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WW2戦車 - (2011/03/28 (月) 21:58:40) のソース

#CONTENTS
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**第二次世界大戦の頃の戦車のエンジンって、どんなエンジンなのですか?
ソ連と日本はディーゼル
それ以外はガソリン

飛行機の星型エンジン載せてなかった?M4とか?
#right(){(くだらない質問はここに書け!:508)}

**2C戦車の砲塔の後ろのところにのっているエンジンみたいなのはなんでしょうか?また、車体側面にある機銃の正確な場所はどこでしょうか? 
排気管が出ていますから、ガソリンエンジン用の機関室と思われます。
一応、ガソリンエンジンで発電機を回す方式でしたから。
で、思想的には第一次大戦の発想ですから、上面からの航空機の攻撃
は考慮されていなかったのではないでしょうか。

車体前方何ミリの所にあるのかは寡聞にして判りませんが、車体前方に2丁8ミリ機銃が装備されていました。
#right(){(11:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**映画で見えない敵に砲撃されてるときに、シャーマンの下に数人隠れてる場面をみましたが、本当にそういうことは、あったのでしょう?
>ちなみに他の歩兵はバタバタ死んでました
砲撃が集中した場合はよくあった手段だと聞きます(何せ一番身近にある装甲板となりますから)。
またドイツ軍の戦記で読みましたが、
戦車兵は安全のため就寝時は戦車の下に壕を掘ることもあったそうです。 
#right{(12:名無し厨尉)}

**イギリスの戦車で、砲塔の周りに白いペンキかなにかで、角度が書いてあるものがありますが、あれはなんのためなんですか?
某模型メーカーのセントー戦車の説明書によれば、
照準用目盛りだったと思います。 
#right(){(10:名無し厨尉)}
セントーのCSタイプなんで、支援砲撃用のものであって、直接照準用で
無いと思います。
なので、目盛りを書いても差し支えないのではないかと思いますね。

ノルマンディー上陸作戦時の第一ロイヤル海兵機甲支援連隊所属の
セントーIVですね。
その写真。 
#right(){(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)}
>どのように目盛りを使って、目標を統一するんですか?
砲兵観測用でしょ。北を零として、「目標○時○分方向!」って
指示するのが普通です。もちろん、おおよその距離も知らせます。
で、艦上の観測員が正確な目標距離を算定し砲撃するのでは?
#right(){(24:一等自営業 ◆kawD31MU)}

**カリオペって対日戦でも使われたんでしょうか?
カリオペ・シャーマンは、私が知っている範囲で太平洋域のは見たことがありません。
でっかいロケット、ホイッツバンのランチャーをLVT(多分LVT-4)に乗っけた例は太平洋であります。

あとカリオペで用いたれたロケットをダック(水陸両用トラック)にぎっしり載せた例もあり。
これは太平洋で用いられたとキャプションにありましたが、実戦写真では未確認です。
なんか、島に一気に上陸するんですから、大砲をえっちらおっちら上げている間に、カリオペで凌ぐってありそうです。

勝手な想像ですが、道無き道のジャングルでは邪魔になるという以外に、
カリオペでは揚陸艦に乗せにくそうに思います。
ところが、役に立つ。
そこで水陸両用車両にって事になったのかも
#right(){(26:朝日太郎)}

**戦時中のソビエト戦車の砲塔には何やらスローガン(?)が書いてありますがどんな事が書かれてるのでしょう?
ЗА Родину!(祖国の為に!)
ЗА СТАЛИНА(スターリンの為に!)
みたいな祖国賛美系

Смерть Фашистам(ファシストに死を)
みたいな敵に対する決意系

МОСКОВСКИИ КОЛХОЗНИК(モスクワ・コルホーズ)
みたいな戦車寄付先、生産工場の名前

АО Берлина(ベルリンへ)
みたいな地名、行き先
この様なものが描かれています。
#right(){(29:919)}
>3A?ってどういう意味?
~のために
という意味と推測できる。
しかし、3Aではない。ЗАである。
#right(){(29:928)}

**T34/85やJSシリーズは戦後も多くの国で使われていますが、KVシリーズやT34/76はなぜ使われなかったのでしょうか?
T-34/85やJSシリーズが長く使われたのは、戦後もソ連に生産ラインがあったり、採用した外国が自国に生産ラインを作ったからです。 
戦車砲用弾薬や、交換部品の事を考えると、T-34/76やKVは使えないでしょう。
#right(){(32:861)}

**T-35という戦車があることを知りました。なんでソ連以外の国はこういう戦車を作らなかったんですか?
他国にも無いわけじゃないよ。流行らなかった理由は、でかくて重いくせに
装甲が薄くて機動性が低いから。
もともとT-35というヤツは、火力支援戦車って言う位置付けだったんで、
機動性は重視しなかったんだが、いざ使ってみるとドイツ戦車に歯が立たなかったんだな。
ドイツにはPzKpFw、NbFzという名の多砲塔戦車があったけどね。
あと日本の100トン戦車とか、イギリスのビッカースインディペンデントとか。
(結構あるな。)いずれも試作程度。ある程度台数が実戦参加したのはやはりT-35くらい。
#right(){(32:803)}

**2次大戦の頃の戦車の前部装甲の所に機関銃が付いていましたがかなり役に立ったのですか?
かなり役に立ったと思いますよ。
特に、ロクな携帯対戦車兵器を持たない歩兵部隊を蹴散らす場合に。
機関銃の乱射+接近する戦車の車体が発する圧迫感で、オーバーラン。
砲弾を使わんでも、十分に歩兵部隊の組織的な防衛力を奪えたでしょう。
#right(){(34:831)}
>戦後廃れたのはなぜ?防御上、問題あるから
#right(){(34:837)}

**第二次世界大戦中の戦車には冷房はついていたのでしょうか?
第2次大戦当時の戦車には冷暖房装置は一切付いていませんでした。
だもので、ドイツ軍戦車を例に挙げればアフリカでは車内気温が50度
以上となりました(当時の写真でも、操縦手以外は車外に出ている)
逆に東部戦線では零下40度にもなり、素手で機器を触ると皮膚がくっついて
はがれてしまう位寒く、起動の際はエンジンを火であぶらなくてはなりませんでした。

又、フェルディナント(エレファント)自走砲の様に電動モータで動く車両は
モータの熱が車内に篭ってやたらと暑かったそうです。
#right(){(35:名無し四頭陸士)}

**2次大戦中で戦闘中に行動不能になった戦車の戦車兵は、すぐに乗り捨てて逃げたのですか?
状況による。中で戦いつづけたことも在るそうだし。
でも、一般的には脱出する場合のほうが多いと思う。
#right(){(36:大渦よりの来訪者 ◆Bzr3neko)}

**M4の主砲である76ミリ砲は鉄鋼弾では75ミリ砲よりもすぐれたものだが、榴弾を撃つときにはその逆だったと以前読んだ事があります。
>何かワケがあるのですか?
×鉄鋼弾 ○徹甲弾
簡単に言うと砲の口径が大きくなっても中に入ってる炸薬の量が少なければ、
威力は小さいということです。
>で、どうしてそういう設計になったのですか?
設計の理由ですが、単純に言うと対戦車能力を重視したということです。
そして対応ですが、当時は75mmの貫徹力のなさが緊急の問題でして、問題とされた76mmの榴弾威力の少なさは
目をつぶることになりました。
ただ現場では炸薬量の多い75mmが歩兵支援用に好まれたので、76mm砲型に生産の主力が移行してからも
並行して生産されました。
あとさらに榴弾の威力の高い105mm砲型も生産されてます。
砲を改良せずに用途によって使い分けたということです。
#right(){(36:バッチ3)}

**T-34、JS-2等の車体横によく付いている横長のホームベースみたいな形をしたあれは一体何なんですか?
のこぎり・・・の事を言っていると推定。
日本ではあの形ののこぎりを大鋸というのだが、電動工具の普及ですたれた。
WW2の車外装備でのこぎりを積んでるのはソ連くらいしか知らないな。
現用だと結構積んでる車体が多い。
#right(){(36:620)}

**T-34の34って、どう言う意味ですか?
T-34は、T-34の設計者コーキシンがソ連戦車部隊の増強が布告された1934年を記念して
「T-34」と名付けてもらえるよう主張したのでT-34となった。

つまりT-34の34は1934年の34。
#right(){(40:556)}

**WW2戦車の装甲板の話によく「ヤスリで削れるか?」という話が出てきますがヤスリって侵炭硬化処理とかされてるんですか?
別に脆くても問題ないんですから、最初から高炭素鋼を使って
芯まで焼いてます。戦車の装甲板よりは「硬い」でしょう。
#right(){(41:764)}

**T-34/76も砲の種類がいくつかあるような気がするんですが・・・??
T-34/76の主砲はL-11,F-32,F-34とあり、ほとんどがF-34搭載です。
F-34で使われた徹甲弾BR-350A、APDS弾BR-350P、榴弾F-354,OF-350をチェックした所、
76mmカノンUSV及びZIS-3(コレ辺りがラッチェ・ブム?)で使われていました。
#right(){(42:バッチ3)}

**Nahuel DL43 アルゼンチン中戦車ナフェル1943ってどんな戦車かご存知ありませんか。
Nahuelは、4人乗り75m砲搭載の中戦車で、16両生産されています。
その後、M4など米軍の装備を供与されたのでこれ以上の発展はありませんでしたが。
#right(){(44:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**第2次大戦時の二人用砲塔を載せた戦車について、砲塔内の乗員の役割分担はどうなっていたのでしょうか?
弾が片手で扱える大きさの奴だと、戦車長+砲手兼装填手が多い。
T-34は戦車長兼砲手+装填手。
#right(){(44:63)} 

**三式戦車対シャーマン戦の予測では60メートルでないとシャーマンが倒せないとされたものを読みました。
>となると一式砲戦車対シャーマン戦で一式が善戦したらしいという記録が怪しくなるのですが、どちらの信憑性が高いでしょう?
一式砲戦車の戦果は主に防御戦闘時の側射陣地からの射撃による
斜射側射は防御火力を編成する上での基本で、敵戦車の攻撃方向を至当に見積り、
障害と連携して周到な対戦車火力を編成した日本軍の対戦車戦法が
間違ってなかったことを証明している
一式砲戦車は当時の日本陸軍の保有する最強の対装甲火器であり、善戦したのは間違いないが、
虎や豹のようにM4を嬲り殺していたわけではない
#right(){(45:389)}

**M3軽戦車って、実戦配備時に車体が延長されたって本当ですか?
エンジンの違いによって車体が変わってるのは確かです。
#right(){(45:901)}

**T-34-85と、M4シャーマンは、朝鮮では互角だったって本当ですか?
カタログデータだけでなく、総合能力で見比べてください。というかシャーマンだって改良されてるんです。
あと錬度と運用が違います。
#right(){(45:901)}
朝鮮戦争当時のシャーマンはM4A3E8、いわゆるイージーエイトと呼ばれる
最強級のシャーマンであったのも理由の一つだが。
56口径の長砲身、一枚板の前面装甲板、湿式弾庫、幅広キャタピラの採用等々。

4号H型で75mm48口径、パンサーで75mm70口径。アメちゃんはタングステン弾芯の
徹甲弾を多量に持っていた。一概に口径で威力を比較できないが、まあWW2のシャーマンよりは強かったのは確か。

あと、手に負えないヤツが出てきたらパーシングやセンチュリオンの支援も受けられたしね。
#right(){(45:916)}

**M4ってM4A6まであるけど違いは?
M4…溶接車体、鋳造砲塔、M3 75mm砲またはM1A1/A2 76mm砲装備、
    エンジンはコンチネンタルR-975空冷9気筒
M4A1…鋳造車体採用、M3 75mm砲またはM1A1/A1C/A2 76mm砲装備、
     なお、76mm砲塔はT23と同型式。
M4A2…溶接車体、鋳造砲塔採用、M3 75mm砲装備またはM1A1C/A2 76mm砲装備、
     エンジンはGM6046水冷12気筒ディーゼル。
M4A3…溶接車体、鋳造砲塔採用、M3 75mm砲装備、またはM1A1/A1C/A2 76mm砲
     装備、エンジンはフォードV8水冷8気筒ガソリン
     後期車体には湿式弾庫を装備した。
M4A4…エンジンにクライスラー・マルチバンク水冷30気筒ガソリンを採用。
M4A6…兵器廠製RD-1820星型9気筒ディーゼル搭載。

なお、M4A3、M4A4には105mm榴弾砲搭載型もあります。
#right(){(47:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
M4に76mm型はないです。(計画のみ)あと76mm型全ては湿式で後期型車体ですし、後期型車体でも105mm型は乾式です。
あと後期型車体を採用したのはM4(105・75ハイブリッド、ただし乾式)、M4A2(75後期、ただし乾式・76)、
M4A3(75後期・76・105)、M4A6(ハイブリッド、ただし乾式)です。
それと105mm砲型はM4とM4A3です。M4A4とM4A6は75mm型のみ。
欠番のM4A5はカナダのラム戦車です。
#right(){(47:バッチ3)}

**二次大戦中イギリスが、アメリカからもらった空挺戦車つかったってきいたような
テトラーク空挺戦車は英オリジナル、ノルマンディでも投入されてますが
投入数も微々たるもんです。
#right(){(47:404)}

**第2次世界大戦の頃の「戦車による対戦車攻撃」の理想交戦距離どれぐらいなんでしょうか。
一例としてティーガーⅠの交戦距離を挙げておきます。
徹甲榴弾39は2000mまで、徹甲榴弾40は1500mまでの距離で敵戦車が撃破可能ですが、
T-34と戦闘する場合500m~800mで戦うように推奨されていました。(もちろん”食事時”の角度で)
(以上”ティーガーフィーベル”より)
#right(){(48:名無し軍曹)}
**WW2の戦車の原因別損失内訳を教えて下さい。
>東部戦線のは「クルスクのパンター」にありましたが。
希望と違うとは思うが、関係資料提供 
連合軍戦車損害内訳 

まず全域(太平洋・アフリカ等含む) 
1)迫撃砲その他 6.0% 
2)成型弾    7.5% 
3)対敵行動以外 13% 
4)地雷     20%  
5)砲撃    53.5% 
具体的にどの兵器が何に区分されているかは不明 

後、戦車及び対戦車砲による連合国戦車の損害率は 
1)西欧戦線 50% 
2)北アフリカ 80% 
3)イタリア 45% 
4)太平洋 35% 
#right(){(102:13)}
**ここのサイトのM3軽戦車の貫通力の部分って正確ですか? 
>http://www.luzinde.com/meisaku/tanks/chi-ha.html
>37mmなのに九七式改の47mmよりも貫通力が高くなっているのですが、そんなもんなのでしょうか? 

そんなものだと思うぞ。 
3.7cm砲L50(垂直装甲板に対する貫通力) 
射程距離 25 100 250 500 750 1000 1500 
APC 63 58 54 46 33 31 16 
APCR 98 89 78 57 35 13 
垂直から30度傾斜した装甲板に対する貫通力 
APC 54 50 47 40 29 27 13 
APCR 85 77 67 49 31 11 

そのサイトに日本の47mmもあるぞ。 
ttp://gva.freeweb.hu/weapons/japan_guns3.html 

米の37mmが457m、30度で53mmの貫通に対して、日本の47mmは同じ条件で51mmとなってる。 
被帽のあるなしで、初速は似たようなものでも弾着速度が変わってくるんだろうな。 
#right(){(472:63)}

**T-34にはハッチを内側からロックする仕組みはなかったんでしょうか。
たいていの戦車のハッチには、内側からロックできるようになっている。
ただ、戦闘時には視界確保や脱出等の為に、ロックをしていないことが多い。 
#right(){(俺43:35)}

**現役の戦車で最古参は何でしょうか。どこが運用していますか。
>また、T34とM4が現役に就いている国(組織)はどこでしょうか。何台くらいあるのでしょう?ご存じの方、ぜひお教えください。
確かユーゴスラヴィアで
T-34/85が稼動している所をテレビで見た。
50輌現役とか
#right(){(11:307)}
最古参は、M24軽戦車とT34/85中戦車でしょうね。(ともに1943年)
三年前の記憶ですが、M24はどこかで近代化改修をしていたかと。
(うろ覚え、フォローよろしく)

T34/85は共産圏諸国では予備役として長期保管の対象になっていましたから、
アルバニアとかの貧乏な旧共産圏諸国ではまだ現役かもしれません。
流石に、最近ではT54/55といったものが出回っていますが…。

M4はイスラエルで近代化改修型が近年まで現役でしたが、老朽化によって退役
したはず、南米もかなり退役していて、あとはパラグアイかボリビアかウルグアイ
辺りで予備兵器として使用されていたかな、と言うくらいです。 
#right(){(11:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)}
**M4戦車の開発当初、モックアップ審査の時点でキューポラが廃止されたと聞きました。理由は何だったのでしょうか
>車長に全周視界を与えるよりも、何を優先したのか知りたいです。
車高が高くなりすぎるから。
M3リーがそうであったようにM4(の試作型)も背が高く、キューポラ付けると
更に背が高くなるのでやめた。

M3リーは供与する為にイギリスに見せたら
「こんな背の高い戦車じゃいい的になる。車体は仕方ないにしても砲塔はもっと
 低くしてくれ」
なんて言われて平べったい別砲塔型(これが”グラント”中戦車)を作ったぐらいで、
このグラント用砲塔には当然ながらキューポラはついてない。
それで問題になったという話もなかったのでそのままキューポラ無しになった。

あと、アメリカ軍がシャーマンに求めたのはあくまで「歩兵支援戦車」だったので、
「全周視界が無くて不便」という局面を想定できなかったというのがある。

ついでに言うと「うちらの戦車は車高があまりにも高すぎる」というのはアメリカ軍は
密かにかなり気にしていたらしく、結局没になったT20やT23といった
”シャーマンに替わる筈だった”戦車たちは限界まで車体が低い設計ばかりになっている。
#right(){(350:701)}
**M4シャーマン中戦車について
>ドイツ戦車のトチ狂った火力などに苦戦したM4シャーマン中戦車は、現地で土嚢を積んだり撃破された戦車の装甲板を切り取って
>溶接したりしたそうですが、それらの応急処置的増加装甲はどれほどの効果があったのでしょうか?
土嚢は重たくて足回りに不具合が出る割に効果がほとんどなかった。 
パンツァーファウストのような成形炸薬相手にはそこそこの防御力を示したが、 
デメリットの方がはるかに大きかった(なのでパットン将軍は禁止令を出している)。 
切り取った装甲板の防御力はその切り取って貼り付けた装甲の厚さによる。 
でも、88mmを相手にするとあまり意味がなかった。 

あと、M4は車体の弾薬庫部分に四角い増加装甲を貼る事が現場レベルではなく野戦修理所 
レベルで行われたが、これは防御力はほとんど増さない割りに「ここが弱点です」と丁寧に 
教えてるようなものなので、逆効果となった。 
しかし、この用にあまり意味はなくとも戦車兵達は「気分だけでもやらんよりマシだ」と 
規定無視でありとあらゆる「増加装甲」を自分の戦車に乗っけまくっていた。 
#right(){(520:695)}

**M4シャーマン戦車は失敗作だったのですか?
>大戦中の米陸軍のM4シャーマン戦車は戦争への備えを怠っていた米陸軍のために、あのようなドイツの戦車には敵わない
>ような失敗作になったという話を聞いたのですが、本当に失敗作だったのですか? 
その前のM2、M3のコンポーネントを流用して、手早く敵であるIII号、
IV号戦車に対抗できる戦車を短期に大量生産できたという点では評価できる。 

問題なのは、AGF(陸軍地上軍管理本部・・・陸軍航空軍が別にあるのでわざわざ地上軍と付く)が
M4シャーマン程度の性能でドイツ戦車に 
十分対抗できると信じ込んで、より強力な90mm砲搭載のT25やT26(後のM26)の配備を妨害したこと。
またシャーマンも90mm砲を搭載できる 
車格なのだが、75mm砲や76mm砲で十分、と考えていたので、いざノルマンディーに上陸してみたら
パンターと正面きって戦えないことが判明。 
「対戦車戦闘用としては」失敗作になってしまった。 
なお同じシャーシのM10やM36を見てわかるように、水冷V8やツインディーゼルを搭載した型なら
車高を下げることもできたが、互換性や車内の広さを優先したのかそのまんま。 
#right{(542:850)}
**KV-85ですが、トランスミッションの不具合を克服しかつ、高出力のエンジンを装備できていれば、T-34よりも有用な主力戦車になりえたんでしょうか? 
まず、KV-85はJS1開発までの繋ぎなので、優秀な主力戦車になどならない。 
もう一つ、KV-85のベースはKV-1Sであり、同車はKVシリーズの本格運用開始以来、欠陥 
があると判っていたトランスミッションの改良を実施済みなのね。 

T34M計画を知ったコーチン技師は、同時期、KVシリーズの生産継続を賭けた改良を要求されて 
いたのだけれど、一方、中戦車と重戦車の両方の良いとこ取りをした新型戦車を作れば、T34の方 
を生産中止に追いやって、自分の新型戦車が主力になると言う、プラス思考でKV-13を開発した。 

高速化は出来たけど、不整地走破性能が落ちた上に、トランスミッションはまったく改良していな 
かったので保険として並行開発していたのがKV-1Sが開発された。 
で、ティーガー1に対抗すべく、T-34Mは取りやめ、重戦車もJSシリーズの開発に入っている。 

良く病的なドイツ戦車ガソリンエンジン擁護ヲタがデマを流しているけれど、大戦中期以降、ソ連重戦車 
が40t代で開発されたのは良いエンジンが無いからではなく、それ以上重く作ると路面や橋を壊して 
しまうから、と言うだけの話だったりする。ソ連工兵の架設橋の限界もその辺りだったようだ。 
ドイツは国内の主だった橋の荷重限界が24tで、潜水装備をつけることを前提でそれにより重い戦車を 
作ることにしたんだけど、実はこの潜水のための装備やエンジンデッキのレイアウトが意外と嵩張り、 
余計に巨大になってしまっている。そんだけの話だったりする。

仮にもっと軽量高出力なエンジンがあっても、ソ連重戦車はあの大きさで設計されることになってたのね。 
KVの欠点として、機動性の低さは問題視されていたけど、もう一つ、橋や路肩を壊して後続車の通行を 
妨げるってのも問題視されてたんで、仮に高速と重装甲を実現出来るエンジンがあっても、当座は40t 
代で設計することになった訳ですよ。 

JS3がJS2より車体を小さくしたのは、パンターを分析した結果「側面投影面積が大きすぎて撃たれ 
弱い」と判断されたから、逆を目指しただけ。 
そのため、エアフィルターをエンジン上から横に移動したり、車体高を低くする努力をしたんだけど、その 
ために設計したエンジンマウントのトラブルが続いたために、大戦に間に合わなくなっている。 

一応、より強力なドイツ戦車の登場を予測して、より強力なエンジンを搭載して、重武装・重装甲の 
戦車としてJS4を開発したんだけど、こちらはゆっくり時間をかけて開発して良いとされていたらしく 
大戦には間に合っていない。 

けど、やはり予想されていたことだけれど、重過ぎて扱い難かったらしい。 
それと、強力なエンジンは冷却器駆動のためのパワーロスが大きいと言うことが判明し、意外と当時の 
技術では「強力なエンジンがあっても駄目」ってな感じでJS3の再生産が始まっている。
#right(){(553:542,545)}
**イギリスはなぜ戦車の事を「巡航戦車」と呼んでたのですか? 
まあ、第1次世界大戦の戦訓から出来た発想です。 
歩兵と一緒に塹壕を突破するのが歩兵戦車。 その後、高速で逃げ惑う敵を追撃して後方で 
敵戦力が再編されるのを防いだり、塹壕の後方にある敵の要所を素早く制圧するのが巡航戦車です。 

その前の時代、各国とも世界恐慌で機甲戦力の運用法の研究がストップ。(ソ連も大粛清) 
で、各国ともかなり珍妙な運用法を考えている。 

で、イギリスの運用思想はアメリカの次くらいに変だが、実は第二次世界大戦の開戦前、 
重装甲の巡航戦車を作れば非常に具合が良いと気付いて「重巡航戦車」と言うのを構想する。 
構想どおり完成していれば、歩兵戦車との二本立てはやめたかも知れないが。 
・金が無くてなかなか着手できなかった。 
・メーカーに対して、防御性能は垂直鋼板を基準に指定していたが、傾斜装甲を採用していれば 
 要求仕様より薄板を採用してよいと許可していた。 
 メーカーとしては、なるべく軽くした方が機動性の要求を満たしやすいので、どんどん傾斜 
 装甲の薄板を採用し、試験中、軍が「これじゃ駄目」と思った時にはドイツとの開戦間近で 
 設計変更してられ無かった。 
・強力なエンジンが必要なので、航空機用のマーリンをベースに無過給・耐久性向上をはかった 
 ミーティアエンジンの開発に入ったが、航空用の引き合いで開発が進まず、なかなか良い 
 エンジンが手に入らなかった。 

と言った具合で、実はクルセイダーなども重巡航戦車として開発したんだけど。 
一応、世間的に重巡航戦車らしく出来上がっているのはセンチュリオンから。 
(アフリカの戦訓でかなり重装甲になっているが、昔カスミンがほざいていたように、歩兵戦車と 
巡航戦車を統合したのではなく、戦前からあった重巡航戦車の構想に沿って作っている。) 

ちなみにイギリスは戦後は中戦車を砲戦車、重戦車を重砲戦車と呼んでおり、これまた戦車の分類 
は独自路線を走っている。 (日本の戦中の砲戦車とは意味合いが違う。) 
#right(){(557:221)}
**第二次世界大戦の戦車は移動用の履帯と戦闘用の履帯を使い分けてたのはなぜでしょうか? 
使い分けてたのは、ドイツのタイガー戦車くらい。 
理由は、鉄道で運ぶのにトンネルを通過できないので、一番外側の転輪と
2番目の転輪をはずしてさらにフェンダーをはずし輸送用の履帯をはめた。 
#right(){(560:808)}
**Panzerという雑誌には三号戦車とチハ改の性能は、ほぼ同等とありました。 
>チハ改はM4に全く歯が立たなかったわけですから、アフリカ戦線での3号戦車はM4にボロ負けしたんですか? 
III号でも、J型後期以降の60口径50mm砲のやつだと、戦力的に新砲塔チハより全然上。 
M4相手だと有効射程内なら互いに撃破可能。なお、ずっと後のドイツ本国の戦いでも、 
訓練用になっていたのを引っ張り出したIII号戦車でのM4撃破記録がある。 

北アフリカ戦線で英軍に供与されてデビューした当初のM4(イギリスが使ったんで 
M4 ではなく シャーマンMk.* だけど)は当時としては厚い装甲と75mm砲の 
威力でドイツ軍相手に絶対的な強さを示した。 
数が少なかったので一方的に戦局を変えるまでには至らなかったが。 

この前に供与されたM3(イギリス軍は砲塔を独自の型にして グラントMk.*と 
いう名前で使用)と合わせ、アメリカの供与した75mm砲搭載車両はドイツの脅威と 
なった。 
これに対抗するためドイツ軍はIV号戦車の主砲を75mm長砲身対戦車砲に載せ変えた 
IV号戦車長砲身型「マーク4スペシャル」(イギリス軍の呼び名)を急遽開発して 
対抗したが、これも数が少なく用兵側の要求量に供給がちっとも追いつかないままに 
終わった。 

アメリカ軍はM4のこの開発に「うちらの戦車もやるもんだ。ドイツ軍恐れるに 
足らず」とすっかり調子に乗り、本格的に参戦した後の北アフリカ戦線で苦労した。 

何せその時にはドイツ軍にはかの「タイガー」重戦車が数は少ないながらも配備され 
てたので。
#right(){(566:302,306)}
**ソ連軍の戦車は頑丈で信頼性が高かったと聞きました
機構が単純だった、部品点数が少なかったのが一番だろうな.

ちなみにT34の作りが単純な理由。
・航空機用に研究していたディーゼルエンジンを戦車に転用することにした。結果的にの点火系統が不要になり燃料火災にも頓着しなくなった。
・クリスティー戦車から発展した結果、後方駆動が継承され、エンジンや変速機、操向装置が車体後方にまとめられているのですっきりしている。
一方で脱輪しやすい起動輪も最後まで継承していたりする。
・その理由。根本的に1930年代に開発された古い戦車であり、配備中にドイツの侵略を受けて防衛戦から反撃に転じた経緯がある。
数的な不足を克服し、逆に攻勢に転じるために生産を阻害するようなマイナーチェンジはしない方針を選択した。
ちなみに信頼性を向上させるマイナーチェンジや火力や装甲の強化は度々したが、殊更に複雑なシステムの組み込みは避けた。
・工業製品としての精度は大戦前半の工場疎開期は極めて低い。
 それ以降は5カ年計画の進行の成果とアメリカ製工作機械のレンドリースが相まって意外に良い。
・信頼性は鉄道と道路事情の悪さを鑑み、必要な戦線に必要なタイミングで必着するために重視された。
逆に、特に前線の将兵が信頼性や不整地走破性能の低い軽戦車や重戦車は不要と主張することがあった。
・特にソ連の気候に言及するなら、深雪と泥寧期に着目して接地圧を低減させたり、航続距離は重視している。
 が、そのために凝ったことはしないと言うような話は無いと思う。
例えばクリスティー式サスペンションよりトーションバーサスペンションの方が泥の凍結には強い。
つまり凝ったことをした方がソ連の気候に合う部分もあるんだが、上に挙げたような理由で採用していない。
>ソ連軍の戦車は頑丈で信頼性が高かった
そもそも間違っているが。
T34・KVとも変速機故障が多く、T34はマイナーチェンジした結果信頼性を確保する。
が、T44は再び信頼性を落としている。
重戦車はKV-1Sでの軽量化やJS系列の小型に抑える形態(装甲を内側に向けて
厚くする)など繰り返して信頼性を確保している。

「ドイツと比較して」と言うことなら、ドイツ側のアニマルタンクの過大な
重量、非鉄金属の不足、パンターのシングルラディアス式操向装置が駆動系
に負荷をかけるなどドイツ側の信頼性の低さが”ちと酷過ぎる”だけ。
#right(){(341:597-619)}
**M3グラント戦車はアフリカ戦線では「砂漠の救世主」と称えられてドイツ軍を圧倒したのに、逆にロシア戦線では役に立たず、
>「7人兄弟用棺桶」と陰口をたたかれました。しかし、両戦線でグラント戦車が使用された時のドイツ軍主力戦車は、同じ3号戦車だったはずです。 
>M3は対峙した相手が同じ戦車なのに、どうしてこんなに評価に差が出てしまったんですか? 
北アフリカでは、当時榴弾の支給されてなかった2ポンド戦車砲ではドイツ軍の対戦車砲に対し有効な反撃ができず、
大きな損害を出していた。 
M3中戦車は75mmの榴弾が使えたので、ようやく対戦車砲に対し有効な反撃ができたので、その点で好評だった。 
しかし東部戦線に現れた1942年半ば頃では、ドイツ戦車の火力が向上していたこともあり、北アフリカほど優位に戦えなかった。 
#right(){(572:290)}
**「榴弾の撃てない初期のイギリス戦車」という記述を見つけたのですが、これは日本軍のチハ並の大失敗だったという理解で良いでしょうか?
元々、英国の戦車の傾向として、重装甲で歩兵に随伴して榴弾を発射して、その突撃を援護する歩兵戦車と、
その戦車を援護して、対戦車戦闘に特化した巡航戦車の2種類に、1936年に分けた訳で。
また、費用的な問題、兵科の対立などから両方の任務に就けるような戦車が開発出来なかったと言う面もあり
ます。

とは言え、同じ車体を用いて、榴弾を撃てる近接支援用の戦車を生産、配備していますので、大失敗とまで
言えないのではないか、と思いますが、この辺は主観問題。
#right(){(340:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**第二次大戦中のイタリア戦車もディーゼルエンジンを搭載してましたが当時の日本の戦車用ディーゼルエンジンとは性能的に比べるとどうなのでしょうか?
イタリアの戦車用ディーゼルエンジンは、水冷のオーソドックスなものですので、
日本の空冷で貧弱な馬力のものとは全然違います。
記憶モードなので恐縮ですが、幾らかはソ連の戦車用エンジン開発にも影響を
与えた筈です。
#right(){(340:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**レアメタルをふんだんに使えた連合軍の戦車はタングステン弾芯の徹甲弾も一台あたり何発も使えたのでしょうか?
「スープアップ」と呼ばれたM4シャーマン用のM93HVAPは1輌あたりの割り当てが
5発かそこらだったはずですよ。

T34-85の場合…。
85mm砲の弾薬定数は55発ですが、その内訳は榴弾36発、徹甲弾(APHEもしくはAPBC)14発、
BR-365P(HVAP)5発となっています。HVAPの搭載は1944年2月から始まってます。

イタリア戦車はさすがにちょっと…(^^;
#right(){(339:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**騎兵戦車とはどういう物ですか? 
>イギリスで言う巡航戦車の仏的呼称程度の存在? 
騎兵科が装備するのが騎兵戦車。 
結果的に、機動性重視の設計傾向はあるが、 
イギリスの歩兵戦車・巡航戦車みたいな体系的な相互補完というよりは、 
セクショナリズムの産物。運用する兵科の違いが背景にある。
#right(){(588:816)}
**第二次大戦中、よく戦車を埋めて固定砲台として使ったという話がありますが、実際、撃つ場合は乗員はどこから乗り降りしたんでしょうか? 
戦車を埋めたのではなく、バンカーを構築してそこにスタックさせて使ったのです 
これは戦車砲を野砲とし防御陣地を構築する戦術で、駆逐戦車の正面装甲を最大限生かす方策でもありました 
バンカー後方は脱出の為スロープに成っていて陣地を放棄する際に後退しやすくしています。 
#right(){(329:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s )}
**チハ車より軽いM3軽戦車の装甲厚がチハ車を上回っているのは何故なんでしょうか?
まず、M3は砲塔前面こそ50mmもあるが、他の部分は薄い。
九七式は砲塔前面25mmに対し砲塔側面と砲塔側面は20mmであまり変わらん。

あと、砲やエンジンの重さも九七式のほうが重い。
M3のL53 37mmに対し九七式のはL18 57mmもしくはL48 47mmで大きいし、冶金技術で劣っているのでなおさら重い。
エンジンも、M3はガソリンエンジンだが九七式はディーゼルで、エンジン技術は冶金技術以上に差をつけられている。
#right(){(326:953)}
**T-34以前のソ連戦車なら日本の機甲戦力でも苦戦はしても対処はなんとか可能だったという説は?
ノモンハンでソ連BT戦車(まさにT-34以前、というか直前の戦車)を撃破した実績があること。 
97式改や1式はノモンハンの戦訓により対装甲火力を増強していること。 
以上の2点から対処が可能であったことは確実。 
もちろん「可能」と「楽勝」は違う。 
#right(){(608:773)}
**T-34とM4中戦車が戦った例はありませんか?
朝鮮戦争ではアメリカ軍のM4A3E8と北朝鮮軍のT-34/85が砲火を交えてる。 

カタログスペックではT-34/85の方が性能が上のはずだが、戦車兵の錬度と 
数の優位で米軍側が優位に戦闘を進めた。 

米軍のレポートによれば、T-34/85は車高と砲塔高が低いこともあり、砲の取れる仰俯角で 
M4に劣っていて、朝鮮の山がちで起伏の多い地形では不利だったとのこと。 
また、M4の76.2mm砲は、T-34/85を相手にしたときに攻撃力で不足を感じることはなく、 
M4の装甲がT-34/85の85mm砲に対して大きく劣っていると感じられたこともなかったとのこと。 

中東戦争でもイスラエルのM4とアラブ連合軍側(主にエジプトとシリア)のT-34/85が戦った。 
こちらでは初期型の75mm砲型のM4がほとんどであったためか「砲の威力が不足している」 
「装甲防御力が低すぎる」というレポートが出されている。 

これを受けてイスラエルではM4の76mm砲塔型の入手を急ぎ、多少装甲の厚くなった後期型の車体に 
76mm砲を積んだ型(一般的なシャーマンの型式番号で言うと、M4A1)のシャーマンに「M1 スーパー 
シャーマン」の名称を与えている(M1、の直接の由来は搭載した76mm砲の形式名) 

75mm砲塔型にフランス製の75mm長砲身砲を搭載、機関と足回りを改修した型は「M50 スーパーシャーマン」 
として制式化されている。

余談だが、朝鮮戦争でのM4A3E8 VS T-34/85 の比較レポートは自衛隊の戦車開発にも 
影響を与え、STA(後の61式戦車)の開発初期に「主砲は76.2mmで充分」という主張の 
根拠になった。 

結局この主張は退けられたが・・・。
#right(){(609:499)}
**WW2のころは指揮官用の戦車ってあったじゃないですか 
>ダミー砲を付けたやつ 
>でもM1指揮官型って見たことないんですがなくなったんですか? 
M1戦車に指揮戦車型はありません。一応、大隊本部向けにも通常の戦車が 
大隊長車と副長車として用意されています。 

そもそもM1は戦車としては各種の改良が加えられてきているんだけども 
(105mm砲型、120mm砲型、ネットワーク対応型、都市戦対応型などなどあり)、 
戦車以外への転用としては海兵隊が作った地雷原処理戦車しかありません。 

架橋戦車や工兵作業装甲車も一応開発はしてたのだけど制式化して本格生産するには 
至らなかったようです。 

そもそも指揮戦車というのは部隊の指揮や後方との連絡のために高性能で大型の通信機を積む必要から主砲をおろしたり搭載弾薬を少なくしたもの。 
第二次大戦後にトランジスタが実用化されて通信機が小型化したためにわざわざ専用の戦車を作る必要がなくなった。 
#right(){(614:745,746)}
**ソ連軍は大戦中、他の連合軍の戦車を使用していたそうですが評判はいかがなものだったのでしょうか
「・・・操縦の訓練と戦術教習にはT-26とBT-7が使われたが、射撃訓練の方は実戦用の戦車から行なった
私たちの場合、まずはマティルダとヴァレンタイン、その後はT-34で射撃の訓練を続けた
正直なところ、私たちはみんな外国の戦車に回されることを恐れていた
マティルダもヴァレンタインもシャーマンも、みな棺桶のようだ
これらの戦車の装甲は柔軟なので
砲弾が命中した時に装甲の破片が飛び散らないというような利点もあったが※
実際のところは、一方で操縦手の席が孤立しているという問題があった
もしも砲塔が旋回している時に戦車がやられると、操縦手はもう脱出できなかった
やはり我が国の戦車が一番だ。T-34は本当にいい戦車だった」

※T-34は命中弾が貫通しなくても、衝撃で装甲が剥がれ
それが乗員に刺さり死傷するケースが多かった

戦車長アレクサンドル・ブルツェフの回想より

・・・一部将校によるプロパガンダもあったが
事実、T-34は連合諸国の戦車より多くの点で優れており
赤軍戦車兵は、旧式な軽戦車に乗せられることより
M4などに乗せられることを、恐れることがあった
無論、大戦初期では整備不良なども多く、M4などは重宝されたが、すぐに需要は皆無となった
つまり、評判は悪い
#right(){(318:名無し上級大将 ◆80fYLf0UTM)}
**ソ連戦車は故障率高かったのですか?
T-34などソ連戦車は故障多いぞ。レンドリースされたバレンタインやM4シャーマンの故障の少なさに感心してる程。 
原因である工作精度の低さについては、アメリカに譲渡されアバディーンで調査されたT-34のレポートに詳しい。 
ゆえに「故障しにくい」じゃなくて「単純なんで壊れても直しやすい」ってのが正解。 
#right(){(650:642)}
**WWⅡ終盤には120mm砲をすでに装備、また17cmといった現代の主力戦車を遥かに上回る口径の砲を持った戦車がやたらと開発されていますが 
>(JS3、マウス、M103など)これが終わると、とたんに戦車砲の口径が低下しています。 
>これには何があったのでしょうか?
100mm以上の戦車砲は、当時の野砲や艦載砲を無理矢理搭載したもので 
戦車砲としては大きく嵩張る欠点がありました、従って戦車の装備としては主流たりえず 
戦車砲としては90mm砲が正式な戦後第一世代の主流になったのです 
またこれら急造戦車は実質的に対戦車戦闘に特化したもので戦車としては亜流です。 
#right(){(296:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)}
**プライベートライアンで拳銃で戦車を破壊してた?ようなのですが、なぜあの戦車は壊れたのですか? 
あの当時のドイツ戦車は空冷エンジンの吸気口に異物が飛び込むと 
故障することが多かった。特に銃弾などが間違って入り込むと、 
エンジンが即座に過加熱し、弾薬庫に引火、爆発することがあった。 
もちろんその防止のために金属製のネットは張られていたが、 
エンジンの効率が落ちるために実戦ではそれを外す戦車兵が多かった。 
なにしろ、マッチ箱ほどのスペースを狙撃できるヤツなどほとんどいないから。 
映画のあれは「キーホール」と呼ばれていたその部分に一発入ったんだろうね。 
ちなみにこの現象を連合兵士は「ドアノッカー」と呼んでいた。 
#right(){(296:901)}
**T-34は砲塔が回転すると中の人はどうなるの?
戦車の砲塔バスケット下部の旋回プラットフォームに立ってるのは装填手だけ。 
でもT-34-76では砲塔リングに付いた椅子もある。装填作業中は床下から弾薬を取り出すため降りるけど。砲手兼戦車長は座りっぱなし。 
#right(){(669:109)}
**イギリスのセントーMk.Ⅳ巡航戦車の砲塔には、定規の目盛りみたいなのが描いてありますが、何の役に立つのですか? 
上陸作戦時に使うもので、戦車が艦の甲板上から砲撃する時に砲煙で標準が定まらなくなって 
しまった時に使うものだそうです。他の艦上の戦車の目盛りを見て照準を定めるんだそうです。 
#right(){(101:270)}

これらの戦車はRMASG(英国海兵隊機甲支援グループ)と呼ばれる部隊に属し、 
戦車揚陸艇の上から陸上を砲撃するために製造されました。 
この任務のためにセントーMk.Ⅳには95mm榴弾砲が搭載されています。 

射撃指揮は搭載された戦車揚陸艇ではなく別の母艦から無線で行われました。 
つまりこの目盛りを基準にして複数の艦上の戦車がいっせいに同じ方向に砲身を 
向けることができるように工夫されていたわけです。 
#right(){(101:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
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