500系新幹線電車

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500系新幹線電車 - (2015/08/04 (火) 23:52:24) の編集履歴(バックアップ)


登録日: 2010/02/19(金) 04:53:15
更新日:2024/02/16 Fri 11:57:52
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※ここでは量産車のみ記述します。


JR西日本が開発した新幹線電車。日本初の300km/h運転を可能とした車両であり、東海道・山陽新幹線史上最速の所要時間や平均速度を誇る車両でもある。登場は1996年だが、その斬新なスタイリングと圧倒的な性能から、現在でも鉄道ファンや一般人から絶大な人気を誇る車両である。

(出典:Wikipedia)

500系は山陽新幹線の命運を掛けて開発された車両である。開発が始まった1989年、大阪―福岡間の新幹線のシェアは6.5割と、東京―大阪間の輸送シェア9割を誇る東海道新幹線に対して低く、山陽新幹線の輸送シェア拡大はJR西日本の課題であった。また、当時は東海道新幹線と山陽新幹線を乗り通す客が非常に少なく、大阪までは新幹線を使うが大阪以遠は航空機という客が多かった。この需要を取り込み、山陽新幹線のシェアを拡大すべく開発された。

開発当初は最高速度350km/h、新大阪―博多間2時間台での営業運転を予定していたが、騒音規定のクリアやその他の問題を解決することが難しいと分かったため取り下げられ、営業用車両は最高速度320km/h、新大阪―博多間2時間10分台とスペックが改められた。しかし、それでも当時の車両としては十分破格のスペックである。

第1編成は1996年に完成、編成組成完了後の1月31日に山陽新幹線に姿を現し、試運転を行った。予定していた320km/h運転は前年に起きた阪神・淡路大震災によって非常制動距離が厳守となったこと、費用対効果に見合わないとして中止され、営業最高速度は300km/hにダウンした。が、全ての車両にモーターを搭載する、所謂全電動車方式としたことで加速性能が向上したため、300km/hでも2時間10分台で走ることが可能となった。具体的な数値は以下の通り。


0→270km/h:2分55秒
0→300km/h:3分40秒

この加速性能に勝ったのは試験車のみで、鉄軌道上を走る営業用車両としては今だに世界最強である。

当初は1996年冬の営業運転開始を予定していたが、試運転中にトラブルが発生したため予定を変更して更に走り込みを実施、1997年3月22日に晴れて新大阪―博多間の「のぞみ503・500号」としてデビュー、新大阪―博多間を所要時間2時間17分、始発駅から終着駅までの平均速度242.5km/h、停車駅間平均速度261.8km/h(広島―小倉間)という驚異的な早さで結んだ。この2つの平均速度の記録はこの年のギネスに認定され、ギネスブックにも掲載された。
同年11月29日からは東海道新幹線への直通運転を開始、東京―博多間を所要時間4時間49分、平均速度222.0km/hで結んだ。この東京―博多間4時間49分、新大阪―博多間2時間17分という所要時間や数々の平均速度は2010年現在でも最速の記録であり、N700系を持ってしても破ることは叶っていない。

500系は1998年10月までに9編成が落成し、それまでJR西日本保有の300系で運転されていた東京―博多間ののぞみを順次置き換えて、1998年10月のダイヤ改正から東京―博多間ののぞみ7往復、新大阪―博多間ののぞみ1往復の全9編成による8往復の運転となった。この体制は2007年10月14日まで続くことになる。
この頃が500系の全盛期だった。

しかし、500系の全盛期は長くは続かない。1999年から300系の直接的な後継車である700系が投入されはじめた。最高速度こそ500系に及ばないもののコストパフォーマンスに優れており、700系はすぐさま東海道・山陽新幹線の顔となったのである。しかもダイヤ改正の度に700系の本数が増えていき、たった9編成しかない500系はあっという間にその中に埋もれてしまった。

更に不運だったのはのぞみ停車駅の増加である。高性能の500系と言えども停車駅の増加には対応しきれず、4時間49分だった所要時間はどんどん延び、一番遅い時代は4時間58分にまで延びてしまった。2006年にはのぞみの増発で一部の停車駅が一部列車を除いて通過に戻るが、JR西日本の不祥事により山陽新幹線区間の所要時間が2分延ばされ、完全には戻り切らなかった。

2007年7月1日、東海道・山陽新幹線にN700系が登場した。この時、それまで500系で運転されていた一部ののぞみがN700系に置き換えられたが、その代わりとして従来700系が受け持っていた運用を500系に持ち替えて本数を維持した。しかし、これによって4時間で走る500系のぞみは消滅し、全て5時間台での運転となった。

この年、衝撃的なニュースが鉄道ファンを襲った。N700系の台頭によって第一線から退く500系を8両編成に短縮し、0系の後継としてこだまに転用することが報じられたのだ。当初、500系は300km/hで走るひかりに転用すると報じられており、ファンもそれを信じて疑わなかったのである。

その改造工事を実施するために、秋から500系の運用はN700系に置き換えられはじめた。第一弾は東京発の500系のぞみ1番列車に使用されたW3編成で、続いてW5編成、W6編成、W4編成の順に4編成が離脱した。

2008年3月15日ダイヤ改正で500系のぞみは2往復に減らされた。2往復を走らせるためには3編成あれば事足りるため、2008年度内には2編成が離脱すると見られていたが、2009年度のダイヤ計画の見直しによってW2編成1本のみの離脱に留まる。

2009年3月14日ダイヤ改正で、500系のぞみは2往復の運転本数を維持した。しかしながら、1往復は500系の性能を一切使用しないダイヤとなっており、500系が1往復減るのは確実と見られた。また、2009年度末には東海道・山陽新幹線を直通するのぞみ全列車がN700系となることが決まっており、2009年から2010年に掛けてが500系にとってのぞみとして走るのは最後の年になることは確実だった。

2009年8月、秋の臨時列車の発表の実施と共に、秋からN700系に置き換わるのぞみが発表された。そこには、当時500系で運転されていた「のぞみ28・51号」の文字が記載されていた。遂に来てしまったか、という落胆と共にまだ1往復が残っていることで慰める鉄道ファン達に、冬の臨時列車のプレスリリースが届けられた。その最後のページには衝撃的な1文が書かれていた。




500系のぞみは、
2010年2月28日をもって
運転を終了します。



……それが、あまりにも呆気ない500系のぞみの引退通告だった。

そして迎えた2010年2月28日。
前日に起こったチリでの大地震の影響で朝から津波警報に見舞われる中、500系W1編成による「のぞみ6・29号」は大勢のファンや一般人に見守られ、17時44分、1往復の運転を無事に終えて終点の博多駅へ到着、13年間に及ぶ「500系のぞみ」としての活躍に幕を降ろした。

デビュー前から不運に見舞われて320km/h運転を断念させられ、最後も津波という自然災害に見舞われるなど不運続きだったが、無事に営業運転を終えることが出来たのは500系の強運なのだろうか。

2010年8月現在、500系はV編成8本がこだま用として使用されている。
一方、W1編成は保留車として、今も博多総合車両所で目覚めの時を待ち続けている。
JR西日本はW1編成を16両編成のまま何らかの形で、可能ならば営業運転で使うことを考えており、何時の日か再び300km/hで疾走する500系を見ることが出来るだろう。

その日が来ることを信じて――。







長い先頭形状と丸いボディ
そして、斬新なカラーリング
それはまさに、未来の列車


夢の超特急
500系のぞみ


そのデザインに見合った性能と
デザインの裏に隠された技術で
世界の全てを圧倒し、
現代の新幹線の始祖となった車両は


今、"伝説"の超特急へ――

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