虚無と獣王-25

25  虚無と道化
ルイズたちが決めた宿は『女神の杵』亭という、ラ・ロシェールで最も高価な貴族向けの店であった。
ちなみに宿泊代はさりげなく傭兵達から巻き上げたエキュー金貨を使用している。
ささやかな意趣返しさ、と笑ったワルドは今ここにはいない。一応念の為にと、桟橋にフネがないか確認しに行ったのだ。
「へえ、いい宿じゃない」
感心するキュルケをルイズとギーシュは半目で見つめる。
「そりゃ自分の金で泊まるんじゃないものね」
「まさか夕食代くらいしか持っていないとは思わなかったよ。というかボクたちと合流できなかったらどうするつもりだったんだ?」
2人のツッコミをキュルケは聞こえない振りで乗り切った。
実のところ、マザリーニやオスマンから充分な路銀を預かっているので2人ばかり同行者が増えてもそれほど問題はないのだが、そこはまあ気分である。
「やあ、待たせたかい?」
とりあえず食事でも頼もうか、と1階の酒場に向かう一行にワルドが合流した。
桟橋からの帰りに古着屋で見つけた、おそらくはどこかの船員が着ていたのだろうピーコートを羽織っている。
「ワルドさま!」
「首尾はどうでしたか?」
駆け寄るルイズとギーシュに、ワルドは渋い顔をした。
「やはり今日の最終便は出てしまっていたよ。明日の午後にフネは来るようだが、出航は明後日の予定だそうだ」
「そんな! 急ぎの任務なのに!」
ルイズが思わず声を上げる横で、ギーシュは納得した様子でひとりごちる。
「そういえば明日は『スヴェル』の夜でしたね。じゃあ仕方ないかな」
怪訝な表情を浮かべるルイズにワルドが説明を入れた。
いわく、アルビオンへの航路が最も短くて済むのが『スヴェル』の夜の翌朝であり、燃料を節約する為に明日フネを出す様なモノ好きはいないのだという。
「でもよく知ってたわねそんな事」
いつの間にかこちらの話を聞いていたらしいキュルケに、ギーシュは肩をすくめて言った。
「以前兄から聞いたんだよ。アルビオン軍との合同演習があった時に、熟練の船乗りから教えられたと言っていたよ」
「まあ交渉次第ではフネを出してくれるかもしれない。まず今日のところは英気を養うとしよう」
そうまとめて、ワルドは酒場の主人に注文を入れ始めた。

一方その頃、トリスタニアのいつもの店ではまた某公爵と某元帥がのたくっていた。
ちなみに今回はその2人に加え某宰相が加わっている。
「あ、ガリア産の白、20年物を。あと牛肉の赤ワイン煮と若鶏の小悪魔風ローストもよろしくお願いします」
下働きの少女にも丁寧口調で注文するマザリーニを見て、グラモン元帥は呆れた顔をした。
「なあ、いつも思うんだけどよ。酒だの肉だの喰ってもいいのか、一応は宗教の偉い人だろお前」
対してマザリーニは、物凄く意外な事を言われたという顔を作る。
「何を言っているのですか。ワインや肉は始祖の血であり体でもあるのですよ? 私はそれらを敢えて摂る事で自らの罪深さを噛み締めているのです」
「本音は?」
半目で尋ねるヴァリエール公爵に宰相はたちまち相好を崩した。
「別にいいじゃないですか酒と肉ぐらい食べても、ここはロマリアじゃないんですから。大体こんな美味しい物を食べずにいるなど、それこそ神への冒涜ですよ」
ああ早く注文の品が来ませんかねぇとそわそわするマザリーニである。
「なあ、破戒坊主ってのはこういう時に使う言葉だよな?」
「ああそうだな、なんちゃって元帥」
「おや、親バカ公爵殿が何か言っておいでですが」
これで3人とも酔っていないのだからどうかしている。
「いつもの調子になった所で、料理が来る前に『旅』の成果を聞かせて貰おうか」
ヴァリエール公爵の問いに、マザリーニはまあ普通はそう来るでしょうねと思い、密かに溜め息をつく。
語らなければならない事は多く、しかもその大半はいい知らせではない上に、この長年の友人が確実に怒り出すネタが最低一つは含まれているのだ。
正直言いたくないのだが、黙っていて後でバレた時の方がより騒動になる。
久しぶりに食べる肉が不味くならない様に祈りながら、宰相は事の次第を説明し始めた。

貴族を相手の商売だけあって、『女神の杵』亭は上等な料理を出す。
メインとなるのは当然トリステイン料理だが、隣国であるアルビオンからの客も多いので、そちらのメニューも存在はしていた。
ルイズたちは無難に自国のものを注文していたが、キュルケは話のタネにとアルビオン料理を頼み、結果としてその微妙な味に閉口する事となる。
「……なに、この、スパイスの代わりにありったけ油を投入しました的な、素材の味を全部殺したような」
「向こうの料理はダメだダメだと聞いてたけど、そんなにダメなの?」
もう何かひどく複雑な顔のキュルケを最初は笑っていたルイズだったが、ここまで言われると逆に興味が沸く。
「もうね、私が言うよりちょっと食べてみた方が早いわ」
いやいらないから、と即座に返したルイズに舌打ちするキュルケだった。
「少し勘違いをしておられるようだ、ミス・ツェルプストー」
子羊肉のワイン煮を優雅に口に運びながらワルドが会話に加わる。
「というと?」
「ここで出ているのはあくまで『トリステイン風のアルビオン料理』という事さ。高級店とはいえ、完全に彼の地の味を再現するのは難しい」
流暢な説明を聞いて一同はそれぞれ納得した表情を浮かべた。
「じゃあ本場はもっと食べられる料理が出るのね」
「ちょっと安心したよ。任務中とはいえ、やはり食は大事なものだからね」
そこへ本を読みながらハシバミ草のサラダを食べていたタバサが口を挟む。
「その逆」
「は?」
同級生が疑問符を浮かべる中、1人真意を読み取っていたワルドが苦笑と共にフォローを入れた。
「マンティコア隊の隊長殿が前に言っていたよ。『本場のアルビオン料理はこんなものじゃない、もっとおぞましい何かだ』と」
学生たちは揃って俯き、ゆっくりとうなだれていく。
一方、ワルドはそんな反応を見て少し焦りを感じていた。
(あれ? あれえ? ここで笑いがとれると思ったんだが、ひょっとして外したのか僕は?)
ワルドは焦りを理性で押さえ付け、冷静に状況を分析する事にした。
今まではこの手のネタを話せば、少なくともグリフォン隊の部下や他の隊の連中だったら確実に『それ料理じゃねえよ!』とツッコミが入って笑いがとれた。
またそれなりにお付き合いのある宮廷夫人などなら『まあ、ワルド様ったらおかしな方!』と上品に笑う場面だった。
しかし現実にルイズたちには沈黙の帳が降りており、なんというか非常に気まずい状態だ。
いやしかし僕の学生時代を基準にしてもこの手のネタはウケてたぞ。でも今考えるとあのメンツが特殊だったのか? まてまて友人たちを特殊とか言ってはダメだ。鏡見ろよとか言われそうだし。
これはあれか? ジェネレーション・ギャップという奴か? 10歳の年の差は深刻だというのか始祖よ!?
実を言えば、学生たちが黙ってしまったのはただ単にこれから行く国のメシが不味い事に絶望したからなのだが、それに気づかないままワルドの脳内会議は続く。
(どうする、何かフォローをいれるべきか? しかしここで更に外したらルイズの僕に対する印象は素敵な婚約者からただのすべりキャラに変更確実だ。それはまずい、速やかに対処しなければ! でも何をどうやって!? そうだ、ここはひとつ話題を変えてみよう!!)
とはいえ相手は10年振りに再会した少女だ。相手が乗ってきそうな話題はかなり限られる。
「ところで学院生活はどうだい。コルベール先生は元気にしておられるのかな?」
学院の話ならばルイズたちは現役だし、自分も卒業生という事で悩み相談にも乗れるし、先輩として当時の思い出を語る事が出来る。
これならさっきの様に沈黙が場を支配する事もあるまいという、『閃光』のワルド渾身の一策であった。
そして実はまだワルドと何を話していいか分からず悩んでいたルイズは、これ幸いと話題に乗ってくる。
「熱心に教えて下さる良い先生です。ただ、よく分からない発明品とかを持ち出して授業が脱線する事も多いんですけど」
「あれさえなければいい先生だと思うんだけどね」
「そういえば何であの先生だけ自分の研究室なんか持ってるのかしら」
ルイズだけではなくギーシュやキュルケも話に参加してきた。
オーケー流石は僕だネタにされた先生には悪いが作戦大成功! と心の中でガッツポーズをとるグリフォン隊隊長殿であったが、当然そんな態度はおくびにも出さない。
「はは、相変わらずの様だね。そうか、僕たちが作ったあの研究室はまだ現役だったか」
ワルドの言葉にルイズたちは顔を見合わせた。
「あの、ワルド様があの魔窟、じゃない、小屋を造られたのですか?」
週に一度は爆発音や謎の異臭騒ぎを起こすコルベールの研究室を、生徒たちは密かに魔窟と呼んで親しんできた。
「参加したのは僕だけじゃないよ。ミスタ・グラモンの兄上やルイズ、君の姉上も一緒だった。まあ、ちょっとしたペナルティとしてね」
「ラウル兄さんがですか?」「エレオノール姉様が!?」
末っ子二人が声を上げる。ワルドの口に上がった人物は学生時代からトライアングルの腕前を持つ優等生であった事を、身内の彼女らはよく知っていたからだ。
そんな姉や兄、そしてワルドが罰則をくらうというのは正直信じ難いものがある。
「君たちはどうか分からないが、僕らが学生の頃は色々と問題を起こしたり悪ノリをしたりする輩がいてね。いわばそのとばっちりを受けた様なものさ」
笑顔で、しかしどこか遠くを見ながらワルドは昔を思い出していた。
「そういえば、子爵は兄上と親しかったと言っておいででしたが」
「ああ。ラウル・ド・グラモンはクラスが同じで寮の部屋も隣同士だったからね。不思議とウマがあってよく一緒に行動していたが、真面目で硬派な彼は男女問わず人気があったよ」
ワルドの返答を聞いた女性陣は一斉にギーシュを見る。
どちらかと言えば不真面目でナンパな彼の兄がそんな好人物とは思いもしなかったのだ。
特にルイズは父親からグラモン一族の男は漏れなく女にはだらしがない、と聞いていたので余計にワルドの人物評には違和感を覚えた。
一方ギーシュは「な、何かね!? 何故ボクをそんな目で見るんだ!?」と落ち着きを無くしている。
「グラモン元帥は昔から『戦と色恋沙汰には負けた事がない』と豪語する人柄なのは有名でね。ところがその息子が何通恋文を貰っても丁重に断ってしまうので皆不思議に思ったものさ」
ますますギーシュの兄とは思えない言動であり、ルイズらの困惑は深まる一方だった。
「で、なんでそんなもったいない事をと詰め寄るバカがいた訳だが、それに対して『父のあの言動は軍人として輝かしい実績を残しているからこそ受け入れられているものだ。ボクのような青二才が真似してもいらぬ反感を買うだけだよ』とか答えてしまう堅物でね」
出されたワインが高級だったせいか、ワルドの口も滑りが随分と良くなってきている。
しかし友の名誉の為に、その後妬み全開の同級生たちによってラウルが『解剖』『舞踏会』のコンボを喰らっていた事実については伏せておく事にした。
そう、これは友の為であり、その場のノリで自分も参加していた事を知られないようにする目的など断じて無いのだ。
「先程からお友達の事ばかりですけど、ご自身はどうでしたの? さぞおモテになったのではとお見受けしますけれど」
そう言ったのはキュルケである。
私の前でそんな話題を出すとはいやがらせかコラ、とルイズは再び黒いオーラを放つ。だから彼女は、キュルケの瞳にどこか試す様な、何かを確認する様な光がある事には気付かなかった。
「恋文などを貰った事がないとは言わないが、僕にはルイズという可愛い婚約者がいたからね。申し訳ないが、と断っていたよ」
おお、と一同は一瞬感心し、でもその当時ルイズってまだ6才位よね、とワルドを特殊な性癖の持ち主なのかと疑った。
ひどく不名誉な扱いにされた様な雰囲気を察したのか、ワルドは更に言葉を続ける。
「というか、うっかりオーケーの返事を出すと『あんたにはうちのちびルイズがいるでしょうが!』と怒り出す素敵な上級生というか未来の義姉がいらっしゃったのでね」
ふふふ、と爽やかでありながらどこか煤けた笑みを浮かべるワルドに、ごめんなさいごめんなさいとルイズは姉の代わりに頭を下げるのだった。

ラ・ロシェールを見下ろす事の出来る崖の上で、クロコダインを始めとする使い魔たちは食事を摂っていた。
ルイズは何か食事を調達するつもりだったようだが、時間が遅いのとワイバーンにある程度の食物などを積んでいたので、今夜はそれを消費する事にしたのである。
本来はクロコダインとヴェルダンデ、ワイバーンだけの予定が、グリフォンにシルフィード、フレイムが加わった為、実のところ消費量が半端ではない。
特に好物のミミズを現地で供給できるヴェルダンデ以外は全員『好物:肉』属性である。
学院の地下には非常用食料の保管用として魔法を応用した冷蔵室があり、彼らはそこから保存肉などを持ち出していた訳だが、こんな事ならもう少し持ってくるべきだったとクロコダインは痛感した。
最初はどこか遠慮がちだったワルドのグリフォンも、シルフィードの旺盛な食欲に釣られたのか、あるいは早く食べないと取り分が無くなると気付いたのか今は必死に肉を啄んでいる。
(あっ、なにそこの食べてるのね赤いの! わたしの陣地に手を出してからにー!)
(やかましい、こんなもんは早いもの勝ちだ! そもそも勝手に陣地とか決めるな青いの!)
(というか食べ過ぎだろう)
(ツッコまれた! 新入りにまでツッコまれたのねー!)
騒がしい事この上もない。
シルフィードにしてみれば、早朝にたたき起こされてほとんど休憩もなしに全速力で飛ばしてきたのだから、その分肉を食べてもいいだろうむしろ食べるべきなのねという考えだ。
仮にも魔法衛士隊のグリフォンを新入り呼ばわりするのはまだ精神年齢が幼いせいだろうか、それとも単にクソ度胸があるだけなのか。
(喧嘩は良くないな。ぼくのミミズを少し分けてあげよう)
(いらないのねー)(いらん)(遠慮する)
(こんなに美味しいのに、みんなはいらないと言う)
ちなみにワイバーンの発言がないのは、自分の分を食べた後、さっさと『魔法の筒』の中に入っていたからである。
なまじ外に出ていると腹が減るだけなので、満腹状態で待機しておいた方が食料の節約にもなるという判断だった。
そんな彼らを背にしてクロコダインはラ・ロシェールを見下ろした。
崖の上から町を見ても、特に騒ぎは起こっていない。
襲撃があればシルフィードらの感覚共有ですぐに分かるし、またキュルケやタバサといったトライアングルクラスのメイジが加わったとはいえ、ルイズの事が心配なのに変わりはなかった。
この体では町などで共に行動できないのは重々承知していたが、ルイズの能力は一般人に近い。かつての仲間たちの様に、目的に応じて少数での行動を取らせるには不安が大きかった。
「しかしなんだな。随分と心配性だね、相棒も」
そう茶化す様な声を上げたのは、地に突き刺さっているデルフリンガーだ。
このインテリジェンス・ソードは意外と寂しがりだったので、移動中は無理でも休憩時などにはなるべく鞘から出すようにしていた。
「そう見えるか?」
「見えるねぇ。まるで年頃の娘を持った父親みてぇな感じだぜ? いや、俺は娘とかいねえけど」
当たり前である。
それはともかく、娘はおろか嫁もいないクロコダインはこの剣の言い草に苦笑するしかなかった。
「父親云々は置くが、あの娘はどうにも危なっかしくてな。たまに『もう少しゆっくり歩いてくれ』と言いたくなる」
一人前のメイジに、立派な貴族にならんとするルイズの姿勢をクロコダインは好ましく思っているのだが、理想に至るまでのプロセスがいささか性急だとも感じていた。
「確かになあ。今回の事だって別に人任せでも良かったんじゃねえの?」
俺っちとしては戦場に行けるのはありがてえんだけどよ、と笑い声を上げるデルフリンガーだ。宝物庫で飾られていたのが余程退屈だったのだろう。
「おそらく、ルイズの身近にいる人物の中に手本となる様な貴族がいるのだろうな。順当に考えれば父親や母親なんだろうが」
自らの理想となる程の存在に比べ、魔法成功率ゼロの自分が情けなくて、悔しくて、そして申し訳なかったのではないかとクロコダインはルイズの心中を想像した。
だから一刻も早く魔法が使えるようになりたいし、貴族としての矜持を大切にするのではないか。
ルイズが公爵家の一員である事は知っているが、それがどれくらいの地位なのかクロコダインには判らない。
ただ、暴走しがちな性格に隠れている生真面目で努力家な一面は親の教育による面が大きいのだろう。
「だからな、オレみたいなのを父親に例えるのはやめてくれ」
そんな事を訥々と語るクロコダインである。
しかし、実のところ元いた世界では死を選ぼうとした同僚の剣士に男としての生き方を説いたり、友を救う為にあえて撤退を選択した魔法使いの考えを理解してフォローしたり、
仲間の大ネズミにかつて使っていたアイテムを譲ったりと、パーティーの中では割と家長的な立場だったりしたのだが。
そんな事は知る筈もないデルフリンガーだが、それでもラ・ロシェールから目を離さない今のクロコダインを見るとこう思わざるを得なかった。
「なあ、やっぱり心配性の父親みてえだぜ、相棒」

「ハハハ流石はマザリーニだ死にたいのだな殺そう」
例の酒場で、宰相から事の次第を聞き終えたヴァリエール公爵の第一声がこれであった。
予想通りの反応にマザリーニは思う。
料理を食べながら話したのは正解でしたね、と。
ゲルマニアとの交渉から話し始めた為、全てを語り終えるまでに注文したメニューは全て彼らのテーブルに運ばれていたのである。
公式の場なら食事しながら重要案件を話すなど出来よう筈もないが、ここは下町の無国籍風味の酒場なので問題はありませんと、マザリーニはテーブルの下で親指を立てた。
一方、公爵はといえば物騒な台詞からも分かるように、口元には笑みが浮かんでいるものの額には青筋が浮かび、よく見れば手にした鉄製のスプーンが見事に折れ曲がっている。
この店ではお互いの名前を出すのは避けるという不文律すら忘れている有様だ。
「私の可愛い小さなルイズをアルビオンへ送り込んだ? お前もオスマン先生も一体何を考えている!」
「強いて言うならば、この国の未来を」
真顔で返すマザリーニに、一瞬公爵は言葉に詰まる。それでもなお反論しようとしたところに、横からグラモン元帥が口を挟んだ。
「まあちょっと落ち着けや。単独行ならともかく、使い魔とかうちの息子も一緒に行ってんだろ?」
「使い魔はともかくお前の息子と一緒なのは不安材料にしかならん! ああああ、嫁入り前によりにもよってグラモンの息子と旅に出るなどー!」
「幾ら俺の子供だからってこんなヤバげな任務中に女に手ェ出すほどアレじゃねえよ! てかあいつは典型的な末っ子気質のヘタレだぞ、自慢にならねえけど」
エキサイトする一方の友人を面倒臭そうに宥める元帥であったが、彼とて人の親である。末息子の事が心配ではあった。
「ま、お前の言う事にも一理はあるがな。このお使い、学生2人にやらせるにはかなりハード過ぎやしねえかオイ」
「残念ながら手持ちの札で切れる役はこれだけでした。ハードなのは百も承知ですが、この件を看過する訳にもいかないのが現状です」
厳しい顔のマザリーニに言い切られたグラモン元帥は、彼らしからぬ溜息をつく。
貴族として、また軍人として宰相の判断は間違いではないと理屈の上では分かるのだが、理屈で感情を抑えられないのが世の常だ。
まだ元帥は息子たちが軍務についているだけ耐性があるが、ヴァリエール公爵はそうもいかない。
魔法研究所で働く長女や病弱で屋敷から出る事も少ない次女、まだ学生の三女は戦場からは縁遠い存在なのだ。
そんな三女が、何故か魔法が使えないと来ているのにアルビオン行きを志願したというのだから、そりゃ冷静になれと言う方が無理だろうよと元帥は考える。
「それよりこの後はどうすんだよ。お前の見立てじゃ相手は操り系のマジックアイテム持ってんだろ? 後詰めの部隊送っても洗脳されたら意味ねえし、そもそも先に行ってる連中が操られちまったらどうにもならねえぞ」
そんな疑問に答えたのはマザリーニではなくヴァリエール公爵だった。
「いや、仮にそんな愉快アイテムがあったとしてもこの段階では使わないだろう。最終決戦を控えた王党派に使う筈だ」
「もっとも、それはこちらの動きにレコン・キスタが気付かない場合に限られます。故に大部隊を送り出すのは問題外、少数なら少数で敵の密偵ではない事を証明する必要がありますので、どうしても時間が掛かります」
続いてマザリーニが解説を入れる。
「八方塞がりだなオイ。いつもみたいになんか裏技じみた策とか考えろよ」
自分で打開策を考えはしない様子の元帥を、残りの二人は白い目で見つめた。
「要は信頼できて、更に腕の立つ者が追いかけていけばいいのだろう。それなら」
「突然アルビオンの空が見たくなったとか言い出すなよコラ」
「自分が行くというのは本気で無しにして下さいよ。貴方に万が一の事があっては本気でこの国が終わりかねません」
公爵のセリフを途中で遮ってまでツッコむマザリーニとグラモンであった。
「ではどうするというのだ。悠長にルイズたちの帰還を待っていろとでも?」
と、そこへ彼らのテーブルに近づいていく一人の男が現れる。
「ああもう、やっぱりこんなところでのたくっておったか!」
声の主は彼らにこの店を教え込んだ張本人、オールド・オスマンだった。
「全く城におるかと思えばこんなところで酒盛りか! どうせなら『魅惑の妖精』亭に行っててくれれば超楽しめたものを!」
「いったい何事ですか老師。何というかこうイヤな予感しかしないのですが」
興奮状態のオスマンに戸惑って互いの顔を見合わせた三人だったが、一応最年少のマザリーニが代表して質問する。
先程の様子では、自分を捜して極力近づきたくないであろう王宮にまで足を運んでいる事が分かる。どう考えても只事では無かった。
「アンリエッタ姫直々の依頼により、グリフォン隊隊長が例の一行に同道している。そこで単刀直入に聞くが、ジャン・ジャック・ワルドは信頼に足る人物か?」
「なんですと?」「何故ジャンが!?」
マザリーニは自分の師が言った台詞が簡単には信じられず、ヴァリエール公爵は今は亡き友人の忘れ形見の名が出てきたことに驚いていた。
グラモン元帥もグリフォン隊とは職業柄顔を合わせる事が多い為、口には出さないもののかなり複雑そうな表情をしている。
ああもうあれほど口止めしたというのになんであっさり口外してますかあの(始祖的に検閲削除)は、と現実逃避気味の脳を押さえ付け、宰相はオスマンの質問に答えた。
「そうですな。まず腕については申し分ないでしょう。伊達にあの若さで衛士隊の隊長に就いてはいません」
「あん時ゃ色々外野が煩かったが、全部実力で黙らせやがったからな。割と地味に努力家だしよ」
元帥もまたマザリーニの意見に同意した。
「ただ彼は野心家でもありますし、同時に腐敗した貴族に対する嫌悪感も強いようです。一応私の手元に置く事でそれとなく行動を見ていたのですが……」
「なかなか尻尾は掴めなかった、か。スクエアクラスの風メイジだ、そう簡単にボロは出すまいよ」
言葉を濁すマザリーニの後を継いだのが公爵である。
彼はワルドがまだ幼い頃から知っていたし、酒の上での約束事とはいえルイズとの婚約を認めてもいた。
実を言えば、あの時は先代のワルド子爵と一緒に飲みまくっていて全く記憶が残っておらず、後で聞かされて大騒ぎになったという経緯があったりもするのだが。
それはともかく、ここ何年かはワルドが隊長職で忙しく、また公爵も軍の仕事から離れたせいか直接顔を合わせる機会はなかった。
だからマザリーニのワルド評は、公爵の知っている明るく才気煥発でありながら何故かエレオノールに頭が上がらなかった、あの小さなジャンとは余りに懸け離れている。
「なんにせよ、彼がレコン・キスタに通じている可能性は充分考えられます。それが己の意志か、それとも違うのかまでは分かりませんが」
「例のマジックアイテムか? あるかないかも分からぬ代物を警戒せざるを得んとはな」
渋い顔をする公爵だが、だからと言って楽観には傾かない。彼もまたマザリーニと同じく最悪を想定して動く事を強いられる立場にあった。
「取り敢えずなんちゃって元帥殿は適当に理由を付けてグリフォン隊を監視して下さい。まとめて寝返られたら収拾がつきません」
ゲルマニアから帰ったばかりでまだ宿舎に居る筈です、というマザリーニに対し、グラモン元帥は何故かにやりと笑って答える。
「仕方ねえな、お前らの任務成功を祝ってとか言ってどっかイイトコロに繰り出して飲み潰させよう。あ、当然費用はソッチ持ちだよな?」
宰相は死ねばいいのにという顔を隠そうともしなかった。
「馬鹿はさておいて、老師にはマジックアイテムについて調べていただきたい。何らかの対策が必要でしょうし」
学院長は不満を隠そうともしなかった。
「なんで馬鹿がイイトコロでタダ酒かっくらっとるのに仕事せにゃならん。後日何らかの補填を要求する!」
「無視して話を続けます。ヴァリエール嬢たちには応援をつけたいところですが、ワルド子爵が間諜だった場合を考えると下手に接触させるのも逆効果かと。何か妙案はありませんか?」
体育座りでめそめそウソ泣きを始めたオスマンを全力で無視しつつ、大人たちは知恵を絞り始めた。

ラ・ロシェール、『金の酒樽』亭。
ルイズたちの泊まる宿とは異なり、一見すると廃屋にしか見えないような酒場の隅に1組の男女がいた。
屋内だというのにフードを深く被っているのは『土くれ』のフーケ。レコン・キスタにスカウトされながら、その実オールド・オスマンに情報を流す約束をした妙齢の美女である。
そして彼女の正面には体格の良い男が座っていた。つまらなさそうに白身魚と芋の揚げ物を摘まみながらフーケは思う。
「いい加減その仮面とりなさいよ」
思うだけのつもりが何故かそのまま口に出ていた。
男はあっさりと無視しているが、いくらこの酒場が傭兵だの後ろ暗い者だのが集まる場末とはいえ、こんな仮面姿のままでは悪目立ちし過ぎるのだ。
只でさえ若い女性という事で自分に大変よろしくない視線が集まりがちだというのに、こいつは一体何を考えているのか。
そう、仮面の事はさておくとしても、フーケはこの男が何を考えているか気になって仕方がなかった。
「あの傭兵達はあっさり捕まってたけど、これからどうするつもりだい?」
「明日、再度襲撃を掛ける。それまでに人員の補充をしておけ」
そう言って男は懐から金貨の入った袋を出す。しかしフーケはそれを眺めるだけで受け取ろうとはしなかった。
「どうした」
「敢えて言わせて貰うけど、あいつらを狙うのはやめときな。命が幾つあっても足らないよ」
男は仮面の奥の双眸を光らせ、呟く。
「怖気づいたか」
「スクエアメイジの連隊に素手で立ち向かうのを、勇気があるとは言わないだろ?」
眼光に怯む様子も無いフーケに対し、男は更に札を切る。
「誰のお陰で死罪を免れたと思っている」
別に頼んじゃいないし、アンタが来なくてもあのジジイがフォローしてたんだがねとは言わず、フーケは肩をすくめた。あんまりゴネて相手を怒らせても益はない。
「忠告はしたよ」
金を懐に収めながら考えるのはこれからどうするかだ。
傭兵はそれなりに集まるだろう。腕を考えなければという条件付きだが、そこまで面倒をみるつもりはない。
目下のところ一番の問題は、襲撃相手が自分の存在を学院長から聞かされているかどうかなのだ。
正直あの谷間での戦闘を遠くから見た時には、その場で引き返して故郷に戻ろうと思ったものである。
最初のレコン・キスタとしての活動がよりにもよって、フーケがこんな慣れない二重密偵などをしなくてはならなくなった一因を襲えという内容だったのだから無理もない。
意趣返しの機会と考える余裕は彼女の中に存在しなかった。というかあんなもんをまともに相手しようなどとはとてもとても思えなかった。
この分だと明日は自分も襲撃に加わらなければならないのだろうが、下手にちょっかいなどかけたらどうなるか知れたものではない。
あちらにフーケの事情が知られていなければ全力で攻撃してくるだろうし、知られていた場合も変に手加減されてこちらが密偵だという事がバレても困る。
更にこちらは白仮面の見張りがいる以上、手を緩める訳にもいかないのだ。
(今晩中に逃げるかコイツを何とかするかしたほうがいいかもねー……)
最近どうも後ろ向きになりがちなフーケであった。

『女神の杵』亭の酒場では、ワルドとルイズたちの話が弾んでいた。
先生の話、寮生活の話、勉強の話など話題は尽きない。
優等生だという印象のワルドはやはり優等生だったようだが、周りのばか騒ぎに巻き込まれる回数が半端ではない様で、ルイズは親しみを覚えた。
もっとも、学院の制服の件に関しての話題ではいささか事情が異なったが。
あの制服は誰が考えたんだろうとの問いに、「あれはオールド・オスマンが考案したんだよ」とワルドが即答し、ギーシュがさらに喰いついたのである。
「そうでしたか! いや、只者ではないと思っていましたが流石ですね学院長は! あのスカート丈を考えだしたというだけで彼は歴史に名を残しましたよ!」
「ああ、全くだ。だが特記すべきはスカート丈についてだけではなく、ニーソックスの類を規則違反としなかった点にある」
「ええ、僕は常々あのニーソックスとスカートの間の生足空間には絶対的な視線注目魔法が掛かっていると思っているんですがどうですか」
「いいところに気が付くね君は。それはとても重要な事だ。そう、ニーソがない方が露出が高いにも拘らず逆説的に隠す事でかえって注目を集めてしまうというこの不思議!」
2人は立ち上がり、固く握手を交わした。周囲にいた男性客やウェイターたちも無言で、しかし笑みを浮かべて親指を立てている。
ルイズたち女性客はドン引きだったが。
それはともかく、今日は早めに休もうという事で一行は割り当てられた部屋に向かった。
当初は1人部屋と2人部屋を予約し、ルイズに大事な話があると言って一緒の部屋へ行く算段を立てていた某子爵である。
しかし同級生2名が乱入したのと、2人部屋と3人部屋しか開いていなかったので諦めざるを得なかった。

疲れがあったのか、ギーシュはベッドに横になった途端に睡魔に襲われ夢の国へと旅立って行った。
ワルドはその様子を確認すると、音を立てずにバルコニーへと出た。
既に町の明かりは消え、空には双月が寄り添っている。夜風に当たりながら耳をすまし隣の部屋の様子を探るが、ただ寝息が聞こえるばかりであった。
ワルドは酒場での会話を思い出し、自嘲気味の笑みを漏らす。
「これでは道化だな、まるで」
「それが素ではないのかい、子爵」
突然耳元でそんな声がした。ワルドが慌てる風も無くゆっくりと周囲を見渡すと、『女神の杵』亭の向かいにある建物の間の路地に1人の男がいる。
どうやら風魔法を使ってこちらに声を届かせている様だ。
「どういう意味だい?」
「仲間たちと馬鹿を言い合い、自分たちの未来は明るいものだと信じて疑わない。そんな昔を思い出したのだろう? だから自らを道化と笑う」
仮面をつけた怪しげな男のもの言いに、ワルドは腹を立てる事もなく反論する。
「最初はあの傭兵達を蹴散らしてルイズに信頼感を植え付ける予定だったのが、思わぬ邪魔が入ってしまってね。仕方ないから別の方法で信頼を得ようとしただけさ」
「それでミニスカかい?」
「それでミニスカさ。これでも女湯覗き見用トンネルの話は自重したんだぞ」
胸を張るワルドに、白仮面は(ああ、まだ酔っているのか)と思った。
「ともかく、そろそろ情報の統合をしておきたいのだがね、子爵」
白仮面に言われ、ワルドは少し考える素振りをした。
「酒場での会話を聞いていたなら概ね判るだろう? まあゲルマニアに行く前から単独行動を取っていたから、いい頃合ではあるか」
ふわり、と男の体が浮かび上がり、次の瞬間目にも止まらぬ様な速度でバルコニーまで到達する。
「ではよろしく、子爵」
仮面を外す男に、ワルドはこう答えた。
「もちろんだとも、子爵」
ワルドの目の前に立つ、ワルドと同じ顔をした男は、風の様に姿を消して彼の体に吸い込まれていった。

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最終更新:2009年08月03日 01:08
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