• 自ら選んでオタクになる(竹熊)
それで僕なんかがオタクと呼ばれるものになっていくっていうのは、自分で選んだところもあるわけです。選ばない道もあったけれど、それ以外の道にリアリティがなかった。オタクっていうのは、対象に距離を置きながらのめり込むというアンビバレンツな状態ですよね。熱くなることができず、さりとてニヒリストになり切ることもできないとなったら、もうオタクになるしかないわけですよ。(42-3)

  • 庵野はゲンドウ?
竹熊 ネルフのことをスタジオ・ジブリだと論じた人もいますが(笑)。でも本当はネルフっていうのはガイナックスですよね。
庵野 そうなりますね。いわゆるアマチュア集団ですね。
竹熊 庵野さんが作品中のキャラクター全部に投影されているんだけれど、いちおうゲンドウ(ネルフの司令官)の位置にいたわけですか。何を考えているかわからないけれど、とにかくスタッフは従わなくてはならない。
庵野 スタンスとしてはそこになりますね。そんなに投影しているかと思うと、そうでもないと思うんですよ。でも、シャドウであるのは確かですね。
竹熊 ドラマ的にいいますと、親子の確執ってことでは、戦いはまだ成立していないですよね。
庵野 そうです。あやふやです。最終話までとっておいたんです。そこでやろうと思って。
大泉 面白いと思ったのはとりあえず母親をみんな殺してしまいますよね。あれは庵野さんの母親像みたいなものの投影なんですか?
庵野 そうですね。
竹熊 あそこは僕と違いますね。僕の場合、父親が不在になるんですよ。僕の世代で父親との対決っていうのは珍しいと思う。
庵野 あれも本当の父親なのかって思いますね。まあ、父親という血のつながった親子じゃなくって、もうちょっと世間とかシステムの代表だと思う。だから、ああいう顔なんです。
竹熊 それでわりと、とらえどころがないんですね。
庵野 使徒っていうのもそうです。ああいうふうにとらえどころがないように見せるのは、僕の中で世間というものが、はっきりしなくて、敵の存在がはっきりしないから。
竹熊 ゲンドウは世間の枠や圧力そのものなんだ。
庵野 そうかもしれない。世間そのものかもしれない。(78-80)

  • エディプスコンプレックス
父親を殺して母親を犯すというエディプス・コンプレックスの話ですけれど、僕もこれをスタートする時同じだなと思った。シンジが父親を殺して、母親を寝取る話ですから。(86)
最終更新:2007年04月11日 18:40