ボルツマンは、自分たちの後ろから猛然と、凄い勢い、恐るべきスピードで走って来る、自分の上官を見て、恐怖を抱いた。
それは理由の無い恐怖であり、そうだと気付いた時、彼は閉じようとした格納庫のドアを開こうとした。
けれど、彼の後ろを彼に匹敵するスピードで追い掛けて来るジュライを見て、やっぱりドアを閉めた方がいいかもしれないと思い、
看守に判断を任せ、車の方に逃げた。ドアを開き鍵を探す。二人乗りだと知って、一人はどうするのかと考えたが、それどころではない。
驚くべきタイミングの良さで、ペトルッツィが格納庫に滑り込んだ直後、看守はドアを閉めて施錠した。ジュライはドアに体当たりした。
激突音の大きさに看守はびくりと震えたが、それ以上何も起こらないことに安心して、背中をドアに預けた。
ペトルッツィがボルツマンの横にやって来て、鍵を入れておいたポケットを教える。すぐに見つかった。鍵穴に差込み、回す。
ガソリンは入っていた。逃げるには十分な量で、タンク一杯に入っているようだった。ペトルッツィを助手席に乗せ、
ボルツマンは脱出の為に格納庫の車輌上陸用のスロープを下ろしに向かう。看守が手伝おうとドアから背を離そうとした時、
ペトルッツィもボルツマンも死ぬまで忘れられそうに無い瞬間を運悪く見る破目になった。信じられないことだったが、
ドアから、銀色に輝く刀身が、生えている。びくり、びくりと痙攣する看守。赤い血が、切っ先からぽたりと落ちる。
「あのドアが何で出来ているか知ってるか」
艦長は静かに尋ねた。刀はまだ生えたままで、看守も未だに痙攣を続けている。呻き声も同じだ。二人は目が離せなかった。
「知っています」
早く逃げないと、早く逃げないと、大変なことになってしまう……分かり切ったことだった。どう考えても、自分たちはヤバいのだ。
ジュライは引き抜きに掛かった。分厚いドアを、拳銃弾を弾く装甲服を貫いた刀の先が、上下に揺れ動く。二人は動けない。
「あのドアが何ミリの厚さか知ってるか」
揺れ動く為に傷口が広がり、血溜りが血溜まりが血溜まりが広がって広がって広がって。二人は一人の人間が死に行く様を、
じっと見つめていた。吐き気がした。銃弾による死は間接的なものだ。自分の手が殺すのではなく、自分の行動の結果が相手の死なのだ。
刀は違う。刀で殺すのは、自分の手で殺すのと殆ど同一の意味だ。距離が違う。死を間近に見ることになる。銃とは全然違う。
「知っています」
一際耳を塞ぎたくなる気味の悪い音を立てて、刀が引き抜かれた。金属音と水音の混じった、生理的に受け入れ難い音だった。
死体が膝を突く。突いた時の衝撃で体が反って、ドアに寄りかかる形になった。すぐにバランスを崩し、横倒しになる。
艦長は唾を飲み込み、ドアから目を離さずに口を開いた。ドアは、二度目の刀の襲撃に、呆気無く錠を破られそうになっていた。
「逃げるぞ、クソったれ──おい、ボルツマン、逃げるぞ!」
助手席から飛び出して、スロープの横にある二つのボタンを同時に押す。ゆっくりと下がっていくスロープに、彼らは絶望した。
それでもペトルッツィは助手席に戻り、ボルツマンは運転席へと飛び込んだ。ジュライは意外にも手間取っているようだ。
スロープが地面と平行になった。まだ危険かもしれない。が、ジュライがいつやって来るか分からない。
恐怖に負け、副官はアクセルを思いっ切り踏み込もうとした。艦長は慌てて止めた。ボルツマンは狂人を見る目で彼を見た。
「馬鹿! マニュアル車の運転をしたことが無いのか?」
「装甲車だってオート車の時代ですよ!」
「お前は生き残ったらギルド推薦の教習所に行け! とっとと代わるんだ!」
急いで位置を交代する。スロープが地面に近づいていくのを見て、ペトルッツィは今こそ逃走の時だと断定した。
背中の方で、最後の防御が破られる音がした。けれど、その時には車はスロープを下り、艦からの脱出を果たしていた。
小さくなっていくジュライを見て、ボルツマンが歓声を上げる。艦長も叫んだ。命は自分の手に留められている。死ななかったのだ。
生き残ったのだ。生存こそ勝利と信じる艦長は、自分が勝ったことを疑わなかった。頭から信じていた。
だけれども、ジュライの襲撃からそれで完全に逃げ切れたかどうかと問われると、何となくの不安があった。あれは十二姉妹だ。
これくらいで諦めるだろうか? 油断は許されるのか? 出来るだけ気を抜かずに、絶対に安心という時まで逃げ続けた方がいいのでは?
そういう風に思ったし、ジュライの魔手から逃げ切ったという確固たる証拠、信じるに足る証拠が無かったので、
ペトルッツィは車を走らせ続けた。彼に言われて、ボルツマンは車のダッシュボードから拳銃を取り出す。その銃を見て、げんなりした。
車と同じくらい古臭い、ベレッタだった。副官は看守に取り上げられ今や格納庫のドアの前に落ちているだろう、自分の愛銃を、
永遠に失ってしまったことに気付いて、加えて気を落とした。大切な物が、大切な人間が、どんどん失われてしまっていく。
今の部下も、自室に置いていた軍人時代の輝かしいと自分自身でも思っている功績の数々を称えた賞状、名誉戦傷章五個を含む勲章等、
士官学校の卒業指輪に証書、配属命令の書類数枚、大尉だった頃に率いていた部下たちと、戦闘後などに一緒に撮影した写真何枚と、
日記、略帽、制帽、制服、野戦服、礼服、彼の人生の八割方が詰まっていた部屋だった。彼は悪態を吐いた。それしか出来なかった。
まさか、取りに戻る訳には行かない。そうすれば、敵どころか味方からまでも撃たれるだろう。逃げ出したことが発覚すれば、
そうなってしまう。ボルツマンは、物品より、自分の命の方が大切だと思っていた。艦長がハンドルを切り、車は角を曲がる。
彼らは二人とも、クーロンの繁華街についての地理的な情報を持ち得ていなかったし、一般兵が持っている電子的な方法で持ち運ばれる、
所謂地図という奴も生憎と装甲服を着ていない彼らには見ることの出来ないものだった。かつての軍時代を回想する副官。
昔は地図と言えば紙で出来ていて、自分で大体同じものが描けるようになるまで覚え込まされたものだったがと、彼は思った。
悔やんでも遅いだろうと小さく呟いて、割り切ることにする。未練は断ち切らねばならない。でないと、命を失うことにも繋がる。
「あの女からどうやって逃げ出してきたんです?」
副官は艦長が通路を走って逃げてくるのを見て以来の疑問を口にした。上官は、器用に左手を右ポケットに突っ込み、
中から小さなテレビ用リモコンくらいの大きさの何かを取り出した。ボルツマンは、それが一体何なのかを知っていた。
要人などが自衛用に使う、秘匿が容易に可能な拳銃だ。装弾数は僅かに二発で、自衛というより隙を作って逃げ出す為のものであり、
ペトルッツィは正にその通りの使い方でもってこの特異な拳銃を使用したのだった。上官はそれを再びポケットに収めて言った。
「こいつを二発とも顔面に食らわせたらキレられてな。あんまり怖いんで逃げてきた。更年期障害か生理かな?」
「多分前者だと思いますよ」
彼らは何とか繁華街から抜け出しつつあり、その為に余裕が生まれていた。ジュライのことで冗談を言って笑えるくらいの余裕が。
背の低い、高くとも精々三階建てだろうというような建造物ばかりが両脇に並び立つ道路を直進していく。太陽が目の前に来て、
二人は目を細め、手を伸ばして日除けを下ろした。強い光が消えて、目を通常の太さに戻す。必要以上に下げてしまった日除けを、
最適な位置に直そうと身を前に倒した時、ボルツマンは光の反射を眼に受けた。ガラスか、太陽光発電のパネルと思しき何かが、
屋上できらり、きらりと日に輝いているのだった。彼はそれも視界に入らないように、日除けをくいと動かして調節した。
だから、二人は降り来る凶刃に対して、その接触の時に際してさえも、完全な理解が及ぶということは、有り得なかった。

*  *  *

一、二、三、と、新型の相棒を務めるただ一人の特別な年末型アンドロイドは数を数えた。今、彼女には、敵が何名いるかが重要だった。
一度に捌き切れる人数まで銃撃戦で減らし、その後、突っ込めるなら突っ込んで格闘で何とかしてしまおうと思っていたからだ。
それというのも、彼女の持ち合わせていた弾薬が、段々と心許ない量になり始めていたからだった。残っているのは数本だけだ。
夜を跨いで続けられている長いこの戦闘の間に、彼女は弾倉を幾つも使い果たしていた。戦死した同胞や物資集積所で手に入れた弾倉も、
多くは残ってはいない。今のままで戦っていれば、絶対に弾切れになってしまう。そうなれば自分の身を危険に曝すことになるだろう。
拳銃の弾倉は何本かずつ持っていたので、暫くはそれで戦おうかと思ったが、それも危険だ。装甲服を必ず貫通するとは限らない。
場合によっては接近を許してしまうかもしれないし、すると危険度はぐっと上がる。弾丸を節約しつつ、何とか敵を減らす他に手は無い。
セミオートで数発撃つ。びしり、と命中音。装甲服を貫通した銃弾は敵を殺したようで、衛生兵を呼ぶ声はしたが叫び声や悲鳴の類は、
聞こえては来なかった。死んだのなら良いのだが、などと考える。下ろしたリュックサックの中を探り、手榴弾を掴み取る。
ピンを引き抜き、第二セーフティを解除した。それから、一と半秒数えて、彼女の隠れる分厚い木製の机を越えさせて、投げた。
小型の爆発物の軌跡は当然ながら放物線を描き、見事に敵の遮蔽物の内側に入り込んで、爆発した。投げ返すのには間に合わなかった。
というよりも、手榴弾は彼女の正確なカウントと弾道計算と移動に掛かる時間の計算のお陰で、しゃがんだ敵の胸くらいの高さで、
丁度タイミング良く爆発したのだった。それでは、投げ返せる訳が無い。今だとばかりに、遮蔽物を飛び出す。彼女がさっと見たところ、
生き残っているのは三人だけで、その内二人がヘルメットの眼部を突き破ってきた破片の為に顔や目を負傷し戦闘は不可能、
故にすぐにでも殺すべきなのは一名だけで、その彼も怯んでいた。彼は何が起こったか良く分からない間に、相棒の可愛らしい手で、
首の骨を小枝を折るかのように簡単に叩き折られ、死んだ。残った二人の首は、位置の関係から蹴り折られることになった。
その部屋を出て、次の部屋に向かおうとして、敵の銃を使うことを考慮する。自分には大き過ぎる銃だ。だけれども弾は出るし、
弾が出れば十分ではないか。銃なんてものは撃てればいいのだ。当たらなかったら当たるまで近づけばいいし、数でカバーするのも手だ。
彼女はMP7も突撃銃も、二挺共を持った。ドアを蹴り開けて次の部屋を探す。彼女の相方が暴れた後の部屋は一目瞭然だ。
ドアが破られているし、ちらりと覗き込んだ中は凄惨な状況になっているからだ。姉である彼女の行為に、妹として苦言を呈したかった。
何も態々こうまでしなくてもいいだろう。足元に転がっている、腸を恐らくは手で引きずり出された死体を蹴飛ばして、
妹は溜め息を吐いた。そんなものを見ていても敵は減らないと思い、銃を持って新たな敵の撃滅に勤しむことにする。
敵は怖気づいたのか、部屋から出て包囲網を作ったり、防衛線を張ったりという行動に出ようとしない。どうしたことだろうか。
怖くとも行動無ければ死あるのみだ。粛清部隊兵ともなれば、それが分からない人間たちではないだろうに。彼女は不思議だった。
適当な一つの部屋に狙いを定めて、歩いて向かっていく。破られてもいないし、血も下から漏れ出てきたりしていない。
姉は別の部屋で暴れているのだろう。銃声がしたならば分かるのだが、と彼女は思った。新型は、彼女の愛する姉との戦いに備え、
決してライフルを使うことはあるまい。使わなくとも楽勝で何とかなる相手だ。使うとすれば拳銃か、サーベル程度のものだろう。
ドアノブに手を掛け、開き戸を開けようとした時、反対側から開けられた。後ずさって銃を構えようとする。がしっと銃自体を掴まれた。
ボルトごと掴まれているので、撃てるかどうか分からない。が、その時点でこの年末型は射撃をするつもりなど消えていた。姉だ。
「全く、敵と味方の区別もつかないんですの?」
呆れたような言葉を言い放ちながら、手を離す。相棒は銃を下ろし、この部屋にはいないと思っていたから云々と言い訳した。
いないと思った理由を問う新型。まさかドアが蹴破られていないからなどと言えば、姉の機嫌を損ねること間違いなしと知っているので、
相棒は口を閉ざし、もごもごと何事か、適当な嘘誤魔化しを捻り出そうとする。しかし、彼女はそういうこととは無縁だったもので、
咄嗟の場合にそんなものが即座に出てくるほど、相手を騙すのが上手くなかった。数秒後、自分が相方の機嫌を余計に悪化させたことを、
自身の頭に数発の拳骨を喰らって、彼女は悟った。それで素直に本当のことを言うと、もう四五発殴られた。彼女は理不尽だと思った。
「下らないことを言っていないで次の部屋に行きますわよ」
わしわしと頭を撫でる手。これが所謂飴と鞭だと分かっていながらも、その気持ち良さに相棒は先の理不尽を忘れる気になった。
二人でまだ入っていない部屋を探し、ドアの前に立つ。相棒がドアを開け、新型を突っ込ませようと一歩前に出た次の時には、
突っ込ませるつもりだった新型は足を振り上げ、ドアに叩きつけていた。吹っ飛んで、軌道上にいた敵兵に直撃する。
相棒の口から溜め息が漏れて、じとっとした目で姉を見上げた。意に介さない、むしろこれが当たり前くらいに思っている顔で返され、
言葉を失う。やってることと言ってることが違うんじゃないのかと指摘したかったが、相棒だって殴られるのは好きではなかった。

*  *  *

外を見て、そういえば先程から雨が上がっているなと、エイプリルは気付いた。しかし、また少しすれば降り出しそうな空だった。
艦橋は空調が働いているので肌寒さを感じることは無いが、敵艦内で戦う兵士たちは寒い思いをしているかもしれない。
何せ敵艦は墜落し、不時着した。空調が効いていると思う方がおかしい。エイプリルは、我慢して貰う他ないかと思った。
──こちらオーガスト、艦橋を制圧! 勝ったよ、お姉様!
通信が飛んで来て、リーダーの頭の中に直接響く。艦橋の制圧に成功したと聞いて彼女の頬は緩んだが、勝敗についての決定は避けた。
時期尚早だ。敵兵全員を殺すか捕虜にし、更にあの恐るべき妹たちをどうにかしてしまわなければ、勝ったとはとても言い切れない。
とはいえ、それを直接言ってしまうのはどうだろうか。オーガストの士気に問題を発生させるだろうか。考えたが、言うことにした。
彼女が分かってくれると信じていたし、油断で足元をすくわれる破目になれば、死ぬのは一人や二人ではないのだ。口にせねばならない。
──勝ったとは言えませんわよ、オーガスト。敵兵も、あの妹たちも残っているのですから。気を抜かず、戦いなさい。
通信の向こう側で、妹が恥じ入っているような様子があった。エイプリルがそれに気付かぬ訳も無く、彼女は優しく妹を励ました。
気をつけて、生きて帰って来なさい、一人でも多くの兵を引き連れて。大体そんなところの、言った本人からしても陳腐な言葉だったが、
姉を強く慕うオーガストにとり陳腐だとかそういうことは関係が無かった。エイプリルお姉様が励ましてくれているということだけで、
彼女にはどんな人のどんな言葉よりも、価値があったのだ。オーガストは元気良く返答し、彼女の姉を安心させた。姉は通信を切り、
次はマーチに対して回線を開いた。マルスを帰艦させ、ギルドヘリか何かで戦線に復帰させようと考えたのだった。だがしかし、
マーチは既に戦線にいた。神経接続を断ってマルスを放置し戦線に向かったと知った時、エイプリルは怒りを通り越して呆れを感じた。
──大丈夫、あれは人間には使えないし、個体識別コードもある。ニルソン様が手を貸さない限り、使えない筈よ。
しれっとそう言ってのけるマーチだが、エイプリルは彼女の行為を勿論良しとはしなかった。例えそうだとしても、どうして、
私の指示を仰ごうとしなかったのかと尋ねたその答えにも、怒りを過ぎた呆れを同様に感じた。帰って来たら査問委員会ですわ、
とリーダーが言うと、妹は通信を切った。頭を振る。彼女には悩まされっぱなしだ。十二姉妹のリーダーだった時もそうだったし、
十二姉妹隊のリーダーになってからもそれは変わりそうに無い。もっと大人になってくれればいいのにと彼女は願った。無理な話だった。
さっきのオーガストにはああ言ったエイプリルだったが、彼女もこの戦闘が終わりつつあると考えていた。終わってはいないが、
その兆しを見せている。艦内に追い込んだ敵は崩壊へと進んでいるし、アンドロイド隊を率いて寝返った新型は彼らを粉砕するだろう。
唯一彼女が気を重くしているのは、その後の新型との戦いだった。作られた時間は短く、けれど彼女に残された時間はそれだけしかない。
新型に打ち勝つ方法を何としても発見しなければならないのに、幾ら考えてもその手段は見つからなかった。メイも同様だった。
ニルソン様に話してみようかしら、と彼女に言ったが、彼女は心配を抱かせたくは無いと反対した。エイプリルはそれに同意したが、
今になって思い返すと甘いことを言ってしまったと、同意の言葉を失言の一つに数えた。溜め息を吐く気にもならない。どうするか。
どうやって勝利するか。どうやって相手を打倒するか。口先で何とでもなる相手ではないし、彼女が突然気を変えるとは思えない。
火力は大きく、単なる力も強く、ボディは五十口径弾さえも無効化し──考えれば考えるほど、自分やメイの武装では倒せそうに無い。
倒すつもりなら、ギルドヘリでも持って来るべきだ。ギルドスカイでもいい。ジューンのギルドスカイには、新型も逃げたのだから。
そうせずに戦うなら弱点を叩かねば勝てず、エイプリルやメイの装備で叩ける彼女の弱点があるとすれば、それは目に他ならないだろう。
目。眼部。エイプリルの弱点でもあり、メイの弱点でもある部位だ。構造上、目を貫通すれば人工脳まで一直線だからである。
けれどもどんな魔法を使えば、動き回る妹の両目の内、片方だけでも射抜くことが出来るだろう。動きが止まっていても、
片腕で防げば完全に無効化されてしまう。この手段は余程運が良くなければ使えまい。では、他の手段を模索しよう。
爆薬。爆弾。オーガストの得意分野。C4、ダイナマイト、何でもいい。彼女を吹っ飛ばしてしまえば、彼女をばらばらにしてしまえば、
十二姉妹の勝ちになり、後はどうとでも処理出来る。ニルソン様は彼女の人工脳を弄ってくれるかしら? そうしたならば、
エイプリル率いる新生十二姉妹隊に、大きな戦力の増強が見込める。この案の欠点と言えば、自分も巻き込まれかねないとか、
そう沢山の爆薬を持って行けないことだろう。これは保留にしておいて、次の策を練る作業に入る。解決が見つからないことに、
エイプリルは段々と苛々し始めていた。駄目だと分かっていても、感情はセーブ出来ない。腕を組み、前を睨みつける。
ボディを破壊せずとも、人工脳へのハッキングなどで動作を止められないだろうか。エイプリルは迷路から抜け出した気持ちになった。
急いでフェブラリーに連絡し、可能かどうか確認する。フェブは試みたことが無いので分からない、としか返せなかった。
それでも、エイプリルの気分は多少良くなった。そうだ、外から破壊出来ないなら、内側から破壊するという手がある。
外皮が幾ら固くとも、五十口径弾さえも跳ね返すとしても、衝撃やハッキングで人工脳の機能を損傷、破壊させれば、勝てるのだ。
問題は、そんな悠長なことをしているような時間が、彼女との戦いにおいて存在するかどうか、であった。
そういった手間の掛かる戦法で勝利を収めるには、多大な運と策略が要求されるだろうと予想される。リーダーは祈る以外で、
最終的な勝利を得る為の別手段を捜索し始めた。時間は減っていくが、無くなるまでは考え続けようと、彼女は決定した。

*  *  *

酷いものだ。私は何処か冷静にそう思っていた。頭を何かに強くぶつけてしまったが、それにも関わらずにだ。いやはや、酷い。
右ではハンドルを切りながら、彼の拳銃を目の前の脅威に発砲する私の上官がいる。時折私の方を向いて怒鳴るが、私の耳が痛むだけだ。
物事を判断出来ない状態に、私は押し込まれていた。それが自分でも分かるが、対処する気が起きない。多分試みれば成功するだろう、
それだというのに、やる気が出ない。不思議なことではない。私も軍属だったのだから、こういう状態は知っている。経験だってある。
ああ、そうだ。これは、あの時に一番似ている。ええと、何だったか。ぼやける思考に悩まされる。車が左に急速に曲がった。
所謂ところの慣性の法則という奴で、シートベルトをつけていなかった私は振り回され、ドアのガラスに激突した。思考が少しだけ、
クリアな状態になる。つまり壊れた機械は叩けば直るというあれだ。人間もどうやら変わらないものらしく、私は暫しの正気を手にした。
そう、これに一番似た状態は、撃たれた時のあれだ。新兵が良くなる、古兵も時にはそうなる、ショック状態みたいなものだ。
で、正気になったからには、私はこのクソったれな状況をどうにかする為に動き出さずにはいられなかった。後ろにあの女がいるのだ!
彼女は落ちて来た。ボンネットを狙ったのか、それとも座席部を狙ったのか、狙い通りに落ちたのか、それは分からないけれど、
落着地点はトランク部分だった。お陰で、私たち二人は命拾いしたのだ。落下地点がボンネットだったならエンジンが壊れていただろう。
座席部を狙ったなら、彼女のボディは私たちを潰すか、私たちの後ろにどすんと突き刺さることになって、我々は容易く殺されたろう。
トランクに落ちたのは幸いだった。彼女は刀を突き立てて姿勢を制御しようとしたが、逸早く察した艦長がハンドルを切った為に、
突き立てたはいいものの、車から振り落とされそうになっていた。今も落ちるギリギリのところで、刀の刃の部分を握って耐えている。
艦長が必死で頑張っている間に私がどうなっていたかと言えば、言うまでも無いだろう。ショック状態だった。頭をぶつけたからか、
彼女が落ちて来て、我々を殺そうとしているということを理解したからか。そんなことは知らない。どうでもいい。今は生き残ろう。
それに、ここまで無事に逃げて来て、死ぬなんて。酷すぎるというものだ。神に祈ったことはないが、今がその時かもしれない。
ああでも、今まで祈ったこともロクに無い男の祈りを聞き届ける神がいるだろうか? 私が神だったなら無視してしまうだろう。
頭への打擲と時間の経過で、私は完全に正気に立ち戻った。こんな馬鹿なことを考えている暇は無い! 私は拳銃を探した。
騒ぎの中で、落としてしまっていた。ベルトを嵌めていなかったのが悪く作用してしまったのだ。今度から、マナーは守ることにしよう。
腰を曲げ、座席の下を探す。私の体には狭すぎて、良く探せない。腕を突っ込み引っ掻き回して、やっとのことで黒い拳銃を見つけた。
スライドを引いて、初弾を装填。三十八口径、装弾数は十三発。三十八口径で姉妹が殺せるとは思えないが、殺せなくともいいのだ。
刃を握る手を撃てばいい。刃自体を撃てばいい。そうすれば、彼女は落ちて、我々は逃げ遂せることが出来る。それだけで、いい。
後ろを向き、狙いを定める。彼女の視線と私の視線が交錯する。撃つが、外れた。艦長がハンドルを切ったせいだった。
私は抗議の声を上げたが、彼は取り合わなかった。仕方ない話である。もしあのまま一秒だって余計に直進してれば、二人とも死んでた。
まあ、外れは外れだけども、十二発もあれば十分だろう。怒りを抑えて、再度エイミングする。使い慣れてない拳銃じゃ、時間が掛かる。
発砲。命中。私は舌打ちした。落ちろ、このクソったれの淫売が! 確かに銃弾は、刃を掴む右手を捉えた。だが彼女は離さなかった。
どころか、左手をトランクに叩きつけて荷物室内に貫通させるとその穴に左手を引っ掛け、それを手掛かりにして近づこうとしている。
このままでは、遅かれ早かれ我々二人は彼女の刀の錆になってしまうだろう。それは、回避しなければならない。意地でも、何としても。
金属板を貫いて、刀が次の手掛かりを作る。もう半分ちょっと超えたところまで、荷物室上を進んでいる。見過ごす気は無かった。
最早狙いを定めている暇は無い。彼女の顔を狙え、体を狙え。何としてでも叩き落せ。換えの弾倉の在り処を、艦長が教えてくれた。
良かった、三秒前よりは安心して発砲出来る。標的の女は急制動で次の手掛かりを作るタイミングを失っていた。チャンスだ。
細かく狙わずに射撃。バランスを崩しそうになっているが、中々最後の一線を越えてくれない。あっという間に残った銃弾を撃ち尽くす。
前を向いて、ペトルッツィ艦長の教えてくれた位置にあった弾倉三本を見つける。三本もあるのか、そりゃあいい。私は二つ取った。
古い弾倉を抜き、一本を差し込む。後退し切って止まったスライドを前進させ、薬室に弾を送り込む。後ろを振り返って、驚いた。
私が振り返ったのは、彼女の左手が、割れる寸前だった後部ガラスを叩き割った時だったからだ。破片が額に当たったが血は出なかった。
危険だ。私は銃を向けた。十三発を撃ちまくる。手は離れない。泣きたくなった。恐怖を感じた。弾倉交換。十三発を発砲。次の弾倉!
こんな時に前を向き直らなければならないのは最悪なことだったが、そうしなければ弾が取れない。生存本能が勝利し、前を向く。
最後の一本を取り、弾倉交換し、振り返る。喜色に私の顔が染まった。左手が外れている! 後は一本だけだ! しかし、違った。
彼女の左手は、彼女の服のベルトか何かに差し込んだ一挺の拳銃を掴んでいた。私はそれをまじまじと眺めた。ああ、それは、私の……。
次の瞬間、私は胸に侵入してくる異物を感じつつ、フロントガラスに向かって背中を強く打ち付けた。ガラスの左側が、赤く染まる。

*  *  *

半分まで掃討し終わった時点で、相棒はこれ以上自分の働く必要性を見出せなくなって、後は楽しそうな相方を眺めていることにした。
彼女は本当に、活き活きとした表情で戦っている。これが終われば彼女が最も戦いたいと願う相手と戦えるのが、その理由だろう。
でなければこうまではならない。彼女はギルド兵など歯牙にも掛けないのだから。彼女にとって、彼らは這い回る蟻に過ぎない。
姉妹兵だろうが、粛清部隊兵だろうが、それは変わらない。相棒は自分のリュックサックを下ろして、本来は新型のものである、
菓子の詰まった袋から飴玉を一つ取った。他の年末型と違って新型のお気に入りである彼女は、嗜好品と触れる機会も多く、
彼女なりに好みの菓子などもあった。とは言っても、ジューンから貰った桃缶が、既にそのピラミッドの頂点に座していたが。
リンゴ味の飴をころころと口の中で転がしつつ、適当にバリケードの残骸などに腰掛ける。銃弾は飛ばない。敵が新型を見ているからだ。
ライフルを持って強引に敵の中に入り込んだ彼女は、凡そ戦闘の威厳とは掛け離れたスタイルの戦闘を繰り広げていた。
殴り、蹴り、噛み付き、締め上げ、頭突きする。常に優雅たれと自分を律している彼女らしくない戦いだったが、それほどの渇望なのだ。
姉と戦いたい。姉を殺したい。姉に殺されたい。どちらが強いのかはっきりさせたい。今やっと、決着の時が見えて来たのだ。
新型は我慢ならなかった。優雅さを放置して戦ってでも、とっととこの下らない戦闘を終わらせたかった。だから彼女は手段を選ばない。
投げ飛ばされた一人の敵兵が、相棒の足元に転がって来た。生きていて、立ち上がろうとする彼の胸を勢いをつけて右足で強く踏む。
地面に押し付けられて、呻き声を上げた。左足で彼のヘルメットを踏みつける。喉の辺りに狙いをつけて、拳銃を撃ち込む。終わった。
一々こういった手順を踏まねばならないのは面倒だったが、普通に撃っても装甲服に弾かれることがあることが相棒には分かっていた。
ぐしゃりと、嫌な音を立ててめり込むライフルの銃床。それを引き戻さずに親指で引金を引いて発砲すると、背中側の敵兵が吹き飛んだ。
腹の上で真っ二つに裂けて、後方に飛んでいく上半身と、立ったままの下半身に分離する。バランスを失って倒れる下半身。
あれで優雅たれってのも無い話だな、と、相棒は心底思った。血と臓物をばら撒いて、何が優雅だ。聞いて呆れる。言いはしないけれど。
銃を振り上げて殴り掛かって来た敵兵の左脇の下をくぐり、擦れ違いざまに背骨を肘で折る。パワー型アンドロイドの力は伊達ではない。
感心しながら見ていると、相棒は驚くべきシーンに遭遇した。粛清部隊兵のがむしゃらな一撃が、彼女の相方の顔面にヒットした。
よろめく彼女に好機とばかり殺到する敵。しかし、彼らはより凶暴になった新型と格闘する破目になっただけだった。
よりによって顔面を攻撃しないでもいいだろうに。相棒の口は溜め息を吐く形に変わったが、息は出なかった。目を戦場に向ける。
処理のスピードが段違いになり、最後の一兵を屠るのには一秒も掛からなかった。最初からそうすれば殴られずに済んだのに、
相棒には姉の考えややっていることが、余り理解出来なかった。でもそれでいいと考える。あれを理解してしまったらどうかと思えた。
血塗れの腕を、二度三度振るって綺麗にする。水で洗い流したい衝動に新型は駆られたが、服が濡れるのは気持ち悪いので止めた。
「次、行きますわよ」
こきこきと肩を鳴らす。疲れたのか聞くと、綺麗な微笑み一つでそれを否定して見せた。バリケードから腰を上げて、彼女の横に並ぶ。
そうして二人で部屋を出ると、遅れてやって来たマーチと、年末型二十名に出会った。その時の新型の喜びを見て、確かに疲れてないと、
相棒は奇妙に納得し、うんうんと頷く。彼女の同胞が何を頷いているのやらと見ているのに気付いて、首は振らないようにした。
マーチは最悪な相手と出会ったものだと思い、年末型たちにその場を任せて離脱しようとしたが、間に合わなかった。抱き締められる。
パワー型アンドロイドであることは同じだったが、誕生の時期が違うから技術が違う。体格も違うし、マーチが渾身の力で足掻いても、
脱出に到るまでは容易ではなかった。何度も何度も圧殺されそうになりながらも、マーチはようやく自由を勝ち得ることが出来た。
ミニミを発砲したい気持ちを堪えて、掃討の続行を命じる。立場に関して特にエイプリルは言及しなかったが、妹は当たり前のように、
姉の言葉に従った。マーチの連れて来た二十名の年末型も、指示を受けて十名ずつの二班に分かれて攻撃を開始する。
お陰で姉妹兵たちは、まず味方が誰も今までにも現在も入っていない、未制圧の部屋を探さなければならなかった。
愛銃の引金を引き絞りながら、マーチが部屋に突入する。後から後から、姉妹兵が順番に突っ込んでいく。マーチを先頭にしたのは、
彼女自身の命令によるものだった。それは非常に正しい判断だった。掃討されていることを知っていた粛清部隊兵は戸口に火力を集中、
そう簡単には入って来れないようにしていたが、マーチにとって突撃銃の弾丸など然程のものではない。侵入を許せば、兵は動揺する。
おまけにマーチの銃は分隊援護に使われる軽機関銃、制圧射撃は得意分野だ。敵兵が頭を下げると、姉妹兵は順番に入っていった。
そこからは、数に勝るマーチたちの優位に戦闘は進み、銃撃戦が終わるまでには数分と掛からなかった。彼女らは三名の捕虜を得た。
新型の戦っていた部屋には敵が多くいたようだったけれど、相手が悪かった。マーチ担当の部屋が片付いてから四分程度した頃、
体中に返り血を浴びた妹が、敵兵から剥ぎ取った服で体を拭いながら部屋から出て来た。彼女はすぐさま班に分かれた部下たちの部屋に、
銃を持って駆けつけた。士気の上がった年末型たちと新型は敵の防御陣に突入、慌てふためいた敵が銃を捨てて降伏するも、
聞き入れずに綺麗に始末してしまった。誰一人人間では動く者がいなくなった部屋から出てきた時、妹は折角体を拭いたのに、
再び血塗れの汚れた体に逆戻りしていた。マーチがその様子を見かねて彼女にハンカチを投げつけるとポケットに滑り込ませたので、
姉はこのどうかしている妹を一発叩き、拭わせなければならなかった。相棒はそんな二人を見ながら、棒付きキャンディーを舐めていた。

*  *  *

ペトルッツィは自分にも死が追いつき始めたことを、副官が撃たれたことで正しく理解した。ずるずる、と体が下がり、
シートベルトを装着していなかったボルツマンの体が、下へと落ちていく。普段足を置く場所に尻を置いているので、
汚いな、と艦長は思った。全く、場違いな思考だった。バックミラーで後ろの脅威を確認する。彼女は銃をこちらに向けてきた。
頭を左に下げる。フロントガラスに着弾し、前が見えなくなる。このままでは、二発目は正確に自分を抉ると思って、
艦長はハンドルを出鱈目に切った。彼を狙った弾丸は、最初の着弾と同じように、フロントガラスを射抜く。今度こそ、ガラスは割れた。
そんな風にして、彼と彼女は七発の銃弾を互いの間に通わせた。弾が切れて、ジュライはその拳銃を放り捨てる。
どうせジュライにとっての脅威であったボルツマンは排除出来ていたし、彼女にとっては少し楽になるか予定通りかの違いだったのだ。
近づくことを再開したジュライの姿を見て、ペトルッツィは生きているかどうか不明の副官に叫んだ。ありったけの声だった。
「口を閉じて身を小さくしてろ!」
急ブレーキを掛ける。穴に手を引っ掛けていたジュライの体がふわりと浮かび、ボンネットに叩きつけられる。刀は抜かれ、手にあった。
ブレーキを踏み続けていると、彼女のボディはボンネット上を滑って、車体の下にまで落ちたようだった。ペトルッツィはまた叫んだ。
快哉の叫びだった。危機が去ったに違いないと思った。実際には、相変わらずその危機というのは彼の鼻先にあって、彼を狙っていた。
今度はアクセルを踏む。地面で何か削るような感触が車体越しに伝わって、いい気分になっていた艦長は、ボンネットの手に気付くのに、
僅かな遅れを生じさせた。それは大きな時間ではなかったし大したミスではなかったが、彼が死ぬほど驚くには必要なだけの遅れだった。
地面との接触が続いていることは、感触と揺れで分かる。でも、ジュライは、眼前の化け物は、生きている。殺す気なのだ。
恐怖に目が見開かれる。彼は二つの案を考えた。このまま引き摺り続けて、力尽きるのを祈るという方法がまず一つあった。
もう一つの案は、さっきみたいな急ブレーキをして、手が離れたらUターンして逃げてしまう、という手段だった。彼は選択に迫られた。
前者の案は、不確実なものに頼り過ぎている。危険だ。止まりたくないという精神に、理性で反逆して打倒せねばならない。
考えることにも時間を割けない彼だったが、自分の正しいと信じる選択として、彼は後者の案を選んだ。ブレーキを踏みつける。
がん、と音がして、ボルツマンの唸り声がした。彼も、生きているのだ。ペトルッツィは安心した。ボンネットの手が離れる。やった!
Uターンするまでの時間は、艦長にとって一生で一番長い時間だった。し終わって、アクセルを踏む。立ち上がって追い掛けて来る敵。
ペトルッツィは、危うく泣き出すところだった。こんなにしぶとくて怖い敵と戦うのは、初めてだった。彼は歩兵ではなかったのだから。
ジュライは今度は、荷物室に厄介になることは無かった。座席の端を掴み、助手席と運転席の間に首を差し込んで、彼女は囁いた。
「失礼、車を止めて貰えますかしら?」
言うまでも無く、ペトルッツィはすぐに車を止めた。電柱に激突し、ジュライの視界を白い風船みたいな何かが埋め出す。
エアバッグだ。が、彼女も、シートベルトは未着用だった。彼女は物理学的理由で、外に弾丸の如き軌道を描いて投げ出された。
フロントガラスの残骸を身に擦らせながら外に飛び出し、アスファルトの上に落ちて、転がる。これにはさしものジュライも、
ダメージが大きかったようで、立ち上がろうとして失敗し、身を地面の上に横たえた。エアバッグの隙間から、艦長はそれを見た。
ボルツマン側のエアバッグを押し退け、上手く行かないのでナイフで切り裂いてから副官の容態を確かめる。彼は撃たれていたが、
意識はあった。話せたし、自分が今、どういった状況下に置かれているかをちゃんと理解していた。艦長は加えて安心した。
ペトルッツィは彼を車から引き摺り出そうとしたが、副官自身が、それを止めた。彼はショック状態ではなく、冷静に、もう駄目だと、
自身の体について判断を下していたのだった。撃たれても離さなかった艦長の拳銃を握り締め、明らかにジュライと刺し違える気でいた。
引き止める術を、上官は知らなかった。部下は何が面白いのか、にやにや笑った。ジュライが立ち上がることに成功する。
ふらふらしていることも無い。ペトルッツィは一度だけ意思を尋ね、ボルツマンが考えを変えていないことを知ると、迷わなかった。
背を向けて、走り出す。副官が声を上げた。銃声。艦長はそれら全てを背中に受けながら走った。道は知らない。だから真っ直ぐ走る。
コヨーテに出くわすかもしれないが、それでもいい。兎に角逃げたい。ジュライはボルツマンを殺すだろうと、艦長は思った。
彼女の刀で、彼女の武器で。拳銃一挺で止められるものではないのだから。聞こえて来た拳銃の銃声が、十発になった。
爆発音。火が上がる音もした。ペトルッツィは思わず足を止めて振り返った。離れてしまった車の位置周辺から火の手が姿を見せている。
声を作るべく息が漏れたが、声帯を震わせることは出来なかった。あの男が死んだ。ペトルッツィは、彼をずっと前から知っていた。
彼がこの部隊の総指揮官を務めるようになる前から、艦隊勤務の一ギルド兵だった頃から、ボルツマン元陸軍大尉を知っていた。
その彼が死んだ。ペトルッツィは吐き気を催して、膝を突き、胃の中身を地面に戻した。戦闘開始以来殆ど何も食べていなかったので、
出て来たものといえばコーヒーばかりだった。一通り吐き出し、彼はよろよろ立ち上がる。足を動かそうとして、拳銃の発射音を聞いた。
聞き間違えなどではなかった。ペトルッツィの拳銃の発射音だった。ボルツマンは生きていたのだ。戻りそうになったが、足を止めた。
今から行って、何になる? 冷ややかな考えだった。理性の声だった。ジュライは彼を殺しただろう。彼の最期の抵抗が今の発砲なのだ。
とすれば、行ったとしたって死体と対面の後、自分もその死体の仲間入りをすることになるだけだ。理性的な考えを裏付けるように、
火の覆いを払い除けることもせずに、ジュライが姿を現した。艦長は心臓を握り潰されるような思いだった。彼は足を動かし始めた。

*  *  *

掃討はマーチ隊の到着で、より一層早いものになった。粛清部隊兵が士気を失い、無気力に銃を投げ出して降参することが、
幾つもの部屋で見られた。彼らは大抵、人道に基づいた人間らしい扱いをされたが、投降した相手が悪かったこともあった。
そういった場合、運良くマーチが見て止めるか、姉妹兵が勇気を出して止めでもしない限り、彼らは熱狂した年末型と新型に殺害された。
「突入、突入!」
今また新たな突入班が、一つの部屋へと飛び込んでいく。銃撃が始まって、命令の声と返答の声だけが交わされるようになる。
ある部屋の清掃を終わらせた新型は、通路に出て、辺りを見回した。どの部屋も、敵がいない印がしてあるか、戦闘中だ。
つまり、次に静かになった時が、彼女の仕事が終わる時で、そうすれば新型は姉との戦いに身を捧げることが出来るのだった。
そこで気付き、別の方向を向いている相棒の肩を叩く。彼女は振り返り、何の用件か尋ねた。新型は、理由を言わず目を貸せと言う。
一度目は何を言われているのか良く分からなかった相棒だったが、新型の姿を見て理解した。目を貸す必要が無くなるように、
彼女の姿は最悪でとても見せられたものではなく、普段ならばバスルームに即行するくらい体表は汚れ切っていると教えてあげる。
アンドロイド隊指揮官の拳がわなわな震えだした。分かってやっているので、彼女の小さな友人は頭部を庇おうとする。
が、実際には新型の拳が震える理由は怒りではなく危機感で、何にそれを感じるのかと言えば、彼女の偉大な姉たちと対する時に、
そんな格好で行くなんていう、彼女にとってはとても恥ずかしく、とても許し難い行為に、であった。殴られないことに安心し、
時にはこのすぐ手が出る姉も殴らずに済ませようという気になるのだと勘違いした相棒は手を頭から除ける。
新型の頭の中では、高速で現在の自分に関する状況を打開する案が作成されつつあった。着替えが必要だ。服が汚れたならば、
着替える以外には方法は無い。敵弾でぼろぼろになった服を着て、一度しか無い確率だってある、最初で最後になるかもしれない、
晴れ舞台に出る気にはならない。それくらいなら新型は、今回は取り止めてもよかった。勿論姉に迷惑を掛けることへの申し訳なさが、
彼女の中にはあったが、礼を失するような行為に手を染めるなら、迷惑を掛ける方が彼女には余程マシに思えた。
でも、出来ることならどちらも選びたくなかったので、彼女は考える。何かを思い出そうとする。それは難しいことではなかった。
彼女が最初にこの星に降下した時、彼女は軍服を身に纏っていた。規定では、常にそれを着なければならないことになっていたからだ。
艦の誰も彼女が私服を得ることに文句を言う人間はいなかったし、彼女の隊の中では尚更のことだった。しかしながら規則は規則である。
そんな小さなことに反逆するのは賢い行いでもないし、十二姉妹を超越しようとする者はそういった何らかの問題を、反逆以外で、
どうにかしてみせなければならないという風に、新型は思っていた。だから、彼女は窮屈で魅力的でもない軍服を我慢して着続けたし、
需品部の人間を脅してマルチアーノ邸襲撃時の戦利品として存在するだろう十二姉妹の衣装を取り寄せたりもしなかったし、
ましてやカタログを読むだけに留めず注文までしてしまうようなことも一切無かった。全て我慢した。時々カタログに印をつけて、
いつかこれを手に入れようなどとは思ったものの、強い誘惑に負けそうになって電話に手を掛けたことも二度や三度ではないけれども、
結局は自分の信念や考えに従い、諦め、いずれ来る時期と機会を待つことにして、毎日毎日、微妙に改造してある軍服に袖を通した。
だけれども、一度艦から離れて降下してしまい、一応戦闘の中に放り込まれたならば、話は違った。どうとでも嘘を言って、軍服を捨て、
己の望む服装に着替えることが可能だった。それにしても彼女はまず望む服がある場所を探さなくてはならなかったが、
それは彼女と無理矢理協力させた相棒の二人で、クーロンの地図を隅から隅まで目を皿にして探して回り、幾つかの店を見つけていた。
そうして得たのが、今の服だった。小物などもその店で手に入れた。当然だ。何処に銃に無意味なアクセサリーをつけさせる部隊がある?
ペトルッツィの隊は艦長自身の性格もあってかなり適当で大雑把なところはありもしたが、そこまで勝手なことを許したりはしなかった。
彼女は服を手に入れた。十字架などの小物も手に入れた。既に店には人がいなかった。好都合だったが、これでは窃盗ではないかと思い、
相棒の状況と立場を考えれば至極真っ当な抗議にも関わらず、艦のPXでの買い物に使う為に常に持っている財布をポケットから出し、
カウンターに置いてから服を着替えた。何分早く着てみたかったし、誰もいなかったので、新型は更衣室に行かずにすぐに着替えた。
礼儀として見るべきではないだろうかと考えて相棒は両手で目を覆ったが、ちょっぴりの興味もあって指の隙間から眺めていると、
気付いた新型に笑われた。それで、彼女は開き直り手を顔から離した。新型は一切恥らう様子を見せないので、おかしなものだと思った。
きっと、恥ずかしくなくなるくらい楽しみにしていたのだろう。相棒は微笑ましい気持ちになり、慣れない服を着ようとしたので、
色々なところで苦労する新型の手伝いをしてあげた。姉は非常に喜び、相棒にかつて無かったほどの愛情表現をもって礼をした。
その後、店を出ようとする指揮官に相棒は、戦闘になれば服は傷つくことを伝えた。新型は了解していた。なら替えを持って行くべきだ。
相棒は紙袋に服を詰めて持っていた。新型は彼女が良く気が付くことを褒め、紙袋の中身は同じ服かどうかも聞いた。
しかし、彼女は答えず、開けて見た時のお楽しみ、というものがあることを教えて、紙袋を振って見せた。新型は頷き、受け入れた。
そこまで思い出して、新型は相棒の頭を優しく撫でつけ、近くを通った年末型にこの場のアンドロイド隊を任せることを告げると、
返事を待たずに全速力で走り出した。首根っこを掴まれて同じ速度で移動中の相棒には大体、目的地が分かった。紙袋を隠した場所だ。
あれを持って回れば替えまで傷つくことを恐れて、適当な人のいない建物の見つかりにくい場所に隠したのだった。

*  *  *

「そいつを寄越せ、手榴弾を!」
俺は何と言うか、縁があるのだろう……ジャニアリー隊隊長に、俺は少しばかりだってそんなことを、望まなかったのだけれど。
最後の一発、使わなくちゃ危険な、そんな時の為に取っておいた手榴弾を乱暴に寄越せと言われて、俺は良い気分ではなかった。
であるが、すぐ隣にいるので、聞こえなかったことにして渡さないということも出来ない。クソったれめ。これも敵がやたら粘るせいだ。
年末型アンドロイド部隊は別の部屋に掛かりきりなのだろう。耳を澄ませば、MP7の銃声も聞こえて来るから分かる。
マーチ様のミニミの銃声もだ。ま、それは数メートル横から聞こえて来るのだが。彼女を見てると十二姉妹の凄さが再認識出来ることだ。
「寄越せと言っている、ハンス」
胸倉を掴まれて、凄まれる。嫌な奴だ。それとも、俺が何か訳があって嫌われてるのか。でも銃撃の邪魔はするな。誤って味方を撃つぞ。
自分で取れと言って、敵を撃つ作業に戻る。乱暴に腰のベルトに引っ掛けたパイナップル手榴弾を取って、彼はピンを抜いた。
第二セーフティを解除し、ぶつぶつ呟いて数を数え、それから敵の方に投げつける。打ち明けた話、気に入らないが、いい投擲だった。
爆発して、三人か四人ほどの敵兵がバリケードの向こう側に投げ出されたり、倒れて二度と起きて来ないようになったりした。
彼らの敢闘精神には恐れ入る。あれだけ死んでも、全面的に投降することが無い。一部は投降するにしても、一挙に全員はそうしない。
今だって数人の敵兵を殺したが、そこに別の兵が入って、以前と変わらない状態になってしまった。投擲は良かったが、判断は駄目だな。
隠れたバリケードから頭と銃だけを出して、引金を引く。アイアンサイトの向こう側のヘルメットが炸裂して、ピンクの血飛沫を上げる。
もううんざりだ。頭に来た。戦闘というのは神経を磨耗する。鉋でも掛けるように、正気を失っていく。まともな人間だったならだ。
ギルドの構成員でもそれは変わらない。悪人でも、罪人でも、正気でない奴は少ない。大抵は正気だ。故に、こういう戦闘を経験すると。
と、また一人撃ち殺す。頭を引っ込めて、敵が自分からマークを外すまで待機する。で、こういう戦闘を経験すると、どうかしてしまう。
放っておけば悪化の一途で、余り悪くなると最後には誰が敵で誰が味方か分からなくなり、銃や弾を勝手に持ち出した上にただ一人で、
何処かのセントラルパークを占拠して罠を仕掛けまくって一般人を巻き込みつつ人質を取って対テロ部隊と戦闘を繰り広げたりした挙句、
何かもう、映画や小説だったら爽やかないい気分にでもなってしまいそうな結末を迎えてしまったりするのだ。
そんな訳で、我々もカウンセリングを受けたりするのだが、俺は今すぐ受けたかった。受けて、睡眠薬と精神安定剤のカプセルを貰って、
俺のベッドの脇に置いてある私物棚から酒を取り出し、貰った分を一粒残さず胃に流し込みたかった。オーバードーズ? 問題ない。
どうせカウンセリングの先生はニルソン様で、彼は我々の気持ちを分かっていてくれるから、全部飲んでも大丈夫な量しかくれないのだ。
「誰か手榴弾を持っていないのか!」
ちらっと別の男に目をやる。首を振られた。では、あそこの彼は? 駄目だそうだ。じゃあ、あんたはどうだ。ああそう、無いのか。
要するに俺たちは手榴弾が無く、銃撃で一人撃ち殺すことを繰り返す、狙撃局面に移行しなければならないというのだ。
早いところアンドロイド隊が来てくれることを願うのと任務以外にやることはないな、それじゃあ。銃を構え直して狙う。引金を引く。
セミオートで撃つが、敵の数が多いので、弾切れは早い。薬莢一つが弾き出され、ボルトが後退して──認識する必要も無い。
拳銃を抜き、突撃銃からは手を離す。隙が出来たと誤解して体を出した敵が、慌ててバリケードに引っ込もうとする。発砲。
外れた。肩には当たったが、弾かれてしまった。入射角の問題だと思う。何と言ってもギルドご自慢の装甲服だから、強装弾でも、
容易く貫通という訳には行かないのだ。九十度で撃ち込まなくては、必ず貫通するということは恐らく無い。逆を言えば九十度でならば、
必ず貫通するということでもあるのだが、角度を定めて射撃するというのはそんなに容易ではない。距離が離れればもっと難しくなる。
八、九、十、十一、十二発目で弾切れだ。そうならない内にバリケードの庇護の下に隠れようとすると、敵が不意に銃と身を出した。
あれを排除しなくては、俺は撃たれる。なので、銃を向け、引金を引いた。彼は倒れた。が、別の敵兵が、彼の隣から姿を現した。
「あー、畜生」
情けない声が漏れる。短い銃声が響いて、体に太い石柱でもぶち当たったかと思える衝撃が走る。斜め後ろに倒れたが、好都合だった。
バリケードに隠れられたからだ。俺は痛みに声を上げた。何処を撃たれたか確認したくて手を動かすと、激痛を感じた。俺は手を止めた。
衛生兵を呼ぶ声を上げる為に息を吸うが、それにも痛みを感じる。耐え難い、強い大きな痛みだ。俺は声も出せなくなってしまった。
口を開いたり閉じたり、ぱくぱくと動かす。ありがたくもジャニアリー隊隊長様が一瞥くれて、前を向いた。驚いた。無視しやがった。
だがそれは勘違いだった。彼は銃弾を一弾倉分全部ばら撒いて敵の頭を抑え付けると、これも驚いたことに、敵に躊躇無く背を向けて、
俺の軽くは無い体を庇いながら後方へと引き摺り、衛生兵を呼んで手当てを命じた。俺は前に戻ろうとする彼の手を掴み、
少なくなってしまった彼の弾倉入れの為に、俺の残った弾倉五、六本をくれてやった。あいつは今までで初めてにやりと笑ったけれど、
その時衛生兵が撃たれた場所、右鎖骨の少し下辺りに出来た銃創をガーゼで拭いやがったせいで、その奇跡をちゃんと見られなかった。
だって痛かったのだから仕方ないじゃないかと思う。因みに、鎖骨は折れていないそうだ。俺はそれを聞いて安心し、気が楽になった。

*  *  *

ジュライは一驚を喫したことを認めない訳には行かなかった。抜いた刀を鞘に戻して、右手で顎を撫でる。あの男に逃げられた。
新型も逃さずに捉え続けていた自分が、ただの人間如きの足に逃げられた。どんな魔法を使ったのかは知らないが、彼を殺せなかった。
こうなってしまっては、次はあるまい。自分の不手際は自分にいずれ跳ね返ってくるものだが、あの程度の人間が生きていたところで、
どうして脅威足りえるだろうか。彼は責任を負う立場の人間な筈で、そうとすれば今日の大敗北の責任を追及され、過剰な責を負わされ、
明日明後日にも断頭台に立つ破目になるのが彼の未来だ。始末される人間が、脅威になることは有り得ない。有り得ない。
だが、ジュライの機嫌は良くなかった。完璧を求める彼女としては、そういった不手際が一つでもあることは、気に食わないことだった。
と言っても、いつまでもいつまでもそれを悔いてどうのこうのと益体も無いことを考えているのも、好きではなかった。嫌いだった。
だから彼女はすっぱり諦めることにして、炎上を続ける車のところまで戻った。そこでは、瀕死の男が血溜りの中で緩慢に泳いでいる。
別に、聞くことも特に無かったし、殺してしまっても良かったが、ジュライは一度収めた刀を抜くのが面倒だったので、
死ぬまで待つことにする。彼は死に掛けていた。数分後には動かなくなり、二時間ほども経てば死後硬直が始まるだろう。
男はジュライの姿を目に写すと拳銃を向けたが、その銃に弾丸は残っていなかった。ジュライは、さっき撃たれた場所を触った。
着弾したのは脇腹で、銃弾は跳ね返されたが、服には傷がついてしまっている。彼女は眉を残念そうに下げた。
十二姉妹の服装は、ニルソンからのプレゼントが多い。殆どがそうだ。もしかすると、一部の姉妹の服は全てそうかもしれない。
貰い物を大切にするのは当然と考えているジュライとしては、小さな傷を作ってしまったのも申し訳無いと思うに足りる出来事だった。
他の姉妹も同じことを思うだろう。十二姉妹は礼儀や名誉、そういうものを重んじる。偉大な母から受け継いだそれらを、重要視する。
その重要視する礼儀の内には言わずもがなのことではあるが、貰い物の扱い方に関する考えも入っている。大切に使うこと。これだけだ。
言うに及ばず十二姉妹は戦闘集団なので、ジュライもこれまでに何度も服を汚し、傷つけてきた。ニルソンにはその度に謝罪した。
彼は気に掛ける様子を見せず、逆に新たな服を選ぶ楽しみを与えてくれたと言うのだが、ジュライは言わなければ気が済まなかったのだ。
目の前で死に掛けている男を見ながら、彼女は過去を振り返り、郷愁のような気持ちを抱いた。彼女は、それを振り払わなかった。
その代わりに、しゃがんで、泳ぐように体をばたつかせてもがく男の肩を掴み、抱き起こす……血が付かないように、注意しながら。
どんよりとしていて濁り気味の、死人と変わらないと表現していい瞳が、動きだけは機敏にジュライを見据える。敵意は無かった。
もうだめだと悟っているのだろう。そうなれば人の考えは大まかに分けて二つに分かれる。どうでもいいと考える者と、
最後の瞬間まで何かの為に努力し続けようとする者だ。彼は前者だったのかもしれないが、ジュライには分からない目的があるようにも、
見て取れないことは無かった。彼は喘いで、口の中の血や唾液や込み上げて来る様々な体液を飲み下しつつ、死に対抗しようとしていた。
走馬灯でも見ているのだろうか。ジュライの方を向いた目が、ふらふらと動き出す。口が動いて、何か言おうとしている。
横を向いてびしゃりと音を立てて血を吐き出すと、彼は撃たれたにしてははっきりと喋りだした。けれど彼の言葉は小さかったので、
結局聞くにはジュライは耳を近づける必要があった。どうやら彼は過去に戻ってしまっているらしく、何処かの戦場にいるようだった。
彼の言葉の端々に、ゲテルトバ星系に存在するとある惑星の特徴を確認出来たので、ジュライはそれがどの戦争なのかは分かった。
ゲテルトバと聞いて思い出す。G.C.二○三○年に、同星系のギダンという惑星で麻薬の売上金をミスターに襲撃されたことがあった。
十二姉妹はそれに関与していなかったので、ジュライはそれに関して情報を持っていないし、どうでもいいことではあったが。
「こちらローンスター、これより定時の点呼を行う。ブルーノ、フレート、ゲルティ、ヴィリー、マテュー……」
こんな調子で、彼は何十名もの部下の名前を挙げていく。男は過去の記憶の中で、一人の部下を探していた。その男は若く、新兵だった。
きっと手を焼かせたのだろうと、ジュライは推測した。精鋭部隊なら嫌われるだろうが、通常部隊の新兵が手を焼かせるのは普通だ。
寧ろそうしている内に、その部下に対する友愛の念を抱くようになることも多々あると聞く。ジュライにはその類の経験は無かったが。
「ルッツ、ルッツは何処だ? クヌート、ルッツを見なかったのか?」
戦場を駆け回って一人の兵を探し続ける記憶を辿り終えた時、彼は死ぬだろう。殺害者は何となく、そんな気がした。彼女は聞き続けた。
現実で銃創から血を溢れさせながら、記憶の中で男は部下を探す。塹壕から塹壕へ彼は走った。蟻塚という単語も、幾度か聞き取れた。
「共和国軍第三師団第二連隊第四大隊第一中隊第一小隊所属のルッツ・バルテル二等兵!」
叫ぶ。ジュライは彼が猛烈に繰り広げている死との戦いが、彼の敗北に終わりつつあることを見て取った。声が弱弱しくなっていく。
繰り返し繰り返し、兵の所属と姓名、それに階級を叫び立てるが、記憶の中で彼の部下は見つからないようだった。時間は残り僅かだ。
手を振り回して、口から血を飛ばして、迫り来る真実の時を遠ざけようとするが、じわじわと侵蝕されていく。と、動きが止まった。
死んだのかと思ったが、男は嬉しげに顔を歪めていた。部下の名前を呼んで、安堵の溜め息を吐く。それから、ぶるりと一度震えると、
彼は不意に濁った目から復活し、澄んだ目でジュライを見つめた。彼女は突然の変化に面食らって、後ずさった。彼は一言だけ言った。
「ああ──そこにいたのか」
にっこり笑って、その直後、彼は死を受け入れた。ジュライの腕に掛かる重みが変わったので、彼女は血の中に彼を横たえた。
ジュライは彼の横で燃え盛る車をちらと見て、一度は寝かせた彼の体を掴み、車の中に投げ入れた。焼ける臭いが、辺りに漂い始める。
その後、彼女は休憩することにした。

*  *  *

「クリア! クリア! クリア!」
「敵兵を殲滅した、終わりだ! 終わったぞ、畜生!」
波紋のようにその言葉が広がった。コヨーテやギルド兵が、口々に声を出す。やがてその声は大きくなって、いずれは歓声に変わった。
銃を突き上げ、意味の無い声を、腹の底から出す。終わった。生き残った。彼らは自分が生きていることに喜びを覚えた。
血に汚れた拳が上がる。薄汚れた姿で、勝利の雄叫び。それは全く、感動的な情景だった。口笛が吹かれたし、指笛も吹かれた。
マーチはオーガストに連絡し、艦の最終防衛拠点を制圧したことを告げる。向こうでもこちらの叫びが聞こえていたのか、
それとも誰かが通信回線を開いて伝えたか、開きっぱなしにしていたのだろう。既に彼女たちも制圧とこの戦闘での勝利を知っていた。
年末型も周りの叫び声や雰囲気、狂ったような馬鹿騒ぎに乗じて、男たちの野太い声の間に、可憐な声で割り込んだ。
とはいえ彼女たちが小さな声で我慢していることは無かった為、結局彼女たち特有の可憐さはある程度失われてしまった。
「通信回線を艦に開け! メディヴァックを寄越して貰って、負傷者の治療をしなけりゃならない!」
衛生兵が誰にも聞こえる、とんでもない大声でそう言った。すると、ぴたりと絶叫と喚声が止まった。今までの熱狂振りは何処へやら、
負傷した同胞のところへと急いで走っていく。年末型たちも、何か自分に手伝えることはないかと、仕事を探し出した。
そこへマーチがてきぱきと短く適切な指示を下していく。有能な指揮官に率いられたアンドロイド隊は、敵の死体集めや負傷兵探しに、
精を出し始めた。あれよあれよと言う間に、敵味方の区別無しに負傷した男たちが集められて、衛生兵によって治療される。
衛生兵と負傷兵にとっての、第二の死闘が始まっていた。彼らは疲れと怪我で弱っていたが、多くの者が軽口と罵詈雑言を叩くだけの、
十分な余裕を持ち合わせていた。エイプリルの許可が下りて、衛生兵と医薬品を乗せたヘリ三機が向かったという情報が入る。
「あっちに点滴がある、取って来てくれ。おい、彼の傷をガーゼで拭え! 拭うんだよ!」
「クソったれめ。医薬品を待ってちゃ、こいつは死んでしまう……メスを寄越せ。手を貸せ。聞こえるか、あんた?」
コヨーテの一人が致命傷を受けて、気管に治療上の重大な障害を抱えていた。彼は死の寸前で、何とか留まっている状態だった。
「いいか、今から気管を切開する。先に言っとくが麻酔は切れてるし、心拍数を下げられないからそもそも使えない。つまりすげえ痛む。
 死ぬほど痛むが、死にはしない。いいか、頑張れ。助けてやる。間違い無く、絶対に助けてやる。いいな? 出来るな? 始めるぞ!」
身をぐっと前に出して、彼の喉を覗き込む。大胆にも十二姉妹隊の衛生兵は、素早い最低限の動きで、劣悪な環境の下、
気管切開手術を始めた。汗と血を拭いながら、かつて敵だった人間の命の為に身を粉にして働く姉妹兵を見たコヨーテたちには、
最早彼らを敵とは到底思えなかった。ある姉妹兵は、仕事を済ませて、次の仕事を探そうとしていた時、奇妙な体験をした。
衛生兵が懸命な救命活動を行っているのを指差し、ぼろぼろ涙を流しながらありがとう、ありがとうとコヨーテが礼を言うのだった。
「水は、水は無いか! 一クォート水筒一つでもいい、持ってる奴はいないのか!」
「俺のがある、使ってくれ!」
投げ渡された水筒の口を開き、傷口の洗浄や負傷者に飲ませる。あっという間に空になった。水が足りない。衛生兵たちは焦った。
彼らの隣を通ろうとした一人の年末型の肩を掴み、何かと問う彼女に、切実な頼みを口にする。
「君たちで水を探して来てくれ。水が足りないんだ。頼む」
彼女が頷いたので、彼は負傷者の面倒を見る仕事に戻った。年末型は七、八名の仲間を集めると、艦内にある水を集めに走り出した。
敵兵の死体を見ていたコヨーテが、その兵の装甲服を探り始める。こんな時に何をしていると咎める姉妹兵に、彼は探し物を見せた。
水筒だった。量は少ないし、時には銃弾が貫いてしまって完全に中身が抜けてしまっていた上、温い水だったが、水には変わりなかった。
年末型が探して来るまで、こうして水を補給するしかない。数名の兵士とコヨーテが、その仕事に割り当てられた。
そんな中で、マーチの命令に従って行動していたある年末型は、違和感を抱いていた。違和感は、通路の反対側にあった。
マーチや新型たちは、同じドアを通って入って来た。反対側のドアは当然閉まっているべきだ。だが、明らかに開放されている。
おかしい。防御が防御たりえていない。誰かが通ったのだろうか? 自分の仲間に通信で尋ねるが、誰も通っていないと言う。
姉妹兵やコヨーテにも聞くが、彼らも知らなかった。彼女は銃を使わなくてはならないと気付き、MP7の安全装置を外すと、
そのドアを通った先の通路を歩き始めた。幾らかも歩くと、脱ぎ捨てられた装甲服が通路に落ちていた。馬鹿め、と、年末型は思った。
でも、彼女は油断していた。通路のドアを一つ通り過ぎると、直後にそのドアが開いた。後ろから、拳銃を持った男が出てくる。
拳銃は年末型の頭に突きつけられた。年末型の前方にある別のドアが開き、そこから二人が出て来て、一人は通路の中央で突撃銃を、
もう一人は部屋の壁に隠れて拳銃を構えている。三人。何とかなるかと思っていると、四人目が左に曲がる通路の角から現れた。
メキシカンスタンドオフという奴だ。年末型は映画にしか無いものと思っていたそれが実在することに驚き、ちょっぴり嬉しかった。
MP7を床に落とす。下を見ると、シルエットで後ろの男がヘルメットと装甲服を着ていないことが分かった。
次の行動に敵が移る前に、右手で拳銃を抜く。頭を銃口からずらしながら敵の下顎に拳銃を向け、発砲。彼は大きく身を動かして、
宙に拳銃を投げ出しながら、倒れ始める。年末型はさっと彼の後ろに回って、背中で支えて盾にした。
右半身を死人の左脇から覗かせて、何発か発砲。通路中央に立っていた男がフルオートで発砲しながら倒れる。危なっかしい。
投げ出されて落ちて来た拳銃を左手で掴み、両手を交差させて、部屋の壁に隠れた男と通路の角に隠れた男を撃つ。命中、命中。
弾が切れるまで撃ちまくった後、年末型は溜め息を吐いた。これで鳩が飛び回れば、実に完璧というものだったのだけれども、と。

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最終更新:2008年10月13日 10:00