騎士とかアサシンとか、ああいう時代よりもっと前、王に悪い知らせを持ち込んで来た使者は首を切られることもあったという。
今の価値観からすれば馬鹿げていて、頷けないような理由から行われる慣習の一つであったが、私は、今の状況を丸く収められるなら、
首を切られたって構わないと思った。私フェブも十二姉妹であるからには、どうせそんなことでは死なないのだし……首の一つや二つ。
ジューンの言葉を聞いて私は真っ先に、エイプリルに連絡した。ジュライの行動と、ジューンの行動と、両方をだ。エイプリルは黙した。
その沈黙の意味は私には分からなかったが、推測することは誰にでも出来る。きっとジュライをどう処理するかを考えているのだろう。
処理と言っても、命を絶つとかそういう意味じゃない。もしかしたら彼女はその決定を下すことも視野に入れているかもしれないけれど、
彼女はその選択を好まないだろう。これは今までの長い付き合いから勝手に予想するものだが、エイプリルは彼女を許さないにしても、
殺すことはまず無い。そんなことをやってしまえば内部に敵を複数作ることになる。我々は姉妹だが、誰もが己の考えを持っている。
長姉だから、リーダーだからと言って遠慮することは殆ど無い。ジュライを殺せば最初にジューン、次にジュライ隊の隊員が敵になる。
よってエイプリルはジュライが二度とあんな行いを為すことが無いように、しかしやり過ぎないように、罰を考えねばいけないのだ。
メイの率いたマーチ救助隊の時のような、寛大過ぎるのではとさえ思える罰は不適当である。離反と兵器強奪では罪の重さからして違う。
リーダーというのはかくも辛いものなのだと思って、エイプリルが少し可哀想に思えた。そんな座を狙うジャニアリーは何なんだろう。
エイプリルへのライバル意識だけではないというのなら、いつか聞いてみたいことだ。私は地図を呼び出し、敵の反応のあった区域に、
幾つかチェックを入れた。一つはジューンが最初に向かった地点、二つ目は新型と年末型の二人組が行った場所、三つ目は車での移動中、
ジューンたちが遭遇して、殲滅した残党部隊、四つ目はこの前、我々の兵が辿り着いていた敵の救護所だ。それらには警戒は必要ない。
首を振ってこきこきと音を鳴らし、辺りを眺める。死体を集めて部屋や廊下に積み上げる仕事をしている部下たちの姿ばかりが映る。
それが終われば、私はその死体の数を数え、実現し得る限りの正確性を持って、報告をしなければならない。友軍被害と敵の被害数をだ。
ざっと調べて見たところ、二個半中隊分あった。更に艦外にも死体がごろごろ転がっているのだから、一個大隊は超えるだろう。
我々は我々の数を遥かに超える、とまでは言わないにしろ、戦力で我々に勝る敵を打破したのだ。途中アンドロイド隊の裏切りとか、
コヨーテ参戦とかそういったこちらを有利にする出来事があったとはいえ、撃破したのだ。今頃になって、終わったのだと私は理解する。
正しくは、まだ終わってはいないか──少なくとも姉妹にとっては、新型という度し難い脅威が、手付かずのままで残されているのだ。
でも兵士たち、私の部下たち、コヨーテたちにとってのこの戦闘は終わった。我々は独立を高らかに叫び、我々は進み、我々は勝利した。
後は最後の決着をつければ、私たち十二姉妹のクーロン攻防戦は完璧に終わりとなる。黒い妹を永遠に眠らせることに成功すれば。
ああ、そうだ。我々はあの強靭な狂人を跪かせ、打ち倒し、その首を刈り取り、両目に彼女の敗北を告げる刃を突き立てねばならない。
そして、その行為の成否は私の力が握っているのだ。敵の人工脳に侵入し、侵食し、動かなくなるまでに破壊する。簡単ではない。
生易しいこととは、私には例え口が裂けたって言えない。難しいどころか八割、ひょっとすると九割方は無理な話だ。それというのも、
オリジナルである十二姉妹と新型では、人工脳の構造が異なるからだった。新型には一度試したのだ。彼女に知られるところだった。
私はギルドが思ったより馬鹿の集まりではないということを思わざるを得なかった。基本の構造はニルソン様のものをある程度模倣し、
けれど細部は全くの別物になっているところもある。私の介入が効くのは何処までか、見定めるのにも時間が掛かりそうだ。
彼女が我々の技術を流用して生み出された以上、抗ウィルス機能もあるだろうし、ハッキング防壁もしっかり張り巡らしてあるだろう。
攻性防壁か防性防壁かが重要だ。攻性防壁には気をつけないと、下手をすると私の方が破壊されてしまう。逆なら時間が掛かるだけだ。
面倒なのは組み合わせられた場合で、防性防壁に意図的に仕込まれた突破口に罠を仕込むことが多い。私には細心の注意を払うしかない。
それが、私の細心の注意が、彼女と彼女の開発スタッフを上回れば、私は生きて任務を果たし、戻って来ることが出来るだろう。
だけれども、もし私が迂闊な真似をしたりしたら、十二姉妹の死者に一人分、また新たな名前が記されることになる。それは嫌だ。
最初のハッキングの時の記憶から多少の侵入経路は頭に作られていたが、防壁に辿り着く前に離脱したので、ぶっつけ本番になりそうだ。
いいだろう、やってやろうじゃあないか。私はここまで生き抜いて来た。ヘリが墜落し、撃たれ、殴られても生き残って来たのである。
ならばこの戦闘が終わるまで、良ければこの戦争が終わるまで、死ぬことは無いと思いたい。というかたった今そう決めた。私は生きる。
死なないで生き残るのだ。だから、今回の任務は必ずや果たされるのだ。でなければ私は死ぬのだから、果たされない訳が無いのだ。
……どうやら私は励ますという行為に関して才能を微細なものさえも持ち得ないらしい。恐怖は拭えなかった。が、やる他に手段はない。
プロフェッショナルとしての仕事を求められている時、私は自分の心や感情を殺す術を知っていた。無表情な機械に成り下がる術を。
別にそれを卑下する気は無いし、重要な仕事をする以上は、一切の余計なものは削ぎ落とすべきだ。私はスリムにならなければならない。
スリムだからこそ、細く小さい抜け道を通って行けるのだ。ましてや、今度の相手は新型である。恐ろしい敵だ。逃げたい類の敵だ。
それでもやらなくてはならない時、私は完全に冷酷冷徹無情な機械になれる。黙々と任務遂行する機械人形になれる。悪いことではない。
寧ろ、こういった技能を得ていたことには幸運を感謝する以外の選択肢を持たない。それが無ければ新型へのハッキングは怖くて無理だ。
死体袋が並ぶ現実を見ながらも、私の思考は非現実と現実の接点となる場所に浸透していった。私が最大の力を振るえる場所。私の領域。
そこでこそ私は戦うことが出来て、そこでこそ私は生きて、死ぬのである。私の最初の領地であり、私の最後の領域になるだろう場所だ。
己の領域で負けたことは無い。勝ってやる。いつも通りやるだけだ。仕事をこなし、巻き込まれたり見つかって処理される前に逃げる。
簡単だ。私は首を縦に一度振った。簡単だ。何と言うことはない仕事だ。ただちょっぴり、事前の作業が面倒なだけで、それだけなのだ。

*  *  *

コヨーテの誰かが持って来たラジオを弄ると、陽気な曲が流れ出した。『上品』とコヨーテが形容する、ポップス中心の番組だったが、
戦闘の後の荒んだ心には正しく清涼剤の役割を果たした。少しすると、重傷者のいない、軽傷者だけを集めた部屋に少なくとも一つずつ、
ラジオが持ち込まれた。ポケットに入る物から置き場を探す必要あがる大きさの物まで様々だったし、新しいのも古いのもあったが、
どれも使えたし、壊れ掛けのラジオにつきものの雑音に悩まされることなども、特に無かった。彼らは思い思いのチャンネルに合わせ、
ニュースを聞いて、相変わらずなギルドの力に感心したり、音楽番組で騒々しい曲を流して騒いだり、トーク番組に文句を言ったりした。
選局には、そこにいる人間たちの趣味や所属する部隊、陣営が大きく関わっていた。コヨーテはスーパーソウルの流すような、
ロックに分類される音楽を流していた番組を好み、十二姉妹隊はニュースを始めとする情報系の番組を好んだ。彼らは互いに尊重しあい、
時間制で番組を切り替えた。姉妹兵たちがニュースを聞いている間はコヨーテは好き勝手に時間を潰し、彼らの時間が来ると、
今度は両者共に音楽に耳を傾け始めるのである。一週間前ならば考えられなかったことだと、誰しもが思わずにはいられなかった。
ミスターと並んで彼らのカリスマ的存在だったブルース・ドックリーを殺した者の率いていた部隊が、ここまで打ち解けてしまうとは。
かつての敵対関係も何処へやら、姉妹兵はコヨーテを信頼し、コヨーテは姉妹兵に背中を任せられると公言するまでになっているのだ。
最強の兵士だった男たちと、その強力な敵対者だった男たち。彼らの本質に同じものが確固として存在したのが、その理由だろう。
誇りである。それこそ、彼らと彼らを結ぶ唯一無二の何よりも強固な精神であり、誇りの形さえ似ていたのも、邂逅に手を貸した。
一つ思うのは、とハンスは、質問の拒絶以来続く陰鬱な気分のまま考えた。彼はラジオを囲む輪の中には加わらず、病室のベッドにいた。
彼ら──共に汗と血を流して、互いを助け合い、生き抜いた戦友──はいいとしても、クーロン攻防戦に参加しなかったコヨーテ、
例えばその中で最たるものといえばミスター、それにその他の星々にいる大量の、我々と手を結んではいないコヨーテたちが、
どういう風に我々を考えるかということだ。幸いミスターに関しては悩む必要は無かった。彼は今でも、隊長の親友を奪った彼らを、
表向きにも内面でも許していないのだ。セプ隊の人間がそうせず、その機会に自分が恵まれたのなら、ハンスは迷わず彼らを撃つだろう。
もし、十二姉妹の意思がそれを許可しないとしても、彼は自分自身の怒りで彼らを殺すだろう。その点には、彼自身も確信を抱いていた。
とするならば彼は十二姉妹隊の人間の中では唯一、救いようの無い、愚かで粗野な男に成り下がるのだった。姉妹兵は服従と栄光を誓う。
服従は十二姉妹に、栄光は彼女たちとその隊に。彼らは彼女らの意思で動き、数少ない例外を除いて、彼女たち以外の意思には従わない。
そう、姉妹兵ならば、自分の抑え難い意思にさえも彼らは反逆し、理性と忠誠の力で殺意など存在しないかのように振舞わねばならない。
不名誉だろうが不満だろうが、姉妹が求めないことは行わないのが彼ら十二姉妹隊兵なのだ。ハンスだって、以前は模範的な兵士だった。
あの一週間に満たない短く僅かな悪夢の間に、何もかもが変わった。兵たちのプライド、姉妹の数、交わされる言葉の数、それ以外にも。
変わらなかったことなど一つも無かった。十二姉妹隊はあの数日間の間に、戦闘日数や敵の規模からすると信じられない大損失を被った。
ハンスも親しい友人を何人も亡くしたし、他隊には兄弟を亡くした男もいた。死体が見つからず、必死で探し、やっと見つかったそうだ。
意識を元の思考ラインに戻す。ハンスはただの兵で、こういった込み入った細かな考えが必要になる類の事態への対処は専門外だったが、
考えることといえばそれくらいしかなかったし、考えていなければ自分の隊長のことばかり思いが至り、冷たい予感が身を傷つけるのだ。
だから彼は自分の考えを誤魔化し、身を守る為に己の思考を逸らし続けている。大筋の予想がその抵抗にも関わらず為されていたけれど、
ハンスはきっと彼の隊長ジャニアリーは無事なのだと考えたかったので、直視して向かい合うことなど出来なかった。悲しいのは彼が、
何とかして無線機で艦や別の姉妹に連絡をつけて、片っ端から聞いていこうと思わなかったことである。それさえ彼は恐ろしかったのだ。
仮にジャニアリーが死んでいたら? 実際には勿論、彼女は上空をはっきりしない意識下で飛んでいたけれど、ハンスは知らなかった。
彼女が死んでいたら。聞きたくない答えを聞かされるとしたら。それならば聞かない方がいい。悪い知らせは聞きたくないのだ。
思った自身も、己の馬鹿げた考え方には閉口した。いずれ聞かされることになるのなら、いっそ今すぐ知らせてくれたらいいではないか。
でも、やはり彼は臆病風に吹かれて、そうすることは出来なかった。現在の自分を形成する大きな柱を失うことが本当に恐ろしかった。
ラジオからは激しいロックが流れている。曲を知っているコヨーテや姉妹兵が下手な癖に大声で歌うので、周りは聞き取るのが難しい。
虚ろな瞳を彼らに向けて、ハンスは眺めていた。戦闘は終わって、自分は生き残った。ヴィクトールのような戦友を何人か亡くしながら、
自分は生きている。その上姉妹すら失う? それも、自分が直接に仕える一人を? 彼は眠ることにした。優しい覆いが、彼を包み込む。

*  *  *

私は手を高く上に差し伸ばして、背伸びをした。欠伸が出てしまった為にみっともなく開かれた口を、さっと隣のメイが手で覆い隠す。
単に私の滑稽な身振りを面白がっているだけなのだろうが、兵に見せるには余りにも品の無い一瞬を隠してくれた事実に対しては、
素直な感謝を見せる他に取るべき反応は無いだろう。お陰で恥ずかしい思いをせずに済んだのだ。私がそのような思考の下に礼を言うと、
メイは表現するのが難しい、微妙な表情になった。笑うところなのか迷っている顔、判断しかねている顔だ。失礼な友人だった。
でも私は慈悲深いので彼女を許すことにして、最後の作戦確認の為に私の部屋まで移動することにした。作戦室は生憎と使えなかった。
そこは戦闘が一段落した頃からずっと、救護所の一つになっているのだった。今のこの艦内には、そうなっていない場所は少ない。
食堂でさえ、救護所になっているのだ。負傷者の隣で食事をする無傷の兵士たちは嫌な思いをするだろうが、我慢して貰うしかない。
これら急ごしらえの救護所の中では、食堂は最も早くそう変わった場所である。理由は単純なことで、テーブルはそのまま手術台になり、
椅子は軽傷者の為に使えたからだった。それでも数が足りず、野菜を主とする食材を入れていたダンボール箱が急遽代用されたけれど、
これは血を吸うと何とも言い難い、名状し難い、それでも例えるとするならば墓を掘り返したような酷い悪臭を放つようになるので、
使い始めて一時間と経たない内に使用は取り止められ、代わりにプラスチックの籠をひっくり返したものを椅子の代用品に使い出した。
そちらは紙と違い血を吸わないので、滑ることはあったが臭いに悩まされることは無かった。青い籠は赤く染まっても、使われ続けた。
通路を歩いて、私室のドアを開く。私が先に入り、メイは後から入って来る。まず目に入る普段と違って乱雑に物が配置された机上には、
対新型計画の要点を纏めた/る紙が広げられていて、私たちの最終調整に使われるべくこの場所に置かれたそれには様々な書き込みと、
書き込みの数とほぼ等しいだけの数の、否定や却下を示す二重線が書かれ、描かれていた。私たちに打てる手は少なく、そんな我々には、
勝機を見出すことなど到底出来なかった。私たち十二姉妹隊が持つ最大火力の小火器は五十口径ライフルだ。それを弾く相手にどう勝つ?
後は艦砲射撃や対空機銃による地上への射撃、それにギルドスカイでの爆撃航程をありったけ行うくらいしか打倒の手段はあるまい。
しかしそれも難しそうだった。何故なら、彼女は、以上の数手段を許さないだろうからだ。彼女の望みは私たちと戦うことなのであって、
私たちの部隊や兵器と戦いたいとは思っていない筈だ。なのに艦砲射撃や爆撃航程を行えば、彼女は彼女の部隊、兵器を使うだろう。
年末型アンドロイド部隊が今この瞬間我々に攻撃を開始したらどうなるか。考えるまでも無く、我々は驚いている内に一掃されてしまう。
どんなにこちらに都合良く敵の攻撃が進行したとしても、一兵一人の例外無しに、殺し殺され斃れて行くだろう。そうして我々は全滅だ。
私は彼女の思考をメイと一緒に、出来る限りトレースしなければならなかった。何が彼女を私たちにとって不利益な行動に駆り立てるか、
または何が彼女をこちらに有利な行動を取るようにするか、知らずには戦えなかったからである。びくびくしながらの戦闘はお断りだ。
彼女自身に聞いて、それ以外に禁止条項は無いと確約させてしまうのが一番楽だが、まさか聞くなど、一考を待たず論外の方法であった。
我々が一体どんな状況にあるのか、ちょっとした雰囲気さえ読み取らせてはならないのだ。彼女は鋭い。悔しいが、私以上かもしれない。
それを倒さなくてはならない時、どうして一片たりとも情報を漏洩させない覚悟で戦いに臨むことが出来るだろうか、出来る筈も無い。
第一、今の私たちの状況を知れば、彼女は失望する。あの過剰な期待を抱き過ぎるきらいのある新型には、こちらを警戒していて欲しい。
でないと、時間稼ぎも出来ない。そして、その時間稼ぎこそ、彼女を打倒する上で最上の重要性を誇る消極的戦闘行動なのである。
新型であるというアドバンテージを無効化し破壊する、何らかの秘策でも隠しているのだと思わせられれば、彼女は様子見に時間を使う。
私の動向を確かめ、メイの動向を確かめ、時間を掛けて見破り、攻撃を仕掛け、私たちを撃破しようとするだろう。しかしそれでは遅い。
彼女が私たちを殺害する前に、フェブが彼女を破壊する。フェブのハッキングで、彼女の能力を奪い、力を奪い、無力な単なる女にする。
強力も失い、自分の力だけで立って歩くことも出来ない、糸の切れた操り人形にするのだ。その後、彼女を連れて艦に帰って、
ニルソン様の許可が下り、彼自身が手を貸してくれるならば、彼女をこちら側に加えることも不可能ではないだろう。研究の時間もある。
失敗したり彼女が自殺すれば、ボディや骨格だけを入手することになるだろうが、それでも大きなプラスになる。あのボディは魅力的だ。
バストにはジャニアリーが狂喜するだろう。が、私としてはあの耐弾性と頑丈さを評価したい。但し褐色の肌になるのは好まないけれど。
一つだけ問題があるとすれば、互換性があるかどうかだろう。私と彼女には互換性があるかどうか。恐らくはあるだろうと思う。
彼女が私たちの打倒の為だけに作られたとは、信じ難いことだ。凡そ常識的ではない。軍用兵器として売りつけるのが大方の目的だろう。
あの十二姉妹を撃破と言えばかなりの箔がつく。大量生産用に改良された新型は小隊単位で投入されるようになり、さして時間を隔てず、
中隊、大隊と大きくなっていく。いつか人間の数を上回るようになるだろう。死ぬことは少なく、裏切ることも無い。オリジナルは別だ。
けれどもそうすると、何と言うか、情報が無かったことが信じられない。ギルドと言っても情報漏洩は日常茶飯事だ。なのに今回は無い。
これは、もしかすると、ギルドは知らない、知らなかったのではないだろうか、粛清部隊長がこんなものを有しているということを。
だとすれば、新型を開発し、百体もの年末型を揃え、訓練し、その指揮として私の妹をおぞましくも模した形にして指揮官型を生み出し、
整備し、装備を整えた時に使われた金は、個人で賄えるものではないのだから、考えられることはたった二つまでに絞られる。
一つは部隊長がギルドの金を着服していたのではないかということだ。だがこれは考え難い。ギルドは金の亡者であることに疑いは無い。
彼らはもし、当然入って来るべき金がほんの少し足りなければ、徹底的に調査するだろう。そういう豚共ばかりの組織なのだ、あそこは。
もう一つ、前者は消え掛けているのでこれが有力候補なのだけれども、別の組織からの資金的な援助を得ていることも考えられる。
反ギルドを標榜する国家は幾つあっただろう? その内、実際には癒着している国家は、幾つあっただろう? それらからの援助だろう。
地下組織は金を持てない。あれば地上に出て来る。部隊長の部屋などを捜索し、細かな資料や情報まで、我々には全てを得る必要がある。
背後から刺されるのは困るし、知らなくて良いことなど私には無い。末端の兵士には知らなくてもいいことが時にあることは確かだが、
私は現在、最高指揮官としてこの部隊に君臨している。それを驕り高ぶる理由にはしないが、判断材料の多さに困ることもあるまい。
視線と意識を机上の作戦概要に戻す。時間稼ぎに使う手段を何個も書き連ねては消した、一枚の薄っぺらな紙だ。何の変哲もない紙だ。
されども十二姉妹隊の命運は、その一枚の薄っぺらな紙に書かれた下らない案に懸かっているのだ。こんな策に。馬鹿馬鹿しい話だった。
今のところ、最も汎用性が高く、用意が簡単で、扱いにも危険が少ない案としては、オーガストの力を借りるものが大半だった。
力を借りると言っても、借りるのは爆薬だけだ。指向性を持たせた爆弾で、新型を足止めすることが目的だった。吹き飛びはせずとも、
爆風や破片を防ぐ為に止まらなければいけない時間を稼げるし、蚊に刺された程度でもダメージが与えられれば良かった。
ありがたいことに、C4を始めとする可塑性のある爆薬は、オーガストの為に大量に艦の弾薬庫に仕舞い込んであった上に、
それらの爆薬よりもオーガストは手榴弾などの爆発物を好んだが故に、彼女は、仕舞い込まれた爆薬にはほぼ手をつけていなかった。
後は容器が必要になるだろう。バケツのような形状の容器がいいが、なければある物を使うしかない。ゴミ箱でもいいのだから。
手榴弾も言うに及ばないことだが、持って行かなくてはならないだろう。信管を差し換えてワイヤーと併用してブービートラップに転用、
新型が引っ掛かってくれるのを願い設置することも出来るし、普通にピンを抜いて投げつけてもいい。爆弾だから無視も出来ないだろう。
弾丸は直線に──正確には放物線を描いて──進むが、爆弾はそう行かない。爆風は回避不可能だし、地面の石ころだって破片になり、
当たり所が悪ければ姉妹も兵士も新型さえも殺す危険になりうるのだ。彼女がそれを知らない訳がないし、知っていれば留意するだろう。
メイと私は四五の改善点と、二つの新しい案を出した。が、だからと言って勝利を予感させる光明は見えて来ない。私は苦い思いだった。
勝てるだろうか?

*  *  *

結構なことを口にしたけれど、私は未だにトラックの助手席に移動しただけで、艦に戻るまでには到っていなかった。任務だ、仕方ない。
ジューンは私のお陰で運転に専念出来ると言ったが、実際は同時に敵の捜索に気を割いていることを私が気付かないと思ったのだろうか。
彼女は目だけを動かして、私が監視出来ない範囲を調べていた。私は彼女を信頼し、彼女の領域を侵そうとはせず、刀に手を置いて、
いつ何時襲撃を受けても即座に反応が可能であるようにしていた。左手も遊ばせてはいない。敵の死体から奪った拳銃を掴んでいる。
私の親友も私も、近づかない限り相手を殺せないという欠点を持つ。ジューンはナイフを投擲すればいいが、無論刀は投げられない。
こういう時ばかりは、自分の戦闘スタイルに不満を感じる。技量では私は、姉妹の誰にも劣らない自信がある。強いかどうかは別として。
だけれども、刀は銃ほど遠くの敵を殺せないし、銃ほど頑丈でもない。上手く使わなければ折れる上、上手く使っても折れることがある。
刀が銃に勝てるのは、相手の顔をじっくり観察出来る距離まで近寄った場合のみだ。姉妹だから銃弾は跳ね返せる。避けることも出来る。
人間ならとっくに死んでいることだろう。……まあ、だからこそ私は、訓練するのだが。それは刀の領域に相手を引きずり込む訓練だ。
それは銃という、扱い易く強力な武器に刀で対抗する為の、唯一の訓練だ。刀の扱いなど、二の次でも良い。三の次でも一向に構わない。
刀で戦うには、相手に近づかねばならないのだから。戦わなくては、どんな名刀も桧の棒と変わらない。人を斬り、敵を斬って初めて、
それは刀と言うに値する存在になるのだ。拳銃と私の刀に手を触れたまま、空を見る。あの驚くべき艦長とその副官を追った時は、
晴れていた。今は──どっちつかずだ。私は天気予報士ではなかったし、予報士でもデータ不足でこの後の移り変わりを予測することは、
出来なかったか難しかっただろう。実に優柔不断な空だった。ジューンが声を上げた。私は接敵したのだと思って顔を前に向けて、
銃を構えようとした。衝撃が私の体を襲い、面食らう。何だと驚くと、彼女は人を轢いたと言った。装甲服をつけていたそうで、
今は車輪の下らしい。装甲服をつけていた上、この近辺に味方の兵はいない(これもジューンの言)となれば、我々は残党の一人を、
偶然にも轢き殺したか轢き殺しかけてしまったことになる。生きていたり、周りに仲間がいると危険なので、確認の為に降車した。
車輪が胸にめり込んでいるというか、見て気持ちのいいものではないことは確実だったが、彼はそんな状況だった。だが、生きていた。
彼のヘルメットは外れてしまい、歪んで近くに転がっていた。辺りには血が飛散していたが、量は少なかった。彼はこちらを見た。
口から胃の内容物が出ている。タイヤに圧迫されて、喉を迫り上がって来たに違いない。だから声は出なかった。代わりに口を動かした。
白髪の混じり始めた、五十代も近いか、既に達しているだろうという老兵は、自分の状態を良く良く了承しているらしい。彼は言った。
助けてくれ、と。私は首を縦に振って拳銃を向けた。彼は安心したように頷いて、眉を苦しそうに寄せながら目を閉じる。撃った。
弾丸は彼の右の眼孔から侵入し、後頭部を突き破って地面に突き刺さったようだった。私は彼が、私の持っているものと同じ拳銃を、
腰に吊るしているのを見つけた。吐瀉物や血液にも汚れていないが、スライドがタイヤに轢かれて割れている。弾倉は無事だった。
マガジンキャッチを押して弾倉を外し、予備弾薬として貰うことにする。ジューンは私の人道的な処置以降を見ていて、運転席に戻った。
数秒遅れて、私は助手席に座った。ぐしゃりと音を立てて、弾薬の持ち主だった老兵の頭を潰しながら、トラックは前進を再開する。
もう空を眺める気にはならなかった。敵がいるのが前の襲撃で明らかになったことを忘れていなかったのなら、私は前を見るべきだった。
あの兵士が轢かれなければ、彼が我々に狙いをつけてその突撃銃を撃ったなら、私たち二人共死んでいたかもしれない。直接は無理だ。
けれどもタイヤは防弾と言えど、所詮タイヤに過ぎない。小口径の高速弾まで防げるかどうか、疑問は大きい。恐らくは防げまいと思う。
私たちは不死ではない。人間と同じように生きるし、人間と同じように死ぬ。死ににくいだけだ。死はいつも、私たちの傍に佇んでいる。
一度油断を見せれば、その冷たい手を首に回し、決して逃げられない、定めという名前の枷を嵌める。最後に彼は連なる犠牲者を、
枷に繋いだ鎖を引いて向こう側に連れて行くのだ。場所は問題ではない。彼に捕まらないように気をつければ、最期の瞬間は訪れない。
真実の瞬間に遅れを取ることが無ければ、我々はいつも彼と仲のいい友人でいられるのだ。やあ、良く来たな! と笑って言える友人で。
薄暗い、敵のいない空間を、注意深く監視する。瓦礫の後ろは? あのアパートからはこちらが丸見えだ。そこの屋台の陰にいないか?
何処も注意しなくてはならない場所だ。注視して、動きを見せれば弾丸を撃ち込めるようにしておくべき場所だ。ホットゾーンである。
そういう場所には、サイドミラーで通過した後も注意を払わなければならない。通り過ぎたからと言って、敵がいないという訳ではない。
上手く隠れて、車輌の通過を待って一斉に攻撃を開始する、というのは、どの戦術書にも書いてある待ち伏せの基本であり、全てに近い。
無反動砲を一発貰えば、このトラックなどただでは済まないだろう。破壊され、我々は死ぬか、負傷する。腕一本は覚悟するべきだろう。
私はだけれども、一本だって彼らの為に腕や足をくれてやる気は無かった。私は銃を構えるよりも、ハンドルを奪った方がいいと思った。
短い通信で、意思を疎通する。喋るより早い。トラックが左に曲がり、止まる。道を塞ぐような感じだ。即席のバリケードになる。
私は了承を得なかった。ジューンの襟を引っ掴み、抱え込むようにしながら助手席のドアを開き、一緒に転げ落ちた。銃弾が頭上を通過。
やれやれ、危ないところだった。私の親友は私に礼を言い、ナイフを抜いた。彼らの戦力を見定めている暇は無いだろうと考える。
見定めている間に無反動砲でトラックを破壊されれば、この後の任務が面倒になることだし、とっとと突っ込んで蹂躙し、始末しよう。
トラックの下から覗き込み、幾らかの敵の配置を確認する。幸い無反動砲は確認出来ない。だけれど、建物に潜む可能性も無視出来ない。
安心はせずに、敵の位置から、最適な処理ルートを構築する。私だけではなくジューンもいるので、比較的安全に処理出来ることだろう。
何せ、安心して後ろを任せられる戦友なのだ。私は刀を抜いて、右手に持った。左手は拳銃を握ったままだ。ジューンは両手にナイフ。
始めますか? 私は目だけで尋ねた。彼女は頷きもせず、やはり目だけで、私の質問に肯定の意思を返した。この感覚は最高だと思う。
私たちは飛び出した。銃弾が一拍程度遅れて降り注ぐ。私は左手で庇いながら、拳銃を射撃し、二人を倒した。肉薄し、刀を振り上げる。

*  *  *

使える状態の車のバッテリーを探す必要が、自分たちの為にもあると気付き、私たちは急いで捜索作業に取り掛かることになった。
あれやこれやと面白いとは言えない、はっきり言ってつまらない仕事が続いたけれど、これはそうではない。真剣に取り組むべき作業だ。
勘違い等の出来事以降、私の相棒は妙に優しく、物分りが良くなり、素直で可愛らしく、私に普段よりべったりとくっつくようになった。
これもはっきり言って急激な変化で、却って不気味なものを感じさせるが、あっちはお構い無しだ。何だかこうも彼女にくっつかれると、
いつもみたいに殴ることも出来ない。別に互いの位置が問題なのではなくて、彼女の目を見ていると、彼女の目に見られていると、
どうにも振り上げた拳を振り下ろす気が無くなってしまう。これが魅惑という奴なのだろうと私は思った。中学生みたいな体の癖に。
彼女は私と私の服を気遣って、バッテリーを入手する際も自ら進んで志願し、私の代わりに汚れてくれた。私は不気味さを抱いていたが、
そうだとしても彼女が私に対しての好意と思しきものを表し、私が汚れずに済むようにしてくれたのだから、何らかの返礼を要していた。
何か無いかと体中を探る。と、前の服から今の服に着替えた時に外し、そのまま持っていた髪留めを見つける。汚れは、無い。これだ。
私はしゃがみ、黒い汚れがちょっと付着した彼女の顔を指で拭って綺麗にし、彼女の髪留めと私の髪留めとを交換した。彼女は喜んだ。
こうして私たちは更に絆を深めていくのである。相棒は柔らかく微笑んだ。それを見て、私は思わず見惚れてしまった。綺麗だったのだ。
私さえも胸に感じさせられるところのある、妖艶さと子供特有の無邪気さを同時に内包した、奇跡的な調和の成し遂げられた微笑だった。
くしゃっと彼女の髪を撫でる。探して見つけたバッテリーを、無断で様々な場所から拝借して来たもので繋ぎ、するべきようにしておく。
一仕事終えて、私は息を吐いた。これで当分は何の問題も無いことだろう……新たに何か面倒ごとが発生したりしない限りは、だが。
肘から肩までの大きさのバッテリーを、リュックサックに詰める。入るかどうか不安だったが、弾薬などの消耗によりスペースが多く、
何とか入れることが出来た。この小さな戦友のやりくりの上手さには、毎度毎度恐れ入ると同時に感謝の念を抱くことである。
オーガストお姉様に連絡を取って、エイプリルお姉様たちと会う場所を決めることにしようとして、私は音を聞いた。銃声だ。激しい。
私は落ち合う場所を決めるのは後回しにして、相棒の手を掴むと引っ張り、ふわりと宙に浮いた彼女を背負うと、音の方へと走り出した。
強く私の体を抱き締めて、自分の体を固定する戦友。何だか気恥ずかしいものがあった。お姉様には余り見られたくないような気もする。
銃声が近づいて来る。敵の数は多いようだ。もっと近くに行って分かったが、建造物に隠れた敵と戦闘中らしい。今この近辺にいるのは、
ジューンお姉様とジュライお姉様くらいだろう。既に話は聞いている。ジュライお姉様がジューンお姉様と行動を共にしている話は。
だから時間が掛かっているのかと、私は納得した。刀とナイフでは、建物内の敵を殺すのは難しい。一々突入しなくてはならないのだ。
銃撃の多い建造物を探す。耳を頼りにしたその探査結果を信じ、私はある赤いアパートに狙いをつけて、私のライフルの引き金を引いた。
十発の弾丸を全て撃ち尽くす。無尽蔵ではない弾丸だったが、お姉様を助ける為になら何百発使おうと惜しくなんて無かった。
投げ渡される弾倉を、空弾倉と換える。こちらに気付いた敵が、しなくともいいというのに、兵力を割いて私に銃を向ける。無駄だった。
銃は向けられた。弾丸は放たれた。それは私に当たった。けれど、穿ち貫きはしなかった。私を傷つけるには、その弾丸は貧弱過ぎた。
ただ、当たったのが肩だったのは幸運だったと思う。でなければ新しい服が早速傷物になってしまうところだった。次からは避けよう。
それか、背後の彼女を盾代わりにするのもありだ。だが、それで誤って死なせたら、今後の行動に支障が出ることは目に見えている。
どうせ残り三秒もしない内に突入出来るし、何も考えずに回避だけを念頭において戦うことにしよう。蝶のように舞い、蜂のように刺す。
得意な戦闘スタイルではないが、服を傷つけたくないという望みを叶えるにはそれしかない。血にも汚さないように気をつけなければ。
銃弾の下を戦場走りで掻い潜って、突入口、閉ざされたドアに突っ込む。お姉様たちは反対側にいるようだが、突入はしないのだろうか。
敵の銃を奪って対抗を始めたのも考えられる。ある程度敵を減らしてからの方が、突入後の掃討も簡単だし、安全だ。危険を好まない、
十二姉妹らしい思考とも言える。背中から戦友を下ろして、ライフルをケースの中に入れさせた。拳銃を抜く。アパートでライフル?
振り回していられないライフルにどういう存在価値があるだろう。インドアでライフルなんて、どうかしているんでない限り持たない。
スライド後部のインジケーターを見て、弾薬が装填されているのを確認する。こういった細かな機能はありがたい。弾倉を抜かずに済む。
アパートは三階建てで、銃撃は主に二階と三階からだった。ライフルのケースを床に横たえてさせて、相棒には一階を確認しろと命じる。
彼女は銃を片手に動き出した。私も遅れを取らないように、拳銃を持って階上へと向かう。最上段の二、三歩手前で止まった。怪しい。
このアパートからの銃声がぴたっと止んだ。彼らは侵入者への攻撃へと頭を切り替えたらしいが、切り替え過ぎたのだと思われた。
全員が銃撃を止めてしまっては、警戒していると教えるようなものだ。で、当面最も怪しさ全開なのは、階段を上がった先の通路だった。
二手に分かれている。ということは、敵が二人いると考えて宜しい。頭の中でシミュレートしたが、服を傷つけずに戦えそうに無かった。
一考し、上手くいくか分からないけれど、成功すれば無傷で二人を殺害出来る方法を考え出す。ところで今、敵が二人いるのが確定した。
敵は馬鹿なのか、余裕が失われたせいなのか、通路の照明が落とされていない。ばっちり影が床に伸びている。私はにやにやしながら、
銃を前に構えた。彼らが頭を出せば引き金を引くだけで済む、そんな場所を狙って。下から銃声が響いて来る。突撃銃と、拳銃の銃声。
拳銃はP7やソーコムのもので、相棒は仕事を満足にやっているのだと分かった。驚きはしないことだったが、下にも敵がいたようだ。
影がそわそわし出す。おいおいと思う。プロだった彼らも部隊が崩壊して、プロとしての落ち着きやら何やらを、纏めて失っているのだ。
下のことは下の者に任せるべきだろうに。彼らは私を待ち伏せしているのだ。私のことだけを考えておけばいいのに、下まで考えている。
それは指揮官の考えることで、末端の兵士は仕事をこなしていればいい。そうすれば勝利が訪れるものだ。指揮官が無能なら別だが。
で、結論から言うならば、彼らは最終的には致命的な間違いを犯した。私がいないのだと思ったのか、確認の為に顔を出してしまった。
いやあ、まさか本当に上手く行くとは思わなかったことだ。私は引き金を引いた。薬莢が左と上に一つずつ飛び出し、床に落ちる。
彼らの死体が床に落ちる前に掴み、階段へと引きずり込む。突撃銃を奪い、弾薬も手に入れた。拳銃だけでも十分だが、あった方がいい。
装着されていた弾倉を外し、中身を確認する。新しい弾倉へ直前に換えたらしく、フルに装填されていた。右手のP38を仕舞い込む。
スリングで肩から提げ、通路を確認。クリア。下での発砲は続いている。お姉様たちは何をしているのだろう。別の拠点にいるのかしら?
ドアが両側に幾つも配置された、これぞアパート、という感じの通路を歩く。最初のドアの前で立ち止まる。拳銃を弄び、後ろを向く。
発砲。用務員しか用の無い部屋に隠れていた兵士一人が、銃を構えようとしていて撃たれ、仰け反り、壁に背中を押し付けて崩折れた。
背後に物音。同時攻撃とは困った話だ。私は後ろを向かなかった。厳密には向いたのだろうが、私はそのまま仰向けに倒れたのである。
突撃銃をその状態で敵に向けて、撃ちまくる。十発程度撃ったところでくるりと回転し、伏せ撃ちに移行する。近くを擦過音を立てつつ、
敵弾が通過していく。床にも着弾して、床の破片が私の体に落ちたが、服には損傷無しなので問題は感じない。フルオートで連射する。
常人なら手の中で暴れ回り、フルオートでは使えないこの銃だが、私はパワー型アンドロイドである。暴れているとさえ思わない。
四人の敵兵をあっという間に射殺し、弾倉を換える。立ち上がって服を手で払って、埃や破片を落とす。最初の部屋を通過。敵は来ない。
次の部屋二つを通過。同じく、敵は出て来ない。その次の部屋。ドアの左に来た直後、そのドアが開いた。私が思うに彼らはそのドアで、
私を跳ね飛ばすつもりだったのだろう。甘かった。失敗の要因の一つは私を形成する材質。一つは私の反応。もう一つはドアの耐久度。
五十口径弾をも無効化する私の体の前に、更にはその……口を大にして言えることではないが、重みの前には、その攻撃は無意味だった。
その上、私はドアが開くのとほぼ同時に反応していた。拳銃を向けて数度引き金を引く。二発の弾丸は敵を殺した。そこで弾切れだ。
弾倉交換しようと下を向く。と、前で動きがあるのが視界の端に映った。敵のいた部屋に飛び込み、銃撃を回避する。ふう、危うかった。
どうにも敵がばらばらな連係をしたがるのは、理由でもあるのだろうか。切れ目無く襲い掛かることが、敵撃破への王道であるだろうに。
顔面に何かヒットする。何かと思って掴んで見ると、手榴弾だった。引き攣りながら、廊下へと投げ返す。爆発。天井の埃が落ちて来る。
部屋の中にいた私に直接当たるということは、壁に跳ね返らせたのだろう。手榴弾の扱いが上手い兵士がいるというのは、脅威である。
破片とか本当に困る。部屋に何か無いかと探す。小さな置き鏡があった。小さいが、そのまま使うには大きい。叩き割って、欠片を取る。
それを戸口からちらと出して、敵の様子を伺った。三、四、五。誰もが突撃銃と、手榴弾で武装している。擲弾発射機持ちも二名いる。
もしも正面からやり合うならば、まず排除すべきは擲弾発射機二つだろう。回避が難しく、直撃だろうと破片だろうと私の服が傷つくし、
頭部に当たれば故障も免れない。が、私はそこまで馬鹿ではない。何が悲しくてそんなことをしなくてはならないのだ。もっと考えろ。
引き付けて、壁を抜いて一人か二人を始末してしまえばいい。突撃銃なら可能な芸当だし、音で判断するのはそう難しいことではない。
さて、作戦の決定が終われば、攻撃あるのみだ。私が持っているのは拳銃二挺と突撃銃一挺、それに弾薬二百五十。おっと、そうだ。
拳銃へのリロードを忘れてはいけない。私は銀色の愛銃に、九ミリの死を八発分与えた。これで彼女は生き返った。スライドを引く。
鏡を引っ込めたので影で知るしかなかったが、敵が私に近づいて来るのを知るにはそれで十二分に事足りた。私は彼がいるべき場所へ、
彼の姿を見ること無しに、十数発の弾薬を横二列にばら撒いた。肉に当たる音がして、血が戸口に見えて来る。壁に張り付いていた私は、
入り口からすぐさま離れた。仲間が私のいた場所に発砲している。私がどうして留まっていると思うのだろうか。頬を左手で掻きつつ、
突撃銃を弾切れになるまで撃ち続けた。弾倉を落とし、廊下に向かって歩きながら交換。腹を押さえ身を折りながら立っていた兵がいた。
そいつの顎を掴んで、ぐいと上げる。そうして、彼の胸の装甲板を蹴り飛ばした。通常人間の脚力は腕の三倍くらいあるという。
人工筋肉を使う私の場合にもそれは当て嵌まるのかどうか。思うに、当て嵌まらないだろう。両方とも足の強さに揃えた方がいいのだし。
蹴り飛ばされた彼は飛んだ。いやいや、冗談や比喩ではないし、誇張でも無い。真実、空を飛んだのだ。未来には落下しか無い飛行だが、
飛行したことに違いは無かった。彼は物理法則に従って飛んで行き──進行方向にいた別の兵士たち二人に直撃した。彼ら三人は倒れた。
私はそいつらのところまで歩いて行き、一発ずつ、ヘルメットと装甲服の間に撃ち込んで、始末した。蹴っ飛ばして、通路の隅に寄せる。
辺りを見回す。敵はいない。油断は出来ない。三階はどうなっているだろうか? 三階から敵が来た可能性も否定は出来ない。
まあ、確認すればいい話だ。取り敢えず、この階層の敵を全滅させたようではあったから、上に行くことにした。全部の部屋は空だった。
三階も同じようにそうであれば幸いなのだが。階段に向かうと、下から落ち着いた足音が聞こえて来た。外では銃撃音が聞こえるが、
しかしこの建造物の一階から響くそれは途絶えている。彼女だろう。驚かせるのもいいかもしれない。相棒の驚いた顔が目に浮かんだ。
素っ頓狂な顔をして、腰を抜かすかもしれない。驚きの余り転げ落ちたらどうしようかと思ったが、大丈夫だろう、人間じゃあるまいし。
階段のところに待機する。これは関係無い思考だが、いい加減お姉様たちは私たちの存在に気付きそれなりの処置をするべきだと思う。
私の切ない想いの為にも。足音がいよいよ近づいて来る。ようし、今だ! 階段から見える位置に躍り出る。大声を出し驚、って、あれ?
……ジュライお姉様だった。

*  *  *

十数分後に聞いた話では、彼女はその時、味方になっていたらしかった。言うも更なりという奴だが、私はそんなこと、聞いてなかった。
だから彼女を見た時に叩っ斬ろうとしたのは、責められるようなことではないと思いたい。この責任はジューンにあるのだと思う。
彼女を攻撃するつもりは無いが、ジューンのミスであるのには異論無いことだろう。彼女が伝えていれば、こんな過ちは起こらなかった。
私は刀を突き出し、彼女はそれを身を引いて避けた。彼女を追って私は段を蹴り、一気に階段を跳び上がって、廊下に立った。
これも話を聞いた後でなら何故かが納得の行く出来事だが、新型は目を白黒させており、私の行為に心底、度肝を抜かれたようだった。
だけれど、一番に惜しむらくは私とジューンが二手に分かれて行動したことだろう。一緒に動いていれば彼女が止めてくれたのだから。
ジューンに伝えておけば、それでも問題は無かっただろうが、それには強い抵抗があった。私はこの敵を、高く評価していたのである。
戦いながら通信するような、小さな隙だったとしても、作りたくは無かった。見抜かれることを思うと、私にはそうは出来なかった。
態勢を整えさせる暇を、長く与えてなどいられない。私は襲い掛かった。彼女はまだ、戦うことを避けようとしているようだった。
しかし私が本気で彼女を殺しに掛かっていることと、一度そう考え、そう行おうとしている私から、今この状況で逃げられぬと分かって、
新型は考えを変えたようだった。しつこくもこれも後から考えたことだが、彼女はオーガストと通信出来た筈で、オーガストに話せば、
誤解が招いた私との戦いを回避出来たに違いなかった。それをしなかったということは、やはり彼女は私と戦いたかったのだろうと思う。
一瞥して、彼女がライフルを持っていないことに気付いた。これは、私にとって喜ばしくないことだった。長物を持っていれば、
戦い易さの点で私は彼女に一歩長じることになる。だが、拳銃とギルド兵の突撃銃は室内戦に最適な組み合わせだ。攻め難いことだろう。
でも、それで退くような自分ではないし、もしそうだったなら最初に相手を驚かせた時点で、尻尾を巻いて逃げ出すことを決定している。
突撃銃を向けようとする彼女と私との距離は、五と半歩余り。撃たれる前に完全に私の間合いになるまで踏み込むには、残念だが、遠い。
……けれど、それがどうした? 彼女の武器は今や、私に決定的ダメージを与えられる武器ではないのだ。無視したって、大丈夫だ。
そして、その通りだった。今まで新型はずっと、あのライフルだけを使って来たのだろう。彼女からすれば武器とはあれを指す言葉だ。
表現し難いが、彼女は武器という概念を正しく認識しながらも、心底武器と認めたのは突撃銃や拳銃ではなく、あのライフルのみなのだ。
だから彼女は間違えた。それは、突撃銃は武器だった。間違い無く武器だったが、私たちを止められるような武器では、決してなかった。
彼女の生い立ちを考えれば当たり前だろう。ずっと、敵は十二姉妹だったのだ。彼女が生まれた時からずっと。十二姉妹を殺せる武器は、
現状、あのライフルだけで、それだから彼女にとって認めることの出来る武器はライフルだけだった訳だ。まあ、どうでも良いのだが。
銃弾が私の肌を数度叩いた。心地の良い感覚ではないが、戦いとはこういうものなのだと思い出させてくれる感覚だ。これこそが闘争だ。
私も目の前の女性と同じようなきらいがあるのかもしれない、と思った。戦いを求め、戦いの中に生きて、死ぬ時はその中に倒れたいと、
思っていないとは言えなかった。何処かで望んでいるのを認めるには吝かではなかったし、自分の行為を鑑みるにきっとそうなのだろう。
右手に握った刀を振る。体を左に向かって捻りながら、斜線を切っ先で描く。当たるとは思っていない。ほら、体を反らして避けた。
服一枚だって傷つけられてはいない。それでいいのだ。一度の攻撃で相手を始末出来ると考えてはならない。積み重ねが大事なのだ。
我々は、全ての敵を強力で捻じ伏せられるほど強くは無い。勝ちたければ、必ず勝てる状況を作り出すしかない。戦闘でも、戦争でも。
左上で止まった手に握った刀を、逆手に持ち替える。そのまま、さっき描いた斜線を逆向きになぞる。反らした体を狙って調整して、だ。
これも、命中は期待していない。彼女が跳んでかわすと分かっていたからだ。後ろにはそれだけの行為を行うスペースがあったし、
それをしなければ回避出来ないというのも、彼女の次の行動が分かった理由である。跳んで、床に手を突き、突撃銃を構えようとする。
彼女の動作は遅く無かったが、その時には既に、私は新型に追い付いていた。しゃがんで構えようとしていた彼女の顎に膝蹴りをかます。
後方への跳躍で稼いだ距離を走って運動エネルギーを上乗せしたこの膝蹴りは、新型を吹き飛ばすことの出来る威力を持っていた。
新型は数メートル私から離れた位置で止まり、すぐに立ち上がった。突撃銃を肩から外し、床に下ろす。握っていた拳銃をホルスターへ。
素手で私と戦うという判断は正しいだろう。銃が無意味であるからには、人類とそれらに模した形をした全てのものが持つ最後の武器が、
最良の選択になることは疑いの余地の無いところだ。彼女が完全にペースを取り戻す前に、襲い、打ち倒し、最後の一撃を加えなければ。
大きな三歩で敵との距離を詰める。初撃に全てを賭けるのは好きではないので、イニシアティブを得る為の攻撃から始めることにする。
私の武器たる白刃を振り下ろす。と、ここで驚くことが起こった。彼女は今まで、避けることを選択し続けていた。当たらないことを。
それが、受けたのである。彼女の左手首の数センチ上に、刀の鍔がある。私の両手も。しまったと思った。これでは防御がままならない。
案の定だが、私は反撃をまともに食らうことになった。右の拳が私の腹に当たる。パワー型のパンチとは恐ろしいもので、たったの一度、
拳を身に受けるだけで、私は行動を封じられてしまった。身を折ったのである。止めようと思ったものの、止められなかった。危険だ。
刀を落とさなかったことを褒めてやりたい気分だった。本能的な危機を察知して、左腕を顔の横に構える。ぶん殴られて、壁に張り付く。
そこに蹴りがやって来た。避けるなど無理な話で、私はそれも身に食らった。彼女の脚力は凄く強かった。私は階段まで戻ってしまった。
いやはや、全く、パワー型というのは。マーチも同じくらいの力を出せるのだろうか? 彼女とは絶対に喧嘩するまいと、心に誓う。
体が宙に浮かぶ心地は再度味わいたいと思う類のものではなかった。一度でも多過ぎる。人から話に聞くくらいが最適ではないだろうか。
新型が走り寄って来て、跳び上がった。膝を私の体の上で突こうとしているのだと知って、私は今度こそ避けなければならないと考えた。
でなければ私は再起不能になり、先程の誓いを裏切ることになる。裏切り者の名を受ける痛みを一度知ったからには、それは嫌だった。
足で床を蹴る。彼女の狙ったのは私の腰部だった。でんぐり返しの途中で止まる。所謂……いや、止めよう。私は恥を持ち合わせている。
兎に角、私は死を免れた。敵の膝は床に打ち付けられ、硬直時間が生まれた。私は足を彼女の首に引っ掛けて、階段に向けて転ばせた。
彼女が中途半端な姿勢をしていたが為に可能だったことで、これがもしも膝での攻撃でなければ、こんなことは出来なかっただろう。
新型は私の願った通りに転げた。階段を転げ落ちて行き、一際大きく、ごん、と音を鳴らして、階下で止まった。その下に黒服がいる。
ジューンではなく、新型のお供だ。偶然巻き込まれたようだった。纏めて殺せるのならそれは素敵なことである。階段を下りていると、
そのお供が新型の重しから抜け出して、私と自分の上官を見て、叫んだ。何をやっているのかと。何のことだか分からないで、止まる。
彼女は素早くジューンにオーガストを介して連絡し、ジューンは私に慌てて要領を得ない説明をし、私はようやく自分の行いを理解した。
転げ落ちた最悪の敵を見る。目を回してぶっ倒れていて、今でも止めを刺せそうだ。やってみようかと思ったが、それは止めておいた。
新型がこの程度で無抵抗になることは、よもや無いだろう。埃まみれの彼女に手を貸し、立たせて、払ってやるに留める。されるがまま、
目をきらきらさせて立っている彼女には、流石の私も肌寒いものを感じた。一片の疑いも無い信頼は恐怖するべきものだと私は思う。
我々はいずれこれを相手に戦わなくてはならないらしかったが、残り十人の姉妹全員と肩を並べて戦うとしても、この敵は自分にとって、
恐怖の対象だった。私でも怖いものはある。誰にだって、怖いものくらいはある。それを笑い飛ばせるかどうかが、真に大切なのだ。
払い終わると、三人組と比べ物にならないほど大人っぽい同じ顔の──エイプリルたちが年末型と呼ぶ──アンドロイドが、主に代わり、
私に礼を言った。その言葉の中に棘が隠されていることに気付かない私ではなかったが、彼女の気持ちは推測出来たので、黙っておく。
本来なら彼女の位置に私が立っているのだから、少しの嫉妬もやむなしだ。ずけずけと土足で上がられては、いい気分もしないだろう。
慇懃無礼な調子の礼に上官がちらと叱咤の様子を見せたが、それもジューンが走り込んで来たことで何処かへ消し飛んで行ってしまった。
彼女は我々が戦闘を中止したことに大きな胸を撫で下ろして、最悪最強の敵が如何にして十二姉妹側に寝返ったのかを教えてくれた。
それを私は最後まで、邪魔はせず、口を挟むこともせず、ずっと聞いていたが、その……何というか、信じられるが信じられない話だ。
目の前の褐色肌を見れば分かる。この女は、話通りのことをするだろう。話通りの代価を得る為に、彼女の友軍を裏切り殺し尽くすのだ。
「真実だ、真実なんだ、ジュライ。それは信じられないけれど、本当に」
ジューンの言葉は、私の表情を見てのことだろう。だが私には彼女を疑う気持ちなど無かった。何が一体敵をそうさせるのかを知りたく、
私は黙考していたのである。だけど、考えて分かる話ではなかった。直接聞くか? 彼女は答えるだろう、嘘偽り無しに教えてくれる。
聞くか? 選択は一瞬だった。私は素直に、言葉をオブラートに包まず、単刀直入に、少々不躾な言葉だったかもしれないが、尋ねた。
新型はそんな言葉にも嬉しそうだったし、どうして誰もこれまで聞いてくれなかったのか不思議だ、と言い、答えようとしたが、
びくりと体を震わせて止まる。何かと思ったら、オーガストと通信を行っているようだ。彼女は眉が下がって、残念そうな顔になった。
聞くと、エイプリルからのオーガストを介した連絡で、新型曰く『用事が出来た』らしかった。私はそうか、と思い、何も考えなかった。
最後まで私に対して敵意をちらちらと見せていた年末型を連れ、彼女の武器、ライフルを携え、走って行く。背中が楽しそうだった。
心から楽しんでいるというのなら彼女はどうかしているが、いや、実際に彼女はどうかしているのだから、楽しいのも無理は無いだろう。
私は彼女を見ていたが、やがてジューンに促されて仕事に戻り、それから後は接敵も無く、任務を終え艦に戻った。冷や冷やしながら。
ジューンと私の共通した恐れは、エイプリルのことだった。彼女の判断がどういう風に傾くかで、私の命運が定まることになる。
可能なら今まで通りに戻りたいが、それは余りにも傲慢な願いだった。あれだけのことを仕出かしておいて、勝手に戻って来て、
元通りに、だと? 思い上がりも甚だしい想いだ。恥ずべき行為ですらある。私は当然厳罰に処される筈であり、そうであるべきなのだ。
ところがエイプリルは、艦にいなかった。メイもだ。彼女たちは艦を離れていた。兵士たちから行き先を聞いて私は、もっと驚いた。
たった二人で、あの女を? 火力も足りず、力で勝る訳ではなく、精々勝るのは技量のみ、それさえも彼女は捻じ伏せるだろうに!
私は、信じられなかった。新型の裏切りに到る経緯よりも信じられなかった。御伽噺でもないのに、勝てる訳が無いと、言葉が漏れた。
それをジューンは、静かに否定した。私の言葉を、静謐さを湛えた横顔を見せながら、私の隣で否定した。その言葉は理由も無いのに、
自信に満ち溢れていて、何故か私は彼女を心から信用する気になっていた。不思議なことだと思いつつ、どうかしてるリーダーの残した、
今のところ最後の命令を果たすことにした。私が艦の指揮を執り、繁華街側の指揮をも執るように、という命令だ。全くどうかしてる。

*  *  *

──……ジャニ……ジャニアリー!
ただでさえフェブの大声は耳に悪いとマーチも常々言っているほどなのに、それを殊更大声で叫ばれて、ジャニアリーは一発で覚醒した。
失速し墜落しかけていたギルドスカイを、パニックになり掛けながら立て直す。どうやら意識が途切れてしまっていたらしかった。
首を振って、不確かな意識を何とか復活させようとするが、そう簡単には行かない。やっている間にまたギルドスカイのバランスが崩れ、
彼女は急いで操縦桿の操作に戻った。通信の向こう側のフェブは、彼女を心配し、艦に戻るように説得を続けている。が、その彼女は、
ここまでの状況下にあっても、艦に戻るという選択肢を頑なに受け入れようとしなかった。それには彼女の個人的な誇りが関連しており、
それに気付いたフェブは、説得することを止めた。一度己の誇りを守る為に言葉を発したら、その言葉が覆ることはまず無いからだった。
代わりに、ジャニアリーが眠りに戻って行かないように、二人はずっと話しておくことにした。地上監視の目は緩むが、墜落よりはいい。
誇り高い操縦者もそれには同意したので、フェブは話題を探した。急がなければ、ギルドスカイが地上に激突してしまうだろう。
正直な話、フェブは世間話が得意な方ではなかった。かと言って趣味の話をすれば、余計に相手を眠らせてしまうことになりかねない。
焦りながら話題を考えていると、ジャニアリーの方から切り出した。ほっとして眼鏡の位置を直そうとして、掛けていないことに気付く。
──この戦いは……辛いものになりそうですわね。
『この戦い』という言葉が独立戦争のことを指すのか、それとも彼女が今、数千メートル下にしている、衛生兵たちの戦いのことなのか。
フェブラリーには分からなかった。どちらも辛くなるだろうことは予測出来ていたし、片方は既に実現し、もう片方もそうなりつつある。
どちらも指すのかもしれない。当たり障りの無い答えを返す。どうせ、会話の中核には到っていない。今の言葉は導入部なのだ。
──昨日と今日だけで、何人死んだのかしら。さっき、と言っても艦でですけれど、そう思いましたの。ねえ、フェブラリー。
声のトーンが変わる。呻くみたいな声で、喋りたくないことを喋っているようだった。でも、フェブは止めなかった。止められなかった。
それほど、ジャニアリーの声は悲痛で、真剣で、喋らずにはいられない様子が、ありありと見て取れたからだった。言葉は続く。
──初めてですわ、こんなこと。怖いんですの。怖いんですのよ。手が震えて止まらなくて、気分が悪くて、逃げ出したくなるくらい。
私も初めてだ、とフェブラリーは思った。あのジャニアリーが、こんな……以前の彼女なら泣き言と言い切るようなことを口にしている。
だから彼女はそれが本当のことで、心の根底から湧き上がる恐怖が、今話している相手を苛んでいるのだと分かった。励ます術は無い。
賢明な妹には、分からなかった方が良かったのだろうが、それも分かっていた。克服に手を貸すことは出来ない。横で話すことは出来る。
彼女の肩に手を置き、手を握り、ぎゅっと抱き締め、安心させようと耳元で優しく囁いてやることも出来る。だがそれが何の役に立つ?
結局のところは、今も昔も、誰もが最終的には孤独だ。そして人は、己の力のみで何事か成し遂げなければならない時があるものなのだ。
細かい矛盾点が気に掛かるフェブは、自分たちが正確には人ではないながらも、自分たちを人と形容することへの言い訳を頭に浮かべる。
──フェブラリー、私、生きてますわ。あの中で戦って、何度も死にそうになって、でも生きてますわ。兵たちには死者もいたのに。
通信の向こう側だったけれども、フェブには分かった。彼女は涙を流していた。怖くてなのか、感情の吐露による涙なのか。考えたが、
すぐにそんなことは止めた。考えて、理解したとしても、そんな行為は限り無く無意味だった。今や彼女の声は完全に涙声になっている。
手を差し伸べられないことを、妹は心奥より残念に思って、恨んだ。姉が苦しんでいる。たった一人で、誰の助けも受けられず、一人で。
無駄な行いであっても、妹の心は姉を助けることを望んでいた。姉妹とはそういう存在だと思っていた。苦しんでいるなら誰かが助ける。
だというのに、自分には話を聞いてあげるだけしか出来ないのである。悔しかった。ジャニアリーへの無駄な励ましさえ出来ない自分が、
やけに無力に思えて、事実その通りなのだったのだから、もっと歯痒く感じられた。ドレスの端を握って、痛いほどに、力を込める。
──ねえ。
涙を拭い、彼女の価値観からすればみっともないだろう声を抑えて、ジャニアリーはフェブに言った。短い言葉だったが、本心だった。
──エイプリルは、強いですわね。そう思いません? 全部隊の命を肩に背負っているんですのよ。私なんて、自分の命で精一杯なのに。
口を開かなくてはならない気がした。フェブラリーは重い口を開き、何を言えばいいかも分からないのに、言葉を発そうとした。
──彼女は、エイプリルは、その通りだと思いますわ。
──その通りですのよ、フェブラリー。彼女は強く、私は弱い……あなたに愚痴と泣き言を漏らさなければ、自信を失うところでしたわ。
そう言って、ジャニアリーは妹に、静かに礼を言った。妹は否定し、自分は何もやっていないと言ったが、ジャニアリーは認めなかった。
彼女からすれば、黙って、何も言わずに、聞いてくれるだけで良かったのである。それが一番、彼女の求めていたものだったのである。
それから数秒間沈黙が継続し、心配になったフェブが何か言おうとした時、ジャニアリーの口が息を吹き返した。すっかり元通りの声だ。
気丈で、単なる嫌な女にならない程度の居丈高な、しっかりした芯を持った女性特有の、自信に満ち満ちた、いつもと同じ声だった。
──全部忘れなさい、フェブ。全部、聞いたことを、全て。私とあなたは今から話を始めますわ。さっきはお互いに、黙っていただけ。
妹は頷いて、受け入れた。姉は打って変わって明るい声で関係の無い話を始めた。最近の話、昔の話、二人にしてみれば大昔の話などを。
フェブは随分後になるまで気付かなかった──彼女は正に、姉が必要とするその時に、そこにいて、彼女を暗闇から助け出したのだった。

*  *  *

時は来た。遂に来たのだ。今こそがその時なのだ。今度こそ私の最期の時か最高の時か、または両方になり得るのだ。絶対に、違いなく!
私は感動と喜びに叫び声を上げた。祝杯を挙げたくなる気分だった。冷然とした目で私を見ている相棒さえ、今ならば許すことが出来た。
お姉様と戦える! お姉様を殺せる! お姉様に殺される! どれもこれも最高だ。お姉様と相打ちになるのが一番だが、それをすると、
他のお姉様たちと戦えなくなってしまう。今は私の大切な十二人のお姉様の内二人に意識を集中するとしよう。二人と戦い生きて死のう。
バレットの調子は上々で、私の拳銃、ワルサーの動作にも不安なところは無い。エイプリルお姉様のルガーに対抗して持った拳銃だ。
動いて貰わなくては困るし、銃の整備も出来ていない、不出来な妹だと思われるのは心外かつ私にとって最悪の事態に他ならないことだ。
試射として数発、動きながら両方の銃、計三挺を撃って、最終確認とする。これで完璧に、何の間違いが起こる心配も無く、戦える筈だ。
余りに嬉しかったので、私はひょいと相棒を抱え上げた。軽くは無いが、それは銃の為だ。銃は私の左手に持ち、彼女を右手に抱える。
恥ずかしがっているのか悲鳴を上げて身を捩ったが、なあに、私は心優しい姉だ。抱き締めて頬を擦り付ける。彼女の動きが止まった。
どうやら私の本意を理解してくれたようで、故に彼女は怖がる必要が無いと分かったのだろう。ぐったりしている気もするが気のせいだ。
暫くして攻撃性を取り戻した彼女は、頻りに下ろすよう私に訴えかけ、拳で胸を叩いたが、蚊ほどにも感じない。あっちも加減してるし。
やがて私がどうしようもなくハイになり、上機嫌になってしまっているのを素直に受け入れ、彼女はようやく心から私の腕に身を任せた。
こうなると共に戦場を駆ける相棒ではなく、可愛らしい妹だ。オクト、ノヴェ、ディッセお姉様に似た、しかし全然違う可愛い妹である。
素直さを隠さず、躊躇無く甘え始めた彼女は本当に可愛い。いつだったかは危うく、背骨を折ってしまうところだったと記憶している。
どれもそれもこれも、犯罪的な可愛さを持った彼女が悪いのだと思う。私こそ寧ろ被害者なのだ。正気を失わせられた、被害者である。
私が走るスピードを上げ、辺りの景色が流れるようになると、この自覚の無い魔性の妹は、ただの子供みたいな喜びの声を私に聞かせた。
今までの生涯、それは非常に短時間だ。お姉様たちと比べれば私は赤子にも程遠い。だがその短いが濃厚な生涯を、私は彼女と過ごした。
過去も現在も途絶えるまでは未来も、彼女と過ごす。素晴らしいことだ。私は気付いた。それはどう考えても素晴らしいことなのだ。
私を慕う小さな友人と、短くも刺激的で楽しい一生を過ごせるなら、何にも変え難い魅力であることは、どう考えても否定出来やしない。
長くて刺激的なら更にいいが、私はそこまで欲深くは無いつもりだ。無欲を貫くことはしないにしろ、貪欲には軽蔑の念を感じる。
ぷにぷにとして心地の良い頬がこちらの頬に擦り付けられる。擦り付けるのではなく、擦り付けられるのだ。誰にも気持ちは分かるまい、
この私のとっても幸せな気持ちは。一つは姉と戦える。一つは姉を殺せるかもしれない。一つは姉に殺して貰えるかもしれない。
そうして最後の幸福を構成するピースは、この小さくて愛嬌ある妹が、私に甘えてくれているという確固たる事実、それこそがそうだ。
エイプリルお姉様とメイお姉様はあの古城で待っている。あの洋館めいた城めいた、不思議な建物で待っている。私たちが初めて会った、
お姉様には忌々しい思い出であろうとも、私には最高の思い出の場所。そこで私は再びお姉様たちと会えるのだ。火線を交わせるのだ!
急げ、急げ、急げ! 私の幸福、私の小さく素敵な夢、私の願ったただ一つの大きな代価を目指して、足を動かせ! あの場所目指して!
空は暗く、私とお姉様が戦うには良さそうなムードを漂わせてくれている。雨が降り始めれば、最終決戦の雰囲気ばっちりではないか。
腰のサーベルがかしゃかしゃと音を立て、拳銃を入れたホルスターは腿を軽く叩き続ける。ライフルに付けた十字架は飛び回って、
もしかして、銃に結びつけた紐が切れたりしないだろうな、などと懸念を抱かせるくらいだ。何もかもが未来への希望に満ちていた。
私の気持ち。妹の気持ち。私たちの立てる音、私たちの行為、何もかも。どれを見ても、この先起こることを、大いに楽しみにしていた。
建物が見えて来る。あの場所にお姉様がいるのだ。私が超えるべき障壁、最強の女性たち。恐るべき、信じ難い強敵十二姉妹の二人が。
誇り高く気高い敵だ。姉がそうだと、妹の私も誇らしい気持ちになり、彼女たちを汚さぬようにという気持ちになる。であるからして、
この後すぐに行われるだろう戦いにおいて、私は十二姉妹に名を連ねることが無い妹だが、例え十二姉妹だったとしても恥ずところ無い、
正々堂々とした全力での勝負を行わなくてはならない。汚い勝利は、美しい敗北に何億倍も劣る。私は姉を超えたいのだ。正々堂々と。
小汚い戦い方で超えただの何だのとふざけた口を利けるほど、私は厚かましい女ではなかった。不正直者でも無かった。実に正直だった。
建物にどんどん近づき、入り口にまで辿り着く。私は激突を避ける為に足を止めた。誰だってそうする。私もそうしただけだったけれど、
妹は不満だったか、私らしくないと思っているようだった。あれか。体当たりで突っ込んで内部に突入するのが私らしいと言いたいのか。
勿論、私はそうしなかった。ドアを普通にくぐり、普通に歩き、食堂まで行った。大分前に灯した蝋燭が気になったからだった。
まだ火がついているようなことはまさか無かろうが、あれば消さなくてはならない。可能性を勝手に抹消することはしなかった。
油断禁物、並びに油断禁物はいつだって通用する言葉の一つである。戦いの時も、今のようなそうでない時も、それは変わりはしない。
食堂を覗く。明るい。蝋燭は新しいものを出してきたかのような長さのまま、火が点いている。一体どういうことかと思ったが、
答えは蝋燭の傍にあった……いや、いた。エイプリルお姉様は椅子に腰掛けて、私を待っていた。長く待たせてしまったかもしれない。
まずは謝ったが、彼女はその謝罪を手を振って退けた。つまり、謝るべき行為を私が行っていないと安心させてくれた。
椅子を立ち、背中を向けて、付いて来るように彼女は告げる。この建物に入る時に右腕から下ろした相棒と私は、その背中の後を歩いた。

*  *  *

以前、エイプリルとメイ、それにその妹の三人が命のやり取りをした場所に来て、妹が一番最初に気付いたのは、椅子があることだった。
二つが用意されていて、クーロン繁華街の方向に顔が向くよう、並べられている。エイプリルはそこに腰掛けた。新型も横の椅子に座る。
相棒は言われなかったので立っていようとしたが、姉は彼女を手招きし、膝の上に来させた。妹には何の意味があってこうしているのか、
さっぱり分からなかったが、偉大な姉がこうするからには何らかの思いの一つでもあるのだろうと考えて、口を開かず、黙っていた。
エイプリルからすると、これも作戦の内の一つだった。ある意味で、彼女たちにとっての戦いは始まっていたのである。フェブの介入に、
どれくらい時間が掛かるか分からなかった為、ほんの数秒でも多く時間を必要とする十二姉妹側の二人は、こうすることにしたのだった。
妹は己の目標の為だけに動く訳ではない。彼女の心の中でそれが一番大きい目的であっても、姉の行動を無視して達成するとは思えない。
それは危うい作戦でもあった。彼女とエイプリルたちはじっくり話し合ったのでもなく、長年共に過ごして来たのでもなかったからだ。
待ち切れずに戦いを仕掛けてきたら? 会った途端に銃を向け、撃ち込んで来たら? 失敗の要因の方が多かった。でも、彼女らには、
これを選択する他に手は無かったし、時間を稼げなければ結局は敗北するのだ。であるなら、失敗を恐れていることは出来なかった。
並んで座りクーロンの繁華街を見ていると新型には、何だか自分が今から殺し合うことが信じられなくなって来た。不思議な気さえした。
勿論、戦うことに疑問は無い。それが彼女の望み、願望だったし、粛清部隊を裏切って味方になる為の唯一の条件でもあったのだから。
だけれど、こうしていると、ただの姉と妹のように自分たちの関係を認識してしまいそうになるのだった。それは心地良かったけれども、
新型が求める関係とは、少々違っていた。エイプリルお姉様は何故、こうしているのだろう? 不可解な行動を理解しようと、顔を窺う。
見たところは、平静そのものだった。己の行為を隠すことを忘れてじっと見つめていると、視線に気付いたエイプリルが新型を向いた。
柔和な微笑を浮かべる。口の端をちょっとだけ上げる、それだけの、注意が無ければ気付かないくらいの笑みだが、妹には十分だった。
憂いの色が無い溜息を吐いて、やっと、姉が口を開く。妹は変に気構えすること無しに、自然体で、落ち着いてそれを聞いていた。
「ここからは繁華街が良く見えますのね」
新型は失望した。こうしている理由が語られるものだとばかり思っていたからである。姉の行為は全く以って不可解の極みであったし、
それが不愉快ではないからこそ、未だ戦わずにいる理由を知りたかった。何故我々は銃を取り出さないのか。何故椅子に座っているのか。
頭の片隅でそう考えていた為、新型は答えに一瞬の遅れが出た。機嫌を損ねないかと思ったが、無論、姉はそのような狭量ではなかった。
「良く見えますでしょう? 夜にはもっと綺麗に見えると思いますわよ」
彼女、新型がここで、姉を迎えに行き、戦う準備をしていた頃、ここから姉とその仲間のいる繁華街を眺めたことがあった。良く見えた。
その時のことを思い出す。繁華街の周りは暗く、暗く、暗く、その中に煌々と輝きを発する繁華街の明かりがあり、その大きな差が、
繁華街の活気と騒がしさをより効果的に演出していた。戦闘が始まって銃声が響くようになっても、その光は途絶えやしなかった。
でしょうね、と姉が答えたので、妹はそのことを保証した。記憶を送信して見せたいくらいだったが、姉の用心深さでは無理な話だった。
空白が続いてしまう前に、エイプリルが質問を一つ、妹に投げ掛ける。妹と戦った十二姉妹全員の疑問の一つで、最大の疑問だ。
「あなたは何の為に戦うのかしら?」
「お姉様を超える為ですわ。己の求める強さの為、と言っても強ち間違いではありませんけれど」
妹は即答した。迷いの無い答えに、姉は渋々この妹を言葉で丸め込むことは出来ないと認識した。分かり切っていたことではあったが。
「これは私の意見ですが、あなたは十分強いように感じられますわよ。私たちよりも強いと思わせるくらいに」
首を振って、新型はそれを否定する。彼女は姉に対しては素直で信じ易い性格だったが、自分のこととなると辛辣で疑り深かった。
彼女が自分の能力に疑念さえ抱いていると知って、それに負けそうになった自分とメイは何なのかと、エイプリルは心の中で呟く。
熱っぽく、姉への敬意や信奉心を語る妹。自身の生まれた理由こそ姉たちにあるのだと力説し、ある意味で生みの親でさえあると訴える。
それでも……それだからかもしれなかったが、彼女は自分の力を確信出来なかった。自分と同じ理由で生まれた姉妹たちと戦わされ、
ことごとく捻り潰し、執念く生き残ろうとする者をも全て全て打ち倒し勝利してここまでやって来て尚、腑に落ちないものを感じていた。
自分の誕生の理由たる姉を倒せば、この忌まわしい疑念を拭い去れるかもしれない。一度そう信じたなら、彼女は努力を惜しまなかった。
元より、姉のことは好きだった。直接話したことも無く、戦術や思考パターンを知る為と方便で奪い取って来た彼女らの記憶ファイルを、
一人でこっそり見ていただけの、一方通行の関係だったが、彼女は真剣に、姉たちを心から愛していた。表現は不器用で異常だったが、
その気持ちは真実であり、混じり気や不純物などの一切存在しない、真っ白な想いだった。常に打ち倒す存在だった十二姉妹と、同様に、
常に打ち倒す存在の自分。ぶつかり合った時にどちらが倒れるか、新型にも分からなかった。だから余計、勝てば疑念が拭えると思った。
「私はお姉様を超越しますわ、お姉様。それがたった一つの願いだったんですもの」
エイプリルが言葉を聞いて、眉を上げる。何かに気付いたようだった。新型は、一体姉が何に気付いたのだろうと考えた。姉が質問する。
「超越して、それでその後は?」
軽く答えようとして、妹は言葉に詰まる。考えてみれば、そうだった。私は姉を越えてどうするのだろう。疑念を拭い、それで、次は?
分からなかった。彼女は恥ずかしく思ったが、浅慮を素直に認めた。エイプリルは満足していなかったけれど、深くは追求しなかった。
「残念ですわ」
いつだったか、同じことを言った姉がいたことを思い浮かべる。フェブラリー。フェブラリーお姉様。彼女は新型と戦うのを残念がった。
今、もう一人の姉も残念がっている。新型は、彼女がどういう理由で何を残念がっているのか、知りたかった。でも、聞かなかった。
それは場にそぐわぬ質問であると彼女が思ったからである。妹はこれから何が起こるのか、ちゃんと心得ていた……そろそろなのだ。
同意しますわ、と、取り敢えず姉に合わせて言う。エイプリルはちらりと妹の顔を顎から両目まで見たけれども、それで終わりだった。
それでは。姉が一言発する。新型の体に緊張が走った。隣の美しく気高い女性の変わらず穏やかな表情から、圧倒的な殺意が感じられた。
口の中で舌を躍らせ、妹は緊張を解す。この雄々しく勇ましい誇りある姉はこれから、自分と戦うのだ。戦って殺そうとしてくれるのだ。
二人は同じ体勢で、繁華街を眺めていた。上品に、椅子に深く腰掛け、だらしなくならないほどに足を開き、背もたれに身を任せて。
「それでは、さようなら、お姉様」
「それでは、さようなら、私の妹」
姉妹は別れの挨拶を先に済ませておこうという件について、意見を一致させた。どちらが死ぬことになっても、これなら失礼が無い。
そうして二人が平穏の内に行われる会話を終えた直後に、新型は放っておくことの出来ない疑問を覚えた。メイお姉様は何処なのかしら?
でも、質問に費やせる時間はもう無かった。妹はその疑問のせいで反応や戦闘開始が遅れたが、メイの所在を知っている姉は動いていた。
椅子にある四本の足の内、前方右の足に右足を絡める。素早く立ち上がりながらこちら側に引き寄せると、大きくくるりと回転して、
その椅子がついてくる。エイプリルは背もたれを掴んで持ち上げると、回転しながらそれを腰掛けたままの新型に思い切り叩きつけた。
妹は、姉は戦闘を阻止する気など更々無かったのだと安心した。予想通りだったが、彼女は明らかに殺し合いを始める気でいたのだと。
姉思いの妹は、姉を無理に付き合わせるようなことにならずに済んで良かったと、ぶっ倒れながら思った。姉は椅子を放り捨てると、
飛び上がり、空中でしゃがむ格好を取った。新型には飛び上がった時点で、彼女が何をしたいか分かっていたので、横に転がる。
石の床を、割れよとばかりに蹴りつける、重力を味方にしたエイプリルの両足。衝撃の緩和の為に、膝が曲がる。新型はそこを蹴った。
仰向けに倒れる姉。起き上がった妹は右腕を引いて、エイプリルの喉元付近を狙った。エイプリルも両足を体に引き付けて、
強力な蹴りを放つ。一瞬、時間の流れが緩やかになった。二人は、互いの視線が絡み合うのを感じ、その次に強烈な衝撃を感じた。
新型は胸に、エイプリルは両方の足に。仰向けになって後方数メートルに吹っ飛んだ新型が、さっと片腕を高く空に上げる。
そこにライフルが投げ渡された。阻止は間に合わない。エイプリルは右側にある柱の陰に隠れようとしつつ、牽制に拳銃を抜いて撃った。
ルガーとモーゼル、両方の銃弾を身に受けても、勿論新型はその動きに一切の支障をきたしたりはしない。五十口径弾が柱を抉る。
銃だけを突き出して、エイプリルは二挺を連射した。すぐに弾丸が切れる。柱にぴったりと身を寄せてエイプリルが弾倉交換する間に、
新型は彼女の遮蔽物目指して駆け出していた。柱からはみ出た服が動きを見せたので、床を蹴って跳躍する。エイプリルは正にその時に、
柱から姿を現してしまった。視覚による認識の前に振動が発生し、今度はエイプリルが後方へと飛ぶことになる。新型が銃を構えた。
唯一の防護壁たる柱は、エイプリルの後ろにあった。逃げ込めはしないだろう。でも、彼女は怖くなかったし、死ぬとも思わなかった。
新型の指が動くのよりも早く、屋根に手を掛けたメイが飛び込んで来て、床への着地ついでに新型に威力激甚なキックを浴びせ掛ける。
引金は引かれたが、エイプリルに当たりはしなかった。メイは頭を掻きながら左手を差し出して、親友が身を起こすのを手伝った。
「遅れたかい?」
肩を鳴らせながら、メイはそう尋ねる。親友は首を振った。彼女は服を叩いてしわを伸ばしながら、メイの心配を否定した。
「いいえ、期待通りのタイミングでしたわ。さて──」
横に飛んでいった新型が、埃を払いながら立ち上がる。ライフルを向けて、数射。二人は別々の方向に跳んで逃げた。エイプリルが着地。
ずざ、と地を擦る音を立てながら停止し、拳銃を構えようとする。金色の銃と、黒い銃。新型は戦いらしくなってきて、微笑んだ。
彼女の姉が大声で叫ぶ。その声が向くのは、数メートル離れたところで今にも戦闘へと加入しようとする、彼女の親友だった。姉が叫ぶ。
「メイ! ぶっ壊して差し上げますわよ!」
言葉で答える代わりに、メイはスリングで背中に回していたショットガンを新型に向けて、オートで数射した。
ダブルオーバックの散弾はしかし、敵の服を幾らか傷つけるだけで、一向にダメージらしいものを与えられたようには見えない。
メイに銃を構えようとした新型に向かい、エイプリルが突っ込む。突っ込まれた彼女は面食らった。今までだったら、二人共逃げたのに。
結果として、対応は遅れた。妹はその代償に、左手に持っていたルガーをしまいこんだエイプリルが放つ、顎への左フックを、
何の防御も無い状態でまともに受けることになった。メイも近づいてくる。新型は決断を恐れず、また、厭うこともしなかった。
彼女の頼れる相棒にライフルを投げつける。忠実な少女はそれを地に落とさぬように受け取り、邪魔にならない隅へと戻った。
エイプリルの銃を握ったままの手で放たれた変則的な右アッパーを左手で払い、返すその手で頬を殴る。姉は尻餅をついたが、
追撃はとても出来なかった。メイがいるからだった。極めて鋭いストレートを捌くのには多大な集中力を必要としたが、
新型はそれをやってのけた。でも、反撃に移れるほどの隙を作ることは、出来なかった。メイは辿り着く場所を失ったその勢いを殺さず、
前に一歩踏み出す。そしてその足を軸に、少々無理のある姿勢からだったが回し蹴りを新型に命中させた。不安定だったのもあって、
力も余り掛けられていなかったが、流されたパンチの勢いがそれを補った。新型が仰け反る。その間に立ち上がったエイプリルが、
左手でマダムの剣を抜き放ち斬り掛かる。と、その眼前を大質量の物体が通り、新型の手に掴まれた。彼女の力、彼女のライフルだった。
重みでバランスを取り戻した彼女は、すんでのところで姉の振り下ろした剣の腹をストック部分で払い除け、逆に振り上げたストックで、
エイプリルに重い一撃を喰らわせた。構えようとして、メイにひったくられる。妹はまさかひったくられるとは思わずに許してしまい、
おまけに奪われたその銃でエイプリルと同じ目に合わされた。が、彼女はそうされても、ライフルを掴み奪い返そうと試みるだけの力が、
残されていた。銃の掴み合いになり、動きが止まる。エイプリルがゆらりと立った。マズいと思い、新型はメイの腹を膝で蹴り上げる。
力が緩んだのと同時に奪還し、その時の勢いを使って、ライフルでメイを殴り倒す。今度こそと銃をエイプリルに向け撃とうとしたが、
エイプリルはメイが殴られている間、黙ってそれを眺め佇んでいるような女性では無かった。彼女は動いていた。動き続けていた。
姉の首の横を、銃口と銃身が通過する。懐に潜り込まれたのだ。最強最悪の妹でさえ最も回避すべき状況に、引き摺り込まれたのだった。
非常に賢明なエイプリルは、優雅さやレディの云々とかいうものを、この戦いには微塵たりとも持込みはしなかった。正しい判断だった。
彼女は躊躇を一片も見せずに、新型の股間を蹴り上げる。妹は危うく気絶するところだった。呻き声を出して跪き、股間を両手で抑える。
身を折った。悦楽への変換が不可能な痛みを、彼女は初めて知ったが、感心していられる状況ではなかった。吐き気さえもする。
無防備の彼女に、エイプリルは容赦無く追い打ちを掛ける。効果は薄いだろうが、やれるだけやってやりたかった。
メイは立ち上がらず、倒れたままの体勢で、半身だけを起こして、ショットガンの引金を何度も何度も、弾丸が切れるまで引き続けた。
エイプリルの爪先が平伏し祈るようなポーズを取っている新型の肩に当たる。新型は痛みを感じ続けていたが、我慢することは出来た。
姉の足を掴み、もう片方の足も掴み、ぐっと力を込めて引き寄せる。すると、それだけで、エイプリルはバランスを大きく崩してこけた。
立ち上がろうとする新型。でも、まだメイがいた。起き上がり、飛びついて押し倒し、マウントポジションを取ろうとする。
が、その解除に然程の力はいらなかった。メイが少し前にストレートの力を蹴りに使い回したように、新型も押し倒される力を流用し、
押し倒されるとそのまま素直に倒れ込み、敵の力でもって彼女を自分の後方に投げ飛ばしたのだった。予想以上に飛び、柱の一本に激突。
暫くは起き上がれないくらいに酷く打ちつけたようで、呻吟する。エイプリルは冷やりとした何かを喉元に感じ始めた。
それは差し迫った危機そのものを示すものであり、であるならばそれは正しく、突きつけられた氷の刃に他ならない凶器であった。
ライフルを入手し、アウトレンジからの攻撃に移ろうとする新型。その差し出された右腕の手首をがっしと掴む。銃撃戦で勝ち目は無い。
するりと抜き取ろうとするが、新型はそうするべきではなかった。抜き取ることを考えるべきではなかったと、彼女は後で後悔した。
強い拘束から逃れた腕が、力を込めていた証拠として、新型の豊満な胸に叩きつけられる。この時点で後悔は始まりつつあった。
エイプリルが踏み込んで来る。新型の左手には右腕が重なっており、その右はと言えば制動を掛けた為に今だ自由な状態ではなかった。
足を使おうとしたが、手遅れだった。眼前で火花が飛ぶ。頭突きは、新型の強靭な肉体を揺るがし、ふらっと一歩後退させるだけの、
強力なものだった。人間ならば頭蓋骨を陥没骨折していたかもしれない、強い頭突きだった。大きな見逃しようの無い隙が、発生する。
エイプリルの回し蹴りはメイよりも軽かったが、鋭さと固さはメイと同じかそれ以上のものを有していて、命中後新型はそれを確信した。
柱までよろよろと後ずさる。エイプリルが間合いを詰めようとしたが、妹ははっきりしない足元でも跳んで逃げることを怖がらなかった。
相棒の近くに着地する。即座に、合図も無しに渡されるライフル。渡したり返したり、忙しいことだとエイプリルは思った。
発砲の阻止は出来そうにも無いので、身を隠す姉。この時新型は、間違いを一つ犯してしまった。彼女は、目先の敵に囚われてしまった。
彼女はエイプリルを殺さねばならないという一種強迫観念じみた考えに取り憑かれてしまっていたのである。倒れていたままのメイを、
一発撃てば彼女は死んでいただろう。新型はそうしなかった。そうするという考えさえ浮かばなかった。銃弾は姉の隠れた柱を抉り、
そうしている間にメイも這って柱の影に逃げ込み、新型は最も大きな勝利のチャンスをみすみす見逃してしまうことになった。
だとしても、未だに危機が去っていないことには誰も口を挟む者はいないだろう。依然として新型は場に帝王として君臨している。
場をコントロールするのは彼女で、戦いに勝りつつあるのも彼女だ。それにエイプリルたちは彼女に対して致命的な攻撃が行えない。
このままだといつか磨耗し疲労した二人は、疲れることを知らぬ妹の手で、取るに足らない調度品の一つに変貌させられることになる。
剣を握り締め、そんな運命を否定し突っ返し受け入れないことを決意するエイプリル。メイに通信する。今では彼女も回復を終えていた。
軽く打ち合わせをして、通信を終える。どう頑張っても、エイプリルとメイの間にこの状況においては絶望的な差となる距離がある以上、
同時攻撃は難しいと考えざるを得ない。移動速度を落とせばそれだけ被弾率も上がるし、そんなゲームに一枚のチップを賭ける気は無い。
時間差攻撃しかないだろう。エイプリルが攻撃を受け止めさせるか受け流させるかかわさせるかして隙を作り、メイはその直後に、
無効化された新型の防御を素通りして攻撃を加える。後は、両者が息を吐かせぬ攻撃を繰り返し続ければ、新型とてただでは済むまい。
必ずや深刻なダメージを与えられる筈だ。でなければ、新しい策を考えるしかない。フェブの介入はいつになったら始まるのやら。
二人は妹への苛立ちを募らせた──彼女たちの仲間に属している妹への苛立ちを。新型が弾倉を交換しようとする。今が作戦開始の時だ。
左手に剣、右手にモーゼルを持って、エイプリルは柱から躍り出るや否や、拳銃に装填された二十発の弾丸をフルオートで撃ち切った。
一発残らずに、ほんの二秒で、完全にである。逸れた数発を除いて、殆どが妹のボディに当たり、火花を作り出して弾かれる。
右足で地面を蹴った後、姉は右肩に剣を持った腕を引き付けた。左の足で踏み込み、回転しながらライフルごと斬り捨てようとする。
妹はふいと体を反らして逃げる。大きな動きだった。それこそ、願っていたもの、願っていた動きであった。走ってきたメイが、
両足に力を込めて高く跳躍する。途中親友の肩に着地して、再度跳び出し、より高く上へと跳んだ。空中で無意味に一回転し、
新型に背を向けて着地する。首を回した妹は、メイの肩の上に乗ったショットガンの、ライフリングの無いバレルをまじまじと見つめた。
メイが引金を引く。弾かれたように妹の体は跳ねた。身を反らしたままなのがマズかったのだ。急いで立ち上がろうとする妹の胸部に、
二度目の着弾。右手に掴んでいたライフルが、下に落ちる。メイはそれを見ると飛びついた。しかしそれは、新型の巧妙大胆な罠だった。
取られる前に新型は銃身を掴み取って引き、メイの手から逃れさせる。彼女は何もない空間を抱き締めることになり、その後には、
顔面でライフル銃床を受け止める結果になった。エイプリルが止めに入る時間など無かった。今更になって、弾倉を換えた拳銃をしまい、
剣だけを持ち救出に入った。地面と縫い合わされる前に、新型は後転しライフルを手放す。それから所謂蹲踞の姿勢に近いものを取り、
サーベルをさっと抜くと頭上で横に構え、刀身の背を左手で支えた。間一髪でエイプリルの剣を押し留める。力比べは続かなかった。
姉の方では敵がパワー型であることなどとっくにお見通しの事実であったし、新型は彼女以上に自分の力を良く了承していたからだ。
エイプリルが両手で力を込める剣を、不安定な体勢から力を込めて跳ね上げる。その時の力は、エイプリルに致命傷を与えるだけの隙を、
見事に作り出した。新型は迷わず、彼女への殺意を漲らせて、次の行為を選択した。よろける彼女の腹部を横一文字に切り裂かんと、
振るわれたサーベル。エイプリルは、駄目だと思った。負ける、助からないと思った。自分は両断された後、首をもがれてしまうのだと。
白刃は新型の願ったその通りに、急速に、姉の白く扇情的な横腹を斬り進──んだりはしなかった、勿論のことではあるのだけれども。
サーベルを握る手は轟音と共に新型の方へと、彼女自身の意思を伴わずに移動した。エイプリルは剣を構え直す。新型は射手を見た。
メイがショットガンを構えて不敵に笑っている。彼女が撃った一発のスラッグ弾が、腕を弾いたのであった。嬉しそうな顔を見せる妹。

*  *  *

新型は嬉しかった。ぴりぴりとした、痛みのような喜びの波が広がって行くのが感じられた。彼女は姉たちに、深い感謝の念を抱いた。
サーベルを持つ手を振るい、着弾で発生した違和感を消す。機能に異常は無い。戦闘は変わらずに続行可能だ。楽しい時間が続くのだ。
彼女の親愛なる姉たちは、彼女を満足させるどころか、その先までに彼女を連れて行ってくれそうだった。不確定な未来だったけれど、
きっとそうなるだろうと新型は期待を抱いていた。メイが顔を撫で擦りながら立ち、銃を向ける。スラッグ弾は新型にとり脅威ではなく、
ましてや散弾など、ボディに白い点をつけることだって出来ないだろう。ボディには。新型は散弾こそがメイの持つ最大の脅威だと、
実に正しく認識していた。スラッグ弾は一粒弾であり、つまり着弾箇所は一箇所しか有り得ない。二箇所当たったら奇跡なのだ、それは。
人間相手なら体内で跳ね返って皮膚を突き破り、まるで二箇所に着弾したように見えることもあるだろう。新型はフィルムの中で、
一発の弾丸に五箇所を傷つけられた男を見たことがあった。しかし十二姉妹や新型は、銃弾の殆どを弾いてしまう。対抗するには大口径、
もしくは小口径高速弾でなければならない。それでさえ弾かれることもある。五十口径ライフル弾には、十二姉妹のボディと言えど、
弾くとは行かなかったが、拳銃程度のエネルギー量なら、五十口径も問題無い。現に、エイプリルやジャニアリーはミスターとの戦闘時、
彼のリボルバーで顔面を撃たれたりしたが、傷一つだってつきやしなかった。その上五十口径ライフルを弾く新型だ。スラッグ弾如き、
通常弾と変わり無く対応出来る。寧ろ怖いのは散弾で、何故怖いかと言うならば、一度に放たれる弾数にあった。九発から十二発。
直径七、八ミリの鉛弾が、それだけ発射されるのだ。恐ろしくない訳が無かった。新型は自分の体の急所を殆ど把握していた。
その中で最も狙われ易くて、的も大きく、破壊されれば死亡するより危険な状態に置かれることになる場所が、両目だ。後は明らかで、
撃たれるからといつも目を腕で庇っている訳には行かないのだ。そんなことをすれば別の危険を背負うことになる。それでは無意味だ。
だから新型は、エイプリルよりもメイを脅威に思っていた。出来れば先に片付けておきたかったのはメイの方で、長姉は後にしたかった。
それを失礼だと思う心は新型には無い。それどころか彼女は、倒す為に全力を尽くし勝つ為の方法を模索することが敬意の表現であり、
そうしないのは最悪の無礼、恥ずべき行い、よりによってそんなことをするくらいなら、自殺した方がまだ良いという考えであった。
動きを緩やかなものにした新型に、当たればただでは済みそうに無いと思わせる突きが襲い掛かる。エイプリルが狙ったのは胸だった。
ライフルを下に置いたまま、彼女は姉に応戦する。右に逸らしての反撃を試みたが、姉の順応は舌を巻くほどのものだった。新型は、
組み手が出来るだろう距離まで互いの間を狭め、メイの援護が行われないようにする。前述の理論より、彼女は油断を危険で無礼と考え、
少しでも、小さな行為によってでも、勝利の確立を目指していた。姉妹二人はそんな妹を見て、一層のこと、焦りを生じさせた。
狭めた距離で、力比べに持ち込もうとする妹。が、そんな考えるまでも無く勝敗の分かる勝負には、誰だって乗ることは有り得ない。
姉はすっと身を引いて、妹のバランスを崩そうとする。その目論見は大方成功した。新型は大き目の一歩を踏み出して体勢を保ったが、
それは殆ど、バランスが崩れたというのと変わらない意味を持っていた。エイプリルの足が動く。妹は、股間を蹴られた痛みを思い出し、
咄嗟にその場所を、剣をくるりと回し、股の間に一本のラインを作って庇った。けれど、姉の狙いはそう勘違いさせて回避行動を封じ、
別の部位を蹴り飛ばすことにあった。限界まで膝を伸ばさずに上げた脚を、これ以上は上がらないというところで、勢い良く伸ばす。
新型が胸の前で保持した剣も、保持する両手も、ガードにはならなかった。蹴られる直前に気付き、彼女は素早く手を上げようとしたが、
間に合うことではない。胸を蹴られ、後ろに倒れ込む。エイプリルは追撃出来なかった。しようとしたが、新型は倒れつつ拳銃を抜き、
数射した。それが喉、両肩、腹部の四点に命中し、彼女は動きを止めざるを得なかった。代わりにメイが起き上がろうとする妹を、
二度と起き上がれないように痛めつけようとして動く。危うく彼女は串刺しにされるところだった。エイプリルが叫ばなければ、
恐らくそうなっていただろう。それは綿密に計画された作戦ではなかった。蹴られ、倒れ、姉の追撃を食い止め、もう一人の姉が来た時、
閃光のように現れた考えだった。だから様々な点で無計画な行動にありがちな、次の行動を予測させかねないものがあったし、
実際エイプリルが妹の考えに気付いたのはそれが理由だったのだが、制止した姉も、制止された姉も、自分たちが不注意だったと知った。
彼女たち二人は、自分の妹がその場その場の行動を好まず、頭の中でシミュレートし、比較的綿密な思考の下に選択することを好むと、
勝手に決め付けていた。彼女が無駄の無い戦闘行動を取るのが勘違いの原因だったけれど、それも彼女の経歴からすると当たり前なのだ。
何しろ、二人の知るところではなかったけれども、妹は新型機開発チームの作った全ての姉妹を葬り残った、唯一の存在だったのだから。
対アンドロイド戦なら得意なものである。どれくらいの無茶が自分に許され、どれくらいの力が自分にあり、どれくらいのことが可能か、
彼女はしっかりその頭に叩き込まれ、体にはより叩き込まれているのだ。姉たちは妹の過去を知らなかったが、力を再評価し始めていた。

*  *  *

戦い始めて少ししてから気付いたのだが、彼女、私が今、銃弾や剣や拳を交えている、悪夢が実体化したような褐色の妹は、
髪形を変え、彼女なりのお洒落をその銀髪にも施してから戦いに臨んだようだった。嬉々として死にたがり死なせたがる彼女、妹は、
自分の髪を自分で切ることが出来るほどには器用そうに見えないので、あの信じられない忠節さを持った不幸かつ幸福でもある少女が、
大いに苦労しつつ切ったのだろう。凡そ髪の毛を切るのには使わない筈の道具を使って、必死で髪型を整える年末型の姿が脳裏に浮かぶ。
……新型は調子良く、私たちを追い詰めようとしていた。それを危うくも未然に防いでいるのは、一つは私たちの持つ戦闘経験であり、
もう一つは互いの存在だった。私が倒れれば、彼女はお終いだ。彼女が倒れれば、私はお終いだ。言わば我々は運命を共にしているのだ。
それに十二姉妹隊の一員として、偉大な母の栄えある姉妹の長姉として、仲間を死なせる気は微塵とて無かったし、それを除いたって、
私とメイは親友同士だった。どんな世界に親友のことを見捨てる者があるものだろうか。見捨てたならば、それは親友ではなかったのだ。
反論は多くあるだろうし、多少の無理があることは私も先刻承知している。しかしそれでも私は、固く、そうであると信じている。
それに、二人でなら凌げる攻撃も、一人であったならば戦闘を終える決め手になっただろうと思わせる攻撃が多くあったことは、
何の恥ずかしさも無く認めることが出来る。妹は強い。さっきも彼女自身にそう言ったが、彼女は間違い無く、私よりも強いのだ。
例を挙げるなら、メイが乱入して来た時。あれは事前に計画された乱入だったが、もしメイがあの場にいなければ、既に戦いは終わって、
妹は私の首を斬り、楽しげに嬉しげに、私の首に話し掛けていただろう。でも、あそこにはメイがいた。メイがいて、私を助けたのだ。
私も強いことは、誰もが認めるだろう。だが我々よりも強い者があることも、誰もが認めるだろう。それが私たちの相手にしている敵だ。
ただ彼女が私と違うのは、私には隣に立って戦う戦友があり、彼女には自身の縛りによって一人の従者を除き共に戦う相手はおらず、
主君は従者と共に戦わないことを、この戦いにおいては選んでいたのだった。それは大きな差だ。妹の命を救うのは、原則妹しかいない。
だけれどもメイはしばしば私の命を救ったし、言う必要を全然感じないことではあるが、私も同じくらいしょっちゅう彼女の命を救った。
二人でお互いの命を同時に救うこともあった。私たちはお互いの為に動き、それを理由に、全く臆すことなく戦えたのだ。今も、過去も。
銀のワルサーを左手に握り、拾い上げたライフルを右手に、これまで通り持つ妹。距離を取っての射撃戦に移行しようとしている。
そんな真似を許してはおけない。彼女とまともに戦って勝つ気なら、射撃戦だけは止めておくのが賢明だ。あちらには攻撃は無意味で、
こちらばかりが消耗し損耗し傷ついていく。我々から見て、最悪の状況になってしまう。と、ここで彼女の銃口に向かえば死ぬだけだ。
私たちは、彼女が銃を構えようとした時には、遮蔽物、穴の増えた柱の後ろに回りこんでいた。これで射撃戦には持ち込めないだろう。
そう思っていたが、我々は甘かったらしい。妹は銃を構えたまま動かなかった。ライフルはメイのいる方を狙い、拳銃は私の方を狙う。
飛び出せば迅速な死を与えてくれることだろう。彼女は待ち構えているのだ。私の姿、メイの姿を。こんな分かり切った狙いに、
態々飛び込んでやる奴があるだろうか。いや、きっと無い。あったとしたって死にたがりくらいのもので、私たちはそうではなかった。
何か新しい手段を講じて、何とかするしかあるまい。何としても射撃戦だけは防がないと。新型のライフルの残弾が少ないようなのが、
私たちにとって救いだった。多ければ柱を抉って貫通してやろうと、妹は連射を繰り返した筈だ。そうしないのは弾が少ないからなのだ。
手榴弾などの爆発物があれば、と私は思った。勿論のことながら、この時の私には、その求める爆発物がたっぷりとあったのである。
設置型爆薬もあった。手榴弾も選り取り見取りとは行かないにしても、数は揃っていた。前者は罠作りに多少使ったことを認めるが、
新型を破壊するのに残った爆薬では足りないということは無さそうな量が、私の支配下にあった。爆発物での状況打開を試みることを、
メイに通信で知らせる。彼女も私同様、手榴弾や設置型爆薬の類を所持している。今のところ我々の持っている実行可能手段の中で、
それが文句無しの最高の手段だったので、メイは反対意見を差し挟まなかった。私は彼女と更に話し合って、どういう風に攻撃を始め、
展開し、出来れば終わらせるかを決定した。その間ずっと、新型は銃を向けたまま、私たちが姿を現すのを待っていた。忍耐強いことだ。
慎重なのかもしれない。今までの彼女の戦い振りから見るとそう思えないが、姉妹を相手にしているが故に、必要以上の慎重さを以って、
ことに当たっているという可能性も無視出来るほど小さなものではない。そこが付け込む隙になれば万々歳というものなのであるが、
彼女はそうさせないだろう。私たちは精々、彼女の警戒心が生んだ無駄な時間を、作戦の立案やフェブのハッキングに使う時間として、
活用しただけに過ぎなかった。メイの提案……と言ってもお互いに同じ考えを持っていて、単にメイが先に言っただけだったのだが、
兎に角彼女の提案で、我々は妹が次に新たなアクションを起こすまでこうして隠れていようと決めた。新しい行動が起こったとしてさえ、
私たちの行動開始は新型の選択がどう考えても切羽詰った危機を引き起こすものでない限りは、私の言葉によって発生するものとされた。
この決定は親友の誇りを些か傷つけたが、そうすることが作戦の成否に深く関わる以上、他の選択は思考余地無しの愚策だったのだから、
彼女にはいずれ埋め合わせをと言うところで、我慢願うとしよう。心配はしなかった。私の親友は理解してくれると信じていたからだ。
それにしてもフェブが何をやっているのか、私には皆目不可解なことだった。ハッキングに失敗して、脳を焼き切られたのでもなければ、
いい加減侵入に成功していたって一向におかしくない筈なのだ。私は専門家でも知ったかぶりでもないので口出しするような真似や、
意見を大っぴらに述べたりはしないが、繰り返し言おう。それにしても、フェブは遅い。そろそろ直接通信で確かめるべきだろうと思う。
進捗状況と、ハッキングの可、不可を。無理だと言われれば、我々十二姉妹は現在行動可能な全姉妹で新型に引導を渡そうとしなければ、
敗北に追い込まれることになるだろう。癪に障るかどうかの問いに障らないと答えれば嘘になるが、ジュライの手を借りられたなら、
援軍が彼女一人だけでも、戦局は一挙に傾くだろう。ただ出来るなら、ジュライには一指たりともこの決戦に触れさせたくはなかった。
私はジュライのことを常日頃から持て余して来たが、このクーロン攻防戦の間に、かつてからお互いの間に存在してきた一つのしこりが、
決定的に致命的な、見逃しようの無いものになってしまったからだった。残念ながら私は、ジュライを裏切り者として告発した上で、
処刑なり追放なりの判決を下すことが出来ない──実に残念ながら! だが、このまま有耶無耶にしてしまって危険を残しておくのは、
何としても阻止しなければならない未来である。彼女には後で懲罰が与えられるだろう。そうして、その懲罰が隊と私に有益であるよう、
ジュライが今後当分の間は大きな顔をして傲岸不遜な態度を取れないよう、決して新型の撃破に彼女は必要とされなかったのだと、
言わずとも結果が語るように仕向けなければならない。率直に言うなら、これらを行うのは溜息も出ないほど気の重い仕事になるだろう。
でも、私はやらなくてはならなかった。隊を纏め、規律を行き渡らせ、この戦争に勝利する為に。私はそうしなければならなかったのだ。

*  *  *

ハンスは運良く手に入れられた無線機をずっと弄り続けていた。周りには親しい姉妹兵が大勢いたし、知り合った軽傷の元敵兵たちも、
コヨーテも同じくらい大勢いた。しかも元敵兵たちから教わって、彼らの私物や厨房から、酒や煙草にその他嗜好品類諸々を、
この救護所へと持ち込み、全員で楽しんでいた。ハンスがその中に混じっていないのは、相変わらず彼が不安に身を苦しめられて、
話していても上の空、話していなければ勝手にまた隅に戻ってしまう、という状態だからだった。だが姉妹兵には彼の気持ちも分かる。
だから、彼は一人で気が済む時が来るのを恐れながらも待ち続けていた。手に入れた嗜好品を何処からか調達して来た大きな籠に入れて、
仲間たちが行商の真似事をしに行くのを眺めもせず、主に戦死者の荷物から頂いた金やチョコレートなどを分け合うコヨーテを見ず、
ただただ目前の雑音しか垂れ流さない無線機に意識を傾けるのである。一人の若いコヨーテが文句を言った。彼は別の救護所に送られた。
当然のことだが、ハンスは自分のやっていることが姉妹兵としては余り自慢出来ることではないということに、疑いを持っていなかった。
他の兵士たちはそこまで気にしていないのを見るにつけ、それを身に染みて理解する。彼らは信じ切っているのだろうかと、考えた。
ジャニアリーを筆頭とした前線組の姉妹たちは、損耗率も高い。首から上だけで帰って来ることもあるほどなのだから、尋常ではない。
それでも彼女たちは帰って来るのだ。であるならば、今回も帰って来て然るべきだ。そう考えては見るものの、ハンスにはその考えを、
丸っきりそのまま信じ込むことは難しく無理なことだった。故に彼は無線機を弄るのだ。もしかしたら彼女に繋がるかもしれないと願い、
艦に繋げればいいものを、どうなっているか積極的に知ろうとするのが恐ろしく感じる、この最も臆病な北部戦線の立役者の一人は。
その彼の肝の小ささが結局は彼の安楽を遠ざけ、彼の隊長の不明確な現在に関する恐れを増大させたのであるから、哀れなものだった。
だがもし、神とかそういった種類の存在があるのなら、それは彼の哀れさと焦心、傷心、小心に情けを掛けたのに違いないだろう。
長い間雑音のみを辺りに撒き散らして来た無線機が、突然人の声をその中に交じらせるようになった。ハンスは驚き、まさかと思った。
そしてそれは正真正銘、まさかだったのである。不明瞭だった。聞き取れないところも多かった。何を話しているかも分からなかった。
だけれども、その声はもう一度聞きたかったあの声で、ハンスは無線機の送信ボタンを押すのも忘れて、一声、彼女の名前を呼んだ。
周りの兵士たちが彼を見る。最初、とうとう彼がどうかしてしまったんじゃないかと言っていた兵たちは、無線機の音量が大きくなり、
ジャニアリーの声が聞こえ渡るや否や、歓声を上げた。コヨーテや粛清部隊兵は一体何事かと戸惑ったけれど、偉大な姉妹の一人が、
生きているということだけで、姉妹兵兵の頭からは傷に響くだの喉を撃たれただのというどうでもいいことは忘れ去られていたのである。
誰かが飛んで行って、無線機の近くに陣取ると、それまでトランプやチェスに興じていた暇人たちが集まり始めた。中には粛清部隊兵や、
コヨーテもいた。彼らは未だ理解し難い十二姉妹隊の兵士たちを少しでも理解しようと努めている、言うなれば勉強熱心な人々だった。
彼らの中には、死ぬまで分からなかった人間もいただろう。それくらいに異常な熱狂だった。元は情報伝達の異常のせいだったのだが。
フェブが遅くともギルドスカイに搭乗したジャニアリーとの交信を開始した時点で、兵士の一、二人にジャニアリーの状態を知らせれば、
さざなみのように話は伝わり、ハンスは無線機など置いて仲間の輪に加わったことだろう。どれもこれも、情報伝達の異常が原因だった。
しかしそれも、大したことのない下らない笑い話の一つ、時々仲間と話す黴の生えたような昔話に過ぎなくなる時が来たのだ。
誰も栄誉を彼から奪おうとはしなかった。ジャニアリーに最初に話しかけ、最初に声を返して貰うという喜びを、奪おうとはしなかった。
もし誰かが奪おうとしていれば即座に、まずはハンスの一撃を、その次に彼の友人たちの痛烈な一撃を身に受けることになっただろう。
無線機のチャンネルを調整して、はっきりと聞こえるようにする。姉妹同士が話すのに、どうして彼女らの専用回線を使わないのか、
どの兵にも分からなかった。でもそれが彼らと彼女を繋いだのだ。疑問にはならなかった。何か訳があるのだろうとしか思わなかったが、
訳は大きなものではなく、頭に響く直通専用回線の使用をジャニアリーが嫌がり始めたから、というのが通常回線使用の理由だった。
ハンスの感極まった声を聞いたジャニアリーは、驚きはしなかったものの、何故こんなに感動しているのか理解出来ずに、
どう答えを返せばいいものか迷うばかりである。フェブが彼の名前を口にして助け舟を出したが、ハンスのことは知らない訳が無かった。
自分の隊員を知らない姉妹なんて、一人だっていないだろう。それどころか、彼女らは自分以外の隊の兵士まで、しっかりと覚えている。
やっと何と言うべきか心に決めた隊長は、眠気を吹き飛ばす新たな話し相手が見つかったことに安堵しながら、彼の体を気遣った。
彼女と話すまでの意気消沈と無気力さは何処に飛んでいったものやら、己の格好悪さを隠そうと嘘まで吐いて問題無しと報告するハンス。
そこで会話が成立したので、最早誰も待たなかった。無線機に人が殺到する。口々に姉妹と話そう、隊長と話そうとする姉妹兵たち。
フェブは男たちの嬉しそうな声と、同じく嬉しそうな姉の声を聞きながら、くすりと笑った。ハッキング作業に、分散していた力を注ぐ。

*  *  *

ジュライはエイプリルの命令を素直に受け入れたが、心中で彼女の行動を批判することまでは止めていなかった。彼女は時折傍らの、
副官の如く振舞うジューンに、部下たちに聞かれないように通信でそのことを口にした。両者の確執、というか溝はとても深いらしい。
そう思って、苦笑する。心配は無かった。ジュライは私と共に来ると決めたのだから大丈夫だと、ジューンは確信し、信頼していた。
──勝てる訳がありません。御伽噺でもなければ……そしてこれは。
さっき言ったのと同じことを繰り返し言う臨時指揮官に、手をかざして言葉を抑え込む。ジュライは眉を上げたが、悪い気はしなかった。
御伽噺ではない、という言葉の代わりに、何が次に来るのか、親友は落ち着いて待った。相手の口下手は知っていたし、苦痛ではない。
長く待たされるかもしれないとの考えは裏切られ、ジュライの予想以上に早くジューンは言葉を発した。発したと言っても通信だが。
──大丈夫だ。
姉妹以外の誰にも隠そうとし、それが失敗しているのを自身も良く良く知っていたが、ジューンは可愛いものが心の底から大好きだった。
その延長線上にあったのと、年末三人組の世話に使ったのもあり、彼女は童話、御伽噺の類も、外見などにそぐわず、大好きだった。
古典から、最近の新しい名作まで。彼女は妹たちの為に読み、彼女自身の為に読んだ。可愛らしいキャラクターが繰り広げる様々な話。
可愛いもの好きとしてその名を一部に響かせる彼女だ。心を奪われない訳が無かった。妹たちが飽きても、本はジューンの部屋にあった。
だからこそ彼女は、己の韜晦の失敗を知っているように、ジュライの言葉が半分は正しく、半分は間違っていることを、知っていた。
そう、確かに御伽噺の中だけだ。あれに二人で勝てるなんてことは、御伽噺の中でだけ許されることなのだ。有り得る筈が無いことだ。
けれど、これはそもそもが御伽噺であった。ギルドにただの一隊が戦争を仕掛けるなどというのは、それ自体が御伽噺と呼ばれるだけの、
明確な異常性を持ち合わせていた。彼ら彼女らに挑んだ時点で、彼女たちは御伽噺の世界に足を踏み入れていたのである。言うなれば、
悪とベクトルの違う悪の、薄汚いゴキブリとどんなに汚れようとも誇り高い鼠との、打倒される立場のものと打倒する立場のものの、
血と硝煙を大量排出しながら紡がれ吟じられる、絵空事に等しい、最も新しく、最も誇り高く、最も可愛らしくなく、最も反社会的な、
作り手歌い手数千に満たない現在進行中の御伽噺であり、英雄譚であり、叙事詩だった。であるからにはそれらの愛読者ジューンは、
あの二人が負けることなく帰って来ると信じて止まなかった。いや、信じる信じないということさえ、その時の彼女には無かった。
彼女にとってそれは当然だったのだ。そうなること以外何があるというのだろう。一切の心配や不安は、ジューンの胸中には存在しない。
何故なら、御伽噺はいつだって、高らかに叫ばれる『めでたし、めでたし』の一言で、その壮大な物語の幕を下ろすものだからだった。
ジュライには分からないだろうなと、ジューンは思った。それでもいいとも思った。表情を伺うと、案の定納得行かない顔をしている。
二度目の苦笑を漏らした。そろそろ指揮に戻った方がいいのではと伝える。無駄話は止めようと意見が一致し、二人は指揮に身を入れた。
指揮と言っても、戦闘が終了したと言ってもいいこの状況では、指図することは少ない。報告を聞き、頷くか了解の言葉を返すだけだ。
彼女たちの思念は、専ら姉二人に向けられていた。新型と対峙する二人。ジュライは刀を抜いてすぐにでも駆けつけ戦いたかったが、
それが贖罪になるとは思えなかったし、贖う為だけに何かするというのは無意味で、何らかの行為が結果的に贖いになる、というのが、
贖罪という行為の本来的な形ではないだろうかと考え、今は命じられた任務だけを果たすことにする。それでも彼女は、声が掛かったら、
即座に艦を飛び出る準備を済ませていた。身軽な自分の装備に数度目の感謝を捧げる。刀一振りでいいのだから、ありがたいことだった。
兵士が一人、彼の担当する機器を操作しながら報告を始める。仕事がやって来たのだ。ジューンの顔が仕事の時の、厳しい顔になる。
「救急ヘリ到着。衛生兵の交代と負傷者搬送、ヘリへの燃料補給を開始します。完全な終了は十四分後」
「衛生兵班の班長に通信は繋がりますか?」
彼は繋げますと請合って、操作を続けた。一言二言通信先に喋ってから、ジュライに親指を立てる。彼女は首を縦に振って、話し出した。
「状況を説明して下さい」
『了解で……マーチン、そいつは軽傷だ。他をやれ。我々はとんでもない被害を受けています。分かってはいましたが。
 死者は思いの外少なかったものの、重軽傷者が大量にいます。当分、十二姉妹隊は部隊としての機能を十分に果たせないでしょう。
 医療品は足りていますが、人員不足ですね。我々の衛生兵やコヨーテの医者、敵の衛生兵まで活用していますが、てんで不足です。
 あ、おい、そいつは死んで──この馬鹿野郎! 丁重に扱え、彼は我々の仲間だぞ!』
声を荒げた彼は、暫くその馬鹿野郎を罵り続けたので、繋げた兵士は気を利かせて音量を下げた。聞くに堪えない罵詈雑言が終了し、
真っ当な言葉を喋ることが可能になった衛生兵に、ジュライは更に話しかける。大体のことは分かったので、次は何が必要かの話だった。
報告書などの為に、気が進まなかったが、死者数と重軽傷者の数を尋ねる。衛生兵は後者の質問を後回しにして、必要なものを答えた。
『これまでと変わらず、医療品に水、そして新しい人員です。衛生兵が足りないことは分かっていますが、どうかお願いします。
 死者数は、今までには二十八名、いや、先程新たに一名加わり二十九名です。予測ですが、姉妹隊の総死者数は四十名ほどかと。
 重軽傷者は我が隊の殆ど全員です、ジュライ様。辺りを見回して頂ければ、恐らくは御理解して貰えることと思いますが』
ジュライは見回さなかった。そんなことをしなくても、この艦橋で働く兵士たちが何処かしらに怪我をしていることは知っていたからだ。
『私のヘリが飛べるようになったようです。より詳細な報告の必要がお有りでしたら、部下を一名向かわせますが、どうしますか?』
考え、来させなくてもいいと命ずる。今はそこまで報告書に拘る必要性が無い。それより命だ。人の命を優先する方が正しいだろう。
心情的にも、理屈としても、そちらの方が戦争遂行にプラスに働く。衛生兵は、声だけは引き締まった了解の言を発して、通信を切った。
「もっと、もっと沢山の衛生兵を送らなくてはなりませんわ。今の状態では、ヘリで運べない重傷者に死ねと言っているようなものです」
「だがそうするとこちらの艦の手が足りなくなる。こちらにも危篤状態の、衛生兵を待つ負傷者たちが大勢いるぞ。そちらはどうする」
「……ジューン、ニルソン様は?」

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最終更新:2008年07月30日 15:52