ニホンピロウイナー(競走馬)

登録日:2021/11/19 Fri 19:26:39
更新日:2024/02/17 Sat 02:17:00
所要時間:約 8 分で読めます





85年、安田記念。

それは、革命だった。

マイル戦のために進化を遂げたその脚が、
名馬の条件を塗り替えた。

何者も寄せ付けない、"マイルの皇帝"

その馬の名は…
2012年『The WINNER』安田記念編


ニホンピロウイナーとは、日本競走馬である。なお、過去に同名の競走馬がいたが、そちらは特筆すべき成績を残していない。
「ウナー」ではなく「ウナー」である。

スプリントやマイルという短距離路線で優れた成績を残し、後の短距離馬たちの道を切り拓いた存在とされている。


データ

生誕:1980年4月27日
死没:2005年3月17日(25歳没)
父:スティールハート
母:ニホンピロエバート
母父:チャイナロック
生産国:日本
生産者:佐々木節哉
馬主:小林百太郎
調教師:服部正利(栗東)
主戦騎手:河内洋
生涯成績:26戦16勝
獲得賞金:4億8322万1400円
主な勝ち鞍:84-85'マイルCS、85'安田記念


血統について

父は、イギリスのGIであるミドルパークステークスをはじめ、12戦5勝という成績を残した短距離馬。
母であるニホンピロエバートは3戦1勝で新馬戦しか勝っていないものの、半兄にはクラシック2冠を達成したキタノカチドキ*1がいる。
母の父であるチャイナロックは、日本にてタケシバオーやハイセイコー等の名馬達を輩出した大種牡馬。

...と中々の良血の元、北海道門別の佐々木牧場で生まれた。

現役時代

※年齢表記はレース名を除き、現表記に合わせています

2歳~3歳・クラシックから短距離へ

叔父であるキタノカチドキを管理していた服部厩舎へ入厩し、迎えた1982年9月11日の新馬戦。ここを優勝後デイリー杯3歳ステークスも制覇し3連勝。しかし阪神3歳ステークス*2では優勝馬のタイセイキングにアタマ差及ばずの2着となった。

年が明け、1983年はきさらぎ賞から始動、ここを勝利しクラシック路線へと駒を進める。しかしスプリングステークスでは6着、雨が降りしきる中行われた皐月賞ではミスターシービーが3冠への第一歩を踏み出したその遥か後方で20着という惨敗を喫する。

この敗戦で、クラシック路線を諦め、短距離路線へと進むことに。阪急杯では落鉄もあって9着。金鯱賞では距離の壁か18着となったもののオパールステークス、トパーズステークス、CBC賞では一番人気に応える3連勝。1983年最優秀スプリンター*3を受賞した。


4歳・道を切り拓く者

...さて、ここで当時の日本における短距離マイル路線について解説しておこう。当時短距離マイル路線はかなり冷遇されていた。1983年まではGIやGII、GIIIといった重賞の格付けはなく、中長距離のレース、中でも八大競走*4が特に格の高い競争だとされており、短距離路線は「裏街道」...いわばマイナーリーグのようなものであった。

そして1984年にグレード制が導入。それにより、それまでハンデ戦だった安田記念、新たに作られたマイルチャンピオンシップがGIとなった...のだが当時短距離のG1は一切なかった

中央競馬における芝短距離のG1は2021年現在スプリンターズステークスと高松宮記念の二つであるが、スプリンターズステークスは1990年にGIに格上げ*5、高松宮記念は1995年まで2000mのGIIだったがサクラバクシンオーの引退理由*6に触発されたのかどうかは知らないが、1996年から1200mのGIとなった。*7

そんなわけで王道路線から降りたニホンピロウイナーは数少ない短距離マイル路線のGIである安田記念を目標とすることに。淀短距離ステークスは優勝したものの、不良馬場で行われたマイラーズカップでは2着の敗戦。しかも不幸はそれだけに留まらず、骨折してしまったため春のレースを全休することに。当然目標であった安田記念には出走できなかった。

こうなればマイルチャンピオンシップは絶対に負けられない。秋に復帰すると2000mである朝日チャレンジカップを勝利、スワンステークスでは同期の桜花賞馬であるシャダイソフィアに7馬身差もの差をつけレコードタイムで圧勝した。

そして迎えた11月18日、第1回マイルチャンピオンシップ。2枠3番の一番人気で挑んだこのレースでは序盤から中盤は最内の4番手につける。終盤になると外から一気に追い込んできたこの年の安田記念優勝馬であるハッピープログレスが先頭に立つ。
しかし最後の直線で一気に伸びたニホンピロウイナーがハッピープログレスとの叩き合いを制し、半馬身差での勝利。マイルチャンピオンシップ初代王者となり、GI初制覇を挙げた。これにより2年連続で最優秀スプリンターを受賞し、4歳シーズンを終えた。


5歳・君臨する"マイルの皇帝"

1985年の初戦は2000mのサンケイ大阪杯*8。しかし距離の壁か8着と敗戦。しかし続くマイラーズカップ、京王杯スプリングカップでは一番人気に応え優勝。

そして、昨年骨折により挑めなかった安田記念。ここではなんと単勝1.1倍という圧倒的一番人気に支持される。
中団の前方、7番手ほどの位置につけたニホンピロウイナーは最終直線で間から一気に伸び、そのまま先頭に立つと他馬を寄せ付けない走りを見せつけ勝利。これにより、当時の古馬マイルGIを二つとも制覇。名実ともに最強のスプリンターとなった。

秋は毎日王冠から始動するもまた不良馬場だったことから4着と敗れた。その後、天皇賞(秋)に出走。このレースにはあのシンボリルドルフが出走していたわけだが勝利したのはあっと驚くギャロップダイナ。ニホンピロウイナーは同期であるウインザーノットと同着の3着。2着シンボリルドルフとは0.1秒差と健闘した。

そして2度目のマイルチャンピオンシップ。引退レースであるこのレースは第4コーナーの終わりで先頭に立つとそのまま後続を突き放し3馬身差の快勝。見事マイルチャンピオンシップを連覇し、有終の美を飾った。なお、引退式が行われる予定だったが骨折してしまったため中止となってしまった。

これにより3度目の最優秀スプリンターを受賞。3年連続での受賞は2021年現在この馬が唯一である。

通算成績26戦16勝。うち1600m以下での成績は18戦14勝・2着3回、唯一着外に敗れたのが阪急杯だった。
その強さは、当時「皇帝」と呼ばれていたシンボリルドルフも、短距離マイル戦ではニホンピロウイナーには勝てないだろうと言われるほど。まさに「マイルの皇帝」の名に違わぬ馬であった。


引退後

引退後は5億円のシンジケートが組まれ、当初は北海道門別の下河辺牧場にて繋養されたが、その後同じ門別のブリーダーズスタリオンステーションに移動。

種付け頭数は関係者の意向で年間60頭(後に65頭)に制限されていたが多くの活躍馬を送り出した。うちGIを勝った産駒は安田記念2連覇・天皇賞秋勝利馬のヤマニンゼファー、高松宮杯・スプリンターズステークスを勝利したフラワーパークの2頭。
母父としてもGI勝利こそなかったが、中々の成績を収めている。
また、60頭に種付けして59頭が受胎したこともあるほど、非常に受胎率が高いことで知られていた。もしも種付け制限がなければもっと多くの活躍馬を生み出していたかもしれない。

2002年の暮れにシンジケート解散、2004年に種牡馬を引退。
2005年に生まれ故郷である佐々木牧場で心臓麻痺により25歳で死去。なお父スティールハート・祖母ライトフレーム・叔父キタノカチドキも心臓麻痺で亡くなっており、生産者は「この馬の血統はそういう体質なのかも」と語っていた。


余談

競走成績を見れば分かる通り不良馬場がかなり苦手だった。不良馬場で行われたレースではマイル戦であっても全敗という有り様。
また、マイル戦の活躍が目立つ本馬だが、前述の通り当時はまだ短距離のGIがないなど、マイラーとスプリンターの区別が曖昧だった。主戦騎手である河内洋は本馬を「1400mがベストのスプリンターであり、決してマイラーではない」と評価している。現に1400m以下の短距離戦では阪急杯を除き全勝と、マイル以上の安定感を発揮していた。
また、河内洋は「短距離戦には、それを得意とする馬の全盛期がもって1年、酷ければGIをひとつでも勝ってしまえば後は零落れてしまうような消耗の激しさがある。しかしこの馬は、いくらマイル・スプリント路線の創成期とは言え、その中で3年以上も第一線で活躍して結果を残し、それどころか年々強くなり続けていた。そこにこの馬の凄さ、偉大さがある」とも語っている。マイルの皇帝の二つ名は伊達ではないということだろう。

同期には先程も述べた3冠馬ミスターシービー、1985年天皇賞秋・1986年安田記念優勝馬ギャロップダイナ、他にもジャパンカップを日本調教馬として初めて優勝したカツラギエース、1983年の有馬記念を3歳で制したリードホーユー、1985年の宝塚記念馬スズカコバンと牡馬だけでもGI勝利馬がニホンピロウイナーを含めて6頭いるが、これら全員と走り、ミスターシービー以外の4頭に勝利したことがある。さらに生涯獲得賞金4億8322万1400円は83年世代のの中央競馬所属競走馬では、ミスターシービー*9を凌いで最も多い。

初代マイルチャンピオンシップ王者なので当然レコード保持者だった。そして1987年にニッポーテイオーがそのタイムを更新...したのだがそれまでの3年間、タイムが全て同じ(1:35.3)だった。なんならニッポーテイオーの翌年のサッカーボーイのタイムも1:35.3だったりする。ちなみにニッポーテイオーのタイムは1:34.9。

20世紀の名馬大投票では681票獲得の95位だった。低すぎやしませんかね...。



Mile Champion

マイルチャンピオンシップ、安田記念。その圧倒的なスピード、華麗なる足さばき。
勝利につぐ勝利に、人気のプレッシャーは重くのしかかったが
きみは、いつもたやすくはねのけてきた。
マイルならどんな相手にも負けない――史上最強の名スプリンター。
きみのマイル神話は、いつまでも語り継がれることだろう。



追記・修正は、道を極めた先駆者にお願いします。

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最終更新:2024年02月17日 02:17

*1 父テスコボーイ

*2 現阪神ジュベナイルフィリーズ。なお、現在は牝馬限定戦であるが、当時は牡馬牝馬混合戦だった。

*3 現在はJRA賞最優秀短距離馬という名称となっている。

*4 桜花賞、皐月賞、優駿牝馬、東京優駿、菊花賞、天皇賞春・秋、有馬記念

*5 最初はGIII、1987年にGIIに昇格。創設された1967年当時は中央競馬唯一の3歳以上が出走できるスプリント重賞だった。

*6 目指す重賞がなくなってしまったため、1995年引退。

*7 この時の名称は高松宮杯。高松宮記念という名称になったのは1998年から。

*8 現大阪杯。当時GII

*9 生涯獲得賞金4億959万8100円