野々美つくね プロローグSS


 萌える草木の香りが春の穏やかな空気に満ち始めた、ある夜のことだった。

 日課のトレーニングを終えたジムからの帰り道、爽やかな気候に気を良くした野々美つくねは、陽気な歌をひとり口ずさみながら八墨川の川べりをぶらぶらと歩いていた。気分が心地よく弾む理由はもう一つある。今日は、つくねの16歳の誕生日なのだ。母親と二人で小さなお祝いをするのが毎年の恒例となっている。お気に入りのケーキが帰りを待っていると思うと、わが家へと向かう足取りもいつしか軽く弾みはじめていた。

 異変が起きたのは、川に架かる小さな橋を渡ろうとした時だった。突然、視界が眩い光に照らされた。川面は銀幕のように光り輝き、視界を奪った。思わず腕で目をかばいながらも、つくねはなんとかその光の正体を見極めようとした。

 光は上空から照らされているようだった。まるで神殿に立つ柱のような、荘厳な光の円柱の中を、人間らしき姿の何者かが降りてくるのを、つくねはかろうじて視認した。

 それは純白の羽と衣を纏った天使であった。やや癖のある髪は金色に輝き、双眸は穏やかでありながら超然とした意志を感じさせる。そして何より恰幅の良い体格で、身長も横幅もつくねの2倍近くもあるだろうか。
 つくねは呆気に取られながら、その降臨のさまを見守っていた。やがて天使が橋の上に降り立つと、光の柱は一つの大きな輪となって、つくねと天使を取り囲んだ。

 つくねは動揺を隠せなかった。眼前に立つ超常存在に対し、思わず挨拶の一つでもすべきかと思案してしまうほどだった。それに相対し、天使はおもむろに大股となって腰を落とし、片足を高々と上げてから、力強く踏み落とした。

 四股である。

 それでつくねも合点が行った。何故かは分からないが、この天使は相撲を取りたがっている。それが証拠に、天使は片手を付いて立会いの構えを見せているし、よくよく見れば光の輪の直径は約4.55メートル……土俵の大きさとほぼ同じである。

 つくねに異存はなかった。常人であれば、このような超常に見舞われれば凍りついて動けなくなるか、一目散に逃げ出すだろう。だが、彼女は格闘者であった。それも総合格闘技のチャンピオンの座に輝く天賦の才女である。その自分と闘うために、わざわざ天使が遥か神の国から降りてきたのだとすれば、これ以上の栄誉はあるまい。
 震えを振り払いながら、彼女は目前の超常存在をしかと見据えた。天使の体から放たれる輝かしい闘気は、これまでつくねが対峙したいかなる相手とも異なる圧を放っていた。これほどの存在を前に、自分の力はどこまで通用するのか――気付けばつくねは、天使と同じく片手を下ろして構えていた。

 つくねが相撲を取ったことは今まで一度もなかった。だが、体が勝手にそう動いた。まるで彼女の中に流れる血が、相撲の所作を、作法を、礼儀を知り尽くしていたかのようだった。
 圧倒的な体格差に加え、神々しきオーラを纏った天使を真っ向に、もはやつくねは怖気付いていなかった。彼女のなだらかな胸の奥を満たすのは、未知の強者と闘えることへの喜びだけだ。

 つくねの見立てに一切の誤りなく、天使はまことに強大であった。肥満にも見える体型は、その実触れればはっきりとわかる、はち切れんばかりの筋肉に満ちていた。その両脚は天を支える柱の如き安定を誇り、その双腕は打ちては返す大海の波濤を思わせる雄大な力強さを湛えていた。

 つくねは幾度となく打ち倒された。
 巨体に組み付かれては投げ飛ばされ、寄り切られ、うっちゃられ、鯖折られた。ただ力に任せた攻めではない、最適な足運びにズボンのウエスト(※まわしに当たる部位)を取る位置、投げを打つタイミング、重心の移動、全てが美しいまでに整っていた。故に投げられながらも、つくねの顔から喜色が消えることはなかった。天使の取る相撲は、それ自体が躍動する芸術であった。それを十全に味わえるのは、この世のこの瞬間、野々美つくねただ一人なのだ。

 夜が更け、闇が天蓋を覆った。つくねは休む間もなく倒され続けた。だがやがて夜明けが近づいた頃、形勢に変化が現れた。
 それまで一方的に攻めていた天使が、いつの間にか少女に攻められつつあった。つくねの膨大な体力に裏打ちされた類い稀なる学習能力は、人と天使の差をも覆そうとしていた。
極限まで研ぎ澄まされ、まるで隙など見えぬ相撲を取る天使に対して、ミスを待っていては勝ち目などない。つくねは無数の立会いの中で学んでいた。隙のない相手なら、隙を作るしかない。

 丸太の如き巨腕を捌き、距離を詰められれば土俵を広く使って回る。必然的に生まれた機を逃さず懐へ潜り込み、純白の腰布を掴もうとする。
 それまで使っていなかった、首が飛んでいきそうな威力の張り手の雨をかい潜り、体重を乗せた引き落としにも屈せず、つくねはがむしゃらに食らいついた。腰帯を掴んで引きつけ、腰を落とせば簡単には投げられない。

 橋上で繰り広げられる死闘とは裏腹に、穏やかに流れる八墨川の水と空との境界が、うっすらと白みはじめた頃だった。
 それまで表情を変えることのなかった天使は、焦燥の色をあらわにして、それまでの緻密な相撲とは打って変わって強引な攻めを繰り出した。

 夜が明けると、天使には何か都合が悪いのかもしれない。だとすれば、好機だ。
 荒くなった攻めをいなし、すかし、腰帯を両手で掴む。脚を開き、腰を落とし、帯越しに力の流れを読み、天使の動こうとする力をも利用して投げを打つ。地に根を張るが如き天使の両脚が、この日はじめてぐらついた。つくねはその機を逃さない。ブレた重心を更に振り回し、揺らぎを増幅させていく。

 どん、と足の付け根――股関節に衝撃が走った。同時に、ゴリッという鈍い音が体内に響く。つくねの顔の倍以上もある、天使の大きな手のひらが彼女の腿を打ち、関節を外した音だった。
 相撲の法を犯す行為ではない。だが、この体格差の相手に繰り出すには相応しくない技であること確かだった。事実、天使はこれまでに組んだ状態からこのような打撃を繰り出していない。

 襲い来る激痛に歯を食いしばり、それでもつくねは腰帯を離さない。生粋のファイターは、その攻撃が焦りによって放たれたものであることを直感的に理解していた。天使は、それほどまでに追い詰められているのだと。

 つくねの闘志は萎えるどころか、風に煽られた大火のようにより一層激しさを増した。片足でバランスを取りながらなおも攻めの手を緩めない。完全な均整の取れた天使の顔に、明白な驚きの表情が浮かんでいた。

 ややあって、光の土俵に一条の朝日が差し込み、俵の相当する線から僅かにはみ出た白いかかとをはっきりと照らした。つくねの根性と気迫の前に、天使もついに根負けし、土俵を割ったのだ。
 全身を汗に濡らした少女は、喘ぐような呼吸を繰り返しながら己の勝ちを確かめると、充足に満ちた笑みを浮かべながら、その場に倒れ伏したのだった。

「あ……」

 やがてその笑顔にひとひらの影が差した。全身を苛む痛みに、ではない。

「お母さん、心配してるだろうな……謝らないと……」




「……で、気が付いたらこれが手の中にあったってわけ。どう?すごいと思わない?」
「うちのお客さんのつてで腕の良い脳外科医を知ってるんだけど、一回診てもらう?パンチドランカーってほっとくと怖いって聞くし」
「パンチドランカーじゃないよ!?」

 昼休みを迎えた私立津名鳥(つなとり)高校1‐Dの教室には、普段と同じく生徒たちの談笑する声が響いている。その中の二人――野々美つくねと当真(とうま)ちはやも、他のグループと同じく互いの机を寄せ合い、他愛のない世間話に興じていた。

 つくねが珍しく午前の授業を休み、しかも松葉杖など突いて登校してきたものだから、ちはやも詳しい話を聞きたがった。女子総合格闘技の世界チャンピオンにそんな怪我を負わせる相手など、少なくとも幼馴染の彼女には想像もつかない。
 ちはやの質問に対して、長々と……恐らく大いに脚色を交えて語られたものを要約すれば、天使と相撲を取って怪我をした、ということだった。

「あのさぁ、そんな話をハイそうですかって信じたら、それこそお脳の病気だと思わない?」
「だってほら、ここにあるじゃん動かぬショーコが!これが目に入らぬか!」
「ああもう、そんなにしなくても見えるっつの暑苦しい。だいたい、私には変なマークのついた布にしか見えないんだけど」

 ぐいぐいと顔に押し付けられるそれを払いのけ、ちはやはうっとうしさを隠そうともせずに言った。
 それは絹のように艶やかな質感を持った、一本の白い布だった。長さおよそ1メートル、幅は40センチ少々。真ん中には布の幅に合わせた円盤状の、エンブレムのようなものが取り付けてある。円盤の中心には桜の花が描かれ、その周囲を力強い二重線が取り囲む意匠だ。
(※参考: http://www.sumo.or.jp/

「結局、それはなんなの?前衛芸術?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました。これはねぇ、大天使ガブリヨル様からたまわった、ありがたーい変身ベルトなのです!」
「とりあえず一文中に二ヵ所以上ツッコミ所をぶち込んでくるの止めてもらっていい?」

 これはいよいよ脳の心配をすべきかもしれない。つくねは今でこそ他の追随を許さぬトップファイターだが、格闘技を始めた当初はとにかく不器用で、頭部にまともに攻撃を喰らうことはざらだった。その蓄積されたダメージが今になって悪い影響を及ぼしている可能性は否定できない。

「まず大天使……なんて?ガブリエル?」
「ブブー、ガブリヨル様です。あたしと相撲を取った、相撲を司る天使だよ!」
「『相撲を司る天使だよ!』じゃないんだよ、満面の笑顔で言い切りやがって……で、何?変身ベルト?何に変身すんの?」
「んふふー、分かんないかなぁー。ほらこれ、何に見える?何かに似てるっしょ?」

 エンブレムを指さすつくねが何を言いたいのかは大体分かっていたが、ちはやは回答を躊躇した。うら若き乙女の変身対象としてはあまりにも肉々しい。しかし期待に満ちたつくねの視線がうるさいので、結局その単語を口にする羽目になった。

「……お相撲さん」
「ぴんぽーん!さすがちーちゃん、カンがいいよね!」
「もうほぼ答え言ってたし、そもそもなんであんたそんなに嬉しそうなの?力士への変身願望があるの?」
「うん」
「……は?」
「あたし、力士になる」

 半開きになった口を閉ざす余裕もなく、ちはやはひたすらまっすぐなつくねの視線を一身に受けていた。

「はっ……力士?え、リアルで?総合は?あんたUFBチャンピオンでしょ!?」
「引退する!」
「はあぁ!?なんっ、なんで?あんた、あんだけ努力して……あんたバカ!」
「あはは、ちーちゃんのテンパった顔おもしろい!」
「笑いごっちゃないわよ!」
「それでこの変身ベルト……オスモウドライバーって言うんだけど、説明書によるとね」
「私の感情スルーして話を先に進めないで!ていうか説明書とかあるんだ……!」

 つくねのペースに振り回されて思考がついていかない。ちはやは立ち上がりかけていた体を椅子に落ち着け、深呼吸をした。級友たちは「またか」と言いたげな生温い視線を送っていたが、それも2,3秒の事で、再びそれぞれの会話に立ち返る。野々美と当真の夫婦漫才といえば――ちはやにとって大変不本意ながら――新学期早々1‐D名物として定着しつつあるようだった。

「わかった、いやわからないけど、一旦力士云々の話は脇に置いとくわ。あんた、力士に変身するとかなんとかいう話もマジで言ってたの?」
「大マジだよー。天使さまがくれたんだし、説明書にもそう書いてあるし」
「その謎の説明書に対する信頼感はなんなの?」
「困ったときは説明書を見ればだいたいなんとかなるってお父さんが言ってた!」

 つくねが手にしているのは、やけに黄ばんだ紙の説明書である。その質感は世界史の教科書に載っていたパピルスの写真を彷彿とさせた。ちょっと貸してみ――と、ちはやが手を伸ばした時だった。
 教壇側の引き戸が、派手な音を立ててぶち破られた。

「うわあっ!」
「えっ、何!?」
「先生!」

 同時に、投げ捨てられた紙屑のように人間が教室内へ転がり込んできた。担任の舛田教師であった。ざわめきと動揺が一気に教室内に広がる。

「邪魔するぜぇ」

 開け放たれた教室入口を河岸で屈んで潜りながら現れたのは、黒のボディスーツに身を包んだ巨漢である。それも一人ではない。あとからぞろぞろと、同じ恰好の同じような体格の男たちが教室に侵入してくる。みるみる内に空間内の肉密度が増していく。
 突如現れた彼らが何者であるのか、生徒たちは知る由もないが、一つだけ確かなことがあった。
 闖入者たちは全員、ボディスーツの上から黒いまわしを締めていたのである!

「うわあああ!力士だぁ!」
「逃げろォ!」

 生徒の誰かが悲鳴をあげ、それから教室内は火を付けた爆竹のような騒ぎとなった。みな一目散に後方の出口へ殺到し、廊下へ脱出していく。突然黒ずくめの力士が群れをなして教室に乗り込んできたとあっては、年端もいかぬ彼らが混乱に陥るのも無理からぬことであろう。彼らを導くはずの教師は、今や肉の壁に埋もれて手足の先すらも見えない。

「つくね、早く逃げるよ、つくねってば!」

 ちはやもまた、つくねの手を引いて逃げようとしていたが、彼女はその場に仁王立ちしたまま力士たちを睨みつけ、動こうとしない。出口から遠い席であった事も災いし、完全に逃げ遅れた形となった。

 教室内に侵入してきた力士の数が、丁度十を数えた時だった。最後に入ってきた力士だけが、他の者と異なる格好をしていた。着古した藍染の着物を両肩に引っかけ、裸に白いまわし姿の力士である。ボディスーツ力士が総髪か髷姿であるのに対し、この着流しの男は相撲中継で見るような大銀杏を結っている。
 格闘技に関しては素人のちはやであるが、彼女の目にも、その男の纏う雰囲気の異様さは十分に見て取れた。恐らくはこの男こそが、力士たちのリーダーだ。

 白いまわしの力士は教壇に整然と並んだ男たちの前をゆったりとした歩調で通り過ぎ、教卓の前に立つと、教室に残ったつくねとちはやをじろりと睨めつけた。あるいは、机の上に乗った白いベルトを。

「うわあああ!だっ、駄目だ、完全にふさがれてるよぉ!」
「たった二人並んで立つだけで廊下が通れないなんて……!なんて横幅だ!」

 廊下の方から悲鳴が漏れ聞こえてきた。状況は悪化の一途を辿っている。ちはやは知らず、つくねのセーラー服の裾をぎゅっと握った。

「驚かせて悪いなァ」

 たっぷり肉の乗った片頬を吊り上げ、白いまわしの男がドスの利いた低い声で言った。

「よかた(※1)に手荒をするつもりはなかったんだがよぉ、センセイがちぃとばかしうるせえもんだから、ちょいと眠って貰ったのさ。なに、俺のいう事を聞いてくれるんなら、今すぐにでも退散するぜ」
「あんたたち、誰?何しに来たの?」
(※1よかた……余方。力士ではない一般人のこと。素人。)

 つくねはちはやを自らの背に庇いつつ、毅然として言った。机の上に置いたままのオスモウドライバーをちらと見やる。力士は不遜に笑った。

「俺たちゃ国際暗黒相撲協会のモンだ。つってもわかんねぇよなァ……ま、要件の方はだいたい見当がついてんじゃあねえか?なあ、総合のお嬢ちゃんよ」

 そこまで聞いて、ちはやにも察しがついた。あの謎の力士軍団は、つくねの持つ白いベルトを奪いに来たのだと。その為に白昼堂々集団で学校に乗り込み、暴行を働き、教室を占拠したのだと。
 ではつくねの、与太話としか思えないあの天使と相撲を取ったという話は。力士に変身するというベルトの真偽は。

「ぜ――全部ホントだったの!?」
「だからー、大マジだって言ったじゃん」

 背中越しに、つくねは声色だけで笑った。こんな状況で、どうしてそんなに明るい声が出せるのか、ちはやにはまるでわからなかった。

「……ま、そういう訳でだ」

 どん、と、力士が教卓にグローブのような掌を叩きつけた。それだけで木製の教卓は水に触れた砂糖菓子のように崩れた。

「そのベルト、こっちに渡してくれねぇかな」
「イヤだよーだっ」

 あくまで軽快に、つくねは即答した。笑みを浮かべる力士の額に、稲妻のような青筋が立つ。男の放つ怒気が、空気の密度をも変化させているかのようだった。

「随分と余裕だがよぉ……この人数の若ぇ衆(し)相手に立ち回れるつもりかい?お友達の顔色見てみろよ、今にもぶっ倒れそうだぜ」
「そんなのやってみなけりゃわかんないし、ちーちゃんはあたしが守るから大丈夫だよ」
「……チッ、これだからガキは……おい」
「ハイ!」

 男は笑みを消し、振り返る事もなく背後の力士たちに呼びかけた。

「かわいがって(※2)やれ」
「ハイ!」「ウッス!」「ドッセイ!」
(※2かわいがる……特定の一人に集中的に稽古をつけること。リンチではない。)

 それをきっかけに、端に立っていた三人の力士が、気合の雄叫びと共に一斉につくねに詰め寄る。

「ちーちゃん、これ持って隅っこに立ってて!」
「つくね、でもその怪我で!」
「大丈夫!」

 ベルトをちはやに手渡しながら、つくねは満開のひまわりのような、いつも通りの笑顔で笑った。

「あいつら、天使に比べたら全然弱いよ!」
「ガキィーッ!」

 前に向き直った時には、既につくねの視界は巨体によって塞がれている。予想通りのスピード。天使とは比べ物にならない。
 瞬時に身を沈め、突き出された両手を躱す。体を開きながらまわしを捕らえ、足をかけながら突進の勢いに己の力を上乗せする。

「グワァー!?」

 ボディースーツ力士は90度転回し、机と椅子に頭から突っ込んだ。即座に別の力士が頭部を突き出して突進してくる。ぶちかましだ!

「イヤーッ!」

 片足の操作で素早く横へ跳び、同時に繰り出した掌打は的確に力士の顎先を捕らえた。いかに体重差があろうとも、存分に体重を乗せた一撃を的確に打ち込めば、どのような巨漢でも打ち倒せる。瞬間的に意識を飛ばされた力士は、気絶したまま壁に激突し、昏倒した。
 即座に別の力士が突っ込んでくる。あからさまに掴みかかろうという構えだ。最初と同じく身を沈め、まわしを掴み、背負い投げの要領で投げ飛ばす。

「ウワァーッ!?」

 ボディスーツ力士は窓ガラスを突き破り、校庭へ転落!その有様を見た白まわしの怒号が飛ぶ!

「何をやっていやがる!相手はガキ一人だろうが!」

 白まわしは足音荒く昏倒した力士の下に詰め寄ると、その首根っこをわし掴み、無造作に放り投げた。 ボディスーツ力士は窓ガラスを突き破り、校庭へ転落!

「なんてことするんだ!仲間じゃないのか!」
「仲間だとォ……?よかた(※1)の、それもやまいった(※3)女のガキにガイ(※4)にされるような雑魚なんぞ、国際暗黒相撲協会にゃ必要ねぇ!」
(※3やまいく……怪我をすること。「やまい」から転じてこう呼ばれる。)
(※4ガイにする……こてんぱんにすること。害にする。)


 冷酷な言葉を吐きながら、白まわしは着流しを脱ぎ捨てた。ボディスーツ力士の一人がそれを受け止め、素早く纏める。訓練された動きだった。
 白まわしの裸体が露わとなると、その禍々しいまでのプレッシャーが更に増したようだった。天使の荘厳な闘気とはまるで異なる、光を蝕む闇の如きオーラだ。

 白まわしはすっと腰を落としたかと思うと、目の覚めるような速度で突っ込んできた。ボディスーツ力士とは一線を画す速さ。それでも、まだあの天使には届かない。すなわち、つくねなら対応できる。それまでと同じく身を沈め、まわしを捕まえ……

「あぐぅ!?」

 瞬間、背中に衝撃が走り、つくねは膝をついていた。後方で戦いを見守っていたちはやには見えていた。白まわしの力士が、つくねの背中に肘を落とす瞬間を!

「そ、それ反則じゃないか!肘打ちするなんて……!」
「クックック……嬢ちゃん、相撲を知らねぇなぁ。こりゃ素首落としっつって、れっきとした相撲の決まり手なんだよォ!」
「ウアアーッ!」

 ちはやの抗議を一笑に付し、力士はなおもつくねの背中に肘を見舞う。なんたる卑劣か!確かに素首落としは正式な相撲の決まり手であるが、本来後頭部や首などを手や腕ではたくものであり、決して背中に肘を落とす技ではない!まして膝をついた相手を攻撃するなど言語道断である!相撲知識の欠如につけ込んだ非道行為!これが国際暗黒相撲協会の暗黒相撲だというのであろうか!?

 その時である。
『…………ガガッ……オスモウ……野々美つくね……オスモウドライバーを……』
「何だァ?」
黒板上のスピーカーから、突如として不明瞭な音声が響き渡った。

『……野々美つくね!オスモウドライバーを装着したまえ!』
「なッ!?何者だテメェは!」

 白まわしはそれまでの余裕から打って変わって狼狽のさまを見せた。つくねはそこに好機を見て取った。
「……そうだ。あの白いベルト!オスモウドライバーを!」

 だが、今そのベルトは倒れ伏す彼女から遠く離れたちはやの手に握られている。彼女の目は恐怖に満ち、指一本動かすことすらできそうにない。

「くっ……どうしよう……こんなとき、どうしたら……」
『説明書を読むんだ!』
スピーカーの音声が答えた。

「……そうだ。お父さんが言ってた。説明書を見ればだいたいなんとかなるって!」

 然り!その茶色くしなびた小さな紙片には、確かにこう書かれていたのだ!
『オスモウドライバーは装着者の音声を認識し、遠くからでも呼び寄せることができます』と!

「……来い!あたしのところへ!オスモウドライバー!」

 その瞬間、野々宮つくねの肉体と、当真ちはやの持つベルトを一本の光が繋いだ!
「きゃっ!?」
ちはやはベルトから手を放し尻もちをついた。ベルトは浮遊しながら白く発光し、つくねへと吸い寄せられていく。それはまるで元々そこにあるべきものがあるべき姿に戻っていくかのように!そして腰に装着されたベルトのエンブレム下から新たなる白布が生じ……「んッ……」つくねの股下をくぐったのだ!
 少女の脳裏に、再び説明書の一文が踊る。オスモウドライバー装着後、高らかにこう叫ぶべし!

「……変身ッ!」

 トトン!トトトントトン!トトン!トントン!トトン!トントトン!
 NHK相撲中継のオープニングでお馴染みの寄せ太鼓の音が、どこからともなく響いてくる。

「バッ……バカな!こんなガキが!土俵にも上がれねぇ女が!こんなことが、あってたまるか!」

驚愕におののく悪の関取の目前で、白く輝く粒子がつくねを取り囲んでいく。それは彼女の肉体と結合し、新たなる肉を生み出していく……小爆発にも似た閃光がきらめくと、そこには!

《MODE:UNRYU》《CHIYONOFUJI》
《ちよのぉぉ~~ふぅじぃい~~~》

「まったなしだぜ!」

超重量の肉に全身を覆われた、千代の富士関の姿があったのだ!

「ち、千代の富士……!」「千代の富士関だ……!」「横綱……!」

ボディスーツ力士たちの間にざわめきが起こる。今は亡き平成の大横綱が、全盛期の姿そのままに現界したのである。

「う、うろたえるんじゃねえ!あのガキがオスモウドライバーの性能を引き出せる訳ねえだろうが!どうせ見かけ倒しだ!」

 関取は全身を支配する怖気を振り払うように絶叫した。他ならぬ彼自身がよくわかっていた……目の前の横綱は、紛れもない本物であると。

「怯むな!一斉にかかれ!」
「う……ウオオオオーッ!!」

 ボディスーツ力士たちが、千代の富士目がけ踊りかかる。対する横綱は、左手を胸の近くに当て、右手を横へ羽のように伸ばす構えを取った。雲竜型である。
 ずん、と、100キロを優に超える力士5人分の衝撃が千代の富士を襲う。だが。

「な……バ、バカな……!」

 先ほどよりも、千代の富士の立つ位置が半歩後方にずれている。それだけだった。幕内力士ともなれば、立ち合いにおける衝撃力は2トンを超える場合もあるという。ボディスーツ力士の実力は幕内に劣るとはいえ、5人もの力士を真っ向から受け止め、一歩も下がらぬ馬鹿げたまでの膂力。地面に根が生えたが如き重さを誇る鋼鉄の肉体こそ、千代の富士最大の武器であった。

 山が動いた。
 5人の力士は一斉に横へ振られ、なすすべもなく投げ飛ばされた。教室の壁をぶち破り、校庭へ転落!

「動くんじゃねぇー!」

 横綱がゆっくりと振り返ると、白まわしがちはやを羽交い絞めにしていた。人質である!もはや相撲取りの風上にもおけぬ卑劣漢!千代の富士の目に怒りの炎が灯る!

《PUT YOUR HANDS》

 オスモウドライバーから電子音声が流れ、同時に不可思議な光が投射される。それは輪となり、昨日天使とつくねが相撲を取った際と同じく、二人の力士を土俵入りさせた。
 うろたえる白まわしをよそに、ホログラム行司が軍配を返す。時間いっぱい、待ったなしである。
 千代の富士が先に土俵に手を付く。ウルフと呼ばれた横綱の鋭い眼光が、卑劣なる暗黒力士を穿たんばかりに睨み付ける。

「う……うおおおお!ナメるんじゃねぇー!!」
「きゃああ!」

 白まわしはちはやを土俵外へ放り捨て、仕切りを構えた。彼の中に残る、力士としての一片の魂がそのようにさせたのである。横綱と暗黒力士が睨み合う。

《READY》
《HAKKI-YOI》

 勝負は一瞬であった。白まわしの目には、立ち合いの瞬間、横綱の体が光に包まれたように見えた。気付いた時には横綱の体はどこにもなく、自らの体を見下ろせば、腹に大きな穴が空いていた。

《BUCHIKAMASHI》

 ホログラム行司が決まり手を宣告する。立ち合いと同時に横綱の体は亜光速にまで加速し、暗黒関取の体を貫通したのである。

「こ……国際暗黒相撲協会バンザーーーイ!!!」

 断末魔の絶叫とともに、力士の肉体が爆発四散した。輝く光の粒子が、雪のように教室の中に降り注いだ。
 同時に、映し出されていた土俵とホログラム行司が消え去り、横綱の体も光に包まれた。ちはやが眩しさに思わず目をつむり……再び目を開いた時には、いつものつくねの姿がそこにあった。

「……つくねっ!」
「うわっとと」

 ちはやはつくねの下へ駆け寄り、自分よりも小さな体を強く抱きしめた。

「ちーちゃん、苦しいって……えへへ、もう大丈夫だよー」
「大丈夫じゃないから!全然!バカ!」

 その時だった。互いの無事を喜び合う暇もなく、校舎の外から男の声が聞こえた。
 スピーカーから聞こえた、あの声である。

「乗るんだ!野々美つくね!」

 窓の外から轟音が響く。新たに校庭に乱入してきたのは、巨大な二輪のバイクであった。何よりも、その横に接続されているサイドカーがなんかやけに大きかった。奥行きも横幅も、つくねの2倍近くはあるだろうか。

 運転席に腰かける男は、つくねに向かって再び叫んだ。

「追手はまだ次々にやって来るだろう。今はここから離れるんだ。君の友達を巻き込まないために!」

その声色は、先程スピーカーから彼女を助けた声と同じものであった。

 つくねはちはやと目を合わせた。一瞬の躊躇ののち、意を決して割れた窓から飛び降りると、そのまま柔らかなサイドカーの座席に腰を落とした。謎の男は浴衣姿にティアドロップ型のサングラスという、恰好だけ見れば先程の怪人たちとほとんど変わらない胡散臭さである。だが彼が発した、つくねの友達を守るためという、その言葉を信じたのだ。
(ちーちゃん。お母さん。心配しないで、あたしは絶対無事に帰ってくるから……!)

 爆音とともにつくねを乗せたバイクは急発進した。校門を飛び出し、公道の赤信号を乱暴に突破し、一心地ついてからようやく運転席の男は口を開いた。

「……私の名は親方。親方弦一郎という。君の父上の、旧い知り合いだ」

つくねは目を見開いて答えた。

「お父さん……あたしのお父さんを、知っているんですか!……ある日突然いなくなって。亡くなったって聞かされて……あなたは」

 つくねの目に一粒の涙がにじんだ。だが、親方と名乗る男は片手をかざして制した。
「我々の『組織』やその目的については、申し訳ないが、今は語ることができない」
その胸には、あのベルトに刻まれていたものと同じ――桜の花に二重円の紋章をかたどったブローチが留められていた。
(※参考: http://www.sumo.or.jp/

「しかし、君と君の父上を悲しませることは決してしないと約束しよう。これを」

つくねは眼前に掲げられた男の手指に挟まれていた、小さな品物に気が付いた。細やかな蒔絵が描かれた、漆塗りの赤い櫛だった。受け取ってまじまじと見れば、可愛らしい工芸品でありながら、思わず息を呑むほどに美しかった。

「これは……」
「君のお父さんから頼まれていたのさ。君が16歳になったときに渡してくれとね。ああ、一日遅れてしまったが」

 男はサングラスを外し、つくねに視線を向けた。慈しみを帯びた優しい笑みがつくねをとらえていた。

「髷を結うには必要だろう?……誕生日おめでとう、オスモウドライバー」
最終更新:2017年10月14日 20:08