古谷敏

登録日:2022/07/12 Tue 11:49:59
更新日:2023/06/15 Thu 17:54:04
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古谷(ふるや)(びん)は、日本の俳優・スーツアクター。
本名は古谷(さとし)
1943年7月5日生まれ。東京都東京市出身。
愛称は「ビンちゃん」「ビンさん」「ホイホイ」「ホイ」など。


誰もが知る、あの光の巨人の誕生に大きく関わった人物である。



経歴

1965年の挑戦

1943年、建具職人の家に7人兄弟の五男として生を受ける。
お婆ちゃん子で、祖母をおばあばと呼んで慕っていた。
小さい頃は校庭などで映画を上映しており、自然と映画へ熱中。
近所にオープンした映画館へバイトをしてまで入場料を稼ぐ少年時代を過ごし、将来のは映画俳優になると決意。

1960年、東宝撮影所15期生として入社。
1962年、『吼えろ脱獄囚』で正式に映画デビュー。以後150本近い映画へ出演するも、鳴かず飛ばすの日々が続いていた。

1965年、友達で俳優・事務担当の新野悟に「いい役持ってきたから衣装合わせ行こう。東宝からも許可貰ってるしギャラもいいから」と言われ、彼に連れ出されて円谷プロへ向かった古谷を待っていたのは、ゴムの着ぐるみだった。
新野が持ってきたのは「ぬいぐるみ役者」…現在で言うスーツアクターの仕事だったのだ。
「俳優は顔を出してなんぼ」と考える古谷は断ろうとするも、スケジュールや体格などを理由に渋々承諾。
衣装合わせにスーツを着るが、重い頭部に首が痛くなり、視界もほぼゼロ、モーターで音も聞こえず、様々な匂いで鼻も利かず、密着スーツで呼吸も少ししかできないというとんでもない状態に。
一応役をやりきるも、当時のスーツアクターのぞんざいな扱いもあって、こんな苦しい仕事はできないと思ったという。*1

かくして、ウルトラQ第19話「2020年の挑戦」の誘拐怪人ケムール人役で、古谷は不本意ながらぬいぐるみデビューを果たすことになる。
その時、古谷の芸術的な体型に、心奪われた1人の彫刻家が居た。
『ウルトラQ』怪獣・メカニックデザイン担当の成田亨
成田は古谷敏をイメージしてあるヒーローをデザインすることになる。

数ヶ月後、新野から「今度は主役だよ!」と言われた古谷。
持ってきた仕事は「円谷プロの新番組の主役のぬいぐるみ役者」。カラー放送の一年続く番組になると言う。
しかしぬいぐるみの中に入る苦痛と騙された経験を知る古谷は当然断るが、新野は中々折れなかった。

ある日、古谷は新野から中華料理店に誘われ、そこで待っていた成田と飲むことになる。
成田は少しずつ言葉を紡ぎ、
「ケムール人の演技は僕の描いていたイメージ通りで良かった」
「背が高いだけじゃダメなんだよ。手脚の長さや頭の小ささ、全体のバランスの良い人は中々いない」
「そのビンさんをイメージしてすごくカッコいいヒーローをデザインした。ビンさんじゃないとだめなんだ」

と零す。


そして


ウルトラマンは、ビンさんそのまんまなんだよ」


「ウルトラマンて、今度のヒーローの名前なんですか?」


成田から何度も頭を下げられたこと、映画業界も斜陽になっていたこと、そして敬愛する祖母に相談して「人から頼られてるならやってみたら」と背中を押されたことから、古谷はスーツアクターを承諾した。


東宝俳優・古谷敏。

22歳の春、彼は超人(ウルトラマン)になった……。


ウルトラマン誕生

とはいえ「身長40mの正義の宇宙人」なんてものは、今まで世界の誰も見たことがない。
前人未到の概念であるウルトラマンをどう演じていいものか分からず、脚本家の金城哲夫に相談したところ、「人間的な感情や動きをしないこと、モデルがいないのでビンちゃんなりのウルトラマンを作ってください」との事であった。
正直ぴんと来なかった古谷だったが、「この映画は絶対当たるから!」と言った金城の確信めいた表情から、一緒に仕事をしようと決意。金城へスーツアクターの扱いの改善を直談判し、これが通ってシャワー設備や水と塩などが常備されるようになった。

古谷はウルトラマンの動きを、全く一から作ることになる。
ウルトラマンの前屈みで中腰のファイティングポーズは、映画『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンのナイフを持った決闘シーンをカッコよく感じて取り入れたもの。
古谷は長身でホリゾントが切れやすかった*2ため、高野宏一カメラマン(後に特技監督)の指示で少しずつ屈みを大きくした結果、現在知られる大きく屈んだポーズが誕生した。
「中の人が撮影にビビって腰が引けた」という都市伝説は誤りである*3
そして金城哲夫や成田亨が「色っぽい」「ゴムの肌触りが良い」という理由で撮影の度にお尻を触っていたとか。大先生方なにしてるんすか

スペシウム光線はポーズが決まった日から、三面鏡の前でポーズの練習を一日300回。
その甲斐もあり、後に成田から「美しい彫刻のようだ」と絶賛されている。

バルタン星人の前で、ウルトラマンに円谷英二監督が話しかける有名な写真がある。ウルトラマンの中身は、もちろん古谷敏だ。
これは『ウルトラマン』最初の特写会の一幕であるが、音の聞きづらいスーツに加え、周囲の音に円谷英二の声はかき消されてしまい、
古谷にはかろうじて「夢だよ、夢を、こ……」という言葉しか聞こえなかった。

見えざる苦闘

かくして始まった『ウルトラマン』の撮影は案の定過酷なものであった。
ウルトラマンのスーツは古谷の体ピッタリに作られた特注品。
そのためスーツ内に殆どスペースがないことから呼吸が辛く、動き辛くアクションも満足にできず、
少しの演技でも全身に熱が篭り、ライトの光で表面が熱くなり、汗が止めどなく溢れてスーツ内に溜まる代物で、
しかも自分では脱げない。着て演技できるのは15分が限界だったという。

スーツを脱いだ後はオープンセットの隅で嘔吐を繰り返し、手足の痺れや小便の変色は日常茶飯事。
夏場は1シーン毎に水と氷を入れたドラム缶へ飛び込んでいた。
極めて過酷な撮影現場ではあったが、芸能学校の「俳優はどんな時でもかっこよくしていなければならない」という教えと、
祖母との「仕事中はどんなに苦しくても辛くても一緒に働いている人たちに嫌な思いはさせてはいけない。いつも笑顔でいるように」という約束のため、常に笑顔に努めていた。


撮影開始から数ヶ月。古谷の心身は既に限界であった。
「体型維持のため太っても痩せてもいけない」と言われていた古谷だが、過酷な撮影のために食が細くなり、撮影の度に吐くので体重が激減。
代わりがいないので休むこともできず、打ち身や捻挫や突き指もしょっちゅう。
スーツに入っても満足なアクションができなくて歯痒く悔しく、スタッフは優しいので尚更だったという。
更にマスコミから「ウルトラマンはプロレスごっこ」などと辛辣な記事を書かれた古谷は、申し訳ないという気持ちからウルトラマン役の降板を申し出る事を決めた。
彼は円谷プロへ向かうべく渋谷からバスに乗り込み、
その中で、彼の運命は変わる。

夢のヒーロー

バスの中で古谷は、偶然小学生の集団と同乗する事になる。
少年たちはウルトラマンの大ファンであった
ウルトラマンの話題を目を輝かせながら語る子供たちを目にした古谷は
自分の演じるウルトラマンの凄さ、ウルトラマンが全国の子どもたちの憧れである事を知る。

古谷は気づいた。円谷英二は特写会でこう言っていたのだ。

「夢だよ、夢を子供たちに見させてあげるんだよ」

古谷にもヒーローが居た。幼い頃、嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』に夢中になった。
『鞍馬天狗』とウルトラマンを重ねた古谷は自省し、以後心に残るようなヒーローを目指すことに決めた。

運命を感じた。渋谷であのバスに乗らなければ、子供たちに会えなかった。そうしたら、僕は降板していた。僕のウルトラマンは、これで終わりだった。

ウルトラマンは、子供たちに助けられた。
ウルトラマンは、子供たちに感謝した。




1967年、ウルトラマンの放映終了。
ウルトラマンは宇宙へと飛び立ち、地球を去って物語は終わる。
子ども達は泣きながら窓を開き、あるいは通りに飛び出し、夜空を見上げた。*4

第2の超人

暫くの後、古谷は成田から新しい番組のスーツアクターを再び依頼される。
これに対し、今度は素顔で出演したかった古谷は「隊員役のオファーが来なかったら」という条件を付ける。
成田は残念がっていたが、ファンの後押しを受けて新番組の隊員役に抜擢された時は喜んでくれたという。
もっとも、古谷の代わりに新ヒーローに起用された上西弘次氏はガッシリとして足が短く、成田の理想とする古谷とは正反対な体型であった。
古谷の体型を生かしたスマートなヒーローが作れなくなった成田は、苦悩の末に甲冑型ヒーロー・ウルトラセブンを生み出す事となる。

新番組『ウルトラセブン』において、古谷はウルトラ警備隊のアマギ隊員としてレギュラー出演。
マスコミに「古谷がアマギ隊員役に選ばれたのは、ウルトラマンを1年演じたことへの慰労であり、実力ではない」などと書かれてやる気が下がった事もあったが、
『ウルトラマン』でアラシ・『セブン』ではフルハシを演じている石井伊吉(現・毒蝮三太夫)に「アマギ隊員に選ばれたのはウルトラマンを演じた古谷のファンのおかげ。そのファンに恩返しをしないと」と諭されて救われている。
その後も石井には事あるごとに目をかけてもらい、自分の会社の設立・解散時にも世話になり、後に夫人との結婚式の仲人も担当しており、尊敬する人物の一人に挙げている。

ちなみに、ずっとメロドラマの主役をやりたいと思っていたが、セブンの31話『悪魔の住む花』でメロドラマ風の演出をしてもらい、夢が叶ったという。

暗転

『ウルトラセブン』の放映終了後は子ども向けの怪獣ショーを公演する『ビンプロモーション』を設立。1971年には株式会社として法人化。
1972年には長年付き合っていた女性と結婚している。
しかし怪獣ブーム終了後ビンプロモーションは徐々に業績が低迷し、1991年に倒産。膨大な借金を抱えた。
古谷は周囲に迷惑をかけないため、借金を返すために職業を転々と変える。
1993年に地裁から破産判決。
その後は知人の紹介で一般の清掃事務所に勤める。
しかし「心の貧乏にだけはなりたくない」という思いから周囲との接触を断ったことで古谷の足跡は社会からぷつりと消え、死亡説が噂されることとなった。

光の中へ

2007年、現場責任者になっていた古谷はある日、匿名掲示板で当時の自分がスーツアクターとして高い評価を得ていること、「一家離散」「逃亡中」「消息不明」などの噂が立てられていることを知る。
一部の優しいコメントに励まされた古谷は、ふと誰かの役に立ちたいと思ったという。

2002年に逝去した成田亨の個展が近くで開かれているのを知った古谷が足を運んでみると、懐かしさと感謝を込めて成田夫人と連絡を取り交わし、後に予定されていた大展覧会にも招かれる。
そこのトークショーで本人にもサプライズのゲストとして壇上へ上がり、ファンや記者達をパニックに陥らせた。

その翌日、セブンで共演したアンヌ役のひし美ゆり子から「二十数年さがしていた。みんな会いたがってる」と電話を貰い、
以後ウルトラ関係の取材やサイン会、トークショーに参加するようになり、現在に至る。

2008年には『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪』に出演。
2009年、『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』に光の国の祖先役で出演。
そして自著『ウルトラマンになった男 A Man Who Became Ultraman』を発売。
2022年現在はYoutubeでも『ウルトラマン』の回想などを語っている。

近年の古谷の仕事で最大のものは、2022年のシン・ウルトラマン』でウルトラマンの体型モデルとして抜擢された事だろう。
『シン・ウルトラマン』に登場するウルトラマンのCGモデルは、「成田亨の理想を再現する」というコンセプトのもと、現在の古谷敏の身体データをコンピュータに取り込み、それをベースに作成された。
また古谷はモーションアクターにも名を連ねており、youtubeで公開されている「シン・ウルトラマン 制作回顧録」では、ザラブ戦でウルトラマンが巨大化し戦闘態勢に移る動きが古谷の動きをもとに制作されている事が確認できる。
古谷は79歳の今も、超人(ウルトラマン)でありつづけている。

エピソード

  • ウルトラマンのスーツは古谷の全身を採寸、マスクは石膏で型を作ったもの。
    番組終了後にマスクとカラータイマーのレプリカを頂いて大切に保管しており、『開運!なんでも鑑定団』に出演して鑑定したところマスクは150万、カラータイマーは100万円の値がついた。

  • 当初はスーツアクター役を秘密にして欲しくて取材も禁止にしていたが、オープニングでは『ウルトラマン:古谷敏』とテロップが付いてしまった。
    後に周囲の説得やファンからの要望、「ウルトラマンは僕しかできない役」という自負からインタビューやサイン会を実施している。

  • 共にウルトラマンのファイティングポーズを作った高野宏一とは公私共に仲が良く、古谷に高飛車な態度を取った助監督を叱りつける、溺れる危険のあった水中アクションを極力減らすなど度々便宜を図ってくれていた。
    古谷が復帰したあとに会う約束を電話で交わしたが、『ウルトラマンになった男』を執筆中に訃報が入ってしまったという。


  • 『遊星から来た兄弟』のザラブ星人が化けたにせウルトラマンの顔面にウルトラマンが空手チョップを当てて痛がる場面は、演技ではなく素。
    本来寸止めの予定だったが、距離感を誤って本当に当ててしまい*5、あまりの痛さに素で痛がってしまった。
    上述の通り「人間らしい動きはしないように」と言われていたので、NGになるかと思ったらそのまま採用されたという*6
    またにせウルトラマンと対峙したときに自分と全く異なる雰囲気を持つことに違和感を抱き、自分のウルトラマンのイメージを大事にしたいと思ったという

  • 『ウルトラマン』最終回ゾフィーについては、古谷は『ウルトラマン』の中ではウルトラマン以外の役は演じたくないと感じていたが、スーツがウルトラマンの流用なので古谷しか着られず、渋々演じたという。そんなに私が嫌いになったのか、ウルトラマン
















ウルトラマンをやってよかった

いつかは僕も光の国に帰るときが来る


その時は

ウルトラマンが迎えに来てくれると思う


うれしいね


僕の最後の夢だね







参考文献:ウルトラマンになった男
著:古谷敏

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最終更新:2023年06月15日 17:54

*1 後にラゴンも演じているが、契約上の都合だろうか?

*2 ホリゾントは空などを描いた撮影用の背景。ホリゾントの上の天井がカメラに写ってしまうのが「ホリゾントが切れた」状態

*3 但し、爆発や水中撮影に命の危険を感じていたのは本当である

*4 この話は古谷が地方でのサイン会で無数の親御さんから毎回聞かされたという

*5 このミスについて、にせウルトラマンのスーツアクターと組んだ経験があまりなく、互いの息が合わなかったのが原因と古谷氏は推測している。因みに目の硬質素材部分に当ててしまった(本編を良く観ると壊れた部品らしきものが飛んでいる)せいで手の骨にヒビが入っていたとか。

*6 尚、庵野秀明はこのシーンが一番のお気に入りらしい。製作陣の考えとは裏腹にウルトラマンが人間らしい動きをする所が好きだったとか。