浅田真央

登録日:2014/05/07 (水) 18:07:10
更新日:2022/07/14 Thu 11:56:29
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浅田真央とは、日本の女子フィギュアスケート選手であり、日本の宝である。
姉に同じくフィギュアスケーターの浅田舞がいる。
所属クラブは中京大学で、現コーチは元日本代表の佐藤信夫。

【概要】

1990年9月25日生まれの23歳(登録日当時)。名前の由来は父親が女優の大地真央のファンであったから。

愛知県の名古屋市出身。高校は中京大学付属中京高等学校で、そのまま卒業後は中京大学体育学部に所属する。
中京大学には名古屋キャンパスと豊田キャンパスがあるが、スケートリンクがあるのは豊田キャンパスの方。
そのため地元の名古屋はもとより、豊田でも割りと買い物をしていたり、ご飯を食べていたりしている姿を確認できる。

好きな食べ物は寿司(特にマグロ)、ひつまぶし、カレーライス、焼肉などなど。
嫌いな食べ物は野菜全般とシナモン。特に野菜はハンバーガーのレタスも駄目なぐらい嫌いらしい。

尊敬する選手は、女子選手として世界ではじめて3回転アクセルを成功させた伊藤みどりと、ロシアのフィギュア界の皇帝エフゲニー・プルシェンコ。
また、長野オリンピック金メダリストのタラ・リピンスキーも尊敬している模様。

性格は純粋でとても可愛らしい。そして超がつくほどの天然。
具体的には
インタビューにて
真央「焼肉が好きです」
アナウンサー「(真央ちゃんは)食べる方なのですか?」
真央「はい、食べる方の焼肉です」
アナウンサー「・・・・・・」

記者「(ライバルやジャンプのミス等)怖いものはありますか?」
真央「お化けです。」
記者「・・・・・・」
などと過去に答えている。真央ちゃんまじ天然可愛い。

しかし芯の部分はしっかりしており、例え3回転アクセルが試合に勝つ上では不要なものであっても、ひたすら挑戦し続けた。
この姿勢は日本のみならず各国の有名選手、またはオリンピックに出ることを夢見ている子どもたちから大変評価されており、
最近話題のロシアの天使ユリア・リプニツカヤからも好きな選手としてあげられ、皇帝プルシェンコからも「誇りに思う」といった最大級の賛辞を贈られている。
また練習の鬼であることでも知られており、例え休養を言い渡されても練習をしているらしい。

フィギュア関係者以外からも人気が高く、オリコン調べの「好きなスポーツ選手ランキング」の女性部門において、
2007年、2009年、2010年、2011年、2013年で1位となった。
幅広い年代から人気があり、若い世代からしたら「憧れのお姉さん」であり年配の人達からは「長い間見守り続けた娘」のような存在なのだろう。

技術面は、代名詞である3回転アクセルを始めとして6種目全ての3回転ジャンプを跳ぶことが出来る。
またバンクーバーオリンピックでは女子シングル史上初めて一つの競技会中に3回の3回転アクセルを成功させ、ギネス記録に認定されている。
その他にもしなやかさと力強さを備えており、高いGOEを獲得することが出来る。
ステップは評価が高く、2007年の日米対抗戦のSP、2009年の世界フィギュアスケート国別対抗戦のSP、
そしてソチオリンピックのFSでレベル4(最高レベル)を獲得している。
弱点はルッツとサルコウジャンプ。ルッツはアウトサイドで踏み切らねばならないところを、インサイドで踏み切る癖があり、度々減点されている。
サルコウはひたすら苦手。あまりプログラムに組み込まない。

【活躍】

2006年の夏に、日本では練習環境があまり整っていないことから渡米。
同年のNHK杯で見事優勝。GPファイナルでは二度の転倒があり2位に終わるが、全日本選手権では見事優勝。
世界選手権でも2位と好成績で終わり、日本のトップ選手として活躍する。

2007―2008年シーズン。夏にロシアに渡り、タチアナ・タラソワの下でバレエの指導を受け表現力に磨きをかける。
GPファイナルでは2位、全日本選手権では二連覇を達成する。
2008年に中京大学にスケートリンクが作られ、活動拠点を日本に戻す。
四大陸選手権では初出場にして優勝。そして世界選手権でも見事優勝し、世界女王となる。

2008年―2009年シーズン。GPファイナルでは、開催地が韓国という完全アウェー(キム・ヨナ以外の選手には拍手すらしないという、韓国らしい姑息な手)のもと、
女子史上初の二度の3回転アクセルを決めて優勝。
だが優勝を決めた後、某テレビ局の…というか「とくだね!」で優勝した真央ちゃんよりもキム・ヨナのほうが実力が上という意味不明な報道があり、
真央ちゃんはメンタル的に追い込まれてしまう。
これ以降もフジテレビ系列の番組では、やたらとキム・ヨナage真央ちゃんsageの報道がされており度々話題になっている。
しかしその後全日本選手権で三連覇を決め、世界選手権では4位であったが、国別対抗戦では見事1位。シーズンを終える。

2009年―2010年シーズン。シーズン序盤は絶不調で、GPファイナル出場を逃してしまう。全日本選手権あたりで復調し見事四連覇。
四大陸選手権でも見事優勝し、日本人選手として初めて国際大会10優勝を果たした。
なおこの四大陸選手権では、真央ちゃんは妨害予告を受けたり、盗撮被害を受けている。開催国は、まぁ書くまでもないかもしれないが勿論韓国。
バンクーバーオリンピックでは残念ながら2位に終わる。だが世界選手権では二年ぶりの優勝。
この年は男子でも高橋大輔が優勝しており、ジュニアも男女とも日本が優勝している。

2010年―2011年シーズン。このシーズンから現コーチの佐藤信夫に師事。ジャンプの矯正に苦しみGPファイナル出場を逃す。
全日本選手権の頃から復調し2位、四大陸選手権でも安藤美姫につづいて2位という結果であった。
東北地方太平洋沖地震の影響で世界選手権が一ヶ月遅れに。
被災地の惨状から「こんな時に大会に出てていいのか」と思ってしまい、練習に身が入らず食も細くなり体重が4.5kgも減少した。
結果は総合6位とやはり奮わなかった。

2011年―2012年シーズン。真央ちゃんにとって試練の年となる。
GPシリーズを優勝しファイナル出場を決めるが、最愛の母が肝硬変で死去。真央ちゃんは連絡を受けて急行したが、死に際には間に合わなかった。
またこの年発売予定であった真央ちゃんのエッセーでは、発売元のポプラ社が真央ちゃんに無断で母親の死を強調するような広告を出し問題になった。
結果、不信感を抱いた真央ちゃんの意向で発売は中止。ポプラ社側も謝罪文と損害賠償の放棄を宣言し、自体は収束した。
全日本選手権では優勝するが、四大陸選手権では2位、世界選手権では昨シーズンに引き続き6位と奮わず、引退も考えるほど追い込まれていた。

2012年―2013シーズン。昨シーズン終了後のハンガリーでのリフレッシュが効いたのか、この年は絶好調である。
中国杯、NHK杯、GPシリーズ、GPファイナル、全日本選手権、四大陸選手権で優勝。世界選手権も2位で、復活の年となった。
そしてソチオリンピックを最後に引退する意向を表明した。
2013年―2014年シーズンでも好調を維持し、NHK杯二連覇、ファイナル四度目の優勝をする。そして…

【ソチオリンピックとその後】

自身の競技人生の集大成と位置づけたソチオリンピック。日本国民の思いを背負い、自身二度目のオリンピックに出場する。

新種目団体戦では、女子シングルで出場するがSP冒頭の3回転アクセルを失敗し、3位。団体も5位とメダルに届かなかった。

続いて女子シングルSP。日本のみならず世界中が注目した演技だが、普段ではありえないようなミスを連発。
本人も直後のインタビューで「何もわからない」と放心状態になるほど崩れてしまい、結果は16位。この時点でメダルへの道は事実上閉ざされてしまった。

そして翌日の女子シングルFS。曲は「ラフマニノフピアノ協奏曲第二番」誰もが彼女の身を案じるなか、素晴らしい演技を見せる。
冒頭の3回転アクセルを見事成功させると、一回の演技で全6種類、計8回の3回転ジャンプという異次元のプログラムを転ぶことなく全て滑りきり、
会場を盛り上がらせる。

更に続けてのステップは、もはや神というかラフマニノフが舞い降りてきたかのような魂揺さぶる演技となっている。
まだ見ていない人は是非見て欲しい。もう見たという人は何度でも見て欲しい。あれこそが、浅田真央の集大成だろう。

結果は6位入賞というものであったが、間違いなく金メダルよりも記憶に残る素晴らしい演技をしてくれた。
インタビューで「昨日はすごく悔しい思いをして、心配してくださった方もたくさんいると思うんですけど、
今日はこうして自分の中で最高の演技をできたので、恩返しができたと思います」と答えてくれた。

この演技は日本のみならず世界中のファンから賞賛の声が寄せられており、日本では安藤美姫や織田信成(号泣)、フェンシングの太田雄貴、
歌舞伎の市川海老蔵、ロックンローラーの内田裕也、しょこたんこと中川翔子、さま~ず三村などから賞賛の声が贈られ、
海外からも元朝青龍ことドルジや皇帝プルシェンコ、長野五輪銀のストイコやクワン、
羽生結弦の振り付けを担当したトリノ五輪銅のジェフリー・バトルなどなど様々な人々から賞賛の声が贈られた。
正直この場所では書ききれないぐらい多いので、詳しくは自分で調べてださい。

因みにSP終了時、日本が真央ちゃんの失敗に落ち込んでいく頃、
オリンピック組織委員会委員長の森喜朗が「大事なときに必ず転ぶ」などとコメントしたことに様々な方面から総叩きにあっている。
ダルビッシュはtwitterでマジギレしていた。
実際はマスコミが割りと露骨に真央ちゃんsageの部分を抜き出したものであり、全文を読むと発言のニュアンスは違う。
しかしどちらにしてもFSの演技が残っている人間に言うセリフではないし、会長としてあり得ない発言であることには間違いない。
因みに森氏はその後孫に叱られた模様。

その後の世界選手権ではSPで歴代最高得点の78.66点を叩き出し、そのまま首位をキープして見事優勝。
世界選手権3回制覇は、日本では男女合わせて最多優勝である。
このSPで最高得点を出したことが、ソチオリンピックで羽生結弦が同じくSPで最高得点を出したこととともにギネスブックに登録された。

現状真央ちゃんは進退について引退か現役続行かは五分五分と答えており、明確に答えは出していない。

5月19日の会見にて、今の自分には休養が必要と判断し、1シーズンの休養を発表した。
真央ちゃん自身も進退については悩んでいたようで「(現役続行)できる、いやできない」の毎日だったという。
最終的には「心も体も疲れている」と判断し1シーズンの休養を決断した。
1年後の進退についてはまだ「五分五分」のまま。
今現在の気持ちは「やりきった」という気持ちだそうだが、1年の休養の中で再びフィギュアへの意欲が湧くかもしれないとのこと。

どちらにしろ今まで日本女子フィギュア界を引っ張ってきた真央ちゃんに感謝の意とひとまずの「お疲れ様」の言葉を捧げ、これからの活躍に期待していきたい。


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最終更新:2022年07月14日 11:56