ダメ外人(プロ野球)

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&font(#6495ED){登録日}:2011/04/21 Thu 13:34:16 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s)&new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 78 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){ 長年プロ野球において助っ人の成績はチームの順位を左右するものである 君は大した成績も残さず祖国に帰った助っ人選手をどれだけ覚えているだろうか? } #contents *【概要】 [[プロ野球]]において「助っ人」とは外国人選手を指す。戦力として外国人にかけられる期待は大きく、年俸が高い上に外国人枠の制限もある((1995年までは支配下選手登録にも制限があった))ことから、当然日本人以上に評価の目は厳しいものとなる。 成績が重要なプロ野球において結果を残せずに帰国する選手は沢山いるが、中にはネタにしか見えない外人も存在する。 本項目では、主に以下のケースに該当する者を扱っている。 >+&bold(){前評判が良かったり、メジャーリーグでの経験が豊富なのにもかかわらず凡退や炎上を繰り返す} >+&bold(){言動や素行不良などによる話題性(=ネタ)に特化} 単なる成績不振とはややニュアンスが異なるし、何よりも成績不振だけならばかなりの数の選手がいるので書ききれないという問題もある。逆に、1と2が重なった時の破壊力は(ネタとして)凄まじく、応援するチームではなくても覚えられることがある程にプロ野球ファンのネタになる。 某掲示板の某野球好き板では >+成績が良くて性格も良い→最高の助っ人 >+成績が良いけど性格は悪い→応援はされる >+成績は悪いけど性格は良い→励まされる >+成績が悪い上に性格も悪い→凄まじいネタ選手 なんて分け方をされてたりもする。 ダメ外人が多発する最大の理由は、元いた国と日本との違いによる適応力不足。 日本野球そのものに適応できないケースはもちろん、日本での慣れない生活から調子を崩す例もしばしば。中には初年度こそ振るわずとも2年目以降に適応を見せ、遅れてブレイクする者もいるが、基本的に支配下の外国人が即戦力にならないのは球団にとって痛手であり、さっさと戦力外になりやすいのが追い打ちをかけている。 加えて2010年代後半からは顕著な投手力の向上や年俸の問題から活躍できる外国人が数を減らしており、「''2桁本塁打に達すれば上々''」といった20世紀であれば信じられないような評価すら見られる状態である。 また項目名がダメ外人となっているが、成績不振の場合&u(){必ずしも外国人選手に責任があるわけではない}ことにも注意。球団側の不手際や待遇の悪さ、不運なケガ等によって、コンディションを万全に保てずに能力を発揮出来なかったようなケースもこの項目では紹介している。 また、本当に能力が劣るダメな選手だとしても、その人物を評価して招き入れたのは球団側である。 日本人選手にもダメ外人以上に活躍できていない選手がザラにいるが、外国人選手は少数だったり有名な経歴を伴いがちなので、目立ちやすい。 特に海外での実績が高いとファンからの期待との落差が激しく、戦力としては機能したのにネタキャラ扱いされやすくなってしまうことも忘れてはいけないだろう。 なお、[[星野仙一]]は中日監督時代、&bold(){「外国人選手の獲得は宝くじを買う様な物」}などと表現していた。 メジャーで活躍したからといって同じ様に活躍するとは限らなかったり、逆に3A止まりの選手が日本で多大な実績を残す事もあるという意味では的を射ているが、同じ事は日本人選手でも言える。 そもそもあまり調査していなかったり((ちゃんと調べてみると経歴は凄まじいが直前の成績はがた落ちしていたり、老齢で衰えていたり、実はそこまで凄い経歴の持ち主ではない(=妥当な活躍)といったケースも案外多い。))、日本でプレイするための十分な環境を整えていなかったり、緊急補強で急に呼ばれたりすることも多いのは忘れてはならない。 一歩間違えば誹謗中傷やヘイトスピーチになり、日本野球の品性を疑われかねないため安易な使用は自重すべきである。無論、このページに記載されているからと言って「ダメ」という評価が絶対的になるものでもない。あくまでネタ半分でお読みいただきたい。 *以下代表的なダメ外人 **◆60年代 #openclose(show=▽展開 / 格納){ #areaedit() ・''マニー''(大毎・1962) 来日前年まで兵役に就いておりブランクを心配されたが、蓋を開けてみれば「10勝する自信がある」の強気も虚しく、ほとんど良い所なく1勝も挙げられないまま1年で退団。 ただ彼の場合、この項目に名が挙げられている理由はやや特殊。 マニーというのは登録名であり、彼の本名は&bold(){Frank Edward Mankovitch}という。 調べてみれば分かるだろうが、彼のファミリーネームをカタカナにすると、日本語ではもろに放送禁止用語であり、本人に落ち度はないのだが色々アウト。 退団後はアトランタオリンピックに便乗して販売したTシャツで一悶着起こしたりし、2011年に死去。 ・''ハンベルト・フェルナンデス''(阪神・1965) 阪神歴代助っ人補強史の黎明期に名前を残すハズレ助っ人のキューバ人。成績も素行も駄目というネタ外人の初期を飾る一人である。 メジャー時代は遊撃手で、通算850試合出場の上にレギュラー経験があり、通算40本塁打という実績を引っ提げていた。 阪神では球団側の意向や本人自身も就いた経験があるという事で三塁手にコンバート。 大いなる期待を抱かれて来日したが、&bold(){練習はサボりまくり}でオープン戦から既に打てない始末。 一応内野の全ポジションでの出場を経験したが、内角球が打てない弱点があって&bold(){打率.144}と低迷した。 そしてスタメン落ちすると、&font(b,red){滞在していたホテルから雲隠れして逃亡して首脳陣との連絡を絶つ}。 ようやく姿を現したと思ったら今度は自分勝手な&font(b,red){首脳陣批判}を行い、1年で解雇された。 2016年死去。 ・''ルー・ジャクソン''(サンケイ・1966~1969) 米ルイジアナ州出身の黒人選手。 小柄な体格ながら俊足強肩の選手として、同じ助っ人だったデーヴ・ロバーツと共に弱小だったサンケイアトムズ(後のヤクルトスワローズ)を支え、オールスターゲームにも出場した程の実力者。 加えて「黒い弾丸」「おとぼけルー」の愛称でチームメイト・ファン共に親しまれた。 ……これだけなら優良外人であろう彼がこの項目に書かれる理由、それは&bold(){スポーツ選手には特に不可欠である自己管理が極めて杜撰だった}のだ。 まず&bold(){極端な偏食家で、肉類(とりわけ日本で知った焼鳥)やビール・コーラばかりを口にしていた一方、米やパン・野菜は殆ど食べなかった。} 加えて&bold(){遠征時にはストリップ劇場にも足を運び、女遊びにも興じる。} 酒や女に溺れるさまは球団側も問題視し、解雇寸前までいった程だが、代役が見つからなかったため再契約。 しかし&bold(){不摂生が祟ってか、1969年のオープン戦中に倒れてしまい、すい臓壊死により33歳という若さでこの世を去ってしまった……。} 異国での慣れない生活に加え、母国に置いてきた妻との離婚問題もあり、精神的に追い詰められてしまった事が酒に手を伸ばしてしまった原因でもあった。そして最期はその妻子に看取られる事も無かった等、同情する点も幾つかあるが……。 ・''スティーブ・フォックス''(中日・1969) プロ野球選手の経験は無かったが、彼の父親と水原茂の繋がりによる縁故採用の流れでテスト入団。 しかし、入団直後の熱意が開幕後には何故か一転して練習をサボる様になり、首脳陣の怒りを買って二軍に落とされた。 しばらくして一軍に昇格し、そこそこ試合に出たが、打率.222・本塁打5本という何とも微妙な成績だったので1年限りでクビに。 なお首脳陣はともかく、選手達には&bold(){「きつね」「コンちゃん」}と呼ばれて仲は良かったらしい。 #areaedit(end) } **◆70年代 #openclose(show=▽展開 / 格納){ #areaedit() ・''ジョー・ペピトーン''(ヤクルト・1973) &font(b,red){日本プロ野球史上最悪の外国人}の呼び声も高い70年代を代表するダメ外人。 名門ヤンキースから鳴り物入りで入団し数々の輝かしいタイトルを引っさげて来るも最終打率.163と全く打てなかった上、夏に前妻との離婚裁判で帰国。 仮病・練習のサボリは当たり前で、アキレス腱を痛めたと言いつつ赤坂のディスコで朝まで踊っていたり((アキレス腱の事を指摘された途端に足を引きずって歩きだすというおまけ付き。))、数百万円のツケを球団に押し付けたりと、完全に問題児であった。 更にはヤクルトが漸く彼と連絡を取れた際も、戻るどころか&bold(){前年の荷物輸送料金と犬の空輸料金を要求。}球団側も流石に堪忍袋の緒が切れ退団となった。 しかも帰国後に現地の新聞に全くの出鱈目((その内容とは「日本の玄関は約1m30cmしかない、英語の通じる人が誰もいない、マクドナルドのハンバーガーが5ドル(当時約1500円)もする、国際電話で2000ドルもかかった、あまりの酷さに毎日夜中の3時に「神様、どうか私をこの日本で死なせないでください」とお祈りをし、アメリカに帰れた時は嬉しさのあまりその大地にキスをした」というもの。))を吹聴して日本を貶しまくるおまけ付き。&bold(){日本球界から外国人を追放する運動が起こりかける}等、&font(red,b){野球を巡る日米関係が冗談抜きで心配された}程。 遂にアメリカでも在日アメリカ人に日本での醜態を暴露され((当時太平洋クラブライオンズの企画広報部長だったマーティ・キーナートが上記の新聞を見てブチ切れ。反論文を当の新聞社と当時24球団だったMLB各球団に送りつけた。))、&bold(){「アメリカの面汚し」}としてマイナーリーグからすら見向きもされなくなり、野球選手としてのキャリアを終えた。 その後は1982年に1年だけヤンキースの打撃コーチを務めるがシーズン後に解任。 後にコカインに拳銃の不法所持で、かのライカーズ刑務所にも叩き込まれた事もあり、一度は1988年に再びコネでマイナーリーグの選手の育成目的でヤンキースに招聘されるも、他にも婦女暴行に飲酒運転による交通事故まで起こすなど、様々な罪を犯しては何度も刑務所の厄介になったという&bold(){、殺人以外は大抵やっていると言われる様な自業自得な末路}を迎えた。 しかしヤンキースのオールドタイムズデーに出るなど偶にメディアに出ていたらしい。 真偽は不明だがこの選手をきっかけにして、MLBは信頼を回復させる目的で、性格的にも成績的にも問題ない選手としてチャーリー・マニエル((ヤクルト初優勝・初日本一に導き翌年には近鉄も初優勝に導いた超優良外国人選手))をヤクルトに譲渡したと言われている。 そしてヤクルト側も&bold(){この事件以降助っ人外人を取る際は「まず第一に人間性」というスタンスを取る様になり}、そのおかげで極端なダメ外人を掴む事は少なくなった。 また、余談だが実はカツラを着用しており、&bold(){「MLB時代にライト前にヒットを放つも、走塁時にヘルメットと一緒にカツラも取れてしまい、慌てて取りに行きその間にアウト」}、というネタエピソードも残っている。 2023年死去。2021年にかつてヤンキースの同僚であったミッキー・マントルが500号本塁打を打った時のバットの所有権をめぐって野球殿堂と対立するなど、晩年までお騒がせぶりは変わらなかった。 ・''フランク・ハワード''(太平洋・1974) 来日時点でMLB通算382本塁打・1119打点という現役の超大物メジャーリーガー。 当時はそれだけでマスコミから注目を浴びており、入団前から客寄せパンダとしての役割はしっかり果たしていた。 オープン戦の対巨人戦で川上哲治から賛辞を送られるなど実力は高かったのだが、来日した時点で膝を故障。開幕3打席に出場しただけで5月には帰国してしまった。 契約解除時に残額を払う払わないで揉め、結局球団側が折れたというトラブルも残している。 とはいえ、これは本人の落ち度と言うよりは日本側の期待が大きすぎた事や契約の認識の問題といった感が否めない。 退団後はパドレスやメッツの監督を務めたが監督としては振るわず、前後して様々な球団でコーチや育成インストラクターを歴任。2023年10月30日、全盛期を過ごしたレンジャーズ(1971年までワシントン・セネタース)が球団史上初のワールドシリーズ優勝を果たす2日前に死去。 ・''バール・スノー''(日本ハム・1974) 貿易会社の社員だったが、74年に来日したついでに日ハムの球団テストを受けて合格。 敬虔なモルモン教徒で、酒やタバコ、コーラすら飲まない程真面目な性格だったらしいが、&bold(){初任給をもらった直後、初登板前日に突如失踪。} 彼が勤務していた貿易会社まで巻き込んで行方を調査した所、&bold(){既に故郷に帰っており、初任給も殆ど使ってしまっていたとの事。}本人曰く「脅迫電話がかかってきたり、暴漢に襲われて恐怖を感じた」との事だが…。 これにより、&bold(){パシフィック・リーグ初、国内では2例目((1例目は1971年、寮から失踪した阪神の高山忠克。))の&font(red){無期限失格選手}に指名}されてしまった。 ヤクルトの監督から日ハムの球団社長になった三原脩は、ペピトーンといいこいつといい、つくづく助っ人外人に泣かされるのであった……。 その後の来歴は定かではないが、帰国後は長距離トラック運転手をしていたらしい。2009年には喉頭癌を患い2011年に亡くなったらしい。上記に加えて2度にわたって恋人と死別する等、波乱の人生であったという。 ・''クライド・ライト''(巨人・1976~1978) エンゼルス史上唯一の左腕で20勝、メジャー通算100勝などという輝かしい実績を引っさげて1976年途中に巨人に入団した左腕。%%投手(ピッチャー)なのにライト、左投げなのにライト%% 良くも悪くも「球界の福島正則」とでもいうべき人物である。&bold(){良くも悪くも}。 普段は好人物であり、成績面でも78年途中に退団するまで22勝と結果を残している…のだが、&bold(){気性が激しく一度キレるとめちゃくちゃ暴れる}という問題児でもあった。 降板を告げられると&bold(){「通訳の首を絞める」「カメラマンのカメラを取り上げて叩き潰す」「自分のユニフォームを引きちぎる」}等の傍若無人振りで、ついには&bold(){「クレイジー・ライト」}という有難くない渾名まで付けられた。 終いには神宮球場で乱闘により退場になった後そのまま帰宅するという職場放棄をやらかし、これが原因でそのまま退団となってしまった。上記の通り普段は好人物らしいのだが……。 なお、巨人退団後はそのまま引退した。何故か?妻子に逃げられた原因%%及びキレやすかった原因%%でもあるアルコール依存症の治療に専念する為であった。 ただ、その後は福島と違って、アル中を克服し、ちゃんと家族との関係も修復し、実業家に転進して成功を収めているのが救いといえるだろう。この時戻って来た息子のジャレットも後にメジャーを代表する右腕として活躍した。 なお、大谷翔平に「俺みたいに(短気な選手に)なるな」とコメントするという、しくじり先生の様なアドバイスを送った。 ・''ブレット(ボブ・レイノルズ)''(大洋・1977) 70年代の大洋ホエールズを代表する…というか最早&bold(){球団史に残るレベルのハズレ助っ人}。 メジャー経験もあったが、6球団に渡って移籍を繰り返す渡り鳥でもあった。 「&bold(){弾丸の様な速い球を投げる}」と自負し、それによって登録名を弾丸を意味する「ブレット」とした。 しかし蓋を開けてみると、&bold(){弾丸とは程遠い球速の上に四球を出しまくるコントロールの悪さ}という悲惨な実態が明らかに。 やがて&bold(){5月に右肘の痛みを理由に退団を志願}し、球団は慰留の為に6月に球団社長自らマンションに向かうがそこは既にもぬけの殻だった。 僅か&bold(){44日での退団}に「&font(b,red){弾丸の様なスピードで無断帰国}」など大いにネタにされた。 一応、6月以降の給料はいらないと約束して帰国したので、金銭的な損害は少しは抑えられた様だ。 だが、このブレットの存在は大洋史上最大の失敗例と認定。そして&bold(){大洋時代は以後外国人投手の獲得はなかった}。 1994年にダリル・スコットが獲得された事で17年間の負の歴史に終止符が打たれるが、既に球団は横浜ベイスターズに変貌していた。 #areaedit(end) } **◆80年代 #openclose(show=▽展開 / 格納){ #areaedit() ・''ゲーリー・トマソン''(巨人・1981~1982) 1980年をもって現役引退した王貞治の後継として期待されていた元メジャーリーガー。 1年目の81年には打率.261、本塁打20本を記録し8年ぶりの日本一に貢献したが、同時に三振132(当時の球団新記録)という大型扇風機でもあった為「トマ損」という蔑称もついてしまった。 また、同年の日本シリーズでは失点につながる失策をやらかしてしまった。 2年目の1982年の出場は47試合に留まり、更に当時の藤田元司監督とトラブルを起こした為、同年限りで解雇された。退団時の捨て台詞は「俺を使わなくなったから巨人は勝てなかった」だったとされる。 なお、余談であるが現代芸術における「超芸術トマソン」という用語は[[彼が由来>人名由来の言葉]]だったりする。 ・''ドン・マネー''(近鉄・1984) 元々引退を考えていたが近鉄たっての希望により、メジャー通算本塁打176本の実績を引っ提げ来日。 出場29試合で8本塁打、打率.260。順調に出場し続けていればシーズン30本塁打以上のペースであり十分助っ人になったと思われるが、ホームシックにより5月に退団。 [[ゴキブリ]]が原因という点がピックアップされ、最初は報道で叩かれた((このアニヲタwikiでも、マネーに対する評価の初稿で、辞めた理由に対して「マネーという名前だから銭闘をして球団に文句を言った(意訳)」などと、出鱈目なことを書いていた。実際は以降の通りで、ネット上を少し調べればすく分かることなのだが……。))。 但しこれは後の関係者の話により『&bold(){本人だけでなく、一緒に来日した妻子までホームシックにかかってしまい、家庭状況が深刻になってしまった}』事が大きな理由と分かっている。 原因の一つは当時の本拠地藤井寺球場の汚さで、シャワールームやロッカールームもボロボロでゴキブリも現れたとの事。後の大阪ドームであったならばこうはならなかったかもしれない……。 何よりも大きな問題は、近鉄が契約条件として日本で提供した住居。 マネーは「緑豊かで落ち着ける環境」を希望し、&bold(){近鉄も事前に最新の綺麗なマンションのパンフレットを渡して説得していた}のにもかかわらず、実際に用意されたのは&font(red,b){タクシーでも球場から1時間半掛かる程遠く、アメリカ人はおろか英語を話せる人が殆どいない、まるっきり疎外された環境にある冷暖房もないおんぼろ中古住宅}だった((一説によると、前年の外国人助っ人テリー・リーが散らかした住宅をそのまま宛がったとか。))。此処まで来ると詐欺もいい所である。 しかもマネー曰く「家にも大量のゴキブリが出た」らしい。余りにも酷い。 ちなみに、チームメイトだった梨田昌孝は「和式便所がダメだったのもあるだろう」と自分の著書で語っている。 マネーの家族は本人も含めて、日本語は全く話せなかった。マネー自身はそれでも我慢できていたほうだったのだが、妻と長女は土地勘もなく何度も迷子になる、買い物すら不自由する((2023年現在は英語以外の言語で説明されていることも珍しくないが、1980年代当時道路標識を含めた街中の看板や商品の値段ポップなどはほとんど日本語のみで書かれており、英語表記されていることすら稀であった。))、学校に行っても友達もできない上に勉強にもついていけない……と、ノイローゼになるほど悩まされてしまい、精神が悲鳴を上げてしまったのだ。 最初から家族を連れて来た事からしても、彼自身は本気で日本野球と向き合う気であったのは間違いなかったと思われる。 それに対してこの様な詐欺同然の待遇だったにもかかわらず、報酬の全額返却を申し出たり、会見では「球団は悪くない、慣れられなかった自分の責任」と文句ひとつ言わない、殊勝な態度を見せた。 その一週間後、&bold(){チームメイトで彼を慕っていたリチャード・デュラン((開幕レギュラーで打率2割以下ながら24試合7本塁打という立派な戦力だった))も球団のマネーへの仕打ちに憤慨して退団}してしまった((ただし、デュランは元々母親を独り暮らしでアメリカに残しており、この時母親の体調が悪化して「デュラン、お願いだから帰ってきてほしい」と連絡されていたのも大きな理由である。))。 近鉄の選手待遇やフロントの非道さに対しては後に様々な選手が批判を繰り返しており、今では近鉄はかなりの『シブチン球団』であった事は野球ファンの間でも広く知られている。((「優勝旅行で、家族のいる選手は妻の分までは旅費を出してくれたが子供の分は自腹」「球団スタッフにいたっては妻の分は自腹」「キャンプでの宿舎は冷暖房が充分でない程ボロく、新人の選手は大広間でせんべい布団を敷いて寝ていた」等。これはまだまだ氷山の一角であり、年俸査定もかなり渋かった。調べればいろいろ酷い話は出てくるので、興味がある人は是非。))一応、マネーの退団申し出には近鉄上層部も慌て「待遇を改善するからどうか残って欲しい」と説得したらしいが……先述の最初の待遇を考えると本当かどうか疑わしい。 そもそも先述の通り、マネーは自分から球団に売り込みに来たのではなく、引退しようと思ったところを近鉄の説得を受けプレーしていたのである。それに対してこのような待遇違いをすること自体、程度の違いはあれど近鉄の関係者がマネーのことを軽く・甘く見ていたことは疑いようがない。 こうした背景が明らかになった為、マネーに対してはファンからむしろ同情的な意見が上がり、逆に球団側の対応に批判が集まる様になった。 当時のパ・リーグが閑古鳥で球団の懐具合が苦しかった事も球団の塩対応の一因であろうが、結果として主力選手2名を失ったどころかファンからの評価までも落としてしまったのだった。 下記のリチャード・デービスが成績的に大当たりだった事は救いとなったが……。 ・''リチャード・デービス''(近鉄・1984~1988) 上記のマネー、デュランの退団に伴い入団。 入団当初から長距離砲として大活躍。陽気な性格でチームにも短期間で馴染み人気者に。 [[落合博満]]がいなければ三冠王すら取れていた程で、助っ人としては成績は文句なし。 ところが、4年後の1988年6月7日に''大麻取締法違反で逮捕''。当然ながら翌日に解雇、不適格選手とされ、自業自得の形でそのまま引退した。 しかもあろう事か、''大リーグ在籍時から来日後もずっと大麻を常用し続けていた''事が判明。1985年に大リーグの麻薬疑惑が取り沙汰された際に彼の名も挙がっていたが、近鉄はその件を無視してチームに在籍させ続けており、球団の身辺調査の怠慢も明らかとなった。 その後に急遽獲得したのが、[[中日ドラゴンズ]]二軍で燻っており後にデービス以上に活躍するラルフ・ブライアントなのだから、塞翁が馬とはこの事である。 ・''シクスト・レスカーノ''(大洋・1987) 現役バリバリのメジャーリーガーとして来日。 ヤクルトのホーナーをライバル意識していたが、蓋を開けてみれば妻の看病で1年のブランクがあった為か&font(red,b){「140km/hの速球が怖くなった。体力の限界」}という迷言を残すプロ失格レベルのチキンぶりを発揮しシーズン途中に退団、そのまま現役引退した。 実は&bold(){ワールドシリーズを頭痛で欠場する}等メジャーでも度々トラブルを起こしており、退団の際に他球団の外国人選手から「そんな奴が日本でプレー出来るわけがない」と批判された。 ・''ビル・マドロック''(ロッテ・1988) MLBナショナル・リーグで首位打者4度、在籍15年の間に右打ちで首位打者になったのは彼のみという実績を誇り首位打者候補と目された。 当時のロッテはフランチャイズが「狭い事で有名な」川崎球場であり、シーズン前は「50本は打てるだろう」と豪語するなど当人もビッグマウスを連発。 だが37歳という年齢もあったか打率は2割5分程度と低迷。後半に日本慣れしたのかある程度持ち直したが、本塁打19本、打率.263と何とも言いがたい成績で終わった。 因みに同チームだった愛甲猛曰く「DHで登場する時以外、あいつはテレビゲームばっかりやってたよ」との事。 彼が唯一輝いたのは[[10.19第2試合>10.19(プロ野球)]]での先生本塁打くらい。 しかし期待や年俸に見合う成績ではないが特別に悪いという訳ではなく、更に帰国時に自分の不甲斐なさを嘆くと同時に日本野球を称賛し、野球選手を引退した。 ダメ外人の典型として挙げられる事もあるが、彼については期待との落差が激しかった面が強い。 ファンからの失望が激しかったせいで、球場外壁に「マドロック立ち入り禁止」という落書きまでされる事態に…(※当然論外な行動であり、この様な事をする者は問題である)。 応援曲は何故か[[サザエさん]]OP。 帰国後に「ボブ・ホーナーは『地球の裏側にもう一つのベースボールがあった』と言ったけど、そんな事はない。日本の野球だって十分やってけると思う」と評した。 ・''ルパート・ジョーンズ''(阪神・1988) &font(b,red){初代「バースの再来」}となったダメ外人。 メジャー通算147本塁打という実績を引っ提げバースの後釜としてタイガースに入団し、バース並の活躍が期待されるも、&bold(){来日前に既に肩を大きく故障する出オチを披露。}結果送球が全部下手投げになる羽目に。 シュールさもあるが、一塁から二塁への送球は愚か投手への返球も満足に出来ず、&bold(){投手が一塁のジョーンズの所までボールを受け取りに駆け寄る}という奇妙な光景がしばしば見受けられた。 その後何とか肩が回復し成績好調が見え始めた矢先に解雇が確定してしまい、球団を去る事となった。 因みに&font(red,b){日本球界で初めて背番号00を着けた選手}でもある。 背番号ととんがり頭のスキンヘッドという奇怪な風貌も合わせて&bold(){「ゼロゼロ怪人」}という渾名が付いた。 理由は不明だがベンチで線香を焚く事があったという。 ・''ホアン・アイケルバーガー''(ヤクルト・1989) ストッパーとして期待されるも、この年の開幕第2戦の来日初登板でフォアボールを連発。&font(red,b){サヨナラ暴投}をやらかしてしまい、しかもそれを「捕れないキャッチャーが悪い」と逆ギレ。結果&bold(){ヤクルト史上最速での解雇}となった。 時の監督・関根潤三は&bold(){「名前が面白くて獲ったんだよね」}と言ったらしい……。 因みに8文字の長い名前をどの様に表示するのか当時注目となった。 よりにもよって登板したのが電光掲示板が無かった川崎球場。当時の球場職員も悩んだ様で、登板して3人目の打者を迎えるまで選手名が掲示されない状況が続いた末、最終的に&bold(){掲示板にチョークで[[&font(red){「バーガー」}>ハンバーガー]]と大書きされ、ロッテファンの爆笑をさらう}という伝説も残した。 在籍期間は短かったがその名前からか話題が多く、「マクドナルド」「ビッグマック」等、本人に非の無い野次が飛んだりもしている。 #areaedit(end) } **◆90年代 →[[別ページ>1990年代のダメ外人(プロ野球)]]を参照。 **◆00年代 →[[別ページ>2000年代のダメ外人(プロ野球)]]を参照。 **◆10年代 →[[別ページ>2010年代のダメ外人(プロ野球)]]を参照。 **◆20年代 #openclose(show=▽展開 / 格納){ #areaedit() ・''アルシデス・エスコバー''(ヤクルト・2020) ショートの固定に苦しんだヤクルトが連れてきた内野手。GGの獲得経験もあるメジャー屈指の名手で、メジャーファンの知名度も高かったのでかなり期待されていた。 横浜のエドウィン・エスコバー投手の親戚で、オフには仲良く草野球に出ているという私生活面でも注目を浴びる。 が、蓋を開けると打率以外はボロボロ。打撃についてはとにかく早打ちなので打率に対して出塁率が低く、規定打席到達した助っ人ではおよそ半世紀ぶりのシーズン1本塁打となったが、これは下馬評通りではある。 だが肝心の守備で衰えが顕著で、UZRが-16.7という悲惨すぎる数値を叩き出しており、同年限りで解雇となった。 その後はワシントン・ナショナルズでメジャー復帰を果たしている。 ・''ガブリエル・イノーア''(ヤクルト・2020) 去年まで主力投手の一角を務めていたデビッド・ブキャナンに代わる投手として契約する。 練習試合やオープン戦ではそれなりの成果を出していたものの、いざペナントが始まると登板するたびに炎上。先発するたびに4点以上失点して試合を壊しまくり一度2軍降格。 その後再度昇格し中継ぎに回るも、やっぱり炎上しまくり結局一軍では一つも勝てないまま降格。この頃には二軍でも通用しなくなり打ち込まれてしまい、とうとうペナントレース終了前に解雇されてしまった。 NPBでの一軍成績は9試合24投球回で0勝3敗・45被安打・被本塁打8・10四球・防御率10.13。上記のアイケルバーガーをも上回る惨状で''ムノーア''という不名誉な仇名までつけられてしまった。 なお、この年のヤクルトは7月12日に単独首位に立つなど決してスタートダッシュに失敗したわけではないが、イノーアが炎上し出した8月以降はシーズン終了まで負け越すなど急失速((8月から10月の3ヶ月間は21勝50敗6引分の勝率.296であり、月間22勝のNPB新記録を打ち立てたソフトバンクの10月1ヶ月分の勝利数にも満たない状況だった。))し、2年連続の最下位でシーズンを終えた。 ・''テイラー・スコット''(広島・2020~2021) 珍しい南アフリカ出身の選手。前年4位に沈んだ広島の新クローザーとして期待された。 オープン戦では結果を残し1軍スタート。しかしシーズンが開幕すると2回目の登板でいきなり1アウトも取れずに満塁にされた挙句サヨナラを決められる。翌月にはヤクルトの村上宗隆から''サヨナラグランドスラムを被弾''し、スコットならぬ''スットコ''と呼ばれるようになる有様。 後半には先発を試すもうまくいかず、シーズン通しての防御率は''15.75''、リリーフ防御率に至っては''22.50''という異次元の数字を残した。これは是非もなく退団…かと思われたが、助っ人の確保が難しい事もありまさかの残留。だが翌年は1軍登板なしに終わり、今度こそ退団した。 「スコット」という名前の選手がやらかすたびにスットコ呼ばわりされるようになるなど、同じ年にやらかしまくったイノーアと並び2020年を代表する炎上投手となってしまった。 ・''ドビーダス・ネバラスカス''(広島・2021) さらに珍しいリトアニア出身の選手。長身から繰り出す160キロのストレートとパワーカーブで先発として期待されたが、その割にストレートが甘く入り痛打されることが多く、そもそもストレートの球速は良くて150キロ前半しか出ず、またクイックが極端に苦手なこともあり、一軍登板は1試合で防御率10.30、二軍でも防御率5点台と全く結果を残せず、&bold(){ネバカス}と呼ばれる始末で1年で退団となった。 ・''エリック・テームズ''(巨人・2021) 2020年度ストーブリーグの目玉、KBO最強打者ロハス・ジュニアを阪神との競合の末に逃した巨人が、それに代わって契約を結んだ選手。ロハスと同じくKBOを経験した選手であり、2015年度KBOシーズンではなんと.381・47本・40盗塁という凄まじい成績を残した。16年度にも40本塁打以上を放ち、2年連続40本塁打の肩書きを提げてメジャーへと凱旋((この時も阪神が獲得しようとしていたが、失敗していた。))、17年度は31本の本塁打を放ち、KBO・MLB両リーグでシーズン30本塁打を達成した唯一の選手となる。 新型コロナウイルス感染症の影響による入国制限で来日が3月末にずれるも、隔離生活を経て4月中旬にチームに合流。二軍公式戦9試合に出場し打率5割(22-11)・4本塁打の結果を残すと、4月27日に一軍へと昇格。同日、ヤクルト戦において6番レフトスタメンでNPB初出場を飾ることとなった。 ところが、なんと''3回裏のレフトフライを後逸した後に倒れ込み悶絶''。担架で運ばれる負傷を負い、''わずか3イニング・2打席(しかも2三振)での交代''となってしまう事態が発生。 試合後、病院で右アキレス腱の断裂と診断され、米国に帰国し手術を受けると発表。今季中の復帰は絶望となった。そして2021年8月にはとうとう自由契約となる。その後は米国で治療を続けながらも9月に古巣ブリュワーズの試合を観戦している様子が確認されている。 スモークとの併用で不慣れなレフトをやらざるを得なかった((コロナ禍での難しいコンディション管理を強いられた結果、ベスト体重よりも10キロ太っていたことも発覚した。これでレフトを守らせた首脳陣は当然ファンから批判された。))のもあるが、その退場の速さ、特に難しくないレフトフライを取り損ねた守備の稚拙さ、病院診断中と思われるタイミングでInstagramのストーリーに投稿された「Wow」というメッセージ((これに関しては、自身が退いた後の前述のヤクルト戦が両軍合わせて34安打を記録した14-11の馬鹿試合になった事への反応という説もある))など、''イテームズ''の蔑称とともに多くのインパクトを我々に残してくれた。 その後好調だったスモークも家庭の都合で電撃退団、さらにその埋め合わせで来日したハイネマンも体調不良で即退団と、2021年の巨人は''助っ人外国人野手に呪われたシーズンとなった''。 ・''マイク・ガーバー''(中日・2021) 中日の一軍打撃コーチを担当していたアロンゾ・パウエルによる推薦もあって中日に加入した助っ人野手。 MLB時代から三振率が異常に高かったが、日本でもボール球じゃないストライクゾーンに連続で投げられて三球三振するという空振りっぷりで三振を量産。 守備も怠慢や雑な動作が目立ち、最終的には157・0本・1打点・18三振という散々な成績を叩き出して途中帰国。そのまま1年でクビとなった。 エキシビションマッチで1試合2HRを叩き出したのが日本での唯一の輝きとも言われている。 そもそも新型コロナウイルスの影響で2020年はマイナーが中止されていた事で直近の試合経験がなく、その点に関しては不運だったとは言えるか。 ガーバーに関しては、中日の仁村徹二軍監督による「''ガーバーは速い球、変化球、インコースの見極め、落ちる球の対応とまだまだひとつずつクリアしていかなければならない。もう少し時間かかるとは思いますね''」との分析が有名。 解釈次第では''何も打てない''と言っているも同然の評価であり、中日ファンから失笑を買った。 もっともそのソースが、自ら信憑性を否定するスポーツ新聞と悪名高い東京スポーツなのが引っ掛かる所だが…… ・''マット・ダーモディー''(西武・2021) 先発左腕の駒不足に悩む西武が2021年に獲得した左腕。 しかし、メジャーでは中継ぎメインで投げていたことから、一部ファンからは「見当外れの補強ではないか?」と疑問視されていた(一応、中継ぎ左腕も先発左腕程ではないにしろ駒不足ではあったが)。 案の定、シーズンに入るとその不安は的中し、スタミナ不足で5回まで持たない試合を連発。かといって中継ぎに回ると今度は大炎上……したばかりか、6月末にはTwitterにて「''聖書によると、同性愛者は神の加護を受けられずに地獄に落ちる''」旨の問題投稿をしていた事が判明。そちらでも大炎上してしまうというどうしようもない有様で、当然のごとくシーズン終了後に退団となった。 結局、この年の西武は先発左腕不足を解消できず、またダーモディーをはじめ外国人選手が軒並み振るわなかったこともあって、所沢移転初年度の1979年以来となる''42年ぶりの最下位''という屈辱を味わった。 ・''ルスネイ・カスティーヨ''(楽天・2021) キューバ代表として名を上げ、ボストン・レッドソックスで約75億3500万円の7年契約を結んだが、全く活躍できなかった選手。 贅沢税対策によってマイナーに幽閉され、最終的に「''年俸1100万ドルのマイナーリーガー''」というレッドソックスを代表する死刑囚として有名となった。 契約が切れた後に楽天と1年契約で来日したが、上述の死刑囚としての実績や年齢から懐疑論が出ていた。 新型コロナウイルスの影響で合流に出遅れながらも4月に交流するが、初出場の初打席でいきなり脇腹を痛めてしまい、テームズ以上の速さで離脱するという出オチっぷりを発揮。 復帰後も僅か1HRしか打てずに打率も.225、打点は僅か3打点という散々な成績で最後は放出された。 複数年契約ではないのでレッドソックス時代のような死刑囚になることはなかったが、楽天でも優勝争いからの脱落の原因として厳しい目で見られるなど散々な結果に終わった。 ・''ブランドン・ディクソン''(楽天・2021) 楽天がカスティーヨと共に獲得したメジャーリーガー。同名のオリックスの投手とは無関係(スペルが異なる)。 初出場2打席目で本塁打を放つなど当たりかと思われたが、あっという間に成績は低下。最終的に.167・4本という悪い意味で驚異的な成績を叩き出して戦力外に。 久々の本塁打の際には「この成績でも使ってくれる球団に感謝したい」と述べていたので、謙虚ではあったのだが… 2021年の楽天は悉く助っ人野手を外したため、楽天ファンからはカスティーヨとコンビで「&font(b,red){クソカス}」という酷い蔑称が付けられた。 その後はMLBでプレイしたのち、2024年に引退。 ・''タイラー・チャトウッド''(ソフトバンク・2022) MLBで229試合に登板し、先発で12勝を上げた経験もある実績抜群の投手。 ……なのだが、キャンプ時点から既に故障しており、ファームでは6試合に登板したものの、6月時点で右肩を手術し今期絶望に。そのまま&font(b,red){1度も一軍登録されずに7月に退団した}。 この年はかねてより進むドル高やコロナ禍の影響もあってどのチームも新助っ人の質の低下に苦しめられた((特にパの野手が悲惨で、二桁本塁打を放ったアルカンタラ(日本ハム)やオグレディ(西武)がマシな部類に入るほどの惨状だった。))が、''1軍登板すらなく半年で退団''という強いインパクトには勝てず、&font(b,red){「令和の3.5億円事件」}と言われてしまった。 しかしながら一軍の日の目を見なかったこと、そもそもソフトバンクホークスの資本力からしてどちらかというと空気な部類ではある。 また、名前の捩りから某所では「チョットウンコ」→「チャントウンコ」→「メッチャウンコ」という酷すぎる三段活用で呼ばれる事も。 ・''ジョン・ガント''(日本ハム・2022~2023) MLBで173試合に登板し、2019年には中継ぎながら11勝を挙げたことがあるなどこちらも実績十分の投手で、日本ハムが2.4億円+出来高という高待遇で獲得した。 しかしながら来日時点で肘に故障を抱えており、オープン戦はおろか''教育リーグや2軍戦にも登板しない有様''。6月には治療のため一時帰国するなど、この年は肘のリハビリに終始し、来日初登板したのは10月30日の''みやざきフェニックスリーグの試合''となる。シーズン前にBIGBOSS(新庄剛志)監督は「支配下全員を1軍公式戦に出す」との公約を掲げていたものの、ガントが唯一の未出場選手となった。 だが潜在能力を買われてか、5000万円の大幅減俸を受け入れて翌年も残留。早速オープン戦から試合に参加し、2先発で失点0と期待がかけられた…のだが、2軍戦で投げていた最中に右肘の状態が悪化し4月下旬に帰国。そのまま帰って来ず6月30日に退団が発表された。本人は「違う自分を見せたい」と意欲的なコメントも残していたのだが、1年半の在籍でありながら2軍戦や教育リーグを含めても上記の''チャトウッドすら下回る出場回数''という有様であった。 ・''ルイス・ブリンソン''(巨人・2023) 前年21本塁打ながら守備に難のあるグレゴリー・ポランコを切ってまでして獲得した俊足・好守の外野手。 打撃面でも初球を見逃す癖を見透かされ、大久保博元打撃コーチが指摘しても直さなかったことから二軍落ちした時期もあり、打率.248/11本塁打/35打点と物足りない結果に終わったことで解雇された。 だが、彼の最大の問題点は&font(b,red){あまりのボーンヘッドの多さ}。 中でも語り草なのは4月6日の対DeNA戦、2回表一死一塁の場面で打席に立ったブリンソンは相手先発・東克樹から左中間を破る二塁打を放ったが、問題はその後だった。 この時一塁走者の岡本和真は一気に本塁を狙おうとしたが、ややオーバーランしたところでコーチの制止を受けて三塁へと引き返す。だが彼は''岡本の動きを見ておらず、意気揚々と三塁を狙おうとしていた''。気づいた時にはすでに挟まれてしまい、岡本はやむなく本塁を狙うも余裕のタッチアウト。 この時点でも好機を潰した失態とみなされてもおかしくないが、さらに三塁に達していた彼は''これで3アウトだと勘違いしていたのかベンチに引き返そうとしてしまう''。ベンチが一斉に指摘するも時すでに遅し、三塁手の宮﨑敏郎に''ベースを離れたところをタッチされ、先制のチャンスどころか自身のボーンヘッドのせいで一気にアウトカウントを2つ増やしイニングを終わらせてしまうという大失態''を演じてしまった((記録上は二塁打と2人の走塁死。))。結局巨人はこの試合を0-4で落としている。 他にも、 ・飛び出して牽制死 ・一死の場面で二塁走者だった際、特に際どくもない中飛となった打球で三塁手前まで走ってしまっており帰塁できずにアウトになる ・逆に二死の場面で全力疾走すべきところをなぜか帰塁する ・センターのフェンス直撃の打球で本塁打を確信したか二塁に進塁し損ねる など、プロとしてありえないレベルの集中力に欠けたプレーが多かった。 一方で、上記のような凡ミスをした試合では逆転本塁打やサヨナラ打を放つなど汚名返上の活躍を見せたこともあり、「''ブリンソン劇場''」「''劇場型外野手''」と評価が難しい助っ人でもあった。 ・''アリスティデス・アキーノ''(中日・2023) 前年打率こそ1割台だがMLBでシーズン2桁本塁打を打ち通算でも41本塁打、さらに俊足+強肩の元メジャーリーガー。 シーズン前の侍ジャパンとの強化試合ではオリックスの左エースの宮城大弥からホームランを打つなど、貧打解消の救世主として大いに中日ファンから期待されていたのだが‥‥‥。 いざシーズンが開幕するとボールがバットに当たらず凄まじい勢いで三振を量産する三振量産機と化し、&bold(){68打席で32三振}と&bold(){打席の約半分で三振}を記録するという有様。 最終的な成績は打率154/1本塁打/6打点/安打数10/OPS.438と惨憺たるもの。 守備も肩こそそこそこ強かったが、守備技術自体は某スポーツ紙では『プロのレベルではない。投手が可哀想』と酷評されるレベルだった。 この攻守に精彩を欠いた有様に対し当然立浪監督も我慢の限界を早々に迎え、あっさり見切られファーム暮らしに。 しかもモチベーションが低下していたのか定かではないが、そのファームでの成績も打率183/7本/25打点と『本当にMLBで41本も打ったアキーノなのか?別人が来たんじゃないか?』と疑う程の体たらくぶりだった。 当然1年限りでクビになったが、なんと推定年俸は1億6700万。1本塁打につき1億6700万円・1安打につき1670万円と、中日にシャレにならない損害だけ与えてチームを去っていた。 上述のブリンソンもアキーノと比べれば神助っ人に見える程である。 ・''ウイリアンス・アストゥディーヨ''(ソフトバンク・2023) アルフレド・デスパイネやジュリスベル・グラシアルといった神助っ人を引き当て味をしめ、キューバ出身の外国人野手を獲得するのが恒例となったソフトバンクが、彼らのような活躍を期待して2023年シーズン前にアメリカのコートニー・ホーキンスと共に獲得した、キューバ出身野手。 その容姿からファンの間では「亀」とも呼ばれていた。 触れ込みは『どこでも守れるユーティリティプレイヤー』といういかにも地雷外人野手にありがちなフレーズであったが、いざシーズンに入るとその予感が皮肉にも的中してしまうことに。 期待の表れか開幕戦はスタメンに抜擢されるが、開幕6試合で10打数0安打と結果を残せず早々に二軍降格。 この時はまだ期待されていたのか、割と早くに一軍に再登録されるが、ここでも打率1割台、0本塁打と早々チームの期待を裏切る結果しか残せなかった事で完全に見限られ、ダメ外人の烙印を押されてしまった。 彼を含む助っ人打者の余りの不振ぶりから、フロントは何と2022年限りで退団したデスパイネを呼び戻し再契約するという行為に出るハメになった。&s(){が、碌に調整させずに実戦投入したためかこちらも打てずじまいとなり、結果的にチームに貢献した名助っ人の晩節を汚させる事になってしまった。} 最終成績は20試合/44打数/6安打/打率136/1本塁打/3打点/OPS.447というもので、上記の2023年ダメ助っ人筆頭格であるアキーノと悪い意味でいい勝負という結果に。 ソフトバンクも彼の不甲斐ない成績、および諸事情((キューバ国籍選手はMLBの規定でMLBではプレー出来ない決まりとなっている事から、アメリカやプエルトリコなどのアメリカ・中南米諸国への亡命沙汰が多い。ソフトバンクでも2019年のオスカー・コラス(ドミニカへ亡命、現在ホワイトソックス)の例がある。))もあり流石にキューバから外国人野手を補強するのは懲りたのか、22年に23本塁打を放ったアダム・ウォーカーを巨人からトレードで獲得することになった。 なお、ホークスの守護神ロベルト・オスナがチームの大型連敗((前日までで11。オスナの被弾で12まで延びた。))ストップまであと1死と迫ったところからサヨナラホームランを浴び逆転負けを喫した際、テレビカメラがベンチで笑いながら戦況を見つめていた彼の表情が被弾の瞬間に真顔になる様子を捉えており、成績よりもむしろこの場面が一番印象に残っているというファンもいる模様。 あまりにも綺麗な表情の一変っぷりなので、興味があれば見てみてほしい。 ・''マイク・ブロッソー''(ロッテ・2023) ホームラン自体は多くないものの、長打率が高いというフレコミで深刻な貧打に悩まされたロッテが打撃力アップを掲げ、シーズン途中の7月末に獲得。 しかし、碌に調整せず来日後すぐに一軍起用した事が仇となり、凡打や三振を量産。さらに、肝心の守備でも失策を連発し、足を引っ張った事で二軍降格。それでも、二軍に落とされた後は調子を上げた事ですぐさま一軍再昇格を果たすも、一軍での不調は変わらず、さらにオリックスの優勝決定試合では最後のバッターとしてオリックスの優勝の瞬間と共に、彼の三振シーンが晒される憂き目にも遭ってしまった。 最終成績データは37試合/136打数/26安打/打率191/1本塁打/11打点/OPS.504という成績に終わり、オフに退団となった。 ロッテ退団後はカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結ぶも、28打数/3安打/打率107/0本塁打/3打点と低調な成績に終わり、2024年4月24日に自由契約となった。 ・''ルーグネッド・オドーア''(巨人・2024) 長らく監督を務めた原監督から阿部慎之助新監督への交代に伴い、心機一転V奪回を目指す阿部巨人の補強の目玉として加入したベネズエラ出身の左の大砲。 MLBでは長らくテキサス・レンジャーズの正二塁手を務めて通算178本塁打、17年にはベネズエラ代表としてWBCに出場するなど実績十分のバリバリのメジャーリーガー。巨人ではチーム事情の兼ね合いで右翼手にコンバートされ、新体制のキーマンとして期待されていたのだが… このオドーア、低めの球をホームランに出来る打撃力と言えば聞こえがいいが、実際のところはフリースインガー…要はブンブン丸であった。 数値的にもOPS(出塁率と長打率を足し合わせた値。.700以下だと並以下)も2020年以降だと.700を割り込み、打率も2割強で推移していた。 おまけにトラブルメーカーでもあり、MLB研究家の友成那智をして「日本野球とは最も合わないタイプ」と言わしめた。 そして案の定、変化球に弱いと言う弱点が露呈して12試合に出場したオープン戦の成績は打率1割7分6厘(34打数6安打)で0本塁打と振るわず、ビザの関係で合流が遅れた調整不足と判断した 首脳陣は彼を開幕二軍スタートにする。ところがこの通告に納得できなかった彼は米国に帰国したいと主張し、球団もその意思を尊重し契約を解除。 これは&bold(){開幕戦を3日後に控えての出来事}であり、散々な内容の数試合ではありながらも一応試合には出場したダン・ミセリをも超える、&bold(){開幕前に退団した前代未聞の助っ人外国人として球団の歴史に名を遺すことになってしまった。} 球団側は「シーズンの中で調子を上げていってほしい」と長い目で見た上で二軍スタートを要請しており、また契約も一軍での起用を確約するものではなかったため、退団希望は完全に彼の勝手な要望。 さらにこの件が取り沙汰される中で年齢詐称疑惑まで浮上するおまけつきで、新指揮官のもと華々しいスタートを決めることを思い描いていた巨人は開幕前に出鼻を挫かれてしまうことになった。 ただし、レギュラーがほぼ決まっていた内野とは違って外野は激戦区であり、若手にチャンスが生まれるという点では決して誤った決断ではないする意見もある。 なおその後、オドーア本人は2021年に所属したヤンキースと"マイナー契約"を結ぶ事になったのだが、巨人二軍を蹴ってオプトアウト条件付きマイナーと言うものだった為、日本のファンからは物笑いの種にされてしまった。 #areaedit(end) } #hr 追記・修正は助っ人外国人クジを引きながらお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,83) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #lsd() #comment_num2(num=30) }
&font(#6495ED){登録日}:2011/04/21 Thu 13:34:16 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s)&new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 78 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){ 長年プロ野球において助っ人の成績はチームの順位を左右するものである 君は大した成績も残さず祖国に帰った助っ人選手をどれだけ覚えているだろうか? } #contents *【概要】 [[プロ野球]]において「助っ人」とは外国人選手を指す。戦力として外国人にかけられる期待は大きく、年俸が高い上に外国人枠の制限もある((1995年までは支配下選手登録にも制限があった))ことから、当然日本人以上に評価の目は厳しいものとなる。 成績が重要なプロ野球において結果を残せずに帰国する選手は沢山いるが、中にはネタにしか見えない外人も存在する。 本項目では、主に以下のケースに該当する者を扱っている。 >+&bold(){前評判が良かったり、メジャーリーグでの経験が豊富なのにもかかわらず凡退や炎上を繰り返す} >+&bold(){言動や素行不良などによる話題性(=ネタ)に特化} 単なる成績不振とはややニュアンスが異なるし、何よりも成績不振だけならばかなりの数の選手がいるので書ききれないという問題もある。逆に、1と2が重なった時の破壊力は(ネタとして)凄まじく、応援するチームではなくても覚えられることがある程にプロ野球ファンのネタになる。 某掲示板の某野球好き板では >+成績が良くて性格も良い→最高の助っ人 >+成績が良いけど性格は悪い→応援はされる >+成績は悪いけど性格は良い→励まされる >+成績が悪い上に性格も悪い→凄まじいネタ選手 なんて分け方をされてたりもする。 ダメ外人が多発する最大の理由は、元いた国と日本との違いによる適応力不足。 日本野球そのものに適応できないケースはもちろん、日本での慣れない生活から調子を崩す例もしばしば。中には初年度こそ振るわずとも2年目以降に適応を見せ、遅れてブレイクする者もいるが、基本的に支配下の外国人が即戦力にならないのは球団にとって痛手であり、さっさと戦力外になりやすいのが追い打ちをかけている。 加えて2010年代後半からは顕著な投手力の向上や年俸の問題から活躍できる外国人が数を減らしており、「''2桁本塁打に達すれば上々''」といった20世紀であれば信じられないような評価すら見られる状態である。 また項目名がダメ外人となっているが、成績不振の場合&u(){必ずしも外国人選手に責任があるわけではない}ことにも注意。球団側の不手際や待遇の悪さ、不運なケガ等によって、コンディションを万全に保てずに能力を発揮出来なかったようなケースもこの項目では紹介している。 また、本当に能力が劣るダメな選手だとしても、その人物を評価して招き入れたのは球団側である。 日本人選手にもダメ外人以上に活躍できていない選手がザラにいるが、外国人選手は少数だったり有名な経歴を伴いがちなので、目立ちやすい。 特に海外での実績が高いとファンからの期待との落差が激しく、戦力としては機能したのにネタキャラ扱いされやすくなってしまうことも忘れてはいけないだろう。 なお、[[星野仙一]]は中日監督時代、&bold(){「外国人選手の獲得は宝くじを買う様な物」}などと表現していた。 メジャーで活躍したからといって同じ様に活躍するとは限らなかったり、逆に3A止まりの選手が日本で多大な実績を残す事もあるという意味では的を射ているが、同じ事は日本人選手でも言える。 そもそもあまり調査していなかったり((ちゃんと調べてみると経歴は凄まじいが直前の成績はがた落ちしていたり、老齢で衰えていたり、実はそこまで凄い経歴の持ち主ではない(=妥当な活躍)といったケースも案外多い。))、日本でプレイするための十分な環境を整えていなかったり、緊急補強で急に呼ばれたりすることも多いのは忘れてはならない。 一歩間違えば誹謗中傷やヘイトスピーチになり、日本野球の品性を疑われかねないため安易な使用は自重すべきである。無論、このページに記載されているからと言って「ダメ」という評価が絶対的になるものでもない。あくまでネタ半分でお読みいただきたい。 *以下代表的なダメ外人 **◆60年代 #openclose(show=▽展開 / 格納){ #areaedit() ・''マニー''(大毎・1962) 来日前年まで兵役に就いておりブランクを心配されたが、蓋を開けてみれば「10勝する自信がある」の強気も虚しく、ほとんど良い所なく1勝も挙げられないまま1年で退団。 ただ彼の場合、この項目に名が挙げられている理由はやや特殊。 マニーというのは登録名であり、彼の本名は&bold(){Frank Edward Mankovitch}という。 調べてみれば分かるだろうが、彼のファミリーネームをカタカナにすると、日本語ではもろに放送禁止用語であり、本人に落ち度はないのだが色々アウト。 退団後はアトランタオリンピックに便乗して販売したTシャツで一悶着起こしたりし、2011年に死去。 ・''ハンベルト・フェルナンデス''(阪神・1965) 阪神歴代助っ人補強史の黎明期に名前を残すハズレ助っ人のキューバ人。成績も素行も駄目というネタ外人の初期を飾る一人である。 メジャー時代は遊撃手で、通算850試合出場の上にレギュラー経験があり、通算40本塁打という実績を引っ提げていた。 阪神では球団側の意向や本人自身も就いた経験があるという事で三塁手にコンバート。 大いなる期待を抱かれて来日したが、&bold(){練習はサボりまくり}でオープン戦から既に打てない始末。 一応内野の全ポジションでの出場を経験したが、内角球が打てない弱点があって&bold(){打率.144}と低迷した。 そしてスタメン落ちすると、&font(b,red){滞在していたホテルから雲隠れして逃亡して首脳陣との連絡を絶つ}。 ようやく姿を現したと思ったら今度は自分勝手な&font(b,red){首脳陣批判}を行い、1年で解雇された。 2016年死去。 ・''ルー・ジャクソン''(サンケイ・1966~1969) 米ルイジアナ州出身の黒人選手。 小柄な体格ながら俊足強肩の選手として、同じ助っ人だったデーヴ・ロバーツと共に弱小だったサンケイアトムズ(後のヤクルトスワローズ)を支え、オールスターゲームにも出場した程の実力者。 加えて「黒い弾丸」「おとぼけルー」の愛称でチームメイト・ファン共に親しまれた。 ……これだけなら優良外人であろう彼がこの項目に書かれる理由、それは&bold(){スポーツ選手には特に不可欠である自己管理が極めて杜撰だった}のだ。 まず&bold(){極端な偏食家で、肉類(とりわけ日本で知った焼鳥)やビール・コーラばかりを口にしていた一方、米やパン・野菜は殆ど食べなかった。} 加えて&bold(){遠征時にはストリップ劇場にも足を運び、女遊びにも興じる。} 酒や女に溺れるさまは球団側も問題視し、解雇寸前までいった程だが、代役が見つからなかったため再契約。 しかし&bold(){不摂生が祟ってか、1969年のオープン戦中に倒れてしまい、すい臓壊死により33歳という若さでこの世を去ってしまった……。} 異国での慣れない生活に加え、母国に置いてきた妻との離婚問題もあり、精神的に追い詰められてしまった事が酒に手を伸ばしてしまった原因でもあった。そして最期はその妻子に看取られる事も無かった等、同情する点も幾つかあるが……。 ・''スティーブ・フォックス''(中日・1969) プロ野球選手の経験は無かったが、彼の父親と水原茂の繋がりによる縁故採用の流れでテスト入団。 しかし、入団直後の熱意が開幕後には何故か一転して練習をサボる様になり、首脳陣の怒りを買って二軍に落とされた。 しばらくして一軍に昇格し、そこそこ試合に出たが、打率.222・本塁打5本という何とも微妙な成績だったので1年限りでクビに。 なお首脳陣はともかく、選手達には&bold(){「きつね」「コンちゃん」}と呼ばれて仲は良かったらしい。 #areaedit(end) } **◆70年代 #openclose(show=▽展開 / 格納){ #areaedit() ・''ジョー・ペピトーン''(ヤクルト・1973) &font(b,red){日本プロ野球史上最悪の外国人}の呼び声も高い70年代を代表するダメ外人。 名門ヤンキースから鳴り物入りで入団し数々の輝かしいタイトルを引っさげて来るも最終打率.163と全く打てなかった上、夏に前妻との離婚裁判で帰国。 仮病・練習のサボリは当たり前で、アキレス腱を痛めたと言いつつ赤坂のディスコで朝まで踊っていたり((アキレス腱の事を指摘された途端に足を引きずって歩きだすというおまけ付き。))、数百万円のツケを球団に押し付けたりと、完全に問題児であった。 更にはヤクルトが漸く彼と連絡を取れた際も、戻るどころか&bold(){前年の荷物輸送料金と犬の空輸料金を要求。}球団側も流石に堪忍袋の緒が切れ退団となった。 しかも帰国後に現地の新聞に全くの出鱈目((その内容とは「日本の玄関は約1m30cmしかない、英語の通じる人が誰もいない、マクドナルドのハンバーガーが5ドル(当時約1500円)もする、国際電話で2000ドルもかかった、あまりの酷さに毎日夜中の3時に「神様、どうか私をこの日本で死なせないでください」とお祈りをし、アメリカに帰れた時は嬉しさのあまりその大地にキスをした」というもの。))を吹聴して日本を貶しまくるおまけ付き。&bold(){日本球界から外国人を追放する運動が起こりかける}等、&font(red,b){野球を巡る日米関係が冗談抜きで心配された}程。 遂にアメリカでも在日アメリカ人に日本での醜態を暴露され((当時太平洋クラブライオンズの企画広報部長だったマーティ・キーナートが上記の新聞を見てブチ切れ。反論文を当の新聞社と当時24球団だったMLB各球団に送りつけた。))、&bold(){「アメリカの面汚し」}としてマイナーリーグからすら見向きもされなくなり、野球選手としてのキャリアを終えた。 その後は1982年に1年だけヤンキースの打撃コーチを務めるがシーズン後に解任。 後にコカインに拳銃の不法所持で、かのライカーズ刑務所にも叩き込まれた事もあり、一度は1988年に再びコネでマイナーリーグの選手の育成目的でヤンキースに招聘されるも、他にも婦女暴行に飲酒運転による交通事故まで起こすなど、様々な罪を犯しては何度も刑務所の厄介になったという&bold(){、殺人以外は大抵やっていると言われる様な自業自得な末路}を迎えた。 しかしヤンキースのオールドタイムズデーに出るなど偶にメディアに出ていたらしい。 真偽は不明だがこの選手をきっかけにして、MLBは信頼を回復させる目的で、性格的にも成績的にも問題ない選手としてチャーリー・マニエル((ヤクルト初優勝・初日本一に導き翌年には近鉄も初優勝に導いた超優良外国人選手))をヤクルトに譲渡したと言われている。 そしてヤクルト側も&bold(){この事件以降助っ人外人を取る際は「まず第一に人間性」というスタンスを取る様になり}、そのおかげで極端なダメ外人を掴む事は少なくなった。 また、余談だが実はカツラを着用しており、&bold(){「MLB時代にライト前にヒットを放つも、走塁時にヘルメットと一緒にカツラも取れてしまい、慌てて取りに行きその間にアウト」}、というネタエピソードも残っている。 2023年死去。2021年にかつてヤンキースの同僚であったミッキー・マントルが500号本塁打を打った時のバットの所有権をめぐって野球殿堂と対立するなど、晩年までお騒がせぶりは変わらなかった。 ・''フランク・ハワード''(太平洋・1974) 来日時点でMLB通算382本塁打・1119打点という現役の超大物メジャーリーガー。 当時はそれだけでマスコミから注目を浴びており、入団前から客寄せパンダとしての役割はしっかり果たしていた。 オープン戦の対巨人戦で川上哲治から賛辞を送られるなど実力は高かったのだが、来日した時点で膝を故障。開幕3打席に出場しただけで5月には帰国してしまった。 契約解除時に残額を払う払わないで揉め、結局球団側が折れたというトラブルも残している。 とはいえ、これは本人の落ち度と言うよりは日本側の期待が大きすぎた事や契約の認識の問題といった感が否めない。 退団後はパドレスやメッツの監督を務めたが監督としては振るわず、前後して様々な球団でコーチや育成インストラクターを歴任。2023年10月30日、全盛期を過ごしたレンジャーズ(1971年までワシントン・セネタース)が球団史上初のワールドシリーズ優勝を果たす2日前に死去。 ・''バール・スノー''(日本ハム・1974) 貿易会社の社員だったが、74年に来日したついでに日ハムの球団テストを受けて合格。 敬虔なモルモン教徒で、酒やタバコ、コーラすら飲まない程真面目な性格だったらしいが、&bold(){初任給をもらった直後、初登板前日に突如失踪。} 彼が勤務していた貿易会社まで巻き込んで行方を調査した所、&bold(){既に故郷に帰っており、初任給も殆ど使ってしまっていたとの事。}本人曰く「脅迫電話がかかってきたり、暴漢に襲われて恐怖を感じた」との事だが…。 これにより、&bold(){パシフィック・リーグ初、国内では2例目((1例目は1971年、寮から失踪した阪神の高山忠克。))の&font(red){無期限失格選手}に指名}されてしまった。 ヤクルトの監督から日ハムの球団社長になった三原脩は、ペピトーンといいこいつといい、つくづく助っ人外人に泣かされるのであった……。 その後の来歴は定かではないが、帰国後は長距離トラック運転手をしていたらしい。2009年には喉頭癌を患い2011年に亡くなったらしい。上記に加えて2度にわたって恋人と死別する等、波乱の人生であったという。 ・''クライド・ライト''(巨人・1976~1978) エンゼルス史上唯一の左腕で20勝、メジャー通算100勝などという輝かしい実績を引っさげて1976年途中に巨人に入団した左腕。%%投手(ピッチャー)なのにライト、左投げなのにライト%% 良くも悪くも「球界の福島正則」とでもいうべき人物である。&bold(){良くも悪くも}。 普段は好人物であり、成績面でも78年途中に退団するまで22勝と結果を残している…のだが、&bold(){気性が激しく一度キレるとめちゃくちゃ暴れる}という問題児でもあった。 降板を告げられると&bold(){「通訳の首を絞める」「カメラマンのカメラを取り上げて叩き潰す」「自分のユニフォームを引きちぎる」}等の傍若無人振りで、ついには&bold(){「クレイジー・ライト」}という有難くない渾名まで付けられた。 終いには神宮球場で乱闘により退場になった後そのまま帰宅するという職場放棄をやらかし、これが原因でそのまま退団となってしまった。上記の通り普段は好人物らしいのだが……。 なお、巨人退団後はそのまま引退した。何故か?妻子に逃げられた原因%%及びキレやすかった原因%%でもあるアルコール依存症の治療に専念する為であった。 ただ、その後は福島と違って、アル中を克服し、ちゃんと家族との関係も修復し、実業家に転進して成功を収めているのが救いといえるだろう。この時戻って来た息子のジャレットも後にメジャーを代表する右腕として活躍した。 なお、大谷翔平に「俺みたいに(短気な選手に)なるな」とコメントするという、しくじり先生の様なアドバイスを送った。 ・''ブレット(ボブ・レイノルズ)''(大洋・1977) 70年代の大洋ホエールズを代表する…というか最早&bold(){球団史に残るレベルのハズレ助っ人}。 メジャー経験もあったが、6球団に渡って移籍を繰り返す渡り鳥でもあった。 「&bold(){弾丸の様な速い球を投げる}」と自負し、それによって登録名を弾丸を意味する「ブレット」とした。 しかし蓋を開けてみると、&bold(){弾丸とは程遠い球速の上に四球を出しまくるコントロールの悪さ}という悲惨な実態が明らかに。 やがて&bold(){5月に右肘の痛みを理由に退団を志願}し、球団は慰留の為に6月に球団社長自らマンションに向かうがそこは既にもぬけの殻だった。 僅か&bold(){44日での退団}に「&font(b,red){弾丸の様なスピードで無断帰国}」など大いにネタにされた。 一応、6月以降の給料はいらないと約束して帰国したので、金銭的な損害は少しは抑えられた様だ。 だが、このブレットの存在は大洋史上最大の失敗例と認定。そして&bold(){大洋時代は以後外国人投手の獲得はなかった}。 1994年にダリル・スコットが獲得された事で17年間の負の歴史に終止符が打たれるが、既に球団は横浜ベイスターズに変貌していた。 #areaedit(end) } **◆80年代 #openclose(show=▽展開 / 格納){ #areaedit() ・''ゲーリー・トマソン''(巨人・1981~1982) 1980年をもって現役引退した王貞治の後継として期待されていた元メジャーリーガー。 1年目の81年には打率.261、本塁打20本を記録し8年ぶりの日本一に貢献したが、同時に三振132(当時の球団新記録)という大型扇風機でもあった為「トマ損」という蔑称もついてしまった。 また、同年の日本シリーズでは失点につながる失策をやらかしてしまった。 2年目の1982年の出場は47試合に留まり、更に当時の藤田元司監督とトラブルを起こした為、同年限りで解雇された。退団時の捨て台詞は「俺を使わなくなったから巨人は勝てなかった」だったとされる。 なお、余談であるが現代芸術における「超芸術トマソン」という用語は[[彼が由来>人名由来の言葉]]だったりする。 ・''ドン・マネー''(近鉄・1984) 元々引退を考えていたが近鉄たっての希望により、メジャー通算本塁打176本の実績を引っ提げ来日。 出場29試合で8本塁打、打率.260。順調に出場し続けていればシーズン30本塁打以上のペースであり十分助っ人になったと思われるが、ホームシックにより5月に退団。 [[ゴキブリ]]が原因という点がピックアップされ、最初は報道で叩かれた((このアニヲタwikiでも、マネーに対する評価の初稿で、辞めた理由に対して「マネーという名前だから銭闘をして球団に文句を言った(意訳)」などと、出鱈目なことを書いていた。実際は以降の通りで、ネット上を少し調べればすく分かることなのだが……。))。 但しこれは後の関係者の話により『&bold(){本人だけでなく、一緒に来日した妻子までホームシックにかかってしまい、家庭状況が深刻になってしまった}』事が大きな理由と分かっている。 原因の一つは当時の本拠地藤井寺球場の汚さで、シャワールームやロッカールームもボロボロでゴキブリも現れたとの事。後の大阪ドームであったならばこうはならなかったかもしれない……。 何よりも大きな問題は、近鉄が契約条件として日本で提供した住居。 マネーは「緑豊かで落ち着ける環境」を希望し、&bold(){近鉄も事前に最新の綺麗なマンションのパンフレットを渡して説得していた}のにもかかわらず、実際に用意されたのは&font(red,b){タクシーでも球場から1時間半掛かる程遠く、アメリカ人はおろか英語を話せる人が殆どいない、まるっきり疎外された環境にある冷暖房もないおんぼろ中古住宅}だった((一説によると、前年の外国人助っ人テリー・リーが散らかした住宅をそのまま宛がったとか。))。此処まで来ると詐欺もいい所である。 しかもマネー曰く「家にも大量のゴキブリが出た」らしい。余りにも酷い。 ちなみに、チームメイトだった梨田昌孝は「和式便所がダメだったのもあるだろう」と自分の著書で語っている。 マネーの家族は本人も含めて、日本語は全く話せなかった。マネー自身はそれでも我慢できていたほうだったのだが、妻と長女は土地勘もなく何度も迷子になる、買い物すら不自由する((2023年現在は英語以外の言語で説明されていることも珍しくないが、1980年代当時道路標識を含めた街中の看板や商品の値段ポップなどはほとんど日本語のみで書かれており、英語表記されていることすら稀であった。))、学校に行っても友達もできない上に勉強にもついていけない……と、ノイローゼになるほど悩まされてしまい、精神が悲鳴を上げてしまったのだ。 最初から家族を連れて来た事からしても、彼自身は本気で日本野球と向き合う気であったのは間違いなかったと思われる。 それに対してこの様な詐欺同然の待遇だったにもかかわらず、報酬の全額返却を申し出たり、会見では「球団は悪くない、慣れられなかった自分の責任」と文句ひとつ言わない、殊勝な態度を見せた。 その一週間後、&bold(){チームメイトで彼を慕っていたリチャード・デュラン((開幕レギュラーで打率2割以下ながら24試合7本塁打という立派な戦力だった))も球団のマネーへの仕打ちに憤慨して退団}してしまった((ただし、デュランは元々母親を独り暮らしでアメリカに残しており、この時母親の体調が悪化して「デュラン、お願いだから帰ってきてほしい」と連絡されていたのも大きな理由である。))。 近鉄の選手待遇やフロントの非道さに対しては後に様々な選手が批判を繰り返しており、今では近鉄はかなりの『シブチン球団』であった事は野球ファンの間でも広く知られている。((「優勝旅行で、家族のいる選手は妻の分までは旅費を出してくれたが子供の分は自腹」「球団スタッフにいたっては妻の分は自腹」「キャンプでの宿舎は冷暖房が充分でない程ボロく、新人の選手は大広間でせんべい布団を敷いて寝ていた」等。これはまだまだ氷山の一角であり、年俸査定もかなり渋かった。調べればいろいろ酷い話は出てくるので、興味がある人は是非。))一応、マネーの退団申し出には近鉄上層部も慌て「待遇を改善するからどうか残って欲しい」と説得したらしいが……先述の最初の待遇を考えると本当かどうか疑わしい。 そもそも先述の通り、マネーは自分から球団に売り込みに来たのではなく、引退しようと思ったところを近鉄の説得を受けプレーしていたのである。それに対してこのような待遇違いをすること自体、程度の違いはあれど近鉄の関係者がマネーのことを軽く・甘く見ていたことは疑いようがない。 こうした背景が明らかになった為、マネーに対してはファンからむしろ同情的な意見が上がり、逆に球団側の対応に批判が集まる様になった。 当時のパ・リーグが閑古鳥で球団の懐具合が苦しかった事も球団の塩対応の一因であろうが、結果として主力選手2名を失ったどころかファンからの評価までも落としてしまったのだった。 下記のリチャード・デービスが成績的に大当たりだった事は救いとなったが……。 ・''リチャード・デービス''(近鉄・1984~1988) 上記のマネー、デュランの退団に伴い入団。 入団当初から長距離砲として大活躍。陽気な性格でチームにも短期間で馴染み人気者に。 [[落合博満]]がいなければ三冠王すら取れていた程で、助っ人としては成績は文句なし。 ところが、4年後の1988年6月7日に''大麻取締法違反で逮捕''。当然ながら翌日に解雇、不適格選手とされ、自業自得の形でそのまま引退した。 しかもあろう事か、''大リーグ在籍時から来日後もずっと大麻を常用し続けていた''事が判明。1985年に大リーグの麻薬疑惑が取り沙汰された際に彼の名も挙がっていたが、近鉄はその件を無視してチームに在籍させ続けており、球団の身辺調査の怠慢も明らかとなった。 その後に急遽獲得したのが、[[中日ドラゴンズ]]二軍で燻っており後にデービス以上に活躍するラルフ・ブライアントなのだから、塞翁が馬とはこの事である。 ・''シクスト・レスカーノ''(大洋・1987) 現役バリバリのメジャーリーガーとして来日。 ヤクルトのホーナーをライバル意識していたが、蓋を開けてみれば妻の看病で1年のブランクがあった為か&font(red,b){「140km/hの速球が怖くなった。体力の限界」}という迷言を残すプロ失格レベルのチキンぶりを発揮しシーズン途中に退団、そのまま現役引退した。 実は&bold(){ワールドシリーズを頭痛で欠場する}等メジャーでも度々トラブルを起こしており、退団の際に他球団の外国人選手から「そんな奴が日本でプレー出来るわけがない」と批判された。 ・''ビル・マドロック''(ロッテ・1988) MLBナショナル・リーグで首位打者4度、在籍15年の間に右打ちで首位打者になったのは彼のみという実績を誇り首位打者候補と目された。 当時のロッテはフランチャイズが「狭い事で有名な」川崎球場であり、シーズン前は「50本は打てるだろう」と豪語するなど当人もビッグマウスを連発。 だが37歳という年齢もあったか打率は2割5分程度と低迷。後半に日本慣れしたのかある程度持ち直したが、本塁打19本、打率.263と何とも言いがたい成績で終わった。 因みに同チームだった愛甲猛曰く「DHで登場する時以外、あいつはテレビゲームばっかりやってたよ」との事。 彼が唯一輝いたのは[[10.19第2試合>10.19(プロ野球)]]での先生本塁打くらい。 しかし期待や年俸に見合う成績ではないが特別に悪いという訳ではなく、更に帰国時に自分の不甲斐なさを嘆くと同時に日本野球を称賛し、野球選手を引退した。 ダメ外人の典型として挙げられる事もあるが、彼については期待との落差が激しかった面が強い。 ファンからの失望が激しかったせいで、球場外壁に「マドロック立ち入り禁止」という落書きまでされる事態に…(※当然論外な行動であり、この様な事をする者は問題である)。 応援曲は何故か[[サザエさん]]OP。 帰国後に「ボブ・ホーナーは『地球の裏側にもう一つのベースボールがあった』と言ったけど、そんな事はない。日本の野球だって十分やってけると思う」と評した。 ・''ルパート・ジョーンズ''(阪神・1988) &font(b,red){初代「バースの再来」}となったダメ外人。 メジャー通算147本塁打という実績を引っ提げバースの後釜としてタイガースに入団し、バース並の活躍が期待されるも、&bold(){来日前に既に肩を大きく故障する出オチを披露。}結果送球が全部下手投げになる羽目に。 シュールさもあるが、一塁から二塁への送球は愚か投手への返球も満足に出来ず、&bold(){投手が一塁のジョーンズの所までボールを受け取りに駆け寄る}という奇妙な光景がしばしば見受けられた。 その後何とか肩が回復し成績好調が見え始めた矢先に解雇が確定してしまい、球団を去る事となった。 因みに&font(red,b){日本球界で初めて背番号00を着けた選手}でもある。 背番号ととんがり頭のスキンヘッドという奇怪な風貌も合わせて&bold(){「ゼロゼロ怪人」}という渾名が付いた。 理由は不明だがベンチで線香を焚く事があったという。 ・''ホアン・アイケルバーガー''(ヤクルト・1989) ストッパーとして期待されるも、この年の開幕第2戦の来日初登板でフォアボールを連発。&font(red,b){サヨナラ暴投}をやらかしてしまい、しかもそれを「捕れないキャッチャーが悪い」と逆ギレ。結果&bold(){ヤクルト史上最速での解雇}となった。 時の監督・関根潤三は&bold(){「名前が面白くて獲ったんだよね」}と言ったらしい……。 因みに8文字の長い名前をどの様に表示するのか当時注目となった。 よりにもよって登板したのが電光掲示板が無かった川崎球場。当時の球場職員も悩んだ様で、登板して3人目の打者を迎えるまで選手名が掲示されない状況が続いた末、最終的に&bold(){掲示板にチョークで[[&font(red){「バーガー」}>ハンバーガー]]と大書きされ、ロッテファンの爆笑をさらう}という伝説も残した。 在籍期間は短かったがその名前からか話題が多く、「マクドナルド」「ビッグマック」等、本人に非の無い野次が飛んだりもしている。 #areaedit(end) } **◆90年代 →[[別ページ>1990年代のダメ外人(プロ野球)]]を参照。 **◆00年代 →[[別ページ>2000年代のダメ外人(プロ野球)]]を参照。 **◆10年代 →[[別ページ>2010年代のダメ外人(プロ野球)]]を参照。 **◆20年代 #openclose(show=▽展開 / 格納){ #areaedit() ・''アルシデス・エスコバー''(ヤクルト・2020) ショートの固定に苦しんだヤクルトが連れてきた内野手。GGの獲得経験もあるメジャー屈指の名手で、メジャーファンの知名度も高かったのでかなり期待されていた。 横浜のエドウィン・エスコバー投手の親戚で、オフには仲良く草野球に出ているという私生活面でも注目を浴びる。 が、蓋を開けると打率以外はボロボロ。打撃についてはとにかく早打ちなので打率に対して出塁率が低く、規定打席到達した助っ人ではおよそ半世紀ぶりのシーズン1本塁打となったが、これは下馬評通りではある。 だが肝心の守備で衰えが顕著で、UZRが-16.7という悲惨すぎる数値を叩き出しており、同年限りで解雇となった。 その後はワシントン・ナショナルズでメジャー復帰を果たしている。 ・''ガブリエル・イノーア''(ヤクルト・2020) 去年まで主力投手の一角を務めていたデビッド・ブキャナンに代わる投手として契約する。 練習試合やオープン戦ではそれなりの成果を出していたものの、いざペナントが始まると登板するたびに炎上。先発するたびに4点以上失点して試合を壊しまくり一度2軍降格。 その後再度昇格し中継ぎに回るも、やっぱり炎上しまくり結局一軍では一つも勝てないまま降格。この頃には二軍でも通用しなくなり打ち込まれてしまい、とうとうペナントレース終了前に解雇されてしまった。 NPBでの一軍成績は9試合24投球回で0勝3敗・45被安打・被本塁打8・10四球・防御率10.13。上記のアイケルバーガーをも上回る惨状で''ムノーア''という不名誉な仇名までつけられてしまった。 なお、この年のヤクルトは7月12日に単独首位に立つなど決してスタートダッシュに失敗したわけではないが、イノーアが炎上し出した8月以降はシーズン終了まで負け越すなど急失速((8月から10月の3ヶ月間は21勝50敗6引分の勝率.296であり、月間22勝のNPB新記録を打ち立てたソフトバンクの10月1ヶ月分の勝利数にも満たない状況だった。))し、2年連続の最下位でシーズンを終えた。 ・''テイラー・スコット''(広島・2020~2021) 珍しい南アフリカ出身の選手。前年4位に沈んだ広島の新クローザーとして期待された。 オープン戦では結果を残し1軍スタート。しかしシーズンが開幕すると2回目の登板でいきなり1アウトも取れずに満塁にされた挙句サヨナラを決められる。翌月にはヤクルトの村上宗隆から''サヨナラグランドスラムを被弾''し、スコットならぬ''スットコ''と呼ばれるようになる有様。 後半には先発を試すもうまくいかず、シーズン通しての防御率は''15.75''、リリーフ防御率に至っては''22.50''という異次元の数字を残した。これは是非もなく退団…かと思われたが、助っ人の確保が難しい事もありまさかの残留。だが翌年は1軍登板なしに終わり、今度こそ退団した。 「スコット」という名前の選手がやらかすたびにスットコ呼ばわりされるようになるなど、同じ年にやらかしまくったイノーアと並び2020年を代表する炎上投手となってしまった。 ・''ドビーダス・ネバラスカス''(広島・2021) さらに珍しいリトアニア出身の選手。長身から繰り出す160キロのストレートとパワーカーブで先発として期待されたが、その割にストレートが甘く入り痛打されることが多く、そもそもストレートの球速は良くて150キロ前半しか出ず、またクイックが極端に苦手なこともあり、一軍登板は1試合で防御率10.30、二軍でも防御率5点台と全く結果を残せず、&bold(){ネバカス}と呼ばれる始末で1年で退団となった。 ・''エリック・テームズ''(巨人・2021) 2020年度ストーブリーグの目玉、KBO最強打者ロハス・ジュニアを阪神との競合の末に逃した巨人が、それに代わって契約を結んだ選手。ロハスと同じくKBOを経験した選手であり、2015年度KBOシーズンではなんと.381・47本・40盗塁という凄まじい成績を残した。16年度にも40本塁打以上を放ち、2年連続40本塁打の肩書きを提げてメジャーへと凱旋((この時も阪神が獲得しようとしていたが、失敗していた。))、17年度は31本の本塁打を放ち、KBO・MLB両リーグでシーズン30本塁打を達成した唯一の選手となる。 新型コロナウイルス感染症の影響による入国制限で来日が3月末にずれるも、隔離生活を経て4月中旬にチームに合流。二軍公式戦9試合に出場し打率5割(22-11)・4本塁打の結果を残すと、4月27日に一軍へと昇格。同日、ヤクルト戦において6番レフトスタメンでNPB初出場を飾ることとなった。 ところが、なんと''3回裏のレフトフライを後逸した後に倒れ込み悶絶''。担架で運ばれる負傷を負い、''わずか3イニング・2打席(しかも2三振)での交代''となってしまう事態が発生。 試合後、病院で右アキレス腱の断裂と診断され、米国に帰国し手術を受けると発表。今季中の復帰は絶望となった。そして2021年8月にはとうとう自由契約となる。その後は米国で治療を続けながらも9月に古巣ブリュワーズの試合を観戦している様子が確認されている。 スモークとの併用で不慣れなレフトをやらざるを得なかった((コロナ禍での難しいコンディション管理を強いられた結果、ベスト体重よりも10キロ太っていたことも発覚した。これでレフトを守らせた首脳陣は当然ファンから批判された。))のもあるが、その退場の速さ、特に難しくないレフトフライを取り損ねた守備の稚拙さ、病院診断中と思われるタイミングでInstagramのストーリーに投稿された「Wow」というメッセージ((これに関しては、自身が退いた後の前述のヤクルト戦が両軍合わせて34安打を記録した14-11の馬鹿試合になった事への反応という説もある))など、''イテームズ''の蔑称とともに多くのインパクトを我々に残してくれた。 その後好調だったスモークも家庭の都合で電撃退団、さらにその埋め合わせで来日したハイネマンも体調不良で即退団と、2021年の巨人は''助っ人外国人野手に呪われたシーズンとなった''。 ・''マイク・ガーバー''(中日・2021) 中日の一軍打撃コーチを担当していたアロンゾ・パウエルによる推薦もあって中日に加入した助っ人野手。 MLB時代から三振率が異常に高かったが、日本でもボール球じゃないストライクゾーンに連続で投げられて三球三振するという空振りっぷりで三振を量産。 守備も怠慢や雑な動作が目立ち、最終的には157・0本・1打点・18三振という散々な成績を叩き出して途中帰国。そのまま1年でクビとなった。 エキシビションマッチで1試合2HRを叩き出したのが日本での唯一の輝きとも言われている。 そもそも新型コロナウイルスの影響で2020年はマイナーが中止されていた事で直近の試合経験がなく、その点に関しては不運だったとは言えるか。 ガーバーに関しては、中日の仁村徹二軍監督による「''ガーバーは速い球、変化球、インコースの見極め、落ちる球の対応とまだまだひとつずつクリアしていかなければならない。もう少し時間かかるとは思いますね''」との分析が有名。 解釈次第では''何も打てない''と言っているも同然の評価であり、中日ファンから失笑を買った。 もっともそのソースが、自ら信憑性を否定するスポーツ新聞と悪名高い東京スポーツなのが引っ掛かる所だが…… ・''マット・ダーモディー''(西武・2021) 先発左腕の駒不足に悩む西武が2021年に獲得した左腕。 しかし、メジャーでは中継ぎメインで投げていたことから、一部ファンからは「見当外れの補強ではないか?」と疑問視されていた(一応、中継ぎ左腕も先発左腕程ではないにしろ駒不足ではあったが)。 案の定、シーズンに入るとその不安は的中し、スタミナ不足で5回まで持たない試合を連発。かといって中継ぎに回ると今度は大炎上……したばかりか、6月末にはTwitterにて「''聖書によると、同性愛者は神の加護を受けられずに地獄に落ちる''」旨の問題投稿をしていた事が判明。そちらでも大炎上してしまうというどうしようもない有様で、当然のごとくシーズン終了後に退団となった。 結局、この年の西武は先発左腕不足を解消できず、またダーモディーをはじめ外国人選手が軒並み振るわなかったこともあって、所沢移転初年度の1979年以来となる''42年ぶりの最下位''という屈辱を味わった。 ・''ルスネイ・カスティーヨ''(楽天・2021) キューバ代表として名を上げ、ボストン・レッドソックスで約75億3500万円の7年契約を結んだが、全く活躍できなかった選手。 贅沢税対策によってマイナーに幽閉され、最終的に「''年俸1100万ドルのマイナーリーガー''」というレッドソックスを代表する死刑囚として有名となった。 契約が切れた後に楽天と1年契約で来日したが、上述の死刑囚としての実績や年齢から懐疑論が出ていた。 新型コロナウイルスの影響で合流に出遅れながらも4月に交流するが、初出場の初打席でいきなり脇腹を痛めてしまい、テームズ以上の速さで離脱するという出オチっぷりを発揮。 復帰後も僅か1HRしか打てずに打率も.225、打点は僅か3打点という散々な成績で最後は放出された。 複数年契約ではないのでレッドソックス時代のような死刑囚になることはなかったが、楽天でも優勝争いからの脱落の原因として厳しい目で見られるなど散々な結果に終わった。 ・''ブランドン・ディクソン''(楽天・2021) 楽天がカスティーヨと共に獲得したメジャーリーガー。同名のオリックスの投手とは無関係(スペルが異なる)。 初出場2打席目で本塁打を放つなど当たりかと思われたが、あっという間に成績は低下。最終的に.167・4本という悪い意味で驚異的な成績を叩き出して戦力外に。 久々の本塁打の際には「この成績でも使ってくれる球団に感謝したい」と述べていたので、謙虚ではあったのだが… 2021年の楽天は悉く助っ人野手を外したため、楽天ファンからはカスティーヨとコンビで「&font(b,red){クソカス}」という酷い蔑称が付けられた。 その後はMLBでプレイしたのち、2024年に引退。 ・''タイラー・チャトウッド''(ソフトバンク・2022) MLBで229試合に登板し、先発で12勝を上げた経験もある実績抜群の投手。 ……なのだが、キャンプ時点から既に故障しており、ファームでは6試合に登板したものの、6月時点で右肩を手術し今期絶望に。そのまま&font(b,red){1度も一軍登録されずに7月に退団した}。 この年はかねてより進むドル高やコロナ禍の影響もあってどのチームも新助っ人の質の低下に苦しめられた((特にパの野手が悲惨で、二桁本塁打を放ったアルカンタラ(日本ハム)やオグレディ(西武)がマシな部類に入るほどの惨状だった。))が、''1軍登板すらなく半年で退団''という強いインパクトには勝てず、&font(b,red){「令和の3.5億円事件」}と言われてしまった。 しかしながら一軍の日の目を見なかったこと、そもそもソフトバンクホークスの資本力からしてどちらかというと空気な部類ではある。 また、名前の捩りから某所では「チョットウンコ」→「チャントウンコ」→「メッチャウンコ」という酷すぎる三段活用で呼ばれる事も。 ・''ジョン・ガント''(日本ハム・2022~2023) MLBで173試合に登板し、2019年には中継ぎながら11勝を挙げたことがあるなどこちらも実績十分の投手で、日本ハムが2.4億円+出来高という高待遇で獲得した。 しかしながら来日時点で肘に故障を抱えており、オープン戦はおろか''教育リーグや2軍戦にも登板しない有様''。6月には治療のため一時帰国するなど、この年は肘のリハビリに終始し、来日初登板したのは10月30日の''みやざきフェニックスリーグの試合''となる。シーズン前にBIGBOSS(新庄剛志)監督は「支配下全員を1軍公式戦に出す」との公約を掲げていたものの、ガントが唯一の未出場選手となった。 だが潜在能力を買われてか、5000万円の大幅減俸を受け入れて翌年も残留。早速オープン戦から試合に参加し、2先発で失点0と期待がかけられた…のだが、2軍戦で投げていた最中に右肘の状態が悪化し4月下旬に帰国。そのまま帰って来ず6月30日に退団が発表された。本人は「違う自分を見せたい」と意欲的なコメントも残していたのだが、1年半の在籍でありながら2軍戦や教育リーグを含めても上記の''チャトウッドすら下回る出場回数''という有様であった。 ・''ルイス・ブリンソン''(巨人・2023) 前年24本塁打ながら守備に難のあるグレゴリー・ポランコを切ってまでして獲得した俊足・好守の外野手。 打撃面でも初球を見逃す癖を見透かされ、大久保博元打撃コーチが指摘しても直さなかったことから二軍落ちした時期もあり、打率.248/11本塁打/35打点と物足りない結果に終わったことで解雇された。 だが、彼の最大の問題点は&font(b,red){あまりのボーンヘッドの多さ}。 中でも語り草なのは4月6日の対DeNA戦、2回表一死一塁の場面で打席に立ったブリンソンは相手先発・東克樹から左中間を破る二塁打を放ったが、問題はその後だった。 この時一塁走者の岡本和真は一気に本塁を狙おうとしたが、ややオーバーランしたところでコーチの制止を受けて三塁へと引き返す。だが彼は''岡本の動きを見ておらず、意気揚々と三塁を狙おうとしていた''。気づいた時にはすでに挟まれてしまい、岡本はやむなく本塁を狙うも余裕のタッチアウト。 この時点でも好機を潰した失態とみなされてもおかしくないが、さらに三塁に達していた彼は''これで3アウトだと勘違いしていたのかベンチに引き返そうとしてしまう''。ベンチが一斉に指摘するも時すでに遅し、三塁手の宮﨑敏郎に''ベースを離れたところをタッチされ、先制のチャンスどころか自身のボーンヘッドのせいで一気にアウトカウントを2つ増やしイニングを終わらせてしまうという大失態''を演じてしまった((記録上は二塁打と2人の走塁死。))。結局巨人はこの試合を0-4で落としている。 他にも、 ・飛び出して牽制死 ・一死の場面で二塁走者だった際、特に際どくもない中飛となった打球で三塁手前まで走ってしまっており帰塁できずにアウトになる ・逆に二死の場面で全力疾走すべきところをなぜか帰塁する ・センターのフェンス直撃の打球で本塁打を確信したか二塁に進塁し損ねる など、プロとしてありえないレベルの集中力に欠けたプレーが多かった。 一方で、上記のような凡ミスをした試合では逆転本塁打やサヨナラ打を放つなど汚名返上の活躍を見せたこともあり、「''ブリンソン劇場''」「''劇場型外野手''」と評価が難しい助っ人でもあった。 前述の守備難により放出されたポランコはロッテに移籍し主にDHとしてスタメンに名を連ね、前年を上回る26本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得する活躍を見せた事もあり、「ブリンソンやウォーカーはパ・リーグなら輝けるかも」と考える野球ファンも少なくなかった。もっとも走塁でのボーンヘッドが多い為、パ・リーグファンは欲しがらなかった人も多かったようだが。 ・''アリスティデス・アキーノ''(中日・2023) 前年打率こそ1割台だがMLBでシーズン2桁本塁打を打ち通算でも41本塁打、さらに俊足+強肩の元メジャーリーガー。 シーズン前の侍ジャパンとの強化試合ではオリックスの左エースの宮城大弥からホームランを打つなど、貧打解消の救世主として大いに中日ファンから期待されていたのだが‥‥‥。 いざシーズンが開幕するとボールがバットに当たらず凄まじい勢いで三振を量産する三振量産機と化し、&bold(){68打席で32三振}と&bold(){打席の約半分で三振}を記録するという有様。 最終的な成績は打率154/1本塁打/6打点/安打数10/OPS.438と惨憺たるもの。 守備も肩こそそこそこ強かったが、守備技術自体は某スポーツ紙では『プロのレベルではない。投手が可哀想』と酷評されるレベルだった。 この攻守に精彩を欠いた有様に対し当然立浪監督も我慢の限界を早々に迎え、あっさり見切られファーム暮らしに。 しかもモチベーションが低下していたのか定かではないが、そのファームでの成績も打率183/7本/25打点と『本当にMLBで41本も打ったアキーノなのか?別人が来たんじゃないか?』と疑う程の体たらくぶりだった。 当然1年限りでクビになったが、なんと推定年俸は1億6700万。1本塁打につき1億6700万円・1安打につき1670万円と、中日にシャレにならない損害だけ与えてチームを去っていた。 上述のブリンソンもアキーノと比べれば神助っ人に見える程である。 ・''ウイリアンス・アストゥディーヨ''(ソフトバンク・2023) アルフレド・デスパイネやジュリスベル・グラシアルといった神助っ人を引き当て味をしめ、キューバ出身の外国人野手を獲得するのが恒例となったソフトバンクが、彼らのような活躍を期待して2023年シーズン前にアメリカのコートニー・ホーキンスと共に獲得した、キューバ出身野手。 その容姿からファンの間では「亀」とも呼ばれていた。 触れ込みは『どこでも守れるユーティリティプレイヤー』といういかにも地雷外人野手にありがちなフレーズであったが、いざシーズンに入るとその予感が皮肉にも的中してしまうことに。 期待の表れか開幕戦はスタメンに抜擢されるが、開幕6試合で10打数0安打と結果を残せず早々に二軍降格。 この時はまだ期待されていたのか、割と早くに一軍に再登録されるが、ここでも打率1割台、0本塁打と早々チームの期待を裏切る結果しか残せなかった事で完全に見限られ、ダメ外人の烙印を押されてしまった。 彼を含む助っ人打者の余りの不振ぶりから、フロントは何と2022年限りで退団したデスパイネを呼び戻し再契約するという行為に出るハメになった。&s(){が、碌に調整させずに実戦投入したためかこちらも打てずじまいとなり、結果的にチームに貢献した名助っ人の晩節を汚させる事になってしまった。} 最終成績は20試合/44打数/6安打/打率136/1本塁打/3打点/OPS.447というもので、上記の2023年ダメ助っ人筆頭格であるアキーノと悪い意味でいい勝負という結果に。 ソフトバンクも彼の不甲斐ない成績、および諸事情((キューバ国籍選手はMLBの規定でMLBではプレー出来ない決まりとなっている事から、アメリカやプエルトリコなどのアメリカ・中南米諸国への亡命沙汰が多い。ソフトバンクでも2019年のオスカー・コラス(ドミニカへ亡命、現在ホワイトソックス)の例がある。))もあり流石にキューバから外国人野手を補強するのは懲りたのか、22年に23本塁打を放ったアダム・ウォーカーを巨人からトレードで獲得することになった。 なお、ホークスの守護神ロベルト・オスナがチームの大型連敗((前日までで11。オスナの被弾で12まで延びた。))ストップまであと1死と迫ったところからサヨナラホームランを浴び逆転負けを喫した際、テレビカメラがベンチで笑いながら戦況を見つめていた彼の表情が被弾の瞬間に真顔になる様子を捉えており、成績よりもむしろこの場面が一番印象に残っているというファンもいる模様。 あまりにも綺麗な表情の一変っぷりなので、興味があれば見てみてほしい。 ・''マイク・ブロッソー''(ロッテ・2023) ホームラン自体は多くないものの、長打率が高いというフレコミで深刻な貧打に悩まされたロッテが打撃力アップを掲げ、シーズン途中の7月末に獲得。 しかし、碌に調整せず来日後すぐに一軍起用した事が仇となり、凡打や三振を量産。さらに、肝心の守備でも失策を連発し、足を引っ張った事で二軍降格。それでも、二軍に落とされた後は調子を上げた事ですぐさま一軍再昇格を果たすも、一軍での不調は変わらず、さらにオリックスの優勝決定試合では最後のバッターとしてオリックスの優勝の瞬間と共に、彼の三振シーンが晒される憂き目にも遭ってしまった。 最終成績データは37試合/136打数/26安打/打率191/1本塁打/11打点/OPS.504という成績に終わり、オフに退団となった。 ロッテ退団後はカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結ぶも、28打数/3安打/打率107/0本塁打/3打点と低調な成績に終わり、2024年4月24日に自由契約となった。 ・''ルーグネッド・オドーア''(巨人・2024) 長らく監督を務めた原監督から阿部慎之助新監督への交代に伴い、心機一転V奪回を目指す阿部巨人の補強の目玉として加入したベネズエラ出身の左の大砲。 MLBでは長らくテキサス・レンジャーズの正二塁手を務めて通算178本塁打、17年にはベネズエラ代表としてWBCに出場するなど実績十分のバリバリのメジャーリーガー。巨人ではチーム事情の兼ね合いで右翼手にコンバートされ、新体制のキーマンとして期待されていたのだが… このオドーア、低めの球をホームランに出来る打撃力と言えば聞こえがいいが、実際のところはフリースインガー…要はブンブン丸であった。 数値的にもOPS(出塁率と長打率を足し合わせた値。.700以下だと並以下)も2020年以降だと.700を割り込み、打率も2割強で推移していた。 おまけにトラブルメーカーでもあり、MLB研究家の友成那智をして「日本野球とは最も合わないタイプ」と言わしめた。 そして案の定、変化球に弱いと言う弱点が露呈して12試合に出場したオープン戦の成績は打率1割7分6厘(34打数6安打)で0本塁打と振るわず、ビザの関係で合流が遅れた調整不足と判断した 首脳陣は彼を開幕二軍スタートにする。ところがこの通告に納得できなかった彼は米国に帰国したいと主張し、球団もその意思を尊重し契約を解除。 これは&bold(){開幕戦を3日後に控えての出来事}であり、散々な内容の数試合ではありながらも一応試合には出場したダン・ミセリをも超える、&bold(){開幕前に退団した前代未聞の助っ人外国人として球団の歴史に名を遺すことになってしまった。} 球団側は「シーズンの中で調子を上げていってほしい」と長い目で見た上で二軍スタートを要請しており、また契約も一軍での起用を確約するものではなかったため、退団希望は完全に彼の勝手な要望。 さらにこの件が取り沙汰される中で年齢詐称疑惑まで浮上するおまけつきで、新指揮官のもと華々しいスタートを決めることを思い描いていた巨人は開幕前に出鼻を挫かれてしまうことになった。 ただし、レギュラーがほぼ決まっていた内野とは違って外野は激戦区であり、若手にチャンスが生まれるという点では決して誤った決断ではないする意見もある。 なおその後、オドーア本人は2021年に所属したヤンキースと"マイナー契約"を結ぶ事になったのだが、巨人二軍を蹴ってオプトアウト条件付きマイナーと言うものだった為、日本のファンからは物笑いの種にされてしまった。 #areaedit(end) } #hr 追記・修正は助っ人外国人クジを引きながらお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,83) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #lsd() #comment_num2(num=30) }

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