局地戦闘機 紫電

登録日:2012/05/21(月) 12:13:54
更新日:2023/04/22 Sat 09:32:43
所要時間:約 12 分で読めます




局地戦闘機「紫電」とは、川西飛行機が開発した日本海軍の局地戦闘機*1にして、事実上の制空戦闘機。
有名な「紫電改」は紫電に魔改造を施した紫電二一型の事を指す。
太平洋戦争末期、連合国軍新鋭機の飛躍的高性能化に伴って急速に陳腐化する零戦の事実上の後継制空戦闘機。
日本機としては高速・重武装・重装甲でありながら機動性も高く、当時質・量共に圧倒されていた米軍戦闘機にある程度対抗できる能力を持った機体だったが、
生産数が圧倒的に少なく、また投入された時期も遅く戦局を変えるまでには至らなかった。


●仕様●
エンジン:誉二一型(1990馬力)
武装:7.7mm機銃×2、20mm機銃×2(一一型)/20mm機銃×4(二一型)、20ミリ機銃×4、13ミリ機銃×2(三二型)
250kg爆弾×2または60kg爆弾×4

特殊装備
  • 自動空戦フラップ
  • 燃料タンク自動消火装置
  • コクピット防弾ガラスなど

米軍のコードネームは「George」(紫電は11、紫電改は21とサブタイプ別されている)。


◆開発◆
太平洋戦争序盤こそ活躍した零戦であったが、1943年8月を境に次々と出てくる高性能米軍機の前にはい雑魚~!とフルボッコされていく。正統後継機たる烈風は一向に完成せず、試作段階にすら到達しない有様であった。
戦線の急激な後退と、陸上における後継機と目された雷電も不調だらけで量産を行えなかった。
その少し前、、日本海軍は飛行艇・水上機メーカーから転身を図っていた川西航空機の提案を承諾していた。
水上戦闘機「強風」の、陸上戦闘機への再設計。これが後の「紫電」である。

こうして完成した紫電だが、やはり水上機からの無理な改造や、メーカー自体の陸上機開発経験の無さが原因で思うような性能がでない。
特に機体安定の悪さと工作精度の低さ、中翼という構造から二段引き込み式にした脚部の脆弱さが致命的であり、その配備部隊では機体事故による殉職も相次いだ。

しかしフレームは局地戦闘機らしく頑強であり、機銃の命中率はゼロ戦を凌ぎ、速度もゼロ戦52型よりはマシと言える最高速度585km/hであったため、
新鋭機を子供のように欲しがっていた上層部はとにかく配備を急いだ。


ここでメーカーである川西航空機が思いついたのは……。


そうだ、もう一度魔改造しよう

機体中央を主翼が貫く中翼から、機体下部に主翼がある低翼へ……

生産も容易になった(工数は約2/3に)為、この改造自体は成功だったと言えるが、もはや水上機からの再設計で手間を省くというコンセプトから言えば本末転倒である……


こうしてほぼ別機として完成した機体がN1K2-J紫電二一型、通称「紫電改」である。


◆実戦◆
紫電改は愛媛松山第343航空隊に優先して配備された。343空は戦後の人気漫画『紫電改のタカ』の影響で、『エースを集めた最強部隊』と思われがちだが、
エース、あるいはベテランの隊長と成績は良いが経験不足の新兵といったのが実態であった。

かの有名な1945年3月19日の松山上空の迎撃戦では、
源田指揮官が中央へ報告した戦果は撃墜約60機、日本軍の底力見たかコノヤローという伝説が広く知られているが、
戦後両軍の「損害数」を日米の資料から確認すると、米軍機の第三四三(343)空との戦闘での損失は14機。その内、撃墜によって失われた機数は8機とされている(残りは帰投後損傷により廃棄)。
343空側の損害は13機であるため、ひいき目に見ても互角、日本側の奇襲ということを考慮すれば敗北と言ってもいい。

この後も散発的な戦闘があり、米軍機との空戦もあったが終始押され気味で損害も拡大。
終戦時には稼働機体は10機ほど、隊員も100名近く失われ、実質的な壊滅状態になっていた。


零戦と違って、コクピットに相応の防弾装備があり(零戦も52型まで来ると相応の防弾装備はあったが)、燃料タンクに被弾しても自動で消火してくれる。
速度は米軍機にこそ劣るが旋回性能はよく、急降下・急上昇性能はもちろん、火力も零戦を上回っていた。

しかし新兵がまともに戦えたいちばんの理由は無線使用の編隊戦法と自動空戦フラップの存在である。


◆新兵でもエース並み?
飛行機が旋回する時に離着陸に使用するフラップを使うと急旋回できることは知られており、実際エース級は使っていた。

現在はフライバイワイヤ技術により自動化されているが、命懸けの空戦中に片手離して失速の危険があるシビアな操作できるのは、
スーパーパイロットかニュータイプくらいのものである。それを自動で行うのが自動空戦フラップである。
制御装置自体は水銀を使った計器で、不時着した際には取り外して捨てられるなど機密保持もバッチリ*2

ただし、戦闘中パイロットの意図しない瞬間に作動し、機体が浮き上がる為にベテランにはこれを嫌ったものもいた。


◆戦後◆
しかし日本の工業力の低下、良燃料の不足は深刻で、飛べない機体や運転制限下で測定されたカタログスペックすらでない機体が頻出するようになってしまった。
それでも343空は飛び続けるが、一部隊だけでどうにかなる状況でもなく隊長クラスの戦死も相次いだ。

紫電改の生産数は415機。
疾風すらも特攻に使用された中、航続距離の問題などから幸運にも特攻機には使用されなかった。
それでも一度、話は来たそうだが立ち消えになったそうだ。
仕方がないので343空以外の部隊の分で特攻に用いる話が持ち上がったが、そもそもそれだけの数が確保できなかったのでオジャンになったな。
グダグダもいいところである。


◆余談

343空の一連の武功があまりにも有名となった故か、近年の長崎原爆投下に関するNHKのドキュメンタリー番組である仮説が起てられた。

陸軍の諜報部が原爆に関する情報を握りつぶさなければ、海軍に情報が伝わって、長崎に移動していた343空が絶対阻止してくれたのに!
陸軍はどこも悪どい集団だ!

と。
同番組では当時の陸軍諜報部将校が『上の連中に原爆投下の情報を握りつぶされた! 私の情報さえ伝わっていれば長崎原爆投下は防げたんだ!』
と嘆きに近い証言をしており、当時、長崎に343空が移動していた事も取り上げていた。
しかし長崎原爆投下時の343空は機体の整備日であったし、その時には同隊が誇ったエースパイロット達はほぼ戦死。
隊長陣最後の生き残りであった菅野直も8月1日に消息不明となっており、死に体も同然。ついでに言えば、その日隊員は近くの山へハイキングに行っていた。


◆バリエーション◆

○一一型系

生産数は1043機。

一一型
胴体に7.7mm機銃×2、翼下パイロンに20mm機銃×2。
7.7mmのため火力不足が否めない。

一一甲型
7.7mm→翼内20mmに。
火力は上がったが、運動性は相変わらず。

一一乙型
翼内20mm×4に。
パイロンをやめたので最高速は紫電改と遜色ない……どころか上回る。


○二一型系
これ以降がいわゆる紫電改。

二一型
初期生産型。
縦安定性が過剰(真っすぐ飛ぼうとする力が強すぎる)。

二一甲型
垂直尾翼を改良。運動性が良好となる。

三一型
機首に13mm機銃×2を追加。重武装。

三二型
三一型に艦載機装備を取り付け、艦載機化したもの。信濃が就役した暁には艦載機になるはずだった。信濃が出港後に即、撃沈されたのでお流れに。


この他にもたくさんの試作(計画のみ)がある。

なかには上記のように艦上戦闘機に改装し、空母「信濃」で離着陸試験を行った機体もあり、そのまま信濃の艦載機になる予定だった。



◆逸話◆
終戦後には米軍に接収されたが、引き渡し飛行中監視の米軍機(F4U)は振り切られそうになった
もっとも、この話には監視の米軍機が実戦装備だったのに対して紫電改は武装を全て外された軽荷重状態、かつ米軍もあえて追おうとはしなかったというオチがある。

また、「米軍が整備を行い、良質なオイル・燃料を入れて模擬空戦を行ったところどの米軍機も紫電改に勝てなかった」というものがあるが、そもそもこんなテストは行われていない。米軍の下で整備された紫電改が689㎞/hを出した、という話が日本の一部書籍に掲載されたことはあるが、紫電改の性能テストなど行われていないし、この数値は陸軍の四式戦闘機・疾風が軽荷重状態で記録したものである
紫電改の最高速度680km/h説は自由フランス軍のエースパイロットで戦後に国会議員になったピエール・クロステルマンの著書『空戦』が元になっており、米軍・英軍の資料と米軍が翻訳した日本軍の資料、連合軍パイロットからの聞き取りを整理して「紫電改と1944年型のP51が高度6000mで同程度の最高速度が出た」→「1944年型P51の高度6000mでの最高速度の記録が680km/h」との根拠から結論付けた数値、即ちカタログスペックが分かっている機体との比較から推算したもので直接測定したものでは無い事を著者本人が記載している。

米軍が本腰を入れてテストしたのは太平洋方面で主敵だった零戦と、強力な邀撃機として爆撃機隊に恐れられていあ二式戦闘機・鍾馗、四式戦闘機・疾風くらいのものだった。


日本軍機の常として、局地戦闘機でありながら高高度戦闘能力は不足しており、B29相手では上昇されると手が出せない。高高度戦闘は雷電あたりに任せていた。

量産が始まった時期に重要工業地帯の名古屋を襲った東南海地震と本土空襲も重なって烈風が完成しても量産不可能というショッキングなニュースに、
悲痛な悲鳴を上げる日本海軍によって烈風用に用意していた生産ラインを全部割り当てた上で次期主力戦闘機に抜擢された。
実際の運用目的が制空戦闘機となったのはこの決定によるもの。

烈風の設計者の堀越二郎は自身の最後の作を日陰者に追いやるも同然のこの決定に怒ったが、誉エンジンを搭載した烈風が、零戦すら下回る520㎞/hしか出せなかったとあっては仕方ないとも言えよう……。


アメリカに接収された機体は長い間軍基地の入り口や敷地内で展示物として野ざらしとなっていたが、そのうちの3機は近年補修され博物館などで展示されている。
他、愛媛県の御荘湾から引き揚げられた機体が愛媛県愛南町に復元展示された。
20mm機銃や機銃弾などの装備品も残っており展示されている。


追記・修正は紫電を愛する方、お願いします。

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最終更新:2023年04月22日 09:32

*1 侵攻して来る敵の戦闘機や爆撃機の迎撃・防空を担当する戦闘機。要撃機や迎撃機と呼ばれる戦闘機ともほぼ同種

*2 もっとも既に機械式コンピュータを実用化していた米軍は興味を示さなかったが