「遠い日の約束」(2006/02/09 (木) 12:28:33) の最新版変更点
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子供って言うのは本当に無邪気で怖いものを知らない。
かく言う僕も数年前まではその無邪気な子供だった訳で。
僕が何で今更そんな事を考えているかと言うと……。
「あ……」
「……」
学園の昇降口で上履きに履き替え、校舎に上がった所で彼女に会った。
彼女の名は真紅。
僕のクラスメイトで自他共に認める名家のお嬢様。
僕なんかが気軽に話していい存在じゃない。
「何かしら?」
「いや、その……なんでも……」
「……そう」
常に凛々しく、すまし顔の彼女。
しかし僕はその表情が少し怒っている顔だと言う事を知っている。
なぜなら僕は彼女を幼なじみだから。
僅かな表情の変化も理解できる。
その空気に耐えられなくなり、僕は思わず視線を反らしてしまう。
そうしていると、彼女は僕を置いて先に教室へと向かっていった。
「ふう……」
「こんな所で何してるですか?」
「うわぁ!」
緊張から解放されて安堵している所に後ろから声をかけられ、僕は跳ね上がった。
「なんだ、翠星石……それに蒼星石も」
双子の翠星石と蒼星石の姉妹。
真紅ほどではないが、彼女たちとも結構長い付き合いの幼なじみである。
彼女たちもいい所のお嬢様ではあるのだが、気さくな雰囲気が真紅のような威圧感を与えず男女問わず人気である。
隠れたファンクラブまで存在するが、僕から言わせれば翠星石なんてただの口うるさい女である。
余談だが妹の蒼星石のファンは、その熱狂振りがある意味異常とも言える。
「おはようジュン君。あれは……真紅だよね? どうかしたの?」
「ああいや、なんでもないって」
「まさか真紅に何かしやがったですか?」
「してないって!」
「ジュン君と真紅は幼なじみなんだよね? でもどうして、その……真紅から逃げてるって言うか……」
蒼星石が言葉を選ぶように僕に尋ねてくる。
「別に逃げてる訳じゃ……」
「嘘です! 絶対逃げてるです!」
「違うって。ただちょっと……苦手なんだよ」
「僕らがどうこう言う事じゃないけど、真紅だって普通の女の子だって事、分かってあげてね?」
「それって……?」
「そんな事お前に教えてやる義理なんて無いです。蒼星石、早く教室に行くです」
「あ、ちょっと、翠星石」
そう言って翠星石は蒼星石の腕を引っ張って行ってしまった。
「そんな事言ったってな……」
そう呟いて、僕はあの日の事をなんとなく思い出していた。
僕と真紅が初めて出会ったあの日を。
理由はただの好奇心とか、そう言った他愛の無い物だった。
公園の真ん中で女の子が蹲って泣いていたら、多分誰だって気になると思う。
何も知らない子供って言うのは、自分がどんな事をしているかなんて考えない。
彼女の事を知ってしまった今の僕なら絶対にそんな事はしなかっただろう。
「どうしたんだ?」
「ふぇ……うっく……くんくんが……」
彼女は大事そうに一つの人形を握り締めていた。
だがその人形は首の部分がもげ、中から無残にも綿を吐き出していた。
「あー、これはもうダメだな。潔く捨てた方が……」
「うえええぇぇぇぇ!」
「ちょっ、嘘! 今の嘘! 頼むから落ち着け!」
「うぅ……」
「でもどうするかな……。そうだ、ちょっと待ってろ!」
そう言って僕は家まで走り、そして縫い針と糸を取って戻ってきた。
昔、母さんが僕の服のほつれを繕ってくれた事を思い出し、それと同じ事をしようとしたのだ。
「今治してやるからな」
見よう見真似で出来上がりは散々な物だったが、一応何とか人形の修復はできた。
「よし、これで暫くは大丈夫だぞ」
「くんくんっ!」
僕から受け取ると、彼女は愛しそうに人形を抱きしめた。
「よかったな。えと……僕はジュン。お前の名前は?」
「……真紅」
「そうか。よかったな真紅」
それが僕と真紅の出会いだった。
「じゃあな桜田」
「ああ」
当番だった音楽室の掃除を終えて僕たちは帰宅する。
「あ、漫画忘れた」
鞄は持って来ていて、そのまま帰るだけだったのだが、今日友人に借りた漫画本を置いてきてしまった。
物が物なだけに余り長く学校に置いておく訳には行かない。
「仕方ない、取りに行くか」
一度教室を経由して帰宅する事にした。
そこにある人物が居る事も知らずに。
「……えと」
教室には一人、真紅が居た。
日が沈みかけ周りは夕陽色に染まっている。
「悪い……忘れ物取りに来ただけだから」
「……ジュン」
「ごめん、すぐ帰るよ」
「ジュン!」
彼女の怒鳴り声とも言える呼びかけに、僕は竦み上がる。
彼女が……真紅がこんな声を上げるとは思はなかった。
「どうして私を避けるのよ?」
「僕は避けてなんて……」
「嘘っ! ならどうして私と目を合わせようともしないの!?」
普段の彼女の姿からは想像もできないだろう。
感情をあらわにして僕に叫喚している。
「君は……僕なんかに関わっちゃいけないよ。僕と君は別の世界の人間なんだ。僕なんかが手の届かない……」
「本気で言っているの……?」
彼女の眉が険しく顰められる。
この顔は、今までに無いほど怒っている。
僕が見た事の無い表情だが、雰囲気だけで分かる。
こういう事だけは分かってしまうから、幼なじみと言うのも考え物かもしれない。
「……どうして……」
「……」
彼女は俯きながら怒りに身体を震わせていた。
多分僕は何を言っても彼女を怒らせる事しかできない。
ならいっその事……。
「どうしてよ……あなたまで……私の傍から、離れていってしまうの……?」
「え……?」
怒っていると思っていた彼女は、ポロポロと涙を零し泣いていた。
そして鞄から小さな人形を取り出し、彼女は胸に抱いて蹲ってしまった。
気が付いた時には、私は一人だった。
私の家柄のせいか、はたまたその名家としての教育のせいか、私の周りには同年代の友達と呼べる子は存在しなかった。
唯一の友達はお父様から頂いた人形だけ。
遊ぶ時も食事の時も寝る時も常に一緒で、片時もその人形と離れる事は無かった。
しかし子供が注ぐ愛情は、人形にとっては酷だったのかも知れない。
ある時その子は、首の部分から引き千切れてしまった。
私はお父様に懇願した。
『くんくんを治してあげて』
しかしお父様は首を横に振った。
『新しいお人形を買ってあげるから』
子供ながらに絶望を知った気分だった。
新しい人形なんていらないのに。
この子じゃなきゃ駄目なのに。
途方に暮れた私は、どこをどう彷徨ったのか、いつの間にか公園で泣いていた。
その時、私は彼と出会った。
「どうしたんだ?」
悲しみや戸惑い、いろんな感情で溢れていた私に彼はこう言った。
「ちょっと待ってろ! 今治してやるからな!」
彼は不器用ながらも人形の首を縫い合わせてくれた。
彼に、そして彼と引き合わせてくれた誰かに何度も感謝した。
「僕はジュン。お前の名前は?」
「……真紅」
「そうか。よかったな真紅」
そう言って彼は私の頭をそっと撫でてくれた。
「また取れたらいつでも言うんだぞ。ちゃんと治してやるから」
私に初めて同年代の友達ができた瞬間だった。
嬉しくて、嬉し過ぎて私がなんて答えたのかは覚えていない。
ただ、手にしたくんくんが、
『良かったね』
と囁いていたような気がしたのは覚えている。
あの時と同じだった。
人形を握り締め、蹲って泣いている。
ただ一つ違うのは、彼女を泣かせているのは僕だと言う事。
「その人形……まだ持って……」
「当然……よ……あなたは、約束したわ。いつでも治してくれるって……」
「それは……」
「くんくんいれば、いつでも会える……。そう信じて私はっ……」
「なんで、そこまでして……」
「あなたに傍に居て欲しいからよ! ねえ、私の我侭なの……? ジュンにとっては負担でしかないの?」
蒼星石が言っていた事が、今やっと理解できた。
真紅は気高いお嬢様である前に普通の女の子なんだ。
そんな真紅を僕はずっと傷つけてきた。
償いはしなくちゃいけないだろう。
「そんな事無いよ……。その人形ちょっと貸して」
そう言って僕は、真紅から小さな犬の人形を受け取る。
……これは酷い。
人形は初めて見たときよりもさらにボロボロになっていた。
懐からソーイングセットを取り出し、修復にかかる。
自分でやった事とは言え、余りの雑な縫い方に呆れてしまう。
だけど、治せない酷さじゃない。
「よし、できた!」
縫い終わった人形を確かめるように、腕や首を動かしてみる。
うん、大丈夫みたいだ。
「治ったよ」
少し落ち着いたのか、僕の隣の席に座って待っていた真紅に人形を手渡してやる。
「その……今までごめん」
「もういいの……ジュンはちゃんと約束を果たしてくれたわ」
僕の手ごと人形を握り、頬に当てる真紅。
彼女を泣かせたくなかったから『いつでも治してやるなんて』約束をしたのを今更ながらに思い出した。
自分で決めた事も忘れるなんて、ほんと馬鹿だな……。
「さて、じゃあ帰るか」
だんだん気恥ずかしくなって、僕は真紅の頬から手を振り解き立ち上がる。
すると真紅も立ち上がり、すぐさま僕に腕を絡ませてきた。
「え、ちょ……」
「今日はこのまま帰りましょう?」
「だってまだ校庭には人がいっぱい……」
「構わないわ」
「君に迷惑がかかるだろ」
「まだそんな事を言って……」
「う……ごめん、真紅」
「……嬉しい……やっと名前で呼んでくれた」
本当に嬉しそうに微笑んで、真紅は頭をもたれ掛けてきた。
すごく……気恥ずかしい……。
「それでは帰るわよ」
「ちょっと、真紅!」
「いいから早くなさい!」
「……はい」
どうやら彼女の威圧感のある気高さは健在のようだ。
とりあえず先当たっては明日の朝が思いやられる……。
皆になんて言い訳しよう……。
「うふふ……」
「……まあ、いいか」
彼女の嬉しそうな顔を見ていると、そんな事はどうでも良いやなんて思えてきた。
fin.
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