翌年デビューアルバム「For You」をたった一人で完成させメジャーデビュー。まさにオール殿下。彼の長い長いミュージシャン人生がスタートした。このアルバムのセールスは奮わなかったものの、翌年には2ndアルバム「Prince」をまたも一人で制作。シングルカットされた「I Wanna Be Your Lover 」がビルボードR&Bチャートで11位というヒットを飛ばし、プリンスの名を全米に知らしめた。
「Purple Rain」の収益を元手に独自レーベル「Paisley Park Record」を設立(後に解散するけど)。名作を生み出したアーティストがみな経験するように、プリンスにも世間から多大な期待が寄せられたが、プリンスはそのプレッシャーをモノともせず、1985年「Around the World in a Day」を発表。誰もが前作「Purple Rain」のような過激で猥褻な楽曲を予想する中、シングルカットされた「Paisley Park」「Raspberry Beret」共にミドルテンポの爽やかなナンバーで世間の予想を裏切りながらも、アルバムは全米1位を獲得する。
1986年には主演だけでなく自ら監督も務めた映画「Under the Cherry Moon」を公開。同作のサウンドトラックとしてアルバム「Parade」をリリースする。アルバムは好評を得てヒットを飛ばすものの、映画の評価は散々なもので、この年のゴールデンラズベリー賞を総ナメ。「最低作品賞」「最低主演男優賞」「最低監督賞」「最低助演男優賞」「最低主題歌賞」を受賞した他、「最低助演女優賞」「最低脚本賞」「最低新人賞」にもノミネートされた。また、この頃にガールズバンド、バングルスのために「Manic Monday」を楽曲提供している。
そして専属バックバンド「ザ・レヴォリューション」をほぼ全員解雇(バンドの存在感が大きくなり過ぎて自身の創作に支障をきたすと感じた為、と言われているが実際のところは不明)。しかしそんな変化に怯むどころかプリンスの創作意欲はさらに加速。「CAMILLE」、「Dream Factory」(2枚組)、「Crystal Ball」(3枚組)という3つのアルバム(実質6枚)のアイディアをバラバラに崩して2枚組アルバムに作り変えるという信じがたい方法で「Sign "O" the Times(""内は本来ピースマーク)」を制作する。プリンス自ら「傑作」と語る快心の一作となった今作は、1988年のグラミー賞「最優秀アルバム賞」にノミネートされるが、同じくノミネートされたU2のロック史に残る傑作「ヨシュア・ツリー」に阻まれ受賞は逃してしまう。ちなみにこの際「僕は彼らの曲を全て演奏できるけど、彼らに『Housequake』(※同アルバム収録曲)は演奏できないよ」と発言したエピソードがあり、その自信の高さがうかがえる。
「Sign "O" the Times」発売に伴うヨーロッパツアーの終盤、このライブの映像を撮ることを思いつき、スタッフに無理を言って撮影機材を揃えさせ、撮影したライブ映像を編集して合間合間に寸劇を差し込む形で映画化。ファンや評論家から絶賛される出来となった。またこの頃1000万ドルをかけて自身のスタジオ「ペイズリー・パーク・スタジオ」を建設。数々の名曲がここから生まれていく事になる。
1991年にバッグバンドを「The New Power Generation(略称NPG)」と命名し、プリンス・アンド・ザ・ニュー・パワー・ジェネレーション名義で「Diamond And Pearls」をリリース。シングルカットされた「Cream」が全米1位「Diamond and Pearls」が全米3位を記録しアルバムも全米3位を獲得している。
これにはファンもメディアも困惑。特にラジオでは彼のこの独特のマークをいちいち説明するわけにも行かず、便宜的に「the Artist Formerly Known As Prince(かつてプリンスとして知られたアーティスト)」や、これを略した「The Artist」などと呼ぶ事になった。またこの頃自分の頬に「SLAVE(=奴隷)」と書いてライブを行うようになる。 そして同年かつて自ら発売中止にした「ブラックアルバム」を契約消化の為にリリース 出典:http://soultrain.com/2014/06/06/prince-warner-bros-back/ 翌年の1995年、かつてプリンスとして知られたアーティストによるニューアルバム「The Gold Experience」をリリースした。同年日本で行われたK-1 WORLD GPのオープニングに同アルバム収録の「Endorphinmachine」が使用された事でプリンスを知らない層にも名が知れるようになった。
1996年「Chaos And Disorder」をたった2日で録音して発売。アルバムのジャケットも「1999」のレコードが踏み付けられて割られ、レコードラベルのプリンスの眼から涙を流すという意味深なものだった。 ちなみに、この年NPGのダンサーだったマイテ・ガルシアと結婚するが、後に生まれた第一子が亡くなった事をきっかけに離婚してしまう。
同じく1996年、EMIとアルバム1枚だけの契約を結び「Emancipation(=解放)」を発売。新しいビジネスの形を模索していたプリンスは、この頃急激に浸透したインターネットを使った販売方法、つまりネット通販による音楽の供給に目を付け、過去にお蔵入りにした未発表音源集「Crystal Ball(「Sign "O" the Times」制作時とは別物)」をネット通販限定で発売。まだインターネットが一般家庭に普及し始めた頃だったために混乱はあったが、セールス的には成功を収めた。
1997年には3枚組の未発表音源集「Crystal Ball」をネット通販限定で発売。1999年にワーナーから未発表音源集「The Vault: Old Friends 4 Sale」を発売。これをもってワーナーとの契約を満了し、同年アリスタ・レコードから「Rave Un2 The Joy Fantastic」を発表する。ここにプロデューサーとしてではあるが久しぶりにプリンスの名前がクレジットされる。
For You(1978年) Prince(1979年) Dirty Mind(1980年) Controversy(1981年) 1999(1982年 Purple Rain (1984年) Around the World in a Day(1985年) Parade(1986年) Sign "O" The Times(1987年) Lovesexy(1988年) Batman(1989年) Graffiti Bridge(1990年) Diamonds and Pearls(1991年) Love Symbol(1992年) The Beautiful Experience(1994年) Come(1994年) The Black Album(1994年) The Gold Experience(1995年) Girl 6(1996年) Chaos and Disorder(1996年) Emancipation(1996年) Crystal Ball(1997年) The Truth(1997年) The Vault: Old Friends 4 Sale(1999年) Rave Un2 the Joy Fantastic(1999年) Rave In2 The Joy Fantastic(2000年) The Rainbow Children(2001年) One Nite Alone(2002年) One Nite Alone... Live!(2002年) Xpectation(2003年) N・E・W・S - N.E.W.S(2003年) Musicology(2004年) The Chocolate Invasion(2004年) The Slaughterhouse(2004年) C-Note(2004年 3121(2006年) Planet Earth(2007年) Indigo Nights(2008年 LotusFlow3r(2009年) MPLSOUND(2009年) 20Ten(2010年)
さらにこれの他にベスト盤が5枚とNew Power Generation名義のアルバムが3枚が発売されている。 そしてこれだけではなく、自身のバンドからデビューしたドラマー兼パーカッション奏者シーラEや、映画「Purple Rain」で競演したザ・タイム。その他何組ものアーティストのプロデュースを行い、酷い時には作詞・作曲・演奏にいたるまでプリンス自身が行ってしまうほど多作でワーカホリックな人物である。
「King Of Pops」マイケル・ジャクソン、「Queen Of Pops」マドンナとプリンスは同じ1958年生まれの同い歳。 3人とも若くから才を発揮して、同時期に人気を得て時代の寵児となったが、それゆえか互いが互いを意識する間柄でもあったようである。
マイケルとプリンスは同じ黒人アーティストであり甲乙付けがたい天才パフォーマー同士でありながら、あくまでシンガー兼ダンサーとして幅広い世代からの支持を集めたマイケルと、実力派ながら子供に見せられないキワモノカルトヒーローとして賛否両論を生む男プリンスは対照的な人気を得ており、まさにライバルといった間柄だった。 少なくともマイケルはプリンスを気にいっていたようだが、マイケルが「BAD」でプリンスに競演を申し込むも断られたり、「We Are The World」で再び競演の機会を得るもののプリンスが収録に遅刻し、競演できず終いになるなど、とうとうコラボは叶わなかった。