永倉新八(るろうに剣心)

登録日:2020/1/30 (木曜日) 10:10:10
更新日:2023/12/28 Thu 11:08:47
所要時間:約 4 分で読めます




俺は明治の死にぞこないだよ



【概要】


実在した人物で、言わずと知れた元・新選組二番隊組長。斎藤、沖田にならぶ新撰組最強の剣士のひとりで、かつてタイマンで戦った剣心からも
斎藤と沖田の両名と並ぶ「幕末で決着をつけられなかった相手」として実力を高く評価されている。

上野戦争の折に新選組を脱退、維新後は史実どおりに杉村義衛と改名(杉村は妻の姓)し、樺戸集治監で剣術師範を務めていた。

劍客兵器の樺戸襲撃前夜に、安慈と移送という体で共に函館に向かい、その道中で事前に瀬田宗次郎と一戦を交える。
安慈の仲裁によって宗次郎を仲間に加えた後は、剣客兵器に対抗する猛者として剣心や斎藤たちと合流した。


【人物】


同じ新選組の生き残りである斎藤がアレということもあり、同様に修羅場を踏んできた彼も当然冷徹で無愛想、自身の信念にとことんストイックな人物。






なんてことは全くなく、実際は非常に穏やかで人当たりが良く、それどころかやたらと距離感が近いせいで剣心にすらうざがられる(素で接することが出来るともいえる)大味な人物。剣心や斎藤との再会時には、「池田屋で死闘を繰り広げた3人」と言うも、後述の通り、剣心と斎藤は参戦しておらず、それを両名から指摘されても、「生きてて良かった」適当に受け流し、両名から「相変わらず大味な人」と思われていた。斎藤からはかつての仲間と年上と言う理由から「永倉さん」と敬語で呼ばれており、斎藤と剣心の両名に気軽に話しかけれたり、2人に幕末のころの昔話を出来て、2人に「仲が良い」と平然と言えるなど、彼等と対等な関係で両名に気軽に話や軽い態度が出来る、数少ない人物である。
作者曰く「親戚の集まりには必ず一人いる、ゆるくてちょっとうっとおしいおっさん」。

実際碧血碑の前で飲み会を開いた際の彼は、完全に「久しぶりに身内と出会えてテンションが爆上がりしているおっちゃん」だった。
良い加減にしてくれと呆れており、なれ合いを嫌う斎藤とはいろんな意味で対比的な人柄といえるだろう。

その一方で、三島栄次が家族の仇である十本刀の宗次郎を前に激昂した際は、穏やかな言葉で諭す一幕も。
この辺は幕末を潜り抜けてきた男の、成熟した度量の深さもうかがえる。

かつての幕末から明治の動乱において新撰組の仲間が大勢死んでいった中、生き残った自分を自虐を込めて明治の死に損ないと自称している。
また斎藤は自分の事を狼と言っているが、永倉は自身をただの狗や狸と言っている。


【戦闘能力】


上述の性格もあってか無暗に戦おうとすることはないが、そこは元新選組の幹部。剣心から沖田や斎藤と同等の強さを持ち主と言われており、いざ剣を握ると幕末の頃の剣心と対等に渡り合った凄まじい戦闘能力の片鱗をのぞかせる。

宗次郎との手合わせでは、なんと飛天御剣流よりも速いと称される「縮地」を、三歩手前では、「速い」「まいった」とボヤくも無傷で凌ぎきり、二歩手前では真正面からとはいえ見切って刀を通じて、宗次郎の動きを封じるという離れ業をやってのけている。宗次郎は「縮地」を凌ぎ切ったのを見て、自身の「縮地」を破れる人物達から連想して、永倉を幕末の生き残りだと確信していた。
永倉自身の基本の流派は神道無念流だが、試衛館で新撰組の局長であった近藤勇や一番隊隊長であった沖田総司らが修めた流派である天然理心流を学び、そして新撰組として幕末の動乱で数々の戦を経験したことで、現在ではその剣筋は我流と呼べるように変質している。

剣術使いであるので日本刀を所持しているが、剣心や斎藤とは違って脇差しも所持しており、状況に応じて脇差しを使っての二刀流を使うこともある。

44歳と年齢的に肉体的な衰えがあるので、剣の技量は衰えてないが、体力面では衰えがある。

龍尾三匹

永倉の必殺剣であり、「受ける」・「崩す」・「叩き斬る」の三連動作を連続で駆り出す技。幕末の頃からの必殺技だが、体力が落ちている今では一度の使用で息が上がるほど消耗してしまう。

  • 降り龍尾(くだりりゅうび)
相手の攻撃を下段で受けつつ、刀越しに相手の重心を捉えて動きを封じ込める技。

  • 昇り龍尾(のぼりりゅうび)
動きを封じた状態から刀を摺り上げて、相手を宙に浮かし体勢を崩す技。

  • 斬り龍尾(きりりゅうび)
上段から強烈な唐竹割を繰り出す技。

【余談】


永倉の生年は天保10年(1839年)のため、物語の舞台となる明治16年(1883年)時点では数え年で44歳頃という事になる。

北海道編は原作連載時に没に終わった企画である事で有名だが、この時点で永倉は北海道編で味方として登場する予定だった事を作者が明かしていた。
そのため、史実に詳しくなくても永倉が登場した事に驚いたファンは少なかったと思われる。

前述の飲み会の際は新選組に在籍していた時代の回顧録を作成するつもりであることを話していたのだが、
その内容は池田屋事件に抜刀斎が参戦し、斎藤、沖田、近藤といった新選組の名だたる隊長たちと劇的な決戦を繰り広げたというもの。

原作追憶編を読んでいれば分かる通り、池田屋事件には剣心は参戦しようとするも、仲間から「今行っても間に合わない」と止められたため参戦しておらず*1、そのような大胆な脚色にはさすがの剣心も露骨に嫌がり、更には剣心の逆刃刀が珍しいからと見せて貰うよう頼んだりして、剣心からは煙たがられている。
回顧録に関しては剣心が変えてはいけない物として本気で拒絶され、流石に悪かったと謝った。
OVA追憶編だと抜刀斎が現地に到着して危うく乱入しかかってるのと、斎藤も事件終了前に池田屋に到着しているので永倉的にはOVA時空の方が正しいのかも。

後に札幌で、斎藤に加えて元新撰組隊士で御陵衛士でもあった阿部十郎や加納鷲尾らと共に酒を飲んだ時には、油小路のことも回顧録に書こうとしていると言っていたが、酔っ払っていたこともあってか池田屋事件の時と同じく内容は大幅に捏造されており、その内容は、御陵衛士側の最大戦力だった服部武雄を千年王家を断ち切る程と化物とさせて、暗殺に成功した筈の伊藤甲子太郎が黄泉返り、更には近藤や土方に沖田も参戦したと言うとんでもない内容に成っている。永倉はお互いが強そうになるからと良いだろと言っていたが、その内容を聞いた阿部は「歴史捏造も甚だしい」と大批判しており、斎藤も呆れていた。
補足すると、服部武雄の強さは新撰組の平隊士らが相手では数の不利が有っても全く苦にせずに圧倒出来る強さを持っており、新撰組の中でも有数な実力を持つ、斎藤と永倉両名を同時に相手にしても互角に渡り合う程の実力者で、2対1の状況から新撰組の隊長格だった原田左之助が乱入したことで倒せたほどで、実際に戦った斎藤も服部のことを当時は「化物」と言い、当時御陵衛士であった阿部からも「バケモノ染みてるけれどバケモノではない」とその強さを讃えている。暗殺した伊藤甲子太郎の黄泉返りの話に関しては、阿部と同じく当時御陵衛士だった加納からは「実際、殺しても簡単には死ななそうな人だったんですけどね」と伊藤のことを思い返している。


尚、永倉が新選組の名誉回復のために、回顧録を作成したのはまぎれもない史実である(新聞記者との共作ということもあり、少々脚色が含まれているのも同じ)。

もし永倉がそのまま回顧録を記したとしたら、剣心世界の池田屋事件は史実以上にドラマチックで盛り上がる事件として後世に語り継がれることだろう。

歴史家は滅茶苦茶困惑するだろうけど



追記・修正は「項目変更」、「入力」、「ページ保存」の三連動作でお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • るろうに剣心
  • 永倉新八
  • 剣客
  • 新選組
  • 幕末の生き残り
  • 明治の死にぞこない
  • 親戚のおじさん
  • 高性能じいちゃん
  • 杉村義衛
  • おっさん
  • 北海道編
  • 剣術師範
  • 既婚者
  • 顎髭
  • 2番隊隊長
  • 2番隊隊長←組長←何で隊長じゃなく組長なの?

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年12月28日 11:08

*1 更に言うと、斎藤は当時土方らと共に池田屋とは別の場所を調べており、永倉や沖田達とは別行動をとっていたので池田屋に着いたのは事件終了直後。こちらは原作追憶編だと、事件の直接の様子が描写されてないのと、事件後の新選組の凱旋に返り血浴びてる斎藤がいるので参加しているようにしか見えなかったりする。