アルニーダ史

このページでは、アルニーダの歴史を掲載する。

古代アルニーダ

伝承によれば、かつて銀河には約10万人のアルニーダの騎士が存在し、アルニーダ騎士団を形成していた。
しかし、皇帝タヌァカによりまだ幼いパダワンを含め多くのものが虐殺されたという。この虐殺から逃げ延びたものの子孫たちが現代アルニーダを創始したと言われている。

現代アルニーダの興隆

アルニーダの初期のメンバー構成は、自然発生的に形成されたものだが、2007年1月の第一次鼠屋敷遠征以来、アルニーダクオリティーを発揮してきたといわれる。

初期のアルニーダは世界征服と同時に皇帝タヌァカの打倒をその活動目的としており、それによって団結したという側面もある。

「アルニーダ」という言葉そのものは、新言語開発運動によって生まれた。これは、当時事実上既に形成されていたアルニーダの間でのみ通じる言語を作り出してしまおうという試みである。

その新言語の単語の中で、現在進行の助動詞がaru、過去の助動詞がnidaになったことから過去進行の助動詞としてarunidaが生まれた。新言語の名称を決める際に、このarunidaの響きが好評だったためにアルニーダ語となったのである。

アルニーダ党時代

立党~連邦構想

ひび太とRikにより皇帝タヌァカ打倒のための政策集団としてのアルニーダ党の設立が計画され、2007年3月3日に当時事実上のアルニーダを形成していたやまもる。、Keith(南知帝アグァータ)、カダヒー、ジャバー岡田を強制的に加えて、アルニーダ党が立党された(立党宣言)。

当時信仰を集めていた巨匠を初代総裁に据え、創始者二名は共に副総裁の地位に留まったが、実権は副総裁にあり、副総裁2名によって運営されていた。後に長く続いた二頭体制の始まりである。

同時期に建国された南知帝国は、皇帝アグァータの入党に伴い事実上アルニーダ党の支配下となった。

世界征服遂行のため南知帝国国防軍と共同でバナナ兵器を開発・運用し、アルニーダ万国全図を製作してアルニーダ連邦構想を提唱していた。

サイト開設~第二代総裁誕生

2007年8月3日に携帯サイトArunida mobileを開設すると、党の知名度が急激に上昇した。

サイト開設後、サイト運営が党活動の中心となり、世界征服はほとんど謳われなくなった。

また、巨匠が名誉総裁となり、ひび太が第二代総裁に就任。副総裁ポストを廃止し、Rikが幹事長に就任した。

巨匠の離党

既に宇宙に満ちるフォースと一体化し実体がなくなっていた巨匠を党に留めるべきではないという意見が大多数を占め、2007年9月26日一杯をもって名誉総裁巨匠を除名。

党則制定

党則が制定され、最高機関として総裁・幹事長及び両者が特別に認めた党員(アルニーダマスター)からなるアルニーダ評議会を設置し、評議会による事実上の独裁体制を明記した。

離党した巨匠はアルニーダ党及びアルニーダ党員統合の象徴とされた。

この制度下では、つぶやき強制法などが成立し、一部の党員が激しく弾圧された。

党員増加

2007年12月、党勢拡大政策が開始され党員数が増加し、立党以来の6名を幹部として特別視するようになった。

分裂・ヴォルデユート新党との対立

2008年2月23日、些細な事から総裁ひび太と幹事長Rikが対立し、分裂に至った。

結果、ひび太は離党しヴォルデ勇人と改名、ヴォルデユート新党を結成して代表に就任。

ひび太の離党に伴い、Rikが第三代総裁に就任した。

その後、アルニーダ党はヴォルデユート新党と激しく対立することとなる。

統合~他校生入党

アルニーダの分裂を好機と捉えて攻勢に転じた皇帝タヌァカによって共倒れとなることを恐れた総裁Rikがヴォルデユート新党代表ヴォルデ勇人と党首会談を行い、共闘を再確認。

立党一周年となる2008年3月3日にアルニーダ党として再統合し、第四代総裁にひび太が就き、副総裁ポストを再設してRikが就任した。

党則を改正し、幹部全員を評議員としたが、審議の円滑化の名目で従来の評議会と同じ構成のアルニーダ元老院が設立された。争乱の反省を踏まえ、分裂を防止するために党員や評議員に抵抗権を認めたが、以下の仕組みによって事実上総裁・副総裁が全権を掌握していた。

  • 元老院から法案を評議会に提出した場合、元老は全員既に賛成したと見なされるため、元老にもう1人任命しておけば既に半数の3名を得ることができる。票が半数で割れた場合は総裁に裁断が委ねられていたので、元老院の意思が評議会の意思となる。また、元老院では総裁・副総裁以外の元老が欠席していても案件の可決が可能であるため、結果的にはもう1人の元老の賛成は不要となる。その結果、総裁・副総裁が合意済みの事案は必ず評議会を通過できる仕組みになっていた。

  • 権利保障の一環として党員投票制度が党則に明記されたが、実施条件が「元老院が発議した場合」または「評議員4名の連署による要請」となっており、評議員が6名だったため、元老院で総裁・副総裁以外にもう1人の元老を確保している限り、元老院に不利な状況で党員投票が行われる事は有り得なかった

この制度下では、急激な党勢拡大政策が推し進められ、他校にも党員を獲得した。

政変

2008年10月、江ノ電ライダーTom事件の発生により臨時総裁選挙が行われ、カダヒーが第五代総裁に就任。しかし、ひび太が大御所ポストに就き院政を行った。

1週間の任期を満了したカダヒーの後任を選ぶ総裁選挙の折、ダークコニチャンマンの乱が発生。

その後、ギャルゲッチュの変革小同事件と重大事件が立て続けに発生、多数の死者が出た。

また、この時期には唯一の党則違反である「幹部の増員」が発生したが、党則が部分修正され追認された。

終盤では党友制度の導入によりアルニーダの範囲が広がった。

解散

2009年3月2日、ついにアルニーダ党は皇帝タヌァカを滅ぼすことに成功した。

立党二周年となる2009年3月3日にはアルニーダ党を解散するに至る。

帝政アルニーダ時代

建国

ひび太がアルニーダ党解散と同時にアルニーダ帝国の建国を宣言、新たに制定されたアルニーダ・カルタ(通称アルタ)により巨匠は皇帝となり、従来の総裁副総裁は元老院議長・副議長(首相・副首相)となる。

また、Arunida webの原型を作り上げ、更なる活動拡大を図った。

尚、それまでの党友にも党員と同様に国籍が与えられた。

巨匠の死、帝国崩壊

2009年5月16日の夜、フォース暴発事件により巨匠が崩御すると、首都アルニーダングラードを中心に国内は混乱を極め、その後2時間で帝国は崩壊した。

初代アルニーダ党総裁でもありアルニーダの心の拠り所であった巨匠の死は、世界に大きな衝撃を与えた。

現代

新生アルニーダ発足

帝国崩壊の翌日0時、新アルニーダ・カルタに基づく新体制アルニーダが発足。

新体制でアルニーダは、党でもなく国でもない「組織」と位置づけられたが、対外的には「サークル」を名乗るようになった。

新アルタでは元老院第一主義を明記、従来の幹部を元老とし、総裁・副総裁の特権は元老院における拒否権の保持と執行機関役員人事に留まった。

ガチニーダ構想

2009年6月、Karajasがガチニーダ構想を提唱し、Arunida webの大改革が行われ、本格サイトとなった。

アルニーダの対外活動の始まりである。

行政改革

2009年9月、諜報部人事部陰部の存在意義が問われ、何度も部署改変が行われた。

その結果、国際事業部が発足するなどしたが数日で廃止され、それまでの元老=部長の原則を廃し、執行機関の存在を明記するアルタ改正が行われた。

最終的に、総務部企画部広報部勘定方の四機関による分業体制が確立されたが、後に財務部が発足し勘定奉行はその外局とされた。

Rikの辞任・副総裁選挙

2009年10月7日、Rikが突如「副総裁としての自分が求められていない」として副総裁辞任を表明。

同時に、元老院における総裁・副総裁の拒否権を撤廃し執行機関の役員人事権を総裁に一元化するアルタ改正が行われ、アルニーダ党結成以来長く続いた創始者二名による二頭体制が終焉。

翌日、Rikが正式に辞任し元老院で初の副総裁選挙を実施。結果、やまもる。が第二代副総裁に選出された。

政党時代より、副総裁ポストがあった時は一貫してその任を務めていたRikの辞任に、元老からは嘆声があがった。

任期制導入と一部メンバーの除名・Rikの副総裁再任

2010年3月2日、「アルニーダの今後を決めるアルニーダ運営委員会緊急集会」が委員全員の出席により開かれ、アルニーダ・カルタが改正された。

この改正により総裁・副総裁に一年間の任期が設けられ、毎年3月3日(アルニーダの日)に全体投票による選挙を行う事が規定された。

また、「世界征服系サークル」を標榜していたアルニーダだが、「世界征服は実現可能性が極めて低い」として新たな目標が長時間にわたり検討された。結局人のナニ見て我がナニ直せというスローガンが決められただけで目的のない団体となってしまった。但し、アルニーダ・カルタにはその後も世界征服が目標として記載されていた。

翌日、改正アルタの規定に基づく初の任期満了選挙が行われた。総裁選は実質的に争われず、ひび太が15票を得て再選した。一方、副総裁選ではRikを支持するポルトガル戦線(代表:ひび太)とカダヒーを支持する日高党(代表:Rik)が激しい選挙戦を繰り広げ、僅差でRikが当選し副総裁職に復帰した。現職のやまもる。は選挙戦に乗り遅れたが一定票を得て三位であった。

アルタの廃止

アルニーダ結成5周年記念日である2012年3月3日、活動の著しい縮小を理由に運営委員会においてアルニーダ・カルタの廃止が決定された。これにより従来の制度や部局は全て廃止された。このため、現在のアルニーダは緩やかな集合体となっており、慣例に基づいて活動が行われている。
最終更新:2020年03月15日 19:23
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