八木・宇田アンテナ

登録日:2014/12/10 Wed 02:03:20
更新日:2023/07/29 Sat 04:17:40
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八木・宇田アンテナは、東北帝国大学の八木秀次教授(当時)、宇田新太郎講師(当時)によって開発された指向性アンテナの一種である。通称『八木アンテナ』。
高い汎用性を持つ指向性アンテナであり、広域電波発信が可能なレーダー性能と、遠距離からの電波受信機能を併せ持つ。
特許出願が1926年と既に90年近く前の技術であるが、
つい最近まで世界のテレビ放送受信機を独占していたり、無線やFM放送受信では今なお現役という超性能爺ちゃん


システム概要

一般家庭の屋根からニョキっと伸びているアレである。
枝のように見えるユニットの最後部からリフレクタ(反射器)、ラジエータ(給電部位、輻射器)、そして最前にディレクタ(導波器)素子が並ぶ設計。
ラジエータには主にダイポールアンテナが用いられる。
パーツサイズ的にはリフレクタ>ラジエータ>ディフレクタ、指向性はリフレクタ→ラジエータ→ディレクタ。
詳しくはググるか専門家に聞いて、どうぞ。

ちなみに、八木博士が創業した八木アンテナ(株)(現・(株)日立国際八木ソリューションズ)は、
2013年11月末日をもってテレビ受信用アンテナ関連製品の製造販売を終了しており、
直営通販でのみ一部製品の継続販売を行っていたが、14年12月に「15年2月27日をもって営業終了」する旨が通販サイトに掲載された。


その歴史

基幹原理発見の発端となったのは、とある学生(技術交流等を目的に派遣されていた海軍大尉)の実験だった。
超短波発振器からの電波を用い、ループの共振波長を測定する、というものだ。
この時、実験中に電流計の針が異常に振れるので原因を調べてみたところ、実験系付近に置いてあった金属棒の位置が関わることが認められた。
この報告にティンときた八木教授は助手たちに種々の実験を行わせ、25年12月末に基礎理論を完成させる。

ここでようやく宇田講師が関わってくる。彼は八木の命を受けてこの理論の実用化を進め、26年2月に両名の連名で英文報告書を公表。7月には八木の出願で特許権を得た。
28年夏には八木が訪米、アメリカ無線技術者協会等で公演を行い高い評価を得る。
30年台にはアメリカで悪天候や視界不良時の離着陸誘導管制に用いられるなど、欧米の技術者や軍関係者からは強力なシステムとして着目されていた。

40年代ともなると各種レーダーシステムの基幹部位として英米独で大活躍しており、早期警戒から対艦/対空索敵など、ありとあらゆる索敵/管制分野を席巻する。
バトル・オブ・ブリテンで大英帝国が辛くも勝利を収めたり、「帝国海軍は水雷夜戦にて最強」な帝国海軍からお家芸を奪ったり、
ミッドウェイ海戦で帝国海軍がぐうの音も出ないほどフルボッコされて一航戦と二航戦が同時消滅したのもだいたい八木アンテナのおかげ。
ついでに原爆にも内蔵されており、起爆高度への遷移を測定するのに用いられていたりする。皮肉ってレベルじゃねーぞ。

なお、我らが大日本帝国はというと、陸軍はレーダー技術自体には関心を示していたが、ドップラー効果を用いた極超短波レーダーの開発に気が向いており、
海軍に至ってはスルースルーアンドスルーだった模様。海軍が開明派という風潮は一体どこから来たのか……
ちなみに、レーダー関連の三大要素(マイクロ波マグネトロン、電波高度計、そして八木アンテナ)のうち最初と最後は日本が先鞭をつけていた技術だったりする。
発明した大日本帝国と後発の鬼畜米英、どうして差がついたのか……慢心、環境の違いではなくどう見ても上の無理解が原因です、本当にありがとうございました

これに関してなんともしまらないエピソードがある。帝国陸軍が大英帝国をフルボッコしてシンガポールを占領した時の話である。

陸軍技術将校「あー、君、ちょっと質問があるんだが?」
英国人捕虜「何か?」
技術将校「このレーダー関連の文書にある“YAGI”についてなんだが、これはヤギと読むのかね?それともヤジ?というかそもそも何だねこれは?」
捕虜「……君ら、本当に知らんの?」
技術将校「知らんから聞いてるんじゃないか(激おこ」
捕虜「アンタ本当に知らんのか!?“YAGI”っつったらこのアンテナの発明者で日本人やでしかし。オタク本当に技術将校?」
技術将校「ファッ!?」

以上、のような本当の話である。これ以降、陸軍は30年台中頃より進めていたドップラーレーダーの改良発展を諦め、
八木アンテナを用いたより簡略かつ同等のレーダー開発に躍起になるのだが、案の定間に合わなかったのは戦史の通り。
なお、海軍はもっと酷く、「敵前で電波ぶっぱするとか、闇夜に提灯つけてわざわざ居場所を知らせるようなもんじゃねーか」とガン無視していた模様。
開戦後にその威力を知り慌てて実用化に取り組むものの、これまた例によってまっとうに使えるものが出揃ったのは大戦末期も末期だった。
しかもそのベースになったのは陸上設置型であり、これでさえ陸軍とは別系統なのだから、もう、何というか、ねぇ……

そして戦後のテレビ放送普及に伴い、八木アンテナが世界の屋根を占領したことは今更語るまでもないだろう。
今なお『これの代用・後継機になりうるアンテナは存在しない』とまで言われているアンテナのため、今後もラジオや無線が使われる限りは現役であろう。
最初に述べた通り約90年前の発明である。しかも日本製。身近すぎて意識することすら少ないだろうが、これもまた誇るべき日本の技術なのである。
普及させたの白人だけどな!


余談

このように発表から10年以上開発国ではほっとかれた八木アンテナだが、八木自身は別に無名だったり冷遇されていたわけではなく、
件のエピソード時点で東京工業大学長を務めており、大戦末期には海軍推薦の上で技術院総裁に就任してたりする。
総裁時代に衆院予算委員会で「技術当局は『必死でない必中兵器』を開発する責任があるが、その完成を待たずに『必死必中』の特攻隊を必要とするこの戦局。慙愧に堪えない(大意)」
という答弁を行ったことも。特攻賛美と無駄な精神主義の横溢する当時の国内で、技術者として勇気を示している。
乗員を精密誘導端末として用いる高機動誘導爆弾なんぞ、技術者にとっては畜生の所業と言うほかないので残当ではあるのだが、
それを大戦末期の割とみんなイッちゃってる日本国内で言ってのけたというその度胸には感嘆せざるを得ない。

また、宇田は戦後に渡米した際、テレビ受信アンテナに自分の開発したものが使われ、しかも市場制圧していることに驚愕したという。
彼は臨終時に「ワシの墓標はアンテナでよろしく」と残したが、さすがに「墓にアンテナは奇妙奇天烈過ぎじゃね?」ということで、
遺族や関係者の協議の結果、墓石に意匠を彫り込むことで代わりとしたそうな。
技術者冥利というべきか、はたまたマッドの発想というべきか、余人の判断に困るエピソードである。






追記・修正は帝国海軍にレーダーの有用性を認めさせてからお願いします。

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最終更新:2023年07月29日 04:17