大澤真幸、2006、「オタクという謎」、『フォーラム現代社会学』、5:25-39.

  • 有意味性
オタクに関しては…情報は、有意味性への参照を欠いたまま、つまり意味へとつながる臍の緒をもたないまま、それ自体として追求され、集められていくのである。(26)
 意味の有無を誰が決めるのだろうか。たとえば、コンピュータに関する知識は有意味なのか無意味なのか。マネーゲームの知識は有意味なのか無意味なのか。

  • データベース消費と物語消費
私の考えでは、むしろ、データベース消費は、物語消費の延長上に現れるものである。(30)

  • 第三者の審級の不可視化
このような相対主義的なアイロニズムは、さしあたっては、「第三者の審級」の「徹底した不可視化」を伴っている。(32)

  • オタクと他者
オタクは、自身と類似している限りでの他者との交流や連帯を求め、自身との差異を際立たせるような他者からは撤退しようとしているのだ。(35)
 こう単純に類似と差異で語ってよいものか。損害を与えるような他者を避け、いっしょにいると楽しめるような他者を求めるのはオタクに限らず当然ではないか。
最終更新:2007年02月24日 22:15