登録日:2020/07/25(土) 14:57:51
更新日:2022/07/16 Sat 08:30:10
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皆様お馴染み、家の中に潜む恐怖の存在、名前を出すことすら憚られる恐るべき小さな
悪魔「
ゴキブリ」。
食べ物も飲み物も紙も髪の毛も何でも栄養にし、カサコソあちこちを動き回り、飲まず食わずの過酷な環境にも耐える生命力を持つこの昆虫は、何万年もの間人々を大いに悩ませていた。
そのタフさたるや、「
人類が絶滅してもゴキブリは繁栄を続ける」と例えられるほどである。
一体どうして、「G」は強靭な生命力を持ったのだろうか?
2009年、その秘密の一端が明らかになった。
ゴキブリに無敵の体質を与えたのは、顕微鏡サイズのごく小さな細菌だったのだ。
その名はブラッタバクテリウム(Blattabacterium)。
ゴキブリの細胞の中で暮らす共生生物である。
◆【概要】
ブラッタバクテリウムは、細菌(真正細菌)の中でもフラボバクテリウム目に属するグループ。
やけにイケてる名前の由来はラテン語の「ゴキブリ(ブラッタ、Blatta)」+「細菌(バクテリウム、Bacterium)」という分かりやすいものである。
当然ながら肉眼では確認不可能で、調べる際には顕微鏡が用いられる。
「ゴキブリ」と名がつく昆虫の体内に必ず生息する細菌で、ほとんどのゴキブリの体内に生息するのは「Blattabacterium cuenoti」と呼ばれる種類だが、
朽ち木の中で暮らす害虫ではないゴキブリの仲間「キゴキブリ」の体内では独自に進化したブラッタバクテリウムが複数種確認されている。
ゴキブリの腹部に存在する「脂肪体」と呼ばれる部分にある「菌細胞」という専用細胞の中でのみ生息が確認されており、外部に取り出して培養する事は出来ない。
一方で、ゴキブリ側もブラッタバクテリウムが存在しないと生きていく事ができず、双方とも互いを必要とする「絶対的相利共生(ぜったいてきそうりきょうせい)」の間柄である事が古くから知られていた。
だが、実験室での単独培養が不可能という性質から、長年ブラッタバクテリウムがゴキブリとどのような関係にあるのかは、1931年の発見以降長年に渡る謎となっていた。
厄介者の体内に潜むミクロな存在のとんでもない力が判明するのは、培養せずともその生物の特性が分かる「遺伝子解析」の技術が発達した2000年代まで待つ事となった。
◆【解明!ゴキブリのタフさの秘密】
口から入った食べ物や飲み物が栄養となる過程で、アミノ酸が化学反応により分解されると「
アンモニア」と言う物質が発生する。
このアンモニアは
動物にとって非常に有毒な物質であり、人間も下手すれば意識障害や呼吸停止の危険性がある。
そのため、多くの動物はこのアンモニアを有毒性を抑えた物質へ転換した後、体の外へ排出する機能を有する。
人間の場合、過剰な窒素やアンモニアは「尿素」と呼ばれる水に溶けやすい物質となり、おしっことして体外へ排出される。
一方、多くの昆虫の場合、アンモニアは尿素を経て「
尿酸」と呼ばれる水に溶けにくい物質へと転換された後、おしっこと共に体外へ排出される。
人間の体内で尿素と共に合成され、激痛を引き起こす
痛風の原因となるアレである。
だがゴキブリでは何故か尿酸は排出されることなく、一旦脂肪体に蓄積されるのである。
この蓄積された尿酸はどうなるのか、ブラッタバクテリウムの存在意義と共に長年に渡る謎となっていた。
この両者の秘密が判明したのは2009年、ブラッタバクテリウムの遺伝子配列(ゲノム)解析が完了した時であった。
ブラッタバクテリウムの遺伝子の中に、尿酸を尿素やアンモニアに再度分解し、グルタミン酸へ変える配列が発見されたのである。
そして、ゴキブリの体内に存在する一部の分子を利用して、グルタミン酸からゴキブリやブラッタバクテリウムが生きるのに必要な物質を生み出す配列も発見された。
その効果たるや、尿素とアンモニアからゴキブリが生きるのに欠かせないほぼ全てのアミノ酸やビタミンを合成してしまう程である。
つまり、ゴキブリにとって尿酸は
うんこやおしっこではなく、ブラッタバクテリウムを雇うための「
給料」であるのと同時に、ブラッタバクテリウムが非常食を作るための「
材料」という訳である。
更に、尿酸が再利用されるというのは
おしっこをする必要がない、つまり水分の排出量も抑えられると言う事にもなる。
この両者の持ちつ持たれつ・一蓮托生の関係が、あらゆる食べ物を栄養分に変え、長期の絶食にも耐えることができるゴキブリのタフさの秘密である、と考えられている。
◆【戦力外通告!?ブラッタバクテリウム】
そんなゴキブリが生きる上で欠かせないはずのブラッタバクテリウムだが、何故かこの細菌が体内に存在しないグループが存在する。
その1つが、大黒柱を食い尽くし大事な家を倒壊させるあの大害虫・シロアリである。
名前こそ「アリ」と付いているが、シロアリは前述した「キゴキブリ」から進化した立派なゴキブリの仲間で、
その中でもっとも原始的な種類であるムカシシロアリではキゴキブリと同様にブラッタバクテリウムが体内で確認されている一方、それ以外の進化したシロアリの体内にはブラッタバクテリウムが生息していないのである。
その代わり、多くのシロアリの体内にはケカムリを始めとした多種多様な共生微生物が生息している事が知られており、これらの微生物によって消化が難しい朽ち木が分解され、様々な栄養に変換される。
つまり、シロアリが進化する過程で、共生微生物に立場を奪われ存在価値を失ったブラッタバクテリウムは戦力外通告を受けてしまった可能性が高いと考えられている。
他にも、
日本を含む世界各地の洞窟生活に適応した「
ホラアナゴキブリ」の仲間からも、ブラッタバクテリウムが確認されていない。
一蓮托生とは言うものの、進化や生活環境によってあっさりと関係が切られてしまう、「共生」の世知辛い現実である。
◆【バレた!?ゴキブリの進化の真相】
このブラッタバクテリウムに関する研究の中で、もう1つゴキブリに関するある意外な事実が明らかになっている。
ブラッタバクテリウムがゴキブリの先祖と共生するようになったのは今から1億4000万年前、恐竜時代真っただ中のジュラ紀から白亜紀にかけての頃と考えられている。
現在のゴキブリやシロアリは全てこのブラッタバクテリウムとの共生を始めた種類をご先祖様(共通祖先)に持ち、シロアリやホラアナゴキブリは前述の通り進化の過程でクビを宣告した事が、筑波大学の研究によって明らかになっている。
……だが、これは言い方を変えるとそれ以前の時代には(現在の)ゴキブリは存在しなかったという事にもなる。
更に、ゴキブリ目を含む多数の昆虫の遺伝子解析の結果、ゴキブリの先祖が現れたのも今から2億年前、ペルム紀であることが判明している。
それ以前に生息していたゴキブリそっくりの昆虫は、姿は似ているが現在のゴキブリに繋がる事なく絶滅した古代の昆虫、という訳である。
こちらの項目の記載を始め、3億年前の石炭紀から姿を変えず生き残っている「生きた化石」と長年考えられ、恐れられ続けていたゴキブリだが、
実際は
そこまで古くないという真相が暴かれてしまったのだ。
ただ、「古くない」とは言っても、
ティラノサウルスや
トリケラトプスが生息していた白亜紀には既に現在のゴキブリのグループが現れていた事は確かである。
1億年以上姿を変えず生き残り続けるゴキブリのタフさはやはり人間の想像を超える……のかもしれない。
◆【余談】
- 先程も解説した通り、ブラッタバクテリウムを取り除かれたゴキブリは生きていく事が出来ない。つまりブラッタバクテリウムを攻撃すればゴキブリも簡単に退治できる……かもしれないが、やはり問題になるのは「耐性」。ゴキブリ同様、ほんの僅かでも薬剤に耐えるブラッタバクテリウムが現れれば、それが広がり結局元の被害が戻ってしまうという訳である。
やはりゴキブリ退治はスリッパやバルサン、ホウ酸団子など古来からの武器が一番なのかもしれない。
- ブラッタバクテリウムのお陰でおしっこをする必要がないゴキブリだが、それでもウンコは出す必要がある。ただし、ゴキブリはこのウンコにフェロモンを含ませ、幼虫を始めとした他の個体を集める働きを持たせている。これが俗にいう「ゴキブリは1匹いたら数十匹いると思え」と言う格言の由来の1つである。
あらゆる要素を有効活用する、ゴキブリのタフさの一端である。
- ブラッタバクテリウムの力を借りて尿酸を有効活用するゴキブリと異なり、人間は進化の過程で尿酸を分解する能力を失っており、あの激痛を引き起こす痛風に悩まされる宿命を生まれながらに背負わされている。
だが、1970年代以降の研究で体にダメージを与える活性酸素を抑制する抗酸化剤として尿酸が用いられている事が明らかになっており、分解能力を失い痛風で苦しむのはこの代償であると考えられている。
ゴキブリの凄まじさには負けるものの、人間もそれなりに尿酸を有効活用しているのである。
痛風知らずなゴキブリが少し羨ましい人、追記・修正お願いします。
- なるほど、このワイの足の激痛は活性酸素撃退のためやったんか(現実逃避) -- 名無しさん (2020-07-26 04:10:41)
最終更新:2022年07月16日 08:30