P-80

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P-80 - (2014/12/06 (土) 21:39:38) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2010/05/17(月) 20:50:58
更新日:2021/07/12 Mon 10:15:34
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◇概要
P-80は、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空軍が採用した初の実用ジェット戦闘機。愛称はシューティングスター。

1943年6月に開発が開始された当機は英国製エンジンのハルフォードH.1B搭載を基準に原型1号機が製作され、
僅か半年で初飛行を成功させた。
ただし原型2号機以降については搭載エンジンを米国ジェネラルエレクトリック社製I-40エンジンに変更され、
続いて製造された生産前機YP-80Aも同じくI-40を搭載することになっている。

陸軍航空隊時代は追撃機を表すP-80であったが、1948年に空軍が分離発足したため、F-80に改称された。
近代ジェット戦闘機の基本型を確立したことで高く評価され、
また当機の設計を流用した複座型練習機T-33Aは西側世界のベストセラー練習機となり、
かなりの機体が1990年代頃まで航空自衛隊を初め、世界各国で使用されていた。


◇戦果
1945年2月より量産型P-80Aの納入が開始されたが、対独戦の終結、さらに対日戦の勝敗がほぼ決し、
さらに8月には日本が敗北し大戦が終結したことから、生産は900機強でキャンセルされ、実際には45機が配備されたに過ぎない。
戦闘の終結した北部イタリアで2機が飛び、太平洋戦線では1飛行中隊が進出したフィリピンで訓練を重ねたのみで、
同時期に開発されていた日本陸軍のジェット戦闘機「橘花」やホルニッセなどを含め、第二次世界大戦中に会敵機会はなかった。

1950年に朝鮮戦争が勃発すると旧態化していたF-80も制空任務に当初投入され北朝鮮軍などを相手に健闘したが、
ドイツの技術を受けて開発された後退翼を持つソ連製の新鋭機MiG-15が登場すると性能不足を指摘する声が高まり、
制空戦闘においては直後に配備されたF-86に後を譲って、対地攻撃や低空写真偵察に活路を見出し総出撃数では全米軍機中最高を記録した。


◇性能諸元
全幅:11.81m
全長:10.49m
全高:3.43m
主翼面積:22.07m2
空虚重量:3,820kg
最大離陸重量:7,650kg
エンジン:アリソン製 J33-A-35 ターボジェットエンジン 2基
エンジン推力:24.0kN
最大速度:516kt
実用上昇限度:14,300m
航続距離:718nm
乗員:1名
固定武装:12.7mm機銃6門
搭載武装:1000lb(450kg)爆弾2発、ロケット弾10〜16発


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  • 橘花は海軍機ですぜ -- 名無しさん (2014-12-06 21:34:30)
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