三八式歩兵銃

登録日:2015/05/25 (月) 19:18:00
更新日:2024/03/28 Thu 22:40:39
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三八式歩兵銃は、大日本帝国で開発・運用されたボルトアクションライフルである。
こと帝国陸軍を語る場において、話題に上らないことがないと言ってもいい皇軍歩兵の「顔」。
世間では「さんぱちしきほへいじゅう」と呼ばれることが多いが、実はさんはちしきほへいじゅう」が本来の読みである*1


カタログスペック

口径:6.5mm
銃身長:797mm
ライフリング:6条右回り(初期型)/4条右回り(中後期型)
使用弾薬:三八式実包
装弾数:5発(固定弾倉)
作動方式:ボルトアクション式
全長:1,276mm(着剣時1,663mm)
重量:3,73kg(着剣時4,10kg)
銃口初速:762m/s
最大射程:2400m
有効射程:460m
製造:東京砲兵工廠、帝国領内の各陸軍造兵廠


概要

有坂成章陸軍大佐の手になる三十年式歩兵銃は、当時の世界水準から見ても何ら遜色ない秀作だった。
しかし日露戦争において中国大陸に投入された結果、設計時想定を超える環境負荷から不具合が頻発。
有坂の部下として開発に関与していた、南部麒次郎を中心に改設計を行うことになった。
もとよりベースモデルあっての改修であり、機関部の合理化や防塵用ダストカバー付加などがメインであったため、
作業はトントン拍子に進み、戦後間もない1905年(明治38年)に仮採用、各種試験を経て06年に制式採用された。
明治38年に採用されたから三八式な。

初陣は第一次大戦におけるドイツ植民地駐留軍相手の交戦で、それ以降の皇軍主力小銃として二度の大戦を戦い抜いた。
39年以降は後継小銃たる九九式短小銃の量産も始まったが、量産開始タイミングの悪さや国力の限界から完全更新に失敗し、
旧式化を嘆かれつつも絶望的な末期戦を乗り越えている。

総じて性能的には必要十分なものであったことは確かだが、帝国軍の各種備品の例に漏れず、
材料の品質劣化や工員練度の悪化著しい末期生産品(ラストディッチ・モデル)の品質はそびえ立つクソだったとか。
それでもマシなものを必死にかき集めて前線に送っていたらしいので、品質低下は最低限だった……らいいなぁ。

総生産数は日本国産銃最多の約340万挺で、40年の長きにわたって運用され続けたために派生型も豊富であり、
外国にも多数輸出され、帝国製兵器の中では最も成功した輸出兵器となった。


性能

当時の技術水準に合わせ、また植民地や外征運用(ただし南方を除く)を想定して高負荷環境耐性を高めるため、
機関部は徹底して単純化・簡素化が施されており、その部品点数たるやなんとたったの5個。
同時期の有名な小銃であるドイツのGew98と比べると、3個も部品削減に成功している。

ただし工業的技術的に単純化されているとはいえ、最終工程(組み立て)には熟練工員の微調整が不可欠で、
陸軍列強の先進思想たる部品の互換化/規格化は、工業水準の低さのせいで未徹底なままだった。
まあ、部品の完全な互換化/規格化を大戦中にやってのけたのなんぞM1ガーランドが初であって、当時の銃としては普通の話である。

部品を減らした結果か、不発を起こした際に不発弾を歩兵がいちいち取り除き、さらにボルトを操作しないと撃てないという欠点があった。(前述のGew98の場合、ジャムった場合でもボルトをガッチャンコと操作すれば次弾発射が可能である)

実包は三十年式に使用された円頭型の三十年式実包から尖頭弾の三八式実包に改良され、
弾丸重量軽減と装薬増加による高初速化*2・低進性向上に成功している。
これにより原型に比べ命中精度が飛躍的に向上しており、輸出時に好評だったのもこれに起因する。
また、各国の主力小銃に比べ小口径なため、低反動かつブラストやマズルジャンプも小さく、
長銃身が行軍の際に邪魔である、というのはともかく運用性は良好だった模様。

銃身は軍用銃としては珍しいタングステン合金鋼(高速度鋼)を採用している。
ライフリングは耐久性の高い代わりに工数の増えるメトフォード型を採用した。
さらに分厚いクロームメッキでライフリングを保護しており、耐久性はかなりのもの。銃身命数は8,000発程度。
ただし古参兵に殴られつつ必要以上に磨きまくらされるため、メッキの剥がれが速く、
実銃の命数はカタログスペックよりも小さくなる傾向にあったという。
それでも、ある程度以上の手入れがされている残存品の集弾性能は、今だ現役レベルだとか。

着剣時1.6m超と現行品と比べると非常に長大だが、これでも制式採用当時の主力小銃よりは多少短かったりする。
取り回しの面ではともかく、長大な銃身と低反動かつ高初速な小口径弾の組み合わせは、
新兵の習熟期間短縮に一役買っていたとも。

完全軍装では、固定弾倉に込められる最大数である弾薬5発をひとまとめにした挿弾子(クリップ)を
6個収納した前盒を前身頃に2つ、10個入りの後盒1つをそれぞれベルトに固定し携行する。
また、三八式を装備する中隊には、補給効率を考慮して実包を共用可能な軽機関銃(種別は時期にもよる)が配備されていた。
九九式短小銃の場合は同じく実包を共用可能な九九式軽機関銃が配備される。

各国の主力小銃と比較すると……?

第二次大戦で使用された各国主力小銃は、実はどれも1900年前後に開発されたボルトアクション型で、三八式とは同世代だったりする。
有名どころでは例えばドイツのKar98k(Gew98のカービンモデル)、赤軍のモシン・ナガンM1891/30(M1891の改良型)、
英国のリー・エンフィールドNo.4。どれも戦後しばらく経つまでは現役だった。

M1のおかげで世界に先駆けて歩兵銃の自動化を完了したアメリカとて、ガダルカナル以前はボルトアクションのM1903が主力だ。
それを踏まえておくと、後継銃がグダグダだったのはともかく、各種スペックは標準的だったとわかる。
ちなみに、アメリカを除く当時の主要国の陸軍戦闘ドクトリンにおいては、歩兵火力の要は機関銃であり、
それの充当がある程度なされているなら歩兵銃はボルトアクションでよい、という割り切りもあったりする。
アメリカの場合はBARが大重量すぎたのでセミオートライフル開発に躍起になった、という側面もあるのだが、それは本項には関係ない。


バリエーション

派生品だけで項目ができかねないので、ここでは有名どころのみ取り上げたい。

  • 三八式騎兵銃
騎乗運用のために銃身を30cm短縮し、取り回し良くしたモデル。
普通、こうもバッサリ銃身を切り詰めると、命中精度やマズルジャンプが目に見えて悪化するのだが、
もとより使ってるのが各国軍のものより小口径だったので、そこまで目立った性能劣化はなかったらしい。

騎兵科の陳腐化後も、取り回しの良さが評価されたためか、各種支援兵科のみならず一般兵にも使用された。
実は正式名称は「三八式騎銃」なのだが、機銃(機関銃)と紛らわしいので誰からともなくこう呼ぶようになったとか。

  • 四四式騎兵銃
三八式騎兵銃をさらに騎兵運用に特化したもの。
騎乗時にはもたついて着剣が遅れる従来の着剣ラグの代わりに、折畳式のスパイク型銃剣を標準装備している。
銃剣部は銃身に接触しないよう厳重に固定されており、銃剣格闘で銃身を傷めることもない。
……と言いたいが、幾度かの試行錯誤の結果であり、問題が解消された頃には騎兵自体陳腐化してたというオチが。

これもベースモデル同様に、取り回しが評価されたため騎兵陳腐化後も使用された。
「空の神兵」こと陸軍挺進連隊でも運用されていたとか。

  • 三八式短小銃
三八式の銃身を取り回し良くするために切り詰めたもの。断じて短小ではない
銃身長は歩兵銃>短小銃>騎兵銃。

  • 九七式狙撃銃/三八式改狙撃銃
生産ラインから特に精度の優れた部品を選別し、狙撃用のスコープとモノポッドを増設、専用調整を施したもの。
機関部に菊花紋章とともに「九七式」と刻印される。
ただでさえ命中精度に優れる三八式に狙撃調整を施しただけあって、その精度は現行狙撃銃にも劣らない。さすがに勝てはしないが。
また、生産済みのものから高精度品を選別し、同等の改修を施したものは三八式改と呼ばれる。
実包は主に機関銃で使用される減装弾を用いるが、基本的にはベースと同じなので通常弾もちゃんと撃てる。

米軍の歩兵にとって、機関銃での精密制圧射の次に恐れたのが、本銃での狙撃だったというのは割とよく聞く話。
ブラストの小ささから発見そのものが困難とあって、至近弾がかすめる際の「バシュゥン!」という独特な音が聞こえた時など、
ベテラン兵曹さえも震えながら即効で地に伏せるほどだったという。

帝国陸軍はこれら狙撃銃を効果的に運用するのに熱心で、特にガダルカナル撤退時には、米軍足止めの任を負った狙撃手が
捨て奸のごとき決死の遅滞戦闘を繰り広げ、残存将兵の撤退に大きく貢献したとされる。
最後の残存狙撃手投降は、戦後2年経った47年のことだった。


有名どころはこんな感じだろうか。
他にも中国製のコピーモデルや、マニアックな試作モデルなどが存在する。

海外への輸出例

メキシコ革命にはほとんど間に合わなかったものの、50万挺が輸出された。
その余剰分である60万挺は帝政ロシアへ売却され、フェドロフ・ライフル開発のきっかけになったりした。
タイ王国へは同国の正式実包である8×52mmR弾仕様に改修され、66式小銃と銘打たれて約5万挺が輸出されている。

フィンランドにもまとまった数が輸出され、内戦時には赤衛軍に使用された。
アカどもと根本的に相容れない国家の銃がアカどもの手に渡るというのも、なんとも皮肉めいた話ではある。

それ以外にも、ロシア革命以後の流出品がフィンランドや周辺国で使用されたり、
帝国軍からの供与品が東南アジア各国で運用されるなど、結構な数が外国に流出している。


戦歴、もとい遍歴

上記のように第一次大戦での対独戦を皮切りに、シベリア出兵以降の対外出兵/戦争において常に帝国歩兵の傍らにあった。
初戦の陸軍無双にも、中後期の転身玉砕乱発にも、末期の絶望的な硫黄島/沖縄防衛戦にも、常に歩兵とともに戦い続け、
時にアメリカに「今どきボルトアクションwwww」と馬鹿にされたり、時にガーランドのクリップ排出音に狙撃を決めたり。
大日本帝国が終焉を迎えるその日まで、帝国陸軍の主力小銃であり続けた。
満州や大陸方面で鹵獲されたものはその後中国共産党軍の主力小銃として国共内戦を戦い抜き、中国成立の原動力ともなった。

戦後は戦場での鹵獲品や、武装解除後に引き渡されたもののうち、品質良好とみなされて廃棄処分を免れたものが、
アメリカ経由で猟銃やスポーツライフルとして欧米に流出。
当時の小柄な日本人でも習熟が容易なマイルドなリコイルは、白人の大柄な肉体からすればあってないようなものであり、
良好な精度と併せて結構な好評を得たとされる。
ただ、流出直後は弾薬が希少品扱いだったため、.257ロバーツ弾に適合するよう改修されることが多かったという。

現在はノルウェーのノルマ・プレシジョン、アメリカのホーナディ・マニュファクチャリングの両社において、
俗に有坂銃と呼ばれる三十年式歩兵銃の系譜で使用された、三八式実包と九九式実包が製造されている。
海外在住で資格持ちの方は、これを機に実銃を買ってみてはいかがだろうか。

ちなみに、国内で三八式を保有したい場合、無可動実銃として輸入するか、スポーツライフル化改修を施す、
小口径散弾銃への改修を行うかくらいしか方法がなかったりする。
どうしても撃ちたい場合は素直に海外のシューティングレンジへ行こう。
あるいはKTWからエアーコッキングガン、タナカからガスガンとしてリリースされているので、
そちらを買うというのもひとつの手。ただし需要としてニッチなので出費は覚悟しておこう。

面白い使い方としては、09年に埼玉県の老人ホームでの認知症短期集中リハビリにおいて、本銃のモデルガンが使われた。
従軍経験者に本銃を見せたところ、それまで座ってばっかだった入所者がモデルガンを背負って歩き出したり、
これを題材にした回想法も目に見えて効果があったという。


登場作品

旧帝国陸軍を代表する銃のため、支那事変以降を題材にした作品にはたいてい出てくる。
また、三十年式の小道具調達が困難なため、それらの代用品として用いられたりもする。

アニヲタ的には、とりあえず帝国陸軍の登場するアニメやゲームには嫌でも出てくるので、その辺のチェックは楽だろう。
プレイしてみたいなら、とりあえずコールオブデューティかメダルオブオナーをどうぞ。






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最終更新:2024年03月28日 22:40

*1 これは半濁点があったほうが発音しやすいためで、実際に使用していた兵士の方々ですら「さんぱち」のほうで呼ぶ人がほとんどだったらしい

*2 銃口初速762m/sは当時の諸外国の主力小銃と同等で、とびきり高速というわけではない。アメリカのスプリングフィールドM1903(830m/s)には劣る他、弾頭重量が軽いため同等の初速でも有効射程・貫通力は劣る