ルーブル宮殿


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暗殺される王アンリ3世

王アンリ3世…フランスの国王 (1551-暗殺:1589、在位:1574-1589)
若い頃はプロテスタントにかぶれて今はカトリック。1570年イングランド女王エリザベス1世との結婚を検討するが宗教観の違いで実現ならず。同性愛者(?)で子供ナシ。とにかく ユグノー戦争 (1562–1598年)を終わらせて安定王政にしたかったけど 三アンリの戦い (1587-1589年)も始まって泥沼状態。ドミニコ会修道士 ジャック・クレマン が暗殺。

+ 王アンリ3世をとりまく状況
同性愛者で王位継承者(子供)ナシ

王アンリ3世はコンデ公 アンリ1世 の妻 マリー・ド・クレーヴ に夢中。1574年略奪婚まで考えた人妻マリーが死亡します。
ってことで、1575年2月15日人妻マリーに似た ルイーズ・ド・ロレーヌ と結婚。
2人はとっても仲良しだけど王位継承者(子供)ナシ。王妃ルイーズは1576年春に流産したことがあるっぽいです。
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Ulysse Besnard画「Henri III et ses mignons」(19世紀)

王アンリ3世はお気に入りの寵臣 ミニョン たちと激しく楽しんでます。ミニョンが宮廷や政治に悪影響を起こしたっぽい。
王様は悪魔のような悪癖 同性愛者 のアホアホ。
このウワサはカトリック連盟とユグノーが「フランスで王アンリ3世の評判を貶めてやるぜ!」と流したって説があります。

フランスもやってます!カトリックvsプロテスタント(1562-1598年:ユグノー戦争)

ユグノー戦争は1562年 ヴァシーの虐殺 をキッカケに始まったカトリックとプロテスタントの戦争です。
裏ではスペインとイングランドも応援。
戦っては協定、戦っては協定、…を繰り返す泥沼内戦。F&B時代は第8ラウンド 三アンリの戦い の真っ最中です。
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カトリック連盟 (カトリック) ギーズ公 アンリ1世 スペイン王フェリペ2世が支援
ユグノー (プロテスタント) ナバラ王 エンリケ3世 イングランド女王エリザベス1世が支援

俺が王だ!アンリ3人で奪い合い(1587-1589年:三アンリの戦い)

三アンリの戦いはナバラ王vsギーズ公の王位をめぐる戦いです。1584年王位継承者1号アンジュー公が死亡。
ってことで、王位継承者2号ナバラ王が王位継承権をゲト。
猛反対のギーズ公は「 王ルイ9世 の子孫ルーアン大司教 シャルル1世 こそが正統な王位継承者だー!」と主張します。
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三アンリの戦い(灰色:F&B時代以外)

暗殺の順番 ①1588年 王アンリ3世が自分を操ろうとするギーズ公を暗殺。
これによりローマ教皇は王アンリ3世を破門。王政支持の高等法院も「王様失格!」と宣言。
②1589年 狂信的なカトリック教徒が王アンリ3世を暗殺。
誰もいなくなってナバラがフランス王アンリ4世に即位。
③1610年 狂信的なカトリック教徒がナバラ王を暗殺。

カトリックvsプロテスタントもこれで決着?(1598年:ナントの勅令)

フランス王になったナバラ王はカトリックに改宗。1598年個人の信仰の自由を認める「ナントの勅令」を発布します。
やっとユグノー戦争が終了。
でもフランスのカトリックvsプロテスタントはまだまだ続いちゃいます。
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Protestant Churches in France (Late 16c)

ところでナバラ王ってどこの国の王様?

ナバラ王は ピレネー山脈 の北側にある小さな独立君主国「ナバラ王国( バス=ナヴァール )」の王様です。
ナバラ王エンリケ3世がフランス王に即位しても国は別々。
1620年 王ルイ13世 (王アンリ4世の息子)がフランスに併合します。
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ピレネー山脈の南側は1512年スペインがゲト( Spanish conquest of Iberian Navarre )。 ナバラ副王 が統治します。
日本に来たイエズス会の宣教師 フランシスコ・ザビエル もここの出身。
1841年 ナバラ地方 は一部の特権を認めてもらって自治を放棄(the Ley Paccionada)。スペインに併合します。



王アンリ3世の家族


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弟アンジュー公フランソワ(私の可愛いカエルさん)と母カトリーヌ・ド・メディシス

アンジュー公フランソワ…王アンリ3世の弟 (1555-熱病:1584)

+ 歴史では
1574年 王シャルル9世 が死亡して 王アンリ3世 が即位。アンジュー公(この頃は アランソン公 )は王位継承者になります。
王アンリ3世とは不仲。
宮廷を飛び出してユグノーに合流。1576年5月王アンリ3世に「 王弟殿下の和議 」を合意させてアンジュー公になります。

イングランド女王エリザベス1世との結婚交渉

1579年女王エリザベス1世(46歳)とアンジュー公(24歳)の結婚交渉が始まります。手を結んでスペインを牽制するの。
2人はあっという間に仲良し。
女王エリザベス1世が付けたあだ名「カエル」はアンジュー公がカエルのイヤリングをプレゼントしたからって言われてます。

イングランドで2人の結婚に大賛成したのはバーリー男爵 ウィリアム・セシル たち少数。皆さん大反対します。
hearts [of the English people] will be galled when they shall see you take to husband a Frenchman, and a Papist ... the very common people well know this: that he is the son of the Jezebel of our age.
女王がフランス人でカトリック教徒の夫を迎えたら人々の心臓は爆発するでしょう...彼が現代の「 イゼベル の息子」だと皆知ってます。
年齢的に女王エリザベス1世の王位継承者(子供)はムリ。
もし女王エリザベス1世が死亡したらイングランドがフランス配下(アンジュー公は未来のフランス王)になる危険アリです。

William Faithorne 画「Queen Elizabeth I; Sir Francis Walsingham; William Cecil, 1st Baron Burghley」(1655年:イングランド)

1581年中頃、秘書官長 フランシス・ウォルシンガム がフランスへ結婚交渉に行きます。ちなみに秘書官長ウォルシンガムは結婚に大反対。
秘書官長「女王は英仏同盟を望んでます。同盟したらアンジュー公と婚約します」
フランス「アンジュー公との婚約が先です。げへへ」
ってことで、交渉決裂。イングランドへ帰国した秘書官長ウォルシンガムはますます結婚に超ウルトラ大反対しちゃいます。

1581年女王エリザベス1世は周囲の超ウルトラ大反対に負けてアンジュー公との結婚を諦めます。
でもスペインを牽制するためにゲーム(結婚交渉のフリ)は続行。
女王エリザベス1世が綴った「 On Monsieur's Departure 」はお別れの詩。本当にアンジュー公を好きだったっぽいです。

ネーデルラント連邦共和国との同盟

1579年スペインと戦争中の ネーデルラント連邦共和国 はアンジュー公をご招待します(1568–1648年: 八十年戦争 )。
リーダのオラニエ公 ウィレム1世 が「女王エリザベス1世の未来の夫アンジュー公と手を結ぼう」と考えたの。
1580年アンジュー公に「ネーデルラントの自由の擁護者≒王様」の称号をあげちゃいます( Treaty of Plessis-les-Tours )。

作者不明「Queen Elizabeth I Feeds the Dutch Cow」(1585年頃)

1582年女王エリザベス1世にフラレたアンジュー公は軍を率いてネーデルラント連邦共和国へ行きます。
リーダのオラニエ公は「ネーデルラント総督パルマ公 アレッサンドロ・ファルネーゼ (スペイン)を牽制できる」と大歓迎。
でも皆さんは「カトリック教徒のフランス人は敵じゃん」とアンジュー公を拒否します。

ネーデルラント連邦共和国で暴走して自滅

ネーデルラント連邦共和国の王様になったアンジュー公は大した権力も貰えず不満タラタラです。
そうだ!スペインに占領された アントワープ (1576年: Sack of Antwerp )を力ずくで支配したら皆さん僕を尊敬するはず!
1583年1月18日アントワープで市民にフルボッコされて命からがら逃げます( French Fury )。

アンジュー公の人気は更に激減。女王エリザベス1世にも「アホアホとの結婚交渉は終了ぢゃ」と公式発表されちゃいます。
居場所が無くなって6月ネーデルラント連邦共和国を出国。
そして マラリア を発病。1584年2月王アンリ3世に許されてパリに帰国したけど6月死亡します。


カトリーヌ・ド・メディシス…王アンリ3世やアンジュー公フランソワの母親 (1519-1589) フィレンツェ出身
カトリックvsユグノーの激動の中で、次々と君臨する息子たちを守ろうと努力した女性。占星術師ノストラダムスを重用。イタリアからフォークを持参してフランス人に食事作法(それまで食事は手づかみ)を教え、料理人や菓子職人を持参して宮廷のフランス料理を改革。マカロンなどのフランス菓子も彼女のおかげ。
王妃ロレーヌ公女(ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモン)…王アンリ3世の妻 (1553-1601)


三アンリの戦い


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暗殺されるギーズ公アンリ1世

ギーズ公アンリ1世…カトリック同盟の代表 (1550-暗殺:1588)
ギーズ家は代々カトリックの中心的存在で一族はフランスの広大な地域を支配。王室での実力絶大&国民の人気も絶大。王アンリ3世のボディガード 45人の親衛隊 が暗殺。

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暗殺されるナヴァール王アンリ・ド・ブルボン

ナヴァール王アンリ・ド・ブルボン(ナバラ王エンリケ3世)…ユグノー同盟の代表、王アンリ3世の親戚 (1553-暗殺:1610、在位1589-1610)
正統な王位継承者で次のフランス王(フランス王アンリ4世)。1598年「ナントの勅令」を発布してユグノー戦争を終わらせた。狂信的なカトリック教徒の フランソワ・ラヴァイヤック が暗殺。

王妃マルゴ(マルグリット・ド・ヴァロワ)…王アンリ3世の妹、ナヴァール王の妻 (1553-1615)
ギーズ公が好きだったのに1572年ナヴァール王と政略結婚させられ、その6日後にサン・バルテルミの虐殺が発生。互いに割り切った夫婦関係で、夫がフランス王となった後に離婚。


王アンリ3世の寵臣


ベルナール・アルトヴィッチ…王アンリ3世の使い 【真殿光昭】
ジェフリーを唸らす程の着こなしと一流の剣捌きだが、ひどい船酔い持ち。叔父はフランス海軍提督。
※叔父さんって誰なんでしょうね?とりあえずフランス海軍提督リストらしきものはこちら wikipedia です。


ラ・ロシェル…ユグノーの港町


ステファン・ムーザン…スペインの間諜 【吉田裕秋】
チーズを売りながら街を偵察している。チーズを嗅がせ「げっ、臭い」と反応したらよそ者と判断。メアリー・スチュアート救出作戦ではニセ船長としてビセンテに協力。

ジャン…魚屋の主人


宿『海猫亭』


ユベール…主人
マルト…女将


お名前だけ登場


F&B 1巻
ノストラダムス…(P104)カトリーヌ・ド・メディシスが心酔していた占星術師。有力者の中にも彼の予言を評価する者たちがいた。

F&B 2巻
フランス王シャルル9世…(P58)1572年 サン・バルテルミの虐殺 を起こした王様
ローワン公爵夫人…(P106)ローワン子爵René Ⅱの妻カトリーヌ(1554-1631)?息子ローワン公爵アンリ2世は1603年マルグリッドと結婚。

F&B 3巻
フランス王妃マリー・アントワネット…(P8)フランス王 ルイ16世 の王妃。有名なフレーズは「Qu'ils mangent de la brioche: パンがなければお菓子を食べればいいじゃない 」。



最終更新:2017年04月20日 18:29