新型は焦燥を感じ始めつつあった。いつまで待てばいいのか、分からないからだ。今更こちらから仕掛けるのも、という気もあった。
柱の向こうには姉たちがいる。自分は彼女たちを殺そうとしている。彼女たちも自分を殺そうと試みている筈だ。では、これは何だろう?
首を捻る。柱の向こう側に想いを馳せてはみても、行動を起こさない限りは何にもならない。どうしたらいいものだろうか、迷う。
それに、彼女もそろそろ腕が疲れて来ていた。アンドロイドは人間より力も耐久もあるけれど、人工筋肉は筋肉と同じように疲労する。
だからいずれは、痺れや震えが発生し、戦闘にも支障をきたすことになる。新型としては、早くぶっ放して動き回って戦いたかった。
背中に刺さる妹の目が耐え切れないほど鋭く痛かったのもその思いに拍車を掛けた。新型は彼女に手出しするなと命じたので不干渉だが、
それだからこそ痛かった。戦闘中だと己に言い聞かせると、少し気が楽になる。それで、本当にこの状況をどうしたらいいか考えてみた。
差し当たり、飛んで跳ねて大砲をぶっ放す大戦闘をこちらから仕掛けるのは問題だろう。あちらから仕掛けて来るようにしなければ。
なので、新型は取り敢えず拳銃とライフルを弾切れになるまで撃ち込んでみた。彼女たちが作戦立案や時間稼ぎをしているのなら、
これでそれ以上の時間は与えられないと気付くだろうと思ってのことだった。だがエイプリルは積極的に仕掛けて来ない妹の思考を読み、
血気に逸るメイを抑制した。果たして、エイプリルの思った通り、妹は困った様子で銃を構えたまま、動かないで止まっていた。
──何だよ、脅しか?
メイが怪訝な行動に納得出来る理由を付随させようとする。長姉は首を振った。脅しに抑える理由が見つからなかった。これは戦闘だ。
それも、個人単位の戦闘。そんな戦闘に脅しなんて必要の無いことだ。部隊単位の戦闘なら、はったりや嘘で戦わず勝つのも可能だ。が、
今はそもそも単位が違う上、相手が悪い。単なる人間なら有効さもまだあるかもしれないけれど、戦っているのは十二姉妹とその妹で、
彼女たちが脅しなどに気を取られる訳が無かった。バツの悪い顔できっと弾倉を交換しようとしていることだろうとエイプリルは予想し、
姉の予想は見事に的中していた。ちらりと顔を出して覗いてみると、妹から投げ渡された弾倉をライフルに装着しているところで、
その為に拳銃をホルスターに戻していた。今こそがやる時だと訴えるメイだが、エイプリルは尚も抑止する。まだ、引き伸ばせるのだ。
一秒でも引き伸ばし、フェブラリーのハッキングの完遂を待つのが必勝の方法だと決めたからには、多少のチャンスを見逃すしかない。
──なあ、あの忌々しい妹のエモノは何だ。あいつの武器は? あいつの力は何だと思う? 十二姉妹に対抗する為の力は?
次の行動に備えていると、メイがそう尋ねた。今になって何かと訝しみながら、長姉はバレットライフルと二挺のワルサーだと答える。
彼女は頷き、その通りだと言った。エイプリルはますます、親友が何を考えているのか分からなくなって来た。メイの新たな言葉を待つ。
──エイプリル、最新型のエモノはバレットだ。バレットなんだ。あれがアタシたちにとっての脅威の八割方を占めてる。逆に言えば……
言葉を遮って、メイの言いたいことを端的に別の表現と言葉を使って言い表す。彼女は首を振って、正しい把握が為されていると認める。
彼女はつまりは、あのバレットを封じてしまえば脅威は格段に下がると言っているのだ。でも、それは言われなくたって分かっていた。
あれさえなければとっくに勝負に出ていたっていいくらいの脅威なのだ。こうしてフェブのハッキングを待たずとも、いいというほどの。
それに、封じると言ってもどうやって封じるつもりかさっぱり案が無かった。バレットを使えなくするには、幾つかの方法がある。
一つは銃自体の破壊。これは場所によっては無意味にもなるが、銃身、機関部が主たる目標になる。もう一つは射手の指を破壊すること。
左右の人差し指と中指を切り落とすか、何らかの方法で消滅させられれば、彼女はバレットを使えないか、使い難くなるだろう。
他にも奪い取る等色々な方法があることはあったが、どれも現実的ではない。案とは呼べない、デメリットが大き過ぎる策ばかりだ。
──やらなくちゃ、やられる。いつまでフェブを待つんだ? アタシは、フェブと話し、内容如何で攻撃に移るべきだと思うけどね。
エイプリルは、額を汗が流れたことに、それが顎に到達してから気付いた。メイの言うことは尤もに思えたが、安全策ではないと考える。
自分たちは無力ではないにしろ、不利な状況にあるのだということを彼女に説明すると、彼女は僅かな間黙ってから、訊くように言った。
──分かってるか? それがもう既に、イニシアティブを奪われてる側の考え方だって。アタシに協力してくんないかな、エイプリル?
軽い口調だが、彼女が覚悟を決めて、戦うつもりでいるのはエイプリルにも感じ取れていた。長姉の一言で、彼女は喜んで死ぬだろう。
言うまでも無く無駄に死ぬ気は無いのだろうが、それを要する状況下において、メイが迷わないことをエイプリルは良く知っていた。
目を閉じる。フェブに回線を開く。彼女が応答するのに時間が掛かったことから、ハッキング作業は継続中なのだろうと判断する。
──ハッキングの進捗状況を報告なさい、フェブラリー。
──新型に気付かれないよう慎重に介入中で……もうちょっと時間が掛かっちゃいますわ、思ったよりも防壁が入り組んでて。
了解の言葉を返して、通信を切る。彼女の『もうちょっと』が実際にはどれくらいの長さになることか、分かったものではなかった。
やるしかないのだろうか。別の方法を模索するが、見つからない。そんなものがあれば、とっくに見つかっていたことだろう。
肩の重いエイプリルは溜息を吐きたかったが、それは後に取っておいた。今は妹の始末に全力を傾けなければいけない時なのだから。
拳銃の弾倉を確認し始めたエイプリルを見てメイはにやっと笑い、分かってたよと言わんばかりの顔でショットガンに弾を込め始めた。
スラッグ弾とダブルオーバックを混ぜて装填する。柱の向こう側の妹が、身構えるのが分かった。音を聞きつけたに違いなかった。
音を立てないようにすれば良かったと後悔したけれど、遅い。妹は完璧にこちらの魂胆を悟ってしまった。とすれば、顔をただ出せば、
途端に五十口径弾で顔面を抉られることが予想出来た。何か手段はあるだろうか。ある。出番がようやく来た爆発物たちを取り出す。
柄付手榴弾、オーガストの愛用するポテトマッシャーだ。側面には羽とハートマークもちゃんと描いてある。オーガストの部隊では、
何も描いてない柄付手榴弾をオーガストのところに持って行って、直々に隊員名入りで描いて貰うのが流行っているそうだという話を、
彼女の姉は不意に思い出した。余りにも多くの手榴弾が持って来られるので、オーガストは真剣に自隊の褒賞として制定しようと、
エイプリルに話を持ち掛けて来たことさえあった。部隊員たちのたっての願いにより褒賞扱いになるのはすんでのところで避けられたが、
以後オーガストのところに持ち込まれて来る手榴弾は、一定の数を決して超えないようになったというそうだ。三本を片手に持って、
一気に紐を全部引き抜く。信管は五秒。投げ返される危険を防ぐ為に、三秒待つことにする。一秒半で到達し、逃げる前に半秒が経過だ。
メイも同じ手榴弾だった。エイプリルはタイミングをほんの少しだけずらして投擲することにして、メイに先に投げるように言う。
親友は頷いて、両手に持った二本の手榴弾を後方に放り投げた。すぐにエイプリルも、手に持った手榴弾を新型の顔面狙って投げつけた。
お互いに手を引っ込めて、爆発音を耳にする。数は五。全部だ。飛び出す。手榴弾の爆発した時に特有の青い煙が辺りに広がっている。
二人は二人の視野が最高になるように体の向きを整えた。新型はあれでどうにかなる相手ではないのだから、何処かに逃げたに違いない。
先に見つけたのは左のメイだった。手榴弾の煙を吸ってむせていた妹に殴り掛かる。妹は辛うじて右の大振りな一撃を左手の下膊で防ぎ、
バレットを手放すと右拳をメイの腹に向けて放った。彼女の脳裏に苦い記憶が甦る。二度とあんな目に遭う気には、ならなかった。
「二度も同じ手を食らうか!」
反時計周りに身を捻って、拳をかわす。新型は落ちたライフルを右の足先で蹴り上げ、互いの間に差し入れた。邪魔になって追撃出来ず、
メイは舌打ちする。イニシアティブ奪還ならず、だった。一つ二つ、小さく咳をし、ライフルを持ち直しながら新型は笑って言う。
「上手いことを言いますわね、お姉様?」
妹は笑っていたが、メイとしては全然面白くも何とも無いことだった。彼女は右に目を動かす。新型の気がそちらに向く。ちゃちな手だ。
通用するとは思わなかったが、ここでまた柱の後ろに舞い戻る気にもならない。メイが右フックを放つ。妹は余裕を持って対応出来たが、
エイプリルが剣を抜き参戦すると、二人の緊密な連携と連続攻撃に押され気味になった。メイの手刀と長姉の剣を、ライフルで受ける。
押し返しても、致命的な隙にはならない。エイプリルが狙えそうならメイが危険な位置にいるし、メイが狙えそうならエイプリルがいる。
一転して追い込まれそうになっている新型が感心するほど、二人の動きは手馴れていて、洗練されたものであり、美しささえもあった。
後方に跳び退りながら拳銃を向け、発砲する。メイとエイプリルは腕を使って弾丸を弾き、追撃した。ホルスターに拳銃を戻していては、
対応が間に合わないと悟った新型は、拳銃を相棒に投げつけた。余り勢いが強過ぎて、相棒は受け取り損ね、顔面で拳銃をキャッチする。
それでも地に落とさず保持したまま後方へ倒れこむのは、彼女の忠誠の表れと見てもいいだろう。新型は空いた手でサーベルの柄を掴む。
彼女はそれを鞘から引き抜きながら、追撃の為に走り寄って来る姉たちに向かい、突撃した。引き抜く勢いでメイ目掛け一閃させる。
甲高い金属音が鳴って火花が散り、彼女は初撃の失敗を知る。空いた左手で逆手持ちをしたサーベルは、標的の首を上空へ舞わせる前に、
その眼前に突き出されたエイプリルの剣と接触した。サーベルは標的を一撫ですることも無く剣の刃上を滑り、新型は体の均衡を崩し、
前へと倒れ込む。慌てて、サンドヴィルの二の舞になるところだったメイは距離を取った。妹はさっと立ち上がり、サーベルを構え直す。
エイプリルが剣を保持しない方の手に持っていたルガーを、ホルスターに戻した。新型には彼女が何を考えているか、殆ど理解出来た。
ライフルを倒れたままの相棒に投げる。彼女の頭上を素通りしていくかと思われた銃は、しかしそこで案外に強靭な両手により掴まれた。
二人は対峙し合う。メイはショットガンを携え、エイプリルの横に立つ。真面目な顔になっていた新型が、にんまりと笑った。

*  *  *

衛生兵が足りない由々しき事態をどうにかこうにか乗り切って行く為には、俺のような一般の兵士も使うしかなかったというのは分かる。
疲れてたって、多少の怪我をしていたとしたって、作業に支障が出るものでないのなら働かなければならないというのも、俺は認める。
何しろ仲間の命が掛かっているのだ。辛いのは彼らも一緒で、我々は仲間なのだから、その苦労は分かち合われなければならないだろう。
喜びは二倍に、苦しみは半分にとは言わないにしろ、それくらいはやってしかるべきだ。だから声が掛かった時、俺は素直に手伝った。
でも、これだけは、俺の意地に賭けて言わせて貰おう。そうしないと気が済まない。一分休憩の衛生兵たちに運ぶコーヒーを作れだと?
ふざけんなと思った。休憩しないと働けなくなる状態なのは誰しも同じだ。だが今、休憩なんてしてられるのか。おまけにコーヒー?
厨房の位置を教えて貰ったが、そんなことはどうでも良かった。そんなもの飲んでる暇があるなら働いた方がいいような気がするものだ。
それでも仕事は仕事だし、何でも手伝うと言ってしまった手前、俺はコーヒー淹れだろうと何だろうとやらなければいけないのである。
こんなことなら適当にでっちあげてベッドに入ってれば良かったかも、などと思うが、きっとこのコーヒーの一杯が集中力を回復させ、
衛生兵たちがより一生懸命に働くようになるのだと言い聞かせて、厨房に向かった。この状況下で厨房に行って飲み物を、と考えるのは、
俺に命じた奴か、余程喉の乾いた輩だけだろう。俺だったらコーヒー飲ませようなんて考えない。水飲んでてくれって思ってる、多分。
そんな訳で、俺は厨房まで来た。それはいい。位置を教えて貰ったのだし、辿り着けない理由が無い。迷ったらそれは姉妹兵失格だ。
ええい、今ここで俺が問題にしたいのはそんなことではないのだ。問題なのは、どうやら余程喉の渇いた輩が一人いたということなのだ。
その彼は無傷で、水筒幾つかにコーヒーやジュースを移している。仲間にも持って帰るらしい。顔が見えるくらい近づいても気付かない。
疲れのせいかな。見たことの無い顔なので、姉妹兵ではない。コヨーテっぽい雰囲気だから、コヨーテかもしれないな。そうなのだろう。
別に彼をこんな時にジュースやコーヒーを飲もうとするなんて、と言って軽蔑する気は起こらなかったし、俺はコヨーテが嫌いじゃない。
寧ろ気に入っている方だ。姉妹兵の誰もと同じように、ミスターたちに関する評価だけは彼らのものとは百八十度違っているけれども。
故に声を掛けるのに抵抗は無かった。俺は朗らかに聞こえるように努力したつもりだ。だけど彼は驚き、水筒を数本調理台から落とした。
びっくりした目つきには俺の方が驚いたと言っても恥ずかしいことではないだろう。彼は目を剥いて驚いていたのだ。俺は水筒を拾い、
彼に渡した。彼は戸惑いのようにも受け取れる様子を見せながら、それらを受け取った。コヨーテかどうかの疑問を解消する為に尋ねる。
「コヨーテかい?」
実のところを言えばもう分かっているのだから、無意味な質問ではあるだろう。ほら、彼は頷いた。俺の予想は見事的中していたのだ。
コヨーテらしく、彼は薄着だった。寒いんじゃないかな、と思わせるくらい薄着だった。ぎこちない手つきで、飲み物を移していく。
見ていても別に面白くは無い。自分の仕事を済ませよう。そう思って彼の後ろを通り、自分の仕事場に行こうとして、ふと考えた。
考えたのは彼のうなじが原因だった。誰が好き好んで野郎のうなじを見るだろうか。俺はエイプリル隊からの増援としてここに来て、
運良く撃たれずにここで生きているが、そんな非日常を過ごした後でも、少しだって野郎のうなじを見る気にはならない。当然ながら、
エイプリル様のうなじなら写真に残すことは間違いの無いところだろうと言える。普段が髪で隠れている分、見えた時の感動は一入だ。
隊では比較的ベテランの域にいる俺でさえ、エイプリル様のその部分を見たことは数えるほどしかない。どころか、二度しかない。
結論にすっ飛んで行こう。エイプリル様の素晴らしさを語ることはやぶさかではないが、俺が彼のうなじを見て気付いたことというのは、
彼の肌には、装甲服着用者特有の形の日焼けがあるという事実だった。我々は基本的に装甲服を着て戦い、装甲服を着て任務に就く。
そんな我々だから、日焼けも変な形になったりする。彼らギルド兵の顔を良く見れば、気付く筈だ。マスクを外して楽にしている時に、
目と口の周りだけ日に当たる為、新兵にはわざと教えてやらないから自分で気付かない限り特にそうだが、えもいわれぬ顔になっている。
彼の顔は、ちらと見た時はそうではなかった。だが首までは誰も気にしないので、微妙なラインが残る……しかしそれは決め手ではない。
決め手は彼の足元だった。彼が軍人だったら、私生活をも官給品で過ごす男だっただろう。官給品の食事、官給品の服、官給品の避妊具。
取り立てて面白い話でもないが、フェブラリー隊には避妊具のコレクションをしている兵がいるそうだ。本当に面白くない話だが。で、
彼の靴下はギルド兵の制式採用品だった。形骸化してはいるが、新兵は買わされる。これも新兵同士の連帯感を高めるお定まりの儀式だ。
俺はもう迷わなかったし、彼が嘘を吐いた以上、非はあちらにあるのだ。何らかの間違いで、俺が誤っていたのだとしても、構わない。
脅威は排除されるべきであり、俺は、この男がその脅威たる存在だと考えている。殺すのに何の躊躇いがあろうか。あっていいものか。
コーヒーを淹れ終わり、水筒に移し入れてから、未だに中身の入った水筒を増やしている彼の方を向いて、声を掛けた。なあ、君、と。
彼が遂に限界点に来てしまったから、そんな行動に出たのかどうかは分からない。兎に角彼は俺に隠していた銃を向けようとした。
二十二口径。この銃を豆鉄砲と馬鹿にする奴は、俺の戦友には加えたくない。恐ろしい銃である。小さいのに、人を殺せるのだから。
当たり所がどうだとか射程は問題にならないのである。重要なのは、離れた位置から人を殺せる武器がこんなに小さいということなのだ。
俺は咄嗟に判断した。彼の銃は二十二口径。狙うなら喉や目、顔周辺だ。両腕で庇いながら、敵に突進する。一発放たれ、突き刺さった。
左腕が痺れるように痛んだ。小口径弾で撃たれた時に感じるタイプの痛みだ。個人差があるだろうし、一概にそうだとは形容出来ないが。
彼が二発目を撃つ前に銃を右手で払って吹っ飛ばす。左手が調理台の上に向かい、あったものを掴む。フォークか、スプーンかだろう。
手触りがそんな感じだった。握って、彼の顔を叩くように殴りつける。スプーンだった。計量スプーン。道理でここにある訳だよ。
その為に殴ったので、スプーンの先の丸まった部分は、敵の目を抉った。聞くに堪えない声が聞こえたが、俺は無視して二発目を入れる。
今度は柄の方を、目の奥まで突っ込んだ。変な液の付着したスプーンを二度三度力を掛けて押し込むと、彼はとうとう動かなくなった。
やれやれ。自分の手を見る。汚れてしまった。この手でコーヒーを持って行っても、誰も喜ぶまい。その液を混ぜてやろうかと思ったが、
自分がやられたらと考えるとぞっとしない行いだ。悪戯をするならば、自分がやられても大笑い出来るような悪戯をするべきだろう。
手を洗って必要なだけコーヒーを運び、俺はこんなことを命じた男にそれを渡した。と、すぐさま左腕が見咎められ、俺は治療を受けた。
どうでもいいが、針でちくちくつつかれるのと薬をつけた脱脂綿で消毒されるのは嫌いなんだ。二十宇宙ドルやるから勘弁してくれ。

*  *  *

私は、その部屋に入ってしまったことを、即座に深く悔やむことになった。増え続ける負傷兵たち、彼らを収容する部屋を探して、
迂闊にも入り込んでしまったのだ。知っていれば入りはしなかっただろう。確信する前から嫌な気分はしていたけれど、それというのも、
あの妹、最も若いあの妹の、匂いが部屋中に充満していたからだ。恐らくコロンか香水かをつけているのだろうと思う。そんな匂いだ。
彼女の匂い──鼻を心地良くくすぐる、あの甘い匂いだ。私ももしこんな形での出会いでなかったなら、どんな香水、コロンかを確かめ、
ひょっとすると購入していたかもしれない。戦闘中に抱き締められた時にはあわあわしていて匂いに魅了される余裕が無かったけれど、
今は違う。でも、これは彼女の匂いなのだ。それだけで、私がこの匂いを嫌うようになるには十分な理由だった。購入する気も湧かない。
本当ならこの部屋をとっとと出て行きたかったし、そうするべきだったのだが、私には仕事があった。戦友たちの命を救う仕事だ。
その仕事を果たすには部屋が必要で、私はそれを探しに来たのだから、こんなに都合のいい部屋を調べずに放置することは出来なかった。
流石は指揮官の部屋だけあって、広いのである。無駄に思えてくる広さだ。無駄に思えるのは、調度品の少なさが原因と言えるだろう。
あるのはクローゼット、鏡台、姿見、天蓋付シングルベッド……枕は無い。それに大画面テレビ、そしてテーブルと椅子に執務机だけだ。
もっと小さな部屋ならひしめいて生活感を感じさせただろうそれらは、この大部屋においては空虚さを演出する小道具に過ぎなかった。
あの妹はここで暮らしているのだろうか。テレビで何を見て、執務机でどんな仕事をするのだろう。彼女が机について仕事をする様を、
私はどうしても思い浮かべられなかった。短い接触だったが分かる。あれは絶対デスクワーク嫌いだ。三分と座っていられないタイプだ。
執務机から見える位置にテレビが置いてあり、あまつさえリモコンが机上にあることからもそれが分かる。仕事など全然していないのだ。
テレビで何を見ているのかという、危険な好奇心から来る疑問を解決しようと、私はリモコンを取って向け、切られていた電源をつけた。
映るのは静止画。リモコン下部の再生ボタンを押すと、動き出す。最初の一声を聞く前に、私はそれが私の記憶の一部であると気付く。
何故か音が流れて来なかった。見ると、イヤホンが差し込まれている。執務机まで届かないからと妹は延長コードまで使っているらしい。
抜くと、懐かしい声が聞こえた。セプお姉様。じんわりと、その声の響きに感じ入るところあって、私の目に液体がこみ上げて来た。
ごしごしと擦って、これは何でもないのだと何かに言い訳をする。これ以上見聞きしていると言い訳が聞かなくなりそうだったので、
リモコンを操作してテレビの電源を落とす。あのときの記憶を見たければ、自分の部屋で、一人で、ゆっくり見ればいいだろうと思った。
何もこんなところで、こんなものを使って見ることはないだろう。どうして新型はテレビなどを使って、私の記憶を見ようと思ったのか。
彼女も私も人工脳の構造に大きな差は無いだろうから、直接再生すれば臨場感も何もかもがより強く感じられる。私の感情の機微さえも。
嫌でも仕事をしなければならない時に、直接再生は出来ないからと見たのだろうか。その線が有力そうだ。他の線が存在しないからだが。
映っていた映像のことを考えないようにしながら、執務机の椅子に腰掛ける。エイプリルお姉様たちが戦っている相手の私室になら、
何か弱点みたいなものがあるのではないかという考えが、その時になって私の心を過ぎった。捜索を実行に移すのに躊躇はいらなかった。
引き出しを開け、二重底になっていないか調べ、彼女自身の弱点や、この部隊のことを書いたような書類が存在しないかを確かめる。
案ずるに、彼女には執務机はいらなかったのではないか。書類? そんなものは机の中にも、引き出しの中にも一枚とて無かった。
代わりにあったのは日記帳やアルバムの類。何が書いてあるかは察せられたが、アルバムにどんな写真を貼っているかは分からなかった。
十二姉妹の写真だろうか。それもありそうだが、どうやって入手したか、ということになる。マルチアーノ邸襲撃のことは聞いているが、
そもそも私たちはそこまで写真を撮ってはいない。休暇の時に部下にせがまれたりして撮ったり、お姉様たちと撮ったりはしたけれど、
アルバム一冊分には……どうだろう、なるかもしれない。アルバムを置き日記帳を読むことにする。中身が分かっているものからの方が、
精神的にも楽だろうと判断してのことだったが、私の子供っぽさは抜け切っていないのだと痛感するだけの結果に終わってしまった。
彼女の言動ほど狂ってはいない。彼女の表す感情ほど躁めいたりもしていない。彼女の行動ほどに不可思議なものでもない。だが、何だ?
新型の文章力は、それが日記だからという理由で一人称視点、口語表記であることを差っ引かないでも、感心するに値するものだった。
言葉はギルドの日常以外を書く時も分かり易い一般的な単語ばかりで、専門的なことに話が及んでも、それで説明してしまっている。
徒に晦渋な文を綴るような、愚かな知ったかぶりのやりそうなこともしていない。控えめで丁重な形容ばかりで、人柄とは正反対である。
だというのに、私は何だかこの文章が怖かった。狂ってなんていないのだ。どうかしていないことは確かなのだ。書く文章も上手い。
それは偏に端々で現れている姉妹に対する想念のせいだろう。彼女も常識を幾らか理解しているようで、面と向かって殺すとは言わない。
しかし日記帳の中では、本心をありのままに書ける。黒い線の集合体にされた彼女の言葉は理知的で女性的、教養を感じさせるものだが、
根底に流れる彼女の正気がそれを恐怖に変えていた。狂気は筋が通った発想をしない。狂気がここまでの理性を感じさせる訳が無い。
理由が詳細に書かれていた。何故自分が、姉妹を愛し、崇め、愛されたいと願い、しかし殺し殺されたいとも思い続けているのかが。
私はそれを読んで理解してしまいそうになって、それまでで一番大きく冷たく破壊的な畏怖を感じ、ページを一気に最後まで飛ばした。
すると、ここまでとは打って変わった乱暴な字で、「ベッドの下:本二冊」などと書いてあるのを見つけた。不審に思って、調べる。
出て来たのは籠と木製の盾のような形の板、本二冊だった。これらの意味を理解するのに数秒掛かったことは、救いの手だったのだろう。
あの時間の間に考えるのを止めておけば、彼女が勝利した後に訪れるだろう私たちの未来を知らずには済んだのである。アルバムを抱き、
私は部屋から飛び出した。思えばそれも放っておけば良かったのだが、湧き上がる興味は、往々にして主の身を滅ぼそうとするものだ。
籠は十二個あった。板も十二枚あった。本は題名まで見なかったが、写真集らしいものだった。私はその表紙を見て気付いたのである。
彼女は明らかに、私たちを、あたかも剥製のようにして、この殺風景な部屋をマシにする為の飾り物にしようとしているのだ。

*  *  *

──フェブ、いつになったらハッキングが終わるんだ! アタシたちでこいつを殺せってのか!
──今、最後の防壁に取り掛かってます! この第四防壁突破後は、新型も無力化出来るようになりますから!
──どれくらい掛かるのかって聞いてるんだ! アタシらがぶっ壊されてからじゃ遅いんだよ!
傍聴しながら、エイプリルは話しつつ戦うべきではないなと思った。実際、フェブに二度目の文句を言ったメイは、直後に殴り倒された。
彼女はそのフォローに回る。喉を刺そうとしたサーベルは勇気ある親友の行動により保持者の手首を掴まれて、喉の先数ミリで止まった。
新型が全力を込めれば一溜まりも無くエイプリルの行為は無駄になってしまう為、メイは素早く窮地から抜け出す。刃が地面に突き立つ。
妹は右手でサーベルを振るい、エイプリルも右手で剣を扱っていた。故に彼女は左手で新型の手首を掴むことになり、ということは、
妨害さえ入らなければ妹の胸を剣で狙える位置に彼女はいた。そうせず、飛び退く。無理矢理引き抜いたサーベルの刃が掠めそうになる。
彼女たちは一進一退の攻防を繰り広げていた。銃を使わずに、己の拳や足、剣にサーベルのみを使って、時に最も古い闘争の形を取って。
飛び退いてすぐに、長姉はサーベルを停止させるまでに掛かる硬直時間を狙って飛び込んだ。狙いは違われなかった。新型は左手一本、
それも右腕が殆ど重なっているような状態の、防御にも攻撃にも扱い難い一本で、姉の攻撃を何とか逸らすか受け流さねばならなかった。
そんなことは上手く行く筈の無いことで、彼女はエイプリルの頭突きを顔面に受けることになった。二度目だ、と受けた彼女は考える。
頭突きというのはこういう場合には非常に尤もな攻撃手段である。威力も高いし、両手が自由であり続けることが出来、追撃も容易だ。
姉は安全に追い縋れる時には、とことん追い縋る戦闘スタイルだった。前回ほどではないにしろ傾いだ彼女の顔に、追撃の拳打を見舞う。
不安定な体勢からも、彼女は逃げようとした。届かない、と姉は思ったが、閃きがあった。ギリギリで手を開く。新型はにやっと笑う。
それでも届かないことを知っているからだ。エイプリルは笑い返し、新型の笑みを驚きと喜びに凍らせた。彼女の髪型の特徴を構成する、
側頭部リボン下のお下げを掴んだのだ。手首を捻って振りほどかれないようにし、引く。新型がたたらを踏むようにして引き寄せられる。
そこでエイプリルは手を開いた。新型はマズいと思ったが、遅かった。エイプリルも体感するのは久しぶりになる、気色悪い感覚が、
指先から伝わって来る。妹は右目の視界が斜め右に飛び上がり、次に吐き気を伴いつつ完全に消失するのを感じた。新型は耐えなかった。
悲鳴を上げながら跳び下がって膝を折り、この二日に食べた菓子等を多少吐き出す。彼女は死ぬほど恥ずかしく、消え入りたくなったが、
切実な不快感に苛まれていたので、それについて姉に申し開きをする余裕は一寸だって有り得なかった。彼女の左の視界に相棒が見える。
相変わらずの仏頂面だったのが、新型の気持ちを多少でも楽にさせた。エイプリルは自分の成し遂げたことに自身でも吃驚していて、
追い討ちどころでなかったが、メイの方が気付いて襲い掛かった。が、彼女は長姉より速かったというだけで、不十分な速度だった。
殴りかかった右腕が飛んだのが、エイプリルにも見えた。バランスを崩したメイの足に、返す刃が向けられる。長姉はまたも、遅かった。
右足が、太腿から切断される。自分の体勢のお陰で、メイは左足まで斬られることは免れたが、エイプリルは己の敗北を九割方認めた。
親友を迫る死から救うべく、斬り掛かる。立ち上がろうとする新型に向け、右上から左下へ。彼女は後退して身に受ける寸前で回避した。
勢いで回転しながら蹴り飛ばす。揺らぐ妹に剣ごと体当たりし、突き倒した。這いずって安全地帯に向かうメイの気配を感じて、
エイプリルは追撃を止めた。深追いするのは危険だと理解していたからだ。親友の危機に冷静さを失ってさえ、彼女の判断は鋭かった。
──防壁突破! これより新型の人工脳からの命令をストップさせます! 後五分だけ下さい、お姉様!
サーベルを構え直す新型をねめつけながら、メイがやられたことをフェブに伝える。彼女は絶句していたが、作業を急ぐことを確約した。
素早い妹の打ち込みを、剣を両手で支えることで防ぐ。見事な反応だったが、避けられなかった時点で褒められたものではなかった。
空いた左腕がエイプリルの腹を殴りつける。左の拳は一度引かれ、今度は位置の下がった長姉の顎を横に殴り飛ばした。姉は倒れる。
突き立てようと、これまでにも何度か行われた試みを再現しようとする新型。だが今回の攻撃は横には避けられまいと咄嗟に考え、動く。
足で地面を蹴って、回避しなかったら胸に刺さったろう軌道の切っ先をかわし、重力に引かれて落ちる最中に、腰を落とした新型の、
鼻っ面を強く蹴っ飛ばす。その力を使って後転し、剣を構えるより先に横っ飛びに跳ぶ。回復した新型の跳躍と並行して行われた斬撃は、
エイプリルの裏付けが無い、強烈な直感に基づいて取られた回避行動によって無駄に終わった。でも、姉よりも妹の方がより速く動けた。
回避され着地するとコンマ数秒もしない内に、新型は方向修正し体勢を整えていた姉を襲った。姉は逃げられなかったが、立ち向かえた。
左足を大きく前に踏み出し、両膝を曲げ、剣を逆手に持ち替えながら、宙に跳び上がったせいで直線行動の縛りから逃げられなくなった、
この勇敢で強いが少々短絡的な向きのある妹の腹を柄で突いた。ぐ、と声が漏れる。エイプリルは腕を持って行かれそうになったが、
気力を振り絞って耐えた。地に敵の足が着いた瞬間に柄を腹から外し、正しい持ち方に直して、再び柄で妹の首筋を思い切り一撃する。
しかし、妹は姉たちを敬い、崇拝するだけあって、その気力も十二姉妹が長姉に負けず劣らずのものだった。倒れずに踏み止まって、
サーベルを握ったまま右拳を振るう。エイプリルも剣を持った拳を振るう。そして、両者はぴたりと、互いの顔の数ミリ前で拳を止めた。
笑ったのはエイプリルの方が先だったが、笑った後の次の動きを選択したのは妹の方が速かっただろう。左手で右腕を掴んで動きを止め、
右腕を体に引き寄せてからエイプリルに体ごとぶち当たって突き刺そうとする。身を横に反らすことで攻撃を無意味にして、反撃する。
新型がエイプリルの右腕にやったのと全く同じことをやって、二人の体が固定されたことを確認もせずに、右足を上げ、腹を蹴った。
腕が引っこ抜けるのではないかと彼女は思ったが、それは新型も同じことだったろう。意地に賭けて、二人は手を離そうとはしなかった。
二度目、三度目の蹴りが続き、遂に新型の行った拘束が解ける。姉は四発目の蹴りを食らわせようとしたが、妹は賢明極まりなかった。
自身が相手を掴んでいなくとも、相手は自分を掴んでいる。その状況を利用し、掴まれた右腕を引き寄せようと力を込めた。すると、
体はエイプリルの体に密着しようとする。引き寄せられたのが妹だったのか姉だったのかはどうでもいいことなので放っておくとして、
二人はくっついた。足は空を蹴った。腕を円を描くように回し、姉のした拘束を解き、彼女の脇の下に両手を差し込む。危険に気付いて、
倒れたまま柱に身を寄せて支援の時を待っていたメイが銃を向けた。妹は見過ごさなかった。メイが銃を撃とうとした時にはもう、
彼女が向けているのは自分の無防備な背中ではなく射撃手の親友であるエイプリルの背中だった。狙えるのはそこで組まれた両手のみで、
それも二人の動きによって揺れるので、スラッグ弾を使ったとしても、彼女の親友を撃たずには新型のことを撃つことも出来なかった。
密着した感触を楽しみながら、新型は力を込めて行く。右手はサーベルを握り締めて、左手は右手首をしっかりと保持して固めている。
所謂鯖折りという技だった。パワー型アンドロイドの新型にとっては相性抜群の技だ。エイプリルは両手に普段ほどの力が篭らず、
反撃に出られないと気付いて、メイに巻き添えにしてでも撃てと命じる。だがメイは迷っていた。自分の命は惜しくなかったけれども、
親友の命は惜しかったのである。彼女には撃てなかった。エイプリルが例えそこからどんなに懇願しても、撃たなかったことだろう。
それが分かったので、エイプリルは最後の賭けに出た。姉を愛する妹の弱点を突くことにしたのである。姉の行動に目を光らせていても、
愛情表現を振り払うことはしないだろう。長姉は妹の頬に手を沿わせて、撫でた。苦しみを抑え込んで、笑う。妹はにっこり笑った。
微笑みでも無く、にやりと笑う類の笑みでもなく、純粋さに由来する邪悪な笑みでもなかった。今までの背筋が凍る笑みではなかった。
かつてマダム・マルチアーノが振るった剣が落ちる。でも新型の笑みは変わらなかったし、エイプリルのそれも変わったりはしなかった。
下ろすと掴むという二つが行われたのは同時ではなかったが、というより同時に行うのは不可能に近いのだが、かなり近かっただろう。
大きな十字架型のファスナートップを右手で握り、引き千切る。無理に背中を反らされた為に思い切り振り被ることは出来なかったが、
新型の残った片目に突き刺すには十二分の力を、エイプリルはその右手に残していた。腕が解かれる。エイプリルは後ろに倒れ込む。
彼女は両手で新たに失った目を押さえながら吐き気にのた打ち回ったが、二度も吐瀉を自らに許すほどのプライドではなく、抑え込んだ。
メイは失った右手でガッツポーズを取ろうとしたが、自分の右腕が今は地面に転がっていることを思い出して、改めて左手で取り直した。

*  *  *

それだけされても尚、新型の心を支配するのは、姉への崇敬と戦闘への歓喜だった。彼女は両の目を失ってはいたが、戦意は旺盛だった。
確かに目が見えないのは不利だ。姉妹を相手にして勝利するには、途轍もないハンディキャップになる。それでも妹は嬉しかった。
流石は十二姉妹、流石は私の起源、流石はエイプリルお姉様だと心から思った。彼女にとって殺されることや傷つけられることは大して、
大きな問題ではない。死んだ後のことは時々考えては怖くなったりしたが、でも十二姉妹に殺されるのならそれ自体は彼女の本望だった。
しかも、殺すのはその長姉、姉妹のリーダー直々の手によってなのだ。妹は姉妹になら誰に殺められても良いという考えだったけれど、
彼女なりの理想はあった。可能ならエイプリルお姉様に、という想いである。今、願いは叶えられつつあったので、彼女は幸せだった。
それと同様に、新型は生まれて初めて、他者への恐怖を感じていた。殺されると思った。自分は負けると思った。勝てないだろうと。
でも、それをそのまま認めて死ぬほど彼女の性格は受動的ではなかったし、死ぬことも負けることも戦いを挑んだ以上有り得ることだと、
聡明な彼女は知っていた。だから、戦い続けた。慣れてみれば恐怖というのは心地良いもので、新型の気分を高揚させることさえあった。
恐怖を克服したならば、両目が見えないハンディキャップを打開する為に、新型は手を打たねばならなかった。彼女は容易く手を打った。
エイプリルは気付かなかったが、ライフルを持った年末型、妹の相棒が、常にエイプリルと新型の両方を視界に捉えるように動き始めた。
彼女たちは視界を共有することによって、エイプリルの動きを把握することにしたのだった。自分でやっていて卑怯ではないかと思うも、
ここが勝機とばかりに猛攻を仕掛けて来る姉の前には、余計な思考をしている暇は無く、新型は己の楽しみを優先することにした。
潰した両目から赤と透明の液体が混合されたものをだらだら流しつつ、サーベルと左拳で目が潰される前と変わらない戦い振りを見せる。
姉の心中を察し、妹は笑みを漏らした。相棒の目を使っての格闘は新型にも辛かったが、それより辛いのは姉の顔が見えないことだった。
これでは折角の殺し合いも意味を半減するではないか、もっと近くに寄れ、というのが姉の意見だったが、妹たる相棒の意見というのは、
絶対御免だのただ一言に尽きるもので、まさか戦闘を中断して殴りに行く訳にも行かず、そんなことをして目を奪い返された日には、
情けなくてやっていられないことになるので、ぐっと堪えて格闘を続けた。続けている内にコツが飲み込めて来て、動きが滑らかになる。
彼女はまた、知覚出来る他の情報をフル活用することを学んだ。学び切った。彼女は見ずとも敵を見つける術を急速に会得し、体得して、
目があった方が良いのは変わらなかったものの、暗闇を見つめながらでも戦えなくも無い、という程度には彼女の技巧は上達した。
エイプリルは彼女と戦ったり一緒にいたり話をしていると常に一驚を喫していたので、驚愕には慣れていたが、それでも少しは驚いた。
──フェブラリー、まだですの? もう五分経ったように思えますわよ。いつ私も倒されるか、分かったものではありませんのよ?
先程のメイみたく大声を出さないのが、逆にフェブの危機感を煽った。とどの詰まり誰も悪くなかったのだろう。運だけが悪かったのだ。
が、彼女の失敗がエイプリルの通信によって引き起こされたことは、疑いようの無い事実だった。でもそれは、誰の責任でもないことだ。
エイプリルが内心で焦ったのも、フェブラリーがその焦りに感染したのも、だから彼女が本来は必要なステップを数個省いたのも。
──新型への攻撃を開始しますわ、四秒前!
長姉は安心し、後四秒耐えるだけだと自分に言い聞かせた。新型は落ち着きを保っている姉に感心し、一層尊敬の念を強め、惚れ込んだ。
新型に気付かれるのを防ぐ為に、エイプリルは手を休めなかった。その四秒間は、彼女には最も長い四秒間だった。だが、時は動く。
やがて四秒後が訪れて、フェブラリーの快哉を叫ぶ声が長姉に届いた。妹は攻撃姿勢を取って、サーベルを引いた姿勢で停止していた。
顔もそのままだ。エイプリルはそれでも気を抜かなかった。メイもだ。彼女たちは真っ先に、今は無力な人形の相棒の年末型を探した。
ライフルは彼女が持っている。あれで撃たれたらと思うと気が気でなかった。妹がいた時は彼女が止めたが、現在、それは期待出来ない。
辺りをぐるり見回すと、彼女は背後の柱の陰で呆気に取られて佇んでいた。ライフルを落とし、何が起こったのか受け止められていない。
長姉とその親友は不愉快な気分だった。この少女は妹を慕っていたのだということは、彼女たちにも分かっていたことで、その妹を、
自分たちは殺したのだ。単純に割り切れることだったが、そうしたくないと心の片隅で二人が思っていたので、割り切れなかった。
ああやって固まっている間にと考えて、エイプリルが最後の標的の下に向かう。走ったら動きで刺激しそうなので、歩きで移動する。
一体誰が想像するだろうか、それが未来を大きく変える行動になろうとは? 誰かが撃てば良かった。近寄る蓋然性など何処にも無い。
誰かが何も考えず、たったの一発の銃弾を放っていれば、十二姉妹隊の独立戦争における初戦は文句無しではないにしろ勝利だったのだ。
しかしながらエイプリルとメイはそれを選択しなかったのであり、選択されなかった未来はその時点で雲散霧消してしまった。
──動力反応、新たに一発生……お姉様、まだです! お姉様! 新型がまだ動いています! 我々が、いや、私が──!
十二姉妹が長姉の聞いた言葉はそこまでだった。聞こえてはいたけれど、私が、の先からの言葉は、彼女の意識の範囲外にあった。
従って言うまでも無くメイは最後まで聞いていた。彼女が打ち震えつつ聞いた言葉はこうだ。親友の名を叫びながら聞いた言葉はこうだ。
──破壊したのは、デコイです!

*  *  *

左肘を切り落としそれから背に突き刺さって向こう側まで貫通したサーベルを引き抜くのには、新型も多大な苦労を味わうことになった。
案外な力が、予想外な力が必要になったのである。新型は、十二姉妹のボディの内側にある機械部分が問題なのだろうと推測してみた。
結果的に、彼女は心と口で申し訳ない、申し訳ないと謝りながら、エイプリルの背中に足を掛けて抜くことになった。サーベルは赤い。
付着した液体を落とす前に新型はそれを一口舐めてみた。思った通りの味だったが、失望は無かった。相棒の方を振り向き、小言を言う。
「落としたりなんかして、壊れたらどうするつもりだったんですの? ……ぼうっとしていないで、寄越してくれるかしら」
目まぐるしく変化する戦況に、相棒は一人取り残されていた。新型さえも何が起こったのか、全てを理解してる訳ではない。
彼女は八割九分の真実を直感と簡単な推理から得ていたが、残り一割と僅かは謎のままであった。だがまあ、フェブラリーからの攻撃が、
失敗に終わったのだと理解出来ていれば、この場ではそれより沢山の事実を知ることは不要であるだろう。そもそも知らなくとも、
相棒の仕事にも新型の楽しみにも差し障りの無いことだった。知らなかったとしても戦えるのだから、戦えばいいだけなのだから。
理屈や理由はそこに意味を見出すことが出来ない。今は結果が全てなのだ。自分は姉に勝利を収めようとしているのだと妹は理解した。
それがここまでの、現時点まででの結果だった。妹は姉を打倒し、姉は打倒されて、敵に死なされるのを待つだけの、惨めな存在だった。
相棒が放った愛銃を受け取って、撫で回す。サーベルを引き抜かれたエイプリルは立っていたが、立ち続けるのが精一杯の様子だ。
銃の簡単なチェックを始める新型。完全に勝った気でいる。最後の仕上げがジャムで台無しにならないようにとの、彼女の気遣いなのだ。
ライフルには歪みは発生していないようだった。その剛性に彼女は感謝した。全く、動きが止まっただけで落とすなんてどうかしている。
その感情をゆっくり味わっていることは無かった。それよりももっと楽しいことが眼前にあるのだから──そう思ってから新型は笑った。
私には目が無いのだった、と。でも、どうせ艦に戻って、部下たちの手伝いで眼部パーツを交換すれば、元通り見えるようになる。
それまでは相棒に頼んで彼女の見た世界を見せていて貰えばいい。新型は当面の心配を解決済みの棚に突っ込んで楽しみに取り掛かった。
ライフルの銃身を掴むといつも通りの冷たい感触。新型は目が見えないのが残念だった。エイプリルの顔はその時、味わったことの無い、
痛烈な攻撃を受けて、苦悶の表情を顔に浮かべていた。普段なら絶対に見せない顔だ。相棒の目で見えているけれど、自分で見たかった。
掴んだライフルをただ振り上げるのではなく、右手で銃身を掴み、左手で十字架の付いた弾倉の銃口により近い方付近を保持して、
それを腹にのめり込ませる感覚で強打する。柔らかい感触。小さな悲鳴が上がったのを、新型は聞き逃さなかった。彼女は興奮した。
綺麗なもの、美しいもの、価値あるもの。それらが、自分の手で壊されている。人格を持った一人の聡明で美麗な女性が、自分の手で。
彼女は夢中になった。最初は小さかった悲鳴は、繰り返すにつれて段々と大きくなり、打撃の回数が二桁を超えて幾らかもすると、
注意しなくとも聞き取れるほどの大きさにまでなった。エイプリルの出す声を聞く度に、新型の手には力が入り、振り下ろす手にも、
より力が掛けられるのだった。彼女は、本当に、興奮していた。一度銃床がエイプリルの腹部を打つと、打たれた彼女は身を折り、
悲鳴を上げる。悲鳴と言っても女らしい可愛らしいというようなものではなく、差し迫った苦痛などを受けた時に出る類の叫びだった。
彼女は自分の声が新型を余計に凶暴化させていることに気付いていたので、何としても声を出すまいとしたが、どんなに頑張っても、
その試みは成功しなかった。三十回を数えた頃、エイプリルはその試みを止めてしまっている自分に気付いたが、手遅れだった。
機械的に繰り返される打撲。身を折ることも出来なくなった。新型は打撃を続けていたが、反応が薄くなったことを感じて、手を止めた。
目が見えない彼女にはエイプリルが具体的にどんな状況かは分からない。だが、反撃はもう無理だろうと思って、膝を突く。
彼女に限界が来たのではなく、姉を抱き起こす為だった。何を思うということもなく、姉は妹に抱き起こされた。顔が近づいて来る。
エイプリルは、別れのキスでもするつもりなのだろうと、悟った。それは正しかった。長い間、妹は目を閉じ、エイプリルの唇に、
自分のそれをそっと触れさせていた。彼女が行ってきたそれまでの行動とは、全然違うタイプの口付けだった。新型が立ち上がる。
そろそろと、柱の陰から、彼女の相棒が出て来た。エイプリルは彼女を見るのに、目を限界まで下に動かさなければならなかった。
銃床の乱打を受けて、致命的なダメージを負っている彼女には、新型が最後の一撃を加えるのを見ている他に手段は無く、
エイプリルは口に溜まった液体を飲み下して、新型の下す鉄槌が来るのを待った。ほんの刹那の時間だけだったが、何らかの奇跡を願う。
勿論、奇跡など起こりはしなかった。新型が振るったライフルは狙い違わずエイプリルの腹部に直撃し、大きく身を折ったエイプリルは、
体も伸び、少しだって動かなくなってしまった。意識はあったが、戦えるとは思えなかった。腕も無く体もぼろぼろだ。死ぬと思った。
セプやお母様のところに行くのだと思った。元から人間ではない自分が天国や地獄などという宗教的概念に囚われているのを知って、
彼女は口の端を歪めたが、それだけのことをするのにも抵抗があるほど、彼女の体は痛めつけられていた。妹は身を折って笑っている。
時折嗚咽が混じる笑い声。悲しみと喜び。矛盾してないようで矛盾しているようでもある、異常な感情。エイプリルは目を、空に向けた。

*  *  *

空が見えた。欠片に切り取られた空が見えた。屋根に遮られていたが、それでも年月の内に生じた穴から見えた。小さな、クーロンの空。
体温が下がっていく。警告が消えない。オイルの流出が激しいらしい。体を動かすのが億劫だ。億劫という表現は生ぬるいだろう。
それらを気にせずに、私はぼんやりと空を眺めていた。鼠色と言うには綺麗過ぎ、銀色と言うには汚れ過ぎているこの空を。
去ってしまった雨が来るのかもしれない。薄い靄の掛かる思考の渦中で、そんなことを思った。どうでもいいことだというのに。
何故だか、何かが欠け落ちてしまった感覚に苛まれ、私は首を倒した。目に砂が入るが、瞼を閉じて取ることもしない。痛くも無い。
隣にメイが同じような状態で倒れていた。手足が一本ずつ無い。どちらの足だろう。見えているのに分からなかった。どちらにも思えた。
彼女は口からオイルを吐き出しながらも、まともに動かない腕で、それでも彼女の銃に向かって這いずって行こうとしている。
ああ、そうか。そうだった。私は負けたのだ。私たちは負けたのだ。今、私たちの前で楽しそうに悲しそうに笑って泣く妹に。
もういい。もう、戦う気力も無い。手足から力を抜くと、心地良い倦怠感が身を包んだ。疲れ果ててベッドに倒れこんだ時みたいに。
最期の瞬間は直に訪れるだろう。幸福な記憶と共に迎えたい。部下たちの記憶。ニルソン様やお母様の記憶。愛する姉妹たちの記憶と。
ジャニアリー、フェブラリー、マーチ、メイ、ジューン、ジュライ、オーガスト、セプ、オクト、ノヴェ、ディッセ。
私を慕ってくれるオーガストや、私をライバル視して来るジャニアリー、いつまで経ってもお姉様と言わないマーチに、
縁の下の力持ちとして私をサポートしてくれるジューン、いつだって皆の為に動いてくれたセプ、そして私の親友、メイ。
辛い時には常に、余計なことを言わずに隣にいてくれた。それがどんなに私を救っただろうか。メイ、あなたのお陰で、私は。
「──プ──起き──」
いよいよ霞む意識に、たった一つの音が響いた。しつこく鳴り響くので、私は最後に何の音なのか確かめようと耳を傾けた。
……声だ。メイの声だ。何か叫んでいる。内容までは聞き取れない。更に集中して、聞こうとする。有耶無耶にしてしまうのは嫌だった。
「──立って──銃を取──!」
立って銃を取れ、かしら? 誰が?
「エイプリルッ!」
音が戻った。意識を覆う薄い膜が剥がれ、私は命を現世に繋ぎ止められたことを知った。少なくとも、暫くの間は。
メイのショットガンが手に届く位置にある。彼女が這って行って、私の方に投げたのだろう。私はそれを手に取ったが、それだけだった。
妹はまだ笑っている。泣きながら笑っている。喜びながら、悲しみに悶えている。そう思うのなら、こうしなければ良かったのに。
彼女は本当に悲しいのだろう。何よりも誰よりも愛した姉を殺すのが、堪らなく嬉しくて悲しいのだろう。だから泣きながら笑う。
純粋だ。純粋に過ぎる。歪なまでの純粋さを持って、その為に、彼女は私と私の親友を殺すのだ。悲哀に暮れつつも、容赦無く。
それが、私を、私の状態、私の意志を変えた。彼女の行為が、妹の感情が、私の感情に対して大きな変化をもたらすことになった。
まず感じたのは生理的嫌悪感だった。その一途な、少女の純粋さに対しての嫌悪感だった。気持ち悪いと、そういう風に感じた。
次に、死にたくないと思った。それは即座に、誰が死ぬかという考えに変わった。その考えが、また次の感情を呼び起こす。怒りだった。
強い怒りが体を駆け巡り、死に掛けた機能に息を吹き返させる。温度の低下も止まった。相変わらず警告音は鳴り止まない。
誰が言い出したのだろうか、機械は感情に基づいて動かないなんて。今、私はその誤った一説を、完膚なきまでに打ち破りつつあった。
人間ではない自分には必要の無いことだったが、深呼吸をしようとする。感情を落ち着かせる為だった。一定の効果があると聞いている。
途端オイルがせり上がって来て、不快な音を立てて私はそれを吐き出した。慣れないことはするものじゃないと一つの教訓を得た。
騒々しい警告を無視して、右手を動かした。多大な意志の力が必要だった。オイルがボディのひび割れた部分から流れ出て、服を汚した。
が、まだ動く。戦える。銃を向け、引金を引き、我が母親の剣を持って、振ることが出来る。戦えるのだ。私は、未だに、戦える。
何処か体を動かす度に込み上げる液体を吐き出したり飲み下したりしながら、足の動作を確認した。動く。それでは、立てるだろうか?
問題無し。立てる。無事な右腕を地に突いて、傍の柱に思いっきり縋りながら、ショットガンを杖代わりに立ち上がろうと試みる。
倒れた。しかし、失敗は成功の母と言う。一度の試みで成功を得ようなどと思いはしない。それは余りにも無茶で都合と虫のいい話だ。
百度失敗したとして、百一度目に成功すればいい。何度だって繰り返す。無様に倒れることを繰り返しながら、私は五度目で成功を得た。
一度立ってしまえば後は制御だけだ。ふらふらとしながらも、ショットガンを片手で妹に向ける。指が震えたが、無理矢理押さえ込んだ。
今にも倒れそうになりながら、戦闘準備は整った。妹が興味深そうな顔で私を見る。瞳が再度の戦闘への歓喜と悲愴に満ち溢れていく。
ちらとメイを見やると、にやっと笑った。ぶっ壊せと、唇が動いた。私は同じように唇だけを、ぶっ壊して差し上げますわ、と動かした。
覚束ない足取り。以前と比べると力の入らない右腕。定まらない重心。敗北要素はたっぷりだ。いや、それしかないだろうと思う。
だがそんなことはどうでもいい。マルチアーノ十二姉妹長姉エイプリルはそんなことで諦めはしない。さっきまでのは悪い夢だ。幻想だ。
私は長姉だ。例え新型だろうとも、銃器の威力の差が有ろうとも、それでも戦い、勝利しなければならない。長姉としての誇りに賭けて。
左肘から先が無い? それがどうした。銃の威力が足りない? それがどうした。どう見ても勝てそうに無い? それがどうした!
ゆっくりと間合いを詰める。ショットガンの射程距離へ進む。勝つ為の策なんて持ち合わせてなかった。それでも、負けるとは思わない。
笑った。さあ、行こう。これこそが、ラストスタンドなのだ。月までぶっ飛ぶド派手なクライマックスが、きっと自分たちを待っている。
雨が、降り始めた。

*  *  *

フェブは──その容貌と担当からも予想出来る通り──非常にきっちりとした性格だった。何事も明確にすることをとても好んでいた。
誇張表現を敢えて使うのならば、彼女の前には黒と白しか無く、あるラインを境として、二者は永遠に別れ、完全に切れているのだった。
そうして彼女はやはり、責任の所在をはっきりさせたがる性格だった。その為に彼女は現下の戦況を自らの責任と断定してしまっていた。
通信を繋ぎ、孤軍奮闘する姉に、攻撃を続ける旨を伝える。被伝達者はそれが危険行為であることを知っていた。気付かれているのだ。
フェブが何かやっていることは絶対に気付かれていない筈が無いのだ。とすれば、ハッキングが見つかる可能性は高くなることは明白だ。
一度見つかれば、良くて不具になるか、悪ければ人工脳を焼き切られて十二姉妹で二人目の欠員ということになってしまうだろう。
それが分かっていても長姉は止めなかった。彼女は冷静沈着かつ冷徹な現実主義者だった。勝利には危険が付き物だと、理解していた。
第一、姉が止めたとしても妹は従わなかっただろう。彼女は彼女自身の責任感がもたらす苛烈な自己批判をどうにかしようと必死だった。
が、彼女は新型を殺せるとは思わなかった。そこまで落ち着きを失ってはいなかった。自分が出来る最高の攻撃を模索し捜索する。
新型の脳をクラッシュさせられないなら、動きだけを止めるかせめて遅くすれば、エイプリルに勝機が与えられるのではないかと考える。
考えると同時に、彼女は動き出していた。危険を承知で、攻撃に適した場所を探す。新型はそのことにとっくに気付いていて、捕らえて、
姉の脳を焼き切るべく、侵入した彼女を探し回っていた。自分のことなのでどうしても新型はフェブより一枚上手になり、姉は幾度か、
本当に危ないところだった。額を拭って、介入を続ける。ところどころで追跡プログラムを誤魔化す為の罠を落としながらだったが、
彼女は目的を達しつつあった。四つの論理爆弾を仕掛けて、脱出口を探す。開けて入って来た侵入ポートは閉じられてしまっていたので、
ポート制御を乗っ取って有りっ丈開放し、そこから逃げ出すしかなかった。新型の人工脳の、人で言えば記憶野に当たる部分を通過する。
余裕があった訳ではなかったが、フェブラリーは幾許かの記憶をコピーして持ち出すことにした。重要そうなものを選ぶ時間はないので、
使える時間の範囲内でコピー出来るものだけを全て手に入れる。そこを離れて数秒としない内に、追跡者が彼女を探しに来た。
とうとうそこまで来たか、とフェブは苦々しく思う。ポートの制御を奪うのには、後数十秒は掛かりそうだった。でも開いてしまえば、
脱出には時間が掛からない。爆弾の爆発までに逃げ出せればフェブラリーの勝ちであり、彼女を捕らえ、彼女の脳を焼き殺せたのならば、
新型の勝利だった。制御の奪取に成功する。追跡者はフェブの数歩手前と表現出来るような場所を行動中で、危険極まりないことだった。
ポートを開けるだけ開いて、その中の一つに向かう。一つしか開放していなかったら、それは逃走経路を教えることに等しい愚行だ。
が、ここでも新型はフェブの一枚上手だった。彼女は制御を奪われる前に奪取作業に気付き、避けられないと知って追跡者たちを、
フェブが来るだろう場所に配置していたのである。フェブは危険だと思ったが、言葉にする必要など無いほどに、その通りだった。
自分が開いたポートは全て塞がれているだろうし、逃走経路から除外する。二つのポートが残った。フェブは追われながらだったけれど、
それが何処に繋がっているのかを確かめた。一つは外に。もう一つは何か別の相手に。フェブラリーは選択することを迷わなかった。
躊躇無く、後者を選んだ。前者は罠に思えたからだ。今度は新型が焦る番だった。それは相棒との視界共有の為に開いていたポートで、
塞ぐ訳には行かなかったし、今も塞げないポートだったからだ。追跡削除プログラムを急行させたが、フェブラリーの方が速かった。
姉は、最初自分が何処にいるのか分からなかったが、即刻理解を要することを知って、解した。あの小さなオクトと同じ顔の少女の中だ。
新型が彼女に言わないとは考えられないので、フェブは彼女までぶっ壊そうとする試みを持つことはしなかった。ポート制御を奪い取り、
全部開いて、自分の体に戻ろうとする。怖気と寒気の後、フェブは現実世界の住人としてそこにいた。指を動かし、手を握ったりする。
──帰還しましたわ。爆弾四つを設置、爆発のタイミングはこちらが握っていますが、彼女の行動次第では即爆発します。爆破しますか?
──言を俟たず!
それもそうだった。起爆する。エイプリルは起爆の時を知ることが出来た。爆弾がその目的を遂行した瞬間、サーベルを振るっていた、
十二姉妹全体の敵が、自分の勢いを殺せずに前につんのめったからだ。新型はエイプリルの前だったが、抑え目の罵倒語を漏らした。
二度三度と体を動かして、具体的に何処がどうなったのかを確認する妹。姉も、敵がどれくらいの被害を受けたのかが大体は分かった。
殺せはしなかったが、殺し易くはなっているようだった。動きが幾分か遅くなっている。パワー型の怪力も減じさせているかもしれない。
怪力を失わせたというのは、パワー型アンドロイドの長所を丸っきりスポイルしてしまったということである。依然御しがたい相手だが、
まだマシにはなった。エイプリルは自分の危険を顧みず新型にクラッキングを仕掛けたフェブラリーに、出来る限りの賛辞を贈った。
確認を続ける妹に襲い掛かる。殺し合いに卑怯も何もあるものかというのは、共通の見解だった。妹は無防備のツケを払うことになった。
ハイキックを喉に食らって、体を仰け反らせる。左腕は無く、右はショットガンで塞がっているので、エイプリルの戦闘スタイルは、
蹴りが主体のものになりつつあるのだ。が、右はメイの銃によって塞がっているにしろあることはあるので、殴れないことも無かった。
次も蹴りが来るだろうと予測して防御をしようとする新型の横顔を、ショットガンのグリップを握った右手で強かに打擲する。
普通にグリップを保持していては無理なので、長姉は銃をくるりと一瞬下方向へ回転させ、言ってみればトンファーの持ち方をしたのだ。
姉は腹部など狙わなかった。そんな場所を狙ってもどうしようもないことを、戦う間に知っていたからだ。今殴った方の腕を振り抜いて、
肘で反対側の顔を打つ。二歩よろめき、新型が下がる。追い討ちは止まらない。止めれば防戦一方の彼女と、立場を交代することになる。
破れかぶれに、防御を放棄して妹が放ったサーベルの一撃が、エイプリルのリボンを斬り落とす。姉は一切それを気にもしなかった。
新型はたった今持っていることを思い出したかのようにライフルを振り回そうとするが、フェブの論理爆弾で速度が遅くなったそれは、
『当たれば危険だが当たりはしない攻撃』にまでその脅威度を貶められていた。首を狙った銃身は空を薙いで、斜め下に妹の視線が向く。
腰を落として回避したエイプリルが、続く攻撃にどんな手段を使うのか、彼女には複数の候補があった。どれも尤もらしい候補であり、
防御を優先すべき場所を選ぶのは大変だったが、新型はそうまでしても姉の攻撃を防ぎ切ることが出来なかった。例えば防御したとして、
それを破壊して突き進んで来る攻撃と、それをすり抜けて突き進んで来る攻撃を、どうしろというのか。前者は妹の得意技だったが、
後者は姉の得意技だったのだろう。妹にはどうにも姉がどうやって自分の防御を潜り抜け、的確にダメージを与えるのか分からなかった。
もしかしたらそれは妹がパワー型アンドロイドだからかもしれなかったが、戦闘の中でそんなことを思っている余裕はお互い無かった。
斜め下より地面を蹴って突進して来た姉はしかし力任せの攻撃ではなく、技巧に頼った、最高のタイミングを期した攻撃を仕掛けて来た。
妹の防御は無意味だったと言って良いだろう。彼女のサーベルも、ライフルも、腕も、彼女の体に加えられる攻撃を防げはしなかった。
エイプリルが地面に倒れ立ち上がってから、そう時間は経っていない。新型の記憶にも、彼女の艶かしささえ感じさせる姿が残っている。
だけれども今や彼女はあの時の彼女ではなかった。新型もそれを認めざるを得なかった。自分の番が来たのだとさえ思わせられた。
私が倒れる時が来たのだと、妹は信じた。それと同じように姉が倒れる時も来ているのだと、妹は確信していた。どれだけ痛めつけられ、
姉がいつか発したのと同様の溜息のような悲鳴や、出すのが恥ずかしいような声が上がっても、最終的には自分の勝利が訪れるだろうと。
倒れてもいい、生きていればいい。それで、倒れた生きている自分の前に、姉が死んで倒れているか、それに類する状態であればいい。
「お姉様、楽しいと思いませんか? こうしていると、楽しくはありませんか? こうするのが私、ずっと夢だったんですのよ」
殴られ、蹴られながらだったから、実のところここまで整った言葉ではなかった。変なところで途切れたりしたし、発音も不明瞭だった。
それでも妹は感謝を伝えたかったのである。後数秒で、自分が死んでいるかもしれず、はたまた相手を殺しているかもしれないから、
妹はそのことを良く良く知っているから、遅くならない内にと思ったのだ。姉は受け付けなかった。口を利きたくなかったし必死だった。
彼女はつい先程、打ち倒されたのだ。執拗な攻撃を受け続けたのだ。ボディがぼろぼろになっていることは彼女が一番知っていたことだ。
その体で戦い続けるのは、一つは親友の為であり、一つは誇りの為であり、一つは自己保存の念からであった。親友の命を守る為であり、
誇りに勝利を与える為であり、自分の命を拾い上げようとする為であった。エイプリルは妹の思うほど余裕も何も無かったのである。
メイは身を粉にしてでも打ち勝とうとする親友の姿に心を打たれ、自分が何も出来ないことに泣きそうになった。戦いたくても、
立てさえしない彼女の体では、どうしようも無い。唯一あるとすれば声を枯らして応援するくらいか。そんなことは無意味だと否定する。
サーベルとライフルの攻撃を避け、防御と防御の合間を縫って攻撃を加え、死線の上を危なっかしく歩いて渡る自分の親友に、
何か、何かしてやれないものか。敵を倒す手助けを、彼女が生き抜く手助けを、メイは切に所望していた。柱に身を寄せて見ているだけ、
見物人としてずっと座っているのは耐え難い屈辱でさえあった。だから彼女は待っていた。自分が手を貸せる時が来るかもしれない。
出来れば来ない方がいいのだけれど、その時が来たら、メイは何としても彼女の親友を守る為に、命含めた全てを差し出すつもりだった。
エイプリルの右手に握ったショットガンが発砲され、このところ拳や足での攻撃が繰り返されていた為に反応が遅れた新型の鎖骨付近に、
一粒弾が命中する。そこでメイは気付いた。エイプリルと新型の位置が、メイとその親友が戦闘前に仕掛けた罠のかなり近くにあり、
上手く罠のある場所に叩き込めれば、新型もただでは済まないだろうということに。罠とは即席指向性爆弾で、起爆はメイの意思で行う。
これだ、と思った。忘れていることを考えて、エイプリルに通信する。彼女は教えてくれた親友に感謝して、新型を位置に誘導し始めた。

*  *  *

私とメイが爆薬を仕掛けたのは、殆どが屋上ではなく階下であり、今から考えて見ると、私たちは無駄なことをしたものだと思う。
我々は、新型とその小さな戦友を含めて、誰も階下まで降りて行って戦おうとは思わなかったのだから。が、まあ、屋上にはいい場所が、
要するに仕掛け爆弾を隠して配置出来るような場所が無かったからというのもあるし、言い逃れも出来ないことは無いだろうけれども。
屋上に仕掛けたのは二つだけで、チャンスは二度も訪れないだろうから、新型を殺すことに繋げられるのは最初の一回だけだろう。
妹は躍起になって私の攻撃を防ごうとするが、不思議と私にはどうすれば彼女の防御を無効化出来るか分かった。勘が鋭くなったのか、
死に掛けて覚醒した訳ではあるまい、と考えるが、意外とそんな気もした。どうだとしても、結果として相手に勝てるならいいことだ。
どうしてそうなったのかは後で推察しても遅いということは無い。さっきからずっと、新型の顔には大きな疑問符が張り付いている。
確かに。彼女の気持ちも分かる。死に掛けた私が何故元気な時より強いのか、分からないのも当然である。当事者にも分からないのだ。
とはいえ、私が左腕が無いとかそういう点において新型よりも不利なのは変わらなかった。生えて来たなら良かったけれども、
私の体はそこまで便利に出来ていない。ニルソン様が研究している可能性は否定出来ないが、これまでのところ実用化の報も聞かない。
腹部を蹴って後退させる。胸を撃つ。ショットガンの弾が切れた。メイには悪いが、地面に置くような悠長なことはしていられなかった。
地面に落ちる散弾銃。がしゃんと音を立てる。右手は銃把の形に凝り固まっていたが、力を込めると何とか手を握ることが出来た。
顔を殴るのは予測されているだろう。私は前傾し、左斜め前に跳び、右腕を新型の首に引っ掛けて体重を掛けた。ラリアットである。
私のストレートを払おうとしていた妹の腕が、私の行動を把握しようとした主の為に遅れる。何も考えず防御姿勢を取っていれば、
真っ向から私のラリアットを受けることは、まず無かったことだろう。これは私も予期しなかったことだが、命中後新型はぶっ倒れた。
予期しなかったからと動きが遅れる? まさか。私は彼女の首と脇の下を掴んで無理矢理立たせてから、更に数発ほど殴りつけた。
ライフルが彼女の手から落とされる。引っ掛けを疑うもそうではない様子で、本気で掴んでいながら、落とすくらいに衰弱しているのだ。
俄然勝機が見えてきたように思えた。自由になったライフルを持っていた方の手が、イニシアティブ奪回を目指して突進するけれども、
がむしゃらに放ったパンチは私に当たらず、空を殴った。右手にサーベルを持ち、左にライフルだったので、左腕を突き出している訳だ。
私は左腕を掴まなかった。払いもしなかった。ガードが甘くなった体に、蹴りを命中させることも、出来たけれどやらなかった。
右肩を前にして、タックルを胸に食らわせる。こけそうになったが新型は耐えた。姿勢を戻しながら、左膝を股間にめり込ませる。
拳も、砕けてもおかしくない力で彼女の腹部を目掛け攻撃させる。彼女は私の肩に首を掛けて、されるがままになってしまっていた。
肩と首の間に右手を挟んで、引き剥がす。その勢いで新型は地面に倒れた。襟首を掴んで、罠に向かって引き摺って行く。細かい細工は、
彼女を見ると分かるが、その必要性を失っている。今なら罠に放り込むだけでいいだろう。罠の設置場所、屋上への出入り口に向かう。
手から逃げようと何やら抵抗している妹が、やたら非力に思えた。足が立たないらしく手で外そうとするが、私が振り返って数度蹴ると、
少しは大人しくなった。ずるずる引き摺るのを再開する。手が疲れる作業だ。ようやく罠の前まで来て、力を入れて彼女を立たせた。
左手で殴りつけようとして来るが、肘から手首にかけての部分で防ぎ、顔にカウンターをプレゼントした。鼻血が出ていることに気付く。
私が嗜虐的な気持ちをその時持っていたことについて、私自身以外に誰が認めなければならないだろう。私は極限状態に長らく置かれ、
精神的にも追い詰められていたせいで、異常な行動に出てしまったのだろう。後ろに倒れ込もうとする妹の背中に手を回して抱き留めて、
上唇のちょっと上に溜まった我々の血を舐め取った。どうかしていたのだ。あの時の私は。腕を彼女の背中から離すとどしゃりと倒れた。
剣があればこの時に最後の一撃を与えられたのに。落としてしまっていて、取りに行く暇は無さそうだった。私は爆弾の位置を確かめ、
彼女をその上に覆い被せようとした。油断があったかどうかの問いをされたならば、私は不機嫌にもならず、その通りだと認めよう。
勝利の予感は危険なものだと、私は失念していた。新型の肩を蹴って体をうつ伏せにさせ、襟首を持って覆い被せようとした時だった。
彼女の体が突如ぐるりと振り返り仰向けになって、私は右足で蹴り上げられた。腰に衝撃が走り、出入り口を覆う石壁に顔から突っ込む。
当たって倒れると、私は妹の足を目の前に見ていた。妹も私の一本足を見ていた筈だ。先に蹴ったのは私だった。それから向きを直し、
妹に跨った。膝で横腹を蹴り、右拳で顔を殴りつける。きっと私も妹も、お互い見ていられない顔だったろう。確かめる気にもならない。
二度目の鯖折りを試そうとする妹。掛かっては堪らない。右手を彼女の左腕に絡ませて、締め上げる。妹の腕と腕の結合が外された。
もう少しで彼女の腕を折れそうだ。気付いたのは多分、同時。力を入れようとしたのも多分、同時だと思っていいだろう。私が勝った。
ぼきり、と感触。妹の左腕が変な方向に曲がる。残っているのはサーベルを握る右腕だけだが、こう密着しているとサーベルは使えない。
使ったところでどうだというのだ。何度も何度も刺されたいとは思わないが、私の動きを止めるにはどうせ到らないことだろう。
爆弾の設置場所まで、妹と一緒に転がっていく。彼女はどうしてもサーベルで私を串刺しにしたいようだが、手放した方がいいと思う。
彼女を下にして設置場所で止まった。両足で新型の腕を押さえ込み、喉を一打して動きを止める。メイに合図し、爆発までの三秒で、
そこから逃げ出そうとする。念の為再度彼女の喉を貫手で突き、膝に力を込め立ち上がる。残り一と半秒。転げるように逃げようとして、
ぐっとストッパーが掛けられたような力が私に加えられた。何だ? 振り向く。妹がにやと笑う。右手が私の右手首を掴んで離さない。
引き寄せられる。倒れ込む私。私の手首から手を離して、入れ違いに起き上がろうとする妹。私を盾にしようとしたのだけれど、
それは失敗に終わった。それよりも早く爆弾は爆発したのだ。私は一本、足が消えていくような感覚を、コンマ数秒で理解してしまった。

*  *  *

私はぶらぶらと振れる自分の腕を見て、どうしてこうなってしまったのだろうと首を捻った。私の骨格は名前も無いほどの新合金であり、
折られるようなことがよもやあるとは思われなかったのに……理由はこの内のどれかだ。一、火事場の何とやら。二、酷使したから?
でも骨を酷使したからって理由も奇妙なことだ。疲労骨折という言葉もあるが、月単位で考えれば有り得ても二日で折れるならそれは、
新合金の見掛け倒し、役立たずっぷりを露呈してしまっているではないか。宇宙からの降下直前にボディを態々交換までしたというのに。
左腕の折れたところを掴む。捻って、捻って、捻ってみる。辛くなっても捻り続けて、適当なところで思いっきり引っ張ってみた。
ぶちりと千切れて、変な風に腕が体に残る。サーベルで斬り落とすことを検討したがそれよりも、爆風で飛んで行ったお姉様のところに、
私は向かいたかった。メイお姉様を斬り、エイプリルお姉様をここまで追い込んだ自分を褒めてあげたい。最後の楽しみの前に。
ああいや、だがしかしこれは最後の楽しみではないのだ。私は私の自室に置いてある、十二の鳥籠と板を思い出した。剥製のように、
ハンティングトロフィーとして常は飾り、休日には揃って出掛ける素敵な生活。ギルド内での私の地位がどんなものかは知らないけれど、
どうせギルドがどうとかそういうことは私にとって関係の無いことだ。私の興味は自分と自分の部下とお姉様たちにのみ向けられている。
サーベルを握り直して、遠く離れた場所まで飛んで行った──と言っても、メイお姉様のすぐ傍と言えば傍なのだが──お姉様の方へ、
歩を進めようとする。と、私は顔面から地面へと倒れ込んだ。じんじん痛む額や鼻付近。倒れたまま考える。いけないな。私も傷ついた。
お姉様たちとの戦いはまだまだこれからだというのに、こんなことではいけないと思う。でも、お姉様相手なのだから仕方ないかとも。
急ぎ立ち上がろうとすれば地面とキスを繰り返すだけだと知っていたので、私は焦らなかった。それに、もう二人共逃げられないのだ。
美しい蝶は既に私の手の中にあるのだから、後は彼女たちをピンで釘付けにするだけだった。それならば、じっくりやればいい。
右手を握ったまま地に押し付け、そろそろと足を動かして体勢を整える。ゆらゆらしている上に、体中に重りがつけられているようだ。
走れば最初の一歩でそのまま転がっていってしまうだろう。だが私は誰の手助けも借りたくなかった。ここまで、銃の受け渡し以外は、
自分だけでやって来たのだ。よりにもよって終わらせる時に人の手を借りる? 馬鹿馬鹿しい。そこまで重傷じゃない、と思う……私は。
歩こうとして大きくバランスを崩す。立て直して気付いたが、私の足もどうかしてしまったらしい。メイお姉様が見ていたので、
私はちょっと恥ずかしくなった。まあいいや、これもいつか笑い話になる時が来ると私は信じている。今と近い未来には、そうならない。
それでもいずれは、お姉様と私が心を通わせる時が来る筈なのだ。愛とかそういう風に言葉にしてしまえば古く腐り果てた概念になって、
私がお姉様たちに抱く何かとは違うものになってしまうので言葉には出来ないが、いつかはお姉様たちも私がお姉様たちを想うように、
この私を想ってくれると信じている。信じるだけじゃなく行動もするつもりだ。実はプランも大量に立てまくってある。A4紙三百枚分。
三百で足りなければ四百、それで足りなければ五百でも六百でも立てて見せよう。実行もして見せよう。全ては私と私のお姉様の為に。
一歩踏み出す。うわ、惨め。転んだ。地面とはキスせずに済んだが、相棒の視線はかわせない。というか見てて貰わないと困るけど。
何せ私の目は潰されてしまったのだから、私が彼女の視界に入っていなければ、私は私のことが何も分からない状態に置かれてしまう。
相棒からの動画付メールが来た。それを使って知らせたいこととは何かと開封すると、動画は古今東西のアニメから嘲笑のシーンだった。
素っ裸にして艦を一周させてやろうかと思う。昔艦長室から貰った酒を飲んだ時にその場のノリと酔いの勢いでやらせようとしたけれど、
あの時は私の隊でも唯一私に意見出来る、今は相棒のリュックサックの中に眠る愛しき我が友人が本気でキレたので酔いも醒めて止めた。
そういえばあの艦長はどうしているだろうか、後は友人と気の合いそうなその副官。どうせくたばってるだろうと思う。生きてたら凄い。
因みにここまで全部うつ伏せに倒れたまま考えたことだ。いい加減地面と見つめあっているのも飽きてきたので、立ち上がろうと考える。
しかしながら現状を思うに、私は疲労と損傷が限界までとは言わないが随分なところまで来てしまったようだ。立つのはいいが歩くのは、
難しいと考えるしかなかった。走るのはさっきの通り論外。這いずって行くことにした。服を選んでくれた相棒には悪いと感じたが、
這いずってなくてもこの傷つきようでは、新しい服がまたも必要になることは分かり切ったことだろう。丈夫な服が欲しいことだった。
そう考えるとお姉様はとっても凄いのだ。私などこの二日の戦いの内で服をボロ雑巾並にしてしまったのに、お姉様はそうでもなかった。
それに過去の作戦でも服は出撃時と変わらない綺麗さを保っていた。エイプリルお姉様は余り前線に出ないから、と言えないでもないが、
ジャニアリーお姉様やジューンお姉様、ジュライお姉様など、前線の主力になっているお姉様たちも服は綺麗なままだった。やはり凄い。
で、私はまだ顔を上げて無いから地面と熱烈な見つめ合いをしている状態な訳だが、早くしないとお姉様を待たせてしまうだろう。
片腕で這いずる大変さというのを私は知ったが、メイお姉様が何と片手片足で這いずったのを考えれば、そこまでの労でもなかった。
エイプリルお姉様に近づいていく。途中スパスが落ちていたので、動きを止めて、丁寧に埃を払って横に置いた。これも持って帰ろう。
メイお姉様の武器と言えばスパスしかない。エイプリルお姉様を象徴する武器がルガーであるのと同様に、メイお姉様の象徴はスパスだ。
エイプリルお姉様とメイお姉様まで半分のところに来た。小休止する。ぶっちゃけた話、これは辛い。肉体的には労ではないけれども、
地面の埃を吸ってしまう。どう考えても体に良くない。私は、艦に帰ればボディ交換するしいいと考える類のアンドロイドではなかった。
小休止を終え、長い栄光の道を歩む。いや、這いずる。駄目だ、どうにも這うという行為と栄光とかそういう煌びやかな言葉は合わない。
それとこれは残りの距離が最初の四分の一まで来て思ったことだが、サーベルが無くても今なら止めを片手で刺せるのでは無いだろうか。
お姉様のボディも、私がこれだけのダメージを負っているのだからきっと、大問題が発生中だろう。私のダメージはほぼお姉様のせいで、
爆弾の成果は私の動きを止め、限界ギリギリまで耐えていた私の体、その各部分の耐久力をゼロの向こう側に押しやってくれただけだ。
が、ここまで来たんだしサーベルを今更置いていったところで、とも思う。メイお姉様はエイプリルお姉様より元気だし、素手では、
苦戦するやもしれない。二メートル程度離れているからエイプリルお姉様に対する止めの時に手出しすることは出来ないだろうけれど。
エイプリルお姉様の残った方の足首を掴んだ。もう一方は付け根から消えている。引っ張ると、私の体もお姉様の体も動いて、近づいた。
お姉様の上に跨る。ここで相棒からメール。騎……おっと、こんなこと、はしたなくて言えない。相棒には徹底的な教育が必要らしい。
膝をエイプリルお姉様の両脇に突き、サーベルを逆手に持って振り被る。と、お姉様の口が動いていた。私はサーベルをゆっくり戻した。
聞こうとするが、聞こえない。その内に口が止まって、私を見上げるだけになったので、後から聞けばいいやと思って再び振り上げた。
胸中をこれまでの長い想い出が駆け抜けていく。私が生まれた日。私がお姉様のことを知った日。私がお姉様を目指すことを誓った日。
それら全てが今の瞬間の為にあったのだろう。ただ一秒にだって満たない短い時間だが、私は私の余生全てでも得られない最上の喜びを、
得ることが出来るのだ。私は背を反らせて、右腕を大きく振り被り、エイプリルお姉様の喉を目掛けて、私のサーベルを振り下ろした。
声が聞こえて、衝撃が走った。貫いた衝撃と、突き当たる衝撃。ああ、エイプリルお姉様──本当に、お姉様って、素敵だと思いますわ。

*  *  *

自分の体がどうなったのかも考えなかった。メイに、逃げるように言う。通信が使えなかった。爆弾のせいで、機能を失ったらしい。
声は全くと言っていいほど出なかった。私は繰り返し、聞こえるような声で言おうとしたが、どう頑張っても小さな声しか出ない。
手も動かせそうに無い。動かせるのは後、二、三秒くらいだろう。それ以上動かそうとすれば、地面に落ちて、完全に動きを止める。
それは気力でどうにかなる話ではなかった。怒りとか、ああいうものでどうにかなる話ではなかった。感情は物理法則を捻じ曲げない。
さっき捻じ曲げたような気もするが、それを二度もやれるほど私はタフでなかったということの証明となるのだろう、私の現時の状況は。
妹はこちらに来ようとして倒れたまま、起き上がろうとしない。あの爆弾で致命傷でも負ったか、などとは思わない。それは甘い考えだ。
ほら、起き上がった。引き千切った左腕を蹴り飛ばしたが、気付いていない。体が揺れている。目からは涙とオイルの混合液みたいな、
謎の液体を流し続けている。良く見ると眼球が奥の方に押し込まれているのが分かって、グロテスクだった。今の私は何も感じないが。
メイは柱に背を預けて私の右隣にいる。早く逃げろというのに、従う気が無いのだろう。私には分かった。彼女はいつも私と一緒だった。
今回もそうであるだけなのだ、彼女にとっては。怖いだろうけれど、今回も常通り私の横にいてくれるのだ。知らず入っていた肩の力が、
すぅっと抜けていく。私の親友は気丈にも笑った。私を励ます時専用の取っておきの笑顔だった。目を見張る。彼女は諦めていないのだ。
彼女は、立ち上がって一歩踏み出し転げそうになった妹を見て何か考えている彼女は、今でも、新型を倒す気でいるというのである。
こう言っては何だが、私はメイのことが信じられなかった。こうまでされて勝てると思う彼女が信じられなかった。恥ずかしい話だった。
二歩目を踏み出した妹が倒れる。彼女は動かなくなったが、どうするか考えているのだろう。直に、這って来ることを選択する筈だ。
私は彼女が到達するまでの短いだろう時間の間に、何としてでも親友を逃そうと考えた。私は助かるまい。でも、メイだけは助けたい。
無事だった右手を伸ばす。妹を睨み付けていたメイがこちらに目を向ける。声は聞こえないだろうから、逃げろと口の動きだけで言う。
彼女は無視した。頑固な親友だった。私は色々な理由で泣きたくなったが、涙は落とさなかった。落としたくても出て来なかった。
雨が私の涙に代わって、空気を湿らせ、屋根に落ちる。屋根を伝って雨粒が落ち、その飛沫が私やメイの顔に時々付着したりする。
妹は私たちとの間に落ちていたスパスに到達していた。彼女は丁寧に汚れを落として、傍に除けた。何を考えているのか分からない。
空は暗かったが、私の心はそれよりももっと暗かっただろう。私はこれで三度も打倒されたのだ。親友を守り切ることも出来なかった。
大切な妹たちを後に遺し、部下たちを後に遺し、ギルドとの戦争をリーダー無しで行わせなければならない。裏切り行為に等しかった。
私ではジュライを責められないな、と思う。私も姉妹を裏切ってしまった。罰は、私の死後に起こることを想像すること、なのだろう。
でも、これをどうして勝利に変えられるというのだ。私が出来る攻撃は後一つだけ。銃を抜き、引き金を弾切れまで引くだけなのだ。
立ち上がり、剣を振るうことも出来ない。新たな弾倉を装填し、弾幕を張ることも出来ない。私には二十もしくは八発の弾丸が与えられ、
使えるのはどちらか片方を一度というのである。これで勝てると思っているメイは、倒れている私から見れば奇怪な考えの持ち主だった。
私に残ったのは右手だけだ。左は斬り飛ばされて何処かに転がっている。何処かは関係ない。取り上げてくっつけても元には戻らないし、
残った右手が届く範囲に無ければそもそも取り上げることも出来やしない。そして私が見る限り、その範囲内には何も落ちていなかった。
喉の奥から込み上げて来たものを、顔を横に向け吐き出す。仰向けになっているとこういう時に苦しむことになるのが良く分かることだ。
前にも一回同じことをやったような気がしたけれど、気のせいかしら。最近の記憶さえもが、朦朧として不確かなものになりつつある。
込み上げて来たものを見たのは、昨日今日中で私がした後悔の内の一つである。状態が状態でなければ、それを適切的確に処理した後で、
記憶から抹消してしまっていただろう。生理的嫌悪感を催すに十分なものだった。名状し難い臭いを放つ、濃い赤と薄い赤の交じった、
どろどろの固体とも液体ともつかない何かだ。口を拭うことも出来ない。妹はそうしている間にも、刻一刻と近づき続けている。
私が最後の懇願をしようと、メイの方を見ると、彼女の方から口を開いた。私は彼女の言葉を聞くことにした。伝えたいことは何だろう。
散々痛めつけられた私ほどではないにしろ、彼女も消耗している。メイの言葉は途切れ途切れで、咳き込みながらだったが、私は聞いた。
「頼むよ、エイプリル……後一回でいいんだ、後、一回でいいから──アタシに、手を、力を、貸して、くれないか──エイプリル」
妹が私に到達した。足首を掴み、引き摺り寄せる。私は答えた。メイは私の親友で、戦友で、愛する姉妹である。頼みを断ることが?
止めを刺そうとする褐色の敵は私に跨り、サーベルを振り上げる。下ろされると思った時、ぽっと顔を赤らめて彼女の相棒を向いた。
改めて振り上げる。私とメイは、口の動きだけの会話を繰り返し、文字通りのラストスタンドの打ち合わせをしていた。妹は勘違いして、
自分に向けた言葉だと思ったのか、何を言っているのか聞こうとしたけれど──音になっていない言葉が聞き取れる訳が無かった。
今度こそ、止めの一撃を振り下ろさんと右の逆手持ちで高く掲げられるサーベル。背中まで反らしている。私は残った力を手に込めた。
振り下ろされた。メイが尻と一本ずつの手足で柱と地面を叩き、大体二メートルの距離を埋めた。伸ばされた手に突き立つサーベル。
「エイプリル、銃を抜け──ッ!」
直前の途切れ途切れなか細い力の無い言葉が嘘のように力強く大きな声だった。手を伸ばす。左脇ホルスターへ。掴む。引く。突く。
眼窩へと侵入する。新型が停止する。サーベルはメイの腕を貫き、半ば起き上がった私の喉の横で止まっている。私は笑うことが出来た。
「死の天使の口付けは──」
メイも笑った。私も重ねて笑いを漏らす。
「──あなたの想像よりもハードでしてよ」

*  *  *

妹が力無く姉の隣に身を横たえた時、フェブラリーは危機に瀕していた。もっと言えば、フェブラリーたち粛清部隊艦にいた人々が、だ。
彼らは外にいた。雨は降り止んでいなかったが、負傷者の搬送などに駆り出されていた為だ。衛生兵以外は全員が外にいたと言っていい。
「フェブラリー様、発砲しますか」
銃を構えて微動だにしない男たちの一人が、そう尋ねる。左手を軽く振って抑えた。彼女は、姉が遂に最強の妹を打倒したのだと知った。
年末型たちが引き金に指を掛けている。いつでも撃てるということだった。一触即発の危険が近づいていた。フェブはジャニアリーに、
可能な限り急いで来てくれるように言った。了解との言葉を返して、ジャニアリーはギルドスカイの速度を上げる。数分で着くだろう。
数分前アンドロイドたちは誰からという訳でもなく動き出し隊列を作って、戦友たちに銃を向けた。兵やコヨーテも、拳銃を、突撃銃を、
自動小銃を、各々の武器を向けた。誰かが一発撃てば、あの地獄に戻っていくのだろう。姉妹兵もそう思った。コヨーテもそう思った。
年末型たちも、そう思った。けれど、『撃てば』はいつになっても『撃てば』だった。誰も撃たない。静かな時間が続いていた。
彼らは迷っていた。彼女らは迷っていた。撃つべきなのか、撃たないべきなのか? 短い間の共闘が互いの間に作られた溝を埋めていた。
年末型たちは、自分たちが出来ればこの人間たちを撃たずに済ませたく思っていることに気付き、愕然とした。そんなことがと思った。
そして冷静にその考えがあることを認めた。生まれて始めて彼女たちは、自由意志の下に戦うことを赦されていた。命令によってでなく。
リーダーは二人ともいない。戦うのは彼女らの自由だ。きっと一日前の自分たちなら、とアンドロイドたちは考えた。遠い昔に思えた。
きっと、過去の自分たちなら喜んで戦い、死んだだろう。でも、彼女たちはもうそんな気にはならなかった。戦いは当分願い下げだった。
彼女たちは戦闘意思の拠り所を失い、自分たちは戦うべきなのかという問いについてあれこれと考え、低回に低回を重ねるのだった。
結論は出なかった。理屈を幾ら捏ね回しても、尤もらしい答えは見つからなかった。永久に続く迷宮に放り込まれたようだった。
それで年末型たちは自分の感情に従うことにした。自分の感じたその想いを信じた。出来ればこの男たちとは戦いたくないという想いが、
間違いではないのだと決めることにした。すると、これもまた今まで感じたことの無いような、まるで夏の大空に感じるが如き、
身と心に染み込むような心地良さを持った、すっきりとした喜びと満足の混合物が、ふつふつと腹の底から湧き上がって来るのだった。
ああ、やはりそれが正しかったのだ。彼女たちはにっこりと微笑んだ。それから、銃を、思い切り、空を目掛けて、投げ上げた。
彼女らのクーロン攻防戦はこれで終わったのだった。姉妹兵が銃を下げる。コヨーテが銃を下げる。全てに勝利した元ギルド兵たちは、
ざっ、と音を立てて踵を揃え、敬礼した。年末型たちも彼女たちに規定された作法で返礼する。コヨーテは興奮の余り叫びを上げた。
その上空をジャニアリーがギルドスカイで通り過ぎて行く。彼女は羽を振って、今や敵味方の関係ではなくなった者たちの頭上に、
等しく祝福を与えた。その下に、かつて銃を向けあい、殺しあった宿敵たちは集い、歩み寄りて、誰彼構わずに抱き締め合うのだった。
オクト、ノヴェ、ディッセも例外ではなかった。彼女たち三人から連絡を受けたジュライはジューンにギルドスカイでの急行を命じたが、
文字通り飛んで行ったジューンが見たのは桃缶の大盤振る舞いだった。ジュライに映像を転送すると、臨時リーダーは呆れ返っていた。
フェブラリーからの通信が入り、ジューンはジュライに新型撃破の報を伝える。彼女の判断は流石、早かった。艦に残っている兵で、
救助隊を編成し、車輌等を活用して現場へ送ることにしたらしい。ジュライはジューンに、先に向かって二人に伝えて欲しいと頼んだ。
何を伝えるのか聞き返すと、口篭ってから、やはり自分で伝えることにすると言った。ジューンはそれで、伝言の大体の見当がついた。
通信を切ろうとする彼女にジュライが確認することがある、と止める。彼女はエイプリルと通信を取ろうとしたが取れないのだと言った。
最悪の可能性が脳裏を過ぎる。フェブは新型を撃破したようだと言っただけだ。撃破した、ではない。もし勘違いだったらどうする?
ジュライにはちょっと待っていて貰って、最初の報を発信した彼女に尋ねる。彼女は二つの理由で、新型が撃破されたと断定すると言う。
──第一に年末型たちが銃を向けたものの、敵対行動に踏み切るべきかどうか迷っていたから。リーダーがいれば決定は迅速でしたわ。
尤もな理由だが、これだけでは弱すぎる。だがもう一つの理由を聞き、ジューンもジュライもフェブの報告は間違っていないと信じた。
──第二に、彼女たち自身がリーダーの敗北を私に伝えたからです。新型に付き従っていた年末型が向こうから通信で知らせたそうです。
ジューンは誰のことか分かった。艦で桃缶を食べたあの少女だと。ジュライも分かった。新型の隣を占拠した自分に嫉妬した少女だと。
優しい世話係は胸が締め付けられるような気持ちになったが、それを堪えた。彼女たちはそれを選択し、それを実行して、結果を出した。
何が起ころうともそれは彼女たちの選んだことで、あの二人に後悔は無いだろうから、自分がそれをどうこう思う必要は無いのだ。
臨時指揮官はメイへの通信を試みる。これも通じない。もしや相打ちかと思って、ジューンに相談する。ジューンは黙っていたが、
もう待てない、と一言大きく口にした。ジュライが何をするのかと問うのを無視して、丘の下へとギルドスカイを無理矢理着陸させる。
地面を滑り、機体を石で擦りながらも、ギルドスカイは停止した。飛び出て、丘の上へ、姉の下へ、最後の戦いの地へと走って向かう。
妹としての不安と心配が良く分かったジュライは彼女を止めなかった。髪を揺らし、階段を駆け上がるジューン。彼女が屋上で見たのは、
エイプリルの横に倒れた首無しの妹とエイプリル、その体に覆い被さって眠っているメイの姿だった。何と言うことも出来ず立ち止まる。
長姉は起きていた。右手でメイの髪を弄くりながら、救助を待っていたのだ。彼女は救助がいずれ来るものと信じていたし、部下は例え、
敗北が疑われない状況においても救助に向かってくるだろうと思っていた。彼らはそういう人間だからだ。彼らは勝利を疑わないからだ。
ジューンはジュライに、両者存命の報を知らせた。後からジュライは、フェブラリーにサーチして貰えば良かったのではと思ったが、
それは口にせず、己の冷静さが如何に失われていたかを示す教訓として心に留めておくことにした。艦からは大歓声が湧き上がっていた。

*  *  *

それから数日は、大した問題も起こらなかった。ただ一つだけの問題を挙げるならば、それは年末型や姉妹兵たちがどんなに探しても、
ギルド粛清部隊の部隊長、この艦の艦長が、見つからないということだけだった。ジュライは副官の死体の場所まで兵を案内したが、
車の残骸から出て来たのは黒焦げの炭だけで、副官かどうか、ジュライの言葉が無ければ信じることも出来なかっただろう代物だった。
メイは医務室にジュライとエイプリル、それとニルソンという三人の命令によってほぼ軟禁状態に置かれていたが、元気ではあった。
ボディも交換し、腕や足も元通りになって、早くベッドから出してくれと来る人来る人にせっつく。時には部下にさえ脱走を企てさせる。
オーガストは初日から、何度も医務室から逃げ出そうとする姉を、時に宥め、時に脅し、時に泣きついて引き止める役目を仰せつかった。
それは間も無く彼女の日課となり、活発な姉の脱走は医務室前の廊下を通れば、三時間に二回は目にすることが出来る光景になった。
エイプリルは新型戦から帰ってすぐにボディを交換、修復し、ジュライと二人っきりで彼女の部屋に数時間閉じこもった。指揮官を失い、
慌てた部下の兵たちが目をつけたのは、ギルドスカイでの哨戒飛行から帰って来たジャニアリーだった。彼女は疲れを口にしつつも、
満更でもない様子で指揮を執り始めた。ジューンは短気な性格のせいで何かと不手際の多い彼女を補佐しようとして、忙殺されている。
ジューンには正直な話信じられなかったが、そういった周囲の心配を他所に、オクト、ノヴェ、ディッセは所謂『良い子』にしていた。
桃缶は缶切りを使って自分で開けたし、あれやこれやと大掛かりな悪戯をするのも、今は控えているようだ。兵士たちのところに行き、
彼らの仕事を手伝い、士気を高めさせて、現場指揮官の役目を買って出ている。ジュライはエイプリルと共に閉じこもって数時間後、
溝のあった姉と共に出て来た。彼女たちの頬にはそれぞれ二つの平手の赤い痕があったし、それ以外にも打撲傷が見受けられたが、
姉妹兵たちはとても怖かったので触れないでおいた。ジュライ隊隊員曰く、特に同隊にはそれから暫くの間、寒い時代が訪れたという。
彼女たち二人の間の溝がなくなるまでには時間を要するだろうが、兎にも角にも、段々と深かった溝は埋まり始めているようだ。
フェブラリーは別の理由で、現場を離れ、彼女の部屋に引きこもった。部下の兵は心配して、眼鏡を隊の生き残り全員で選んで贈ったり、
コヨーテたちから聞いた美味しい菓子や食べ物を持って代わる代わる部屋を訪れたが、出て来なかった。でも眼鏡は掛けてくれたし、
体調も悪そうには見えないから大丈夫だろうという結論に到ったので、彼らは安心して以降フェブラリーの邪魔をしないように注意した。
姉妹兵たちの内、北部戦線で戦い、傷ついた兵士たち。その中でも艦方面への救助隊に加わらなかった数名と、負傷者たちの心配は、
彼らを救った一人の英雄の命がどうなるかにあった。ヴィクトールは生きてはいたが、いつ死んでもおかしくない状態で保たれていた。
ニルソンは特に選んだ三名の衛生兵と一緒に手術室に入り、入り口の上のランプは点灯を始めた。ジャニアリー隊の兵も、他隊の兵士も、
祈りを捧げない男はいなかっただろう。廊下は途中から仕事を放棄して来た兵で埋め尽くされていた。姉妹も咎めることは出来なかった。
現場指揮のオクト、ノヴェ、ディッセも、彼らと一緒に部下の無事を祈り続ける。何人かコヨーテの姿も、ちらほらと見ることが出来た。
マーチは彼ら彼女らが放棄したその尻拭いをしていたと言っても過言ではない。彼女は文句も不平も言わなかったし、訴えなかった。
が、姉妹兵と現場指揮官たちは、後から彼女に高い代償を支払うことになった。コヨーテ特有の明け透けな態度と言葉と行動には、
さしものマーチも対応を苦慮することになった。隙を見せれば尻を触り、腰に手を回し、胸を触って来る。更には若いコヨーテよりも、
年老いたコヨーテの方がそういう変態の輩が多いので、殴るにしても蹴るにしても手加減しないと死にそうで困った。しかしながら、
マーチは彼らが若者よりしぶとく、蹴ってもいいと悟るに到り、老人たちは命を賭してセクシャルハラスメントに挑むことを要求された。
また、彼女はその日の仕事が終わった後、結局最後まで戻って来なかった男たちに対する復讐も忘れなかった。彼らは大抵無理難題を、
たまには絶対不可能に近いようなことを命じられ、それをやるか、服従を誓うかの二択を選ばされた。一人の不遜な男はそれを蹴り、
どちらも選択しないなどと豪語していたが、数時間後には後者を選択し椅子にされていた。仲間は彼を笑ったが、後から同じ目に遭った。
マーチ隊の兵士はいつまでも祈っていないで彼女と一緒に働いたし、見つければ隊長に代わってコヨーテに罰を与えたので、誰一人、
椅子にされるとか水のなみなみ入った大皿から一滴でも零したら撃つと言われたりとかそういうことは無かった。彼らは羨ましがった。
オクトやノヴェにディッセは果敢に反撃したが、最後には桃缶を開けてマーチに食べさせるという屈辱と痛みを味わうことになった。
この件に関しては長姉からの叱責があったとも言うが、マーチはそんなものがあったとしても一向に意に介さずに普段通りでいただろう。
罰を受けながらの祈りが通じてか、ヴィクトールはニルソンと衛生兵の手で、危うく死にそうになりながらもこちら側に戻って来た。
それまで死んでいた、死ぬものと思っていたハンスは驚き、ヴィンスとシグリッドなど、北部戦線を僅かな人数で守り抜いた男たちは、
全員一致で最初に彼と会うべき男とされ、全くの異例ながら、ジャニアリーは彼らの後に会うことになった。因みにハンスは彼女の後だ。
ヴィクトールと一緒に残った、衛生兵を含む防衛隊が、ニルソンたちが彼を運び込んだ臨時病室に入っていく。彼は静かに眠っていた。
起きていればその後の話を出来たのだがと男たちは思ったが、受けた傷のことなどを考えると、仕方ないことだとも考えることが出来た。
彼が裸でベッドに眠っていたことを知らなかったので、ヴィンスは不意に受けた違和感を解消する為に毛布をめくった。彼は口を開けた。
撃たれた場所に、傷跡が無かったのである。勿論設備があれば消すことは出来る、が、それでも痕跡は残る。不自然な感触などの、だ。
それに色が白過ぎた。ヴィクトールは白人だから白いのは当然だが、人間にしては白過ぎるという白さだった。彼はアルビノではない。
気付いた男たちは、彼の地肌らしい部分と、白過ぎる部分の境目を発見して、確信を強くした。触ってみるが、どちらも柔らかい。
寧ろより白い部分の方がまるで女性の肌のように柔らかく、すべすべとしていて、本物のヴィクトールの肌よりそれらしいものだった。
ドアが開きニルソンが入って来たので、ばっと毛布を被せて隠す。気付かないことは考えられなかった。ニルソンもそれは分かっていた。
十五分から二十分ほどして出て来た彼らは皆、複雑な顔をしていた。二番目のジャニアリーが小箱を手に持って入ろうとすると、
ニルソンが彼女を止める。ヴィクトールは眠っているし、それでは彼女の目的は達されないと諭す。ジャニアリーはやけに素直に従った。
ハンスもそれを聞き、それならば目を覚ました時こそ再会の時だと思い、踵を返して仕事に向かった。廊下からは人が減り、いなくなり、
長らく失われていた真の静寂が戻った。ニルソンはその中を歩いて医務室に向かい、脱走しようとするメイと出くわす。たしなめると、
彼女は恥ずかしそうに頭を掻きながら謝り、追い掛けて来たオーガストの投げつけた演習用卵型手榴弾を後頭部に食らって倒れ込んだ。
丁度良く別の所用で通り掛かったエイプリルに助力を頼み、メイをベッドに戻す。ベルトか何かで縛り付けることを長姉は提案したが、
それは幾ら何でも可哀想だと手榴弾を投げて気絶させたオーガストが反論する。メイが目を覚ましたのを契機に、エイプリルは退室した。
廊下に出ると、再度呼び止められる。ジュライと、フェブラリーだった。珍しい組み合わせだと思いながら、用件を尋ねる。
神妙な面持ちだったので、重要なことなのだろうと身構えた。それは正しかった。フェブが新型の記憶野からコピーしたメモリーの中に、
ある重大なことが記されていたのだということだった。そんな話を立って、廊下でするのも何なので、エイプリルの部屋に向かい、入る。
新型についてはエイプリルも不安を感じていた。エイプリルはジューンが来た時起きていたが、その前には少し気を失っていた。
その間に、新型の首が無くなっていたのだ。サーベルと、ライフルも消え失せていた。何が次に起こるか長姉は見当をつけられたけれど、
対応する余裕が彼女には無かった。だから余裕が生まれた時には、粛清部隊艦のアンドロイド隊のボディ集積所を、二十名の姉妹兵で、
強固な防備をするように真っ先に命じた。以来、誰も入っていない筈だった。一回だけ、お下げのある年末型を見たと聞いたけれど、
後から誤報だったと分かった。ジュライはフェブに、新型の記憶について説明するように言う。彼女は頷き、新型の記憶の中に、
次回のギルド幹部が集まって行う会合の予定があったという話をした。場所や参加者たちがはっきりとあって、会合の参加者の中には、
新型と粛清部隊長の名前、それにこのクーロンや他の多くの惑星を管轄している、幹部の中でも実力者と評判な男の名前も入っていた。
エイプリルは初めてそこで新型の名前を見て、彼女にもちゃんと名があったのだと思い、名乗らなかったのは何故なのだろうかと考えた。
けれどそんなことは考えて分かることではなかったので止め、会合の襲撃を検討することにする。フェブは彼女から大いに賞賛を受けた。
ジュライとフェブはギルド側、エイプリルが姉妹隊側で突入方法と敵の防衛や突入後の防御作戦を模索していると、部屋がノックされる。
七十人弱の年末型が、一糸乱れぬ敬礼で、ドアを開けたフェブに挨拶する。それに気圧されて、フェブまで敬礼で返してしまった。
姉妹隊、並びにコヨーテとの戦闘をこれ以上望まないとした彼女たちは、戦闘終了後自ら、姉妹隊への加入を強く希望し始めた。
一部の兵士たちが即決で勝手に姉妹隊に編入してしまったが、エイプリルとジュライはそれを却下し、今日、結果を伝える筈だった。
エイプリルはその為に、医務室前の廊下を通っていたのだ。あの後、本当ならば年末型たちが作業に従事している場所へ行く予定だった。
ジュライに一言言って席を離れる長姉。彼女なりに考えた結果だから何を言われても我慢しようと、年末型たちは事前に話し合っていた。
しかし十二姉妹隊に入りたいと思っていることは間違いないので、エイプリルを前にすると自然緊張する。彼女が許してくれるかどうか、
年末型の誰にも分からなかった。彼女たちが姉妹隊に入ろうと思ったのは、初めて得た自分たち以外の戦友に、付いて行きたいと、
全員が心から願ったからだ。それを却下されることについて、不安と心配を感じるなという方が、おかしな話であることだ。
厳正な十二姉妹による審議と姉妹隊兵士たちの意見により決定された十二姉妹隊全体としての意見は、と、エイプリルが言葉を発する。
数秒後、可愛らしい声で、狂喜を含んだ叫びが上がった。彼女たちを猛烈に隊に迎えたく思っていたオクト隊などの兵士たちの内で、
偶然その近くを通っていた兵がそれを聞きつけ、理由を察して、同じような大声を出す。それがまた別の隊の兵に伝染して、さながら、
クーロン攻防戦終結時の如き騒ぎになった。その頃ヴィクトールは、こっそり様子を見に来たジャニアリーの目前で覚醒していた……が、
若き英雄そして大切な部下の目覚めで大喜びしたジャニアリーが飛びついた時、彼女の行動に驚き過ぎてまた気を失うことになった。
彼が意識を取り戻すのは、それから四時間三十五分二十四秒後となる。ジャニアリーは責任を感じ、それまでずっと彼の横にいたそうだ。

*  *  *

ヴィクトールへの勲章授与は回復した彼のたっての希望で、彼とジャニアリーだけで行われることになった。兵士たちは不平を言ったが、
声の大きかった兵士数人はハンスやヴィンス、ゴッドボルトにシグリッドを始めとする彼の戦友と、漏れなく一戦交えることになった。
但し彼にシルバースターが与えられる頃には彼の体のこともある程度広まっていたので、そんな輩はそう多くは存在しなかった。
激しい素手での戦いの裏で授与が行われた後、部屋から出て来た彼はふらふらしていたが、彼は一切の間違いなく生きていた。
胸についた銀色の星を見て、歓声と祝いの言葉が飛び交う。あれほど不平を言っていた兵も、彼の姿を一目見るなり口々に賛辞を叫んだ。
彼は英雄だった。生きた英雄だった。彼は称えられ祝され肩を叩かれ、何か飲もうとすれば奢ろうとされて自分の金では飲めなかった。
だが十二姉妹隊にはそうではない英雄もいた。死んだ英雄もいた。例を挙げるなら、彼だろう。ユーリー・ダニロフ。ディッセ隊小隊長。
朝、寝台点呼が許された者を除く兵士たちは、繁華街東部の空き地を借りて、点呼を行った。粛清部隊の突撃艇は回収された後であり、
場所はたっぷりあった。彼らはコヨーテたちに威圧感や無駄な反感、過去の感情を呼び起こさせない為に、装甲服を着込まなかった。
生き残った男たちは、一人ずつ名前を呼ばれる度に、大声で返事をする。死んで倒れた男たちのところに差し掛かると、その度、毎回、
読み上げる姉妹たちの声は止まった。そして数秒後に、返事がされないまま、何事も無かったかのように次の兵士たちの名前を呼ぶのだ。
その調子でオクト、ノヴェまで済み、ディッセの番になった。小隊長の名前は真っ先に呼ばれるので、最初から数秒の空白が生まれた。
十二の隊で彼女の隊だけが小隊長を失っていた。セプ隊小隊長ヘンドリクスもフェブ隊小隊長フレデリックもジューン隊小隊長アレンも、
負傷はしていたが死んではいなかった。ディッセはそれでも気丈夫に、彼の名前を高らかに叫んだ。答えは無い。数秒が経った。
次の兵に行こうとした時、誰かが一歩前に出た。それは彼女の隊の兵だった。彼はディッセが何か言う前に先程の彼女より大声で叫んだ。
「彼に代わって答えます!」
不覚にもディッセは涙を流しそうになった。兵が分からないくらいに上を向いて堪えようとする。涙は捨てたのだから泣いては駄目だと。
けれどそれは幼い少女には過酷な行為だった。大切な部下が死んだのだ。それを理屈で割り切れるほど彼女は指揮官でいられなかった。
右目から顎へと、一本の線がつく。それで終わりだった。ディッセは自分がいつまでも単なる子供のように振舞えないことを知っていた。
オーガストは彼女の妹を見ながら、自分が最後に見たユーリーを思い出していた。彼は今、軽くなって、土の下に埋まっているのだ。
彼だけではなく、他の戦死者たちも。コヨーテでも十二姉妹隊の兵でも、死ねば関係は無かった。彼らは実に丁重に扱われ、埋められた。
年末型たちも全員が揃っていることをエイプリルに伝達する。彼女たちには名前が無かったので、それをどうにかしなければならないと、
エイプリルは思った。名付け、識別出来るようにする手段を取り、部隊として機能させるべく訓練もさせなければならないだろう、とも。
今日、彼ら彼女らはクーロンを旅立つのだった。それには二つの理由があった。一つは会合に間に合わなくなることを恐れた為であり、
もう一つはミスターが帰って来るという話を知ったからだった。コヨーテは十二姉妹に気を利かせて姉妹隊のことは伝えていなかったが、
ミスターたちは不完全な情報──十二姉妹隊と粛清部隊がクーロンで戦闘を始めた──に基づいて、戻って来ようとしたのだった。
それは当たり前のことだった。誰もが予期していたことだった。十二姉妹とその兵士たちは慌てず騒がず、星を離れる準備を始めた。
予定では彼らが星を出た一日後ミスターはクーロンに到着する筈で、彼が一体どんな顔をするだろうとコヨーテたちは思ったものだった。
マーチは普段より多くセクハラを受けたが、その日だけはほんの少し蹴りを強くしておいた。次来た時、痛みを忘れていると困るからだ。
エイプリルはコヨーテの纏め役、リーダーと話し、今まで姉妹兵で守っていた粛清部隊艦のボディ集積所の警備は厳重にと言っておいた。
年末型の替えボディは全部運び出したが、セプ型と新型のボディは残っていた。研究の為に一つずつ運んだ以外は処理しようとしたが、
姉妹のリーダーには他に考えがあるようで、そのままにさせていたのである。彼らはそれを快諾し、請合ったが、長姉は少々心配だった。
出発の時が来て兵士たちは繁華街から宇宙港へと戻った。弾痕や手榴弾の爆発痕を触ったり足でつついたりしながら、彼らは戻っていく。
コヨーテの誰一人、見送るなどということをしようとした者はいなかったし、それを求めた十二姉妹隊の兵も一人だっていなかった。
彼らは呆気なく宇宙に上がり、出港時間から数十分もすれば、クーロンを見下ろす場所にいた。姉妹と兵たちは様々な思いを抱きながら、
クーロンの地表に目を向けた。戦友の眠る場所。偉大な、栄光ある、誇りある独立の為の戦いが始まった場所。ハンター・ベネットと、
姉妹とマダムが交戦したのが最初の戦闘だと主張する人間もいたけれど、あんなものは戦いではないというのが全体的な意見だった。
エイプリルはかつてはマダムが座り、今は自分が座る椅子から立ち上がる。左を見ると、メイがいる。右にはジャニアリー、ジュライ、
ジューン。後ろにマーチとフェブ、オーガストとオクト、ノヴェ、ディッセ。エイプリルはこちらを振り返った兵士に頷きかけ、言った。
「進路設定、予定航路!」

*  *  *

「これがその資料です。ただ、難解ですよ。現に私にはさっぱり分かりませんから」
「君がそう言うなら、きっと神様にだって分からないんだろうな、ちびっ子?」
不愉快な呼び名で自分のことを言われて、プティは顔を赤くした。資料を読んでいた男が溜息を吐いて、挑発的な言動を慎むように言う。
直前に取った食事の為に張った腹を撫で擦りつつ、ディッカーヘンが資料を流し読みする。が、渡し主の言葉通り、難解この上なかった。
その場の誰も、最後まで読まなかっただろう。彼らは明らかにその資料が必要であるとは感じなかった。その資料が生み出すものこそが、
彼らにとって必要なものだった。男たちは粛清部隊長の送りつけた保険に食らいついているのだ。ペトルッツィの思惑は成功していた。
「さて、これは反省会とでも言えばいいのかな? 十二姉妹がそこまでやってのけるとは思わなかったが、粛清失敗についてが議題だ」
男はやたら友好的な態度を取ったが、周りはその為に身を固くし、失言をしないように口を引き締めた。こういう時の彼は危険なのだと、
幹部同士の付き合いの内に彼らは身を持って知るか、見る聞くなどして知っていた。男は誰も口を開かないことに苛々しながら、続ける。
「我々は純粋な兵士だけで一個大隊が編成出来る人数と、戦艦一隻を与えた。彼はその上にアンドロイド隊を編成して戦力に上乗せした。
 それで、どうして失敗したのだろう? 私たちに考える必要が無いとは思わないな? 我々は彼女たちを粛清しなければならないのだ。
 で、あるのならば」
彼はばん、と机を叩いた。ディッカーヘンは身を震わせたが、周りはそれも出来ないほどに身を固くしてしまっていた。男は笑った。
近くの丸窓に寄って、何処までも黒い宇宙を背にし、肩を大きく竦めて、震えた中年幹部に声だけは優しく、尋ねかける。
「驚かせてしまったかね、ヘル・ディッカーヘン?」
否定する。彼は、それは良かった、と面白くも無さそうな顔で言い放ち、失敗を成功に変える為に考えなければいけないという持論を、
身振りと手振りと大声とで幹部たちに訴えた。幹部たちには頷くだけしか選択肢などなく、どうやって粛清するべきか、いつするか、
余り有益ではなさそうな議論と討論、思考を重ねた。途中、考えろと言っていながら参加していなかった男が、二つの空席に気付いた。
ペトルッツィのものと、誰のものだろうかと思い、隣の幹部に尋ねる。彼は事情を知っていて、アンドロイド隊隊長が座る席だったと、
手短に説明してくれた。議論に戻ろうとする彼の肩を掴んで振り向かせ、そのアンドロイドはどうなったのかを尋ねる。破壊されて、
十二姉妹に回収されていることだろうと彼なりの予測を口にすると、男は黙り込んだ。顎を撫で、考える。三度目に振り返らせて聞いた。
「そのアンドロイドは、今日、ここで、会合があると、知っていたのか? つまり、この艦がここにあることを?」
そうでしょう、恐らくはという返答がやって来て、いよいよ男は口を閉ざした。幹部たちも異変に気付き、話していた一人に尋ねる。
その内に、別の幹部が気付いた。解析されていたら? 完全に撃破される前に人工脳の情報を抜き取られていたら? 彼は青ざめた。
保安部に連絡し、彼らの宇宙要塞兼空母となる艦の武装を全てオンラインにして、敵の接近に備える。来ないならいいが、来たらマズい。
男はそして、彼女たちが来ない筈がないのだと知っていた。武装をオンラインにしてすぐに、レーダーに反応有りとの報が入る。
貨物船などではないらしい。男は不安だったので、また保安部に連絡し、完全武装の装甲服を着込んだ兵士を八人寄越せと命じた。
返事の数十秒後にはドアのノック音がして兵士たちが入って来る。見られてはならないだろうと資料を片付けて、彼は議論を再開させた。
暫くして保安部から連絡が入り、レーダーの有効範囲内から反応が消えたと伝えて来た。男は胸を撫で下ろしたが、兵は帰さなかった。
その判断が次に起こった事態に対して有効だったか無効だったかは別として、彼の判断が正しかったことは認めなくてはならないだろう。
突如として爆発音と銃声と砲声が、保安部に繋いだ電話機越しと、防音壁の向こうから聞こえてきた。大きな揺れも感じられた。
何事かと叫ぶディッカーヘンも、プティも無視して、男は窓が無い壁に寄った。それまでで一番大きな揺れがやって来る前に、保安部は、
火器管制等を乗っ取られていることを叫んだが、男には関係の無い話に近かった。揺れが生まれ、後頭部を思いっきり打って倒れる。
意識があったから、彼は生きていられたのだろう。見ると窓のあった壁は破壊され、彼も見たことのある突撃艇が突き刺さっていた。
宇宙に隙間から空気が抜け出していくが、即座に防衛機構が働き、ガムのようなもので応急処置される。艇を観察し、男は舌打ちをした。
マークは粛清部隊のものから、姉妹隊のものへと描き変えられているのが、姉妹隊のペイントの上からでも判別することが出来た。
こちら側に向いていたドアが開いて、スパスの銃口が突き出される。反応の遅れたギルド兵たちの内三人は、素早く発砲された一粒弾に、
胸を貫かれて倒れた。二つの影が飛び出し、一つは一人の胴を薙ぎ、一つは同時に二人の首を跳ね飛ばした。最後に出て来た姉妹は、
残っている二人の兵士に飛び掛ると、剣を二度振っただけで始末してしまった。逃げるディッカーヘンの背中に、見もせずにルガーが、
三、四発は撃ち込まれる。ショットガンがその後、彼の頭を吹っ飛ばした。部屋の隅に逃げた男は、プティに止めが刺されるのをも見た。
せめてもの反撃をと、傍に転がった突撃銃に手を伸ばす。と、胸に異物と、猛烈な痛みが襲い来るのを感じた。男は撃たれたのだった。
撃ったエイプリルとその親友や妹たちはすぐ殺す気は無いようで、妹からの通信を聞いているようだった。勿論、男には聞こえなかった。
十二姉妹の長姉は通信を聞き終わってから、耳に当てていた手を下ろし、ルガーの弾倉を新しいものに換えながら、男に言った。
「宇宙と壁一枚で繋がった場所で会合するのは感心しませんわね。こんな時、どうするつもりでしたの?」
男は自分が死ぬことを信じることが出来ていたので、落ち着いて言い返すことが出来た。彼は鼻を鳴らしてから、その言葉に答えた。
「俺は窓が無いと息が詰まる口の人間なんだ。悪いか?」
いいえ、と彼女は答えた。それから止めを刺そうとしたが、それよりも聞きたいことがあったので、彼はそれを止めてから尋ねた。
「放っとけば死ぬ男の頼みだ。一つ聞かせてくれ。君らはこれから、何を始めるつもりなんだ? 我々を敵に回して」
彼の言葉をその通りだと思ったのか、エイプリルたちはとっととこの会合の部屋を出ることにしたらしかった。彼女たちが質問に、
答えないで放置していくことを考えたけれど、そうなったからどうしたというのだ、と男は思う。しかし結局、十二姉妹は答えてくれた。
四人が戸口で振り返って言う。
「ショータイム!」

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最終更新:2008年07月30日 19:50