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佐藤春夫「「都会の憂鬱」の巻尾にしるす文」

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amizako

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佐藤春夫
「都会の憂鬱」?の巻尾にしるす文

「都会の憂鬱」は大正十一年一月から同年十二月まで雑誌「婦人公論」に連載されたものである。単に一人の男の平板なただ困憊し切っただけの生活を現はして見よう──描くのでもない、写すのでもない、歌ふのでもない、現はして見ようとしたのである──と思ってから五年目に筆をとった。──といふと、それほど永い間の腹案で、従ってよほどの大作などと早呑込みは困る。ゆっくりとさきをお読み下さい。──五年前の腹案は、白状するが筆をとって見ると殆んど役に立たなかった。何となれば私だってたとひさまざまの不安定のうちに育っても五年立てば五つになってゐたからである。さうして私はその腹案を打壊すことに苦しみながらいつも手さぐりで書いたのである。やけに書いたのである。大へんつまらない作だと思ったり──謙遜などといふ口クでもないものでこんな事を言ふのぢやない──、必ずしもさう捨てたものではあるまいと思って見たり、自分でも何が何だかもう判らない。本にして纏めて読み返して見たら、その点がいくらか判るかも知れない。これがこの書物を上梓する理由の一つででもある。
 この小説のなかで、私は或る相当に重大な点に殆んど触れずにしまった。これだけの長さでは書けさうにもなかったし、また今の私ではまだおぼつかないとも思へたからである。私はやっぱり安逸を貪ったことになる。が、何はともあれ私はこの作で初めて人間といふものを取扱ったわけである。
 この作を「田園の憂鬱」に比べて見て或る人は似ても似っかない姉妹篇だと言ふかとも思ふ。又一方、或る人はやはり血すぢは争はれないところを発見するから知れないとも思ふ。そんなことはどちらでも人まかせだ。ただ私としては、「田園の憂鬱」がいいからと言はれてももう一度あれを繰り返すことは出来もしないししたくもない代りに、私がもし作家としてくたばってしまはない限りはたとひ読者と批評家とが見向いてくれなくとも──好意ある人が積極的に私のために非難したり惜しんでくれたりしようとも、私はもっともっと「都会の憂鬱」的のものをもう一度、いや幾度でも試みて見ようと思ふ。私自身の芸術に対する考へは、人が何と言はうともさういふ風に変遷して来たのである。──私は一方に絶えず厭離の念を募せると同時に不思議なことには、この小ざかしくも奇妙な動物、私自身亦その一員であるこの動物のさまざまな現象を苦しくも私は自づと知るやうになると、それを知ること深くなればなるほど私は普通「人間」と呼ばれてゐるこの動物がへんに好き──と言はうか何と言はうか、一種切なく見入らずにはゐられなくなって来た。この心持が、私の新らしい径路としてもし一足でもその方向を示してゐたならば、私は今はそれだけで満足するより外には仕方がない。さうしてたとひこの作が大へんまづいものでありまた書きながらはイヤな気乗りのしないものであったにしても、そこに人として作家としての自分の生活が開展しかかつてゐるとすれば──断るまでもなく、このことは所謂自叙伝的製作といふ意味とは全く別であるが──、その巧拙とか完成不完成とかいふことなどの如き、先づどうでもいいことにして置いてもいい──。ムシのいい申し分だが読者も今のところそれで勘弁して置いてもらへないだらうか。
 私は生地で行きたいのだ。この問、「象牙の塔」から立ち退きを命ぜられたのだ。さうしてどこへ転住しようかと思って。私はまごまごしてゐるのだ。──さう言へば、そんなことよりも今の私にとってもっと書いて置きたい事は、この作のすべての部分は、私が自分の書斎ではないところで、或時は弟の家庭の一隅で、或時は田舎の小汚い宿屋の一室で、或時は友人の家のあまりゆったりともしない二階で、或時は雑誌の編輯所で、或時は印刷所の校正室でさへも晝いたといふ事実である。──こんなことを書いて私が、世間見ずにもいかにもエライ事かなにかのやうにこれを吹聴したり、或は自分の作の放漫の言ひ訳に役立てたりするだらうと思ふ人には恥あれ。そんなことが何で作家の作品の貧弱な言ひわけになるものか。私は知ってゐる。私は知ってゐる。すぐれた作家はみんなそれぞれの苦境のなかで書き遺したのだ。──唯私はここまで書いて来てうっかり例の感傷の悪癖を発してこんな事を書いてしまった。何にしても、筆をとって気むづかしかった私が、こんな境界や心境でよくもたとひ出たらめな一行でも書く事が出来たものだ、とかう言って私はいま自分を甘えかすのだ。実際、人間には苦言の必要な時もあり甘言の必要な時もある。私には今甘言が必要だ。さうしてしたりげに苦言を呈してくれる人があっても甘言をくれる人はなささうだから私は自分で自分を劬る。それほど人生が今は私につらく当ってゐる。白状するが私は芸術のなかに悠々自適するやうな気持にはもうなれない。私は文章を書き直して見ばのいいものにしてゐたりするひまはない。出来さうにもなし、したくもない。そんなことをして高められ深められるやうなそんな気品や力や真実や面白さなら、さっさと消えて無くなれ! ──作家としてさういふ態度がいいか悪いか悲しむべきか哀れむべきか、またその重荷の為めに(この重荷とは何だ! そんなひとり合点なことはいふものぢやない)私が遂に「人生」の下敷になるか、将たこれが一つの煉獄であってより深い自分が生れようとしてゐるか。そんなことを私は一切今は知らない。私はすっかり自分自身を見失ってゐる──これはまた一たいどうしたといふざまだらう。
 こんな愚にもつかない述懐をするよりは唯、そんな私をよく懲りもせずに鞭撻して、ともかくもこんなものをでも書き上げさせてくれたのは一に婦人公論記者半沢成二君の力である。君は職業の熱心以上のもの──友情をもって私にこれを遂げさせた。半沢君、君は私にこの作を書かすために一たいこの一年内に百何十度或は二百何十度ぐらゐ私のところへ足を運び、何十度ぐらゐ私の駄々を捏ねるのを聞いたらう。君こそ、誠実ある甘言をもって私をよく支持してくれられた。もしその君が無かったら、私はこれだけの粗雑なその時のがれの仕事をでもその半で放擲してしまってゐたらうと思ふ。ここに自分の腑甲斐なさを白状すると同時にここに同君の名を記して感謝するのを至当だと私は思ふ。最後にこの書の評判がよく。且つ大に売れることを願ふ。売れることは私の生活にとって邪魔ではないし、息子の新作の評判のいい事は何も知らない私の老父母を喜ばすであらう。

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