幕末~日露戦争



幕末

実戦経験のある幕末の志士たちはどんな戦い方をしてたんですか?(487:757)

実際の刀VS刀の斬り合いは時代劇の殺陣と大違いなのは分かりますが
実戦経験のある幕末の志士たちはどんな戦い方をしてたんですか?

背中から斬りかかる、少数を相手に多数で囲む等々。
(487:759)
数で押し包んで、袋にしてました。
(487:761)
  • 一対一や多勢に無勢にならないようにする
  • 突きを多用する
  • 手足を狙う。
  • 何を置いても胆力
(487:762)

会津の白虎隊は銃のほかに大小の刀を差して出撃したそうですが刀は活躍する余地有ったんですか?(486:616)


普通にあったよ。
戦国時代みたいに鎧兜を身につけていないから。
西南戦争でも武士と政府軍側の抜刀隊が活躍した。
刀剣や銃剣を使用した白兵戦は第一次世界大戦ぐらいまでは主たる戦術といえた。
(486:621)

日清戦争

日露戦争

八甲田山の雪中行軍訓練の兵士達は、かまくらを作ってその中で焚き火をすることで体力を温存し、天候の回復を待つことはできなかったんでしょうか? (487:540)


かまくらを作るにはかなりの体力と時間を要します。
人数も多いですしね。
また、雪の上でそのまま火を焚こうとしても融雪ですぐに消えてしまうのです。
薪の調達という問題も有りました。
(487:541)
(487:545)
雪中行軍については事件後に五連隊がまとめた「遭難始末」と
小笠原孤酒氏が生存者の証言と当時の資料を元に書き上げた
「八甲田連峰 吹雪の惨劇」という本が有る。
(487:558)
濡れると体温を奪う綿系の肌着しか着ないで、初日から、普通に平地を歩くだけでも
重労働になるような重装備で、ろくに飯も食わずに、単に歩くだけで体力を大きく
消耗する雪の上を強引に突き進んで、夜までには、既に体力を危険なまでに消耗して
いた上に、猛風雪のせいで、まともに煮炊きできないどころか、焚き火さえもできなくて、
体力を回復することもできないまま、夜半の異例の低温に晒されて、その時点で既に
凍死寸前状態に至っていて、翌日も同じ状況が続いたせいで、あっさりとバタバタと
凍死したもよう。

雪が深いなら、カマクラのように盛り上げるまでもなくて、単に風が入りにくい具合に
穴を掘って、何人かずつまとまって入るだけでも、外気温よりかなり暖かくなることは
明らかだし、実際にも、初日はそうして、何とか過ごしたみたいだけど、濡れると
体温を奪う綿系の肌着が濡れたままの状態で、しかも、体温を維持する元になる食事なしでは、
「辛うじて初日のうちには凍死しないで済んだ」だけで、「そのまま救助を待って何日か
過ごす」ことは、誰もできなかったはず。

そこまでで、既に、正常な思考能力が失われていたようで、翌日は、もう支離滅裂。

かまくらを作ってその中で焚き火をする
初日に、ジタバタと動きまわらないで、全員で協力して、そういうことが可能なような
でっかいカマクラを作っていれば、事態は全然違っていたかもしれない。
ただし、初日の前半に、引き返そうと思えば問題なく引き返せた時点で、予定通りに
突き進もうという意見に押し流されたそうだから、そういう「消極的な方針」は、
どの時点でも「出せない雰囲気」が充満していたんじゃないかな。

そういった硬直した思考が、本当の「死因」だったのかもしれない。
(487:597)

日露戦争ではどのくらい白兵戦があったのでしょうか?(482:743)

また、その当時の日本人とロシア人の間には、
現在の日本人とロシア人よりも体格差があったと思うのですが、
日本軍内で、問題にはならなかったのでしょうか?

貴族・資産階級はともかく農民はそんなにでかくない。
白兵戦は切り合いであって殴りあいではないので体格差はそこまで問題にならない
(482:744)

白兵戦でロシアに圧された結果、
日露戦争以降の日本陸軍は白兵戦の研究を勧めた

      • と言うのをどっかで読んだ気がする(気のせいかも知らんので話半分でよろ)
(482:747)

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最終更新:2008年09月22日 23:14
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