ドーハの悲劇

登録日:2015/06/18 Thu 19:12:55
更新日:2024/04/16 Tue 16:57:43
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ドーハの悲劇とは、FIFAアメリカワールドカップアジア最終予選で起こった、日本のサッカーファンにとって忘れることの出来ない出来事である。

ちなみに『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』でも同じ単語が出てくるが、そちらは研究所の爆発によって大量に死傷者が出た架空の事故であり、サッカーの「ドーハの悲劇」とは名前以外の関係はないのでこの項では扱わない。


背景

時はさかのぼる事1993年。今でこそヨーロッパのトップリーグで多くの選手がプレーし、ワールドカップの常連国となったサッカー日本代表。

だが、当時の日本はメキシコ五輪での銅メダル獲得を最後に、ワールドカップやオリンピック予選を突破できず、国際大会への道を閉ざされていた。

しかしながら、1992年から一気に日本サッカーは発展する。初の外国人監督ハンス・オフト氏を迎え、1993年には初のプロリーグであるJリーグが発足(前年にはプレ大会でカップ戦が開催)、そして1992年のアジアカップでは地元開催とはいえ初優勝を飾るなど、日本サッカーにとって悲願であったワールドカップ出場への機運が高まり、それまで競技人口は伸びていたとはいえ、野球など他のスポーツに比べて関心の低かったサッカーは一気に注目度を上げることになった。

そしてそんな期待に後押しされ、日本は翌年に開催されるワールドカップアメリカ大会のアジア1次予選を7勝1分と余裕を持って突破し、最終予選へと進んだ。

予選の流れ

この最終予選は、中立地である中東カタールの都市ドーハでの参加国が全試合を行うセントラル方式にて行われ、1次予選を勝ち抜いた6か国の総当たりリーグ戦で、上位2か国がワールドカップの出場権を得ることになっていた。当時は現在よりも出場枠が少なかったのである。*1

日本は初戦のサウジアラビア戦を0-0で引き分け、第2戦のイラン戦を1-2で落とし、 この時点で最下位に転落したが、第3戦の北朝鮮戦を3-0で勝利し、続く第4戦ではそれまでW杯や五輪のアジア予選で一度も勝てなかった韓国に三浦知良のゴールで1-0で勝利し、韓国に代わり首位に立ち本戦出場に王手をかけた。

最終戦を残し、順位は以下のとおりだった。

順位 勝ち点 勝利 引き分け 敗戦 得失点差 総得点
1 日本 5 2 1 1 +3 5
2 サウジアラビア 5 1 3 0 +1 4
3 韓国 4 1 2 1 +2 6
4 イラク 4 1 2 1 0 7
5 イラン 4 2 0 2 -2 5
6 北朝鮮 2 1 0 3 -4 5

そして悲劇へ

日本は勝利すれば無条件、そして引き分けでも韓国とサウジアラビアの結果次第では出場が決まるという有利な条件で最終戦である第5戦、イラク戦を迎えた。

この時点では対戦相手のイラク含め、最下位の北朝鮮以外全チームに出場の可能性がある状況。

そして、運命のホイッスルが鳴った。

開始5分、長谷川健太のミドルシュートがクロスバーに弾かれバウンドした所を三浦知良がヘディングで押し込み早々と先制。前半は日本が試合を優位に進めたまま終了した。

しかしながら、このハーフタイムでは日本選手同士が戦術やポジショニングを巡り口論となり、オフト監督が一喝しても止めないなど、目の前に迫ったワールドカップ出場へ非常に緊迫感が高まっていたという(一部書籍による)

そして、後半に入るとイラクが一転して攻勢に転じ、55分にアーメド・ラディが粘り強いボールキープからシュートを決め1-1の同点に追いつき、以降もイラクが更にボール支配率を高めて攻勢を強め、何度か決定的なチャンスを掴むが得点には結びつかなかった。

そして69分、逆に日本がラモス瑠偉のスルーパスを中山雅史がゴール右角に決め、2-1の勝ち越しに成功した。

その後もイラクが攻勢を続けたが、日本が1点を守りきり、試合はロスタイムへ突入した。

日本のワールドカップ出場はもう目の前だった。

中継していたアナウンサー、現地まで駆けつけたサポーター、および日本でテレビ中継(この日の試合はテレビ東京で放映)を見ていた多くの人々がその瞬間を見守った。

しかし、その時。

サッカーの神様は日本に試練を与えた。

89分50秒、イラクはコーナーキックのチャンスを得た。

ここでキッカーのライト・フセインはゴール前に直接センタリングを送らず、意表を突くショートコーナーをフセイン・カディムに渡した。

フセイン・カディムは、慌てて対応に走った三浦知をドリブルで振り切りセンタリングを上げ、これをオムラム・サルマンがヘディングシュート。

ふわりとした力のないシュートであったが、完璧なコースだった。

GK松永が見送り、ボールは日本のゴールネットに吸い込まれ同点となった(90分20秒)。

その後、日本はまだ試合は終わっていないと、キックオフからすぐ前線へロングパスを出すも、ボールがそのままタッチラインを割ったところでホイッスルが鳴らされ、2-2の引き分けで試合終了となった。

試合終了後、控えも含めた日本選手は結果を受け入れられず、ピッチにへたりこんだ。

日本-イラク戦より数分早く終了した他会場の結果が、『サウジアラビア 4-3 イラン』『韓国 3-0 北朝鮮』だったため、最終順位は下表の通りとなり、サウジアラビアと韓国が本大会への出場権を獲得。

得失点差で韓国に及ばず3位に転落した日本は出場権を逃した。

「日本リード」を聞かされていた韓国の選手達は勝利後もうつむいていたが、「日本同点、試合終了」の結果を知ると一転して歓喜に包まれた。


順位 勝ち点 勝利 引き分け 敗戦 得失点差 総得点
1 サウジアラビア 7 3 1 1 +2 8
2 韓国 6 2 3 0 +5 9
3 日本 6 2 2 1 +3 7
4 イラク 5 1 3 1 0 9
5 イラン 4 2 0 3 -3 8
6 北朝鮮 2 1 0 4 -7 5

なお、イラクが後半に入って攻勢に出た理由としては、ハーフタイムのイラクのロッカールームに後述するフセイン大統領の息子であるウダイ氏が現れ、もし日本に敗北するような事があれば、選手全員を鞭打ちの刑に処すと脅迫したからだと言われているが、定かではない。

また、当時のイラクはフセイン大統領が独裁政権により全世界に核戦争の恐怖を与えていた時代であり、イラクは「ワールドカップに最も出場させたくない国」として忌み嫌われていたため、イラクは予選中レフェリーの不公平なジャッジにより相次ぐ出場停止者により、日本戦までベストメンバーを組む事が出来なかった。

この試合でも、接触ですぐイラクの選手がファウルを取られる、イラクの明らかにゴールと思われるものが認められない、あげく一時勝ち越しとなった中山のゴールも今の基準で見るとオフサイドの線が濃厚であるなど、日本寄りのジャッジであった。

そしてイラクは日本に引き分けたものの、目標であったワールドカップ出場を果たせなかった事で帰国後、多くの選手が投獄された。

ドーハの悲劇は、イラクにとっても悲劇だったのだ。

テレビ東京の中継は『ワールドビジネスサテライト』(WBS)を1時間15分遅らせてまで放送した。

当然、直後に始まった『WBS』でも当時のキャスターだった野中ともよ氏が冒頭で「「日本ついに悲願を達成しました!!」とついさっきまで(原稿に)書いてあったんです。ところが残念でした。本当に残念でした!」と予選敗退を伝え、トップニュースでは試合のハイライト、そして『WBS』が経済に特化したニュース番組とあってワールドカップとオリンピックがどれぐらいの規模かを前回のイタリア大会や直近に行われたソウルオリンピックと比較、またワールドカップに便乗した企業の様子も紹介する力の入れようだった。もし勝っていれば、これらの話題の伝え方も違っていたと思うと…。


その後

日本はこの悲劇をバネとして、翌年のアトランタ五輪出場により28年ぶりのオリンピック出場を果たし、本大会ではブラジルを撃破する大金星を上げた。(マイアミの奇跡)

そしてその世代が中心となり、4年後のFIFAフランスワールドカップ予選で激闘の末、悲願のワールドカップ初出場を成し遂げた(ジョホールバルの歓喜)。以降自国開催だった2002年大会も含め7大会連続で出場している。

そして現在では多くの選手が国外でプレーし、アジアはもちろん、世界でも戦えるチームに成長した。
今となってはドーハを知る現役選手は三浦知良ただ一人となり、この試合の事は遠い過去のことになりつつある。

しかしながら、この悲劇の出来事があったからこそ、現在の日本代表があることを忘れてはならない。




そして、2016年。


時は流れて2016年。

カタールのドーハの地で世界大会出場を目指すチームがいた。

リオデジャネイロ五輪を目指す日本代表、手倉森ジャパンである。

場所はドーハ。相手はイラク。勝てば世界大会出場。

どこかで見た事のある状況だ。

先制するも同点に追いつかれ、その後も苦しい展開。

かつて悲劇を経験した中山雅史が解説席で見守る。

迎えたロスタイム。

MF南野がサイドでボールを奪い、クロスを上げる。

FWオナイウが詰めていたが、GKがパンチングで弾く。

しかしそこに詰めていたMF原川が拾い、ゴールへ一直線のミドルシュート。

ゴールネットが揺れた。

日本はアトランタから6大会連続オリンピック出場を決めた。

出場を決めたのは、折しもそのドーハの悲劇があった年に生まれた世代だった。

日本サッカーにとって、ドーハはもう悲劇の地ではないのかもしれない。

悲しき過去を乗り越え、日本サッカーは未来へ突き進んでいる。





さらに時は流れて6年後の2022年、ドーハの地にワールドカップ本大会がやってきた。

日本代表を率いるのはかつて悲劇を経験したメンバーの一人、森保一監督。

今度の相手はワールドカップ複数回優勝を誇る世界の強豪、ドイツだ。





追記、修正はドーハの悲劇を生で見ていた方からお願いします。

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最終更新:2024年04月16日 16:57

*1 現在はアジアの枠は4.5で、最終予選は2グループに分かれたリーグ戦で行われ、グループ上位2カ国が自動で出場+3位同士で試合を行い、勝者が大陸間のプレーオフに1カ国が進み、勝てば出場という形式になっている。またセントラル方式については今はホームアンドアウェーでそれぞれの国のホームで1試合ずつを行う方式がメジャーの為、なじみが薄いかもしれない。最近では2016年の折しも同じカタール開催となったリオ五輪の予選が記憶に新しい。こちらはトーナメント方式だったが