旧日本軍全般

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#contents ---- **夏期休暇を利用して祖父の戦歴を調査しようと思っているのですが、(488:472) >ネットで調べると各都道府県が軍歴証明書というものを発行しているようです。 >(祖父は陸軍だったことはわかっているものの、それ以外の事は親も知りません) > >そこで教えてください。 >軍歴証明書はどこの都道府県で発行してくれるのでしょうか。 >戦後(除隊した時)住んでいた県、死亡した時に住んでいた県、申請者(私)が >住んでいる県などいろいろと考えられて困っています。 徴兵事務は、通常、本人の本籍地の役所が担当しました。 したがって、まずお爺さまの本籍地の役所に問い合わせて見てください。 #right(){(488:479)} 旧軍人軍属の恩給、軍歴証明書に関する業務 http://www.mhlw.go.jp/bunya/engo/seido04/index.html #right(){(488:518)} 靖国神社【 祭神の調査 】                         (通信用語の基礎知識) 基本的には、大東亜戦争で散華された軍人はみな合祀されている。 自分の親兄弟、ないし祖父、曽祖父などが祭神であるかどうかを調べることも可能で、希望あらば 参集殿の受付へ出向き、依頼の書類を書けば、一週間程度で返事が送られてくる(無料)。 返信される書面には、次の事項が記載される。 ・ 英霊の名前(生前が山田太郎なら、英霊の名前は山田太郎命) ・ 一、階級 ・ 二、所属部隊 ・ 三、死歿年月日 ・ 四、死歿場所 ・ 五、死歿時本籍地 ・ 六、死歿時御遺族 ・ 七、合祀年月日 崇敬奉賛会(有料)に入会し、書類を書けば、豪華な装丁の「祭神之記」が送られてくる(無料)。 靖国神社 社務所(全体に関するお問い合わせ) 〒102-8246 東京都千代田区九段北3-1-1 TEL:03-3261-8326(代表) FAX:03-3261-0081(代表) #right(){(488:530)} **同期の桜って、海軍兵学校の歌ですよね?&br()陸軍の招集兵がなぜ歌っているんでしょうか?(488:501) >うちの祖父は招集兵で中国の方へ行っていたようですが、捕虜になる事もなく帰ってきました。 >それで、戦友?と飲む度に『同期の桜』を歌っているのですが >同期の桜って、海軍兵学校の歌ですよね? >陸軍の招集兵がなぜ歌っているんでしょうか? >(本人に聞くのも気がひけるので教えて下さい) 同期の桜は陸海軍問わず、歌われてます。 #right(){(488:509)} 同期の桜は編曲を海軍士官がやっただけで、陸海軍問わず流行った曲ですが。 なんか変な偏見がない? #right(){(488:513)} 『同期の桜』は、海軍の軍歌ではなく、当時の流行歌(戦時歌謡)の一つでした。 陸軍の応召兵だった方々が歌っても、何の不思議もありませんよ。 #right(){(488:515)} **旧軍の幹部候補生(乙)は一部が除隊せず軍に留まり、職業軍人になったという解釈でいいのでしょうか?(488:266) >旧軍の兵制について教えてください。 >幹部候補生(乙)Wikiを見ると >「軍曹または伍長に任官し、平時は兵役期間を終えると除隊し、予備役に編入」とあります。 > >平時では上記の一部が除隊せず軍に留まり、職業軍人になったという解釈でいいのでしょうか? >それとも常設師団の下士官には職業軍人はほとんどいなかった、という感じなのでしょうか? >平時は兵役期間を終えると除隊し、予備役に編入 本来の制度 予備役編入・除隊→在郷軍人(市民)に戻る→必要に応じ召集→下士官として軍務につく 太平洋戦争のパターン 予備役編入・除隊→即日召集→下士官として引き続き軍務につく 「予備役編入・除隊→召集」は書類上の処理だけで、実質的には同じ部隊で引き続いて軍務についてるわけ >下士官には職業軍人はほとんどいなかった 乙幹(下士官)を志願した時点で職業軍人の道を選択したことになる #right(){(488:411)}  幹部候補生ちゃあ本来は、土官学校出身の幹部と違って、 戦争中必要だが大量消費される下級指揮官(中隊長くらいまで)を大量生産 する為に作られた制度。試験等により選抜されて、甲種が少尉~ 乙種が下士官。 ぶっちゃけ、イイ人材を取り込むために軍が考え出して、それなりに昇進党優遇されてた制度。 元々は100円少尉だったっけかな・・・金持ち子弟の優遇制度だったのだが、廃止されて、 2次大戦の頃に復活した筈。  で、戦前の話だが・・・ 兵隊奴隷、下士官道楽、士官は商売と言われてた。 給料的にもそうだった。最上層の下士官は最下層の士官である新品少尉よりは給料良かったが、 兵隊出身で下士官経由で士官のそこそこになるのは、めっちゃムズイ。 少佐になったら「兵隊大将」と呼ばれるくらい稀なことだった。 新品少尉はまあ 今でいう新入社員かな。古手の準社員より時間当たり給料は少なくてもそのうち上がる。 下士官はまあ・・・農家の次男坊三男坊の重要な就職先でもあったので、 派遣社員のそこそこ専門資格持ち くらいかな。 ちなみに士官はとらば~ゆの自由が無かったが、下士官以下は任期切れたら 転職可能。(戦争中等で召集(赤紙)されたら無理だが) その代わり下士官は定年が士官に比べて早かった筈。 幹部候補生でなくても、兵隊から年月かけて下士官になるのが 平時の普通。 昇進していったら、各種学校へ半年とか派遣されて技能を覚えて、昇進していく。 で、ある程度以上有能なら、任期切れる頃には上から継続してくれって頼まれる。 #right(){(488:433,435)} **去年、硫黄島を題材にしたドラマで輸送機から竹槍が下ろされるシーンがあったようですが&br()本当に竹槍持っていったんですか?(488:163) 「竹の棒」はいろんな利用価値があるので資材として持って行った。 竹なら軽いしね。 硫黄島は植生が貧弱で建設資材にするような木がないので、そうしたものも本土からの 輸送が必要だった。 #right(){(488:166)} 硫黄島に向かう輸送船に青竹を多数積ませたのは事実です。 これは、乗船する兵士一人一人に救命胴衣を付けさせることができないので、 もし船が撃沈されたときには兵士がこの青竹を頼りに浮遊し、他の艦船から 救出してもらう確率を上げるためです。 「闘魂 硫黄島」(光人社NF文庫 堀江芳孝)の中で堀江参謀が上記の理由で 青竹を買い付ける描写があります。 #right(){(488:552:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **上等兵が下士官を殴ったのにお咎めはなかった、という事って有り得るのでしょうか(487:884) >祖父が戦争中に上等兵だかだった時に >余りに横暴な下士官(軍曹?)の仕打ちにキレてぶん殴ってしまったという話を聞きました。 >その後本人は営倉入りを覚悟したそうなのですが、何故かお咎めはなかったそうです。 >祖父は腕っ節が強かったので仕返しを恐れたのではないかと言ってましたが >仮にも階級社会の軍でこういう事って有り得るのでしょうか 何か理由があって、わざと横暴や理不尽な仕打ちをして、 部下がどう反応するか様子を見る、というのは陸軍に時々見られ、 自衛隊でも一部受け継がれているらしい証言を聞くことがある。 一種の根性試しみたいなものらしい。 それの可能性。 あるいは、単に部下に殴られたということを、上官が自分の面子を 気にして表ざたにしなかっただけという可能性もある。 (他に人間がいて、それを見ていたとかの状況では無理だが) #right(){(487:888)} 営倉とか軍法に基づいて裁くにはちゃんとした理由が必要。 なので権力に笠を着て横暴に振舞った結果がそれだと、世間体を気にして口を噤んだ可能性が大。 兵隊に舐められる(若しくは後ろ弾の可能性がある)下士官は階級社会以前に、クソの役にも立たないから。 星の数で従わせるのは士官、メンコの数で従わせるのが下士官。 #right(){(487:914)} **星の数よりメンコの数とは良く聞きますが、&br()「メンコ」とは何のことですか?(487:915) メンコの数=兵隊稼業で飯を食った数=年季 と言う解釈でおk。 #right(){(487:916)} コメの飯⇒「コ」と「メ」を入れ替えてメコ⇒語呂悪いのであいだに「ン」がはさまって「メンコ」 要するに軍隊で何回ゴハンを食ったかってこと もっとも旧軍は麦飯交じりのごはんだったけど #right(){(487:918)} ぐぐったらこういうの出てきました: http://www.geocities.jp/mor25/sikann.htm メンコとは兵食のことである。明治時代の兵食は、檜の曲げ物で作った、 「面つう」という器に盛りつけて、一人づつ配食した。 内務班で、飯を盛りつけるようになったのは、大正時代になってからである。 昔は、炊事班で一人分づつ、盛りつけたのである。 「面つう」は、元来、乞食の持つ食器であった。これがメンコ飯の由来となった。 面つうというのは「面桶(めんつう)」いわゆる「わっぱ」のことと 思われますね。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%A4&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=1&index=20228218164100 #right(){(487:990)} **大東亜戦争の時、祖父がどの部隊にいて、どんな活動をしていたのか知りたいのですが(487:736) 厚生労働省社会援護局に聞いてみ #right(){(487:742)} **ロシアのシステマ、韓国のテコンドー、のように&br()軍人はそれぞれの国に特徴のある素手格闘技も習うと思うのですが、&br()大日本帝国軍の軍人は何を習得させられていたんでしょうか?(487:554) 相撲と柔道 #right(){(487:556)} どちらかといえば銃剣術や剣道を頑張ってた。相撲とか柔道はやってたかもね #right(){(487:561)} 自衛隊は徒手空拳を頑張ってる。日本古来の体術や合気道がベースになってるみたいです。 戦前は陸軍将校が空手、柔道などを組み合わせた徒手空拳を習っていたそうです。 兵卒は「自主的に」格闘術を習っていましたが、柔道、剣道、相撲などは部隊ごとにやっていたみたいです。 ただし、実践というより「体育」「精神教育」の一貫という意味合いが強かった模様。 銃剣術、短剣格闘は頑張っていました。 #right(){(487:833)} **旧軍では酒保?で購入する時はタバコや酒の税金が免税になったと聞いた事があるのですが&br()本当でしょうか?(487:78) >もし本当なら、大量に買って市中で売りさばくなんてこともあったのでしょうか? > >(もし私の聞き間違いでしたら、ごめんなさい) 免税だったかはしらないが、基本的にツケで購入する酒保での支払い金額の 上限が設定されており、どうしても必要な日用品+αと少量の嗜好品が購入できる 金額しか枠がなかったようなので、そんな犯罪まがいのことをやるメリットがないと おもうぞ。 #right(){(487:81)} だいたいの品物が市価よりも安く買えた。 タバコなどに関しても、ただ税金を引いた額よりも安かったようです。 なので、帰郷時のお土産として酒保でタバコを買うことも少なくなかった。 #right(){(487:106)} **第2次世界大戦のバトル・オブ・ブリテンを、&br()日本軍はどのように研究、分析したのでしょうか?(486:313) >まだそのころはアメリカ、イギリスと戦争をする前だったので、 >ロンドンには駐在武官とかいたと思うのですが、 >防空体制はこう築くべきだとか、或いは逆に空爆する時はこうすべきだとか、 >バトル・オブ・ブリテンでどういう教訓を得たのでしょうか? > >もしかして、ノモンハンみたいになにもしなかったのでしょうか? 当時は防空演習も盛んに行われており、防空や対空についての関心は高く、 政府機関からも国民向けに様々な情報提供を行っています。 1940年10月には、ロンドン空襲について爆撃痕などの写真が掲載されると共に、 日本の都市が空爆されたらと言うシミュレーションが国民向けに宣伝されています。 例えば、敵の250kg爆弾が百貨店の一角と路面電車の正面道路上に命中した場合、 百貨店は滅茶苦茶に破壊され、自動車は百貨店4階まで吹き上げられ、水道管、ガス管、 通信線も破壊され、百貨店内並びに道路上の人々も無残な死を遂げると言う結論が出て います。 一方で、焼夷弾による火災は軽視し、10kg級油脂焼夷弾については、消防ポンプを使わずに、 バケツリレーで消火すると言う楽観的な見通しが考えられています。 で、その結果として空襲対策には防空壕を建設すべしと言う結論に持って行っています。 空襲を阻止すると言う点においては、「そうむざむざと、我が国上を敵機の蹂躙に任す様な事は 無い」としながらも、各都市の空襲の例を見ると、「侵入する敵機を全部捕捉撃滅することは不可能」 であるとし、普段の防空訓練と、「我が国土は我が手で護るという決意」が大切であると言う精神論に なっています。 1938年当時は、国民の安全を考え、空襲時の避難方法とか毒ガスから身を守る方法が考えられて いましたが、1941年になると、空襲から逃げずに消火活動をせよ、防空壕は身を潜める場所ではなく、 積極的な防護活動をするための待機所である、となっています。 因みに、この方針転換は、1941年11月の防空法第一次改正から行われたもので、BoBやモスクワ空襲など の影響も如実に受けていると言えるでしょう。 また、従来は毒ガス弾対策が考えられていましたが、欧州の空襲ではその様なものが使われなかった事から、 焼夷弾対策に重点を移しているのも特徴です。 #right(){(486:534:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **昭和17年は戦況が悪化してきたとはいえ、虚弱な兵隊を徴兵しなくてはならないほど、兵隊の数合わせに困っていたのでしょうか?(485:910) >日本軍の徴兵関係に詳しい方お願いいたします。 >亡くなった母方の祖父は徴兵検査を丙種合格?というギリギリで通った虚弱にもかかわらず、 >昭和17年に徴兵されて日本と中国の間を往復していた艦船(輸送船でしょうか?)に上等兵(衛生兵) >として勤務していたと聞きました。 >昭和17年は戦況が悪化してきたとはいえ、そんな虚弱な兵隊を徴兵しなくてはならないほど、 >兵隊の数合わせに困っていたのでしょうか? >素人の質問にお答えいただければ幸いです。 平時には25%ぐらいしか徴兵されないわけですが、戦況が悪化してくると、 男という男が徴兵されるようになりました。俗にいう根こそぎ動員です。 #right(){(485:914)} 衛生兵なら医者かもしくは、日赤の社員とかが家族にいませんでしたでしょうか? 当時、軍医が払底していました。 よって、医療現場に関係する人間であれば、結構な確率で徴兵に引っかかります。 #right(){(485:970:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **戦前の南洋行政(戦中も)について、書いてある本を知りたいんですが(485:596) >それについて適切な書はありますか? 統治そのものであれば、戦前の朝日年鑑を漁るのが一番です。 古い本であれば、国会図書館か琉球大学にある、矢内原忠雄著『南洋群島の研究』(1935年刊:岩波書店)が 最も詳しいか、と。 統治状況ならば、神山晃令氏の論文「日本の国際連盟脱退と南洋群島委任統治」 (近代外交史研究会『変動期の日本外交と軍事』(1987年、原書房刊)所収) くらいかなぁ。 最近の状況は判らないので、もしかしたら、新しく研究本が出ているかも知れませんが。 #right(){(485:623:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **何で、明治政府は作ったばかりの兵部省をすぐに潰して、陸軍省・海軍省の2つに分けたんですか?(485:531) >また、大正の軍縮期などに、重複する陸軍省・海軍省の軍政部門の統一を図ろうと >しなかったんですか? > >思うに、兵部省の解体を行ったから、軍の不統一→昭和の悲劇を招いたように思え >てなりませんが・・・・・ 現代のカナダ軍の例にもあるように、統一するのが難しいからだろう… 陸海の上に統合した組織を作るのはありだろうが、 そういうのは(組織というか部署というか)確か、ちゃんとあったような? 詳しくないが。 でもって、その上でやはり軍政が分裂してしまっているというのは他国でも結構例があるが。 #right(){(485:533)} 薩摩閥と長州閥からのリクエストのため。 明治、大正期の軍部は維新の元勲を多数出してるこの 2つの派閥のバランスに苦労してたんだよ。 #right(){(485:534)} 「お雇い外国人」的なタイトルのが中公新書にあるから読んでみ つまりは制度も西欧から輸入、輸入先の先進国から来た顧問外国人たちがそれぞれの国家利権のために 統合不能なぐらい違った文化をつくっちまった #right(){(485:535)} 少なくとも、兵部省の解体と軍の不統一は大して関係あるとは思えない。 当時の世界を見れば、国防省のように軍事関係の省が一つだけなんて国の方が少なく、 陸海(空)軍でそれぞれ部署を持ってる方が多かった。 それに、たとえ軍政面で一つの省でもその下の陸海軍の部署で反発がある事は容易に 想像がつく。 余談だけど、アメリカは未だに陸海空軍省がそれぞれあって、その上に国防総省が あるという形になってる。省内省だな。 #right(){(485:537)} 元々が軍閥の集合体みたいな政権だったから、軍政部門の統一ポストに誰が就くかでもめまくった。 だから、揉め事を避ける為に敢えて設けなかった。 病巣は早めに取り除くべきだったのは言うまでもないが。 #right(){(485:543)} **1943年に医学部生だった場合、学徒出陣の対象になったのでしょうか?(484:616) 学徒出陣はないが、卒業繰り上げで、 軍医見習いとして召集される可能性がある。 #right(){(484:629)} **旧日本軍の徴兵検査では肛門に指突っ込んで痔の検査をしたとの事ですが、痔の有無ってそんなに重要だったのでしょうか? 痔は治りにくいし酷くなると歩くこともできないくらいの苦痛になる。 兵隊は歩くのが仕事だし、戦場は痔持ちに優しい環境ではない。 戦場で行軍も戦闘もできなくなるような爆弾を抱えている人間は採らないってことだね。 ググってみたら徳川の家臣の榊原康勝が、大阪夏の陣の直後に痔で死んでるそうだ。 戦場で痔が破れて鞍が血まみれになるまで馬に乗り続けたのが原因らしい。 #right(){(376:57)} **第二次大戦中の日本軍はさまざまな分野で技術的に後れを取っていたそうですが光学機器の分野もそうなのでしょうか?(479:454) 比較的ましだったが、ドイツとかに比べるとかなり劣る。 米軍機に積んであった照準器とかも複製不可 #right(){(479:455)} ましっていうか、数少ない割とまともな分野の一つだっただろう。 あとドイツと比べるのは間違ってるw #right(){(479:456)} シュミットカメラの技術が無いので、f値の明るい偵察機用カメラが作れなかった フィルムの感度が低い当時では大変なハンデだった。 #right(){(479:457)} 光学機器に関しては当時のドイツは世界を圧してるからなー。 今でも一、二を争う。 #right(){(479:458)} **日本軍の装備について質問したいのですが、足にくるくる巻いてる布みたいな奴ってなんか意味があるんでしょうか?(480:507) >名称とかはあるんでしょうか 教えて下さい ゲートル 行軍時の足の保護むくみ予防などの為の物、別に軍だけの装備ではない、 きゃはんなど昔からある旅支度のひとつ。 #right(){(480:508)} ゲートル。疲労防止が目的。本来なら足にピッタリなオーダーメイドブーツにしたいんだが、日本は貧乏なので布切れでがまんした #right(){(480:509)} 巻脚絆(まききゃはん、なまって「まっきゃはん」とか)とも言うね。 #right(){(480:510)} **旧軍の陸軍省や海軍省では毎年の予算編成ではそこの文官が対応してたのでしょうか?(480:622) >個人のイメージとしてサーベル下げた軍人が大蔵省の役人に頭をヘコヘコ下げてお願いしてるのは想像できん >のですが。やはり陸軍省や海軍省付きの文官がやってた? 当然、それなりの折衝はあったようだが、今と違って、軍事費に対して寛容だった風潮が、他部門の官僚や世論にも あったんで、軍人がひたすら頭を下げて…ってイメージとは少し違ったようだ。 特に、建造費はかかるが、完成予定のスペックは秘匿したい…なんて戦艦クラスの予算編成についても、色々と 融通は利かせてくれたらしい。 #right(){(480:630)} **旧日本軍で、従軍記章というものは、従軍しさえすれば誰でももらえるものだったんですか? (480:823) それだけでなく、関係が有れば、後方の補給関係の人ももらえた。 ちなみに太平洋戦争の従軍記章は、配布される前に終戦になったので、 誰も持ってない。 #right(){(480:827)} **昭和六年乃至九年事変従軍記章は、上海事変に従軍していればもらえるはずですよね?上海事変にいったはずの祖父の写真には、支那事変従軍記章しか佩用してませんでした。 (481:584) 第2次上海事変以降の関係者なら、支那事変従軍記章しか貰ってないはずだが。 #right(){(481:585)} **戦時下の日本では戦死や空襲などの損害も補償されてたのでしょうか? (482:240一部文章入れ替え) >当時の日本生命などの生命保険会社や損害保険会社の >広告をネットで見てたのだけど 戦死の保険はあった 富国生命(今はもうない)辺りが有名 戦災被害は保険の免責条件に当たるので死んだら死に損 #right(){(482:241)} **帝国陸海軍は、兵器の部品などを、同一規格のものとしなかったのはなぜですか?(482:292) >アメリカはそうしていたようですし、 >その方が作業効率もよく、修理も早いと思うのですが。 規格通りの精度で部品を作る技術がなかったから。 だから、現物合わせで、組み合わせる名人の存在が不可欠だった。 #right(){(482:294)} 今のJISのような工業規格を作ろうとしていたところで戦争が始まった。 #right(){(482:299)} 規格統一って想像以上に労力・予算・時間が要る。 長い目でみれば確かにプラスだが、短・中期的になら 工場毎の都合で量産させる方が数が揃うわけね。 ま、ぶっちゃけて言うと日本には規格統一を試みられるだけの国力と時間がなかったということ。 #right(){(482:303)} **アメリカ人技術者が中島など航空機エンジンメーカーで指導に当たっていたのはいつごろまでですか?(483:693) >日米関係が決定的に悪化する結構遅くまでいたようなことを何かの本で >読んだような気がするんですが忘れてしまったので 昭和16年の中頃までだったような 中島航空エンジン史的なタイトルの本に詳しかったと思う 大きめの図書館ならまず間違いなくあるので、今日が休みなら行ってみれば? 昔みたく冷房が効いてないのが残念だが #right(){(483:717)} **戦前の日本軍人が持ってた拳銃あると思いますが、日本製の拳銃の人気はどうだったの?(483:963) >やっぱ欧米の拳銃の方が扱いやすさや命中率は上だったのかな まだまだ工業後進国なので人気がなかった。 輸入がとだえるまで将校は欧米製拳銃をこのんで購入した #right(){(484:97)} ----
#contents ---- **夏期休暇を利用して祖父の戦歴を調査しようと思っているのですが、(488:472) >ネットで調べると各都道府県が軍歴証明書というものを発行しているようです。 >(祖父は陸軍だったことはわかっているものの、それ以外の事は親も知りません) > >そこで教えてください。 >軍歴証明書はどこの都道府県で発行してくれるのでしょうか。 >戦後(除隊した時)住んでいた県、死亡した時に住んでいた県、申請者(私)が >住んでいる県などいろいろと考えられて困っています。 徴兵事務は、通常、本人の本籍地の役所が担当しました。 したがって、まずお爺さまの本籍地の役所に問い合わせて見てください。 #right(){(488:479)} 旧軍人軍属の恩給、軍歴証明書に関する業務 http://www.mhlw.go.jp/bunya/engo/seido04/index.html #right(){(488:518)} 靖国神社【 祭神の調査 】                         (通信用語の基礎知識) 基本的には、大東亜戦争で散華された軍人はみな合祀されている。 自分の親兄弟、ないし祖父、曽祖父などが祭神であるかどうかを調べることも可能で、希望あらば 参集殿の受付へ出向き、依頼の書類を書けば、一週間程度で返事が送られてくる(無料)。 返信される書面には、次の事項が記載される。 ・ 英霊の名前(生前が山田太郎なら、英霊の名前は山田太郎命) ・ 一、階級 ・ 二、所属部隊 ・ 三、死歿年月日 ・ 四、死歿場所 ・ 五、死歿時本籍地 ・ 六、死歿時御遺族 ・ 七、合祀年月日 崇敬奉賛会(有料)に入会し、書類を書けば、豪華な装丁の「祭神之記」が送られてくる(無料)。 靖国神社 社務所(全体に関するお問い合わせ) 〒102-8246 東京都千代田区九段北3-1-1 TEL:03-3261-8326(代表) FAX:03-3261-0081(代表) #right(){(488:530)} **同期の桜って、海軍兵学校の歌ですよね?&br()陸軍の召集兵がなぜ歌っているんでしょうか?(488:501) >うちの祖父は召集兵で中国の方へ行っていたようですが、捕虜になる事もなく帰ってきました。 >それで、戦友?と飲む度に『同期の桜』を歌っているのですが >同期の桜って、海軍兵学校の歌ですよね? >陸軍の召集兵がなぜ歌っているんでしょうか? >(本人に聞くのも気がひけるので教えて下さい) 同期の桜は陸海軍問わず、歌われてます。 #right(){(488:509)} 同期の桜は編曲を海軍士官がやっただけで、陸海軍問わず流行った曲ですが。 なんか変な偏見がない? #right(){(488:513)} 『同期の桜』は、海軍の軍歌ではなく、当時の流行歌(戦時歌謡)の一つでした。 陸軍の応召兵だった方々が歌っても、何の不思議もありませんよ。 #right(){(488:515)} **旧軍の幹部候補生(乙)は一部が除隊せず軍に留まり、職業軍人になったという解釈でいいのでしょうか?(488:266) >旧軍の兵制について教えてください。 >幹部候補生(乙)Wikiを見ると >「軍曹または伍長に任官し、平時は兵役期間を終えると除隊し、予備役に編入」とあります。 > >平時では上記の一部が除隊せず軍に留まり、職業軍人になったという解釈でいいのでしょうか? >それとも常設師団の下士官には職業軍人はほとんどいなかった、という感じなのでしょうか? >平時は兵役期間を終えると除隊し、予備役に編入 本来の制度 予備役編入・除隊→在郷軍人(市民)に戻る→必要に応じ召集→下士官として軍務につく 太平洋戦争のパターン 予備役編入・除隊→即日召集→下士官として引き続き軍務につく 「予備役編入・除隊→召集」は書類上の処理だけで、実質的には同じ部隊で引き続いて軍務についてるわけ >下士官には職業軍人はほとんどいなかった 乙幹(下士官)を志願した時点で職業軍人の道を選択したことになる #right(){(488:411)}  幹部候補生ちゃあ本来は、土官学校出身の幹部と違って、 戦争中必要だが大量消費される下級指揮官(中隊長くらいまで)を大量生産 する為に作られた制度。試験等により選抜されて、甲種が少尉~ 乙種が下士官。 ぶっちゃけ、イイ人材を取り込むために軍が考え出して、それなりに昇進党優遇されてた制度。 元々は100円少尉だったっけかな…金持ち子弟の優遇制度だったのだが、廃止されて、 2次大戦の頃に復活した筈。  で、戦前の話だが… 兵隊奴隷、下士官道楽、士官は商売と言われてた。 給料的にもそうだった。最上層の下士官は最下層の士官である新品少尉よりは給料良かったが、 兵隊出身で下士官経由で士官のそこそこになるのは、めっちゃムズイ。 少佐になったら「兵隊大将」と呼ばれるくらい稀なことだった。 新品少尉はまあ 今でいう新入社員かな。古手の準社員より時間当たり給料は少なくてもそのうち上がる。 下士官はまあ・・・農家の次男坊三男坊の重要な就職先でもあったので、 派遣社員のそこそこ専門資格持ち くらいかな。 ちなみに士官はとらば~ゆの自由が無かったが、下士官以下は任期切れたら 転職可能。(戦争中等で召集(赤紙)されたら無理だが) その代わり下士官は定年が士官に比べて早かった筈。 幹部候補生でなくても、兵隊から年月かけて下士官になるのが 平時の普通。 昇進していったら、各種学校へ半年とか派遣されて技能を覚えて、昇進していく。 で、ある程度以上有能なら、任期切れる頃には上から継続してくれって頼まれる。 #right(){(488:433,435)} **去年、硫黄島を題材にしたドラマで輸送機から竹槍が下ろされるシーンがあったようですが&br()本当に竹槍持っていったんですか?(488:163) 「竹の棒」はいろんな利用価値があるので資材として持って行った。 竹なら軽いしね。 硫黄島は植生が貧弱で建設資材にするような木がないので、そうした物も本土からの 輸送が必要だった。 #right(){(488:166)} 硫黄島に向かう輸送船に青竹を多数積ませたのは事実です。 これは、乗船する兵士一人一人に救命胴衣を付けさせることができないので、 もし船が撃沈されたときには兵士がこの青竹を頼りに浮遊し、他の艦船から 救出してもらう確率を上げるためです。 「闘魂 硫黄島」(光人社NF文庫 堀江芳孝)の中で堀江参謀が上記の理由で 青竹を買い付ける描写があります。 #right(){(488:552:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **上等兵が下士官を殴ったのにお咎めはなかった、という事って有り得るのでしょうか(487:884) >祖父が戦争中に上等兵だかだった時に >余りに横暴な下士官(軍曹?)の仕打ちにキレてぶん殴ってしまったという話を聞きました。 >その後本人は営倉入りを覚悟したそうなのですが、何故かお咎めはなかったそうです。 >祖父は腕っ節が強かったので仕返しを恐れたのではないかと言ってましたが >仮にも階級社会の軍でこういう事って有り得るのでしょうか 何か理由があって、わざと横暴や理不尽な仕打ちをして、 部下がどう反応するか様子を見る、というのは陸軍に時々見られ、 自衛隊でも一部受け継がれているらしい証言を聞くことがある。 一種の根性試しみたいなものらしい。 それの可能性。 あるいは、単に部下に殴られたということを、上官が自分の面子を 気にして表ざたにしなかっただけという可能性もある。 (他に人間がいて、それを見ていたとかの状況では無理だが) #right(){(487:888)} 営倉とか軍法に基づいて裁くにはちゃんとした理由が必要。 なので権力に笠を着て横暴に振舞った結果がそれだと、世間体を気にして口を噤んだ可能性が大。 兵隊に舐められる(若しくは後ろ弾の可能性がある)下士官は階級社会以前に、クソの役にも立たないから。 星の数で従わせるのは士官、メンコの数で従わせるのが下士官。 #right(){(487:914)} **星の数よりメンコの数とは良く聞きますが、&br()「メンコ」とは何のことですか?(487:915) メンコの数=兵隊稼業で飯を食った数=年季 と言う解釈でおk。 #right(){(487:916)} コメの飯⇒「コ」と「メ」を入れ替えてメコ⇒語呂悪いのであいだに「ン」がはさまって「メンコ」 要するに軍隊で何回ゴハンを食ったかってこと もっとも旧軍は麦飯交じりのごはんだったけど #right(){(487:918)} ぐぐったらこういうの出てきました: http://www.geocities.jp/mor25/sikann.htm メンコとは兵食のことである。明治時代の兵食は、檜の曲げ物で作った、 「面つう」という器に盛りつけて、一人づつ配食した。 内務班で、飯を盛りつけるようになったのは、大正時代になってからである。 昔は、炊事班で一人分づつ、盛りつけたのである。 「面つう」は、元来、乞食の持つ食器であった。これがメンコ飯の由来となった。 面つうというのは「面桶(めんつう)」いわゆる「わっぱ」のことと 思われますね。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%A4&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=1&index=20228218164100 #right(){(487:990)} **大東亜戦争の時、祖父がどの部隊にいて、どんな活動をしていたのか知りたいのですが(487:736) 厚生労働省社会援護局に聞いてみ #right(){(487:742)} **ロシアのシステマ、韓国のテコンドー、のように&br()軍人はそれぞれの国に特徴のある素手格闘技も習うと思うのですが、&br()大日本帝国軍の軍人は何を習得させられていたんでしょうか?(487:554) 相撲と柔道 #right(){(487:556)} どちらかといえば銃剣術や剣道を頑張ってた。相撲とか柔道はやってたかもね #right(){(487:561)} 自衛隊は徒手空拳を頑張ってる。日本古来の体術や合気道がベースになってるみたいです。 戦前は陸軍将校が空手、柔道などを組み合わせた徒手空拳を習っていたそうです。 兵卒は「自主的に」格闘術を習っていましたが、柔道、剣道、相撲などは部隊ごとにやっていたみたいです。 ただし、実践というより「体育」「精神教育」の一貫という意味合いが強かった模様。 銃剣術、短剣格闘は頑張っていました。 #right(){(487:833)} **旧軍では酒保?で購入する時はタバコや酒の税金が免税になったと聞いた事があるのですが&br()本当でしょうか?(487:78) >もし本当なら、大量に買って市中で売りさばくなんてこともあったのでしょうか? > >(もし私の聞き間違いでしたら、ごめんなさい) 免税だったかはしらないが、基本的にツケで購入する酒保での支払い金額の 上限が設定されており、どうしても必要な日用品+αと少量の嗜好品が購入できる 金額しか枠がなかったようなので、そんな犯罪まがいのことをやるメリットがないと 思うぞ。 #right(){(487:81)} 大体の品物が市価よりも安く買えた。 タバコなどに関しても、ただ税金を引いた額よりも安かったようです。 なので、帰郷時のお土産として酒保でタバコを買うことも少なくなかった。 #right(){(487:106)} **第2次世界大戦のバトル・オブ・ブリテンを、&br()日本軍はどのように研究、分析したのでしょうか?(486:313) >まだそのころはアメリカ、イギリスと戦争をする前だったので、 >ロンドンには駐在武官とかいたと思うのですが、 >防空体制はこう築くべきだとか、或いは逆に空爆する時はこうすべきだとか、 >バトル・オブ・ブリテンでどういう教訓を得たのでしょうか? > >もしかして、ノモンハンみたいになにもしなかったのでしょうか? 当時は防空演習も盛んに行われており、防空や対空についての関心は高く、 政府機関からも国民向けに様々な情報提供を行っています。 1940年10月には、ロンドン空襲について爆撃痕などの写真が掲載されると共に、 日本の都市が空爆されたらと言うシミュレーションが国民向けに宣伝されています。 例えば、敵の250kg爆弾が百貨店の一角と路面電車の正面道路上に命中した場合、 百貨店は滅茶苦茶に破壊され、自動車は百貨店4階まで吹き上げられ、水道管、ガス管、 通信線も破壊され、百貨店内並びに道路上の人々も無残な死を遂げると言う結論が出て います。 一方で、焼夷弾による火災は軽視し、10kg級油脂焼夷弾については、消防ポンプを使わずに、 バケツリレーで消火すると言う楽観的な見通しが考えられています。 で、その結果として空襲対策には防空壕を建設すべしと言う結論に持って行っています。 空襲を阻止すると言う点においては、「そうむざむざと、我が国上を敵機の蹂躙に任す様な事は 無い」としながらも、各都市の空襲の例を見ると、「侵入する敵機を全部捕捉撃滅することは不可能」 であるとし、普段の防空訓練と、「我が国土は我が手で護るという決意」が大切であると言う精神論に なっています。 1938年当時は、国民の安全を考え、空襲時の避難方法とか毒ガスから身を守る方法が考えられて いましたが、1941年になると、空襲から逃げずに消火活動をせよ、防空壕は身を潜める場所ではなく、 積極的な防護活動をするための待機所である、となっています。 因みに、この方針転換は、1941年11月の防空法第一次改正から行われたもので、BoBやモスクワ空襲など の影響も如実に受けていると言えるでしょう。 また、従来は毒ガス弾対策が考えられていましたが、欧州の空襲ではその様なものが使われなかった事から、 焼夷弾対策に重点を移しているのも特徴です。 #right(){(486:534:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **昭和17年は戦況が悪化してきたとはいえ、虚弱な兵隊を徴兵しなくてはならないほど、兵隊の数合わせに困っていたのでしょうか?(485:910) >日本軍の徴兵関係に詳しい方お願いいたします。 >亡くなった母方の祖父は徴兵検査を丙種合格?というギリギリで通った虚弱にもかかわらず、 >昭和17年に徴兵されて日本と中国の間を往復していた艦船(輸送船でしょうか?)に上等兵(衛生兵) >として勤務していたと聞きました。 >昭和17年は戦況が悪化してきたとはいえ、そんな虚弱な兵隊を徴兵しなくてはならないほど、 >兵隊の数合わせに困っていたのでしょうか? >素人の質問にお答えいただければ幸いです。 平時には25%ぐらいしか徴兵されないわけですが、戦況が悪化してくると、 男という男が徴兵されるようになりました。俗にいう根こそぎ動員です。 #right(){(485:914)} 衛生兵なら医者かもしくは、日赤の社員とかが家族にいませんでしたでしょうか? 当時、軍医が払底していました。 よって、医療現場に関係する人間であれば、結構な確率で徴兵に引っかかります。 #right(){(485:970:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **戦前の南洋行政(戦中も)について、書いてある本を知りたいんですが(485:596) >それについて適切な書はありますか? 統治そのものであれば、戦前の朝日年鑑を漁るのが一番です。 古い本であれば、国会図書館か琉球大学にある、矢内原忠雄著『南洋群島の研究』(1935年刊:岩波書店)が 最も詳しいか、と。 統治状況ならば、神山晃令氏の論文「日本の国際連盟脱退と南洋群島委任統治」 (近代外交史研究会『変動期の日本外交と軍事』(1987年、原書房刊)所収) くらいかなぁ。 最近の状況は分からないので、もしかしたら、新しく研究本が出ているかも知れませんが。 #right(){(485:623:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **何で、明治政府は作ったばかりの兵部省をすぐに潰して、陸軍省・海軍省の2つに分けたんですか?(485:531) >また、大正の軍縮期などに、重複する陸軍省・海軍省の軍政部門の統一を図ろうと >しなかったんですか? > >思うに、兵部省の解体を行ったから、軍の不統一→昭和の悲劇を招いたように思え >てなりませんが・・・・・ 現代のカナダ軍の例にもあるように、統一するのが難しいからだろう… 陸海の上に統合した組織を作るのはありだろうが、 そういうのは(組織というか部署というか)確か、ちゃんとあったような? 詳しくないが。 でもって、その上でやはり軍政が分裂してしまっているというのは他国でも結構例があるが。 #right(){(485:533)} 薩摩閥と長州閥からのリクエストのため。 明治、大正期の軍部は維新の元勲を多数出してるこの 2つの派閥のバランスに苦労してたんだよ。 #right(){(485:534)} 「お雇い外国人」的なタイトルのが中公新書にあるから読んでみ つまりは制度も西欧から輸入、輸入先の先進国から来た顧問外国人たちがそれぞれの国家利権のために 統合不能なぐらい違った文化を作っちまった #right(){(485:535)} 少なくとも、兵部省の解体と軍の不統一は大して関係あるとは思えない。 当時の世界を見れば、国防省のように軍事関係の省が一つだけなんて国の方が少なく、 陸海(空)軍でそれぞれ部署を持ってる方が多かった。 それに、たとえ軍政面で一つの省でもその下の陸海軍の部署で反発がある事は容易に 想像がつく。 余談だけど、アメリカは未だに陸海空軍省がそれぞれあって、その上に国防総省が あるという形になってる。省内省だな。 #right(){(485:537)} 元々が軍閥の集合体みたいな政権だったから、軍政部門の統一ポストに誰が就くかで揉めまくった。 だから、揉め事を避ける為に敢えて設けなかった。 病巣は早めに取り除くべきだったのは言うまでもないが。 #right(){(485:543)} **1943年に医学部生だった場合、学徒出陣の対象になったのでしょうか?(484:616) 学徒出陣はないが、卒業繰り上げで、 軍医見習いとして召集される可能性がある。 #right(){(484:629)} **旧日本軍の徴兵検査では肛門に指突っ込んで痔の検査をしたとの事ですが、痔の有無ってそんなに重要だったのでしょうか? 痔は治りにくいし酷くなると歩くこともできないくらいの苦痛になる。 兵隊は歩くのが仕事だし、戦場は痔持ちに優しい環境ではない。 戦場で行軍も戦闘もできなくなるような爆弾を抱えている人間は採らないってことだね。 ググってみたら徳川の家臣の榊原康勝が、大阪夏の陣の直後に痔で死んでるそうだ。 戦場で痔が破れて鞍が血まみれになるまで馬に乗り続けたのが原因らしい。 #right(){(376:57)} **第二次大戦中の日本軍はさまざまな分野で技術的に後れを取っていたそうですが光学機器の分野もそうなのでしょうか?(479:454) 比較的ましだったが、ドイツとかに比べるとかなり劣る。 米軍機に積んであった照準器とかも複製不可 #right(){(479:455)} ましっていうか、数少ない割とまともな分野の一つだっただろう。 あとドイツと比べるのは間違ってるw #right(){(479:456)} シュミットカメラの技術が無いので、f値の明るい偵察機用カメラが作れなかった フィルムの感度が低い当時では大変なハンデだった。 #right(){(479:457)} 光学機器に関しては当時のドイツは世界を圧してるからなー。 今でも一、二を争う。 #right(){(479:458)} **日本軍の装備について質問したいのですが、足にくるくる巻いてる布みたいな奴ってなんか意味があるんでしょうか?(480:507) >名称とかはあるんでしょうか 教えて下さい ゲートル 行軍時の足の保護むくみ予防などの為の物、別に軍だけの装備ではない、 きゃはんなど昔からある旅支度のひとつ。 #right(){(480:508)} ゲートル。疲労防止が目的。本来なら足にピッタリなオーダーメイドブーツにしたいんだが、日本は貧乏なので布切れでがまんした #right(){(480:509)} 巻脚絆(まききゃはん、なまって「まっきゃはん」とか)とも言うね。 #right(){(480:510)} **旧軍の陸軍省や海軍省では毎年の予算編成ではそこの文官が対応してたのでしょうか?(480:622) >個人のイメージとしてサーベル下げた軍人が大蔵省の役人に頭をヘコヘコ下げてお願いしてるのは想像できん >のですが。やはり陸軍省や海軍省付きの文官がやってた? 当然、それなりの折衝はあったようだが、今と違って、軍事費に対して寛容だった風潮が、他部門の官僚や世論にも あったんで、軍人がひたすら頭を下げて…ってイメージとは少し違ったようだ。 特に、建造費はかかるが、完成予定のスペックは秘匿したい…なんて戦艦クラスの予算編成についても、色々と 融通は利かせてくれたらしい。 #right(){(480:630)} **旧日本軍で、従軍記章というものは、従軍しさえすれば誰でももらえるものだったんですか? (480:823) それだけでなく、関係が有れば、後方の補給関係の人ももらえた。 ちなみに太平洋戦争の従軍記章は、配布される前に終戦になったので、 誰も持ってない。 #right(){(480:827)} **昭和六年乃至九年事変従軍記章は、上海事変に従軍していれば貰えるはずですよね?上海事変にいったはずの祖父の写真には、支那事変従軍記章しか佩用してませんでした。 (481:584) 第2次上海事変以降の関係者なら、支那事変従軍記章しか貰ってないはずだが。 #right(){(481:585)} **戦時下の日本では戦死や空襲などの損害も補償されてたのでしょうか? (482:240一部文章入れ替え) >当時の日本生命などの生命保険会社や損害保険会社の >広告をネットで見てたのだけど 戦死の保険はあった 富国生命(今はもうない)辺りが有名 戦災被害は保険の免責条件に当たるので死んだら死に損 #right(){(482:241)} **帝国陸海軍は、兵器の部品などを、同一規格のものとしなかったのはなぜですか?(482:292) >アメリカはそうしていたようですし、 >その方が作業効率もよく、修理も早いと思うのですが。 規格通りの精度で部品を作る技術がなかったから。 だから、現物合わせで、組み合わせる名人の存在が不可欠だった。 #right(){(482:294)} 今のJISのような工業規格を作ろうとしていたところで戦争が始まった。 #right(){(482:299)} 規格統一って想像以上に労力・予算・時間が要る。 長い目でみれば確かにプラスだが、短・中期的になら 工場毎の都合で量産させる方が数が揃うわけね。 ま、ぶっちゃけて言うと日本には規格統一を試みられるだけの国力と時間がなかったということ。 #right(){(482:303)} **アメリカ人技術者が中島など航空機エンジンメーカーで指導に当たっていたのはいつごろまでですか?(483:693) >日米関係が決定的に悪化する結構遅くまでいたようなことを何かの本で >読んだような気がするんですが忘れてしまったので 昭和16年の中頃までだったような 中島航空エンジン史的なタイトルの本に詳しかったと思う 大きめの図書館ならまず間違いなくあるので、今日が休みなら行ってみれば? 昔みたく冷房が効いてないのが残念だが #right(){(483:717)} **戦前の日本軍人が持ってた拳銃あると思いますが、日本製の拳銃の人気はどうだったの?(483:963) >やっぱ欧米の拳銃の方が扱いやすさや命中率は上だったのかな まだまだ工業後進国なので人気がなかった。 輸入がとだえるまで将校は欧米製拳銃を好んで購入した #right(){(484:97)} ----

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