P-39 エアラコブラ

登録日:2014/11/25 (火) 23:40:38
更新日:2024/04/25 Thu 12:16:05
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P-39 エアラコブラは、アメリカ陸軍が運用したレシプロ戦闘機である。設計・開発元はヘリコプターで有名なベル・エアクラフト。
同社の実用型戦闘機の記念すべき第一作であり、投入戦線によって評価の一転する困ったちゃん。


性能諸元(P-39D)

全長:9.2m
翼幅:10.4m
全高:3.6m
翼面積:19.8m²
自重量:2.85t
全備重量:3.47t
発動機:アリソン V-1710-35レシプロエンジン1基
最大速度:592km/h(高度4200m)
航続距離:1,770km
最高高度:10,700m
上昇速度:830m/min
武装:37mm機関砲1門(プロペラ軸内)*1、12.7mm機関銃2挺(機首)、7.62mm機関銃4挺(左右主翼内に各2挺)*2
爆装:500ポンド(225kg)爆弾1発


概要

P-39の外観自体は珍しいものではない。戦闘機らしい(?)ごくごくプレーンなデザインである。
しいて言うなら空力特性を高めるため、絞り込まれたスリムな胴体が特徴といったところくらいか。
では何でこいつがネタにされたりするかというと、内部構造が独特だったからだ。というのも胴体の真ん中、つまりコックピットの後ろにエンジンを配置している。
じゃあどーやって機首のプロペラまで動力を伝達するかというと、まぁ簡単な話で、プロペラシャフトをうにょーんと伸ばしている。

なんでこんな七めんどくさいことを…と思うだろうがちゃんと理由があって、
ここで、当時の戦闘機の設計事情について軽く触れておこう。

当然だが、機銃は強力であればあるほどデカく重い。だけど機首にはエンジンが鎮座しているので、当然ではあるがそんなに強力なものは積めない。
せいぜい12.7mmを2門も積めれば御の字だ。なんかいい例だと思う。あれは主翼構造の何やかんやで機首の機銃しか射撃装備がなかった。
そんなこんなで、強力な機銃を積もうと思うと主翼くらいしかスペースがなくなるわけだが、これにも問題がある。
主翼が重くなると、旋回Gでかかる重量が飛躍的に跳ね上がり、翼がぼっきり折れやすいくなったり機体重量が増したりと色々と致命的な問題につながってくるからだ。
なもんで、主翼を強化して機銃を積むにも限度があった。20mmまでなんとか乗せるのが精いっぱいで、
もはや砲と言った方がいい30mmオーバーの37mmだの40mmだのは迂闊に積めないのだ。
そもそも、翼内機銃は若干内向きに配置されていて、一定距離から近くても遠くてもバラけてしまい、効率が悪い。
なので、できるものなら機首に火砲をドカ盛りしたい……というのは当時の開発・運用側双方に共通する思いだったりする。

で、こいつである。
こうすることで機首に大きな空きスペースができたので、そこに強力な機銃をドカ盛りし、火力と命中精度を両立できると考えたわけだ。
ついでにデカい重量構造が機体中心に位置することで重量偏差が解消でき、運動性が向上することも見込まれたとか。
んでいざ実装備は37mm機関砲、さらに12.7mmを複数機機首に収める当時としては規格外の火力(と思われた←ここ重要)、濃密な火線で敵機をボコるという設計だった。
特に37mm砲は、対空戦闘から対地攻撃、爆撃機掃討などの多岐にわたって運用されたと思われる*3。装弾数は少なかったけども。
エンジンも当時の標準的なものを使っていたし、増設された排気タービンで高高度性能も補完。
試作機は高度6,096mまでの上昇に5分、最高速度628km/hという高性能を叩き出し、これには陸軍もニッコリ。
あっさりと制式採用が決定し、これにはベル社もニッコリ。

ちなみに、ベル社の設立は1935年7月上旬であり、本機の初飛行は39年4月。
コンソリデーテッドからの独立で誕生したとはいえ、失敗を挟みつつも4年足らずで独自の制式採用機を生み出したのは実際凄い。

で、実際は?

こんな見出しがついてるからもうおわかりだろうが、ぶっちゃけ散々な評価を食らってしまった。
というのも、実用試験機を米国航空諮問委員会(NACA)に送ったところ、トラブル続きだった排気タービンの撤去が行われ、低空戦闘機へと大幅な仕様変更が行われてしまったのだ。
排気タービン周りのトラブルは改修でどうにかするメドが立っていたとの資料も存在するため、なぜこんな仕様変更がされたのかは不明。P-38という高高度性能に優れた双発要撃戦闘機が既にあったため、そこまで高高度性能を考えなくてもよかったのでは、との説もある。
元より排気タービン頼みの高高度性能に欠けるエンジンだったために性能はガタ落ちし、これには陸軍も唖然。
奇抜なレイアウトは重心と舵の位置が近すぎて効きが悪い重量物が中央にあるせいでスピンしやすいという問題を引き起こした上、戦訓から防弾装備を追加するたびに性能は低下していった。

目玉の37mm砲も問題だった。そもそも航空機関砲に最も必要なのは火力ではなかったのである。
基本的に「重量やサイズで多少妥協してでも連射・貫通力・火力あらゆる面で完成度の高い物」を求める陸上・海上兵器と違い、航空機は限られた空間に砲と弾薬を詰め込まねばならず、射撃機会は1秒未満なのが普通で、対して標的の防御力はかなり低い。
となると必然的に「本体はコンパクトで弾薬がいっぱい詰めて、発射速度が高ければ他はいらない、わりかし妥協した物」を求めるわけだ。

んで37mm砲はいざ使うと「航空機を撃つには無駄に威力があるくせに、本体はデカくて重い、弾薬は少ない、発射速度も低い」と完全にお門違いの代物でパイロットからは絶不評だったわけだ。

ついで主翼の7.62mmはあってないようなもので「7mm機銃は塗装を剥がすのに最適だ(敵機を落とせない)」とパイロットから皮肉られるレベルだったとか。
これについてはこの時代の英国面である小口径機銃多数同時装備神話が悪い。やっぱブリカスは最低だな!

ともかく、火力は単発戦闘機としてはかなりのものだったのだが、その火力も「撃てる位置にって命中できるだけの飛行性能」がなきゃ宝の持ち腐れなわけで。ベル社の誇大広告を信じて輸入したイギリスでは「カタログスペックも出せないんじゃハリケーン以下だよね」とあっさり運用中止措置を食らい、返品在庫の山山アンド山を築いてしまう。これには陸軍&ベル社もガックリ。

アメリカ本国では陸軍航空隊によって運用されガダルカナルなど中部太平洋の戦いに従事したものの、先述の欠点に加えて航続距離の短さがネックになり、あまり活躍したとは言い難い結果になった*4。帝国軍のパイロットからは簡単に戦力を削り落とせるからか、機体形状にも因んで「鰹節」なる不名誉極まりない渾名を頂戴していた模様。
実際、上記のとおり海鷲・零戦と陸鷲・隼からはその渾名の通りこれでもかといいように食い荒らされていたので、ネーミング的には正解だったが…。
本機の名誉のために付け加えると、帝国軍が(個々のパイロットだけでなく組織としても)中国大陸以降の戦いで経験を積んできたのに対して、アメリカ陸軍は航空戦の経験が浅く、そのことがP-39の低調な活躍ぶりに影響した可能性はある。

捨てる神ありゃ……

とまぁ、散々な評価を食らってしまったP-39ちゃんであるが、レンドリース法に基づき恐る恐るソ連に在庫処分供与してみたところ、
アメリカにとっては予想外にも、赤い大地の皆さんに大好評をもって迎えられる。
どれぐらい高評価というと第二次大戦の連合軍で最も敵機を撃墜した単一戦闘機種(シリーズとしては別機種)である。コーカサス方面軍のソ連エースは9割この機体搭乗。
というのも、味方の対地支援任務や敵の対地支援部隊を邀撃するのがメインの独ソ戦では低空域戦闘が多かったため、高度3,000mを越えるとヘタレるようなエンジンでもさして問題なかった。(独ソ平均交戦高度は1500mである、すごい低高度だ)

機体が頑丈、特に足が頑丈で不整地離着陸性能が良かったうえに独ソ戦での戦場では性能が良く、蛮用にも耐えたことなどが大きかったようだ。
実際低空ではBf-109F~Gと機体性能で互角、Fw-190A相手では加速性能を筆頭に全ての面で勝っており、(P-39を集中的に運用して赤軍全体へ向けたP-39運用マニュアルを作ったりした)赤軍第16航空戦隊からはメッセルはライバル、フォッセルはカモとまで言われた。(フォッセルとは赤軍でのFw-190の愛称、Bf-109はメッセルと呼んだ)
なお脱出時に手足をもぎ取ろうとする殺人ドアは大不評だったり、東部戦線で運用されてたアリソンエンジンはやたら寿命が短く頻繁な交換を必要とした。
当時の赤軍は日本で言う飛行第47戦隊のような定期的な整備が軍全体で義務だった、赤軍では2回目の定期整備でP-39はエンジン交換の必要アリとされている……これはエンジン寿命20~30時間という事を示しておりやたら短寿命である

恵まれた武装や低高度性能、前下方視界の良さなどから対地攻撃機として活躍した……というのが往年の評価だったのだが、冷戦終了により公開された資料からは最初から最後まで戦闘機としての運用だった事は明らかになった。
敵対したドイツ側のレポートでも対地攻撃に従事したケースは殆ど確認されておらず、専ら戦闘機として投入されていたようである。
場合によっては……というかソ連に到着したP-39の殆どは翼内機銃の7.62mmを撤去された。7.62mmという豆鉄砲だし翼内に位置しているのでロール速度と旋回速度の邪魔になるのを嫌ったようだ。
エースを数多く輩出し、合計6名しか居ないソ連撃墜50機越えエースの内半分はレチカロフ、グラエフ、ポクルィシュキンというP-39搭乗員である


後に、この機体の失敗を教訓に完全新規設計(パーツ込み)の後継機、P-63 キングコブラが開発された。
だが上昇力と最高速度は当時主力のP-51やP-47に及ばず、当時最も重視された肝心要の航続距離に至ってはペロハチの半分以下という悲惨な数値だったので、
「これじゃヨーロッパでは使えないし、太平洋に送ろうものなら絶対にP-39の二の舞になる」と判断され大半はこれまたソ連行きとなってしまう。
ただし、速度はあくまでもこの頃の陸軍機の中では遅い、というだけで実際は海上機のグラマン鉄工所よりもずっと速い。
何より、上昇力と航続距離以外は当時の戦闘機として非常に優秀だったので、「P-51とP-47に比肩する」とお墨付きをもらえるだけの空戦能力もちゃんと備えていた。
そのためキングコブラをソ連に送ればまた大好評じゃね?と思われたが、実際に送ってみても反応はパッとしなかった。

まず航続距離が短く攻勢の遠距離飛行が出来ないこと、43年までと違い45年ではソ連高性能戦闘機(La-7やYak-3やYak-9U等)の数が揃っており特に戦闘機を必要としていない事、ソ連で運用するには再改造(主に冬季用部品)する必要がある事が原因であるようだ。そんなでも満州での対日参戦にて初実戦を行うも当時の日本機は空戦を行うほどの余裕はなくキングコブラも殆どが対地任務に使われた、キングコブラの空戦記録があるのは8月15日だけで、その日では隼(一式戦闘機)を1機と97式戦闘機を2機の撃墜戦果があるだけである。
戦後はジェットと同じ前輪式なのを活かして、ジェットでの着陸訓練用に複座に改造され飛行機学校で暮らした後、正式なジェット練習機が出来るとひっそりと消えていった……。

ちなみにキングコブラは戦後フランスにも送られた、戦後すぐのフランスでは航空機不足に悩まされており喜ばれた。
キングコブラはノルマンディニーメンやイルドフランス等のフランス精鋭部隊によって植民地独立戦争中だったベトミン相手に爆撃機として活躍した。

バリエーション

○XP-39
プロトタイプ。それ以上でもそれ以下でもない。

○YP-39A
実用試験機初期型。

○YP-39B
NACAの改善勧告を取り入れた実用試験機後期型。改善勧告どころか改悪だったのは前述の通り。

○P-39C
初期生産型。武装は機首に7.62mm機銃と12.7mm機銃を2門ずつと37mm機関砲1門。

○P-39D
生産済のC型を改修し防弾装甲を強化したもの。また機首の7.62mm機銃がオミットされ、代わりに主翼に2門ずつ装備された。
発展型として防弾タンクの強化を行い37mm機関砲を20mm機関砲に換装したD-1と、それをベースにエンジン強化と37mm機関砲への再換装を行ったD-2がある。

○エアラコブラMk.1(米軍呼称P-400)
英国に供与されたエアラコブラ。社内呼称モデル14。仕様的には概ねD-1そのもの。
評価に関しては前述の通り。

○XP-39E
大幅な改設計とターボチャージャー付新型アリソンエンジンを装備した性能向上試作機。
重量増で思ったほど性能が伸びず、コンセプトは後継機のP-63に受け継がれた。

○P-39F
D型をベースにプロペラ周りと排気管の改修を行った飛行性能向上型。
発展型に機首転換複座訓練機型のTP-39Fがある。

○P-39G
P-39KとP-39Lの米軍呼称。どっちもプロペラ周り程度しか差がない。

○P-39J
F型をベースに、エンジンブーストが自動化されたモデル。

○P-39M
L型のエンジンを出力の落ちた代わりに安定性の上がったものに換装したもの。
過給器のギア比が変更され、若干程度ではあるが高空向けになったとか。

○P-39N
M型をベースにエンジンの更新を行ったソ連供与用。初めて生産機数が4桁の大台に達した。
操縦席の装甲板を防弾ガラスに変更したため軽量化できたとか。翼内機銃もソ連到着すぐに外される

○P-39Q
N型ベースで武装強化を行った主要生産型。大半は赤い大地に送り込まれた。やっぱり翼内機銃は現地ですぐ外される
ちなみに生産機数は4,905機。後期生産型では主翼下のガンポッドがオミットされた。
こいつにも機首転換訓練機型のRP-39Qという発展型がある。
○XFL-1
海軍向けの艦上戦闘機型試作機。原型機が前輪式だったのに対しこっちは尾輪式。
試作機1機が製造・試験されたのみで計画中止。

○F2L-1
標的曳航機として海軍に譲渡されたQ型の海軍呼称。




追記・修正は零戦から逃げるカツオブシからメッセルを食べる赤蛇に成長してからお願いします。

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最終更新:2024年04月25日 12:16

*1 イギリス向けの機体では20mm機関砲に換装されており、イギリスに受け取りを拒否されたのち20mm機関砲装備のままソビエトにレンドリースされた機体も存在した。

*2 Q型では撤去され、主翼下のガンポッドに12.7mm機関銃を1挺ずつ装備した。

*3 無垢の徹甲弾も用意こそされていたものの低初速なために貫徹力はIl-2が搭載する23mm機関砲と同等でしかなく、ソ連へレンドリースされた機体には榴弾しか供給されていない。

*4 日本軍の陸攻が高度6000mを悠々と飛んでいくのに対し、低空用エンジンを積んだP-39は同じ高さまで昇るだけで一苦労だった、という後の本土防空戦の逆パターンのような話もある