2007年日本シリーズ

登録日:2024/01/16 Tue 14:22:43
更新日:2024/01/17 Wed 21:50:26
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ROAD TO VICTORY
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概要

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この項目では、2007年のプロ野球日本シリーズの激闘を紹介する。

トレイ・ヒルマン監督の北海道日本ハムファイターズ落合博満監督の中日ドラゴンズが2年連続の顔合わせとなり、中日が前年と逆に1戦目を落としてからの4連勝で53年ぶりの日本一を地元で達成した。
この年からセ・リーグにもクライマックスシリーズが導入され、中日はリーグ2位から勝ち上がっての出場となった。リーグ優勝していないチームの日本一は史上初。

日本シリーズとしては、第58回目のプロ野球日本選手権シリーズとなる。


主な試合内容

第1戦(10月27日・札幌ドーム)

日本ハム 3‐1 中日

ダルビッシュ有
川上憲伸

日本ハム・ダルビッシュ有と中日・川上憲伸の両先発でスタート。
1回裏にフェルナンド・セギノールがいきなり3ランを打つとダルビッシュも当時の日本シリーズタイ記録*1となる13奪三振での完投で応え、最後までリードを守って勝利した。
対する中日も川上が1回二死から21人連続無安打に抑えるなどセギノールのHR以外には得点を許さず投げきったが、森野将彦が犠牲フライで1点を入れただけに終わった。

なお、中日は1982年の日本シリーズに出場した堂上照の息子・剛裕が8回に代打で出場。これが史上初の日本シリーズ親子出場となった。


第2戦(10月28日・札幌ドーム)

日本ハム 1‐8 中日

中田賢一
ライアン・グリン

次戦から地元ナゴヤドームとはいえ、中日にとっては出来ればタイに戻しておきたい一戦。

その中日は初回に犠牲フライで1点を先制。
4回表には日本ハムの先発・グリンが3連続で四球を出したチャンスに乗じて3点を取ると、中日の先発・中田も4回裏にセギノールのソロHRを被弾しただけで8回1失点と好投。
一方の日本ハムは4点を取られた後も6回に押本健彦が、7回に菊池和正がそれぞれ2ランを被弾した上、セギノールのHR以外は結局1点も入れられないという大敗で1勝1敗となった。


第3戦(10月30日・ナゴヤドーム)

中日 9‐1 日本ハム

朝倉健太
武田勝

この試合からはナゴヤドームでの開催。中日にとってはここから3連勝しないと再び敵地に戻ることとなる試合である。

試合は日本ハムの先発・武田が1回裏に先頭打者・荒木雅博への初球で死球を出すという大誤算。これでペースが乱れたところから中日が一気に流れに乗り、結局1回だけでシリーズ新記録の7打数連続安打など7点という猛攻で早々に大勢を決した。
一方の日本ハムは1/3回5失点でKOされた武田に代えて先発要員のブライアン・スウィーニーが緊急登板するも更に2失点と滑り出しの炎上で完全に出鼻を挫かれ、打線も9安打1得点と繋がりを欠いて2試合連続の大敗を喫した。

この試合で中日が2勝1敗と勝ち越した。

第4戦(10月31日・ナゴヤドーム)

中日 4‐2 日本ハム

鈴木義広
吉川光夫
セーブ 岩瀬仁紀

中日が1回裏に2点を先制するも、4・5回で1点ずつ取った日本ハムが追いつく展開。
しかし5回裏に2四球1安打で満塁の状況から日本ハムの先発・吉川に暴投が出て勝ち越すと、7回裏に育成枠での移籍から這い上がってきた中村紀洋のタイムリーで更に1点を加えた。
一方の日本ハムは中日の5安打に対して7安打と安打数では上回ったが繋がりを欠き、リリーフ陣から1点も取れず痛い敗戦に終わった。

中日が53年ぶりの日本一に王手をかけ、翌日勝利すれば地元ナゴヤドームで日本一が決定するという状況となった。

第5戦(11月1日・ナゴヤドーム)

中日 1‐0 日本ハム

山井大介
ダルビッシュ有
セーブ 岩瀬仁紀

中日は王手ではあるが、一方でここで敗れれば負けた流れで2日後の第6戦をビジターの札幌ドームで戦うことになるという状況で、レギュラーシーズン最終戦(10月7日)以来の登板となる*2山井が先発。
もう負けられない絶体絶命の窮地に追い込まれた日本ハムは、第1戦で完投勝利したダルビッシュが中4日で先発した。

「ナゴヤドームで決めたいというのはみんなあったと思う」と語る中日先発の山井は「自分は投げても5回、総力戦で最後に岩瀬に持ち込む」ことをイメージしてこの大一番に臨んでいた。
相手がダルビッシュであり援護も受けにくい可能性が高い以上、状況によっては最初の打順が回ってきた段階で早々に降板するという可能性も頭に置きながら、とにかく猛プッシュしていく組み立てで投げていたという。

果たしてダルビッシュの投球は冴え、中日は2回に平田良介が犠牲フライを決めたものの追加点を出せないまま試合が進む。
しかしそれ以上に、絶対に点を与えまいとする山井のピッチングは冴えに冴えた。
スライダーひとつ取っても、思ったところにコントロールできたのがあの日本シリーズ。
フワフワしたというか、不思議な感覚でした
(中略)
谷繁(元信)さんのリードが手に取るようにわかったんです。
首を一度も振ってないはずだし、サインを見る前にその球種の握りをしていたくらいだったんです*3
野手陣の度々のファインプレーも重なり、日本ハム打線に一塁すら踏ませることのないままアウトを積み重ねた山井は、とうとう8回86球で完全試合に王手をかけた

だが9回表、ポストシーズン史上初の完全試合での日本一決定を期待する観衆の前に姿を現したピッチャーは山井ではなく岩瀬仁紀
継投でのノーヒットノーラン・完全試合は参考記録とするNPBにおいて、それは同時に「山井大介の完全試合」という大記録の達成が無くなったことを意味していた。

どよめきの中でマウンドに上がった岩瀬は金子誠、髙橋信二を4球ずつであっさり打ち取り、27人目の打者・小谷野栄一はカウント2-2から岩瀬のこの回13球目となる一球を打ち返すもボールは二塁方向へ。
これをセカンド・荒木が取って一塁へ送ると、白球は吸い込まれるようにタイロン・ウッズのグラブに収まった。
この瞬間、参考記録とはいえMLBでも前例のない完全試合リレーという劇的な形で、中日ドラゴンズ53年ぶり2回目の日本一が決定した。

MVPは中村紀洋、敢闘選手賞はダルビッシュ、優秀選手賞は中日の荒木・森野・山井が選ばれた。

幻の完全試合

第5戦で完全試合継続中の山井を降板させて岩瀬に継投させた落合博満監督の采配には当然ながら賛否両論が噴出し、勝利を優先して大記録を潰したとして落合は大いに槍玉に上がることになった。

しかし、決着翌日には山井が途中でマメを潰していた*4ことが判明。更に様々な場所で落合や山井、当時の投手運用を一任されていた一軍バッテリーチーフコーチの森繁和から「(マメのことなどもあり)自ら降板を申し出た」ということが明言されるようになって当時の事情が広く知られるようになったこと、またノーヒットノーラン継続中の先発投手の降板後に後続が打たれるケースが再三発生した*5こともあり、現在では采配への賛否以上に
  • 完全試合継続中
  • 自軍の得点は犠牲フライの1点のみ*6
  • 日本一に王手、ただし負ければ「完全試合寸前でひっくり返された」という流れでビジターゲームに向かうことになる*7
  • 先発の山井は投げようと思えば投げられる状態だったが、チームの勝利を優先して自らマウンドを降りて岩瀬に後を託した
という凄まじいプレッシャーのかかる状況から三者凡退で締めて完全試合リレーを完成させた岩瀬を評価する声が多い。
岩瀬本人も後年
  • 普段はそういうことを考えないが、あの時は一人のランナーも許されず絶対に3人で抑えなければと思った
  • 日本シリーズは特別な試合だから楽しむものだと思って投げていたが、唯一楽しめなかったのがあの試合
  • あの時は最後まで投げて欲しかった、あれほど嫌なマウンドはなかった
などと語っている。

NPBでは継投によるノーヒットノーラン・完全試合はいずれも参考記録だが、単独・継投を問わずNPBのポストシーズンにおいてノーヒットノーランを達成したのはこの時の山井・岩瀬の他に2018年のセ・リーグクライマックスシリーズ1stステージ第2戦の菅野智之(読売ジャイアンツ)のみ。
継投による達成を認めているMLBでも継投による完全試合はレギュラーシーズン含めて過去に例がなく、ワールドシリーズの優勝決定試合においては継投含めてノーヒットノーランすら達成されていない*8
そういう意味で、完全試合リレーで日本一が決定したこのシリーズは、53年ぶりの日本一というドラマも合わせてこれから先も長らく語り継がれていくであろうシリーズといえよう。

それは静かに始まった 日本一へのパーフェクト
山井大介 二十四の アウトを岩瀬に託したぞ

いいぞがんばれ ドラゴンズ 燃えよドラゴンズ!

――「燃えよドラゴンズ! 2007 日本一記念盤」より

なお、山井は2021年10月の引退時の記事で、「あの日、あの場所に戻れるとしたら」という質問にこう答えている。
すべてが同じ状況なら、同じことを言いますよ








追記・修正は、完全試合リレーを決めた方にお願いします。

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最終更新:2024年01月17日 21:50

*1 1999年の第1戦で工藤公康(福岡ダイエーホークス)が記録して以来。なお2023年の第6戦で山本由伸(オリックス・バファローズ)が14奪三振を記録して更新している。

*2 クライマックスシリーズ2ndステージ・第1戦で登板予定があったが、右肩痛により回避した。

*3 出典:https://number.bunshun.jp/articles/-/850056

*4 2015年の山本昌の著書によると、6回の時点で「大丈夫なのか?」と思わず尋ねたほど指の皮が剥けていたという。

*5 2022年4月17日の佐々木朗希(千葉ロッテマリーンズ)や2023年4月12日の村上頌樹(阪神タイガース)は完全試合継続中に降板しており、前者は0-0のまま降板後に延長戦でチームが失点し敗戦、後者も降板後に一時同点に追いつかれて自身の初勝利が消滅している。また、2020年の日本シリーズ第3戦では福岡ソフトバンクホークスが3投手での継投ノーヒットノーラン達成直前に9回2死から安打を打たれている。なお佐々木の試合はテレビ東京で生放送が行われたが、奇しくもこの日本シリーズ第5戦を実況した植草朋樹アナウンサーが実況を担当していた。

*6 NPBで「完全試合達成チームの得点が1点のみ」はこれ以外に7回あるが、その得点が犠打・進塁打だったケースは1961年6月20日の森滝義巳(国鉄スワローズ、内野ゴロで1点)と1966年5月1日の佐々木吉郎(広島東洋カープ、犠牲フライで1点)のみ。なお、前者は奇しくも中日相手に達成している。

*7 この点に関しては落合と森も「完全試合をひっくり返されて札幌ドームに行くようなことがあれば日本一は無理だったと思う」と語っている。

*8 ワールドシリーズでのノーヒットノーランは1956年の第5戦でドン・ラーセン(ニューヨーク・ヤンキース)が完全試合を達成した例と、2022年の第4戦でヒューストン・アストロズが4投手の継投でノーヒットノーランを達成した例のみで、いずれも優勝決定試合ではない。