斉志勇さん(チー ヂー ヨン )qí zhì yǒng
アムネスティが中国人活動家、斉志勇(せいしゆう、Qi Zhiyong)と面会した際、同氏は1989年6月4日の夜に脚の下部を撃たれた時のことを語った。三時間後に病院に搬送されたが、既に傷口から菌が侵入していたため、脚を切り落として命を救なわなければならなかった。
当時、中国の「ゆりかごから墓場まで」の社会福祉政策に則り、斉志勇氏は勤め先の建設会社から基本的な健康保険を受けることができたが、この制度はその後の経済改革の影響で解体されてしまった。
「職場は私に親切にしてくれて、十万元の一時補償金を支払うと申し出てくれました。ただし、それには、障害を負ったのは職場での事故のせいであると認める、という条件がついていました」と斉は語る。氏はその条件を断った。
それ以来、斉志勇は、1989年の事件について沈黙を保つことを潔しとせず、事件で殺された人たちやその家族に注目してもらうため数度にわたりマスコミのインタビューに応じた。そういった人たちについてのほうが、自分自身についてよりも語りやすいと氏は言う。「中国は人口が多いでしょ。だから、私一人のちっぽけな命は大して重要ではありませんよ」と。[アムネスティのプレス・リリース ASA 17/017/2006を参照]。
斉志勇は、復権を勝ち取るため困難な闘いを続けている。氏はそのキャンペーン活動を理由に警察から厳重な監視を受け、6月4日前後を中心に、数度にわたり拘禁されている。今(2006)年になって、他の中国人活動家を支援する公開ハンガー・ストライキに参加したために、7週間以上にわたり警察から恣意的な拘禁を受けた。
斉は、障害により職場を去らなければならなくなった。新たに雇ってくれる職場はなかなか見つからず、小さな軽食堂とタバコ屋を開き、辛うじて生計をたてた。ところが、北京オリンピックに関連した大規模建設工事のため、何度も店を動かさなければならなかった。今年になって、ハンストに参加したあと、当局は氏の営業免許を取り消し、妻も職場から解雇された。それはあきらかに氏がキャンペーン活動を行なっていることに起因している。8歳の娘を抱えているうえ、今なお続く怪我の後遺症にも高い治療費がかかり、斉志勇夫妻は生計をたてるのに四苦八苦している。
数年前、氏は北京市民生局に失業保険を受けられるよう申請したが、却下された。「担当者は私を嘲笑し、西側のマスコミの前で祖国を批判した裏切者だと責めたてました。もう西側から金を受け取ったんだろう、とも」。
にもかかわらず、斉志勇は1989年の抗議運動に参加し、以来障害を負っていることを後悔していないという。それどころか、弾圧のあと"生まれ変わった"ように感じているそうである。「私は今年で50歳になりますが、17歳のように感じています。私の"本当の"誕生日は1989年6月4日ですから」と氏は笑う。
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最終更新:2008年09月10日 09:08