四国三大狸

登録日:2017/07/09 Sun 09:01:35
更新日:2021/12/25 Sat 15:27:17
所要時間:約 14 分で読めます






四国三大狸とは、


八百八狸の頭領、伊予(いよ)刑部(ぎょうぶ)こと隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)

「屋島の禿狸」こと「屋島の太三郎(たさぶろう)

「阿波狸合戦」の主役、小松島(こまつじま)金長(きんちょう)


以上、三体の化け狸のことである。


【概要】

化け狸は日本中にその伝承を残しているが、なかでも四国は化け狸の本場と言われている。
その中でも著名なこの3体は四国のみならず日本全国にその名を知られている大妖怪である。

彼らは妖怪の枠を越え、地元ではそれぞれ土地の神として祀られており
現代日本でもさまざまなメディアでその名を目にすることが出来る。

なお彼ら以外の化け狸については「化け狐・化け狸」の項目を参照してほしい。


【隠神刑部】

伊予国(愛媛)松山に伝わる、日本三大狸話*1の中でもひときわ異彩を放つ伝説「松山騒動八百八狸」
享保の大飢饉に際して起こったお家騒動を狸話と交えて講談にしたもので、
松山城の守護者であった八百八匹の狸たちを描いた物語である。

彼らは天智天皇の御代から松山の地に棲みつき、城内の家臣からも城下の民にも慕われていた。
だが彼らはお家騒動の際には謀反側に利用され、松山城内でさまざまな怪異を巻き起こしたのだ。

そんな彼らを率いていたのが四国三大狸の筆頭格として名高い伊予(いよ)刑部(ぎょうぶ)



隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)である。



隠神刑部と八百八狸たちは結局敗れて久万山の岩屋に封じられてしまうが、
その地には彼らを祀る祠が立てられ、現在に至るまで彼らの名とともに残されている。
詳しくは個別項目を参照されたし。



【屋島の太三郎】

日本三大狸のひとり*2であり狸の本場四国の三大狸のひとりでもある、屋島(香川県高松市)に伝わる古狸。
屋島の禿狸(はげだぬき)の名称で知られ、古来より屋島寺に棲みつき
仏教、そして戦争と深く関わりを持ってきたと言われる。

唐の名僧鑑真和上が日本に渡り平城京へ向かう途上屋島に立ち寄ったとき、
盲目の鑑真の手を引いたのがこの太三郎狸であったと伝えられている。
そしてこの際に鑑真によってこの地に屋島寺が創設されたのだという。

その後太三郎狸は笠をかぶった老人の姿で、弘法大師をはじめとした数々の名僧を案内した
そして彼らに感銘を受けた太三郎狸は屋島に教育の場をひらき、全国の若い狸を集めて勉学を教えていたとされる。

その後も屋島寺の守護神として戦乱や凶事を予知していたが、ある日矢傷を負って倒れてしまう。
その際に平清盛の嫡男重盛に助けられ、それから平家を守護するようになった。
しかし時代の流れの前には力及ばす、平家はあえなく滅亡。
その後は屋島寺にとどまり自らも学問を修め、日本一と評された化け術を駆使しついには四国の狸の総大将にまで登りつめる。

大寒になると各地から集まってきた300匹もの眷族の前で幻術をあやつり、
かつて自分がその眼で見届けた源義経の八艘飛びや那須与一の弓流しを披露したという。

後世においても太三郎狸は阿波狸合戦の仲裁に入り調停を行ったり、人に憑りつく悪狸をその威徳で落としたりと活躍を見せる。
そしてなんと近世に入っても、日清・日露戦争で眷族とともに日本軍に助勢したとも伝えられる。
太三郎狸は小豆の粒を兵士に変え、ロシア兵を追い払ったという。

現在でも太三郎狸は屋島寺に蓑山(みのやま)大明神の名で土地の氏神として祀られており、
今なお多くの人たちが足しげく参拝に通っている。

○浄願寺の禿狸

「屋島の禿狸」として知られる太三郎狸だが、屋島寺では彼のことを「禿狸」とは呼称していない。
しかし同じ高松に「禿狸」と呼ばれる狸が存在する。
それが「浄願寺の禿狸」である。

浄願寺にいた古狸はしばしば和尚に化けてほうぼうへ出かけ人助けをしていた。
あるとき大水が出て川を渡れず難儀していたところ、通りかかった男の肩に載せてもらい向こう岸まで運んでもらった。
狸はその恩に報いるため金の茶釜に化け、男にそれを売らせて恩を返す。
しかし売られていった先でさんざ火にかけられたため、火傷ですっかり頭が禿げ上がり泣きわめいて帰ってきたという。

この狸には日清・日露戦争に助勢した伝承も残っており、「屋島の禿狸」とはおそらくこの
浄願寺の狸と太三郎狸が混同された呼び名ではないかと言われている。



【小松島の金長】

江戸時代に入ってから狸王国四国の阿波で巻き起こった
二頭の化け狸を中心とした総勢1000匹以上の狸が勝浦川で激突した一大合戦「阿波狸合戦」
四国の狸伝承の中でももっともスケールが大きく高名なものの一つで、昭和初期に映画化もされている。

この物語の主人公が四国三大狸最後のひとり、小松島(こまつじま)金長(きんちょう)である。
金長は四国三大狸の中では一番の若手とはいえ、200歳を越えた古狸である。
しかし作中では人からの恩義に篤く報い友の死には仇討ちを期すといった
古狸らしからぬ感情豊かな熱血漢として描かれている。


○茂右衛門との出会い

時は天保*3、小松島日開野(ひがいの)の染物屋大和屋の主人茂右衛門
人間につかまりいたぶられていた狸を助けてやった。
まもなく大和屋はみるみるうちに繁盛しはじめる。
そんなある日、奉公人の万吉が狸に憑かれてあらぬことを口走り始める。



「お助けいただきありがとうございます。 

わたしはあの時の狸、名を金長(きんちょう)と申します」



万吉の口を借りて語ったところによると、金長は206歳にもなる付近の狸の頭目であり
茂右衛門に助けてもらった恩を返すためこの店に憑りついたのだという。
万吉に憑いた金長はその後人々の病を治したり易見をしたりして評判となった。

しかしその後、狸としての位を持たない金長は茂右衛門に暇乞いをし修行のために旅立っていった。
行く先は津田*4にいる化け狸の総大将、六右衛門(ろくえもん)のもとである。

○六右衛門との決裂

津田の六右衛門は金長を鷹揚に迎え、乞われるままに修行を施した。
金長は抜群の成績を修め、ついに念願の正一位の位を得るところまで登りつめた。
六右衛門は弟子の栄達を大いに喜び、自分の娘小安姫(こやすひめ)こと鹿()()の婿として彼を手元にとどめようとする。

しかし金長はいずれ恩人の茂右衛門のもとに義理立てに戻る心づもりであったのと、
六右衛門の心根に酷薄なものがあるのを感じ取ったためその誘いを固辞。
六右衛門は金長が自分を避けているのを感じ取り、このまま互いに勢力を伸ばせばいずれぶつかり合うであろうことを予見。
家来とともに金長に闇討ちを加えた。

金長はともに日開野から来た友「藤ノ木寺の鷹」とともに応戦するが、鷹は追っ手に討たれ自身のみで日開野に落ちのびる。
金長もまた六右衛門との対決が避けられぬことを知って、鷹の仇討ちのために同志を募り戦いの準備を整えるのである。
決戦前夜、金長は恩人の茂右衛門のもとを訪れ、こう言って去っていった。



「このたびは、(なが)御暇(おいとま)を頂きに参ったのでござります ―」



○勝浦川の決戦

六右衛門の娘小安姫は父を思いとどまらせるために一命を賭して諌める。
しかしますます六右衛門を激怒させる結果に終わり、小安姫は自刃して果てる。
いよいよ後に引けなくなった六右衛門は600匹ほどの手勢を率いて出陣。
金長も600匹ほどの手勢を集めて、勝浦川でついに両者が激突。
戦いは熾烈を極め、互いに大損害を受けながらこう着状態となる。

これ以上の損害を避けるため総大将同士の一騎打ちで雌雄を決することとなり、
激闘の末、ついに金長は六右衛門を噛み殺す。
しかし金長もこの一騎打ちで深手を負い、まもなく命を落としてしまった。

こうして勝浦川の決戦は幕を閉じた。
しかしこの2者の戦いは、それでもなお終わらなかったのである。


○その後の金長

金長と六右衛門、それぞれが率いていた狸たちの怒りは、両者が倒れてからもなおおさまることはなかった。
金長側は跡目をついだ二代目金長を、六右衛門側は修行に出ていた六右衛門の息子千住太郎(せんじゅたろう)をかつぎあげ
ふたたび決着をつけんと結集したのである。
二代目金長と千住太郎も互いの親の仇を討たんと奮い立ち、いままさに両者が激突せんとしたその時。



「そこまでじゃよ、太郎」


「お、お師匠?!」


「金長さんも、この老いぼれに免じて退いてはもらえんかのう」



その場に現れたのは、千住太郎の師であり四国の化け狸の頭領屋島の太三郎であった。
さしもの猛り立つ若き狸たちも、太三郎の威徳の前に仲裁を受け入れ、ようやく狸合戦は終結したのである。


その後金長の死を悼んだ芝右衛門は、彼のためにみずから京都に足を運び正一位を授かって金長大明神として祀るようになったという。
また敗れた六右衛門も地元の津田では人望篤く、千住太郎・鹿の子とともに津田の地にて祀られることになった。

金長大明神は現在も徳島で祀られており、「阿波狸合戦」が映画化され大ヒットした折に
俳優たちの寄進で分社が立てられ、いまでも参拝客で賑わっている。

【もうひとつの『四国三大狸』】

一般的に「四国三大狸」というと、上記までの3体を指す。
しかし四国の枠を超えて日本最大の化け狸とも言われる隠神刑部は別格として外されることがある。
また3体の中でもっとも若手の金長が加入する前から「四国三大狸」というくくりは存在していた。

隠神刑部、金長に続き「四国三大狸」に選ばれうる大物狸。

それが「壬生川(にゅうがわ)喜左衛門(きざえもん)」と

新居浜(にいはま)小女郎(こじょろう)」である。


彼らは「屋島の禿狸」を含めた3兄妹とされ、伊予の化け狸の名門一家としてその名を残している。

○壬生川の喜左衛門

壬生川は北条、大気都比売神(おおげつひめのかみ)をまつる大気味(おおきみ)神社。
その境内のひときわ大きな古木、大気味神社創建以前よりこの地に根を下ろしていた大木。
そこに棲みついた齢300の古狸が、大気味神社の眷族である壬生川の喜左衛門である。

喜左衛門は大気味神社の使いであったが、長福寺の和尚とも懇意にしており
仏道から囲碁の手ほどきまでさまざまな教えを受けていた。
喜左衛門は小僧の姿で和尚に付き従い、たまにうっかり尻尾を出しては叱られたという。

彼の最も有名でその名を高めた逸話は、屋島の禿狸に化け比べで一本取ったものだろう。
屋島の禿狸がやすやすとみごとな源平合戦を披露したのに対し、喜左衛門は大名行列を呼び出してみせた。
ところがこの大名行列は本物で、うっかり近づいた禿狸は侍に斬りかかられ
ほうほうの体で屋島に逃げかえったという。

喜左衛門はまた大気味神社の使いとしての役目もよく果たし、神社の屋根が荒れ果てているのを見て自ら人に化けて瓦を買い付けにいったという。
ところが出先で正体がばれてしまい、あわれ釜に放りこまれ瓦と一緒に焼かれてしまった。
しかしこの時から付近で不審火があいつぎ、喜左衛門の祟りだと噂されたという。

こうして死んでしまったと思われた喜左衛門だが、後にとんでもない形で復活を遂げる。
時代は何と近世、日中戦争・日露戦争においてである。
喜左衛門は小豆に化けて糧食に紛れこみ戦地に侵入。
戦場に着いた山盛りの小豆の姿の喜左衛門は、そのまま多数の赤服の兵士の姿に変化し敵と戦った。
また敵地で闇夜のなか帰路を失した味方の兵士を、提灯の明かりで陣地まで導いたとも言われる。

嘘かまことか、ロシアの敵将クロパトキンがこの戦いについて、
「日本軍の兵士の中にときどき赤い服の兵が混じっていた」
「赤服の兵は弾を何発受けても倒れず、逆に彼らを撃つとこちらの目がくらんでしまった」
という記述を手記の中に残しているという。


○新居浜の小女郎

新居浜の一の宮として名高い一宮(いっく)神社
その境内に鎮座する、樹齢1000年とも言われるクスノキの巨木「一番楠」。
その根元にある小さな祠、そこで祀られているのが新居浜(にいはま)小女郎(こじょろう)である。

彼女は一宮神社の宮司に代々仕える眷族であり、
屋島の禿狸・壬生川の喜左衛門ら伊予の名狸一門の末妹とされた。
その名のいわれは小女郎川のほとりで生まれたからとも、美しい少女に化けるのが得意であったからであるともいう。

彼女は慈眼寺の和尚にも師事し、神仏両道の学術に優れた才媛となった。
しかしそんな彼女にも、狸らしく食い意地が張っているという欠点があった。
しかも桜鯛には目が無く、一目見るなり尻尾を隠すのも忘れてむしゃぶりつく有様だったという。

あるとき彼女は一宮神社に奉納された初物の桜鯛を失敬してしまう。
宮司は激怒し、小女郎を一番楠から叩きだしてしまった。
途方にくれた小女郎は友達のつてをたどるため大阪に向かおうと、
慈眼寺の和尚に化けて一隻の船に乗りこむ。

ところがこともあろうにその船は桜鯛の漁船だったのである。
眼をつむり一心に神仏に祈り煩悩を払いのけようとしたが、そこは狸の悲しさ。
ぴちぴちと跳ねる桜鯛を前に耐えかねて、せめて一匹だけと盗み食う。
そうなると、もうあと一匹これで最後の一匹おまけの一匹とがつがつむさぼり食って
ついに船頭に見つかりさんざんにこらしめられたあげく海に放りこまれそうになってしまった。

小女郎は平身低頭し、お金を支払うから許してくれと頼みこむ。
情けをかけられ大阪に上陸した小女郎は、金の茶釜に化けて古道具屋に買い取られ
約束通り支払いを行った後こっそり逃げ出した。

その後小女郎はその名の通り見眼麗しい女性に化けて大阪の街を見物した。
その美しさに満ちゆく人は立ち止まり振り返り、うっとりとその姿を眼で追ったという。
その後小女郎は、友達の住む信太の森を訪ねそこに棲みついたとも、
宮司の許しを受けて一宮神社に戻り、一番楠の根元に祠を立てられ祀られたとも言われる。



【解説】

○四国三大狸の背景

四国の三大狸たちの伝承は、その多くが実際にあった出来事を下敷きにしている。
どのような伝承・神話であっても多かれ少なかれそういう要素はあるが、
特に四国三大狸の伝承は「抗争」「戦争」を題材にしているという共通点がある。

隠神刑部・八百八狸は周知の通り松山騒動・久万山騒動をモチーフとしており、
金長の「阿波狸合戦」は、徳島で起きた修験者同士や藍染め業者同士の抗争を描いたものだという説がある。
また温和な太三郎狸も、屋島の合戦や阿波狸合戦、さらには日露戦争に関わりを持っている。

これらは「狸」という存在が、社会問題を戯画化(カリカチュアライズ)するための手段として大いに有用だったことを示すものだろう。

正確かつ自由な報道など望むべくもなかった時代、
権力者たちから押し付けられる社会観に満足できなかった人々は
社会・歴史・政治について自分たちが思うところを「物語」という形で残していった。

しかしそんなリアリティ溢れる社会の物語は、ともすれば陰惨で酷薄なものになりかねない。
特に血なまぐさい抗争や戦争の話であればなおのことである。
そんな重たい物語をそれでも描きたいというとき、狸というキャラクターはまさしく適任であったのだろう。
どんなにシリアスな場面でも、タヌキが出てくるだけでなんとなく場の雰囲気が緩んでしまうのだから。
彼らは重苦しさを軽妙さで、残酷さを愛嬌でやわらげ社会の戯画を描き出していったのである。

あと特筆すべきことと言えば、太三郎や浄願寺の禿狸、喜左衛門らに見られる日露戦争にまつわる逸話についてである。
これらの成立に関しては松山に存在したロシア人捕虜収容所の存在が大きく影響を与えたことは確かだろう。
当時の日本は国際法順守の姿勢のもとロシア人捕虜たちにきわめて人道的な処遇を行っていた。

松山の人たちも国の姿勢に倣ってか、それとも国の思惑とは関係なく勇敢な兵士をまれびととして扱ったのか、
彼らは捕虜たちを大いに歓迎し街の中のいたるとことでさかんに交流しあったという。
その中でロシア人と松山の化け狸が結び付けられたのは、自然ななりゆきであったことなのだろう。

日露戦争での化け狸たちのおもしろみのある逸話は、松山の人たちのロシア人にむけた眼差しのあたたかさを示しているように思える。

あと太三郎と名僧たちの関わりあいは、狸に象徴される古来からの山岳信仰
大陸から渡来した仏教文化が相争うことなく融和したことを指すとも言われる。
化け狸の伝承は四国の、日本の歴史の縮図なのだ。

○なぜ四国は「狸王国」なのか

日本には沖縄などを除くほぼ全土に狸が生息し、化け狸の伝承もその分布と等しい範囲にひろがっている。
それではなぜ、その中で四国だけが「狸王国」とまで呼ばれるようになったのだろうか。

まず事実として、かつて四国には野生のキツネが生息していなかった。
現在はホンドギツネが生息しているが、数はあまり多くない。
また信仰上でも、お稲荷さまはあまり多くなくかわりに狸があちこちで祀られている。
この差はいかにして出来たのか。

伝承では弘法大師が四国から狐を追い払ったとか、
古狐が松山の殿様の奥方に化けたところを取り押さえられ、
命は助けられたが四国からは追い出されてしまった
などと言われている。
では実際のところはどうだったのだろう。

思い当たるのは、タヌキは「島」で栄えるという点であろう。
佐渡島の団三郎や淡路島の芝右衛門など、著名な化け狸は島出身が多い。
他にも日本には、タヌキしかおらずキツネがいないという島が数多くある。

これは「島」という環境自体がタヌキに都合がよく、キツネには合わなかったということだろう。
海の上にぽつんと浮かぶ島はだいたい火山島で、平地が少ない。
キツネはどちらかというとある程度広い平原に棲み、タヌキはやや狭い場所で暮らしている。
さらに人がいる島となると狭い平地はほとんど人間の生活圏である。
人間が居住するための複雑な地形は、キツネよりもタヌキの生息に向いていた。
さらにタヌキは大家族の集団を作るため、小集団になりやすいキツネとぶつかり合うと
縄張り争いで勝ちやすいというのも見逃せない点であろう。

そして、四国もまた少し大きいというだけの「島」である。
しかも温暖で穏やかな気候と海の幸・山の幸に恵まれた豊穣の地である。
キツネほどには暑さ寒さに強くないタヌキにとってはまさしく桃源郷であったことだろう。
豊かでかつ十分な広さを持ったこの島でタヌキたちは大いに栄え、彼らの王国をつくりあげたのだ。

さらには、日本という国自体もまた「島」である。
日本では珍しくもないタヌキは、全世界ではむしろ希少な動物である。
この日本自体も、世界から見れば狸の島であると言えるだろう。
そのなかでも最大の狸王国である四国は、まさしく世界の狸の聖地なのだ。

なおここで述べたタヌキの性質・生態についてはこちらの項目がくわしい。


○現代の創作文化における四国三大狸

四国三大狸はそれぞれが日本三大狸や三大狸話の主役を兼ねたりしており、単体での出演も数多い。
そのなかでも「四国三大狸」としての代表的な出演作はやはり平成狸合戦ぽんぽこだろう。
化け狸と現代日本社会との対決を描いたこの作品では隠神刑部太三郎禿狸六代目金長
四国三大狸がそろい踏みし、恐るべき化け術を披露してくれる。

その他の作品や三大狸個々の出演作については「化け狐・化け狸」の項目を参照されたし。



追記・修正は四国狸巡りをしてからお願いします。


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最終更新:2021年12月25日 15:27

*1 残り二つは文福茶釜、證誠寺の狸囃子。こちらを参照。

*2 残り二狸(ふたり)は二ツ岩の団三郎、淡路の柴右衛門。こちらを参照。

*3 1830~1844

*4 後の名東郡斎津村津田浦