登録日:2012/06/09(土) 02:08:39
更新日:2022/10/24 Mon 16:34:29
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ゴヤとは、スペインを代表する画家のひとりである。
フルネームは『フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス』
すげえ長い
ロマン主義の芸術家とされ、宮廷画家として名を馳せた。
一方で、彫刻や版画も手掛けるマルチな才をもつオッサンでもある。
【生涯】
1746年:スペインのフエンデトードスという村に生まれ、中2時代には既に画家としての修業に励んでいる。
1774年:マドリードの王立工場で下絵を描く日々を送る。
ちなみにこの頃、義兄の妹と結婚するという離れ業をやってのける。結局離婚したが
1786年:国王付きの画家となり、89年には新国王の宮廷画家に任命される。
1792年:病に侵され、聴覚を失う。フランス革命が激化し、スペインにも影響が及んでいた頃のことである。
この辺りからフランス革命とスペイン独立戦争の板挟みに遭い、悶々とした日々を送る。
1815年:69歳にもなって、40も年下のドイツ系の家政婦と同棲する。
項目冒頭のゴヤ顔が描かれたのもこの年。
1824年:フランスに亡命。28年に亡命先のボルドーにてその生涯に幕を下ろす。
享年82歳。
埋葬後、遺骸から頭蓋骨が盗み出されたが、犯人や動機、その後の所在といった諸々は依然として謎のままである。
【黒い絵】
黒い絵とは、ゴヤが晩年(1819〜22)に描いた14点の絵画の総称である。
その名の通り、初期の作品と比べて暗い色彩のものが多い。
もともとカンバスにではなく、ゴヤが引き篭っていた別荘の壁に描かれ、後にカンバスへと移されている。
その別荘もいわく付きのもので、ゴヤの前の住人も聴覚を患っていたことから『聾者の家』と呼ばれていた。このことをゴヤが知っていたかは不明だが、なんとも因果な巡り合わせである。
完成した絵の下には、さらに風景画が描かれていることが分かっているが、これがゴヤの手によるものかは謎である。
一応、上下の絵には関連性が見出だせるらしいが…
一連の作品には一貫したテーマや物語性といったものは見受けられないが、逆にそれぞれが強烈な個性をもって訴えてくるものがあるとも取れる。
現在は14点すべてがマドリードのプラド美術館に所蔵されている。
【作品集】
●カルロス4世の家族(1800〜01)
中期頃の作品。
画像では分かり辛いが、実は少し頭悪そうな顔に描かれている。
王家を皮肉ったとも、本質を描いたとも言われるが…
ゴヤさんマジ怖いもの知らず。
●棍棒で殴り合う二人の男(1820〜23)
『黒い絵』シリーズのひとつ。
内乱状態にあった激動のスペインの縮図とも言われる。
修正されたおっきしたおにんにんには、サトゥルヌスが生命を奪うだけではなく逆に与えるものでもある、なんて見方もある。
ちなみに、これが描かれたのは食堂の壁だったりする。マジキチ極まりない。
●裸のマハ/着衣のマハ(1800/1801〜03)
マハとは人名ではなく、スペイン語で『小粋な女』という意味。
二者の描写方法やモデルの詳細、所有者の変遷などなど、色々あるがそれはともかく
この2作品、どこか既視感がありはしないだろうか。
大事なことなので(ry
なんということだろうか。
我々が日々wktk ヌキヌキしていたCG差分のノウハウは、200年以上前からすでに確立されていたのだ!!!
ΩΩΩ<な、なんだっt(ry
…実は贋作という形で技術自体はさらに昔から存在するのだが、まあそれはそれ。
ゴヤの描画力が高いことには違いない。
ここで紹介した以外にも、ゴヤの作品は数多く現存する。
ググると色々出てくるので、お気に入りの一枚を見つけるのも一興だろう。
追記・修正は王様に召し抱えられてからお願いします。
最終更新:2022年10月24日 16:34