三笘薫

登録日:2023/09/25 Mon 20:46:12
更新日:2024/02/21 Wed 07:12:05
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三笘(みとま)(かおる)は、日本のサッカー選手。1997年5月20日生まれ。
その特徴的な姓だが、「苫小牧」の苫……とは異なり、小牧は草冠で、三は竹冠なので要注意である。
あと、同世代で名の売れていた選手に「三竿(みさお)」がいるせいでさらに紛らわしくなってたりした。


選手としての特徴

右利きの左ウイング。ドリブラー。
いわゆる「逆足ウイング」は通常、内側への仕掛けが得意な傾向にあるが、珍しく外側に張るタイプ。
1対1の局面を極めて得意としており、急加速・急減速を駆使し、
サイドの最奥手前で停止して守備者と正対→左右に細かく揺さぶり、相手の重心を偏らせて外側から急加速でゴールライン際に侵入
というプレーが代名詞。
外側からの侵入は、成功してもその後の選択肢が少ないという欠点はあるが、その分相手も警戒を強めにくく、
止めるにしてもライン際なので競り勝ってもコーナーキックになりやすく、強く行くと最悪ペナルティキックという極大リターンに化けてしまう、と対処しづらく、急加速の質の高さと合わせて「わかっていても止め難い」プレーとして確立している。

この明確なパターンに限らず、パスを受けてワンタッチで一気に抜かすなどの動きも好む。
スピードに関しては加速力だけでなくトップスピードもかなり速く、前述のようなファイナルサードでの勝負に限らず、単純に広いスペースに向けて推進力を発揮するプレーも強力。

ドリブラーとしては珍しく、無理を押し通す挑戦的な仕掛けが少ないのも特徴。
なにぶん「ドリブラー」そのものがエゴイストと限りなく近いため、それと相反する性質を持つことは少ない。
1対1が得意なのも相まって数的不利な局面では安全に後方に返すことが多く、この点は良く言えば堅実、悪く言えば消極的という特徴になっている。

そして、単なる一芸特化に留まらない点としては、「一芸を持つこと」自体が強い武器となっていることがある。
  • 1対1の強さは相手が人数をかければ抑えやすいが、当然ながらサイドの選手1人にその対応をしていたら守備全体のバランスは悪くなる
  • 1対1で相手取る場合、間合いを詰めるとかわされるリスクが高いため、間合いを取って撤退守備が無難となるが、そうすると三笘は労せずして前線までボールを運んだりキックを選んだりしやすくなる
というように、「最大の武器を突きつけて別の行動を取る」ことで優位を築くことができ、
献身的で地味なプレーを良くこなせることも相まって、派手な突破がなくても居るだけで優位を作れる存在という性質を得ている。

ヘディングは決して得意ではない……とされていたが、22-23シーズン以降はチームのプレースタイルも影響して地味にヘディングで得点に絡むことが多く、現在では苦手と言えるのかは謎。
身長は178cmと高くはないが、ウイングやサイドバックは小柄な選手が集まりやすいので相対的には高いと見ることもでき、空中戦能力も侮れなかったりはする。

弱点としてはフィニッシュ面(精度はまだしも威力のあるシュートが少ない)がよく挙げられる。
最高水準のドリブラーとなるとミドルシュートとドリブルの2択が基本装備なことが多く、択一で勝負するにもそこが物足りないのはネックである。


来歴

幼少期~プロ入り

出生地は大分、川崎育ち。兄の影響でサッカーを始め、地元のさぎぬまSCから川崎フロンターレユースに加入する、川崎純粋培養な幼少期を過ごす。
小学校・中学校を共にした幼馴染(1つ下)として田中碧がおり、プロ入り時期の違いによりキャリアが分かれたが、その後もフロンターレと日本代表で肩を並べることとなる。

高校時点では既にかなり評価が高く、トップチームへの昇格が決まっていたのだが、「プロでやれる自信がない」という理由で断って筑波大学へ進学。
大学で堅実に経験を積み、3年時には改めてフロンターレへの加入が内定。卒論では自分自身をデータに使ったドリブルを題材にした論文を提出した。
大学日本代表、および東京五輪世代のアンダー代表としてもプレーしている。

2020年、卒業と共にフロンターレに入団。
そして同年シーズン、当時のフロンターレ自体が18ポイント差でリーグ優勝というえげつない強さだったとはいえ、新人にして30試合13ゴール13アシストという強烈な数字を記録。
真に恐るべきは、実のところプレータイムは約1600分で、90分換算で18試合にも満たない。
30試合と言ったらレギュラー級の選手に見えるが、その半分以上が途中出場なのである。
つまり、非常に雑な計算をすれば18試合13ゴール13アシストと言えないでもない。

欧州へ

そして翌シーズン途中、夏の移籍市場にてプレミアリーグのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンへの移籍が決定。
移籍金は300万ユーロ(当時で4億行かないくらい)と、今になってみれば激安だがJリーグからの直行としてはなかなかの数字。
ブライトンは長らく2部~3部ラインのクラブだったのが、近年になって「安く買って高く売る」育成クラブとして頭角を現して1部への定着を成功させてきたクラブであり、三笘はその投資の一つとなったが、日本以外には特に注目されることもなかった。
余談だが、ブライトンの奇跡が起こったアメックス・スタジアムこそがこのクラブの本拠地である。

ただし、イングランドへの移籍は労働ビザ獲得が非常に厳しく、大雑把に言うと前所属がJリーグだと代表主力クラスじゃないと無理。
三笘はこの時点で待望論こそあってもA代表には未招集という状態だったので論外である。

そのため、ブライトンのオーナーが保有しているベルギー1部のユニオン・サン=ジロワーズにレンタルして実績を稼ぐという海外移籍お決まりのパターンに。

当初はベンチ外→終盤交代要員という低い扱いであったが、転機は第10節。
0-2のビハインド、しかも前半終了間際に1人退場という絶望的な状況でハーフタイムから交代出場し、これまでで最大の出場時間を得た三笘は、後半だけでハットトリックを達成、4-2の逆転勝利へとチームを導く。
この1戦を境に評価は激変し、次節以降はそのままレギュラーへと定着した。

スコアは8ゴール4アシストとそこまで高くないが、1ヶ月ほど負傷離脱もあったため
  • リーグ戦21試合(11試合スタメン)
  • カップ戦全2試合(1試合スタメン)
  • プレーオフ全6試合(5試合スタメン)
と例によって出場期間が短く、試合時間に直すと相変わらず全試合の半分も出ていない。
そして何より、サン=ジロワーズは3-5-2のフォーメーションを使う都合上、ポジションがフロンターレ時代には経験のないウイングバック、従来より守備的なタスクを求められるポジションだったのである。
サン=ジロワーズが昇格組ながらなんとレギュラーシーズン優勝という驚くべき結果となったのもあって、しっかりと評価を高めた。

この時期から日本代表にも招集される。
アジア最終予選にて3試合出場。1戦目では日本が盛大にやらかしたオマーン戦の第2戦で初出場&初アシストで勝利に貢献した。
出場2試合目となる、2位-3位対決という天王山のオーストラリア戦では0-0の後半39分に途中出場して2ゴールを叩き込み、W杯出場を確定させる立役者となった。
なお、この時の相手GKマシュー・ライアンはブライトンへの所属経験がある選手。何たる因縁。

そうして三笘は1シーズンでブライトンへの正式合流を勝ち取る。
ブライトンの躍進を支える新進気鋭の監督グレアム・ポッターの指揮のもと21-22シーズンでは初の上位半分となる9位フィニッシュを遂げ、22-23シーズンも好調で滑り出したブライトン。
……しかし、目下の問題は、前シーズン最多得点のエース、ベルギー代表レアンドロ・トロサールが左サイドアタッカーでポジションが被っていることだった。
そのため三笘は相変わらず交代要員としてのスタートとなり、少しずつ出番を積み重ねる。
そんな矢先、不振からシーズン途中に監督解任を決行したリーグ強豪の一角・チェルシーFCに後任監督としてポッターが引き抜かれてしまう。
金銭面での見返りこそあったとはいえ、躍進を続けていたチームも次のアクションを間違えればあっという間の転落もありうる難しい状況に。

そんな中、ポッターの後任として白羽の矢が立ったのは、カテナチオの国・イタリア出身であるにもかかわらずバルサばりのポゼッションサッカーを展開し、かのペップ・グアルディオラも試合をチェックしていたという知る人ぞ知る監督、ロベルト・デ・ゼルビ。
この監督とブライトン、そして三笘との出会いはその運命を大きく動かすことになる。

デ・ゼルビ体制は当初、ポッター時代のフォーメーションを引き継いで戦うが、5戦未勝利と厳しい状況に立たされていた。
そして、就任から一ヶ月強が経過した段階で新指揮官はついに自身の得意なフォーメーションへの移行を決断。第14節、相手は奇しくも因縁のチェルシーだった。
監督交代後徐々に出場時間を伸ばしていた三笘は、4-2-3-1の左ウイングとして、トロサールを彼の第二ポジションであるセンターフォワードに押し出して初スタメンに。
そうして臨んだこの試合、ブライトンは4-1で完勝してデ・ゼルビ体制初勝利、そして三笘は初アシスト*1を記録。
三笘のプレースタイルは「デ・ゼルビ式」と抜群のシナジーを誇っており、左ウイングのレギュラーとして完全に固定され、三笘はその能力を証明し始めた。
デ・ゼルビも三苫にベタ惚れを隠さず、事あるごとに褒め称える姿はある種の風物詩と化した。

……と、そんな勢いに乗り始めた段階で、カタールW杯が開幕。
三笘は全試合途中出場であったが、見方を変えれば、後半勝負のスタイルをとった森保JAPAN的には「三笘は後半勝負に使うためのカード」という高い評価を受けたという見方もできる。
初戦ドイツ戦では、出場した矢先に先制点の起点を作り、ベルギーで鍛えた守備力で終盤のドン引き守備態勢でも意外な貢献を見せる。
コスタリカ戦ではチーム全体がアレだったの言及点もなし。
そしてスペイン戦では「三笘の1mm」で逆転弾のアシストを記録。ライン際にボールがギリギリ残る印象的な写真とともに、この試合の活躍により色々な意味で三笘の知名度は世界的に急上昇した。
普通に考えると、三笘が前半からフル出場していたらさすがにボールに追いつくスプリントができず、ボールがラインを割り「三笘の1mm」も成立しなかった可能性が高かったと思われるため、一部で疑問視されていた後半起用という戦術も結果的には正解と言わざるを得ないだろう。
ベスト16のクロアチア戦では後半以降日本があまり攻められなかったうえ、クロアチア側も露骨に警戒してきたため目立ったプレーは見られず。
そしてPK戦では2人目のキッカーとなるも1人目の南野拓実に続く形で失敗してしまい、事実上敗北を決定付けたキッカーとなり本人も涙。初のW杯は悔しい終わり方となってしまった。

活躍の舞台をプレミアリーグに戻した三笘は、前述の通りスタメンとして定着。
事実上シーズンの1/3が終わった段階での始動ながら、試合ごとに評価を急激に上昇させていく。
  • デルピエロばりの完璧なコントロールショット」
  • 「クロスをゴール前でトラップし、浮いた球をシュート……と見せかけてカメラすら騙されたシュートフェイクを交えて押し込んだ、後半終了間際のリバプールFC相手の決勝弾」
  • 「堅守で0-0に抑え込まれた状態からまさかのヘディングで後半終了間際の決勝弾」
と、立て続けの印象的なゴールもそれを後押しした。

一方、冬の移籍市場でトロサールが出場機会を含む諸々でクラブと関係悪化して移籍*2に。
結果的にはトロサールとのポジション争いにも勝利した形となった。
まあ、トロサールも首位独走中だったアーセナルへステップアップして即戦力として重宝され、ファンからも高く評価されたのでWin-Winの取引と言えるだろう。

1月末、冬の移籍市場が閉じる頃には、ほんの3ヶ月ほど前まで「よくある下部レンタル経由での補強選手」でしかなかった三笘は
名実ともに「躍進中のブライトンの中核」として扱われ、日本人の枠を超えて「プレミアリーグの注目選手」となっていた。
欧州のサッカー選手ではほぼあり得ない大卒の経歴と上述の卒論の話題から「ドリブル博士」という褒めてるのか弄ってるのかわからん異名が一部で発生したりした。

高額な選手を集め難い小規模クラブのブライトンにおいて、置いておけば存在感を放てる三笘の価値は高く、ウイングは普通なら真っ先に交代するポジションなのに大半フル出場という酷使運用であった。
そのせいかシーズン終盤は些か疲労が目立って決定力不足に悩まされ、途中まではシーズン10G10Aもいけそうなペースだったのが結局7G6Aに着地。
それでもブライトンは6位でクラブ史上初の欧州カップ戦挑戦権(ヨーロッパリーグ)を獲得。三笘もその立役者として、一度得た評価を落とすことはなく、一躍スターへとのし上がったシーズンとなった。

23-24シーズン、ブライトンはより高いレベルでの戦いを目標に入れたいのに中盤の要である有望若手2人の引き抜きを避けられなかったのもあってか、
三笘の移籍は徹底拒否の方針だったようで噂すらほぼ無く、シーズン開始後には契約延長を発表。給与は最低水準から一気にベテラン主力勢と並ぶクラブ内トップクラスまで引き上げられたらしく、全力慰留の意図が感じられる。それでもビッグクラブなら倍は出せるので慰留としては微妙と言われるのが中小クラブの悲哀である。
そして早速開幕第2戦のウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ戦にて、左サイドからドリブルを仕掛け約40mの間に4人を抜き去るスーパーゴールを初得点として記録。
緩急をつける技術の高さ・ファール覚悟の守備もものともしない身体の強さ・GKとの1対1で逆を突く冷静さを全て兼ね備えたこの一撃はリーグの月間ベストゴールを受賞したほか、欧州メディアやウキウキ状態のブライトンの公式SNSからは「今季ベストゴールはもうこれで決定」との声まであがった。
だが、時間が経つにつれチームはリーグ戦と欧州カップ戦の並行というハードスケジュールの消化に苦しんで怪我人が続出。人繰りと戦術再構築の両面で悩まされたことで、圧倒的に計算が立つ三笘への依存がますます深まることに。
そうして週2試合ペースでフル出場を続ける酷使続行となった結果、再びコンディションの低下が現れ、合間合間の代表ウィークでは2連続で招集取りやめになってしまったほど。特に2回目では一度しっかり負傷者リスト入りとなったため、さすがにデ・ゼルビも慎重になり温存気味の起用が見られるようになった。

余談

アニヲタ的には実写版ゴローちゃんで有名な俳優・松重豊が少年時代に隣人だった。
カタールW杯の際に松重の方からこのエピソードが突如明かされ話題となった。

また、それ以前から、『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』にてパトレン1号/朝加圭一郎を演じた俳優・結木滉星が三笘の実兄なのではないかという噂があった。
生い立ちについての断片的な情報の辻褄が概ね合っていたこと、何よりその濃い男前フェイスが瓜二つなことから発生したと思われるが、こちらも2023年になって結木の口から事実として公表されている。



追記・修正は左サイドのゴールラインギリギリからお願いします。

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最終更新:2024年02月21日 07:12

*1 その前に1回「相手にちょっとだけ当たったから記録上アシスト無し」というのがあったのだが。

*2 契約が今シーズン限りであり、関係悪化で契約延長の可能性が絶たれたためクラブとしては利益を考えると即売却が安牌だったという事情もある。