の淀橋区新宿駅周辺の図です。

 上記地図で秋庭さんが、完成されたとする「市電地下鉄」と「西武地下鉄」が無くなっています。政府(内務省)が改描して隠したんでしょうか?

 この昭和12年東京地形社刊淀橋区図の右下にはこんな図が描かれています。




 つまり、昭和12年において計画線なんです。当然ですね、東京高速鉄道が渋谷線(渋谷―新橋間)着工が昭和10年、完成が昭和14年。
 そして、「市電地下鉄」ではなく、「市電」・「地下鉄」。
 念のために申し上げれば、西武高速鉄道とあるのは、西武鉄道(旧)が1927年4月に免許を得た、新宿角筈―立川の立川線のことです。上図でも、右上端に、「川立至」、「線下地リヨ内區野中」と書かれていますね。

       「西武高速鉄道というものは、表の歴史には出てきたことがないと思う。」

 どころか、立派な免許された未成線なのです。

  いつもの事ですが、同一の資料の中で、この記述は都合良く使えるから盗用(「略史」は著作権切れているので盗用とは言い難いとお思いかもしれませんが、資 料から嘘を紡ぎ出す様な記述は盗用でしょう。)するが、この記述は不都合な反証なので提示しないと言う様な取捨選択、これは、元資料の希少性から検証が容 易では無いことを利用しての、でっち上であり、検証者に複数資料があるかもしれないという懸念を誘うように出典元を改竄して証跡の追及を難しくさせると言 う、いずれも当該資料に書かれていることの真実性を検証することを著しく困難にさせる、言論者として何事かを提起、提示しようとする輩としては極めて卑 怯、卑劣な行為です。

 さて、秋庭さんのこの新宿に関わるハチャメチャは、

  新説 東京地下要塞 の 「虚言の極北 「新宿・都営軌道」 (((((-_-;)ヒエェー」に続きます。

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