坂巻泥努

登録日:2020/01/19 (日) 01:19:00
更新日:2023/12/23 Sat 13:59:04
所要時間:約 20 分で読めます









私に…

不都合は、ない…私は「絵」を描けたら…いいのだ。

描いて描いて、時間がある限り描き尽くして、いつか全ての鑑賞者の脳髄を揺らす「絵」を描くのだ。


そうすれば奴のように奴のように…


繪が売れる!


坂巻泥努(さかまきでいど)とは『双亡亭壊すべし』に登場するキャラクターである。




概要

本作の舞台双亡亭(そうぼうてい)を建造したクソコテ男。泥努はペンネームらしく本名は坂巻由太郎(さかまきよしたろう)
華奢で長身の身体に短髪の美形だが、黒い全身タイツみたいな服を着込んで基本的に無表情。
事あるごとにとんでもない顔芸を披露し、ジョジョ立ちめいた奇怪なポーズを取るのが印象的な怪人物。


第一次世界大戦時に紡績業で財を成した資産家「坂巻家」の長男で、
画家志望だったが、関東大震災後に精神に変調をきたし、国外旅行で諸外国を放浪。
外国で見た様々な建造物からインスピレーションを得ると、帰国後の1925年より全財産を投じて双亡亭の建設に着手した。
現在、泥努の写真は残っておらず、姿を確認できるのは本人が描いた歪な姿の自画像のみ。
務が読んだ本によれば、泥努は「亡び」に憑かれており、建造された双亡亭も亡びの絵を描くためのアトリエであったという。

大正時代の生まれのはずだが、90年以上経った現在でも若い姿のまま双亡亭の肖像画の中で延々と絵を描き続ける本作における敵の1人。

帝国陸軍少尉・黄ノ下残花とは幼馴染の関係。
小学校の頃は親友と言っても差し支えない程交流があったが家庭の事情もあり残花とは疎遠になってしまった。


人物像

一人称は(わたし)(幼少期は「わし」)。
一言で言うととんでもなく気難しい偏屈な芸術家。
自身の芸術表現を「診察」「凡人には決して理解できないもの」だと語る、尋常ではなくプライドの高い唯我独尊な人物。
絵画については「絵は見た者の心をわし掴みにして一緒に放さぬ呪縛でなくてはならない」という持論を掲げる。

一見冷静で無感情なように見えるが実際は情緒不安定な狂人であり、精神の振れ幅が兎に角極端な激情家。
普段は自分の世界に閉じ籠り無表情で淡々と絵を描き続けているが、芸術活動を邪魔されるなどして不快感を抱いたり感情が昂るととんでもない顔芸と共に激情を露にする。
絵を描く事以外に対する興味関心は極めて希薄で、戦うことにすら気乗りせず、(一応)配下である<侵略者>達の戦いにも我関せずの態度を貫く。
世間の情勢や人間関係は愚か時間の流れにもまるで頓着しないが、一方で後述の月橋詠座への対抗意識と歪んだコンプレックスの影響で「他人からの評価=絵が売れる」と捉えている節があり、承認欲求と自己顕示欲は人並外れて凄まじい余りにめんどくさい人物。
承認欲求や自己顕示欲自体もかなり歪んでおり、「全ての万人に「自分の絵を買いたい」と虫ケラのように地を這わせて乞い願わせたい」という願望を持つ。

一方で自身の絵を評価する者には比較的友好的に接し、主人公である凧葉の語る現代の様々な美術技法に対しても興味関心を示すなど情が無いわけではなく、未だ芸術に対する情熱は収まらず向上心も高い。
また、

脳だ!私は世界の建築物を観ることによって、脳髄を揺らされたのだ!

わからないか!人間にとって一番大事なことは「脳髄を揺らすこと」なのだぞ!

建物を見て脳を揺らすことは、特に「体に良いこと」なのだ!

という独自の持論を掲げており、この持論が双亡亭建設の動機になっている。
後述の能力の影響で他人とは見る世界が根本から異なっており、自身の脳を「美しい脳髄」と称し、自分こそが最も優れた人間と捉える傲慢さも持つ。


……だが、逆を返せば絵を描く事以外の事象全てを無意味と断じており、自分の芸術活動を邪魔する者や自分の絵を評価しない存在に対しては冷酷非情で一切の容赦がない。
絵を描く為ならその過程で人を殺す事に何の躊躇いもなく、芸術活動の邪魔をしようものなら誰であろうと容赦無く抹殺する。
「自分の絵を評価しない世界など興味もないし滅べばいい(要約)」と断言し、<侵略者>達の侵略行為を容認する所か彼らの所業に加担してすらいる。

一応配下である筈の<侵略者>に関しても興味関心は皆無で、基本的に完全な放任主義。
彼らの存在は絵の具兼自身の芸術活動を邪魔する部外者を排除させる番犬程度の認識でしかなく、自身の癪に障れば躊躇いなく抹殺する暴君のように振る舞う。


まごう事なき変人であり咎人なのだが、一方でラスボス候補として歴代の藤田ラスボスと比べてみると、上記の通り自分に対して正しい理解を示す者や真っ直ぐな信念を持つ者には饒舌に交流したりするなど比較的他者を完全に不要な者としては見ておらず、同じ絵描きの凧葉務に対して異能を授ける等人間味のある行動をとっている。
また、侵略者に対する扱いも奴等は自分達の惑星を侵略して悪意と無理解を以て圧制する気満々の文字通りの『侵略者』なので地住民としては気遣う方が変である。
芸術に対する姿勢は狂気的と言えるが、自分に対する評価も極端な無視か否定でなければ敵意や否定の意思を示しても容認する等「肯定しなければ死」と言うわけではない。


総じて泥努という人物像をまとめると、誰にも邪魔されず只絵を描く事に没頭し、他人を感動させるだけの絵を描いて絵を売りたい(=評価されたい)だけの芸術家でしかないが、現在は自分にとっての最高の絵を描く事にしか興味がない上に、月橋詠座の絵が多大に評価され自分の絵が認められなかった経験から今の人類を「凡愚な民衆」を蔑んで完全に見切りを付けている。
泥努自身は最早今の世に未練も執着も抱いておらず、
「例え人類が<侵略者>に殺し尽くされ、更に未来で<侵略者>が滅んでも絵は残り、数百万年後の未来にはまた新たな人類が地球上で蔓延る」
「数百万年後の未来で地球に蔓延る新人類に自分の絵が必ず認められ、必ず自分の絵がその時の人類に福音を与える」という狂気の理論武装を構築しており、何よりその妄想に等しい狂気の夢を信じて微塵も疑っていない。


能力


双亡亭は、壊させぬ。


生まれながらにあらゆるものを「色」で知覚できる共感覚の持ち者で、同時に他人の思っている事や他人の「過去」の経験が理解できる精神感応能力を持つ。
その為泥努は人の感情や精神を含めた万物を色彩で知覚している。
人間が識別できるとされる300万色もの色によって物質の情報を知り、虚偽の類を無効化して相手自身すら知り得ない深層心理や心の傷をも色の情報によって把握してしまう。

だが生まれ持った能力はそれのみと藤田作品のボスキャラに当たる人物にしては戦闘力や技能自体は常人の域を出ていない。


しかし芸術に対する情熱と執着を基とした狂気と精神力は常人の域を超えており、それこそが泥努最大の武器。
双亡亭に潜み、地球侵略の尖兵とすべく自身の精神に入り込もうとした<侵略者>をたった独り且つ精神力だけで完全に屈服させ、完全な支配下に置くとんでもない行為を見せつけた。
補足すると<侵略者>による精神攻撃は基本的に抗うこと自体が困難。
<侵略者>の精神攻撃を打ち破った登場人物達は何人かいるが、基本的に第三者の助けがあって初めて成功したものばかりであり、
隷属させる場合も<侵略者>のごく僅かな切れ端を隷属させるに留まっており、泥努のように巨大な本体そのものを精神力だけで支配する行為は間違いなく人間技ではない。
例えるなら精神を乗っ取りに来た旧支配者に等しいコズミックホラーを、トラウマを刺激されてブチ切れた只の人間が精神力だけで完全に捻じ伏せて下僕に変えてしまったようなものである。
外なる神もビックリな行為といえよう。


これにより<侵略者>は本体も含めて泥努に逆らう事は不可能となっただけでなく、黒い水を体内に宿した泥努は超人へと変貌。
霊力の込められていない通常の物理攻撃では殺す事もできない不老不死と化した。
更に隷属させた<侵略者>の生殺与奪を握って自由に使役するだけでなく、数々の超能力も獲得。
双亡亭内の事象を自在にコントロールしたり、<侵略者>が憑依した人間に筆で一筆することで能力を強化できるようになるなど、<侵略者>達の王のような存在となっている。
また自身の体内にいる〈侵略者〉を黒い水に変え、相手の体内に注ぐことで自身の記憶や思い出を相手に体験させることも可能。

双亡亭が〈侵略者〉の前線基地と化した全ての元凶なのだが、同時に泥努の死がそのまま〈侵略者〉への縛りを解除してしまう鍵を兼ねている。
そのため、泥努が死ねばそのまま枷が外れた〈侵略者〉が猛威を振るい人類が滅びかねない危険な状況となってしまった。


技(?)

  • 肖像画
<侵略者>を隷属させた泥努が描く絵。
精神感応能力で相手の心の隙やトラウマを読み取り、その心の隙を的確に突く絵を描くことができる。
同時にこの絵は<侵略者>達が地球に出現するための門になり、泥努の絵で生まれた心の隙を狙い<侵略者>が相手の心身を支配・掌握することで、犠牲者は<侵略者>が地球で活動するための肉体及び泥努の尖兵と化す。
一方で門の開閉の決定権は泥努が完全に掌握しているため、泥努の許可無しに門を開ける事は不可能。

肖像画から伸びる腕と同じ外見の腕。
ただし肖像画のものとは異なり、絵の外であっても崩壊する事なく存在を維持できる。
伸縮自在な上に双亡亭の敷地内のあらゆる空間から出現させることが可能で出現させられる数も自在。
手で吊り上げる形で泥努を空中に浮遊させたり、腕の怪力で敵を叩きつけダメージを与えることが可能。

  • 弾丸(仮称)
アトリエである双亡亭を壊そうとした自衛隊の部隊に対してブチ切れた際に使用。
<侵略者>の硬質化した皮膜を100層以上も重ねて作った直径5mm程度の球を雨の様に降り注がせる攻撃技。
総数二百二十数億個の玉の豪雨により、射程内にあるあらゆる物質を粉微塵に変え消滅させる。
泥努によれば「人間も機械もこれが1億発も当たれば欠片も残らない」
球は着弾後に地球の大気と反応して自動消滅するため、爆撃した箇所は綺麗な更地と成り果てる。

  • 一筆
人ならざる者達の身体に、黒い水を使って筆で線を一本描くことでその個体の能力を大幅に強化する。
一筆された個体はより人から外れた力を手に入れ、屋敷の外の外気に触れても肉体が溶けることはない。

  • 念力
一切動くことも触れることもなく衝撃波で相手を弾き飛ばす強力な念動力。
強烈な重圧を掛けて敵を地面に押し潰すことも可能。

  • 人の心に働く粒子
泥努が精神の研鑽の果てに得た絵画技術の極地。
空間に満ちているという「人の心に働く粒子」を己の精神力で筆先に捉え、粒子を平面に定着させる技法。
<侵略者>が絵を思うように支配できなかったのもこの技が原因。
粒子は通常の視野では知覚できず、霊体や霊視能力を持つもので漸く知覚できる。
なおこの行為は泥努固有の能力ではなく、あくまで「極まった芸術家」が得る技能に過ぎない。
泥努によれば「一生涯かけて自分の人格を鍛え上げ、自分の深奥に隠れた「絶対的なイメージの結晶」を筆先にえぐり出す」ことができる技術を持つ者だけが到達できるという。



双亡亭(そうぼうてい)

所在地は東京都豊島区沼半井(ぬまなからい)町2-5-29。
元々は平安時代に「星」が落ちてきた土地で、江戸時代に村が出来てからもその星が落ちた場所だけは人間はおろか生き物は一切近付かなかったという。

1925年(大正14年)よりその土地を購入した坂巻泥努によって建設が始められ、10年の月日を経て1935年(昭和10年)に完成した木造家屋。
7200平方メートルの敷地内に各棟が複雑に並び、それらが廊下によって連絡されている。
また塀の内側の土地は奥に向かって深く傾斜しており、母屋を囲む堀のような窪地となっている。

元々海外旅行で海外の建築様式に感銘とインスピレーションを受け、かつ幼少期に残花から聞いた「竜宮城」を参考に、泥努が「自分の脳を揺さぶって(=刺激を与える)良い絵を描く」ために作り上げた屋敷であり、泥努が思い描いた理想の竜宮城。

「人間は「意味」から離れて初めて「自由」になれる」という持論から見る者の想像力を煽るよう意図的にデザインした結果、外観や内部構造は文字通り意味不明で奇怪。
古今東西の建築様式が出鱈目に取り入れられ、部屋や間取り、調度品、オブジェクトなど家を構成するあらゆるものが出鱈目に配置され迷宮化しており、まともな生活は不可能である。


建てられてから暫くはよくある幽霊屋敷として見られ、中に入っても無事に出てくる事が出来た者も何人もいたが、「肖像画」を見た者は一人として帰っては来なかった。
そして1970年代の心霊番組で肖像画の中に人間が引きずり込まれる映像が撮影され、警察が動く事となったが、
精神に異常をきたす者、行方不明になる者、人間ではなくなる者が続出し、捜査は打ち切られる事となった。
この事から霊能力者の間でも双亡亭は有名であり、「不祓案件」の曰く付きの建造物として語られていた。
ドローンなどによる調査も行われたが、双亡亭に入った直後に画像が送られなくなり、失敗に終わっている。
霊能力者たちは憑霊や地縛霊の気配は感じられないとしており、務や緑朗もそういうものとは違うと直感的に悟っている。
務は〈侵略者〉が人間に成り替わるための「更衣室」ではないかと考察した。


その実態は今も尚生き続ける坂巻泥努のアトリエにして〈侵略者〉達の地球侵略のための前線基地。
〈侵略者〉に憑りつかれ亡者と化した人間達が内部で蠢いており、侵入者を抹殺或いは同族に変えながら潜伏。
自分達が苦手とする窒素のない水中…即ち地球の海や水脈に潜り込んで地球全土を自らのものにせんと計略を練っている。

なお屋敷がここまで肥大化・増改築されたのは〈侵略者〉の暗躍によるもので泥努自身は全く関与しておらず、泥努は中心部の母屋に引き籠もり只管創作活動に取り組んでいる。
双亡亭の材質には〈侵略者〉が混じっている為、外部からの攻撃は全く通用せず、破壊できるのは外壁まで(それもすぐに直る)。
更に常に発生させている霧のような白い煙と特殊な磁場の影響で航空写真には屋敷は一切映らず、過去と現在の時間の流れすら歪んでいる。
〈侵略者〉が活動しやすいよう屋内の窒素濃度は低くなっており、相対的に酸素濃度が通常よりも濃くなっているのも特徴。
幽霊屋敷ではないと前述したが、実際は双亡亭の犠牲にまった人々の負の残留思念が怨霊のようになって屋敷に縛り付けられており、そのせいで思念は成仏も脱出もできずひたすら嘆き悲しんでいる。

屋敷はどんな方法を使っても外部からは破壊できず、最悪の場合攻撃を跳ね返す。
しかし内部からの破壊工作には一定の効果は認められており、例外として〈あの人〉と同化した青一の攻撃だけは通用。

なお双亡亭の存在は泥努本人を除き、<侵略者>も含めた全勢力から消滅を望まれている。


〈侵略者〉


おまえの カラダをよこせ。

双亡亭に巣食う存在であり、過去には「あの人」と呼ばれる異星人の星を侵略していた本作最大の敵。
その正体は黒い液体の体を持つ地球外生命体。
劇中の双亡亭で出てくる〈侵略者〉はごく一部に過ぎず、本体は遠い銀河の先にある巨大な惑星1つを丸ごと覆い尽くすほどに膨大な黒い海そのもの。

性根の悪辣さ及び存在のスケール共に藤田作品の敵の中でもトップクラスのスケールと危険度を誇る化け物なのだが、泥努からの扱いは便利な絵の具以外の何物でもなく、扱いは奴隷も同然。
詳しくは個別項目を参照。


人間関係

一応部下に当たる小間使い。
加幻満流道術開祖にして、呪術界の生ける伝説と謳われる不老不死の仙人となった男。
応尽が幼少期の頃から今の姿で存在しており、泥努が引き起こす「世界の崩壊」を見るため彼の部下として色々な雑務をこなしていた。

  • 凧葉(たこは)(つとむ)
画家仲間。
同じ売れない画家として共感できる感情や意見が多かったのか、自画像の中で出会って以降絵画に関して交友を深めた。
凧葉に対して「黒い手」に貸し与えるなど思い入れは深かったが、価値観が常人とは決定的にズレていた泥努の過激思想までは受け入れず、泥努の最後の絵の完成を阻むべく仲間たちと協力して泥努と対立した。

  • 柘植(つげ)(くれない)
モデル。
凧葉との交流の中で絵のモデルの重要性を再確認し、「自分の最後の絵に何か足りないピース」を埋めるべく、肉体的に好みの造形であったため誘拐。
以後母屋のアトリエに彼女を閉じ込め彼女をモデルに絵を描き続けた。
一方で「弟を持つ姉」という特性を持っていたことから次第に愛着のような執着を見せ始め、彼女に手を出そうとする者は味方であっても怒りを向けるまでになっていった。

  • 黄ノ下(きのした) 残花(ざんか)
同郷の出身であり、幼少期にはお互い「よっちゃん」「ざんちゃん」と呼び合うほど仲のいい幼馴染だった男。
当初は残花の宿敵……ではあったが、泥努自身が感情表現がド下手なコミュ障だったため非常に分かりづらいが、残花に対してとんでもなく重い友情意識を持っていたことが終盤明らかになる。
また残花が幼少期に歌っていた浦島太郎の歌の「竜宮城」の存在が双亡亭を生み出すきっかけにもなった。


  • 月橋詠座
坂巻泥努が幼少期の頃に絶大な人気を博した流行画家で、泥努にとって不俱戴天の怨敵のような人物。
「絵が売れる」ことに固執していたのも、自分を評価しない画壇の人間達への反発心もあるが、詠座への対抗意識という面が大きかった。


略歴

幼少期

産まれは1904年。
幼少期は人とはかけ離れた視点故に狂人として扱われ、医者から精神病を患っていると診断され座敷牢に追いやられかける苦難の日々を送っていた。
そして自分と同じ特殊な視点を持つだけでなく、自分が絵を描く事を肯定し常に真摯に自分を助けてくれた唯一の理解者とも言うべき姉のしのぶに対し、姉弟愛以上の感情を抱いていた節のある重度のシスコンであった。

しかししのぶは両親の反対を押し切って東京へ絵の勉強の為に美術学校に進学。
姉と離れ離れになる事を悲しむも、「絵が好きな姉のためなら」と涙を堪えて見送った由太郎だが、ある日手紙でしのぶが東京でとある画家と恋仲にある事を知り怒りと激情のまま家を飛び出してしまう。
そして近くの書店で見せられた本こそ、しのぶと恋仲になった大人気の流行画家・月橋詠座の描いた画集だった。
店主によれば月橋詠座は貧乏ながら独学で絵を学び31歳にして大成。彼の手掛けた画集や版画、絵葉書、便箋は大売れに売れ、京都で展覧会を開けば客が長蛇の列を並ぶほどの人気だという。

「坊ちゃんも絵が好きか?じゃ、詠座先生みたいにならんとなァ!」

こいつ…みたいになるじゃと……
わしは…こんな……
こんな、ヘタクソな絵を描く絵描きなんぞならん!

しかし由太郎にとって詠座の絵は「ヘタクソな絵」としか感じられなかった。
詠座が世間で絶大な評価を受け大いに売れている事実を受け入れられず激昂し、詠座の絵を罵倒しながらも、姉が帰ってくればまた昔のように一緒に絵を描いて過ごせると期待に胸を膨らませていた。
だが、帰路の最中見たものは、東京で病気に罹ったことに加え恋愛沙汰によって夢破れて東京からやつれ果てた姿で帰ってきた最愛の姉の姿だった。

あの姉ちゃんが…どうして…こうなっちまったんじゃ…
あの画家が姉ちゃんから…元気も笑顔もみんな吸い取っちまったんか…
見たこともない、みんなに大人気の、ヘタクソなあの画家…

月橋詠座が!!


姉が病に罹ったのは月橋詠座が原因だと決めつけた由太郎の心に、月橋詠座への激しい怒りと憎悪が生まれた瞬間だった。


『坂巻由太郎』から『坂巻泥努』へ

無理矢理帰郷させられ病床に伏せるようになってしまっただけでなく、心の支えだった詠座に関わる全ての物を父親に焼き捨てられたしのぶは精神に異常をきたしてしまう。
同時に由太郎自身も、
  • 日々衰弱していく姉を見ながらの看護生活
  • 幾ら姉を喜ばせる為に必死に絵を描いても常に詠座の絵と比較され、「じょうず」と褒められこそすれど詠座の絵のように「胸があったかくなる」という感想を貰えない現実
  • 口を開けば常に詠座との思い出を語られ、その度に膨れ上がる詠座への怨嗟
といった要因で徐々に精神の均衡を崩し始めていく。
当初は純粋な想いで絵を描いていた由太郎だが、次第に絵を描く行為に「詠座の絵の否定」という執念にも似た感情が混じるようになる。

そんな中、由太郎は偶然しのぶの療養する家の近くを度々訪れる青年の姿を発見。
その男こそ月橋詠座だと直感した瞬間、積もり積もった憎悪が爆発した由太郎は衝動のまま詠座を短刀で殺そうと襲い掛かる。
だが、詠座は由太郎の一撃を躱さず、それどころか由太郎の行為を許容。「しのぶが病に犯されたのは全ては自分のせいだ」と号泣、懺悔し続けていた。
その姿に更に怒りを爆発させ詰め寄る由太郎だが、詠座としのぶが恋仲になった理由が「お互いに絵が好きだったから」という自分と同じく純粋な絵への情熱から来たものだと知り放心。
「しのぶと会えないのなら生きていても仕方ない」と嘆き絶望し、死すらも望む哀れな詠座を見て、由太郎は詠座を殺してもどうにもならないのだと悟った。
失意のまま傷付きながら彼方へ立ち去る詠座を殺せず見送り、同時に由太郎は憎悪の矛先を失ってしまう。


やがて闘病の末に死期が迫ったしのぶは、由太郎に自分の絵を描く事を依頼する。
だが人の心を読める由太郎には「姉の絵を描いてしまえば姉は命を絶ってしまう」と感じ取り、結局姉を描く事はできなかった。
由太郎の心境を悟ったしのぶは、遂に現世への執着を完全に失い、由太郎に自分を殺すように依頼してしまう。
殺される為安らかに横たわる姉の姿を前にして絶望と葛藤の果てに、自身の読心能力によって姉が最後の最後まで詠座と過ごした記憶しか思い返さなかった事実を知ってしまい精神が崩壊。
哀しくも悍しい狂気の形相で姉の首を絞めて殺害した。

よっちゃん…何…やっとるんじゃあ…?
何やっとるんじゃあ よっちゃん〜!?

何って……姉ちゃんを…連れ戻したんじゃ…
のう……ざんちゃん。しあわせそうじゃろう……

友が実の姉を殺す狂気の光景に動揺する幼馴染の残花に虚な笑みを浮かべて返し、『坂巻由太郎』は精神の均衡を失い狂気に呑まれた。
以後由太郎は「もっともっとじょうずになってね」という姉の最後の言葉に従い画家になると、『坂巻泥努』を名乗り憑りつかれたように芸術に没頭することになる。
泥努は後にこの出来事を「上手な「絵」を描く為に、その姿、その言葉、その経験は全て私の「色」になった」と語っている。
ただし狂気に呑まれた影響か、『姉をイメージした九相図』を描く為だけに何人ものモデルの女性を双亡亭内で殺害する凶行を行うなど、倫理観も完全に崩壊してしまった。


『坂巻泥努』となって

そうして芸術家となった泥努だが、自分の絵が世間に認められ無いこと、そして自分が理想とする「自分の脳内に浮かぶ誰も見たことのない絵」が描けない事に苛立ち、世間や当時の美術界への憎悪と鬱積を撒き散らし精神的に追い詰められていく。
当初は既存の絵の具では理想の絵は描けないと直感し、独自に原料を用意・調合する事で新たな絵の具の開発に取り組んでいたが……

(ちがう!!)

(私の見ている色はこんな「赤」ではない!こんな汚い「緑」ではない!こんな濁った「黄」ではない!!)

こんな色では私の脳内のイメージをカンヴァスに表現できない!
私の優れたもの凄いイメージを!色さえあれば!絵の具さえちゃんとしていれば…!!

そうだ!絵の具さえ、色さえ表現できれば、中央畫壇の連中も、帝國の審査員どもも、無知蒙昧な一般民衆も、私の「絵」の前に列を成すに違いあるまい!
何が!何が!!「貴下御出品畫題ナントカは都合に依り陳列致さざる事に相成り候云々」だ!つまらない文言、読み飽いたわ!!
「色彩が悪い」だと!?暗愚迷妄の中間畫商め死ぬるが良い!

全ては「色」だろう!?私の脳が見るこの美しい色さえこの世に現わせたら…


あいつのように…繪が売れる!

自身の絵の具を独力で作る試みは挫折。自分が世間に評価されない全ての理由を「理想の絵の具がないから」と結論付け狂乱する泥努は、より「自分の頭の中の色彩を完璧に表現できる絵の具」を求めるようになる。
理想の絵の具を求めて苦悩していた昭和4年のある日、双亡亭の地下室に湧き出していた自在に色を変える『黒い水』を発見する。


はは…はは…そうだ…私の脳内どおりの色だ…
ははははは 私は最高の絵の具を手に入れた!!私は、思う通りの「絵」が描けるぞ!!


自身の脳内で思い描いた色彩を完璧に表現する性質を持つ水の存在に歓喜する泥努だが、
それこそが星の寿命を間近に迎え、母星を逃れて新たな新天地を求めて地球まで辿り着いた〈侵略者〉の一匹であった。
黒い水を使って絵を描いた泥努だが、その行為が切っ掛けで〈侵略者〉の母星との間に道が開通。
絵の中に引きずり込まれた泥努は、〈侵略者〉が地球で活動するために肉体を乗っ取られそうになる。

…が、精神を乗っ取られる際に最愛の姉の死の記憶を利用されたことで泥努は激昂。
怒りと精神力だけで〈侵略者〉の精神干渉を打ち破ると、読心能力によって〈侵略者〉の思考を完全に理解した泥努はニーチェの一説と共に逆に〈侵略者〉の精神を侵食。
〈侵略者〉の存在を総じて「薄っぺらいヤツら」と一蹴すると母星の本体含めて己の支配下に置き、泥努は人間を超えた超人と化した。
理想の絵の具を手に入れた泥努は変わらず芸術活動に励む一方で自分の絵を認めない世間への失望から〈侵略者〉の地球侵略に協力。
〈侵略者〉が地球に出現するための門の作成を請負い現在に至る。

私は…死なないと言うことか?ふん…つまらん…
つまらん…が、飽きるまで絵を描いてみるのもいいか。
…気が向いたら手伝ってやろう。

90年以上経った現在も尚只管絵を描き続けると同時に〈侵略者〉の通る門も生み出し続けており、今は自身の集大成として巨大な絵の制作に取り組んでいる。
この絵が完成した暁には泥努は現世への興味を完全に放棄。制御を外された〈侵略者〉の本体が地球に襲来し人類は滅亡に追いやられるとされる。


余談

双亡亭の元ネタは恐らく日本にあった二笑亭とアメリカのウィンチェスター・ミステリー・ハウス。
どちらも奇怪な増改築を繰り返した摩訶不思議な建物である。




壊すべきは何ぞ 壊すべきは何ぞ

どっかで夜風が哭いてゐる

いえいえ

あれはさうぢゃない 幽けき声が聞こえやせぬか

闇より黒き鋏で以て 切り取られしが(たましひ)ぢゃ

たんぽぼふわふわ綿毛が舞ひぬ これより軽き このからだ

何処へ行こうか行くまいか 誰も聞かぬし応えんし

壊せと指差す屋敷の破風に 月のあかりが射してゐる

坂巻泥努 (一九〇四〜没年不明)




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最終更新:2023年12月23日 13:59