おおきな木

登録日:2017/10/28 (土) 18:37:27
更新日:2021/07/13 Tue 22:57:27
所要時間:約 4 分で読めます






きは それで うれしかった。




「おおきな木」とは、シェル・シルヴァスタイン作の絵本。

【解説】



1964年にアメリカで出版された作品で、林檎の木と少年の生涯を描いた作品。

アメリカ本国で高い評価を得たため、後にフランスを始めとした他国でも翻訳されていった。
世界各国の教科書にも掲載されていることから、教科書で本作を知った人もいるはず。

我らが日本でも翻訳されており、昭和に篠崎書林から出版されたほんだきんいちろう(本田錦一郎)訳の物と平成にあすなろ書房から出版された村上春樹訳の物がある。
本田氏が訳した物は篠崎書林が倒産したことから現在は絶版となってしまっている。
後述するが、それぞれの翻訳版は作品の印象に異なったイメージを与えているため、あまり違いがないとは言えない。

作品内容自体は単純で短いが、その短さに反して内容が詰まっているという絵本らしい絵本と言える。
色々と考察もあるが、作品テーマとしては「無償の愛」があると思われる。
木と少年の関係をどう捉えるかは読み手次第であり、感じ方によって賛否分かれるとも言われている。

ちなみに現代は『The Giving Tree』で、単純に訳すと「寛大な木」と読める。


【大まかなあらすじ(ネタバレ注意)】



ある所にあった木は、一人の少年と友達だった。

木は少年の事が大好きだったし、少年も毎日その木を使って一緒に遊んでいた。
だが、時間が流れて少年が成長すると、木は一人ぼっちになる時間の方が増えていく。

ある日、成長した少年は金を要求する。
それに対して木は果実を売ることを提案し、少年は果実をすべて持っていった。

また長い間を置いて久々に少年が木の元に来ると、家が欲しいと言い出す。
木は自分の枝を家の木材に使うように言い出し、少年は木の枝を切って家の材料にするために持って行った。

この後にまたまた長い間姿を見せなくなった少年だが、久々に戻ってくると悲しいからと船を要求する。
木は幹を切って船の材料にし、それに乗って遠くに行って幸せになるようにと言う。

そして随分長い時を経て、少年は木の居場所へやってくる。

木は少年に謝罪し、もう与えられるものは何もないと告げる。
木があげられないと言い出した物に対して、いらないと切り返す少年。
そんな少年を見て木は切り株となった自身を嘆くが、少年は何もいらないと告白する。

少年が求めたのは、疲れから腰を下ろして休める静かな場所だった。
木はそれなら古い切り株なら座って腰を休めるにはぴったりだと座るように誘う。

少年はそこに腰を下ろして休み、木は幸せだった。


【登場キャラクター】



ある場所に存在した林檎の木で、本作の主人公とも呼べる存在。

自分の元で毎日遊んでいる一人の少年の事が大好きだった。
しかし、少年が成長するに連れて絡む機会は少なくなっていく。

それ以降は少年が久々にやってくる時には、幼い時代の時のように遊ぶ事を提案するが、成長した少年に拒否られる。
そして代わりに何かしらを請求されるような形で与えていくことになる。
それを繰り返していく中で、果実や木の枝を消耗していき、最終的に古びた切り株へとなってしまった。
少年が老人になるころには、自分には何も与えられないと嘆くが、少年の欲求は既に尽きていた。

最後には自身が切り株であることを利用してかつての少年を座らせ、満足する。

  • 少年
幼い頃に木と一緒に遊んでいた少年で、木からはいつまでも「ぼうや」と呼ばれている。
本田訳では彼の成長に応じて地の文からの呼称が変化するが、村上訳では一貫して「少年」と表記。

最初は葉っぱでの冠作成・木登り・林檎を食べる・木陰で寝るなど、木を精一杯使って遊ぶ。
少年も木の事が大好きだった。

だが、成長していったことで木で遊ぶような年頃ではなくなったためか、木の元に訪れる頻度が減少。
やがてある時から、木で遊ぶのではなくて金や家といった物に対する欲求を漏らし始める。
そして、木の持っていた物をどんどんと取り始める。
歳を重ねていくごとに悲しい気持ちになったらしく、最終的には船で遠くへ旅立つことになった。

老人になった頃に木の元へやってくるが、その時には欲しい物は既になかった。
相当人生に疲れたようで、最終的に求めたものは静かに休める場所だった。


【余談】



翻訳によって作品解釈が変化した作品として例に挙げられることが多く、好みが分かれやすい。

本田版と村上版は翻訳表現が所々変化しているが、特に有名な個所は少年が木から船を作って旅立つ場面。
本田版と村上版の最大の違いとも言われる部分であり、以下その訳文。


本田訳:「きは それで うれしかった… だけど それは ほんとかな。
村上訳:「それで木はしあわせに…なんてなれませんよね。


本田訳ではあくまで木の幸せに関しては読者へ疑問をぶつける形の文章である。
それに対して村上訳は木は幸せではないとハッキリと言い切っている。

この文章は本作の最重要ヶ所と言っても良い部分であるため、この違いは賛否分かれる。
人によっては作品のテーマ自体が変わってしまうと言う人もいるくらいである。
本田氏と村上氏の本作及び愛に対する思想の解釈の違いが見えてくるともいえる。

ちなみに、この個所は原作では「And the tree was happy…but not really」という文章になっている。
これだけ見ると、翻訳の正確さで言えば村上訳の方が勝ってはいる。







「おいで、Wiki篭り。項目を追記・修正しなさい。そしてコメント欄に意見を述べて遊んでしあわせにおなりなさい」
「ぼくは忙しくて、追記・修正なんてしていられないよ」

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 絵本
  • 児童文学
  • 名作
  • おおきな木
  • 大きな木
  • 寛大な木
  • The Giving Tree
  • りんご
  • リンゴ
  • 林檎
  • 切り株
  • 篠崎書林
  • あすなろ書房
  • 本田錦一郎
  • ほんだきんいちろう
  • 村上春樹
  • シェル・シルヴァスタイン
  • 無償の愛
  • 幸せ
  • だけど それは ほんとかな。

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2021年07月13日 22:57