ドリーム開発ドリームランド線

登録日:2012/02/08(水) 23:19:16
更新日:2023/07/27 Thu 09:26:47
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ドリーム開発ドリームランド線とは、東京芝浦電気(後の東芝)が設計、開発した跨座式モノレール。
設計・開発は違うが、東京モノレールの東芝版と思っていただいてよい。
大船駅から当時開業間もない「横浜ドリームランド」への足として、当時のドリーム開発が東芝に打診して1966年5月2日に開通にこぎつけた。
ゴムタイヤ方式で、振動が少なく快適な乗り心地であったという。電気基板は東芝が製造し、車体は東急車両製造横浜製作所で作られた。

当時の国鉄で国電区間の初乗り運賃が20円だったのに対し、ドリームランド線は、片道170円、小児90円、往復乗車券300円と非常に高額であった。
しかしながら、既存の平行するバス路線の慢性的な渋滞に悩まされていた利用者にとっては、まさに渡りに船であった。
3両1編成を2編成で運転し、当時としては画期的なATC(自動列車制御装置)とATS(自動列車停止装置)が全線に渡って取り付けられていた。
ちなみに、大船駅西口からドリームランド線までの距離はかなりあったらしい。




しかし、日本の鉄道史に残る悲劇が起こった





運航開始から一年半が経過した1967年、
乗務員などから「どうも調子かおかしい、車体が重いようだ」という信じられない報告が当時運行を委託されていたドリーム交通に出された。
これを受けたドリームランド側は運輸省からの指示で、定員を減らしたり、速度を抑えたり、間引き運転を行うなどの対策を取ったが、
車輪のバースト、車軸の切断事故などが相次いだ。
更に軌道を支える鉄筋コンクリート製の支柱に安全に支障が出かねないような亀裂が見つかり、同年秋に運行休止に追い込まれた。
(当面は、バスによる代行輸送を行うことになった)

ドリームランド側は1967年11月に東芝や施工会社を提訴したが、東芝はこちらに非はなかったとして、泥沼の裁判に突入した。
東芝側は当初欠陥を認めていたにもかかわらず会社の面子のために態度を翻したとして、同業他社から厳しく批判された。
結局和解までは13年の年月を要し、最終的に30億円あまりの賠償金を東芝がドリームランド側に支払うことで和解が成立した。
その間に集客減となってしまったドリームランドは土地の切り売りで何とか維持していたがついに2003年に廃園に追い込まれた。
この事件が遠因となったとも言われている。

運輸省や東急車両による調査によると、当初1編成あたり30トンと運輸省に申請していたにもかかわらず、
東急車両が測ったところ、実際は42.5トンであり、明らかな重量超過であったことがわかった。
東芝によると、勾配がキツい横浜の路線に合わせてモーターを現場で乗せ替えたり、
車両が東急車両から納入された際に、連結器をより重いものに改装したことが原因であるとしている。

また軌道と橋桁を作った三井建設も、車両の重量は30トンのままとされていたため、重量変更に合わせた設計の変更が特に行われていなかったという。

このトラブルは、これら複合的要因が重なった事が原因とされている。

この間、ドリームランドの運営会社はダイエー傘下におさめられ、ドリームランド線を浮上式鉄道にして運行を再開させようとしたが近隣住民の反発から頓挫、
さらにダイエーの経営破綻などがあり、2003年に国土交通省に廃止届けを出した。
大部分は横浜市に売却、軌道は2005年にすべて撤去されたため、現在その面影は残っていない。

また近隣道路の整備が進んでバスによる輸送環境が改善されたため、ドリームランド線を再開させようという気運はすっかり薄くなってしまった。


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最終更新:2023年07月27日 09:26