基本情報
略歴
アル国四天王の一人で、その破壊力は国内最強と言われた猛将。
蜉蝣時代到来前から既に交戦状態であった
ロッド国との国境に駐屯し、何度も戦火を交え、特に
ギザイアとの戦いは、この地域の民に「知謀はギザイア、力はザグルス」とうたわれるほどの激戦であった。
691年、
アル国の南方を強奪し、
ベルザフィリス国を建国した
ディアルが病死したと知ると、直ちに国主
ルドリアは南征を計画、ザグルスもそれに賛同し軍勢を率いるが、国主
ルドリアは伏兵の攻撃を受けて戦死する。(
ルドリアの南征)。
多くの将が右往左往する中、ザグルスの野心は一気に膨れ上がり、他部隊を置き去りにして急ぎ本国へ帰還すると、
ルドリア一族を皆殺しにして自ら国主の座につく。
ベルザフィリス国の追撃から本隊を守ってようやく帰還した四天王の
フェルド、
メネシスは、ザグルスの横暴に抗議するが、逆にその場でザグルスに惨殺された。
暴君で名高い
ルドリアの死に、最初民衆は歓喜の声を上げるが、ザグルスは
ルドリアをも上回る暴君で、すぐに民衆は恐怖に震え始めた。
その後、
ベルザフィリス国を最大の敵として戦い、
ルーディア包囲網にも参加、宿敵
ルーディアと幾度となく戦う。
フィッツ、
フェザリアードといった名将を揃え、包囲網と言う最大の強みを持ちながら、奸臣を好み忠臣を遠ざけ、有利な条件を活かす事ができずに徐々に勢力図は逆転していく。
既に両国の戦力差は決定的となるが、最後の逆転を賭けて
ル・ヴァラヴァ・ザードの戦い(697)に自ら出陣する。しかし、すでに将も兵も士気は消え失せ、この戦いで完敗を喫すると、自ら
ルーディア本陣へ特攻をかけ全身に矢を受けて戦死した。
アル国は、ザグルスの二人の子供が国主の座を継ぎ、すぐさま
ベルザフィリス国へ降伏することとなる。
人物
- ベルザフィリス国が天下をとったため、敵対したアル国を必要以上に貶める為に「暴君像」が脚色されたのではないかと考えられていた時期もあるが、アル国側の資料からも、次々と常軌を逸した彼の行った処遇が発見された為、彼の暴君は真実であったと再認識された。
- 私財を蓄えるために富豪に冤罪をかけ、一族全てを処刑したり、自分に歯向かった者に対しては徹底的に懲罰を与えたが、より残虐な処刑方法を提案した者に褒賞を出すという処刑コンテストを開いたというエピソードまである。
- 幸いな事に、彼の息子と娘にその性格は受け継がれず、二人は国主の座を継ぐと、すぐさま自らルーディアの元に駆け込み降伏を申し込み、従順の意を示した。
関連項目
最終更新:2014年02月06日 02:34