喧嘩師として

喧嘩師として

 

この、蜘蛛の巣状に張り巡らされた情報体系に雑居するコミュニティ。

そのコミュニティの中でも一つの文化として発展した掲示版、BBS。

そして、その文化として最も忌避され、最もなじられ、最も蔑まされ、なお生き残る、

80〜90年代さながらの埃っぽいアングラ臭さを放つ喧嘩界。

全体の3割が必ず怠けるアリの習性のごとく、一定以上沸いてしまうマイノリティなのが君だ。

 

一体、君が何を思って情報のスラムに来たのかは知らない。

その理由や動機なんて興味も無ければ、そっと自分の胸にしまっておくべきだ。

しかし、この界隈でその書き込みを投下するなら、

君は否が応でも喧嘩師としての素質を測られ、吟味され、評される。

君がその横に細長いボタンをクリックするたびに、君というキャラクターが形作られていく。

他者に相対し、その存在の残り香を残すことによってのみ、君は存在しうるのだ。

君の存在は君の責任だ。

 

君は見ただろうか、嘗てその存在を強く知らしめていた者共を。

強烈な個性とともに最強の名を欲しいがままにした者を。

不屈の闘志を持って無敗を勝ち取り続けた者を。

理と実績を積み上げ、真の勝者として君臨していた者を。

絶大な質量とカリスマで、全てを握り、すりつぶした者を。

 

君は聞いただろうか、その隅の隅で羨望のまなざしを向けられたユートピアたるを。

ロリィタ殺人娯楽、毒殺天国、シビア虐殺楽園、蒼窮..................

 

そんな輝かしく魅力的にも映る、モノクロ映画のフィルムも、

すでにその残りは薄れ、くすぶり、消えかかろうとしている。

所詮、君たちはそんなぐずぐずの歴史の1ページの右端1.5cmのスペースで徒に落書きをしているに過ぎないのだ。

しかし、前述したように、君の存在は君の責任だ。

 

喧嘩師として、君は書き込まなければならない。

 

なにをどう書き込むかは自由だ。

自由は君の存在を保証する。

自由は君に責任を結ばせる。

それ故に、君もまた歴史の1ページに残りうる可能性を秘めている。

君はどう喧嘩師として書き込むのだろうか。

最終更新:2013年11月05日 09:51